救えなかった僕ら。

「こんな風にね」

 ――仮面のヴィラン……《Mr.コンプレス》が、そう悠然に言った時には、すでにその場に理世の姿はなく、彼は木の枝に跳び移っていた。

「……理世ちゃんは!?」

 彼女のすぐ側にいたお茶子がいち早く気づき、声を上げる。たった数秒の異変に、全員が息を呑んだ。

 結月さんが、消えた――?

 青ざめていた出久の顔が、さらに血の気が引いていく。一瞬、自分の心臓が止まったかとさえ思えた。

「結月さんに何をした……!?」
「私のマジックで彼女は貰いうけたのさ」

 叫ぶ出久に、平然と木の枝の上に移ったMr.コンプレスは答える。「お嬢さんは捕まえて来いという命令だけでよく知らんが……」ビー玉のような小さな球体を二つ、指先で弄びながら。

「爆豪勝己。こいつぁヒーロー側そちらにいるべき人材じゃあねえ。もっと輝ける舞台へ、俺たちが連れてくよ」
「――!?っ二人を返せ!!」

 出久の怒声に、仮面の下でMr.コンプレスせせら笑う。

「返せ?妙な話だぜ。二人は誰のモノでもねぇ」
「返せよ!!」
「自分自身のモノだぞ!!エゴイストめ!!」

「どけ!」切羽詰まった声と共に、轟が前に出て、右足から氷結を生み出す。

「我々はただ、凝り固まってしまった価値観に対し、」

 パキパキと音を立て地面を伝い、あっという間に木を凍らせるも。

「「それだけじゃないよ」と、道を示したいだけだ。今の子らは価値観に道を選らばされている」

 すでにMr.コンプレスは宙へ跳び、別の木の枝に着地した。それを見てチッと轟は舌打ちする。

「………!爆豪と結月だけじゃない……常闇もいないぞ!」

 気づいた障子が叫んだ。その答えは一つしかない。

(後ろ二人を結月の時みてえに音も無くさらったってのか。どういう"個性"だ……!!?)

 奴から目を離すな――轟はMr.コンプレスを強く見据えたまま、口を開く。
「わざわざ話しかけてくるたァ……舐めてんな」
 静かに、自身の右側の体温を下げていきながら。

「元々エンターテイナーでね。悪い癖さ。常闇くんはアドリブで貰っちゃったよ」

 Mr.コンプレスが一度手を握り絞め、再び開くと……その指の間に挟まる玉は、三つに増えていた。
 それを見て、出久は歯を食い縛る。(あの中に、三人が……!)
 
「ムーンフィッシュ……「歯刃」の男な。アレでも死刑判決。控訴棄却されるような生粋の殺人鬼だ」

 ――Mr.コンプレスが口にした《ムーンフィッシュ》は、障子と常闇の前に現れた不気味なヴィランの名前だ。
 奇襲を仕掛け、庇った障子の複製腕を切断し、それを目の当たりにしショックを受けた常闇の"個性"、ダークシャドウを暴走させたヴィランだ。

 奴は次に、轟と爆豪の前に現れた。

 ムーンフィッシュの"個性"は《歯刃》
 すべての歯が刃のようになって、問答無用で二人に襲いかかった。

 それを阻止したのが、ちょうどその場に肝試しに待機していた円場である。彼の"個性"《空気凝固》で、二人の前に空気を固めた壁に一度は弾き返すも、実戦経験豊富な奴の反撃を受け、彼は気を失った。

 その後の爆豪、轟も苦戦する相手だ。

 それを倒したのは、出久の策と障子が体を張り、光を求めて誘導していた暴走するダークシャドウであった。

「それをああも一方的に蹂躙する暴力性。"彼も良い"と判断した!」

 巨大化と凶暴化、動くものは敵味方関係なく襲う姿に――。Mr.コンプレスは三つの球体を手の中に隠す。
 その姿は、決して常闇が望んだものではない。
 復活する複製腕といえ、仲間の腕が切断されたところを目の当たりにし、その抑えきれない感情がダークシャドウを暴走させたのだ。

(何が……っ暴力性だ……!!)

 その時の常闇の心情を考えると、出久は胸を痛まずにはいられない。

「この野郎!!貰うなよ!」

 体が悲鳴を上げるのも構わず、怒りの感情のまま出久は叫ぶ。「緑谷、落ち着け」それを障子の複製腕で宥める。

「麗日、こいつ頼む」
「え、あ、うん!」

 轟は背負っていた円場をお茶子に預けると、意識を右足に集中させた。

 轟も出久と同じような気持ちだった。

 三人を奪われただけでなく、クラスメイトを侮辱されたようなものだ。
 熱くなる感情とは逆に、半身に霜が降りる程、急激に下げた体温。温度調節をする余裕などない。

(最大限の冷気を……!!)

 一気に生まれた氷結は、広範囲に渡って周囲を呑み込む。今度こそ、奴に逃げ場は――

「悪いね俺ァ、逃げ足と欺くことだけが取り柄でよ!」

 頭上から声が響き、轟は白い息を漏らしながら凝視した。本人の言葉通り、Mr.コンプレスは身軽に宙を舞った。

「ヒーロー候補生なんかと戦ってたまるか」

 逃げの一択。目的の"二人"を手にした今、もう用はない。

「開闢行動隊!目標回収達成だ!」

 無線を使って仲間に伝える。

「短い間だったが、これにて幕引き!!予定通りこの通信後5分以内に"回収地点"へ向かえ!」

 ステッキを投げ、氷結に突き刺すと、自身はその上にとんっ、と降り立った。

「それでは、ごきげんよう。ヒーロー候補生の諸君――」

 背中越しに僅かに振り返ると、クイっとシルクハットを上げた。

「幕引き……だと」
「目的を果たしたんだわ」
「ダメだ……!!」
「三人とも連れて行かれちゃう……!!」
「させねえ!!絶対逃がすな!!」

 コートを翻し、闇夜に跳ぶ後ろ姿を、すぐさま彼らは追いかける。


 ――別地点。

「おい荼毘、無線聞いたか!?」

 開闢行動隊の一人――トゥワイスが荼毘に話しかけた。背後には、青い炎が煌々と燃え上がっている。

「テンション上がるぜ。Mr.コンプレスが早くも成功だってよ!遅えっつうんだよ、なあ!?眠くなってきちゃったよ」
「そう言うな。よくやってくれてる。後は"ここに"戻ってくるのを待つだけだ」

 トゥワイスが支離滅裂な風に言うのは毎度の事なので、特に気にせず荼毘は淡々と返した。

「予定じゃここは炎とガスの壁で見つかりにくいハズだったんだがな――……ガスが晴れちまってら」
「予定通りにはいかねぇもんだな……そりゃそうさ!予定通りだぜ」

 会話をしながら歩く二人の近くで……

(ガスが晴れた……誰かがヴィランを倒したんだ……!戦ってる……!)

 茂みの影で青山優雅は――膝を曲げ、頭を抱え、ただ震えていた。

『私はB組の方々をお救いしなければいけません!青山さんはこのお二人を施設へ運んで下さい!!』

 八百万の言葉を思い出す。彼の足元に横たわるのは、八百万が創ったガスマスクをつけた意識不明の耳郎と葉隠だった。

(僕はっ……!)

 その二人を抱えて施設に向かう事も、二人を見捨てて一人で逃げる事も、どちらも出来ずに青山はただ恐怖に動けないでいた。

 僕は……僕はどう――……

 !?

 青山が二人のヴィランの姿を目で追っていると、不意に荼毘の視線がこちらに向き、慌てて首を引っ込める。(目合った!?)

「………」

 バクバクと激しく打つ心臓の音に混じって、微かに聞こえるこちらに向かってくる足音。青山は両手で口を抑え、覚悟を決めるようにぎゅっと目を瞑った。ぶるぶると体の震えが止まらない。

 ――……

「おい荼毘!そういやどうでもいいことだがよ!」

 トゥワイスに呼び掛けられ、荼毘の足が止まる。

「脳無って奴、呼ばなくていいのか!?お前の声にのみ反応とか言ってたろ!?とても大事なことだろ!!」
「ああいけねえ、何の為に戦闘加わんなかったって話だな」
「感謝しな。土下座しろ」

 荼毘はくるりと踵を返す。

「死柄木から貰った。"俺仕様"の怪物……」

 そう言って、彼はピッと無線のスイッチを押した。


「やばいって、やばいって!!」


 ――一人くらいは殺してるかな。


「やばいってこいつぅ!!!」
「ネホヒャンッ」

 今まさに――その脳無は生徒を殺そうと、無数に生える腕を振り回し、追いかけていた。

 その腕の先端はそれぞれ凶器になっている。

 その一つのチェーンソーのような腕が、邪魔な木を易々と切り倒した。(ッ冗談じゃねえ……!!)

「八百万!!」

 逃げているのは泡瀬と八百万の二人だ。

「生きてるか!?おい!!頼む走れ!!追いつかれる!!」

 泡瀬は自身の"個性"《溶接》によって、互いの腕を結合させて、ぐったりしている八百万を引き上げながら走る。

 ――八百万!!

 息を切らしながら必死な声で、何度も彼女に呼び掛けるが返事はない。
 すぐ後ろで武器を振り回しながら追いかけてくる脳無。
「っく!!」
 突き出されたドリルを間一髪、泡瀬は足がもつれるように横にずれて躱す。

 その際、八百万のほどけた長い黒髪がかすめ、数本宙に舞った。(だめだ……っこのままじゃ、追い付かれるのも時間の問題だ……!!)

「……すみません……」

 ――直後。頭から血を流し、顔を覆う前髪の隙間から、微かに彼女の口が動いた。

「泡瀬さん……!!大……丈夫です!!」

 八百万はうっすらと意識を取り戻した。そう口にするが、体にはまったく力が入らない。(気付いたら倒れてた……何をされたか……!)

 さっぱり――……

「くそっ!!畜生!!!何なんだよ!!」

 泡瀬が必死に走るも、すぐ後ろからチェーンソーの歯が回るぎゅるぎゅるという音が間近に響く。

 ……――ッ!!

 迫るその腕に、泡瀬は逃げ切れないと悟った。八百万の頭を抱え込む。

「何なんだよォーーーーー!!!」

 叫び声はやがて、夜の静寂に溶けて……
 辺りに静けさが訪れた。


「――……」

 凶悪な音が止み、訪れない痛みに、泡瀬はゆっくり目を開ける。
 その刃は泡瀬の首元ぎりぎりに止まっていた。ひゅうと息を呑むも、すぐにその刃は遠ざかり、他の腕と同じように脳無の体に取り込まれていく。

「え……!?」

 無数にあった脳無の腕は、ただの二本の腕だけになった。

「ネホヒャン!!」
「今度は何だ……。……何で帰る?」
「…………」

 謎の鳴き声と共に、ズンズンと反対に歩いていく脳無。

(……役目を果たした……ということ!?)

 その後ろ姿を、八百万は血で塞がっていない反対の目で見つめていた。

 じゃあまさか――……

(爆豪さん!……っ理世さん!!)

 彼女の脳裏に二人の顔が浮かび、すぐさま思考を働かせる。

(判断……!!)

 片手を強く握り締めた。

 "最悪"を――……推し量りなさい百!!
 そこから、今出来る"最善"を――!!

「泡瀬さん……」

 力のない声で、八百万は名前を呼ぶ。

「"個性"でこれを!――……奴に!!!」
「何これ?ボタン?」

 八百万の手のひらから創りだしたそれを受け取り、不思議そうに眺める泡瀬。

「いいから早く!!行ってしまう!!」

 彼女の必死な剣幕に弾かれ、泡瀬は脳無の後を追いかけた。(なんかもう分かんねえけど!!)

 その背中に"それ"ごと手のひらで触れて、"個性"を使う。分子レベルで結合するため、ちょっとやそっとでは取れない。

「……ネホヒャンッ」

 一瞬、脳無は立ち止まり、泡瀬はびくっと肩を震わせたが、脳無は再び前に歩き出した。

 ほっと胸を撫で下ろす。

「よしつけたぞ、いいな!?怖えダメだもう!」
「ええ……」
「逃げるぞ!」

 泡瀬は八百万の腕を肩に回すと、互いに力が入らない足をなんとか前に踏み出し、二人は施設へと向かった。

(理世さん、爆豪さん……どうか……)

 どうか――ご無事で。

 再び失いそうになる意識のなか、八百万はそう願わずにはいられない。


 ――場所は変わり。


「ちょっとスピナー!!あんたのせいよ!」
「うるさい!」

 マグネの言葉を一蹴すると、虎はさらに軟体させた腕で締め上げた。

「誰かのせいというなら……悪事を働いた己の所為だ」

 後ろ向きにマグネに言う虎に、マンダレインも続けて言う。

「そういうことよ。ヴィランのスピナーくん」
「ええい、離れろ!不潔女!」

 マンダレインはマンダレインで、うつ伏せに倒したスピナーの上に股がり、押さえつけてぐっと両腕を締め上げる。

「ちくしょう……!ステインは甦る……!いいか!?意思が!ここでだ!」

 身動きが取れないスピナーは抵抗を止めたが、その口は止まらず心酔する思いの丈を叫んだ。

「俺によって!!俺はてめえら生臭ヒーローとメガネ君を粛清しなきゃいけねぇんだ」

 つくづくマンダレイは呆れる。

「意味わからない。それにしてもアンタ、"個性"を一切見せなかったわね」
「うるさいどけ!!」

 ……――その時。

「そう……」
「「!?」」

 突如、その場に現れたのは渦巻く黒い霧。
 そこから発せられた声に、虎もマンダレインも素早く反応する――が。

「お二人とも少し。どいていただきましょう……」


(意外と大したことないな、ヒーロー科)

 同じ頃――木と木の枝を足場に、逃げるMr.コンプレスの姿があった。

「ちくしょう速え!あの仮面……!」
「飯田くんいれば……!」

 5人はひたすら、その後ろを追いかける。

 縮まない距離に焦燥する轟に続いて、浮かせた円場を引っ張りながらお茶子も言う。
 その次に「理世ちゃん……っ」と、小さくその名前を呟いた。
 それこそ理世がいたならば、その"個性"ですぐに追いついただろう。その彼女が敵に囚われて、今まさに必死で追いかけていた。(私っ……!)

『あなたの気持ちをお茶子ちゃんと一緒にしないで』

 守るって、言ったのに――……

「諦めちゃ……ダメだ……!!っ……!」

 絞り出すような出久の声が響いた。

「追いついて……取り返さなきゃ!」

 体の限界なんてとうに越えている。

 ズキズキと悲鳴をあげるように激しく主張する痛みにずっと堪えて。朦朧とする意識を繋いでいるのは、出久のその意思だけでしかない。

「しかし、このままでは離される一方だぞ」

 障子の言葉に、出久は瞬時に頭を働かせて口を開く。

「麗日さん!!僕らを浮かして早く!」
「!」
「そして浮いた僕らを蛙吹さんの舌で思いっきり投げて!僕を投げられる程の力だ!すごいスピードで飛んで行ける!」

 矢継ぎ早に出久は続ける。

「障子くんは腕で軌道を修正しつつ、僕らをけん引して!麗日さんは見えてる範囲でいいから、奴との距離を見はからって解除して!」

 この方法なら……そこまで彼が言うと「成程。人間弾か」そう障子が納得した声を出した。

「待ってよデクくん。その怪我でまだ動くの……!?」

 今まで黙って聞いてたお茶子は慌てて口を開く。先頭を走っていた轟も、後ろを振り返り、出久を見る。(たしかに……こいつもう気を失っててもおかしくねえハズだぞ……)

「おまえは残ってろ。痛みでそれどころじゃあ……」
「痛みなんか今知らない」

 轟の声を遮る出久の声の凄みに。全員が口を閉じた。

「動けるよ……早くっ!」
「――……!」

 急かす出久の言葉に、いち早く反応したのはお茶子だった。

「デクくん、せめてこれ……!」

 自分の着ていたシャツを破ると、手頃な木の枝を拾い、彼の両腕に添え木をして固定する。

「いいよ、つゆちゃん」

 そして……出久、障子、轟と順に触れて、彼らを無重力状態に。

「必ず、三人を救けてね」

 そこに舌を何重に巻き付けた梅雨が、ぐっと力を込め……
「おっおおおお……」
 体全体を使って、勢いよく彼らを空に投げ飛ばした――!

「おおおおおお!?」

 想像以上のスピードだ。障子は腕に抱え込む出久と、掴んだ轟の腕を、絶対に離すまいと再度力を込める。

「見えたぞ……!」
「!?」

 小さくなっていたその後ろ姿を捉える。
 障子は出久に言われた通り、風を受ける覆製腕の軌道を調整しながら二人に言う。

「そのまま、突っ込むぞ――」


「――あれ?まだこんだけですか」

 回収地点に現れたトガは、明るい声で待機していた二人に話しかけた。

「イカレ野郎。血は採れたのか?何人分だ?」
「一人です」

 荼毘の問いにあっけらかんと答えるトガ。

「一人ィ!?最低3人はって言われてなかった!?」
「仕方がないのです。殺されるかと思った」
「つーかよ。トガちゃん、テンション高くねえか!?」
「♪」
「何か落ち込む事でもあったのか!?」

 ちぐはぐな二人のやりとりだ。トゥワイスの言葉にトガは頬を染めて、にんまりと笑う。

「お友だちができたのと、気になる男の子がいたのです」
「それ俺!?ごめんムリ!!俺も好きだよ」
「それに、目標回収達成ってことは、理世ちゃんがうちに来るってことですよ!」
「歓迎パーティーするか!今日は葬式だぜ!」
「うるせえな黙って……」

 ……!二人の複雑怪奇な会話に終止符を打とうとした荼毘は、いち早く異変に気づき、見上げる。

 ――ズドォン!!

 そんな衝撃音と共に、彼らは着地した。

「三人を……返せ!!!」

 出久が自身の足の下にいるMr.コンプレスに叫ぶ。左右から逃がさないように、轟、障子がその服をがっちり掴かんでいた。

「知ってるぜこのガキ共!!誰だ!?」
「Mr.避けろ」

 片手を上げ、一歩前に荼毘は出る。

「!了解ラジャ

 Mr.コンプレスが答えた瞬間、荼毘の手から高出力の青い炎が噴き出された。「バッカ冷たっ!!」

 直前、Mr.コンプレスは"個性"を自身がいる空間に使い、一瞬で球体になって回避する。

「うあ゙!!!」

 青い炎がその場を襲う。左右にいた轟と障子は左右に飛び退くが……

「ぎゃあ!!!」

 真ん中にいた出久に直撃した。高熱の炎は彼の腕の皮膚を焼き、悲鳴が上がる。

「緑谷!!」
「死柄木の殺せリストにあった顔だ!そこの地味ボロ君とおまえ!なかったけどな!」
「チッ!!」

 手首に取り付けたバンドからメジャーを取り出し、轟の背後を取るのはトゥワイスだ。すぐさま振り返り、轟は右足から氷結を繰り出す。

「熱っつ!!」

 その隙に、出久を助けに行こうとする障子「――っ!」だったが、牽制するように管が付いた注射器のようなものを投げられ、咄嗟に避けた。(あの女は、麗日たちを襲っていた……!)

 そのトガは障子には目もくれず、一目瞭然に走る。

「トガです、出久くん!」
「っつあ!」

 恍惚な笑顔と共にナイフを構えながらジャンプをすると、勢いのまま出久を地面に押し倒した。
 痛みに星が散った出久の目に映るのは、まっすぐ向けられたナイフの切っ先。

「さっき思ったんですけど、もっと血出てたほうがもっとカッコイイよ、出久くん!!」
「はあ!!?」

 ――緑谷!その刃が届く前に、障子が腕を大きく振ってトガを払いのけた。ふっ飛ばされたトガは宙で一回転し、地面に片膝をつくように着地した。

「そうですか……邪魔するんですか……」

 打って変わって冷徹な声色で言った。その手に持つナイフを握り直し、

「あなた、少しも好みじゃないけど――刺してあげます」

 金色の殺気を孕んだ瞳は、障子を睨み付ける。
「……っ。イカれてるな」
 戦きながらも、障子は出久を庇うように身構えた。

 ……一方。

「やるな!楽勝だぜ!かかって来いよ!」

 轟の氷結攻撃をそんな言葉と共に跳んで回避するトゥワイス。
「いい加減にしろって!」
 伸ばしたメジャーは、氷を真っ二つにする。

「なんなんだ、こいつ」

 奇妙な動きと、支離滅裂な事を口走るトゥワイスに轟は困惑していた。

「いってて……とんで追ってくるとは!」

 "個性"を解除し、Mr.コンプレスはその場にパッと現れた。周囲の状況を気にも止めず、やれやれと服の汚れを手で払いのける。「発想がトんでる」そう笑いながら歩く先は、荼毘の元だ。

「二人は?」
「もちろん」

 その問いに短く答え、Mr.コンプレスは右ポケットに手を入れる。ゴソゴソと探すが、指先には何も引っ掛からない。

「………!?」
「二人とも逃げるぞ!!」

 その様子を見て、障子は轟にも聞こえるように大声で言った。

「"今の行為"でハッキリした……!"個性"はわからんが、さっきおまえが散々見せびらかした――……」

 続けて言いながら、障子は自分の右手に掴んだその感触を確かめる。

 丸い玉が三つ、間違いない。

「右ポケットに入っていた"これ"が、三人だな。エンターテイナー」
「障子くん!!」
「――ホホウ!あの短時間でよく……!さすが6本腕!!まさぐり上手め!」
「っし、でかした!!」

 轟は氷結の壁を作ってから、二人の元に素早く駆け出す。

「アホが……」
「いや待て」

 動こうとした荼毘を、Mr.コンプレスの手が制した。

「!?」

 ――脳無!!

 逃げる三人の前に、森の奥から姿を現した不気味な姿。
「っこっちだ!」
 轟が方向転換した先には、さらに黒い霧が広がり、立ち塞がる。

「こ、こいつは……」
「USJにいた……!」
「ワープの……」

 ――黒霧。奴を前にして、それぞれの声が愕然とその場に響いた。

「合図から5分経ちました。行きますよ、荼毘」
「ごめんね、出久くんまたね」
「トゥッ!」

 黒霧はそれぞれの近くにワープを作り出した。
 トガは申し訳なさそうに出久に手を振りながら入り、続いてトゥワイスも飛び込み、脳無も黒い霧の中へと消えて行く。

「まて、まだ目標が……」
「ああ……アレはどうやら走り出す程嬉しかったみたいなんで、プレゼントしよう」

 荼毘の言葉にMr.コンプレスはそう答えながら……

「悪い癖だよ、マジックの基本でね。モノを見せびらかす時ってのは……」

 仮面をずらす。

「見せたくないモノトリックがある時だぜ?」

 目出し帽の下で目が笑う。ベロっと出した舌の上には、二つの小さな球体。

 Mr.コンプレスが指をパチンと鳴らせば「ぬっ!!?」突然、障子の手から氷の塊が三つ、弾け飛んだ。

「俺の氷か!!」
「そう……氷結攻撃の際に「ダミー」を"用意"し、右ポケットに入れておいた」
「くっそ!!!」

 出久は声を荒らげる。――圧縮して、閉じ込める的な"個性"か!!?
 三人は、再びMr.コンプレスに向かって走り出した。

「右手に持ってたモンが右ポケットに入ってんの発見したら、そりゃー嬉しくて走り出すさ」

 ちなみに……と、Mr.コンプレスは左のポケットに手を入れ、もう一つの球体を掴む。

「こっちにはサービスで本物を入れておいたんだがな。残念だったよ」

 まァ、我々の本命じゃない方だ――その一つも口に含み、Mr.コンプレスは再び仮面を被った。そして、荼毘と共に悠々と黒い霧に入って行く。

「そんじゃーお後がよろしいようで……」
「……ッ!(だめだっ!行かせるな!)」

 走れ!速く!手を……!!

(かっちゃん!結月さん!常闇くん!)

 手を伸ばすんだ――緑谷出久!!!

「「!?」」

 彼らの前を目映い光線が走る。それは一直線に伸びて、Mr.コンプレスの仮面を破壊した。

 ――青山(くん)!!

 その衝撃に、Mr.コンプレスの口から球体が吐き出される。

(このチャンスを逃すな――!!)

 頼む、堪えてくれ……!歯を食い縛り、出久はまた一歩、足を踏み出そうと――

「!!!」

 体中に電撃のような痛みが走り、出久の膝が折れる。倒れた。体が動かない。
 その出久の横を、一心不乱に二人は走り抜ける。

 落ちてくる球体目掛けて、飛び出した。
 掴め――それぞれが手を伸ばす。

 障子が掴んだ。もう一つも轟の手が届く。あと少し。その時、横から伸びる手が先にそれを掴む。「!?」

「哀しいなあ、轟――焦凍」

 荼毘は球体を掴むと、轟のその表情を眺めながらその名を口にした。

「くっ……!」

 余った勢いに、地面に転がる轟。

「っだよ、今のレーザー……」
「おい、あと一つはどこだ?」
「そりゃあ、この手の中さ」

 咄嗟に一つは確保したと、Mr.コンプレスは手のひらを開いて見せる。

「確認だ。"解除"しろ」
「俺のショウが台無しだ!」

 パチン、と彼は指を鳴らした。

 障子の手から飛び出したのは常闇。そして――……

「……ッ結月さん!!!」

 パッと現れた気を失っている理世を「おっと」と、Mr.コンプレスが横抱きに受け留める。
 だらりと力なく腕が落ちている彼女の姿を目にした瞬間、弾かれたように出久は駆け出していた。

「問題なし」

 目的のもう一人も、こちら側。
 爆豪の首を掴みながら荼毘は言う。

「結月さん――!!」

 その名を叫ぶも、届かない。
 彼女を抱えたMr.コンプレスは、黒い霧の中に消えた。

「かっちゃん!!」

 そして、爆豪の姿も徐々に闇に呑み込まれるように消えようとしている。

「……っ!かっちゃん!!」

 最後に残った赤い目が見つめる。
 ボロボロな体で、必死にこちらに走ってくる出久の姿を。

 ――"あの時"と同じ顔だ。

「来んな、デク」
「あ……」

 爆豪のその一言を残して。黒い霧はその場からふっと消え去った。

 飛び上がった出久は顔面から地面にスライディングしながらの着地だった。顔を上げたときには、そこには最初から何もなかったかのように。
「あ……あ゙ぁ………」
 目に映るのは、青くごうごうと燃え続ける森だけ。

「――っ……ああ゙!!!」

 喉が張り裂けるような咽び声が、その場に響き渡る。

 誰も、何も、言えなかった。

 救えなかった無力さを、痛みを、残った感情を……ただ、思い知らされる。

 それらを全部まとめて、一言で言うならば。


 完全敗北だ。


- 100 -
*前次#