「廻ー、いつまでしょげてんの」
「別にしょげてないし……」
「たった2週間でしょ?」
「3週間だよ!」
「……たった3週間でしょ」
暑い夏の日。溶けたアイスのように廻がしょげていた理由。
夏休みを利用して、なまえが海外へ短期留学に行ってしまったからだ。
せっかく高校生にもなったのだから、一緒に日帰り旅行に行きたいと思ってたのに。
「なまえちゃんにだってなまえちゃんの都合とか人生があるんだからね。そこ、忘れちゃだめだよ」
「……わかってるよ」
わかってはいるけど……。いつもならテンションが上がる夏なのに、廻の気持ちは沈んだまま。
期待していた高校のサッカー部は楽しくない。
ここにも、廻が求める"かいぶつ"はいなかった。
せめて、なまえがいてくれたら少しは違うのかなと廻は考える。
なまえが応援してくれたら、俺、頑張れるから。
その時、廻のスマホが鳴った。
――なまえからだ。
テーブルに伏せた顔を上げ、急いで確認する。
そこにはメッセージと共に、一枚の写真も一緒に送られてきた。
………………。
「お、なまえちゃんから?」
「……俺、倒したい奴見つかったかも」
「ん?」
「サッカーしてくる!」
――遡ること、二ヶ月ほど前。
衣替えも終わった頃。なまえは両親の了解も得て、短期留学への書類を担任に提出しに行く。
「夏休みに新しいことへ挑戦するとはいいことだ!」
なまえのクラスの担任である一色先生は、爽やかな笑みを浮かべて言った。
半袖の白シャツに、きちっと締めた青いネクタイは真面目さを伺える。
「だが、短期留学の希望人数はもう達してしまってな……」
「え、そうなんですか?」
早めに出したつもりだったが、事前に申込みがあったとなんとかごにょごにょと一色先生は言った。
どうやら大人の事情があるようだ。
「力になれなくてすまないな。ただ二年、三年とも募集してるから、その時は優遇できるようぼくも働きかけよう」
「ありがとうございます」
残念だが、もともと定員制なのもわかっていた。お礼を言い、なまえは職員室を後にしようとすると、
「ちょい待って」
その声に引き留められた。
「A組の名字さん、だよな?」
「そうだけど……」
こちらに近づいてくるのは、御影玲王。
入学式からその存在を目にしているし、選択授業は被っているものの、なまえは玲王とは関わったことがない。
何故自分の名前を知ってるんだろう?
そう疑問に思うなまえに気づいた玲王は、笑って言う。
「結構な有名人だし?」
え、心当たりがない。ますますなまえは不思議そうな顔をするが、玲王は本題に入る。
「さっきのって、夏休みの短期留学の話?」
「あ、うん」
「オーケー。――先生。短期留学、俺が辞退するから代わりに彼女に枠を譲ってくれ」
「え……!?」
なまえは驚きの声を上げた。どうしてと聞かれる前に、玲王は答える。
「勧められたから申し込んだけど、プライベートでも行けるしさ。本当に行きたい人が行った方がいいだろ?」
そう気の良い笑顔と共に。プライベートという言葉にさすが御曹司と思ったが、彼が学校中で人気な理由がちょっとわかった気がする。
「本当にいいの?御影くん」
「おう、もちろん」
「ありがとう!」
一色先生は玲王の申し出に素晴らしい!と感激し、なまえが行けるように手続きをしてくれるようだ。
二人は一緒に職員室を後にした。
「本当にありがとう、御影くん」
「いいっていいって」
なまえの再度のお礼に、どうってことないという風に玲王は笑う。
善意の申し出のように見えたが、じつは玲王にとっては、なまえに対して「お礼」のようなものだった。
それは先程の「結構な有名人」に繋がる。
家柄でも学力でもルックスでも……どれを取ってもトップクラスな玲王だったが、そんな彼にも"ライバル"と呼ばれる存在がこの白宝高校にいた。
フランスからの帰国子女であり、有名外資系会社の御曹司。
綺麗な青い瞳と、甘いマスクは玲王とは反対のタイプ。
似ているようで違うからこそ、水面下で二人はバチバチと火花を散らしていた。
実際問題、二人の父親も勢力争いをしている。
そんなフランスボーイが名字なまえを口説いて、思わぬ袖にされたという不名誉な噂が流れたのだ。
玲王は心の中で「ざまあ」と高笑いした。
ライバルは蹴落としてナンボである。
これ、御影コーポレーションの成功学。
もちろんなまえはそんなことを知らないので「御影くんは親切で良い人」と好印象だ。
「ちなみにどこ行くの?」
「アイルランドに」
「アイルランドかー、英語留学……っぽくもないよな」
なまえは玲王に理由を話した。
自然豊かで治安もいいところや、現地の人たちとだけでなく、他国の留学生とも交流できるところ。
ちょうど夏に行くのに気候もいい。
「それに……」
枠を譲ってくれた恩人でもあるので、なまえは包み隠さず話す。
「アイルランドサッカーリーグにも興味があったんだ」
はにかみながら言うなまえに、へえと玲王は頷いた。サッカー、好きなんだ。
「もしかして、彼氏の影響?」
「じつはそう」
照れくさそうに笑うなまえ。実際に会話してみて、噂で聞いていたようなバッサリ男を斬るような印象は受けなかったが、意中の彼氏がいるというのは本当らしい。
「あ、留学の感想教えてよ。俺、アイルランドは行ったことねーんだ」
「うん、わかった」
歩きながら話していると、なまえの教室まで戻って来て、二人は別れた。
(……名字なまえちゃんね)
◆◆◆
この夏――短期留学をなまえに譲ったことによって、玲王は「本当に欲しかったもの」を見つける。
海外に飛び立っていたら、きっと目にすることはなかっただろう。
(これだ……!)
部屋で勉強中にふと目にした、テレビから流れるサッカーW杯の映像――。
(これを、俺だけの宝物にしたい!)
初めて、玲王は心を動かされた。
◆◆◆
夏休みまで、残りわずかな日々。
「凪。次の文、読んでみろ」
「あー……」
すっかり居眠り常習犯になった凪は、指されるいい的になっていた。
見かねたなまえは、こっそり手を背中に回し、凪に向けてサインを送る。立てた指の数でページ数を表しているのだが、気づくかは分からない。
(ん……3?4……?あ、34ページ)
続きを読む凪は、どうやら気づいたようだ。国語の先生はくやしそうな顔をした。
勉強はからっきしに見える凪だったが、まさかのテストでは学年トップだ。(その後に玲王となまえが僅差で続く)
「家で勉強してるの?」なまえが聞いてみると「そんなめんどくさいことしないよ」と、凪からにべもなく返ってきた。
どうやら凪は、天才らしい。
「みんな、なんのために必死に頑張ってんのかな」
勉強に対してあーだこーだ焦ってる生徒たちを見ながら。
独り言のようなその凪の言葉に、適切に返せる言葉がなまえには見つからなかった。
思えばなまえにだって、必死に頑張ったことなんて片手で数えるほどもない。
◆◆◆
いよいよ夏休みが始まった。
なまえが今いる場所は上空1万メートル。
海外へは小さい頃、両親とハワイ旅行に行ったぐらいで、飛行機に乗るのもそれ以来だ。
ドキドキするけど、それ以上に上空の景色に釘付けになった。
一人で海外に行くのにだって不安な気持ちもあるけど、同時にワクワクもする。
新しいことにチャレンジする。新しい世界に飛び込む。それは怖いことではなく、楽しいこと。楽しまないともったいない――。
それは、廻に教えてもらったことだ。
そんな廻は、なまえが夏休みは海外に短期留学するつもりと伝えたら「大丈夫なの?危なくない!?」と真っ先に心配した。
夏休みなまえがいないとつまんなーいなど多少駄々もこねたが、最後にはちゃんと廻は理解してくれる。
"どんな景色を見て、どんな経験をしたか、ちゃんと教えてね"
"一番大事なことは、なまえが無事に帰ってくること"
「行ってらっしゃい!」
その言葉と共に、廻は笑顔でなまえを見送った。
廻にたくさん教えられるように、ちゃんと経験しようとなまえは張り切る。
――そんななまえに、まさかの出会いが待っていた。
日本からアイルランドへの直行便はなく、途中の国で乗り換えなければならない。
乗り換えは緊張する。多少英語はできるものの、案内を慎重に見ながら搭乗口へと向かった。
すると、何やら騒がしい。
人が集まっており、黄色い悲鳴も飛び交っている。
もしや有名人?なまえがその光景を目で追っていると……
(あっ、あれは……!)
ジャージには「マンシャイン・C」と書かれている。
イングランド代表のサッカーチームだ。
ちょうど遠征帰りに、なまえは鉢合わせしたらしい。
マンシャイン・Cといえば、あの選手が所属している。
「クリス・プリンス選手……!」
その姿を見て、思わずなまえの口からその名前が飛び出した。
人当たりのいい笑顔を浮かべて、ファンサービスに答えている。
なまえは腕時計を見た。まだフライトまで時間はある。
こんなチャンス、滅多にない。
私もサインほしい!なまえはそちらに駆け出した。
クリス・プリンス。
鍛え抜かれた体に、ハリウッドスターのような整った顔立ち。
間近で見る彼は、画面越しよりずっとかっこいい。
「Mr.Chris!can I have your autograph?」
タイミングを見計らって、なまえはクリス・プリンスに手帳とペンを力強く差し出した。
「OK!」
彼は愛嬌のある笑顔を浮かべて、なまえから受け取る。
「――君は日本人かな?」
不意にそんな風に問われ、慌ててなまえは「YES」と答える。続いてクリスを知ったプレーの感想を伝えた。
フランスvsイングランドの試合だ。
一緒に観ていた廻は、ノエル・ノアに夢中だったけど、なまえは違った。
世界一のストライカーと言われるノアに、食らいついたプレーをしたクリスこそがなまえはかっこいいと思ったのだ。
早口の英語で伝えたので、ちゃんと伝わっていないかも知れない。
それでもクリスは嬉しそうに笑って、サインを書いた手帳をなまえに返す。
「ありがとう!これからも俺は理想を現実に変えていく!応援よろしくな!」
なまえのヒアリングが間違ってなければ、クリスはそう言った。
次に「カメラは持っているかい?」とクリスは聞いて、なまえと写真まで撮ってくれた。神対応すぎる。
(かっこよかったー!クリス・プリンス!)
夏休みはまだ始まったばかりなのに、なまえの夏休み一番のハイライトはここかも知れない。
搭乗を待つまでの間、さっそくこの出来事を文字にして廻に送った。
何かあった時のためにスマホは海外でも使えるようにしてあるので、同時に写真も送信。
めちゃくちゃ嬉しそうにクリス・プリンスと写るなまえに、沈んでいた廻の心に火をつけたのは言うまでもない。
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あでぃしょなる⚽たいむ!
#まずはサインから
「写真、ちょっとくっつきすぎじゃない?俺というものがありながら」
「いっちょ前に世界のストライカーに妬かない」
「俺だって、すぐにプロになってやるもんねー!」
「それしても、そのプリンス選手はずいぶんファンサービスがいいんだね」
「うん、なまえ、サインももらったみたいだし。俺も将来のためにサインの練習しとこ♪ばちらめぐる……っと」
…………?
「ねえ、優。うにゃあ〜って感じのかっこいいサインってどう書くの?」
「……。廻にはまだ早いんじゃないかな」