黒霧の"個性"によって、別の場所にワープした瞬間。――ダンッ!
荼毘は爆豪の首を掴んだまま、床に叩きつけるように押さえつけた。
「っつ……!てめェ……!」
「暴れんな」
首を掴まれ、押さえつけられてもなお、その顔を睨み付けてやろうと爆豪はグググ……と、顔を動かす。
横目に見たその顔は、冷ややかな口調と同じように、冷たい青い目でこちらを見下ろしていた。(ちょっと前のあの野郎みてぇな目ェしやがって……)
「あらあら、ずいぶん活きがいいわね」
「やべえヤツ連れて来やがってよ!よく連れて来た!!」
「私の好みじゃないです」
好き勝手に言うマグネ、トゥワイス、トガの後に、スチールに座る死柄木が口を開く。
「おい、荼毘。ゲストに乱暴な真似はよせ」
顔に薄笑いを浮かべて。荼毘は「面倒くせぇ」と愚痴りながら、爆豪の首から手を離した。"個性"を使わぬよう両手首だけ掴んで、立たせる。
「不気味手野郎……ンで、俺を……!」
今度は無理矢理立たされた爆豪は、顔だけ死柄木に向けて睨み付けた。
「そう慌てるな。俺たちも色々と準備がある。今日はお前も疲れただろ?ゆっくり休んで、また改めて話そうぜ」
「ふざけやがって……」
悠々と喋る死柄木に、爆豪は噛み締めた歯から唸るような声を出す。
「こっちのお嬢さんはどうするんだ?」
「!!」
この時、初めて気づいた。Mr.コンプレスに横抱きにされて、気を失っている理世の姿を――。
「おい……そいつをどうするつもりだ」
低い声で問う。自分一人なら、どうにでもできる。だが……(んで、こいつまで捕まってんだ……!)
「テレポートはお前とは別件だ」
死柄木は理世を見ながら、短く答えた。そして、そのまま続けて話す。
「最初は癪に障る生意気な小娘で、ぶっ壊してやろうと思ったが……。まさか、俺たちに縁があったとは世の中狭いと思わねえか?」
「……は」
「知ってんか?こいつの両親、"個性"事故死って表向きはなってんけど」
――俺たちに殺されたって。
「……ッ、……なんだよソレ……」
そんな事を知るわけがなかった。彼女の身内の事情なんて。ましてや……(敵に殺された……?)
「知らねぇよな。張本人でさえ、大人たちのクソみてぇな"社会の事情"で嘘を教えられてきたんだから」
可哀想だよなぁ、と死柄木は微塵も思っていないような声で言う。
「両親から引き継いだのが"個性"だけだったら、こんな目に合わなかったのに」
この超人社会で皮肉だよ、と顔に付けた手の下でせせら笑う。
「……っさっきからワケわかんねえことばっか言いやがって……!簡潔に喋れや」
「俺たちも暇じゃねえんだ。今回はあくまで狼煙――次の一手の準備をしなきゃなんねえ」
勝手にペラペラ喋っておいて、勝手に話を終わらせる死柄木に、爆豪のこめかみに青筋が立った。(ワケわかんねえが、クソテレポがあいつらの思うままにされるとも思えねえ)
ここで考えなしに暴れる爆豪でもない。
積もる憤怒はそのままに、冷静に頭を働かせる――。
***
「ねえ、死柄木くん!理世ちゃんは仲間にしようよ!」
敵連合の仲間だけになった空間で、トガが死柄木に言う。
「もっと仲良くなって、それでもっと血だらけにして、カアイくしてあげたいです」
「タチの悪いメンヘラかよ。そりゃあ、テレポート次第だな」
俺たちに屈服し、コマになるか。
俺たちの輝かしい未来の為の、"人柱"になるか……。
***
敵が去った15分後に、プラドキングが通報した救急や消防が到着した。
生徒41名の内、敵のガスによって意識不明の重体は、15名。重・軽傷者は、11名。無傷で済んだのは、13名。
そして……行方不明者、2名。
プロヒーローは6名の内、1名が頭を強く打たれ重体。1名が大量の血痕を残し、行方不明。
――現場に到着した坂口安吾は、数字と共に、写真にあるその顔も一緒に情報として頭に刻んでいく。
それは彼の癖だった。
事件・事故をただの数字として、記録として捉えられない安吾は、いつしかそんな風に脳が自動的に働くようになった。
行方不明者に記載された、結月理世という名前。
その顔は簡単に脳裏に思い浮かんだが、すぐに消えた。今は感情に浸る場合ではない。それは、決して胸が痛まないというわけではない。
彼はいつでも冷静に、己のやるべき事を全うする。いくつもの任務を成功し、最年少として「参事官補佐」の座についたのは伊達ではない。
ただ、感情を押し殺すのは少々下手ではあった。
「……坂口さん……資料が反対です」
気まずそうに、おずおずと青木は口を開いて言った。
…………。
安吾は何も言わず、資料を持ち変えた。
気を取り直して、彼は再び情報を頭に叩き込む。
一方、敵側は3名の現行犯逮捕だった。
指名手配中のマスキュラー。死刑囚で脱獄犯のムーンフィッシュ。もう一人は、行方不明者として届けが出ていた少年で間違いないだろう。
"個性"届けにある情報と一致している。
危険な"個性"を持っていた為、警察や特務課によって捜索されていた最中だった。
思春期の反抗心で道を外す青少年は少なくはない。この超人社会では容易い事だ。
ただ、今回は道を外した先が大きすぎた。
「っクソ!まさか林間合宿を狙ってくるとは!」
苛立ちを露にしたのは村社だ。安吾の脳裏に、林間合宿を楽しみにしていた理世の姿が浮かぶ。
『A組だけでなくB組も一緒だから楽しみ!クラス関係なく仲良く交流できたら良いな』
その林間合宿は、最悪の結果で幕を閉じた。
「村社くんは武装探偵社に連絡を。青木くんは引き続き、警察と連携を取って情報収集をしてください。私は記憶抽出に辺りを巡ります」
安吾はそう手早く指示し、資料を村社に預ける。
「坂口さん、くれぐれも気をつけて下さい。警察が辺りを捜索してますが、まだ敵が潜んでいる可能性があります」
「重々承知してますよ。拳銃は装備してますので」
そう青木の問いに淡々と答えて、安吾はその場を離れた。
「……あっ、安吾さん!ですよね!?」
その安吾を呼び止めたのは、お茶子だった。
軽傷者として、梅雨と共にその場で怪我の治療を施された二人は、そのまま待機していた。
「あの、私たち、理世ちゃんと同じクラスの……」
「"お茶子ちゃん"と"梅雨ちゃん"ですね。仲の良いお友達と、理世からよく話を聞いてますよ」
そのままで、とパイプ椅子から立ち上がろうとする二人に安吾は手で制止する。
張りつめていた顔を引っ込め、彼特有の穏和な笑みを浮かべて二人の元へ歩く。
「理世ちゃんと……爆豪くんをお願いしますっ!!」
お茶子は勢いよく言った。膝の上に置いていた手をぎゅっと握り締める。別に自分がお願いしなくても、すでに救出に向かって動いているだろう。
でも――その姿を見かけて、思わず引き留めて、お茶子は言わずにはいられなかった。
理世の両親が数年前に亡くなって、今、目の前にいる人が後見人であり、彼女の家族と知ったのは……自身の両親の話をして、うっかり理世の両親はどんな人か聞いた時だ。
知らなかったとは言え、話しにくい事を突っ込んでしまったのに……彼女は笑顔で包み隠さず話してくれた。
「私っ……理世ちゃんに守るって言ったのに……守れなかったんですっ……!」
塞き止めていたものが流れるように、お茶子の大きな目から涙がポロポロと溢れ落ちる。
……一番近くにいたのに、何もできなかった……
「お茶子ちゃん……」
隣の梅雨の手が、その腕に寄り添うように触れた。
梅雨も同じ気持ちだった。
泣いたって、何も変わらない。ヒーロー志望なら、こんな時でも毅然とした態度でいるべきなのだろう。
けれど、二人が攫われた悲しみは、胸の内だけに留められなくて、涙となって溢れてくる。
「ケロ……」
梅雨の目からも一筋の涙が流れた。
「…………」
その二人の姿に、安吾は胸を痛ませる。ヒーロー志望とはいえ、二人はまだ子供なのだ。二人だけじゃない、ここにいる生徒たちは皆――。
安吾は二人の前にしゃがむと、その肩にそれぞれぽん、と手を置いた。
「大丈夫ですよ。二人は必ず救出します。警察、特務課、ヒーロー……皆が協力しあえば、無敵だと思いませんか」
お茶目な口調でそう言って笑いかける。
今回はそこに、武装探偵社の彼らも加わる。あの名探偵なら、僅かな手がかりでもすぐに居場所を突き止めるはずだ。
ぐずっと涙を指で拭いながら、お茶子はこくりと頷いた。
「優しいお二人は、ぜひ他の生徒たちに寄り添い、励ましてください」
あとの事は我々に任せて――そう最後に伝えて、安吾は立ち上がる。
(……彼は……)
そして、少し離れた場所に立っている轟の姿に気づいた。
話は聞いていたのか、轟は安吾に一礼だけする。答えるように、安吾は深く頷いた。
(――必ず。二人を救出し、敵全員捕まえる)
敵が爆豪勝己を攫った理由は定かではないが、理世を攫った理由はおおよそ見当は付いている。
ただ、それがその希少な"個性"が目当てなのか、もしくは――。
「………………」
敵連合の後ろにいるのが『オール・フォー・ワン』なのは確実だ。
(早く見つけ出なければ、理世の命が危ない……!)
両親と同じ結末だけは歩ませてはならない。彼女は未来を生きて、ヒーローになるのだから。
……――多くの者が徹夜明けの翌日。
一夜にして、すでに事件は世間に知れ渡っていた。
雄英学校前はマスコミが集まり、新聞やニュースなど、メディアでは雄英の避難の嵐である。
「――判らない」
武装探偵社に訪れた安吾の前に、黒縁眼鏡をかけた乱歩は言った。
並べられた資料を眼鏡越しに眺める目が見開き、驚愕している。
「あの、乱歩さん……今なんと……?」
驚きながら国木田が聞く。乱歩の口から、今まで出た事のない言葉だった。
「判らない」
何も――判らない。
顔をあげた乱歩の表情に、嘘偽りはなかった。
「っやられました……。敵が一枚上手だった。それは、"個性"によるものですね」
「"個性"ッて、どんな……?」
乱歩の超推理を阻むそんな"個性"が……谷崎は驚きを隠せない。
「現実改変系でしょう」
現実改変系は精神操作系と並び、異端と称される超級の"個性"のため、安吾はすぐに一人の人物が頭に浮かんだ。
名は、小栗虫太郎。
"個性"は《完全犯罪》
「『犯罪の証拠を消滅させる』"個性"の持ち主を知っています」
「じゃあ……!」
「無駄だよ」
谷崎が何かを言う前に、すばやく乱歩は答えた。
「探しても無駄だ。こうなった時点で、そいつはすでに向こうの手中にいる」
ええ……と、残念そうに安吾も頷く。
だが、何もしないというわけにもいかず。スマホを手に取ると、少しその場から離れて、部下に捜索を命じる電話をかける。
「それじゃあ、理世ちゃんたちの居場所を探し出すには……」
「敵のアジトをしらみ潰しに探し出すしかないだろうな」
ナオミの言葉に織田が答えた。
「じゃあ、みんなで情報収集しましょう!」
「それも難しそうです」
提案するように言った賢治に、今度は安吾が答えた。
「今しがた、刑事の方から連絡がありました」
電話の主は塚内だ。
「今回の事件に関わる敵の特徴と、それらしき目撃情報が入り、確認しようとしたところ……」
何故か、存在しなかったように情報が不透明になったという。
「自分たちの居場所に繋がる情報は犯罪の証拠と見なし、消滅したのか」
乱歩が苦虫を噛んだように呟いた。
「ずいぶんと厄介な"個性"を仲間に引き入れたもんだねェ」
与謝野の言葉を最後に、全員黙り込んだ。
手がかりはない。
情報は消滅させられる。
乱歩の超推理さえ拒む。
八方塞がりな状況。ならば、一体どうしたら……
「僕、何か手がかりがないか、情報屋の六蔵くんの所に行ってきます!」
明るく言った賢治に、国木田と谷崎がぽかんとする。
「おい、賢治。今の話を聞いていなかったのか。敵の居場所に通じる情報は消滅してしまうんだぞ?」
国木田の言葉に、賢治はきょんとした。
「そんなにすごい"個性"でも、全てに及ぶかは分かりませんよね?」
"個性"は万能ではない――そう学校で教わりました、と賢治は続ける。
「どんなに小さな情報でも、彼らと繋がりがあれば、乱歩さんならそこから推理ができますよね!」
さも当然のように言った賢治の言葉に、皆がハッとした。
「……確かにそうだねェ」
「乱歩さんなら、マッチ一本でも見れば真相が分かりますもンね!」
与謝野と谷崎だけでなく、他の皆も納得するように頷く。
その光景を眺める乱歩に、珍しいと安吾は思った。驚いているような、呆れているような、そんな表情をしているからだ。
「それに僕らの基本は、歩いて情報を得ることだと、国木田さんが教えてくれましたから。僕は情報収集をして来ます!」
賢治はにっこり笑って言った。
「まさか、賢治に諭されるとは……初心忘るべからずとはこのことか」
新人であり、今はアルバイトという位置付けの賢治が――。田舎から出てきてすぐに、ここにやって来たときはどうなる事(世間知らずで)かと思ったが、成長したと国木田の口元は微笑む。
「私も……私も一緒に連れて行って」
そう口を開いたのは、今まで黙って話を聞いていた鏡花だった。
理世が攫われたと聞いたや否や、じっとしていられず、探偵社に訪れていた。
「私も何かしたい。ほんの少しでも、理世を救う手助けが出来るなら……なんでもしたい!」
しばらく見ないうちに、母親譲りの青く澄んだ瞳になったと……安吾は思う。
あの頃の暗い色は、もう存在しない。
「はい!鏡花ちゃん、理世ちゃんを救ける為にも一緒に頑張りましょう!」
「うんっ」
まだ子供の二人のひた向きさと諦めない姿に、大人たちも負けていられないと、彼らの顔も笑顔になる。
「妾たちも気合い入れて乱歩さんの手足になろうじゃないか」
「ああ、そうだな」
「僕らも行こう、ナオミ」
「ええ、兄様!」
「まずは計画的に事を進めるぞ」
暗い空気が一転した。
乱歩を中心に、信頼関係が結ばれている。
良い職場だと……安吾も今まで固まっていた表情筋がふっと綻んだ。
太宰と織田の二人が勤めているだけある。
「乱歩よ、先程から考えているのだろう。皆に助言を与えたらどうだ?」
そう乱歩に言ったのは、一番後ろで見守っていた福沢だった。
「考えていた――?」
顔を上げた乱歩は、普段と変わらない様子で不敵に答える。
確かに、初めて体験した「判らない」という感情に、自分の超推理を拒む"個性"に、少なからず動揺し、ショックを受けた。
――だが。
「名探偵は考えないよ、社長。僕の"個性"は、誰にも負けない」
相手の"個性"にだって。何故なら――……
「あっはっはっ!君たちにこの名探偵が助言を与えよう!」
高笑いをする乱歩に「わぁ、ありがとうございます!」と、賢治が素直に答えた。
「横浜近辺の情報収集をしろ」
「「!」」
真剣な口調で乱歩が言う。
「それはつまり……」
国木田の問いに、乱歩は頷いた。
「姿を隠すだけなら如何様にもやりようがあるのに、敵がわざわざこの"個性"を使ったということは。僕への警戒だろうな」
「なるほど……灯台もと暗しですか。乱歩さんの目を欺いているうちは、逆にここは安全な隠れ家になる」
安吾は顎に指を掛けながら、自身の見解を話す。
「だが、向こうも時間の問題だと分かっているはずだ」
乱歩が真意に気づくのも、アジトが特定されるのも……。
「安心しろ、安吾くん。理世も爆豪くんも必ず"救かる"。だが、時間は長くないと考えろ」
要約すると、二人を救いたいなら時間を掛けるな――だ。
「大丈夫だ、安吾。太宰も動いている」
励ますように、織田は安吾に言った。
「坂口くん。此度の敵の所業には我々も憤りを感じている。何かあれば、惜しみ無く協力しよう」
福沢の言葉に全員が頷く。安吾は「皆さん、感謝致します」そう一礼し、探偵社を後にした。
同じく横浜にある――クラヴィティハットヒーロー事務所。
「おのれ……敵連合め……一度ならぬ二度も生徒を襲うとは……!!」
「今度は生徒が……理世ちゃんも攫われるなんて……!早く救けに行かないと!」
芥川と敦の、感情を露にした声が響く。だんっと、芥川の拳が机に怒りをぶつけた。
「中也さん!敵の居場所が分かり次第、俺たちも救けに行きましょう!」
椅子に足を組み、静かに座っている中也に、立原が言った。
「お前ら、落ち着け。今騒いでもどうにもなんねえよ」
対して中也は、落ち着き払った声で三人に話す。
「俺たちが動くのは依頼が来てからだ。拉致られた二人の救出だけでなく、敵連合をここで掃討しないとならねえ。警察や特務課だけでなく、他のヒーローとも連携する大規模なもんになんだろう。感情任せに動いていい案件じゃねえ」
その言葉に全員が押し黙った。
中也は若くてもこのヒーロー事務所の責任者だ。彼らと同じ気持ちでも、自分は感情を抑え、まとめあげなくてはならない。
「だが……。その時が来たときゃあ、クソ敵どもを全力で叩き潰すぞ……」
出せない感情を声に乗せて、低く唸るように中也は言った。
「「はい!」」
声を揃えて答える三人の後ろで、樋口はぎゅっと手を握る。
とにかく、無事で……彼女は静かに祈った。