砂にえがいた世界一のサイン

『皆様、成田空港に着陸致しました。ベルト着用のサインが消えるまで、シートベルトをお締めになったまま――……』

 最後のアナウンスが終わり、着用のサインが消えた途端、飛行機内はガヤガヤと騒がしくなる。
 飛行機から降りる列が、渋滞のように通路にできた。

(忘れ物は大丈夫)

 座席回りを確認してから、なまえもその列に混ざる。
 入国審査では、帰国ということでパスポートを見せるだけであっさり終わった。

 次に預けた荷物の受け取りだ。

 ベルトコンベアーから荷物が流れてくるので、自分のカートが流れてくるのを待つ。
 流れてきたら、重いそれをよいっしょっと引き上げる。

 ガラガラとカートを転がしながら、なまえは人がまばらな広い通路を進んだ。

(お父さんが車で迎えに来てくれるって言ってたけど、もう着いてるかな?)


 到着ロビーに着くと……


「おーい!なまえー!」

 声がする方へ顔を向ける。明るい笑顔が、まっさきになまえの視界に飛び込んだ。

「廻!」

 なまえは元気よく駆け寄る。
 三週間ぶり――廻と出会ってから、今までこんなに会わなかったことがない。

「おかえり、なまえ」
「ただいま、廻」
「なまえ、元気そうでよかった」
「廻も元気だった?」

 笑顔で久しぶりの再会を喜ぶ二人に、
「お父さんもいるんだけど……」
 ささやかな声が響いた。

「あ、お父さんただいま」
「とりあえず、なまえが元気に無事に帰ってきてくれて安心したよ」

 娘の帰国に車で迎えに来た父と、廻はなまえに早く会いたいとその便乗だ。
 なまえ父はなまえから代わりにカートを受け取り、三人で駐車場へ向かう。

「外は暑いねー」
「向こうは涼しかった?」
「気候的には。でも、急にすごい雨が降ってきたりもしたよ」

 そんな会話をしながら、なまえと廻は車の後部座席に乗り込んだ。
 お母さんがご飯作って待ってるからお昼は家で食べようと、なまえ父は自宅へと車を走らせる。

「あ、なまえ。絵はがきありがとう!ちゃんと誕生日に届いたよ」
「よかった!直接言うのが遅くなっちゃったけど、誕生日おめでとう、廻」

 ちょうど廻の誕生日の8月8日は、その頃にはアイルランドにいたので、なまえは向こうの景色の絵はがきをバースデーカードとして廻に贈った。

「海外から郵便って届くんだね!」

 遥か海の向こうからバースデーカードが届くなんて、廻は思いもよらない。

『おかえり、廻。なまえちゃんから絵はがき届いてるよ。よかったね』
『え、なまえから……?』

 優からそう受け取った瞬間、ドキドキしてワクワクした。

 とびっきりのバースデープレゼント。

 直接じゃなくったってかまわない。なまえからの思いが嬉しい。
 絵はがきは、廻の部屋に大切に飾ってある。

「留学、楽しかった?」
「うん!不安も緊張もしたけど、外国の友達もできたし……。あ、サッカーの試合も撮ってきたよ!」

 なまえはスマホを横にし、一部試合のムービーを廻に見せる。

「この選手、ずば抜けてうまいね」
「やっぱり見るとわかるんだね。この選手、今注目の選手なんだって」


 ――父も久しぶりの娘と会話をしたかったが、真面目に向こうのサッカー談義をする二人を、今は優しく見守った。


 ◆◆◆


 なまえが短期留学から帰って来て、数日後。

 日本の夏はやっぱり暑い。

 窓の外からは、すでに眩しい太陽の光が差し込んでいる。
 真っ青な空に入道雲と、朝から元気よく鳴いている蝉。
 暑くても、日本の夏が好きだなとなまえは思う。

 今日はもっと暑くなりそう――

 日焼け止めを念入りに塗ってから、なまえは家を出た。

『ねえ、なまえ。残りの夏休みはいっぱい遊ぼう♪さっそくだけど、海に行かない?』

 そう廻に誘われて、てっきり電車で行くのかと思ったら……

「ヘイ!彼女〜乗ってかない?」

 ママチャリに跨がった廻が、家の前で待っていた。
 その台詞に笑いながら、なまえは廻に尋ねる。

「廻、自転車なんて持ってたっけ?」
「友達に借りてきたんだ!なまえと自転車に乗って海に行きたいと思って♪」

 中学のときの仲のいい友達から借りたという自転車。
 廻は「なまえ乗って」と、後ろに乗るように促す。
 確かに近くの海へは、自転車で行けない距離ではないけど……。なまえはいつだって、廻の行動力に驚かされる。

 後ろの荷台に、なまえは横向きに座った。

「ちゃんと掴まってないと危ないよ?」

 遠慮がちに掴まっていた手だったが、廻にそう言われ、腰に手を回すように掴まる。
 ……ちょっと照れくさい。

「そうそう、そのままね!じゃあ、しゅっぱーつ!」
「わっ」

 ゆっくりペダルを漕ぎ始めた廻。動き出した自転車。

 自転車の二人乗りは初めてだ。なまえはドキドキする。

 しばらくすると、自転車はスピードに乗って、街を走り抜けた。

「どうどう?乗り心地は?」
「楽しい!それに風も気持ちいい!」
「へへっ♪でも……」

 急に自転車のスピードが上がる。

「下りはもっと、楽しいよ――!」
「わぁー!」

 坂を勢いよく下る自転車。

「でも、安全運転で行くから安心して」

 曲がり角などは注意して、慎重に廻は曲がる。
 住宅街を抜けると、道路を渡り、今度は坂を上り、川沿いを走った。
 ここをずっと下流に進めば、やがて海につくだろう。

「廻、疲れてない?」
「このぐらいで疲れないよ」
「でも、この暑さだし、途中で休憩しようね」

 廻、汗ぐっしょりだし――汗でTシャツが張り付いたその背中を見て、なまえは言った。

 ちなみに廻が今着ている鮮やかなグリーンのTシャツは、なまえからのお土産だ。
 アイルランドサッカーを観戦しに行った際、ショップで買ったもの。
 普段着ない色だけど、似合っているとなまえは思うし、廻も気に入っている。

「あっごめん。俺、汗臭いかも」 
「全然。制汗剤?シトラスのいいにおいがする」
「……ならよかった♪」

 なんかちょっと恥ずかしいな、と廻ははにかむ。

「アイス食いて〜」
「あはっ、私も」

 どこか途中でコンビニに寄ろうと二人は決めて、廻は順調にペダルを漕いだ。


 ◆◆◆


「涼しい〜」
「マジ天国〜」

 コンビニの自動ドアを抜けると、ガンガンに冷えた店内が二人を迎える。
 地上の楽園を堪能しながら、体が冷えたところで、二人は飲み物やアイスを買った。

「――ぷはぁっ。生き返る〜!」

 炭酸水をごくごく飲んで、気分爽快。
 そんな廻を見て「炭酸水のCM出れるよ、廻」と、なまえは微笑む。

「なまえ、アイスなにしたの?」
「さっぱり系食べたかったから白くまアイス。廻、パイナップル食べる?」
「食べたい!」
「ちょっと待ってて」

 蓋を開けて、プラスティックのスプーンでその下の部分も一緒にすくうと、廻の口に持っていく。

「うまっ♪」
「廻はスーパーカップ?」
「うん、なまえもどーぞ」

 廻が木のヘラで多めにすくったアイスを、なまえもぱくりと食べた。バニラの味が口いっぱい広がっておいしい。
 コンビニ前でたむろするように、アイスを食べながら二人はしばしの休憩。


「糖分もチャージしたし、行きますか!」

 海まで残り、半分ほどの距離。

「そういえば、なまえって自転車乗れんの?」
「いくら運動苦手だからって、自転車ぐらい乗れるよ!」

 小さい頃、家族でサイクリングに行ったこともある。それを廻に話したことも。
 不満げに唇を尖らせるなまえに、廻は(怒った顔もなまえは可愛いんだよなー)と、気にもとめず笑顔だ。

「なまえが自転車乗ってんの見たことなかったから」
「じゃあ今度は私が漕ぐ」
「大丈夫?」
「大丈夫!」

 自信満々になまえは言って、サドルに跨ごうとして……。

 …………ちょっと高い。

「廻!サドル下げて!」
「はいはい♪」

 ちゃんと足が地面につかないと怖いらしいなまえに、廻は笑いながら下げてあげる。

「じゃあ後ろ乗って」

 今度はちゃんと、自転車のサドルになまえは跨がった。
 廻はなまえと背中合わせになるように、後ろの荷台に座る。

「廻、後ろ向きでこわくないの?」
「ぜーんぜん」
「じゃあ出発するよ」

 なまえは前を見据えて、一歩目のペダルを踏んだ。

「ねーなまえーフラフラしてるけど大丈夫?」

 背中越しに、廻がけらけら笑っているのが直に伝わる。

「大丈夫ー!これから安定するから!」

 やがて自転車は安定して、風を切って走っていく。

「ほらほら、ちゃんと自転車漕げてるでしょ!」
「それぐらいでドヤ顔されてもね〜」
「なんで見えないのにドヤ顔ってわかるのー!」
「だってなまえのことなら、見えなくても俺わかるもん」

 風に乗って聞こえた言葉に、なまえの頬は自然に緩んでしまう。

「じゃあ、今どんな顔してるかわかる?」
「すっごく嬉しそうな顔っしょ♪」
「はずれ。正解は「雨って何味かなぁ?」の顔だよ」
「ちょっ、それどんな顔!?」
「っ廻動かないで!」

 ぐらりと自転車が横に大きく揺れた。
 危なかった〜となまえは笑い、廻も笑う。

「「雨って何味かなぁ?」って、もしかしてこんな顔?」
「そうそう、そんな顔」
「なるほど〜こんな顔か〜って、なまえ、テキトーすぎ!」
「私だって、廻のことは見えなくてもわかるもん」

 それ以外は順調に、海を目指して自転車は走る。
 額から流れる汗が、目に入りそうになって、なまえは手の甲で拭う。
 汗をかくのはあまり好きじゃないけど、風を感じてるせいもあり、今は気持ちいい。

「廻、乗り心地はどう?」
「大変ようござんす!」
「何語?」

 不思議に思いながらクスクス笑っていると、カシャっとシャッター音が響いた。

「なにか写真撮ったの?」
「いい感じの入道雲と景色。あとでなまえにも送ってあげるね!」
「楽しみ」

 背中合わせに会話をしながら、前方に現れた坂道に、二人は自転車を降りた。
 さすがに廻を乗せて、なまえは長い坂は上がれない。
 坂上がったら俺と交代ね、自転車を押すなまえに廻は言う。

 そして二人はバトンタッチ。

「その前に、なまえもちゃんと水分補給しなきゃ」

 廻は自身の炭酸水をなまえに渡す。ちょっと温くなっているけど、シュワシュワとなまえの喉を潤した。

「すごい汗かいたー!顔が熱い」
「なまえ、俺に照れる以外で顔赤いなんて珍しいね」
「そ、そんなことないよ!」

 ……いや、そんなこともあるかもしれない。なまえはちょっとそう思った。
 汗拭きシートでお互いさっぱりして、再びなまえは荷台の上を横に座る。

 サドルも元の高さに戻して、


「ラストスパート!」


 廻は力強くペダルを踏んだ。


 ◆◆◆


「――なまえ!海見えたよ、海!」
「すごい!綺麗!」

 道の先、キラキラと光る青い海が二人の視界に飛び込んだ。あともう少しの距離だ。

「あーなんかお腹すいてきたかも!」
「ちょうどお昼の時間だし、ご飯にしよう。廻、なに食べたい?」
「んー肉!」
「あは、いいね!」

 たくさん動いたし。

 レストランでがっつりのお肉を食べて、お腹いっぱいになった二人は、浜辺へと向かう。
 夏真っ盛りに、水着姿の海水客も多い。

 二人もサンダルを脱いで、波打ち際で遊ぶ。

「水が気持ちいいー!」
「ねー見てなまえ!ワカメ捕まえた!」
「あははっ、それ昆布じゃない?」

 昆布でもないかもしれない。廻がなにかの海草を捕まえたのは確かだ。
 
「えいっ!」
「きゃっ……水かけるのはなしだよ、廻!」
「なまえだって今かけたじゃん?」
「廻が先にやってきたからやり返したの」

 恋人たちがよくやる(?)水のかけ合いをしっかりやる二人。

「風が出てきたからかな?なんか波が高くなってきたね」
「おわっ濡れる濡れる!なまえ早く!」

 大きな波が打ち寄せてきて、届かない砂浜まで慌てて退避する。

「……あ」
「ん、なんかあった?」
「綺麗な貝殻見つけた」
「いい感じの貝殻だね!俺も探そーっと」

 次に二人は、砂浜で貝殻探し。

「あ、そうだ。ねえなまえ。俺、サイン考えたんだ」
「サイン?」
「なまえ、クリス・プリンスからサインもらったっしょ?俺も将来サインを描くときのために、考えてみたんだ♪」

 廻は手頃な棒を拾うと、波がさらうぎりぎりのラインに、大きくサインを描いていく。

 ば、ち、ら、め、ぐ、る――
 
 ひらがな。かわいい。その時点でもうなまえは胸がきゅんっとなったが、最後の「る」は大きく左に伸びていって……

「あ、蜂の絵!」
「うん、よくアイドルとかサインにマーク描いたりするじゃん?そんな感じ!」

 蜂楽の「蜂」

 るの先を繋げて描いたシンプルな蜂の絵。
 ……かわいい。すごくかわいい!

「でも、本当はうにゃあ〜ってかっこよく書きたいんだよね」

 うにゃあ……?

「あ、筆記体?」
「たぶん、それ」
「いや、廻。すごくこのサイン廻らしくていいよ!かわいいし!これでいこう!!」
「え、そう?」

 あまりに熱意を込めて言われたので、廻はちょっとびっくりしたが「なまえが言うなら」と、このサインに決めた。


 "蜂楽選手のサインは可愛い"


 そんな風に評判になるのは、まだ少し先の未来――だが。

 サインはすぐ描くことになった。

「廻選手、サインください!」

 ショルダーバッグから取りだした手帳とペンを、廻に差し出すなまえ。

 廻の口元が、優しく綻ぶ。

「……俺のサインをあげる第一号は、なまえだね」

 手帳とペンを受けとると、廻はスラスラと自身のサインをそこに描いた。

「はい、どーぞ!」
「ありがとう、廻!」

 クリス・プリンスのサインの隣のページに描かれた、可愛いサイン。
 並んで描かれたサインのように、きっと廻もクリスに並ぶようなトッププレイヤーの選手になる。

 いや、きっと追い抜かすかもしれない。

 少なくとも、なまえの中の世界一のストライカーは、


「将来、絶対価値だすから、大事にしといてくれ!」
「将来といわず、もう価値があるよ」


 自由奔放ドリブラーこと――蜂楽廻だ。





--------------------------
あでぃしょなる⚽たいむ!
#みんなのサイン


「潔のサイン、カッケー!」
「サンキュー。蜂楽のサイン、蜂のイラストがらしくていいな」
「へへ♪千切りんは疾走感あってオシャレだね!」
「まーな。ちょっと俺っぽく意識した」
「我牙丸は……サインへたっぴ!」
「こらー、人のサイン見て笑うな蜂楽」
「凛ちゃんは……」
「勝手に見んな(ぜってー見られたくねえ……)」
「えー恥ずかしがらなくてもいいのに」
「代わりにの、オシャなサインをその眼に焼き付けるがいい!」
「オシャさんはオシャって感じのサインだね♪」
「ぼ、僕のサインはそんなにすごくないから見ないで……!」
「じゃあ、次は國神きんにくん……」
「(ああ、でも!少しは見て欲しかったかも……!)」
「漢字だ!かっけー!」
「こだわってみたんだが……そう褒められると照れんな」
「玲王っちは御曹司っぽい!」
「蜂楽お前、テキトーな感想言ってんだろ」
「凪っちは……俺にも読める!」
「適当に書いたら玲王に直された」
「日本人ならサインは漢字で描くべきだ!これぞセオリー。……合ってる?」
「合ってんけど合ってねえ。英語で描けねえだけだろ?バカ斬鉄は」
「違うぞ、玲王!俺はうにゃあ〜という描き方がわからないだけだっ!」

 うにゃあ……?

「筆記体ね!」
「(よくすぐわかったな、蜂楽)」
「乙夜は……テンション高めな感じ?」
「アゲアゲ」
「お次は馬狼……にゃはっ、筆圧高めだ!それに演歌歌手みたい!」
「あ?なんか文句あんのか」
「逆に氷織んとゆっきーは柔らかい線って感じだね」
「筆圧ゆるめで描いたで」
「サイン一つでも皆の人柄がでるね」
「あー……土道とかね」
「センス爆発してね?」
「俺にはわっかんねー。烏さんのサインは……」
「どや、好きなだけ褒めてええで」
「鳥っぽいマークかっこいい!三つ編みくんのサインは……文字ちっさ!」
「そうか?」
「前髪くんもじゃん!」
「大きく文字を描くことに慣れてないんです」
「二人は雷市と足して二で割ったらよさそう」
「人のサインにケチつけんじゃねえ!」
「イガグリは…………なんでイガグリ(栗の絵)描かないの?」
「あぁん!?」


 ※オチ


- 27 -
*前次#

←back
top←