選択

 中学二年生の二学期ともなれば、教科の難易度もぐんと上がる。

「小学生に戻りたーい」
「小学生の時も勉強やりたくなーいって言ってたよ、廻」

 小テストもあるし、模擬試験も行う。
 それは来る高校受験に向けてだ。
 だが、この時期に高校進学を見据えている者は少ない。廻はもちろん、なまえも。


「――それって高校受験案内の本?」
「うん」

 なまえが最初に高校進学を意識したのは、同じ図書委員の彼女が早くも高校受験に取りかかってる姿を見てだ。

「将来の為に高校選びから重要かなって、行きたい高校の候補を絞っている途中なの」

 眼鏡をかけた真面目な彼女は性格も聡明さを伺えた。自分も含めて、三年になってから本格的に考える者がきっとほとんどだ。計画的な彼女に感心する。

(廻はどうするんだろう……)

 まっ先に思い浮かんだなまえの一番の存在。小学校、中学校は公立で一緒だったが、高校は選択肢が生まれる。

 廻の夢はプロのサッカー選手。

 となれば、サッカーの強豪校への進学が一番の道のりだ。次に、千葉のサッカーの強豪校ってどこだろうという疑問がなまえの中に生まれた。

 学校から帰ると、さっそく家のパソコンを立ち上げた。「全国高校サッカー選手権大会常連校 千葉」と、検索画面を打ち込む。
 嵐工業高校、波風高校……出てきた高校を調べていきながら、ふと我に帰った。

 廻の進路を勝手に考えて、自分自身はどうなのかと――。

 まだ早い時期とあって、全然考えていなかったが、漠然としたビジョンすら浮かんでいない。

 なまえには夢や目標がないからだ。

 それらは自分を何者か語る上でも大切だ。特別な熱がない自分は、からっぽの気がして、それが幼い頃からのなまえのコンプレックスであり、悩みだった。

 だからこそ。自分とは違うその姿が……

『サッカー選手になって、世界ですごい選手たちとワクワクするようなサッカーをするんだっ』

 サッカーが大好きで、その好きを貫く廻に、惹かれると同時に尊敬していた。


「ねえ、なまえ。山行こうよ、山!」
「山?」
「いざ、紅葉狩りじゃー!」
「あはっ廻、紅葉狩りの意味違って言ってない?」


 日々は目まぐるしく過ぎて、なまえの悩みは楽しい毎日に流されていく。
 例えなまえが「こんな毎日が続けば良いのに」と願ったとしても、人生で変化が起きないことはあり得ない。


 最初の人生の分岐点が、ゆっくりと訪れようとしていた。


 ◆◆◆


(そろそろしっかり考えないとな……)

 中学三年生になり、いよいよ本格的に高校進学を見据えなければならない時期に入る。
 空欄なのは用紙だけではない。配られた進路希望調査票をなまえは見つめていると「今日は部活ないから一緒に帰ろー!」廻がなまえの席にやって来た。

 ちなみに三年生に上がって、一年、二年と同じクラスだった二人は離れた。
 でも、こうして廻はしょっちゅう遊びに来てくれて、クラスメイトも日常茶飯事の光景に気にしない。

「さっき見てたの進路希望調査票?」
「うん。廻のクラスにも配られた?」

 廻も頷き、なまえは続けて聞く。

「廻は進路はもう考えてる?」
「ん、担任に呼び出されて……」

 え!?まさか成績が危うくて高校進学に問題が……!瞬時にそう頭に思い浮かんだが――、違った。

「スポーツ推薦の話が来てるって言われて、前になまえが教えてくれたサッカーの強豪校だし、そこに行くことに決めたんだ」

 俺、受験勉強とか無理だしと廻は即決したらしい。まだ母親の優に相談していないので正式ではないが、きっと優も了解するだろう。

 その話を聞いて「すごいね!さすが廻!」となまえも喜んだ。

 中学の部活でも、廻は誰よりもサッカーが上手かった。
 だが、一人飛び抜けているからこそ、またもや廻はチームから浮いてしまった。素人がプロの何がすごいのか分からない現象と同じだ。
 そして、同じチームに属している中でのその存在は「理解不能」という言葉で片付けられてしまう。
 でも、周りが廻のプレーを理解しなくたって、貶したとしても、廻が"天才"という事実は変わらない。

「やっぱり実力があるから、そう言った話も来るんだよ」

 なまえの言葉に廻は照れくさそうにへへっと笑う。

「なまえは?行きたい高校あるの?もう決まった?」
「これから両親にも相談してじっくり考えようと思ってて……」
「じゃあ、一緒の高校に行こうよ!波風高校!家からも通えるし!」

 にっこり笑顔で廻はなまえを誘う。その提案に、なまえが考えてなかったわけじゃない。
 家が近いとはいえ、高校が違えばどうしてもすれ違いが起こる。寂しいと思うし、好きだからこそ不安も生まれる。
 けど、そんな理由で高校を決めてしまってもいいのかと悩んでいた。

 廻が同じ高校に行こうと誘ってくれたのは、嬉しい。

「んで、サッカー部のマネージャーやってよ!もちろん俺専属ね♪」
「マネージャーってなにやるの?」
「応援とか?」

 すごく嬉しいけど、それで決断してしまっては、あまりにも自分が無さすぎる――。


 その日の夜。なまえは夕食時に両親に進路のことを話した。自分の考えもまだまとまっていないということも。

 両親的には、娘のやりたいことをやらせてあげたいし、夢があるならそれを応援したいという姿勢であった。

 高校進学も同じような気持ちだ。

 子供にとってはありがたい話なのに、応援してほしい夢も、行きたい高校もないなまえは、ますます申し訳ない気持ちになった。

「廻はね、スポーツ推薦が決まったの」
「すごいね!さすが廻くんだ」
「波風高校。全国高校サッカー選手権大会常連校なんだよ」

 打って変わって、まるで自分の進学が決まったように嬉しそうになまえは話す。

「なまえ、後でお父さんと進路について話そうか」

 珍しく父は、真面目な顔をして言った。

 ――静かな和室に、パチンと音が響く。
 大事な話だろうから腰を据えて話すのかと思ったら、なまえは父の趣味の一つである将棋に付き合わされていた。
 将棋だけではなく、囲碁、オセロ、チェスなど、頭を使う趣味が父は好きなのだ。

 考えることは人間にできる唯一の特権と、人生は死ぬまで思考をする――という壮大な持論による教育方針から、なまえは物心つく頃から教え込まれていた。
 こう話すとなまえ父はさぞ立派な人格者に聞こえるが、半分は可愛い娘に自分の趣味に付き合ってほしいからである。

「なまえは行きたい高校がまだ見つからないと言っていたけど……」
「……うん」
「廻くんと一緒の高校に行きたいと思っているのかい」
「……それは……、まだ」

 切り込んできた言葉と共に、局面も鋭く切り込まれた。その問いにか、この厳しい展開にか、なまえは苦い顔をした。起死回生の打つ手を考える。

「お父さんは、廻くんと一緒にいたいという理由だけで」

 父はなまえの導きだした一手を見ながら、

「高校を決めるなら、賛成はしない」

 パチンと駒が置かれた。……王手だ。

「………………」

 なまえは見事に敗北し、正論過ぎる言葉に、返す言葉がなかった。

(……わかってる……)


『大人になったら、なまえちゃん、おれのお嫁さんになってよ!』


 あの言葉にずっと支えられてきたから、このままじゃだめなんだ――。


 刻々と時間は流れ、クラスメイトたちもなんとなく進路が固まって来ているらしい。
 まだ時間に猶予があるとはいえ、その話を聞くと焦ってしまう。
 仲良い友達は、自分の偏差値と相談して、高校の候補を絞っているという。

「でも、なまえなら頭良いから選び放題じゃない?」
「選び放題ってわけでもないよ」

 なまえは謙虚に答えたが、その彼女の言葉は的を得ていた。選ぶ選択肢が多いのは贅沢な悩みでも、今は惑わせる要因だ。

 担任の先生に相談してみようかなと考えていると、先に担任に呼び出された。
 優秀な生徒であるなまえの進路希望調査票の提出が遅かったので、心配になったらしい。

 なまえの悩みを聞いて、担任の女教師は穏やかに笑う。

「あらあらそうだったの。行きたい高校がわからないってことは、たぶんまだ情報が足りなんじゃないかしら?まずは条件を決めてそこから絞っていくのはどう?消去法でもいいし」

 先生のアドバイスを聞いて、消去法ならある程度絞り込めることができそうかもとなまえは考える。

「あの、例えば……波風高校とかは……」
「波風高校?ああ、千葉県の高校ね。ちょっと待っててね」

 彼女は資料を見てから、再び口を開く。

「……名字さんならもっと偏差値が高い所を狙えると思うから、正直もったいないと思うわね。もちろん、どの高校に決めるかはあなたの意思だけど」
「……そうですよね。もう少し、考えてみます」

 なまえは笑顔を作って、ありがとうございましたと職員室を後にした。予想通りの答えが返ってきた。
 教室に戻る途中、廊下の窓から見えるサッカー場に、つい廻の姿を探してしまう。
 その小さな姿だけで、なまえの眼を捕らえて離さない。

 違う高校に通ったら、こうやって何気ないその姿を目にすることもなくなるんだ――


 ◆◆◆


 なまえはもう一度、今度は消去法で高校を絞り込んでいた。ここが良さそうかなという高校はあったものの、心からの決断ではなく、これが正しいのかと相変わらず気持ちは晴れずにいる。

 そんな時、連絡をくれたのは……

(あ、優さんからだ)

 廻の母親の優と連絡を取り合うのは珍しくない。廻との付き合いが6歳からなら、優とも同じ長い付き合いだ。


「ごめんね、急に一緒にケーキ食べない?なんて呼び出して」
「ううん、嬉しい。ケーキごちそうになります」

 廻はまだ部活から帰っておらず、先に食べちゃおうと二人でケーキを食べる。
 いつも色とりどりのペンキを顔に付けている優だが、今日は雑誌の打ち合わせに行ってたらしく、身なりもつなぎじゃなくてカジュアルな洋服だ。その帰りに、有名なケーキ屋があると知り、買って帰ったという。

「なまえちゃんは進路はもう決まった?」

 食べながら優は話を切り出した。
 あえて廻がいない時に呼んだのも、なまえとこの話をするためだ。

「じつは、まだ決まってなくて……」

 苦笑いと共に答えるなまえ。早々に決まった廻とは反対に、自分は未だに悩んでいる。

「廻がなまえちゃんも同じ高校に通う気でいるから、ちょっと心配になってね」

 あの子のことだから強引に一緒に行こうって誘ったんじゃない?と続けて優は笑って言う。

 それが、なまえの迷いを生んでいるんじゃないかと。

 その言葉になまえは慌てて否定した。
 確かにあの時は曖昧に会話を終わらせてしまって、否定もしなかったので廻が勘違いしても仕方がない。

「廻と一緒の高校に行きたい気持ちはあるけど……」
「……うん」

 そんな動機で決めるのは良くないって、自分でもわかってる。そもそも父からだって「廻くんと一緒にいたいという理由なら賛成しない」と、反対されている。

 優は相槌を打ちながら、なまえの話に耳を傾けた。

「でも、だからと言って、将来の展望もないし、行きたい高校もないから、自分がどうしたいかわからなくて……」
「それで、そんなに悩んでるんだね」

 こくりとなまえは素直に頷く。
 廻の母親の優とは不思議な関係性だ。好きな人のお母さんというよりは、自分にもこんな風に話を聞いてくれて、相談にも乗ってくれるので、もう一人の母親のようにも感じる。

「私はね。なまえちゃんが廻と一緒の高校に行きたいという理由で、進路を決めても良いと思うよ」

 その理由は恥ずかしいことでも自分を卑下することでもないよと優は笑う。

「廻にもだけど、自分の中にある心の声に従ってほしいと思うんだ。なまえちゃんは正しい選択をしようと思ってるから、余計わからなくなってるんだと思う」
「心の声……」
「大事なのは、選んだ選択肢を正解にすること。もっと自分のことを信じてあげて。迷うことは悪いことじゃないから。なまえちゃんが悩んでいることに意味があるんだよ」

 優のその言葉は、自然と胸に響いていく。

(やっぱり、優さんは廻のお母さんだなぁ)

 答えを出して、変わることに怖がっている自分に、勇気をくれるのは一緒だ。

「ありがとう、優さん。私、ちゃんと自分と向き合って考えてみる」

 少し晴れた顔でなまえは言って、優も優しく微笑む。
 直後「ただいまー」と声が響き、廻が帰ってきた。

「おかえり、廻」
「あれ、なまえ来てたんだ。ケーキ?おいしそう!一口ちょーだい♡」
「廻の分は冷蔵庫に入っているよ」

 あーんとなまえに口を開けておねだりする廻に、優は苦笑いして言った。
 なまえはいいよと言うように、ケーキを乗せたフォークを口に持っていく。

「んまっ♪手洗ってくる〜!」

 リュックやらコートやらその場に放り投げ、ドタバタと洗面台に向かう廻の姿に、二人は顔を見合わせて笑った。

「廻のお気楽ぶりをなまえちゃんに少し分けてあげたいわ」
「あはは」

 本人的には悩まないところが自分の短所だと思っているらしいけど、それは立派な長所でもあるとなまえは思う。


 ――提出期限の一日前に、なまえは進路希望調査票を提出した。
 両親とも話しあって、最終的に決めた進路。


 きっと、今なら胸を張って廻に言える。


「あのね、廻」

 部活が終わって帰り道。なまえは話したいことがあると廻に言うと、真剣なその様子に、廻も同様に耳を傾ける。

「私、廻と同じ高校には行けない」

 なまえの口から出た言葉に、廻は驚くように眼を見開いた。

「……どうして?」

 廻の口から当然のように出たのは疑問。

「ずっと、好きなことがあって頑張る廻がかっこいいって思ってたし、尊敬してた。でも、同時に好きなこともやりたいことも、将来の夢もない自分に、引け目を感じてたって気づいたの」

 出会った時に「おれのお嫁さんになってよ」と、将来の夢をくれた廻の言葉は今でも嬉しい。

 だからこそ、その言葉に縋ってはいけない。

「それって、まだ見つけてないだけかも知れないよ」

 続いて俺も一緒に探すよ!と廻の言葉に、ありがとうとなまえは答えてから続きを話す。

「私もそう思った。だから……、これから好きなことができたり、やりたいことができた時のために、学歴だけはきちんとしておこうって……」


 ――進学校に通うことに決めたんだ。


 勉強は得意だしと笑うなまえに、なまえらしい選択だなと廻は思った。
 自分とは違い、地に足をつけたしっかりした考え方。廻だって、そんななまえを尊敬している。

(……そっか)

 今までずっとなまえは側にいてくれたから、それは当たり前のように思っていたけど、それは違うのだと廻は初めて気づいた。

「なまえが決めたことなら、俺、応援するよ」

 いつもみたいににっこり笑って廻はなまえに言った。
 本当は寂しかったけど、悩んでいたのは知っていたから、その決断は尊重したい。

 それに、別々の選択をしたとしても、この関係はきっと変わらないと――廻は信じている。


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