一夜明け、世間は騒然としていた。
ニュースでも新聞でも、一面が神野の事件とオールマイトで一色だった。
"神野の悪夢"
――後にそう呼ばれる悪との対決。
目が覚めた僕は、中也さんによって気絶させられたと知った。でも、今となってはそれで良かったと思っている。
凄まじい戦闘が繰り広げられ映像を見て……あの場にいても、きっと僕は足手まといでしかなかったと思うから。
そして、今、僕は芥川とベストジーニストさんと同じ病室にいる。
全身、ピカピカの、傷ひとつない状態で。
「しかし、傷が完治するとは……。武装探偵社にはこれほどまでに強力な治癒"個性"を持つ者がいたとは、驚きだな……」
「まあ、重大な欠点がありますけど……」
「それと、妙な夢を見た……鉈を持つ女医の姿が……」
「あ、それ現実です」
――ベストジーニストの言葉に、敦は死んだ目で返した。
横浜では「重傷は無傷と同じ」という逸話があるが、それは武装探偵社の専属医師である与謝野昌子の"個性"によるものだ。
彼女の治癒はあらゆる外傷を治癒させる"個性"だが、発動条件が「瀕死」というすこぶる使い勝手が悪い。
瀕死に至らない怪我を治すとなると、彼女自ら半殺しにしてくるので、身内には敵以上に恐れられている。
「此度は瀕死で良かった……」
芥川が小さく呟いた。三人はほどよく瀕死だったので、解体されずに済んだのだが……
問題は、オールマイトだった。
「さすがNo.1ヒーローだね。そんな傷で瀕死じゃないとは……恐れ入ったよ」
「!?あの……与謝野先生。何故、鞄から鉈を……」
「おやァ、太宰から聞いてないかい?妾の"個性"はちょっと不便でねェ。瀕死じゃないと治せないのさ」
「聞いてない聞いてない!!」
「安心しな。これでも医者だから、どの程度の解体で瀕死になるかちゃあんと頭に入ってる。殺しゃしないさ――!」
「Ahhhhhhhh――!――!――!!!」
――数時間前に悪の帝王と決死の戦いをし、絶体絶命の危機にも一歩も引かなかったあのオールマイトが、恐怖に震え、悲鳴を上げた。
「やあ、オールマイトさん!全身ピカピカでまるで新品のようだね!男前度がさらに上がったんじゃない?」
「……太宰くん……先に教えてほしかった……」
太宰が個室に入ると、怪我は完治し、ピカピカに肌を光らせるも、魂が抜けたようなオールマイトの姿が……。
「ふふ……でも、外傷だけでも治って良かったじゃないか。与謝野の先生の"個性"は、古傷や疾病は治せないからね」
そう言いながら太宰は丸椅子を引き寄せ、足を組んで座る。
彼の言う通り怪我は治っても、オールマイトの痩せこけた姿に、失われた内蔵は変わらない。だが、外傷が治った事によって、退院は午後にはできるらしいよ、と太宰は伝えた。
「結月少女の容態はどうだい?意識を失ったと聞いたが……」
己の身よりも心配そうに聞くオールマイトに、理世の状態を思い浮かべながら、太宰は口を開く。
「まさに眠り姫のようさ。所謂、植物人間のような状態だから、こればかりはいつ意識が戻るか分からない」
「……!!オール・フォー・ワンが何かしたのか……!」
「直接的ではないがね。……オールマイトさんには、理世のことを話しておこうと思ってね」
隠す意味もなくなった。
何より彼は、元凶と大きく関わる人物だ。
安吾も了承済だよ、と付け加えてから太宰は話す。
「何故、彼女がオール・フォー・ワンに狙われたのか、だ」
「それは、結月少女の"個性"を……」
そう答えてから、オールマイトはハッと気づき、太宰は頷く。
「そう。理世の"個性"は両親から受け継いだものだ。奴はその"個性"を、すでに6年前に二人から奪って殺している」
じゃあ……?
太宰は、人差し指を自分の頭に向ける。
「"脳"――。その"個性"を最大に使いこなせるスペックを備えた理世の脳を、奴は狙った」
オールマイトは、太宰の言葉を瞬時に理解できなかった。
「6年前から奴は目星を付けていたんだろうね。密かに脳無を作り出す研究を行っていた"奴ら"は……――」
そこから紡がれるあまりにも残酷な真実だった。
脳無を造り出す為に、彼女の両親は犠牲になった――。
そんな酷い話があるのか。
「許…せん……!」
大切な命を奪うだけでなく、人としての道理を超えた所業。彼女の両親だけでなく、その娘の理世にも手をかけようとしたのだ。
オール・フォー・ワンから最悪な形で両親の死の真相を聞かれ、脳の機能が停止する程に"個性"を暴走させた理世の心情は……
どんなにショックを受けたか。
どんなに傷ついたか。
どんなに悔しかったか。
オールマイトはシーツを細い指が折れそうな程にぎゅう……と、握り絞める。
「……落ち着きたまえ、オールマイトさん。今ここで激怒しても、あなたの血圧が上がるだけだ」
彼の言葉は正しい。今ここで怒り散らしても、理世の両親は帰って来ない。
元凶は事の大きさから、特例中の特例として刑の確定を待たず、特殊拘置所のタルタロスに収容されている。
「……そうか。安吾くんも君も、ずっと結月少女を守っていたんだな……」
オールマイトは息を吐きながら呟いた。
今度は何も出来なかった自分に、自責の念に苛まれる。
平和の象徴、No.1ヒーローと呼ばれるが、たった一人の……自分の教え子でもある少女を守れなかった。
「それは我々も一緒だよ」
オールマイトが何を考えているか分かった太宰が言う。理世は救出したものの、今の彼女の状態は守れなかったと等しい。
「……私が、理世を知ったのはね。安吾に彼女を守りたいから、手を貸してくれと泣きつかれたからなのだよ」
泣きつかれた、という表現は語弊があるが。
「疑問に思っていたことはないかい?何故、理世の両親は自身の"個性"による事故死とされたのか」
確かに、とオールマイトは考える。
理世の両親が殺された事実は世間には非公表だ。
オール・フォー・ワンの存在が社会に影響や不安を与えぬ為に隠されていたのと同じく、同様に関わった二人の死が隠蔽されるのは分かる。
だが、それなら何故、二人が事故死――それも"個性"によるものとなったのか。
架空の敵をでっち上げるなど、いかようにも話を作り替える事はできるだろう。(それが正しいかどうかはともかく)
「理世の両親が殺された時点で特務課の上層部――つまり、内務省もこの件は把握していたのだよ」
そして、国家の機関である彼らは保身に走るしかなかった。
「今後起こる可能性がある脳無の被害に、特務課のエージェントが敵の改造人間の成功に関わったという事実を伏せたいと考えた。だが、これはオール・フォー・ワンの存在もあって、その事件自体、闇に葬られるから問題はない」
「………………」
もしも、世間に公になれば、彼らの批判は免れない。
社会は秩序を脅かす存在に厳しい。
例え、被害者であろうと、その脳無が社会に危害を加えたら、その責任を特務課は逃れられない。
「そして……それ以上の脳を持つ理世を敵の手に渡すわけにはいかない。だから、彼らは完全に彼女の身柄をこちらで掌握したいと考えた」
「……!」
オールマイトは喉をつまらせた。では、どうすればいいか――太宰は続ける。
「"個性"事故として、彼女の"個性"が危険なものだと、周囲の印象操作をした――」
彼女の身柄を守る意味も、もちろんあった。だが、やり方が非情だったのだ。
「それによって見事、理世は親戚からは引き取りを拒まれ……友達も周囲の人間も離れ――"本当の"孤独になった」
まるで、外堀からじわじわと埋めるように……。
引き取り手もなく、行き場を失った少女に、"個性"の危険性という事情も加われば、特務課が保護するという理由は至極当然になる。
「守るべき、大人たちが……」
オールマイトから愕然とした声がもれた。
特務課もヒーローと同じように、この超人社会で人々を守る目的は一緒だ。
だが、その立ち位置はまるで違う。
「社会の秩序を、平和を守る。それが特務課の使命であり、その側面で見れば合理的かつ"正しい"」
じゃあ、彼女からしてみたら――。
それは、自由を奪われた鳥籠の鳥と一緒だ。
もし、今と同じようにヒーローになりたいという夢を持ったとしても、それは叶うことはなかっただろう。
「……安吾くんか」
確信したオールマイトの言葉に、太宰はふっと笑みを溢し、目を伏せる。
「当時、理世の両親は安吾の直属の上司で、新人の自分を育ててくれ可愛がってくれたそうだ。何より……彼は隠しているけど、正義感が強く情が厚いのだよ」
多忙の仕事の傍らで、一人一人の死者の人生録を作る程に――。
当然、安吾はその非情なやり方に抗議し、自分がその責任を負って引き取ると突拍子もない事を訴えた。
「だが、下っ端の潜入捜査官の意見なんて通る筈がない。そこで安吾は、私に相談して来た。特務課は私に借りがあるしね」
「……それで、結月少女は安吾くんが後見人になって、共に暮らす事になったのか」
オールマイトの顔も柔らかく微笑む。安吾とは立場上だけでなく、友人関係を築けたのは、その人柄があってこそだ。
「それが、私の出番はなかったのだよ。予想外の人物が現れてね」
太宰はそこで言葉を切ると、くすりと笑った。彼が武装探偵社を知るきっかけにもなった……
「江戸川乱歩。無個性にして、驚異の頭脳を持つ名探偵の登場さ」
理世と偶然出会った彼は、閉ざした彼女の心の扉を開かせた。
「私より先に仲良くなっていて、まいったよ」
そして、乱歩は迷子の子猫のような理世に助言を与えた。
『なら、君はヒーローを目指すと良い』
その言葉はやがて、安吾に繋がり、彼女は彼の元でヒーローを目指す。
「そして、今に至るってわけさ。ちなみに安吾が社畜と言われるのは、理世の意思もあって強引に彼女の保護者になったからね。代わりに馬車馬の如く働かされている」
まあ、なんだかんだ本人の気質に合ってるように見えるけど……最後にそう言って太宰は笑った。
理世の生い立ちを聞いて、自分は彼女に何をしてあげるだろうとオールマイトは考えた。
太宰が話したのは、自分と元凶であるオール・フォー・ワンに因縁があるからだろう。
ヒーローとしては、何も出来る事はない。
ワンフォーオールの残り火が消えた今、残る道は引退だ。
「太宰くん……私は……」
オールマイトは神妙に切り出す。
彼女の真実を話してくれたのだ。
自分の秘密も打ち明けねば、フェアではないと思った。
それに、彼なら話しても問題はないだろう。
「緑谷出久くんだろう?あなたの"個性"の譲渡先」
まだ何も言っていないのに、あっさりと言った太宰に驚いた。言おうとした内容を当てられたのではなく(それもあるが)
"個性"の性質に、その譲渡先の人物も知っていたからだ。
オールマイトは太宰には教えていないし、あの安吾が勝手に喋る事も考えられない。
太宰の超人的思考で、答えを導き出したのだろう。(恐るべし……!!)
「……いつから気づいてたんだい?」
「"個性"はオールマイトさんと出会って何度か顔を合わせるうちに」
「ほぼ最初っから!?」
さらにド肝を抜かれた。
「歴然じゃないか」
と言う太宰に、何が歴然なのかオールマイトは謎に思う。
「緑谷くんはニュースでヘドロ敵に立ち向かうところを観てね。その後、オールマイトさんが解決したと知って」
「譲渡する前!!」
「だってオールマイトさん好きでしょ。ああいういかにもってタイプ」
図星を突かれてオールマイトはムム……と唸る。
まあ、確信したのはUSJの事件で、一人自分の"個性"で傷ついた少年がいると聞いてだが。
「さて」そう呟いて、太宰は立ち上がる。
「そろそろ塚内さんたちが来るだろうし、私はおいとまするよ」
お大事に――と出て行く太宰と入れ代わるように、塚内とグラントリノが部屋に入って来た。(相変わらず、予言のような思考回路だな……)
「太宰くんが来てたんだな」
「ああ、お見舞いに」
塚内の言葉に、オールマイトはそう答えた。
その頃――安吾は特務課の長官室に呼び出されていた。
「あの悪の帝王と呼ばれる敵を取っ捕まえたものの……」
背筋を伸ばす安吾に、机を挟んだ向こうで、着物姿の大柄な男が苦々しい口調で言った。
安吾の上司であり、個性特務課、最高指令官、種田山頭火だ。
「その代償は町の損害、死者数、実行犯らの捕り逃し……割りに合わん成果や。その上、平和の象徴の引退に世間の影響を考えれば、わしは頭が痛い」
安吾は返事をせず、ただ目を伏せた。
「理世から記憶抽出したか?」
「……はい。しかし、新しい脳無の情報などは見受けられませんでした」
ただ静かに答える。脳無格納庫はオール・フォー・ワンによって、消し飛んでいた。
理世から見た記憶は、保管場所という印象しか受けない。
何より、その場を壊そうというように暴走した、理世の"個性"の威力と痛々しい光景を目にしただけだった。
「安吾。結果論と言われればそうや」
「…………」
「だが、理世がヒーローを目指すという事は、敵の目に晒され、いつかはこんな結果に繋がったとは思わんか?」
安吾は再び沈黙する。
「あの子が目覚めた時には、今一度よく考えろ。今回、敵の手には渡らなかったから良かったものの。敵連合はまだ生きとる。また狙われんとは限らん」
話を終え、一礼してから安吾は部屋を出た。二人の護衛に「病院に行くだけですから」と断り、駐車場へと向かう。
「織田作さん……」
そこで、一人の友人が待っていた。
「すまない。お前が心配で待ち伏せしていた」
隠しもせず大っぴらに言う織田に、安吾は僅かに笑みを溢す。
「今から病院に戻るところなんです。敦くんたちもまだ退院してないでしょうし、織田作さんも一緒に行きますか」
「ああ、行こう」
織田作は助手席に乗り込んだ。
ゆっくり発車する車。
車内は沈黙したまま、道路を走る。
「……織田作さん」
どう切り出そうか悩んでる織田だったが、先に切り出したのは安吾だった。
「僕は……、僕がしたことが正しかったのか分からなくなりました」
理世についてだ。
両親の死の真相は、彼女の精神がもう少し成長してから話そうと思っていた。
もっと早くに真実を話していたら、理世は"個性"を暴走させずに、昏睡状態にもならなくて済んだのか。
そもそも自分が無理に引き取らないで、特務課が保護していたら、理世は拉致される事もなかったはず。
自由と引き換えに。でも、彼女の身の安全を考えたら――
「安吾」
思考の沼に溺れそうになる安吾を、引き止めように織田は口を開いた。
「理世にとって、何が正しいか間違っているかは誰にも分からない。だが、もしそれを決めるとしたら、それは理世本人だ」
織田は運転する安吾の横顔を見ながら、まっすぐに言う。
「理世が起きたら、聞いてみればいい」
きっと、彼女なら――……
「……そう、ですね」
「大丈夫だ。理世は必ず起きる。乱歩さんも言っていた」
『理世が、僕たちに心配かけたままでいられるはずがないだろう』
名探偵の言葉は、いつだって確信を得ている。
そうだ、あの子はそういう子だ。
他者を思いやる気持ちが強いのだ。
安吾は今度こそ、強く頷いた。
――横浜にある、とある診療所にて。
「まったく。こんな薄気味悪い人間、二度と"私の部屋"に入れたくないわ」
「いやぁ助かったよ。君の"個性"なら、あの場で警察やヒーローに気づかれずに連れて来るのは容易いからね」
白衣を着た長髪の男は、にっこりと笑う。
森鴎外――この診療所の医師だ。
「彼は脳無といって、複数の人間のDNAと"個性"を掛け合わせた人造人間だ。私は、彼らがどうやって造られたのか、非常に興味があってね」
森は診察台の上に拘束された脳無を見ながら言う。
「ちょうど君の存在を知って、お願いしたってわけさ。ルーシー・モード・モンゴメリ嬢――アメリカの非公表組織『ギルド』の元一員」
「……昔の話よ。今は普通の留学生として暮らしてるの」
フンっとルーシーは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
「というか、どうやって私のことを調べたのよ?」
「ふふふ……世の中の大抵のことは、調べれば分かることだよ、お嬢さん」
森の返答に「答えになってないじゃない」ルーシーは不機嫌そうに返す。
「とにかく……協力してあげたんだから、私のことは他言無用にして。……私は過去と決別して、普通に暮らしたいの」
最後の言葉を口にすると同時に、彼女は憂いを帯びた表情をする。
「ああ、約束するよ。口が緩かったら、裏社会では生きていけないからね」
そう薄い笑みを張り付けて言う森に――背筋が寒くなるのを感じながら、ルーシーは足早に地下のこの部屋を後にした。
「リンタロウ。何から始めるの?」
「そうだね、エリスちゃん。まずは――……」
***
あのあと……僕らは轟くんたちと合流し、かっちゃんを警察に送り届けた。
かっちゃんは、静かだった。
「では」
「ありがとうな、みんな」
「お三方!"真っ直ぐ"帰って下さいね!?」
「うん。本当にありがとう」
「じゃあ……また学校で」
そして、半日以上をかけて、僕らは家路を辿った。
「おかえり。オールマイト……大変だったみたいだね。出久も帰り道、大変だったでしょ」
「……うん……」
――出久が家に帰ると、母の引子が心配そうに出迎える。複雑な心境を抱えた出久は、弱々しく笑顔を作って答えた。
「でも、勝己くんも理世ちゃんも無事に救出されて良かったね!」
「うん……、良かった」
自分の部屋に入ると、そのまま出久はベッドに倒れ込んだ。横になると、疲れがどっと押し寄せてくるようだった。
(結月さん……目を覚ましたかな……?)
スマホを見るが、もちろん連絡はない。
――本当なら、一緒に肝試しを回るはずだったんだ。
怖がっていた彼女の手を引けたらなんて……思っていた。
ずいぶんと長く会っていないように感じる。
その姿を思い出そうとすると――最後に見た苦しそうな姿しか思い出せない。
(……そもそも、結月さんは何故敵連合に攫われたんだ?)
希少な"個性"だから?
かっちゃんと同じ理由とは考えにくい。
(結月さん……僕は……、)
僕の行動は本当にあれで良かったのか。
僕が彼女にできることはないのか。
この先、どうなるのか。
(オールマイト…………)
スマホを眺めながらうとうとしていた出久の目は、ゆっくりと瞼を閉じていく……。