正義という名の

 ――終わった。
 何はともあれ、全員、生き残った。

「拘束して通りに出よう。なにか縛れるもんは……」

 今度こそステインが目を覚まさないうちに、焦凍くんは辺りを見渡しながら言った。
 氷結は一回破られたし、目覚めた拍子に体が割れるかも知れないからだ。

「念の為、武器は全部外しておこう」

 でっくんの言葉に、外して地面に並べられる、無数のナイフを無言で見つめる。
 隠し持っているとは思っていたけど、私が"個性"で一つや二つ、奪ったところで無意味だったと思い知らされた。

「ロープ、あったよ!」

 奥にあったごみ置場から発見。無造作に捨てられたそれを手に転移して、皆の元へ戻る。

「さすがごみ置場、あるもんだな」

 焦凍くんがステインの両手と上半身を厳重に拘束しながら言った。これで万が一、意識を取り戻しても大丈夫だろう。

「でっくん、歩けそう?」
「俺が背負おう。それぐらいさせてくれ」
「あ、ありがとうございます、ネイティブさん」

 動けるようになったヒーロー――ネイティブさんが足を負傷したでっくんを背負い、路地裏を後にする。

 外灯が照らす大通りに出た安心感。

 時間にして数分だったのに、1秒が命取りになる戦いだったため、それ以上に長く感じられた。

「轟くん、やはり俺が引く」
「お前、腕がグチャグチャだろう」
「悪かった……プロの俺が完全に足手まといだった」
「いえ……一対一でヒーロー殺しの"個性"だともう仕方ないと思います……強過ぎる……」

 一対一。ヒーロー側に徹底して不利な状況にしての奇襲。

 やつは自身の"個性"を、暗殺のような殺人術で活かした。

 ヒーローは殺さず捕縛が原則だけど、ステインはこちらから仕掛けて殺すだけで良いのだから、狡猾で確実なやり方だ。

「四対一の上にこいつ自身のミスがあって、ギリギリ勝てた」
「最後の攻撃の時ね」
「ああ、多分焦って緑谷の復活時間が頭から抜けてたんじゃねえかな。ラスト、飯田のレシプロは結月との連携でともかく……その前の緑谷の動きに対応がなかった」

 まあ、私もでっくんの存在を忘れていた。実は。でも、でっくんが動けたのを見て、おかげでもうすぐ自分も動けるようになるなと気づき、飯田くんがステインの反撃を喰らう前に迅速にテレポートが出来た。

「……ん。あの黒い帽子のヒーローは……」
「グラヴィティハット!」

 辺りをキョロキョロと見回しながら現れたのは、中也さんだ。
 でっくんの言葉を引き継ぐようにヒーロー名を呼んで、大きく手を振る。

「グラヴィティハットー!こっちでーす!」
「重力遣いヒーロー、グラヴィティハット――。趣味の帽子は重力操作で絶対に脱げない。ヒーロー屈指の体術遣いと聞くから、実際の戦闘を見てみたいんだよな……。実際にというと、生で見ると思ったより小柄だ。確か……公式身長では、16」
「でっくんん!!ストーーップ!」

 その先は中也さんの名誉にかけて!

 唐突にブツブツと説明し始めたでっくんの言葉を慌てて遮った。
 中也さんに聞かれたら、せっかく生還したのに保須の地に沈められる……!

「トリックスター!無事か!?」
「無事だけど無事じゃないです!」
「どっちだ!?」

 つっこみながら中也さんは颯爽とこちらに駆けて来る。
「無事だけど無事じゃない……的を射てるな」
 隣で焦凍くんが妙に納得していた。

「遅くなっちまって悪かった」

 脳無は重力で押し潰して大した問題はなかったらしいけど、火災で取り残された人たちを救出活動してから来たと中也さんは言った。
 確かに、中也さんの帽子やスーツが所々焦げている。

「ヒーロー殺しの方は……って、オイオイ、まさか」

 ロープでぐるぐる巻きの気絶しているステインを見て、中也さんは驚く。

「逃げる隙がなくて……」

 結果的に。なんとなく、ばつが悪くて苦笑いしながら答えた。
 本当に最初は戦うつもりはなかった。
 すぐに救出して撤退する予定が、結果的に勝てたのは、でっくんや焦凍くん、飯田くんがこの身をかけて戦ってくれたからだ。

「やるじゃねえか!お前ら!!」

 中也さんは笑顔でそう言いながら、私だけでなく……焦凍くん、飯田くん、でっくんと順に、頭をぐしゃぐしゃと撫でていく。

「全員、生き残っただけじゃねェ。あのヒーロー殺しを捕縛するたァ良くやった」

 正直、怒られはしても、褒められるとは思っていなかったから……思いがけない言葉をもらい、皆と一緒にぽかんとした。

「……っはい!」

 元気よく答えた。安堵と嬉しさからか、ちょっと涙が出そうになったのを笑顔でごまかすように。

「む!?んなっ……」

 ん?次に向かい角からちょこんと現れたのは、鮮やかな黄色のコスチュームに身を包んだ小さなヒーローだ。

 よく見ると、かなりのご年配の――

「何故お前がここに!!!」
「グラントリノ!!!」

 もしかして、あの人がでっくんの職場体験先のヒーロー?

「グラントリノ!!」
「座ってろっつったろ!!!」
「!?(でっくん!?)」

 その人は上に飛んだと思えば、次の瞬間にはでっくんの顔をドカッと踏みつけていた。す、素早い!そしてネイティブさんの顔をすり抜けてと器用だ!

「誰だ……?」
「たぶん、でっくんの職場体験先のヒーロー」

 焦凍くんの疑問に答える。

「まァ……よぅわからんが、とりあえず無事なら良かった」
「グラントリノ……ごめんなさい」

 口ではそう言いつつ、ぷんぷんと怒るおじい――グラントリノさんに、でっくんは素直に謝った。

「あのジイさんの身のこなし……あの年齢ですげェな……」

 驚いてるような感心しているような、中也さんの言葉に一緒に頷く。広津さんの引退話しを聞いたばかりだから、すごく元気な方だと感服だ。
 
「細道……ここか!?あれ?」
「エンデヴァーさんから応援要請承った、んだが……」
「俺たちは特務課から……」
「子ども……!?」
「ひどい怪我だ。救急車呼べ!!」
「おい、こいつ……ヒーロー殺し!!?」

 そして、ぞくぞくと他のヒーローたちも集まってきた。その中には最初に出会った、ショートカットの女性ヒーローもいる。

「あいつ……エンデヴァーがいないのは、まだ向こうは交戦中ということですか?」

 焦凍くんの言葉に、でっくんが「ああ、そうだ脳無の兄弟が……!」と、思い出したように声をもらす。

「ああ!あのヴィランに有効でない"個性"らがこっちの応援に来たんだ」
「現れた脳無は全部で三体ですよね?」

 私が聞くと「ああ、そうだ」と別のヒーローが頷く。

「一体は俺が倒した、が」

 中也さんだ。

「もう一体はグラントリノが追いかけて……」
「交戦中にエンデヴァーの横槍があったが、俺が止めを刺したわ」

 でっくんの言葉に続いてグラントリノさんが言う。
 あの脳無を倒すなんてすごすぎる……!

「じゃあ、今エンデヴァーが戦っているのが最後の一体なんですね」

 エンデヴァーさんなら大丈夫だろ、と言う意見が上がり、他のヒーローたちも頷いた。

「中也さんの助太刀はいらないみたいですね」
「どっちにしろ、この状態のおまえを残して行けねェしな」

 そう側で微笑む中也さんに心強く感じる。
 この事態も収束間近という事もあり、やっと体から緊張感が抜けた気がした。

「でっくんも脳無に遭遇したの?」

 先ほどの口振りから。

 立っているだけなら大丈夫と、ネイティブさんの背中から降りるでっくんに聞いてみる。

「遠征で新幹線に乗ってる時に、脳無にやられたヒーローが突っ込んで来て……」
「それは大変だったね……」

 さぞかし新幹線内はパニックだっただろう。
 脳無も乗り込んで来て、そこを居合わせたグラントリノさんが、"個性"の《ジェット》で蹴り飛ばして引き離したらしい。
 強い。そして、でっくんが言ってた通り濃い人物。

「あの時、座ってろっつったろ!!!」
「グ、グラントリノ……」
(ごめんでっくん!話蒸し返しちゃって!)

 再びグラントリノさんに足蹴されるでっくんに、心の中で謝った。

(……でも、でっくんが行動を起こしてくれたおかげで、結果的に飯田くんもネイティブさんも助かったんだよね)

「救急車は呼んだ。来るまで君たちは安静に……」
「結構痛めつけられたな。痛い思いはさせたくなかったんだが……すまねえ」
「私より三人の方が重傷だから……」
「一番は飯田くんが……」
「緑谷くん、轟くん、結月くん――」

 その時、その飯田くんに名前を呼ばれて、三人同時に振り返る。

「三人とも……僕のせいで傷を負わせた。本当に済まなかった……」

 そう言った飯田くんは、深く頭を下げていた。
 もういいのに――そう思うものの、真面目で責任感が強いのが飯田くんだった。

「何も……見えなく……なってしまっていた……!」

 コンクリートに、ぽとりぽとりと涙が落ちて、跡ができていく。

「…………僕もごめんね」

 ゆっくりと口を開いたのはでっくんだ。

「君があそこまで思いつめてたのに、全然見えてなかったんだ。友だちなのに……」
「――……!」
「しっかりしてくれよ、委員長だろ」
「……うん……」

 焦凍くんなりの励ましの言葉に、飯田くんは、腕でごしごしと涙を拭う。

「私は飯田くんに言いたいことがたくさんあるからね〜それ、全部聞いてくれたら許してあげる」

 半分冗談で半分本気だよ?

「覚悟しておいた方がいいぞ、飯田」

 横から焦凍くんが言った。

 真面目になのか茶化しているのか分からない口調がおかしくて、堪えきれず吹き出した。
 でっくんも続けて笑い、焦凍くんも口角を上げる。

 残るは……顔を上げた飯田くん。

「……うん。全部、聞かせてくれ」

 その顔に、弱々しくもやっと笑顔をみせてくれた。


「何があったか知らんが、青春だな……」
「アオハルってやつか」
「いいな……」
「――伏せろ!!」


 穏やかな空気が流れる中、その声で事態は一転した。

「え?」
「!?」

 グラントリノさんが見上げる先、上空から突如現れたのは、翼が生えた脳無……!

ヴィラン!!エンデヴァーさんは何を……」

 女性ヒーローがそう口にしたと同時だった。

 急速に脳無は滑空した。

 風圧に砂埃が舞う中、中也さんが庇ってくれたのは分かった。

 だけど、狙いは……

「でっくん!!!」

 開いた目に映る、脳無の鍵爪のような足に鷲掴みにされたでっくんの姿が、

 視界から消え去る――

「緑谷くん!!」
「っ理世!!」

 視界を横切り、飛び去る脳無を追う。
(連れ去る気か――!)
 このまま高度を上げられたらまずい。
 幸いな事に、やつはエンデヴァーにやられて手負いだ。なら、

(このまま落とす……!!)

 視界のすみに入るビルのガラス窓。

 転移させてその翼を真っ二つにし、飛べなくさせれば。地上に落とせさえすれば、中也さんやヒーローたちが加勢できる。

 まずは、素早いやつの動きを止めるため、先回りして、回り込む!

「結月さんっ……!」
「でっくんっ落とすけど助けるから!」

 ――絶対!

 意識を高めて、ガラス窓を転移させて片翼を奪った。
 そこから吹き出る血。同じ、赤い血。当然だ。脳無はこんな見た目で、改造されたとはいえ、元は人間。

(今はそんな感傷に浸ってる暇はない、のに)

 がくっとバランスを崩す脳無がこちらに手を伸ばす。まるで、救いを求めるかのように見えたのは――……私がそう思っただけだった。

「ッ!!(変形した……!?)」

 手が瞬時にボコボコと変形し、それに覆い被される。

(!どうせやられるなら、でっくんをテレポートさせてから……っ!)

 落ちる彼をどこでもいい、慢性力をキャンセルさせられれば……!

 くらりと来る目眩も今は気にならない。

 どっちにしろ、このままビルに叩きつけられるのだから――……

「…………?」

 不思議と痛みは来なかった。

 苦しそうな呼吸が耳元で聞こえる。
 叩きつけられる寸前。後ろから誰かが受け止めてくれて、守られたんだと気づいた。

「……偽物が蔓延るこの社会も」

 すぐ後ろに聞こえるその声に、ぞわっと全身に鳥肌が立つ。(なん、で……)

 脳無の手だったものが、だらりと力を失ったように落ちる。
 ステインは、私を横に抱えたまま壁を蹴った。

「徒に"力"を振りまく犯罪者も」

 重力に従い落ちる脳無の背に飛び乗った。
 反対の手には、奪ったはずの小型のナイフ。(まだ、隠し持って……!)

 それを脳無の頭に、躊躇なく突き刺した。

「……っ!」

 血が、水滴のように宙に飛び散る。

「粛清対象だ……ハァ……ハァ」

 地面に擦るように落ちた脳無は、やがって止まった。ピクリとも動かないその上に乗ったまま、ステインはナイフを引き抜く。

 私は、一連の光景を、ただ茫然と見ているだけしか出来なかった。
 
「彼女を放……うぐ!」

 助けに来てくれたでっくんを、ステインは素早く足払いをかけ、地面に押し付ける。

「でっくん……っ」

 急いで立ち上がろうとするものの、ステインの様子がおかしい。

「全ては」
「正しき」
「社会の為に」

 傷が痛むのか、苦しそうにステインはそう言葉を紡いだ。

「贋者が蔓延るこの社会も、徒に"力"を振りまく犯罪者も――粛清対象だ」

 だから、脳無を?じゃあ、どうして……

「全ては正しき社会の為に」

 その言葉にカチンと来た。

「だったら……!どうして、あなたはヒーローにならなかったの」

 それこそ、自分が求める理想のヒーローに。

 好き勝手、自分の価値観を押し付けて来て我慢ならない。
 こっちにだって言う権利はある。
 ステインは血走った目だけをこちらに向けた。

「その正しさだって独断と偏見だ。飯田くんのことを贋物って言ってたけど、勝手に決めつけないで!大切な家族を傷つけ、憧れの存在ヒーローを奪って、そこまで彼を追い詰めたのはあなただよ……っ!!」
「……結月さん……」

 それが、一番我慢ならなかった。

 確かに飯田くんがした事は褒められたことじゃない。
 けど、あの飯田くんを……復讐に走らせたきっかけを作った張本人に、偽者と否定されるのだけは。

「一つの綻びを許せば……」
「…………」
「やがてそれは、今まで以上に大きく社会を歪ませる。おまえにはその未来が見えていない」

(……未来ってなに……?)

 意味が分からない。
 
 一つの綻びを許せば――その言葉に、昔出会したあのヴィランの言葉を思い出す。

『小さな芽のうちに摘んでおかないと』

 そう言って笑ったあのヴィランも、歪んだ正義の思想犯だった。

「……っじゃあなんでさっき私を助けたの!?言っとくけど、私は崇高な心の持ち主じゃない!もし、私の大切な人が傷つけられたら、私も復讐する!!」

 思うままに、吐き出すように叫んだ。

 感情がぐちゃぐちゃになって分からない。
(気紛れで、助けるから――)
 悔しかった。ヴィランに助けられた事が。助けられた自分が。

(助けるぐらいなら、何故ヒーローにならなかったの)

「――……」

 何か言おうと口を開くステイン。その目がスッと私から移動する。

「何故一カタマリでつっ立てる!!?」

 燃え盛る炎――現れたエンデヴァーの姿を捉えたステインの目に、憎悪が色濃く浮かび上がっていく。

「そっちに一人逃げたハズだが!!?」
「エンデヴァーさん!!」
「……あの男はまさかの……」

 彼もステインに気づいて、こちらに視線を投げた。
「うう……放っせ……!」
 抜け出そうと暴れるでっくんに、静かに腕を伸ばす。(触れさえすれば……)

「エンデヴァー……」
「ヒーロー殺し――!!!」

 エンデヴァーの炎がぼぅっと勢いを増して、腕から新たに炎が生まれた。
 焦凍くんのよりも激しい勢いで燃えているそれは、まさに烈火だ。
 それを見て、静かに立ち上がるステイン。
 その隙に、体を起こすでっくんの手を掴んだ。

「待て、轟!!」

 グラントリノさんの鋭い制止の声。

「……なんだ、あの殺気は……!」

 中也さんも驚愕している。

「贋者……」

 そのたった一言に、ステインにとっての全憎悪が込められていた。
 その顔に巻かれていた布がはらりと落ちて、素顔が露になる。

「――……ッ!」

 その横顔を見上げて、ゾッとした。

 削ぎ落とされた鼻は、狂気の象徴であり、何かに取り憑かれたような形相。

 禍々しいオーラを間近で肌に受けて、でっくんと一緒にテレポートして距離を取ろうと思ったのに、動けない。(私の"個性"の能力には関係ないのに……体が、震えて……)

「正さねば――……」

 ステインが、一歩前に足を踏み出した。

「誰かが……血に染まらねば……!」
「――……!!」
「"英雄"を取り戻さねば!!」

 その言葉、一つ一つに、気圧される。

「来い」

 また一歩、踏み出すステイン。

「来てみろ、贋者ども」

 あのエンデヴァーさえ、動けない。


「俺を殺していいのは、本物の英雄――オールマイトだけだ!!」


 鬼気迫る咆哮。凄まじい威圧感に、息ができない。
 時が止まったように、誰もその場から動かない。
 ステインのその手から、ナイフが滑り落ちた。

 カラン、と小さな音に、はっと息をする。

 気づけばでっくんの手を強く握り絞めていて、同じように握り返されていた。

「……!」
「気を、失ってる……」

 誰かがそう、呟いた。まさか、立ったまま……。愕然として、動かぬステインの背中を見つめる。

「――……結月さん、顔色が悪い……。さっき僕を助けた時の、"個性"の反動も関係して……」

 心配そうなでっくんの顔が、目の前にあるのに気づいた。
「……ううん。なんか……ちょっと疲れちゃって……」
 短く息を吐いて、目を伏せる。

「理世!」

 近づいてくる中也さんの声に、顔を上げた。
 中也さんは私の顔を見て眉を潜めると、ひょいっと体を持ち上げられ、肩に担がれる。

「中也さん……」
「無理して喋んな。言いたいことがあるなら後で聞いてやる」
「……いえ、ちょっとこの持たれ方は恥ずかしいというか……」
「救急車に乗り込むまでだ、我慢しろ」

 その言葉に、いつの間にか救急車が到着していたと知った。

「みんなも一緒に乗るよね?」
「安心しろ。怪我人、全員乗る」

 そう言って、中也さんはでっくんの頭にポンと触れた。「わっ」無重力状態になって浮くでっくんを、もう片方の手で捕まえて中也さんは歩く。

 その肩に掴まりながら、通り過ぎるステインを見る。
(……どうして……あそこまで……)
 その姿に、色んな感情が生まれた。

 それでも、ようやく本当に終わったんだ――そう安堵していると、

「……理世!!」

 その声で名前を呼ばれた。

 ……どうしてだろう、懐かしく感じるのは。

「安吾さん!」
「あ、おい!」

 思わずテレポートで、声が聞こえた方に飛んでいた。

「理世……遅くなってすみません。大丈夫……ではないですね。怪我が……」

 口を開いて最初の言葉が、謝罪と心配。それが安吾さんだ。

「怪我は大丈夫だよ。出血とかも止まったみたいだし」

 本当はすごく痛いけど、安吾さんにあまり心配をかけたくなくて、笑って答えた。


「今日は徹夜コースすっかね〜」
「この時間じゃそうだろうな」


 ――止めてある車から出て来た二人の姿に、今回はちゃんと護衛を連れているようだ。

「ちょっ……なんでヒーロー殺しが立ったまま寝てんすか!?」

 村社八千代――八千代さん。

「これは気絶していると言うべきでは?」

 青木卓一――卓一さん。

「ちぃーす、理世ちゃん。大変な目に合ったっすね」
「……相変わらず空気読まないですね、八千代さん」

 軽い登場の仕方に、他のヒーローたちがぽかんと口を開けてこちらを見てる。
 さっきまでの緊迫した空気との落差が激し過ぎだ。

「脳無はそれぞれ、警察の方々がすでに確保しています。こちらの後始末は我々に任せて、動けるヒーローの方は救助者がいないか、今一度捜索をお願いします」

 代わりにというか、卓一さんがてきぱきと指示を出す。

「生徒たちは病院へ……轟くんと飯田くんですね。さあ、こちらへ」

 安吾さんに促されて、二人はぺこりと頭を下げてから救急車へ乗り込んだ。(あ、そうか。二人はUSJの事情聴取の時に会って……)

 後ろ髪を引かれる思いで、安吾さんを見ると、気づいた安吾さんは無言で頷いた。

「私は車で理世を病院に送り届けますので、二人にこの場をお願いしてもよろしいですか?」
「もちろんっすよ」
「あとの事は自分たちに任せて、理世ちゃんの側にいてあげてください」

 安吾さんは車に乗り込む前に、ステインの肩に触れた。

 記憶を読み取っているんだ……。

 助手席に乗り、安吾さんの運転で車は発進する。


 ***


「あ、あの、グラヴィティハット。あの人は……。結月さんと親しいみたいですけど……」
「あ?あの教授眼鏡なら特務課の参事官補佐サマだよ」
「特務課……(教授眼鏡!)」
「あいつとの関係は……まァ、直接聞いてみな」


 ***


 走り出す車の中、時刻を見れば20時を回ろうとしていた。

「安吾さん……また心配かけてごめんなさい。中也さんにも深月ちゃんにも無理はするなって言われたけど、守れなかった」

 正直、私は間違った事はしていないと思っている。
 けど、正しい事かと聞かれたら答えられない。ただ、心配をかけた事はよくないことだ。

「いえ。今回ばかりはあなたが謝ることはありません……。脳無の出現による混乱によって伝達が上手く行かず、応援が遅くなった我々大人たちの責任です」

 運転中のため、前を見据えたまま安吾さんは話す。

「電話にも出れず申し訳ありませんでした。代わりに、辻村くんに電話をしてくれて良かった。緊急事態とはいえ、警察としては法に従って厳しい判断を降さなければなりません。おかげで、先にそこをどうにか手を打てそうです」

 正当防衛――になるかは微妙なところ。

 超人社会になって、対人への危害を加える"個性"使用は厳しい。反面、物騒な世の中、ヴィランや危険から自分の身を守る為の"個性"使用は原則OKだ。

 ただこの辺りの判断が、三者鼎立の司法省、特務課、警察によって異なる為に非常にややこしい。

「深月ちゃんは大丈夫?今回のことで処罰とか……」
「大丈夫ですよ。理世も辻村くんもあの場で正しい対応をしましたから」

 辻村くんは分厚い法律書とマニュアルを持って奔走してましたね――そう思い出して笑う安吾さんに私はほっとした。

「……実は、中也くんからも先ほど連絡をもらっていまして、あなたがちゃんと許可をもらってから行動したと聞きました」

 僕は立派に思う反面――そこで、安吾さんは言葉を一旦切る。

「何故、単独行動を許可したのかと彼に怒りました」
「…………」

 それには、私は何も言えなかった。

「僕が正しい対応と言ったのは結果論からです。責めてるように聞こえるでしょうけど、そうではないんです。どうしても、保護者側の目線で見てしまう――」

 赤信号で車は止まって、気づいたら安吾さんがこちらに顔を向けて苦笑いを浮かべていた。

「逆に過保護過ぎると中也くんに怒られてしまいました」

『もっとあいつを信用しろ。普通の学生ならともかく。あいつはヒーロー志望だ。いつかてめェに心配かけまいと、身動き取れなくなんぜ』

 大きすぎる心配は時に足枷になると――。

(中也さん……)

 私の事を思って言ってくれたと思うから、嬉しくはあるけど……

「確かに……安吾さんは過保護っていうか、心配し過ぎかなって思うことはあるけど」

 でも、それは私も一緒だ。

 安吾さんだって危険と隣り合わせの職業だ。心配や不安に襲われる時だってある。

「私も、感情的になるとこがあるから……」

 相手が理不尽に自分の考えを押し付けて来たりとか、言いたい放題言われた時とか。まず黙っていられない。(そもそも私にも反論する権利があると思う)

「逆に、安吾さんに心配かけまいと心がけるから、ちょうど良いのかも」

 バランスが取れて。安吾さんはふっと笑みをこぼす。

「そうですね。死柄木の時みたいに、ステインに言い返していた記憶がちゃんと見えました」

 ぎくっ。そうだった、安吾さんはステインの記憶を読み取ってたんだ!

「で、でもでも。あそこは言い返してなんぼというか……」

 我ながらなんじゃそりゃな言い分。安吾さんの正論に勝てるのは、偏屈な太宰さんか天然な織田作さんだけだ。

「この話はいずれまた。そんな顔色が悪いあなたに追求する気はありません」
「安吾さん……」
「もうすぐ着きますが、無理せず寝てて良いですよ。今日は入院でしょうから」


 見透かしたように安吾さんは言った。疲労もあって、私は素直に目を閉じる。


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