飯田天哉の入試試験

 東京都のある地区に、立派な一戸建てが建っている。
 祖父、両親、息子と、プロヒーローで名を馳せる飯田家だ。

 その室内に階段を駆け上がる足音が響く。

「天哉!!」

 ノックの返事を待たずにドアは開かれた。

「どうしたんだ、兄さん?」

 そんなに慌てて――机に向かって勉強をしていた天哉は振り返り、不思議そうな顔をする。

「母さんから聞いたよ、天哉。お前、なんで推薦の話蹴ったんだ?」

 兄、天晴の問いに「ああ」と、なんて事がないと天哉は答えた。

「だって、兄さんも雄英に一般入試で受けただろ?」
「俺は当時、学力が足りなくて入試の話が来なかっただけで……。お前は頭も良いんだから推薦で受けるべきだ」

 今なら遅くないと天晴は説得を試みる――が。

「いや、僕は憧れている兄さんと同じように、一般入試で雄英に挑戦し、合格したいんだ!!」

 びしっと手を翳す天哉に、天晴は「はあ…」とため息を吐く。自分の事を憧れるヒーローと尊敬してくれているのは嬉しいが、これとそれとは別の話ではないか。

「天晴、何を言っても無駄よ」

 ドアの向こうから顔を出した母が、くすりと困ったように笑いながら言った。

「うん。僕はもう決めたからね」
「ほらね」

 天哉の目標はいつだって兄だった。

 歳の離れた兄弟だった彼は、幼い頃からプロヒーローとしての兄の活躍を見てきた。
「僕も兄さんみたいなかっこいいヒーローになるんだ!」
 そう言って、天哉は天晴の背中をずっと追いかけて来たのだ。

 そして中学三年生になり、プロヒーローになる為の第一歩であるヒーロー養成学校への受験。天哉の志望校はもちろん兄と同じ『国立雄英高等学校ヒーロー科』だ。

「ったく……。しょうがない弟だ。父さんには俺から言っとくよ。その代わり、絶対雄英に合格しろよ!」
「もちろんだ!」


 ――入試試験当日。

(筆記試験は滞りなく出来た。あとは実施試験……!)

 バスで連れて来られた演習会場を、天哉はきりりっと見据えていた。
 自身の"個性"に合わせた特注の運動服とブーツ。軽く体を動かし、準備は万全だ。(……ん。あの縮毛は)

 目に入ったのは、先程の実施試験の説明時にボソボソと喋っていた男子生徒。
 天哉が質問ついでに注意した彼は、何やら今度は不自然な動きをしている。

(あの女子に声をかけるつもりか?)

 その視線の先には深呼吸をし、精神統一をしているであろう女子生徒。
 もうすぐ試験が始まるというのに、他の受験者の集中を乱そうという行動が行われようとしている。
 黙って見過ごす事は天哉には出来ない。

「その女子は精神統一を図っているんじゃないか?」

 その肩を掴んで阻止した。
 小柄に見えたが、意外にもがっちりしている。
「ひぃ!こちらも!」
 小さな悲鳴と共に何やら呟いた彼に、天哉は続けて問う。

「君は何だ?妨害目的で受験しているのか?」

 皆、ヒーローを目指し、真剣にこの場所に立っているというのに――。

「まあまあ。その人、さっき転けそうなところをその女の子に助けられたみたいだから、そのお礼を言おうとしたんじゃない?」

 周囲のクスクス声に混じって明るく声をかけられた。
 二人の間に入るように声をかけたのは、周囲の目を惹いている容姿端麗な女子生徒だ。

「む…そうなのか?」
「それに、もうすぐ試験が始まるよ〜」

 天哉の問いにマイペースな声で答えながら彼女は微笑む。落ち着き払ったその姿に、天哉の肩の力も自然と抜けて、冷静さを取り戻して行った。

「そうだな……お騒がせしてすまなかった」

 気づくと周囲の視線も自分たちに集まっていて、天哉は頭を下げ、謝罪を口にした。

 縮毛の彼にも「誤解してすまなかった」と謝ろうとしたが……、それ所ではなくなった。
 さりげなくスタートの合図が切って落とされたからだ。

 天哉はその"個性"を使い、他の受験者に混じり、慌てて走り出す。

 天哉の"個性"は兄と同じ《エンジン》

 脹ら脛にエンジンのような器官が備わっており、高い機動力が自慢だ。

(仮想ヴィラン!!あれを行動不能にする――すなわち倒す!)

 加速と共に繰り出された蹴りは、強力な武器になる。
 天哉の脚は仮想ヴィランを容易く貫いた。

 ちなみにエンジンの動力源であるガソリンは、天哉の場合は果汁100%のオレンジジュースで(天晴はグレープフルーツジュース)彼の腰に付けてあるボトルに並々と注がれている。

「45P!!」

 順調に仮想ヴィランことロボを倒し、天哉はPを稼いでいった。(よしっ良い調子だ。だが、油断は禁物――)

 周囲を見渡せば、受験者に倒されたロボットの残骸が地面に散乱している。
 ふわふわと宙に浮いているものもいて、それは先程の縮毛の男子生徒が声をかけようとした女子生徒の"個性"だ。

(だんだんと仮想ヴィランの数が減ってきたな……急がねば!)

 その場から移動しようと足を踏み出した時だ――大きな音と共に地面がぐらりと揺れる。「なんだ!?」

 周りの受験者たちが見上げる方向に、同じように見上げて、眼鏡の奥の目が見開く。

「!?あれは……もしや!!」
「なんだありゃああーー!!」
「もしかしするともしかしなくてもあれが巨大ギミック!?」
「いくらなんでもでかすぎだろォ!!」

 天哉に続いて、その場から次々と悲鳴に近い声が上がる。規格外な大きさ。ビルより高い巨大ロボは、所狭しと周囲の建物を薙ぎ倒しながら現れた。現れただけでなく、こっちに向かって移動している――!!

「にっ……、逃げろ!!」

 誰かが叫んでその言葉に弾かれるように、皆、天哉の横を走り抜ける。
 あれはちょうど自分が質問した、四種目の仮想ヴィラン――妨害目的のギミックだ。

 0Pなので倒しても意味はない。そもそも倒せる想定をされていない大きさ。避けるべき障害物。
 天哉も周囲と同じように、それに背を向け走った。

「何をしているんだ!君も早く逃げろ!!」

 その際、あの縮毛の男子生徒とすれ違い、声をかける。
 地面にへたりと座り込んでいる姿は、あまりの衝撃に腰を抜かしたのかも知れない。

 だが、助ける余裕はない。

 それに――これは試験であり、数少ない席を取り合うライバル同士だ。(兄さんと約束したのだ!絶対に合格すると……!!)

「むむ!?」

 次に天哉の目に映ったのは、ビルから飛び降りる女子生徒の姿。
 天哉と縮毛の男子生徒の間を宥めるように入って来たあの美少女だ。

 驚いていると、彼女は地面にぶつかる前に消えて、すぐにパッと近くに現れる。どうやら彼女の"個性"は瞬間移動――《テレポート》らしい。

 テレポートを繰り返しながら、逃げる人々の流れとは反対に進む彼女が気になって、見失いそうになりながらも目で追う。
 どうやら逃げ遅れて、瓦礫の下敷きになりそうな者を助けに行ったようだ。

 手で触れると一緒にテレポート出来るらしく、次に現れたのは安全な場所。

 助けた者からのお礼の言葉も待たずに、すぐに彼女は視界から消える。他の危機にある者たちを助けに行ったのかも知れない。
 天哉は感心して思わず足を止めて見ていた。

 まるで、それはヒーローに欠かせない素質だ――。
 そしてこの日、天哉はそれを二度思う事になる。

 空気を揺るがすような凄まじい衝突音。

 あの巨大仮想ヴィランが後ろにゆっくり倒れていく光景を、天哉は唖然と見ていた。

 逆光の中、空高く巨大ロボに向けて拳を振り落としたのは、まさかの縮毛の男子生徒だ。
 しばらくして、試験終了のアナウンスが大きく会場に響く。

「あいつ、何だったんだ……?」

 地面に倒れている縮毛の男子生徒に向けて、誰かがポツリと呟いた。

「いきなり"ギミック"に飛び出したりして……」
「増強型の"個性"だろうけど……規格外だ」
「けど、あんな"個性"持っておいて、どういう生き方すりゃあんなビクビクできるんだ?」
「他を出し抜く為の演技じゃねえ?」
「出し抜くいて得られる恩恵があったようには見えねえけど……」
「とりあえず、すげえ奴だってのは間違いねえよ」

 彼の周りからざわめきに混じってそんな声が飛び交う。

(そこじゃないだろう、見ていなかったのか!?)

 天哉は先程見た、一部始終を思い出していた。

 ――奴は、あの女子を救わんと飛び出したんだ!!

 瓦礫の下になり、動けないでいた、あの精神統一をしていた女子生徒を。
 巨大ロボが迫り来るなか、一人、あの少年だけが飛び出したのだ。

(残り時間……己の身の安全……合格に必要な要素を天秤にかけ……)

 ――それでも尚、一切の躊躇なく!!

(試験という場でなかったら当然!!僕もそのようにしたさ!!!)

 ここで天哉はハッと気付く。

(おや!?試験……当然……!?おやおや……!?)


 ――すべての試験が終了し、合否通知は一週間後。


「大丈夫か、天哉。入試試験、調子が悪かったのか……?」

 その夜の食事の席で。浮かない横顔の天哉に、天晴は心配そうに顔を覗き込む。

「いや、試験は自分なりにベストは尽くしたと思う。ただ、僕はまだまだだなって思って……」
「実地試験にすごい奴でもいたのか?」
「うん。彼らは僕よりずっと上手だったんだ」

 悔しいが、天哉は素直にそう口にした。

 "個性"にしても能力にしても、小さい頃から父や兄に鍛えられ、それなりに自信はある。
 少なくとも天哉は今まで文武ともトップを走り抜けており、自分を脅かす存在はいなかった。(だからと言って傲らず、常に努力は劣らなかったが)

 そんな天哉の初めての心境を察してか、天晴は天哉の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。「!いきなり何をするんだよ、兄さん!」

 小さい子供じゃないんだからと不貞腐れる天哉に、天晴はにっと笑いかけた。

「じゃあ、そいつらも一緒に雄英に入学したら、天哉の良いライバルであり、友達になるな!」
「ライバルであり友だち……その二つは矛盾しているのでは?」
「お前は小さい頃からそういう所、変わらないよな……」

 びしっと手を向けてつっこむ天哉に、天晴は苦笑いする。

「そういう存在がいるんだよ。きっと天哉にもすぐできる。そして、その存在は人を強くするんだ」

 切磋琢磨ってやつだな――天晴がそう付け加えた直後。
「さあ、お腹空いたでしょう」
 ちょうど母が二人の前に夕飯を並べる。
 今日は天哉の好物のビーフシチューだ。

(ライバルであり、友だちか――……)

 母特性ビーフシチューをおいしくいただきながら、天哉の中に先程の天晴の言葉がゆっくりと響いていった。


 結果。筆記は1位、実地は総合6位の成績で、天哉は見事合格を果たした。


 入学当日。


「ぼ……俺は自立聡明中学出身。――飯田天哉だ」

 自身のクラスである1ーAに一番に到着した彼は、新しく生徒たちが教室に入ってくる度に同じような挨拶する。

「君はあの時のテレポ女子!!」
「あぁ!入試の時の……(テレポ女子!)」

 彼らは天哉と同じヒーロー志望だ。

 ライバルであり、友であり、切磋琢磨する仲間――になるかも知れない。


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