敵の裏の裏をかけ!

 職場体験、三日目。

「今日は逃がしませんよ、理世!今日は全面的に床掃除します!」
「……。はあい」

 朝から張り切っている樋口さんに、逆に私のテンションが下がる。
(掃除は私の適材適所じゃな〜い……)
 笑顔で大人しく従いつつ、どうにか逃れられないか、手を考える。

「……あれ。これ、誰の万年筆だろ?」

 入口のマットをどかした際、コロコロと足元に転がった、渋いデザインの万年筆を拾う。

「どれどれ……芥川先輩のじゃないのは確かね」
「あ、その万年筆、もしかして広津さんのかも」

 ちらりと見た敦くんが言った。

「確かに、あのマスターが使ってそうなデザインですね」

 樋口さんも頷く。よくコーヒーをテイクアウトするらしいから、広津さんはこの事務所に訪れる事が多いらしい。

「広津さん、失くして困っているかも知れないから、私、届けに行って来る!」
「ありがとう、理世ちゃん」

 私はすぐさま"個性"を使って、その場から飛んだ。

「……はっ!また逃げられた!」


 ――ふふふ。今日も掃除の魔の手から逃れらる事ができた!「♪」ご機嫌にカフェの扉を開ける。

「いらっしゃいませ……ってなんだ、理世か」
「道くんっ」

 出迎えてくれたウェイター姿の道くんに驚く。白いシャツに蝶ネクタイ。ベストと茶色のチェックのパンツと、いつもと雰囲気の違う道くんが新鮮だ。

「今日は喫茶店の手伝いの日なんだよ。それよりおまえはどうした?」
「広津さんの落とし物を届けに」

 道くんに万年筆を渡す。

「んー?確かにこりゃジイさんの万年筆だな。ほらよ」

 道くんがカウンターにいる広津さんに渡した。

「うむ、失くしてすっかり忘れていた。理世くん、わざわざ届けに来てくれてすまないな」
「いえいえ。事務所を掃除してたら出てきたので」
「何か飲んでくか?どうせ、姐さんの掃除の手伝いから逃げて来たんだろ」
「あはは、バレた?」
「では、お礼を兼ねてカフェラテを淹れてあげよう」

 わぁ、ありがとうございますとカウンター席に着く。

「道くんの潜入捜査ってどんな感じなの?」

 お客さんも少ないので、カフェラテを待っている間に道くんに聞いてみた。

「そうだな……大体は違法行為の摘発だぜ。疑惑があるのに尻尾を出さねえ組織に潜入して、証拠を掴む」
「スパイみたいでかっこいいねぇ」
「だろ?俺の兄貴が政府の潜入捜査員でさ。まあ、色々あって俺はヒーローになったんだけど、結局兄貴に憧れて真似事みたいなことをやってんだ」

 鼻をかきながら、照れくさそうに道くんは話した。
 お兄さんがいるのは初耳だ。しかも政府のというと、すごく優秀な人だろう。

「兄貴も俺も同じ"個性"で、応用が利くし、結構自分で向いてると思ってるぜ」

 道くんの"個性"は《金属操作》

 セメントス先生やベストジーニストの"個性"のように、現代社会では何かと強い"個性"だ。

「あんまり調子に乗っていると失敗するぞ」

 カフェラテを持ってきた広津さんが、釘を刺すように言った。

「なんだよ、ジイさん。別に調子に乗ってはねーだろ」と、不満げな道くんに笑いつつ「いただきます」カップに口を付ける。

 まろやかで苦さと甘さがちょうどよくて、おいしい!

「こう見えて、このジイさんも昔はヒーローだったんだぜ」
「え!?」

 道くんの言葉に、驚きながら広津さんを見る。

「過去の話だ。今は引退して、こうしてコーヒーを淹れる方が身に染みている」

 フッと笑いながらコーヒミルで豆を挽く広津さん。渋い。

「結構強いんだぜ。この間ここに強盗が入ったんだけど、俺らが到着した頃には全員やっつけちまったんだからな」
「最近のヴィランは歯応えがないものだ」

 不敵に笑う広津さん。渋い。というか強そう!

「広津さんの"個性"ってどんなものなんですか?」
「私の"個性"は《斥力》だ」

 簡単に説明すると、触れたものが反発して弾かれるというもの……らしい。

「攻撃も防御も万能な"個性"ですね」
「うむ。力加減が難しいのが難点でな。今は逆に歳を取って力が弱まり、対人にはちょうどよい」
「へぇ、やっぱ歳を取ると"個性"の力も衰えるもんなのか?」

 私も気になる事を道くんが聞いた。
 研究は進んでも未だ謎が多い"個性"。その内の一つがこれ。

「一般的に"個性"も身体能力の一つと、身体機能と一緒で加齢と共に能力が落ちるといわれている。確かに私の場合はそう感じた」

 だが……と広津さんは続ける。

「"個性"は異形系だったり発動系だったりと形は様々だ。全てが当てはまるわけではあるまい。個人差ということだ」

 道くんと二人でなるほど、と頷いた。
 いわばヒーローの大先輩。
 経験や知識もそれだけ豊富なんだろうな。

「あの……どうして、ヒーローを引退されたんですか?」

 率直に聞くと、広津さんは嫌な顔をせずに答えてくれる。

「後進に道を譲るため――と言えば聞こえはいいが、ヒーロー業も体力勝負でな。次々と新人ヒーローが誕生する中で、全盛期の自分と比べて衰えを感じた時に、第二の人生を歩もうと思ったのだよ」
「なんか切ねえな……」

 複雑そうな顔をする道くんに対して、広津さんはふふと笑う。

「言葉にするとそうだな。だが、こうして自分の店を開いて、あの頃とはまた違った充実した日々を送ってるよ」
「広津さんは夢を二度も叶えたんですね」

 頷くように広津さんは柔らかく笑う。

「ただ、少々物足りなさもあるのでな。今の私の楽しみは、君たち後輩の活躍、ということにしておこうかね」

 その言葉に思わず道くんと顔を見合わせて、にっと笑った。

「ま、俺は当然として。理世はまずはプロヒーローにならなきゃな」
「大丈夫。すぐに追い付いて、道くんを追い越すから」
「バーカ。おまえが追いつく頃にゃあ俺は見上げる首が痛てぇほど上行ってるぜ?」
「大丈夫。引きずり下ろすから」
「身内の足引っ張んのかよッ!?」
「まったく、最近の若者は口だけは達者だな……」


 ――だが、頼もしい限りだ。


 ***


 事務所に戻ると、樋口さんのジト目には気づかないフリして……
 パトロールの時間。今日は中也さんと一緒だ。

「この辺りは月下獣とパトロールしに来たんだったか?」
「はい、中華街とか港の方に行きました」

 街に出て、中也さんと並んで歩くと、じーという視線を感じた。

「……?何ですか、グラヴィティハット」

 私の顔に何かついてる?

「……おまえ……背が伸びたな」

 まじまじと言われた。

「……成長期ですから」

 一般女子の平均ぐらいの身長だとは思うけど。

「大丈夫ですよぉ、グラヴィティハットもこれから伸びる可能性ありま」
「下手くそなフォロー、ありがとな」
「ぎゃー重い重い!!口が過ぎましたすみませんっ!」

 中也さんに軽くポンと頭を撫でられただけで、重力操作でみしみしと重くなった体。
 危うく横浜の地に埋まるところだった……。

(命に関わるから中也さんへの口の聞き方には気を付けよう)

 ――さて、パトロールはというと。

「良い機会だ、足を伸ばして旧貧困街に行ってみるか。あそこは治安が悪ぃから行ったことねえだろ」

 そう中也さんは提案した。

 旧貧困街――その名の通り、戦後からある貧困街の名残がある場所だ。
 現在では多少整備されたといえ、浮浪者やホームレスが集まってたりで、小さい頃に治安が良くないから近づくなと教わる場所。(まあ、市街地から離れてるから近づくことはないけど)

 初めて行く場所と、治安が悪いという事から少しドキドキだ。


「……なんか雰囲気がどんよりしてますね〜」

 街の入口付近からして、すでにただならぬオーラが出てる。
 暗いし汚いしで、ここが横浜の一部だと驚く。
 まるで、和製スラム街的な。

「まァ真っ当なやつから見たら、人間の負の側面を集めたような場所だな。そういう場所があるってことを知っとくのも悪かねえ」

 歩き出した中也さんの後を追う。
 すると「あ」と、中也さんは振り返った。

「教授眼鏡にはここに来たことは内緒にしとけよ?教育上まだ早いだのうるせぇだろうからな」
「確かに……」

 その姿が目に浮かんで苦笑いした。

 教授眼鏡とは中也さんが呼ぶ安吾さんのあだ名だ。スーツと眼鏡、生真面目そうな雰囲気に、分からなくもない。

 謎の廃棄物や、寝転がっている人を横目に奥へと進んで行く。

「可愛い嬢ちゃんがヒーローとは良い世の中になったもんだァ」

 途中、身なりの怪しいおじさんに声をかけられ、ビクッと肩が跳ねた。そんな私とは対照的に。

「こいつァまだ見習いだ。ま、プロになった暁には宜しく頼むぜ」

 笑みを浮かべながら、さらりと中也さんは答えた。

 本人には言えないけど、小柄な体格なのに中也さんは堂々としていて、それを感じさせないオーラがある。

「なんだ、びびってんのか?」
「まさかぁ」

 本当はちょっと怖かった。

 歩いてみて分かった事は、こんな場所でも、皆、生活して生きているという事は変わらないということ。
 意外にもこの場所での犯罪発生率は少ないらしい。

「ただ、隠れ身のに使うヴィランが多いからな。こうしてたまにパトロールをして、様子を見に来てるってわけだ」

 確かに、隠れるのには絶好の場所だろうな。この辺りには交番もないらしいし。

 狭い路地裏もあちらこちらに……

(……ん?)

 その路地裏の影で、赤いスカートが揺れた。
(女の子……?)
 隠れるようにその場所にいるのは、小さな女の子だ。
 金髪のロングヘアーに、赤いリボンをつけて、同じく赤いドレスに身を包んでいる。
 白い肌に、碧眼。まるでフランス人形みたい。
 可愛いのに、逆にこの場所では異質で……夜に出会していたら、泣いていたかも知れない。

 私の視線に気づいたのか、女の子はこちらを見るとニコッと笑った。

「理世。どうかしたか……って」
「あら、チュウヤ!こんな所で会うなんて奇遇ね!それに、今日は可愛い女の子を連れているのね」
「これはこれは、エリス嬢」
「!?」

 駆け寄って来た女の子に、中也さんは「エリス嬢」と呼んで、帽子を胸に置いてお辞儀する。

 いつもと違う紳士的な挨拶に呆然。

(中也さんがこんな挨拶をするなんて、きっとどこかの身分が高いお嬢様に違いない……!)

 困惑していると、女の子はにっこり笑って口を開く。

「初めまして。私はエリスよ。貴女のお名前は?」
「初めまして。えっと……、名前は結月理世です」

 ヒーロー名ではなく名前を聞かれたので、本名を名乗った。

「"理世"ね。その格好は貴女もヒーローなの?」
「いえ、ヒーロー校の職場体験でグラヴィティハット事務所でお世話になってるんです」
「ふぅん、じゃあヒーロー見習いね!」

 エリスちゃんは幼い見た目とは裏腹に、大人びた口調で話した。

「ところでエリス嬢。森さんはどちらに?」

 姿が見えないですが、と言って辺りをキョロキョロと見回す中也さん。

「リンタロウなら、困らせようと思って置いてきたわ」

 あっけらかんと答えるエリスちゃんは、まさに天真爛漫なお嬢様だ。

「エリスちゃーーん、どこにいるの〜」

 間延びした声が辺りに響いた。

 現れたのは、おろおろする白衣を来た中年の男性で「森さん」と、中也さんが名前を呟いた。
 女の子の名前を呼んでいる事からも、あの人がエリスちゃんの保護者らしい。

 あ、こっちに気づいた。

「エリスちゃん!こんな所にいたのかい!?心配したのだよう、突然居なくなるから」
(な、泣いてる……)

 ぶわっと。

「急に消えてリンタロウが心配すると思って」
「そうだよ、心配したよう、泣くかと思ったよう」
(いや、もう泣いてますよ)
「そしたら泣かせたくなった」

 さらりと小悪魔的発言をしたエリス嬢。その年齢で恐ろしい子……!

「ひどいよ、エリスちゃん!でも、可愛いから許す!」

 ……。思わず中也さんを見た。
 私の視線に気づいた中也さんは、わざとらしく咳払いをする。

「――おや、中也くん。いたのかね」

 どうやらエリスちゃん以外、目に入っていなかったらしい。

「はい。ご無沙汰しております、森さん」

 中也さんが再びかしこまって挨拶するなんて……!
 見た目は冴えない医者?(失礼)に見えるけど、どういう関係なんだろう。

「こんな所で会うなんて奇遇だね。そちらは君の所の新人ヒーローかな?随分可愛らしいヒーローだね」

 移った視線に、目が合う。

「こいつはヒーロー校の学生です。職場体験でうちに今来てまして、一時期、太宰が"個性"の指導していた……」
「ああ、噂の太宰くんの秘蔵っ子が彼女か。なるほど……もっと早くに会えなかったのが残念だ。例えるなら、そう……――12歳以下の時に」
「……っ」

 その笑顔に何故か背筋がゾワッとした。

「フフ……自己紹介が遅れたね。私は森鴎外。見ての通りただの町医者だよ」
「……ええと、初めまして。結月理世です」

 森、鴎外……?あれ、エリスちゃんはさっき「リンタロウ」って呼んでたけど……。

 何にせよ、"ただの"町医者には見えない。

「森さんは昔よく世話になった人でな。太宰にとっては師に当たる人か?」
「太宰さんの師匠……!」

 思わず声が出た。あの太宰さんの師匠となると見る目が変わる。

「太宰くんの親代わりでもあるかな。彼が幼い頃からの付き合いでねぇ。何せ常連だったから」
「常連?って……」
「それより森さんは、今日は診察で?」

 私の言葉を遮るように、中也さんが聞いた。

「ああ、そうだよ。君たちはパトロールかい?こんな場所まで足を運ぶとは感心だね」

 森さんはこの場所に、診察の往診に来ていると教えてくれた。
 いわば無償のボランティアだ。
 そう考えると良い人ではある、のかな?

「でも、娘さんと一緒だと危険じゃないですか?」
「エリスちゃんは私の娘じゃないよ」

 続けて「だとすれば尚更、ここになど連れて来ないよ」と、森さんは笑って言う。

「彼女は私の妻だ」


 ……………………………………。


「エリスちゃん。あの人は」
「ロリコン。変態」
「中也さん。人を救うのに好き嫌い関係ないってかっこいいこと言っておいて、犯罪は私情で見逃すんですか」
「通報しないで!」
「早まるな、理世。気持ちはよく分かる。確かに森さんのロリコン趣味にはドン引きだが、これにはワケがだな」
「中也くん、本音が漏れてるよ」

 さっきの寒気はこれだったのか!さすが私の幼い頃から培われてきた、危機管理能力……!


「エリスちゃんが"個性"……!?」

 とりあえず今日のところは見逃せと、ロリコン医師――森さんたちと別れた後に、中也さんは言った。

「ああ。詳しい"個性"の詳細は知らねえが、エリス嬢は森さんの"個性"で生み出した存在で、実体はほぼ人間と変わらない」

 中也さんの説明に唖然とするしかない。

 じゃあね、理世!今度は一緒に遊びましょ――そう笑って言ったエリスちゃんは、意思があるように見えたし、"個性"から生み出された存在とはとても思えない。

「"個性"って本当に様々ですね……」

 そう呟いてから「でも、ロリコンには変わりないじゃないですかぁ」やっぱり納得いかない。

「おまえの言いたいことは分かる。だが、犯罪は犯してねえと俺が保障するから、森さんには目を瞑ってくれ」

 そう中也さんは、珍しく下手に出て言った。

 そして、

「昼飯は中華街で食うか!」

 高級中華料理に、何でも好きなものを頼めという中也さん。

 ……悪くない口止め料だ。


 ***


「あ、お帰りなさいませ」

 途中、小さないざこざを片付けて、事務所に戻ると樋口さんが出迎えてくれた。

 時計を見ると、もう夕方。

 敦くんは外仕事らしく、龍くんはデスクに座って書類作成……
「この間の報告書か。これは人虎にやらせよう。此れも」
 敦くんのデスクに次々と書類を押し付けていた。(龍くん……敦くんのデスクの上に書類の山ができてるよ……)

「理世。すまねえがこの後、俺は用事があってな。今日の鍛練は芥川と戻って来た敦に見てもらえ」
「お仕事ですか?」
「まァ副業になるのか?収録にな」
「もしかして新曲出すんですか!?」

 収録という事は、中也さんのバンドの新曲だ。

「ああ、ミニアルバムだ」
「それ絶対買います!」

 うわぁすごく楽しみ!

「別に買わねえでもCD出来たらやるよ」
「いえ、買います。貰えるなら一枚は保存版にします」
「そ、そうか……ありがとな」

 それがファンの心得というもの。

「あ、でも、クラスにファンの子がいるからその子にあげたいです!中也さんサイン書いて」
「おう、いいぜ」

 耳郎ちゃん、喜ぶかなぁ。ミニアルバム出るって早く教えてあげたいな。

「収録って場所はどこでするんですか?」
「渋谷だ」

 シブヤ!東京だ。かっこいい。

「ヒーロー活動と関係ねえけど、おまえもついて来るか?」
「良いんですか!?行きたいっ行きます!」

 速攻で答える。だって、滅多にない機会だし。
 中也さんはふっと笑った。

「んじゃ、パトロールがてらバイクで行くか。帰りは夜になるから、先に今日の分のレポート書いちまいな」
「はいっ」


 ……――夕焼けの下、高速道路を風を切って走る。

 初めてバイクに乗ったけど、快適だ。

 後ろのシートに跨がり、中也さんの腰に手を回して掴まって、景色を楽しむだけ。

 煽られる風に、中也さんの帽子が飛ばないのは重力操作でだ。
 ノーヘルメットで走っても違反にならないのは、ヒーローだから。(私もノーヘルだけど、危なくなったら"個性"で回避できるから)

 真っ赤なバイクは視線を集める。

「あれ、ヒーローグラヴィティハットじゃない?横浜の」

 そんな声が聞こえてきそうだ。
 隣を走る車の中から、小さい男の子が手を振った。
 にっこり笑顔で、手を振り返す。

「テレポートの移動時は風を切らないから、バイクで走るの楽しいですね!私も将来、免許取ろうかな〜」
「おまえの"個性"は機動力があるが、それとは別に運転できると便利だぜ。免許取ったら運転も見てやるよ。間違ってもクソ太宰に教わるんじゃねえぞ」
「太宰さん?」
「あいつはハンドル握ると暴走するからな」

 目的地が墓場に変わるって言った中也さん。
 それ、新手の自殺方法じゃ……。

(――あ)

 経路案内の標識が目に入って気づく。この辺り、保須市になるんだ……。
 近くまで来るなとは思ってたけど。
 そして、ここまで快適に車の脇を走っていたところを、急に渋滞に巻き込まれた。

「あ?なんだ、事故か?」

 呟く中也さんの後ろで……目を見開いた。

「中也さんっあれ!!」

 指を差して叫ぶ。

「!?」

 夕闇に紛れて、街から黒い煙が上がっている。
 その光景に息を呑んでいると、さらに爆発が起こり、炎が明るく燃え盛った。

「ありゃあ火事か……!?」

 心がざわつく中、ポケットにあるスマホを手の中に転移させ、素早くツイッター画面を開く。
 リアルタイムで人々が呟くツイッターが、一番情報入手が早い。
 
『保須市でヴィランが出た!』
『強そうなヴィランが暴れてヒーローがピンチ!』

「中也さん、ヴィランって……!」
「ッチ……よりにもよって保須市にか」

 中也さんが考えている事と、同じ事がさっきから頭に浮かんでいる。
 派手な手口は別のヴィランだろうけど……。

 スクロールしていく指が、一枚の写真に止まった。

「……っ!脳無……!!」

 少しブレた写真に映るのは、脳がむき出しのヴィランだ。

「脳無って、雄英を襲ったあのヴィランの一味か!」

 中也さんの言葉に「はい……!」と答えた。
 
(一体、何が……保須市で起こってるの)

 ぎゅっとスマホを胸に握り、炎に包まれる保須市を見つめる。
 まさか、本当にヴィラン連合とステインが手を組んで――

(っ飯田くん……!)

「……理世、しっかり掴まってろよ」

 中也さんの言葉にはっとして、慌ててその体に腕を回して掴まる。
 バイクは加速し、猛スピードで走って左に寄せたと思えば、そのまま遮音壁を一直線に登った。

「!?」

 強引に渋滞を脱出。そこから走るのは高速道路の"側面"だ。

 普通なら、重力で落下するところを落ちない。
 中也さんがバイクごと重力操作して走らせているからだ。(す、すごい……!)

 ビルや建物、街の風景が横になって流れていく。
 体から受ける感覚は、普通に地面を走っている時と同じなのに、視界から得る情報が違うと脳は混乱。

「頭がおかしくなりそうなら、目を瞑ってろ!」

 中也さんが笑いながら言ったのが分かった。

「っ大丈夫です!」

 高速道路の支柱を伝って地面に下りて、一般道路を走る。
 ビルの隙間から見えた空は、赤く染まっていた。

 悲鳴と混乱――。

 破壊された街中で暴れているのは、姿が少し違うけど間違いなく脳無だった。

(だとすると、死柄木や黒霧もどこかに……!)

「クソっ、俺らじゃ歯が立たねえ!」
「化け物め……!!」

 複数のヒーローが戦っているけど、手こずっているのが見て取れる。

 一人のヒーローが、消火栓の水を操って消火活動をするも追い付かない。

 それほどまでに、火は燃え広がっていた。

(私が今やるべきこと。残ってる人たちの避難誘導と救助!)

 辺りを見渡すと、脳無がバスをヒーローに投げ飛ばす姿が映る。

(そういう知能はあるのね……!)

 地面に叩きつけられたバスは、爆発と共に炎上した。

「っ……あれ、俺は助かって……君は、」
「職場体験中のヒーロー志望です」

 助けたヒーローは、ボロボロの姿だ。今まで懸命に、脳無と交戦してたのが分かる。

 でも、もう大丈夫。だって今、ここには……

「ッ!!今度は何だ!?」

 バスが叩きつけられた時の非じゃない。
 周辺の地面が揺れるほどの衝撃音が、その場に響いた。

「重力操作――」

 震源地を中心に、無数の亀裂が地面に走る。煙幕の中、浮かび上がるのは小柄な黒い影。

「そのまま地面にへばりついてな」

 脳無は地面にめり込んで、中也さんはその上に――王者が君臨するように立っていた。

「重力……!?横浜の重力遣いヒーローか!」
「グラヴィティハット!?」
「なんでここに……」

 普段は横浜が活動地区に限定されてるヒーローだから、他のヒーローたちは驚き顔で中也さんを見た。

ヴィランは一匹だけか?」

 トン、と地面に降り立ち、周りのヒーローたちに中也さんは尋ねる。

「私たちが戦っていたのは二人。もう一人は翼があって、どこかに飛んで行っちまったよ」

 答えたのは、ショートカットの女性ヒーローだ。
 あの脳無が飛ぶとか反則なんだけど!

「飛んで、ね……」

 中也さんは何やら呟く。私は再びスマホを片手に、翼の脳無の居場所をツイッターで捜索する。

「ちょうどいい機会だ」
「?」
「行くぞ、理世。空中戦を教えてやる」
「えっ実戦でですか!?」

 思わずすっとんきょんな声が出た。しかも相手はあの脳無。ぶっつけ本番もいいところじゃ……。

「――あ?」
「中也さんっ!」

 無理やり体を引きちぎるような、不気味な音が辺りに響く。
 さすが対平和の象徴の脳無……!中也さんの重力に耐えた!

「重力の負荷を受けながら動いてる……!?」
「骨折れてるんじゃねえのか!?」
「中也さん!脳無は複数の"個性"を持ち合わせている可能性があります!雄英に現れたのはショック吸収と再生!」

 ヒーローたちの驚愕の声や息を呑む声に、再び空気は緊迫する。
 ただ一人、中也さんだけが歯を見せて不敵に笑っていた。

「なるほどな。さっきてめェにかけた重力は人体が耐えうるギリギリラインだったわけだが。どれ位まで耐えられるか、実験するか」

 脳無は中也さんにまかせて大丈夫だ。
 まだこの人は、"実力の半分"も出していない。

「あのヴィランはグラヴィティハットにまかせて大丈夫です!動ける人たちは一緒に救助活動をお願いします!」

 茫然とするヒーローたちに声をかける。

「ここは任した!」と、迅速に動くヒーローたち。
 視界に入る範囲内では、逃げ遅れた人たちはいないようだけど……。
 その時、手の中に持っていたままだったスマホが、震えた。(――……でっくん?)


「グラヴィティハット!!」

 ちょうど中也さんの重い蹴りで、吹き飛んだ脳無がビルに豪快に突っ込んだところだった。

「私にっ……!友達を救けに行く許可をください!!」
「……あぁ!?」

 でっくんから送られて来たのは、一括送信の位置情報のみ。

(なんでそこにいるのかとか、全然分かんないけど……!)

 だからこそ、すぐに理解した。

「これは救助信号です!場所は保須市内、江向通り4-2-10の細道!」
「救助を呼ぶより、私が向かった方が圧倒的に早い……!」
「お願いしますグラヴィティハット!私に救けに行く許可をくださいっ!」

 続けざまに叫ぶ。焦りと不安。位置は路地裏を指していた。

 ステインに鉢合わせた可能性が――高い。

「………………」

 中也さんは答えない。

「……仕方ねえ、非常事態だ。許可してやる」

 やがて背中を向けたまま、中也さんは口を開いた。呆れたような、笑っているような、そんな声色だった。

「ただし無茶はするな。いいな?教授眼鏡にも連絡しとけ」
「はい!」
「分かっていると思うが、おまえの"個性"は、体育祭でヴィランどもに知られている可能性が――、高い!」

 突進して来た脳無の攻撃をひらりと躱し、頭を掴み、コンクリートに沈めながら中也さんが叫ぶ。


「敵の裏の裏をかけ!!!」


 ――不本意だが、おまえはあの嫌がらせの天才の弟子なんだろ?


「行って来い!"トリックスター"!!」
「はい!!」


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