廻の横浜デートプラン

 廻の休日の過ごし方は特に決まっていない。その日の気分で何でもする。もちろんサッカーをすることもあれば、家で漫画を読んでごろごろしたり、友達と遊びに行ったりもする。

 すべては廻のインスピレーションと、気分次第だ。

「へー千葉と横浜ってフェリーが運行してるんだぁ」

 ベッドに寝っ転がり、たまたま見つけたネットの情報を見て呟く。

(横浜って中華街とかあるんだ。おしゃれな町だし、なまえとデートしたら楽しそうだな)

 スマホの時刻を見ると、まだ9時ちょい過ぎ。すぐさま廻はネットを閉じて、電話をかけた。

「なまえ、これからデートしよう!」


 廻の本日の休日の過ごし方が決まった。


 ――一方のなまえは、珍しく今日は朝が遅かったのもあり、まだパジャマのまま家で過ごしていた。
 昨日、読んでいた本が面白くてついつい夜更かしをしてしまったのだ。

 続きを読もうとした時、廻から電話がかかってきた。

「もしもし?」
『なまえ、これからデートしよう!』
「えっ、これから?」
『今から迎えに行くから!』
「えぇ!?今からって……」

 突然かかってきた電話は、こっちの予定も聞かずに勝手に切られた。
 いや、確かに今日は何も予定がないけど……!

 納得いかない所はあるものの、自分の今の姿を思い出して、なまえは慌ててクローゼットを開ける。

(とりあえず着替えなきゃ!髪も整えなきゃだし……)

 いつもならデートの時はちゃんとおしゃれして、どの服を着ていこうかと考えるなまえだったが、適当に目についた服を引っ張り出す。

 パジャマを脱ぎ捨て、服に手をかけたところだった――

「なまえー!迎えに……」

 ノックもなしに廻が勢いよくドアを開けたのは。

「わあぁー!?」
「あっ、ごめん」

 軽い謝罪と共に廻はすぐにドアを閉じた。

「もうっノックして返事来てから開ける!これ、常識ー!」ドアの向こうからなまえが叫んで「イゴ、キヲツケマス」何故か片言で廻は返す。

 今はそれどころではない。

(なまえのオッパイ、こんぐらい……?いんや、こんぐらいあった?)

 自分の胸元に、その丸みを描くように手で再現して大きさを再確認。

(下着の色はピンクね……柔らかそうだったなー転けたフリして触ったら怒られないかな?)

 いや、バレて怒られる。だが廻は「今日はラッキースケベデーかも」と、お気楽な思考をしていると、

「……なに、ラッキースケベデーって」

 ……やべ。声に出てた。

 ドアから覗いたなまえの目が、じと目で廻を見ていた。


 ドアはちゃんとノックする、誘いはちゃんと相手の意見を聞く――。
 そんな一般常識的なことの注意だけで終わったのは、なまえが特別優しいとか心が広いとかではなく、相手が廻だから。この一言に尽きる。

「……見たでしょ」
「いやいや、見てないよ?」
「嘘」
「……まあ、ちょっとだけ?」
「……本当に?」
「正直に言うとがっつり見て眼に焼きつけました」
「正直に言い過ぎー!」
「にゃはは〜!」

 そして最後は笑ってごまかされる。大体いつもこのパターンだ。
 もうっ……と呆れるものの、なまえは気持ちを切り替えて、廻に尋ねる。

「デートって今日はどこ行くの?」
「横浜♪」

 返ってきた答えに、一瞬脳がフリーズした。

 …………横浜!?

 千葉県でも隣の東京都でもなくて、神奈川県だ。

「今から!?」
「うん。知ってる?千葉と横浜ってフェリーが運行してて、なんと40分ぐらいで着くんだって!」

 初耳だったので「へぇ、そのぐらいで着いちゃうんだ」と、なまえは素直に頷いた。

「今から行けばお昼には着くから、中華街でご飯食べて、海を見ながら散歩したり、ぶらぶら買い物したりして、帰りは電車でなまえの門限も守れる!」

 すでに廻の頭の中では、プランが出来上がっているらしい。

「ワクワクしてきた?」

 楽しげに聞く廻に「うん!」となまえは大きく頷いた。

 まずは電車でフェリー乗り場がある駅まで向かう。電車の座席で、なに食べよう?どこにしよう?と、二人楽しくネットを見ながら調べているうちは――よかった。

「港だからこっちの道……」

 スマホで道を確認しながら歩く廻は「あっ」と何やら慌てた声を出す。

「なまえ、大変!」
「え?」
「もうすぐフェリー出ちゃう!」

 言うが早いか廻はなまえの手をばしっと掴み、そのまま勢いよく駆け出す。

「全力疾走ー!全速力!」
「!?全力疾走って、ここからどれぐらいの距離なの!?廻〜!」

 次の便じゃだめなの!?というなまえの声は届かず、廻に引っ張られるように走らされた。


 千葉港から横浜港に向けて、フェリーは出港する。東京湾フェリーは千葉県と神奈川県を結ぶ、車も乗車できる大型フェリーだ。

 全力疾走したおかげで、二人はぎりぎりフェリーに乗り込めたものの、その船内の椅子でなまえはぐったりしていた。
 サッカーは基本90分。コートの中を動き続ける廻の体力に合わせて走った結果、なまえは死ぬ思いをした。

 廻とつき合うには体力がいる――。

 なまえも中学で陸上部に入ってそれなりに体力がついたはずなのに、まだまだ足りないようだ。

「――ほい。なまえ、お水♪」
「ん……」

 廻は自販機で買ったペットボトルを、キャップを開けてなまえに渡した。
 冷たい水に生き返る――ごくりと飲んで、ありがとうとなまえは返すと、廻もそのまま口を付けて喉を潤す。

「あ、廻。フェリー代払うね」

 落ち着いたところで、なまえは鞄から財布を取り出した。自分がぜえぜえと息を切らしているうちに、廻が一緒に買ってくれたからだ。

「いいよ。俺が誘ったんだし」
「そんなわけにはいかないよ」

 大切な仲だからこそ、お金関係はきちっとしたいなまえだったが、廻は受け取らない。

「じゃあ、横浜で何かおごるね」
「やったー♪」

 という折衷案になった。

 波が穏やかなのか、船が大きいせいか、あまり揺れは感じないが、座席から見える景色は徐々に千葉の陸地から遠ざかっている。

「なまえ、船上に行ってみようよ」
「うん!」

 元気になったなまえを誘い、二人は船内を歩く。
 広い船内にはカウンター席やテーブル席などもあり、売店も充実していた。

 階段を上がり、船上のデッキに出た二人を青空が迎える。

 太陽の光にキラキラと輝く海がいっぱいに目に飛び込んだ。千葉県在住の二人は、わりと海は身近なものだが、船から見るのは新鮮だ。

「すごーい!」
「風が気持ちいい〜!」

 海風を身体いっぱいに受ける廻。確かに風は気持ちいいが、走る船に風は強い。
 なまえは、ああ前髪が崩れる……と、少し気になってしまう。

「千葉がもうあんな遠くだー!」

 太陽の光に目の上に手をかざし、眺める廻。この海風に煽られても、廻のぱっつん前髪はいつでもサラサラだ。

「なまえ!チーバくんだよ!」
「あはっ、チーバくんデザインの船だっ」

 千葉のゆるキャラのイラストが描かれたフェリーとすれ違い、廻は「おーい」とそちらに向かって大きく手を振った。なまえはスマホを横にし、チーバくんフェリーを写真に収める。

「廻、撮ってあげる」

 廻とフェリーが一緒に入るように、なまえはスマホを向けながら言った。
 ニッと歯を見せ笑い、元気なポーズ。

「なまえも一緒に写真撮ろ♪」

 インカメにし、腕を伸ばす廻になまえはくっついてピースした。シャッターを押して、撮れてる?と二人で確認している時だ。

「HEY!Want me to take your picture?」

 外国人の陽気そうな男性に二人は声をかけられた。どうやら観光客らしい。

「なんて言ったの?」
「写真撮ってくれるって」

 なまえの通訳に、センキューセンキューとノリよく答えて、廻は自身のスマホを渡す。「OK !」彼もノリよく受け取り、海を背景にポーズを取る二人にスマホを向けた。

「Say cheese!」

 この英語は、廻もなまえに訳してもらわなくてもわかる。

「「チーズ!」」

 二人で声を合わせて言った瞬間、彼はスマホをタップした。「いい感じに撮れたよ」と言うように、満足げに親指を立てている。
 廻はスマホを受け取り、画面を見て「ばっちり♪」と親指と小指を立てるシャカのサインで答え、この二人のノリは一緒みたいとなまえはくすりと笑った。

Are you couple君たちは恋人同士You two look pretty chummyとても仲良しに見えるよ!」
yesはいI'm crazy about him私は彼に夢中なんです

 廻が英語をわからないことを踏まえてそう答えたなまえ。彼は「uh-huh」と、にこにこ頷いて廻を見る。

「今度はなんて?」
「恋人同士?とても仲良しに見えるよって聞かれたから「はい、そうです」って」
「You two make such a cute couple!」
「お似合いのカップルだね、だって」

 照れくさそうに笑うなまえの通訳を聞いて「イエス!」と嬉しそうに答える廻。

「マイ、ユー、ラブラブ!」

 自分となまえを指差したあと、手でハートマークを作る。それで通じるのかなぁと思ったなまえだったが……

「oh!ラブラブ!」
「イエス!超ラブラブ!」

(通じてる……!)

 そして、二人でハートマークを作って盛り上がっている。
 すごいなぁとなまえは感心して廻を見た。
 英語は自分の方ができるのに、あんな風にコミュニケーションは取れない。

「廻はすごいね!」
「?何が?」


 フェリーはだんだんと神奈川の陸地に近づいてきた。
 ここからバスで駅に行って、電車で最寄り駅に向かうと廻はなまえに言う。
 中華街に行くには、フェリーより電車に乗る時間の方が長いらしい。

「Please enjoy yourselves!」
「バイバーイ♪」

 陽気な外国人の彼と別れ、二人はバス乗り場へ向かった。

「そういえば……。なまえ、あの時なんて答えたの?」
「あの時?」

 恋人同士って聞かれた時、廻はyesと肯定するとは別に、なまえは何かを言ったと気づいた。
 廻は勘が良いというか、鋭い所がある。

「私たちは恋人同士ですって答えただけだよ?」

 なまえがそれをネタバラシすることはない。だが、意味深なその笑顔に、ますます廻は確信する。

「いんや、絶対何か言ってたね」
「何もないよ〜」
「なんて言ったの?俺のこと?」
「あ、バス乗り場ここだね」
「ねえってば!俺のことでしょ?」

 バスの到着を待ってる間、諦めずにねえねえと聞いてくるので「もうっ廻しつこい」ついになまえはぴしゃりと言った。廻はちぇ〜っと口を尖らせる。

 バスは駅に着いて、そこから地下鉄へ。

 電車に揺られるとすぐに眠くなってしまう廻は「起こすから寝てていいよ」というなまえの言葉に甘えて、その肩に凭れ気持ち良さそうに眠っていた。

 なまえはスマホで横浜について調べる。
 海の見えるカフェとか行きたいな。でも、今日は天気が良いから、ドリンクをテイクアウトして公園でゆっくりするのも良いかも。

「――……あ、廻。次の駅で降りるから起きて」
「……うにゃ」

 駅から降りると、二人は歩いて中華街に向かう。
 一見普通の街並みに、千葉と景色が変わらないねーなんて話しをしていると。

「わぉ。中国っぽーい」
「ここが中華街の入口なんだね」

 突如街中に現れた赤い中華な門に、二人はおぉと見上げた。
 通りにはずらりと飲食店が並んでいて、すべて中華料理だ。屋台のような出店では、肉まんや小籠包から見たことない食べ物まで売られている。

「変なお面だ!おもしれ〜」
「見てっ、パンダ可愛い。中国だからパンダグッズがいっぱい売ってるんだね」
「あ、なまえ!チャイナドレス着てよ。絶対似合うから」
「それなら廻もチャイナ服似合うと思う!」

 お店では珍しいものが売っていて、見ているだけで楽しい。

「甘栗うまっ」
「初めて食べたけど、おいしいね」

 途中ですごい勢いで甘栗の試食を貰い、二人は食べ歩きながら、電車の中で決めた目的のレストランに向かう。
 手頃な金額で色々食べられて、味もおいしいとレビューの評判も良さそうなお店だ。

「お昼時だから並んでるね。どーする?」
「んー……でも、席多そうだから回転はよさそうだよ」

 なまえは中を覗いて廻に言った。どこも一緒だろうし、並ぼっかと廻は順番を記入する用紙に「ばちら」とひらがなで書いた。
 数十分ほどで名前を呼ばれることになるが、

「二名様の……バ…バチュ…ラ…サン?」
「ばちら?」
「バチュラサン?」
「バチュラでーす」

 片言の日本語では廻の名字の発音は難しかったらしい。廻は気にすることなく笑って答えて、なまえはそんな番組名があった気がすると吹き出した。

「バチュラサン、変わった名字ネ?」

 席に案内されて二人が座ると、興味津々に店員は聞いてくる。

「漢字でブンブンする虫の「蜂」に「楽しい」って書いて蜂楽」

 そう廻が教えると、彼はああーとわかったというように頷いた。
 中国だと漢字の方が馴染みがあるからかもしれない。

「それ、中国では"フォン ラ"って言うネ」

 フォンラ。廻となまえは口に出して言うと、お互いへぇー!と顔を見合わせた。

「じゃあ、廻は?」
「メグル?」
「んーと、輪廻のね……?」

 どう説明しようと悩む廻に、なまえはバックからペンを取り出して、ペーパータオルに「廻」と漢字を書いた。
 それを見て「ああ〜!」と彼は再び頷く。

「フゥェイ、ネ」
「フゥイ?」
「フゥェイ」

 フゥェイ……二人は発音を真似して口に出すものの、今度はなかなか難しい。

「じゃあ廻は、中国ではフォンラ・フゥェイね」
「うはっ初めて知ったー!後で中国ではなまえの名前はなんて言うのか聞いてみようよ♪」

 そして、二人はメニューを広げ、どれを頼もうか悩んだ。二人でシェアしようと決めていたので、飲茶を中心に注文する。

「俺、英語より中国語の方が喋れるかも」
「本当?」
「ニーハオ、シェイシェイ……」

 覚えてる単語を口にする廻。

「ショーロンポウ!」
「それさっき頼んだやつだよね?」

 三つ目にして、食べ物の名前が廻の口から出てきてなまえは笑った。ちなみに中国語では「シャオロンパオ」だ。

「チンジャオロース、バンバンジー……シューマイ?」

 もはや、中国語っぽい中華料理を並べているだけである。なまえはますます笑った。
 あっと廻は言葉を思い出し、

「ウォーアイニー!」

 満面な笑顔でなまえに向けて言った。

「ダメダメ、バチュラサン。そんな軽く彼女サンに言ったらあかんヨ」
「え、そうなの?」

 ドリンクを持ってきた先程の店員が説明するには「ウォーアイニー」は「愛している」なので、中国では大切に使われる誠意ある言葉とか。(ちなみに好きと伝える言葉は「ウォーシーファンニー」)

「ニホンも「愛している」はプロポーズで使うでショ」
「うん。じゃあなまえ、さっきのは忘れて!」

 そうなまえに向けて言った後「ねえ、"名字なまえ"は中国語でなんて言うの?」続けて廻は聞く。すっかり中国の店員とも仲良くなっている廻に、やっぱりすごいなぁとなまえは眺めた。

 もう一度、なまえが廻から「愛している」の言葉を聞けるのは、二人のまだ見ぬ未来だ――。


 お腹もいっぱいになって、二人は中華街から山下公園へ向かう。
 海が見える公園で、二人は手を繋いでのんびり歩いた。

「海の上に鳥がいっぱい浮かんでる」
「アヒル?」
「え、アヒルは白いし違うんじゃないかな。カモとか……あ、カモメ?」
「確かにさっき飛んでたやつ、こんな鳥だったかも」

 そんなゆるい会話と共に、二人が散歩しながら向かう先は、赤レンガ倉庫だ。
 途中にある象の鼻パークという公園のカフェに立ち寄り、なまえは約束通り奢るねとソフトクリームを二人分買った。

「すげえ、ゾウだ!」
「廻のソフトクリームの方がゾウさんっぽく見えるねっ」

 名物のゾウノハナソフトを見て、無邪気に笑う。
 ソフトクリームの先端を鼻に見立て、目はチョコチップ、耳はワッフルチップで、象の顔を上手く再現していて可愛い。

「んーおいしいっ」
「おいしいよねっ♪」

 甘いものが好きな廻は幸せそうに食べる。そして、相変わらず口回りにソフトクリームをつけているので、なまえは人差し指で拭ってあげて、その指を舐める。
 なかなかのイチャイチャぶりだが、もはや二人の間では日常茶飯事である。


 ◆◆◆


 赤レンガ倉庫は、ショップやカフェ、飲食店などが揃っている建物だ。
 その名の通り赤い外観の中に入ると、二人はショップを見て回る。
 雑貨店が多いなか、帽子専門店に入った二人は、お互い気になる帽子を被って見せて褒め合った。

 お店も見て回ると、帰りのことも考えて二人は駅の方へ。

 横浜と言えばの有名な景色が目に映る。
 一際目を引く高い建物の横浜ロイヤルパークホテルに、かまぼこの型をしているヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル。
 そして、コスモワールドの大観覧車、コスモクロック21。

「ねえなまえ。観覧車乗ろう!」

 ちょうど夕焼けが見られる――楽しげな廻になまえは手を引かれ、二人は観覧車乗り場へと向かう。

「観覧車なんて小さい頃に家族で遊園地に行って以来だから、久しぶりに乗るとちょっとドキドキするかも」
「今度、遊園地にも行こうよ」

 ランドとかシーとか。廻が言ったのは地元の有名な大型テーマパークだ。
 高校生になったことだし、今日みたいに遠出をしたり、二人の行動範囲も広がるだろう。

 順番が来て、二人は観覧車に乗り込み、向かい合わせに座った。

 ゆっくりと景色が高くなっていく。

「千葉どっちにあるかな?」
「海の向こうだからあっち?」

 海の向こうを眺めていると、この数時間後には横浜から千葉に帰っているんだと気づき、なまえは少し寂しくなった。

 突然の廻の誘いで最初は驚いたけど、今日は本当に楽しかったから。

「夕陽が綺麗だね。きっと、夜景も綺麗なんだろうな」
「大人になったらまた観にいこうよ」

 なまえの横顔に廻は笑顔で言った。廻も一緒になまえと夜景を観たいけど、なまえの門限を破ったら将来の信用問題に関わる。

 不意に廻は立ち上がると、なまえの隣に移動した。いきなり縮まった距離に、なまえはドキッとする。

「今日、楽しかった?」
「すごく楽しかった!連れて来てくれてありがとう、廻」
「俺も、すっげー楽しかった」

 にかっと笑う廻の顔を、夕陽が照らす。きっと自分の顔も夕陽に照らされているだろうから、赤いのがバレなくてよかったとなまえは思う。

 すでになまえの心臓はドキドキして、顔も熱く感じるから。

 久しぶりに観覧車に乗ったドキドキではない。密室で二人っきりで、廻との距離がいつも以上に近く感じて……。

 何かを期待するように、胸が高鳴ってしまう。

 ――そんななまえを、愛おしく見つめていた廻の眼が……真剣なものになる。


「なまえ……眼、閉じて」


 さらに廻の顔が近づき、囁くような声が近くで聞こえた。
 小さく頷き、なまえは眼を閉じ――……


「…………だめ、廻。子供が見てる」


 ………………。


 は……、顔を傾けようとした廻は、なまえの言葉に愕然と停止した。
 子供?どこから?廻が外を見上げると、斜め上のゴンドラから子供がこちらをじぃーーと見つめていた。

「「………………」」

 今日は日曜日で、確かに家族連れの姿も多く見かけていたが。
 狭い空間でこの気まずい空気は居たたまれない。

 廻となまえはいそいそと離れて、端に寄った。

 ……――二人を乗せたゴンドラは、いよいよ頂上に達しようとしていたが、二人とも無言のままだ。
 廻は頬杖をついて、なまえとは反対側から外の景色をただ眺めている。

 廻は落ち込んでいた。

(俺もう、立ち直れないかも……)

 あの楽天家がそう思うほどに。

 千載一遇の、なまえとのファーストキスのチャンスを――廻は逃した。

 サッカーで例えるなら、0−1でのタイムアップ間近の最後のチャンスに、ゴール前で廻の蹴ったボールが、自分のコントロールミスで明後日の方向に飛んでいったというぐらいのショックさだ。
 ただサッカーでは、廻はそんなミスボールを"一度も"したことはないが。

 何が失敗の要因だったか、廻は冷静に考える。いや、これは誰も悪くない。ただタイミングが悪かっただけだ。
 タイミング……観覧車でキスの定番である一番上ですればよかったのか?そうすれば、こんな風に見られて空気がぶち壊れることはなかったハズ。

(……頂上まで我慢できんわ)

 しいて原因があるのなら、逸った自分の心かも知れない。

「…………」

 なまえもまた、反対側で同じようにただ景色を眺めていた。
 さっきまでの甘い空気が、今は冷えきったものに変わっている。
 廻と物理的な距離だけでなく、心の距離まで離れたように感じて寂しい。

 意を決して、なまえは廻のその背中に明るく声をかける。

「ねえ、廻。お土産買って帰らない?」


 ――廻が振り返ることも、返事をすることもなかった。

 今まで一度だって、廻がなまえの言葉を無視したことはない。なまえが呼べば、どんな時でも廻は振り向き、笑顔で返事した。

「……っ」

 あまりのショックに、先程あんなに高鳴っていたなまえの心臓が今度は凍りつく。
 愛想つかされた?嫌われた?
 もしかしたら拒否したと思われて、怒っているのかも知れない。

 ――こっちを向いてほしい。

 振り向く気配のないその背中が、切なくて苦しい。

 ――いつもみたいに、笑って返事して。

 胸が痛くて、感情は、なまえの眼から涙となって零れる。


「っ!?」

 指先で涙を拭うなまえの仕草が――窓に反射して映り、廻はやっと異常事態に気づいた。
 ばっと慌てて後ろを振り返る。

「なまえっ?ごめんっ。俺何かした……?」

 一番大切な、なまえを泣かせた。

 廻がなまえが泣くところを見るのは初めてではないが、自分が泣かせたなら初めてだ。理由はわからないけど、この状況なら十中八九自分だと思う。

「違う、廻は悪くないよ」
「じゃあなんで泣いてたの?」
「…………」
「教えてくれないと、俺わかんないよ」

 なんてこの感情を説明したらいいかわからなかったなまえだったが、やがてぽつりと口を開く。

「その……嫌われたのかと……思って」
「俺がなまえを嫌いになるわけないでしょ。……どうしてそう思ったの?」
「……呼びかけても、答えてくれなかったから」
「……マジ?」

 全然気づかなかったと廻は「ごめん」と再びなまえに謝る。

「私の方こそごめんね……。雰囲気、壊して……」

 なまえはそのことを気にしていたらしい。
 なまえが謝ることじゃないのに――廻は腕を伸ばして、抱き寄せた。

「っ……」
「なまえ。俺ね、」

 こうやって抱き締めたり、触れたりはできるのに、その一歩先がなかなか踏み込めない理由ワケ


「なまえが好きすぎてわかんなくなるんだ」


 好きだから大事にしたいし、好きだからこそ、もっと欲しい。


「恋するのだってなまえが初めてだから、本当はどう進めていいのかわかんない」
「……今まで、そんな風に見えなかった」
「そりゃあなまえの前では余裕あるかっこいい男でいたいじゃん?そうじゃなくてもいつも可愛い言われるし」
「ご、ごめん……」
「謝るより自覚してほしいよ。他のどんな子より、ずっとなまえの方が可愛いんだから」

 なまえは廻の肩に顔を埋めるように頷いた。
 それに関しては悪気はなくなまえは純粋にそう思っていたが、悪気がなければ良いというわけではない。

「さっきもすげー緊張して、勇気振り絞って、今日こそなまえの唇奪ってやるって思ったのに、失敗して落ち込んでたってわけね」

 おどけた口調で廻はなまえに言ったあと、そのおでこに髪の上から唇を落とす。
 こんな風に触れ合えるのに、一番触れたいその唇には簡単に重ねられない。

 経験だってないから。決定的な一線を越えるには、廻にだって勇気がいる。

「……廻」

 なまえはぎゅっと抱きついて。

「私、初めては全部、廻が良い」
「…………」

 まるで爆弾だ。こうやってなまえが素直な気持ちをぶつけてくるのはいつだって唐突だから、廻は困る。
 困るけど、ドキドキして嬉しくて、廻の世界はまた色鮮やかになっていく。


「最っ高の殺し文句」


 自分が一生勝てない相手は、なまえなんじゃないかと思う。

 少し体を離して、二人は照れくさそうに見つめ合った。再び良い雰囲気なのに、きっと、今日はそういう日なのだ。

 思えば朝から廻はタイミングが悪かった。(朝のは廻にとってはラッキーだったが)

「足元お気をつけて、ゆっくり下りてくださいね!」

 二人のゴンドラは一周して、いつの間にか地上に着いていた。

「お姉さん、もう一周しちゃだめですかぁ?」
「だめでーす。再度チケットお求めになって来てくださーい」

 このまま乗っていたら、今度こそ廻はチャンスを逃さないだろうが、仕方がない。今日もお預けだ。

「帰ろっか」
「そうだね」

 廻がなまえの手を捕まえる前に、なまえが先に廻のその手を捕まえた。
 いつも繋ぎたいなと思って行動に移す前に、廻が手を握ってくれる。

 だからこそ、今は自分から手を繋ぎたかった。

 廻は少し驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに笑う。
 そして、これからも離さないというように、その手を優しく握り返した。





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あでぃしょなる⚽たいむ!
#運命的な出会い


「ねえ、なまえ。観覧車の中でなんて話しかけたの?」
「大したことないよ。お土産買って帰らない?って……」
「それいいね♪電車の時間までまだあるし、見ていこっか」

 〜桜木町駅のお土産売り場〜

「あっあの人は……」
「フェリーの外国人のおにーさん!」
「ワォ!what a coincidence!なんて偶然なんだ
「すごいっ、本当に偶然ですね!」
「god made us find eacnh other!」
「?」
「ええと……「神様が私たちを巡り合わせてくれたんだ!」」
「You and I were meant to be」
「?」
「「君と僕は運命で結ばれているのさ」……?」
「ノーノー!なまえは俺のだよ!」
「私じゃなくて廻に……」
「は、俺?」
「HAHAHA!ちょっとしたアメリカンジョークさ!」
「「日本語喋れるんだ!?」」


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