"君"

 ――目が、覚めた。
 ゆっくり目を明けると、そこは……

(私の部屋……?)

 起き上がって、周りを観察する。

 両親と一緒に行った、ズードリームランドの写真。
 隣には百ちんに貰ったマトリョーシカに、どこに付けようか悩んだ末、飾る事にしたでっくんにもらったペンギンのキーホールダー。
 枕元には、びゃっことらしょうもんのぬいぐるみに、ギャングオルカのぬいぐるみもある。

 間違いなく自分の部屋だ。

 当たり前なのに、不思議な事を思うもんだと考えながら、ベッドから起き上がった。

(なんか、怖い夢でも見てた気がする……)

 パジャマから制服に着替える。鏡の前にはいつもの私がいて、身嗜みを整えた。(あっ、耳郎ちゃんに中也さんのサイン入りのCD渡さなきゃ)

 鞄にCDを入れて、階段を降りる……のではなく、テレポートした。


「お母さん、お父さん。おはよう」

 リビングに向かうと、いつものように二人に朝の挨拶する。

「おはよう、理世」
「おはよう!今日も可愛いぞ!」

 今日の朝食担当はお父さんだ。

 見慣れた光景なのに、なんだか胸が締め付けられるのは何故だろう。起きた時といい、不思議な気分を感じながら朝食を食べた。


「行ってきまーす!」

 元気よく玄関を出ると、知っている車が家の前に止まっている。――安吾さんだ。

「理世ちゃん、おはようございます」

 安吾さんは車の窓を開けて、微笑む。

「おはようございます、安吾さん。急ぎのお仕事ですか?」
「ええ、お父さんを迎えに」

 安吾さんは両親の部下の人だ。若いけど、超優秀な人材らしい。

「この間の授業参観は活躍されたようですね。お二人とも嬉しそうに話してましたよ」
「最後だけですけど……。だって、太宰さんがこっそりヴィラン役として参加してたんですよ!」
「はは、太宰くんらしいですね。驚かすのが好きですから」

 安吾さんに「いってらしゃい」と見送られ、学校に向かった。


「大きなヴィラン……!」

 途中、怪獣ヴィランが交通を遮断していて、すぐに敦くんと龍くんが登場して倒した。
 さすが私の兄弟子だと、称賛される二人を眺めていたら……

「なんだ、理世じゃねえか。おまえ、そんなとこで油売ってていいのか?」

 私に気づいて声をかけたのは、ヒーローグラヴィティハットこと、中也さんだ。

「いいんです。テレポートならフェリーに十分間に合いますから」
「便利な"個性"なこった。事故起こさねえように気を付けて行けよ」
「はーい!」


 学校に着くと、朝から皆はわいわいと話に花を咲かしている。


「おはよう、理世ちゃん」
「おっ。はよ、結月!」
「おはようございます、理世さん」
「結月さん、おはよう!」
「おはよう」
「おはよう、結月くん!」

 皆と挨拶をしながら、今日はまっすぐ自分の席に着く。焦凍くんの席に、でっくんと天哉くんが集まっていたからだ。

「何の話をしてたの?」
「じつはね、」

 でっくんはふわふわした笑顔を浮かべながら、会話の内容を教えてくれる。
 予鈴が鳴るまで楽しく談笑して、鳴るとテレポートもびっくりにさっと全員席に着いた。

「おはよう」

 時間ぴったりに、テンションが低い相澤先生が入ってくるからだ。
 この時、席についてないか、私語があると確実に怒られる。

「HR、始めるぞ」


 HRから始まるいつもの授業――


 お昼休み、今日はB組の皆と食べる事になった。物間くんがLRスペシャルランチを弁償しろとうるさいからだ。

「結月さん、今日はB組と一緒なのか」
「あ、心操くん!聞いてよぉ、物間くんがね〜」
「結月さんがこっそりすり替えたからだろ!?」
「おぉ、心操!たまにはお前も一緒に食おうぜ!」


 ――午後の授業。


 皆お待ちかねのヒーロー基礎学では、爆豪くんを軽く捻り潰し……

「だァれがてめェに捻り潰されるか!!」
「……爆豪くんは心を読めるの?」
「声に出てたわ!!今日こそブッ殺してやる!!」
「ブッ殺される前に逃げるし」

 爆豪くんから逃げながら、ルールの点数を稼ぎ、結果はまずまずだ。


 放課後は、三奈ちゃんの提案で、新しく近くにオープンしたタピオカを飲みにいく事になった。


「タピオカってなんだ?」
「タピオカは……タピオカ」
「理世さん、答えになっていませんわ……」

 焦凍くんの純粋な質問は、私の頭を悩ませた。横から上鳴くんがスマホ片手に、タピオカとはなんたるかを教えてくれる。

 皆と飲みながら、笑っておしゃべりした。

 帰りは行きと同じくフェリーに乗り込み、横浜に着く。
 朝の怪獣ヴィランが暴れた以外は、横浜は平和だったらしい。

「やあ、理世。学校帰りかい?」
「あっ、太宰さんと織田作さん!二人はお仕事?」
「ああ。終わって、俺たちも探偵社に戻るところだ」

 二人と並んで、途中まで一緒に帰る。

「今日は太宰さん、真面目にお仕事してたんですねー」
「私はいつだって真面目に仕事しているよ。ねえ、織田作?」

 太宰さんに振られ、織田作さんは「そうだな」と、口元に僅かに笑みを浮かべて答えた。

「川を見れば入水だって飛び込んで、人一人支えられそうな木を見たら首吊りだーって、いつもの趣味で国木田さんを困らせてるのに」

 笑いながら言う。それが太宰さんの通常運転だ。国木田さんだけでなく、私も困っている。
 この人は万が一成功したらどうするのか。

「ええ?何を言っているんだい、理世」

 おかしそうに笑いながら太宰さんは言った。

「太宰にそんな趣味があったとは知らなかった」
「いやいや、ないよ。私にそんな趣ある趣味は」
「え!?」
「え?」
 
 立ち止まって、太宰さんを見る。
 今朝からどことなく感じていた違和感。

「……太宰さん、自殺愛好家でしょ」
「物騒な愛好家だねえ。そんな適当なことを理世に吹き込んだのは誰だい?」

 中也か、森先生か……と、心当たりを探る太宰さんを――愕然と見つめた。

 太宰さんの趣味が自殺じゃない?
 自殺を諦めた?あの太宰さんが?

 いや、この様子だとそんな趣味なんて今までなかったような素振りだ。

(……どういうこと?)


 "自殺が趣味じゃない太宰さん"


「理世……?大丈夫か?」

 織田作さんの心配する声が、遠くに聞こえる。見慣れた街並みが、いつもの日常が急に違って見えてきた。

(……ああ、そうか)


 これは、……――夢だ。


「――……ハッ……!!」


 息を呑むように、目が覚めた。
 バクバクと心臓が激しく打っているのがわかる。

 私、は……

「理世……!良かった、目が覚めて……!」
「……鏡、花ちゃん……?」

 鏡花ちゃんの心配そうな顔が目に飛び込んだ。鏡花ちゃんの両手に手が包まれる。

「わたし…………」
「理世、落ち着いて。もう大丈夫だから」
「……夢を……」
「……夢?」

 鏡花ちゃんがもう一度「……大丈夫」と、力を込めて言った。


「悪夢はもう終わったから」


 ……悪夢……

 本当に、そうなのだろうか。

(本当に、悪夢は終わったの……?)


 夢と現実――どちらが悪夢なのか、このときの私にはわからなかった。


 ***


 鏡花ちゃんはすぐに安吾さんに連絡して呼んでくれた。

 私は、"個性"を暴走させた反動で、あの日から5日間、昏睡状態だったという。

 "個性"を暴走。どうしてそうなったかを思い出せば、全部、現実だと思い知らせる――。


「鏡花ちゃん……!理世ちゃんの目が覚めたって……!」
「後遺症などは大丈夫なのか……?」
「二人とも……。今は、入らない方がいい……」


 ……安吾さんの目を、まっすぐと見つめた。

「安吾さんが隠していたのは……」

 全て現実で、真実。両親の死は事故死じゃなくて、

「私のことを思って……なんだよね……?」

 お母さんと、お父さんは――。

「だって……っ……だって、こんな現実……!私は……っ耐えられない……!!」

 安吾さんが口を開く。自分の泣き叫ぶ声で、なんて答えたのかわからない。

 ただ、抑えきれない感情をぶつけた。

 それでも、安吾さんは私のことを見捨てず、ただ受け止めてくれたんだと――……


 気づくまで丸三日かかった。


「まるで、初めて会ったときみたいな顔をしているよ」

 会いに来てくれた乱歩さんが言う。

 ああ、だからかと思った。

 ずっと、つきっきりで側にいてくれた鏡花ちゃんも、診察してくれた与謝野先生も、お見舞いに来てくれた敦くんも龍くんも深月ちゃんも、皆……

 私の顔を見て、痛ましそうな顔をしていたのは。(太宰さんはよくわからなかったけど……)

 そんな風に、冷静に考えられるぐらいには落ち着いたんだと思う。

「あのときは……私、死にたいと思ってたなぁ」

 両親の後を追って。孤独だったから止める人もいなければ、こんな世界に一人いても仕方ないと思っていたから。

「今は違う、だろ」

 乱歩さんの言葉に、ゆっくり頷く。

「さすがにもう死にたいだなんて思いません。……でも、どう生きたら良いか、わからなくなっちゃいました」

 これからどうしたらいいのか。どうしたいのか。何も考えられない。

「安吾さんたちは、焦る必要はないって言ってくれたけど……」

 そう口を揃えて。でも、このままじゃいけないって気持ちはある。受け止めて、前に進まないとって。

 なのに、心がついていけない。

「僕が今の理世に言えることは一つだよ」
「…………」
「原点を思い出せ」


 原点……。そういえば、相澤先生もそんな事を言ってたっけ……。

 一人になった部屋で、何をする事もなく、ベッドの上で、乱歩さんのその言葉を考えていた。

(私の原点……)

 視線を横に移すと、お見舞いの品と共に千羽鶴が目に入った。織田作さんとこの子供たちが、皆で折ってくれたものだ。

 支えてくれる人たちがいるのは、恵まれている事だ。

 それに応えるには、どうしたら良いんだろう。

(……私の原点って……なんだっけ……)


 ドアがノックされた。


 そういえば、今日はもう一人面会に来るって安吾さんが言っていたのを思い出す。

 来てからのお楽しみとも。

 はい、と返事をすれば、入って来たのは――

「やっ、テレポキティ」
「……!ピクシーボブ……!」
「見舞いは出来るそうだから、来ちゃった」

 ひょいっと顔を出したのは、私服姿のピクシーボブだった。真っ先に額に目を向けると、視線に気づいたピクシーボブは口を開く。

「お陰さまですっかり良くなって、ほとんど傷跡も残らなかったよ。……テレポキティのおかげだね」
「私は、何も……」
「なぁに、あんた。そんな謙虚なキャラだったっけ」

 ピクシーボブはくすくすと笑う。

「……でも、良かったです。ピクシーボブが元気になって」
「ありがとね」

 ピクシーボブは優しく微笑む。

「あの場からテレポキティが助けてくれたって、マンダレイたちから聞いたんだ。今日はそのお礼と、お見舞いにね」

 ほら――と、ピクシーボブは廊下に向かって呼んだ。

「あの……これ。お見舞いのくだもの、です」
「洸汰くんっ?」

 驚いて目を見開く。手に大きなフルーツの盛り合わせを持った、洸汰くんが入って来た。

「洸汰も心配して、一緒に行きたいってね」

 その後ろにはマンダレイの姿も。

「謝りたいこともあるんでしょ?」

 お土産をテーブルに置くと、マンダレイに促され、洸汰くんは私と向き合うように横に立つ。

 謝られることなんて、心当たりは……

「嫌な態度とって、ごめんなさい」

 洸汰くんはそう言って、ぺこりと頭を下げた。……たぶん、今の私はぽかんとしていると思う。

 いつの間にか、洸汰くんがすっかり大人になったように見えた。

「あと、緑谷さんに伝えってくれって伝言を頼まれたんだ」
「え、でっくんに……?」

 思わぬ洸汰くんの口から出た名前に、首を傾げる。

「洸汰を守ってくれたからね。元気になったら直接お礼を言いたいってことで、ちょっと前に、緑谷くんにも会いに行ったんだよ」

 マンダレイが詳しく説明してくれた。

 でっくんの元気そうな様子を聞いて、安心した。オールマイトの引退が発表されて、でっくんも相当なショックを受けたと思う。

「結月さんの面会許可が降りたら、お見舞いに行くって話したら――……」

『洸汰くん。手紙も、こうして会いに来てくれて本当にありがとう。……お願いが、あるんだ。もし、結月さんに会えたら伝えてくれないかな』

「ね?」

 マンダレイの言葉に、洸汰くんはこくりと頷いて……

「『ひとりじゃない』って」
「…………」

 ただ、一言。

「それと……」


『助けが必要なら……必要じゃなくても、僕は君の力になる』


「……っ」

 洸汰くんの口から伝えられるでっくんからのメッセージは、でっくんのものからだとすぐにわかった。

「あーあ、私もこんな青春送りたかったー!」
「私はちょっと昔を思い出すな」
「ちょっとマンダレイ!なにそれ意味深に言っちゃって!なにがあったか吐きなさい!」
「病室では静かにしないと……」
「洸汰に言われてるわよ」

(でっくん……私は……)

 ヒーローを目指せるのか、わからないよ。
 自分の原点すら見失っている――。

「……あ、洸汰くん。ありがとう。お見舞いに来てくれて。伝言も……」
「う、うん……」

 気づくと黙り込んでいたらしく、心配そうな洸汰くんの顔に気づいた。
 洸汰くんは何かに気づいたように、おずおずと口を開く。

「ヒーロー……目指すのやめたりしないよな?」

 洸汰くんのその言葉に、私は何も答えられなかった。

「俺、もうヒーロー嫌いだなんて言わない……!」
「洸汰くん……」

 ……――そっか。ヒーローを、"個性"を嫌っていた洸汰くんに、でっくんの気持ちが伝わったんだ。

「……洸汰。結月さんもまだ本調子じゃないだろうし、そろそろ行こっか」

 マンダレイの言葉に、洸汰くんはまだ腑に落ちない顔をしながらも「お大事に」という言葉をくれて、二人は部屋を後にした。

 その場に残ったのは、私とピクシーボブだけ。

「複雑そうな顔をしているね」

 見透かしたような、猫のような目で。

「ある程度のあんたの事情は聞いてるよ。ねえ、テレポキティ……ううん、理世。あんたの思ってること、私に話してみて」

 ピクシーボブは真剣な顔で言う。

「気を遣って言えないことも、私には気を遣うことないでしょ」
「ピクシーボブ……」
「それに、私はヒーローだから。これからもプロヒーローでやっていくから、何か言えることがあるかも知れない」

 ――真が通った声だった。ピクシーボブもヴィランに重傷を負わされたのに、一寸の迷いはないというように。

「ピクシーボブは強いですね……」
「……そうだよ。私も守りたいものがあるから、強くなるしかないの」

 ――ラグドールを、このままになんてしない。

 そう言ったピクシーボブの顔は、プロヒーローの顔だった。

(強いから、ヒーローになったんじゃなくて。守りたいから、強いヒーローに……)


「……ピクシーボブ。私が、ヒーローを目指した理由って……」

 原点。

 父と母の二人から受け継いだこの"個性"を、誰かを救えるような、素敵なことに使いたかった。

 二人が自身の"個性"事故で亡くなって、この"個性"は恐ろしいものではないって証明したかった。

『世界一の名探偵の乱歩さんなら、私はどうしたらいいか……わかりますか?』
『なら、君はヒーローを目指すと良い』

 だから、ヒーローを目指した。

 でも、二人の死の真相は違った。
 ヴィランによるものだった。
 両親に何の非もなかった。

「結局、その"個性"を……」

 危険なものに、暴走させたのは、他でもない私だった。

 あの時、確かに……

(オール・フォー・ワンが、憎かった)

 やつがオールマイトに倒され、異例で拘置所に入ったのは知っている。
 でも、死柄木も含め、他のヴィラン連合は逃げ切って、脳無だってまだ残っているかも知れない。

 再びやつらと対峙したら、私はどんな感情を抱くんだろう。

「……私は、最初、ヒーローはただ人を救う職業だと思ってました」

 でも、雄英に来て――

『規律を重んじ人を導く愛すべきヒーロー!!俺はそんな兄に憧れ、ヒーローを志した』

『私は絶対、ヒーローになってお金稼いで、父ちゃん母ちゃんに楽させたげるんだ』

『自分の"個性"を人救けに生かしたいって思ったから。それで……ヒーローに憧れちまった』

 ヒーローを目指す理由は、みんな様々でも――

『常に下学上達!一意専心に励まねば、トップヒーローになどなれませんので!』

『笑って、応えられるような……カッコイイヒーローに……なりたいんだ』

『俺だって、ヒーローに……!!!』

『勝つんだよ。それが……ヒーローなんだから』

 誰もが真剣に目指している姿を見て。

『そういうピンチを覆していくのが、ヒーロー』

『君たちの力は人を傷つける為にあるのではない。救ける為にあるのだと――』

『こんな風に町の人たちと関わって、小さな問題でも、取り組むことは大切なことだと僕は思うんだ』

『次は、君だ』

 たくさんのプロヒーローと関わって。
 私は"ヒーロー"という存在を本当の意味で知った。

(オールマイトが言っていた"君"は、きっと……)

「私にもなりたいヒーロー像も、憧れるヒーロー像もできました。だからこそ……こんな気持ちで、こんな私が、同じ場所を目指せないと思うんです」
「……そっか」

 ピクシーボブはそう一言頷いてから、再び口を開く。

「ねえ、ヒーローになるには何が一番大切だと思う?」
「大切なもの……」

 色々必要な要素はあるけど、一番と言われると……。

「それはね……、人によって違う!」
「………………」

 た、確かに……?

 身も蓋もない事を堂々と言ってのけたピクシーボブに、ちょっと面食らった。

「ヒーロー像が人によって違うのに、目指すのに資格も理由もないの。あるのは"なりたいか"、"なれるか"の二つだけ」
「…………」
「……で。あんたは、その一つはある」

 そうはっきりと言ったピクシーボブに驚く。

「私、最初に言ったの覚えてる?その"個性"だけじゃなくて、ちゃんと実力もあるって」

 それは――魔獣の森を抜けて、またたび荘に着いたときだ。

「私からしてみたら、良い"個性"も素質も実力もあるのに、ならないなんて宝の持ち腐れもいいとこよ!」

 続いて、砕けた口調でピクシーボブは言った。ねこねこねこと笑う。

「あとはなりたいって自分の気持ち次第。悩んでるってことは……」

 その選択肢が内にあるということ。

「待ってるよ」

 ――いつか、あんたがプロになって来るのを。


 ***


 ピクシーボブが私に言ってくれた言葉を、ずっと考えていた。ベッドに横になって、思い出すのは雄英の日々だ。

 大変なことも多かったけど、楽しかった。

 みんなのヒーローを目指す姿が眩しかった。

 ずっと、近くでその姿を見てきたから、だから、私も一緒にヒーローになりたいと思ったんだ――。

(私が憧れるヒーロー像は、身近にあった)

「……会いたいなぁ……」

 雄英のみんなに――。

『助けが必要なら……必要じゃなくても、僕は君の力になる』


 でっくんに……会いたい。


 ベッドから起き上がると、新しいスマホを手にする。初めて触るけど、データは移行してくれたらしいから、連絡先は入っているはず……。

 指先が少しだけ躊躇して……ボタンを押した。コール音に、なんだか緊張する。

『――結月さんっ?』

 電話が、繋がった。

「……えっと……ごめんね、いきなり電話しちゃって……」
『ううん!……結月さん、大丈夫?何か……』
「なんか、色々考えてたらね……。でっくんに会いたくなった」
『……っ』
「声だけでも聞けたらなって思って……。でっくんの元気そうな声聞けて良かった」

 どうしてだか自分でもよく分からないけど、君に会いたくなった。
 
『結月さん、病院だよね?』
「うん、一応明後日が退院予定で……」
『今からそっちに向かうから』
「え?」
『というか、その……実はちょうど最寄り駅に着いたところで……』
「……うええ!?」

 思わずすっとんきょんな声が口から出た。
 最寄り駅……?どういうこと!?


『洸汰くんから君の様子を聞いたら、いてもたってもいられなくて……』


 ――君が、ヒーロー科を辞めるかも知れないって。


 でっくんの行動力に驚く。それだけで、会いに来てくれただなんて……。

「あっ待って!」

 慌てて鏡を見る。

「ちょっと……顔が酷すぎて……」

 でっくんには会いたいけど、今は会いたくないというか……。

『大丈夫だよ、結月さんはいつだって可愛いから』
「……!」

 かっかわ……!?思わぬ言葉をさらりと言われて、固まる。え、電話の向こうは本当にでっくんだよね……?

「えっと、でっくん?」
『あ、もう着くよ』

 !?え、もう……!?

『ちょっとずるして"個性"でビルの屋上から……』
(私みたいなことしてるね!?)

 手櫛で髪を整えながら、ベッドから降りて、スリッパをはくと窓の外を覗く。

「……っ」

 走ってきたでっくんの姿が目に映った。
 スマホを耳に当て、下から見上げる彼と目が合う。


『僕も……君に会いたかったから』


 その言葉に、自然と私は笑顔になっていた。


「ごきげんよう、でっくん!今、お茶を用意するね!お見舞いの品も食べきれないから食べて!」
「あ、あの、結月さん……?」
「緑茶?紅茶?コーヒー?」
「あ、お構い無く……じゃなくて!無理しなくて良いから!結月さん、ふらふらしてるから!ベッドに寝てて!!」

 でっくんはベッドの掛け布団を捲って「ここに!寝て!」と、ポンポンした。

 真面目に心配してくれてるでっくんに、大人しく従う。

「ごめん……ちょっとどういうテンションで会えば良いか分からなくて……」
「あはは……普段の結月さんのテンションでもなかったね」

 でっくんがそう苦笑いした後、しばしの沈黙が訪れた。

「えっと……、結月さんは怒るかもなんだけど……」
「……?」
「実は――……」

 そう切り出したでっくんの話は、確かに私が普通の精神状態なら怒っていたと思う。

 あまりにも危険な行動だと――。

 百ちんの発信器を頼りに、切島くんと焦凍くん、お見つけ役として天哉くんと百ちんも同行して、私と爆豪くんを救出しにあの場に来ていたという話だった。

「……5人とも無事だし、私から何も言うことはないよ」

 何より私は攫われた身で、口を出せる立場じゃない。

「……ごめん」

 それでも小さく謝るでっくんに、ふと思い出す。

「……もしかして……あのとき名前を呼んでくれたのって、でっくん?」
「っ……」

 "個性"を暴走させて、一線を越えようとした私を、引き止めてくれた声。

「……一番近くにいたのに。もっと早くに気づいて、駆けつけられたら……」

 もう一度、でっくんは「ごめん」と謝った。

「……ううん。でっくんのその声に、私は救われたんだよ」

 今度は「ありがとう」と、私は伝える。

「あのとき……私は、両親は本当は"個性"事故死じゃなくて、オール・フォー・ワンに殺されたって聞かされて……」
「…………っ」

 でっくんの表情が歪む。驚かないのは、事前に聞いていたのかも知れない。

 オール・フォー・ワン。

 でっくんとの繋がりは正確には、分からないけど、その間にはきっとオールマイトがいるだろう。

「感情のまま、"個性"を暴走させたの。……壊すことしか考えてなかった」

 そんな事をした私が――ヒーローを目指せないと思った。何より自分が許せなくて、恐ろしかったから。

「洸汰くんに、ヒーロー志望をやめないか聞かれて……答えられなかった」

 でも、ピクシーボブは私の話を聞いて、なれるって言ってくれた。そして、悩んでるってことは、その選択肢が内にあるということだと。

「やっと気づいたの。私はちゃんとヒーローになりたかったんだって」

 それは、いつしか……

 この"個性"で、最後まで戦った両親のように、逃げることはしたくない。
 起こらなくていい悲劇を起こさせないように……。
 誰かを救うため、守るため、この"個性"を使いたいと思う気持ちに、今も変わりがないのなら――


 それは、私の紛れもない原点だ。


「そしたら、でっくんに会いたくなった」

 聞いてほしかった。力になるって言ってくれた君に、私がなりたいヒーロー像を持っている君に。

 これからも、私はヒーローを目指すって。

「だから……、私は、もう大丈夫」

 笑顔で言う。決意したなら後は貫き通すだけだ。


「――……大丈夫なんかじゃないよ」
「…………」

 口を開いたでっくんの、その声は予想に反して強い口調だった。

「大丈夫って言葉は、不安な人を安心させる為の言葉だ。自分に言い聞かせるものじゃない」
「……どういう意味……」
「結月さんが強いのは知ってる。僕なんかよりずっと芯が強い人だよ」

 その言葉と共に、私をまっすぐと射貫くその瞳は……どうして、泣きそうなんだろう。

「でも……!君が負けずにヒーローを目指すと決めたことで、一緒に背負うことになったものは、一人じゃ重すぎる――」

 重すぎ、る……?

「……全部、乗り越えてこそヒーローでしょう。私は……っ」
「君の心が擦りきれるだろ!?」
「……っ!」

 遮るでっくんの声が部屋に響いた。

 胸を衝く。返す言葉が見当たらない。

 受け止めたのに。前に進もうと決心したのに。
 傷ついた心と再び向き合わされる。


「僕にもそれを背負わせてよ……!」


 握られたその手は、いつだって暖かくて優しくて……。分け隔てなく誰かを救おうと、守ろうとしてきた傷だらけの手だ。

「無理して笑って大丈夫だなんて言わないでくれ……。――一緒に、目指そう」


 ……せっかく、こっちは覚悟決めたのに。


「……本当。焦凍くんが言った通りだよ」
「……へ」
「こっちの決意とかお構いなしに、でっくんは壊してくる」
「!?」

 俯いていた顔を上げると、笑うより先に涙が溢れた。

「ごごごごめん!そんなつもりじゃなくて……っ」

 泣いてる私に慌てふためく。
 さっきまでの様子と打って変わって。
 おかしいのに、なんでだろう。

 涙が溢れてくるのは。


「(……っこ、こういう時は……!)」
「でっくん」
「っはい!」
「ありがとう――」
「〜〜っっ」


 指先で涙を拭う。でも、今、久しぶりに心から笑えた気がした。
 その言葉だけで、私の心を救ってくれたのは。

(他でもない"君"だから)


 目指すその先に君がいるなら、そんな未来なら――それは素敵だと思った。


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