熱にうなされたせいにしよ

 年に何回かは風邪をひくなまえとは違い、廻が風邪をひくことは滅多にない。
 ひいても軽症。病気らしい病気もしたことがなかったので、看病やお見舞いという類いに、廻は憧れていた。

 そして、ついにその機会はやってきた……のだが。

「38度……。こんな熱出たの、廻初めてじゃない?」
「それ……人間の体温……?」

 風邪ってこんなに辛いものだっけ?もしかしたら別の病気じゃ……。
 あまりの辛さに廻はそう考えるが、ただの風邪だ。何故なら、学校でも流行っていて珍しく廻はもらっただけだから。

「ねえ、優……」
「なに?なんか食べたいものとかある?」
「俺、このまま死ぬかもしれないから……最後に、なまえに会いたい……」
「……。うん、大丈夫。廻、死なないから」

 優はそう答えたが、廻はうわ言のように「しぬー」と叫んでいる。
 初めての高熱で辛いのはわからないでもないが。やがて優は「はいはい」と答えて、なまえに連絡してあげた。


 ◆◆◆


「ごめんね、なまえちゃん。急に呼び出して」
「ううん。私も前に風邪ひいたときに廻が看病しに来てくれたし」
「それがね。廻、結構な高熱出ちゃって、死ぬ前になまえちゃんに会いたいって呻いててね……」
「……うちのお父さんと一緒だ」

 なまえの父も風邪や病気で寝込むと「もうだめだ……。死ぬ……」と、うわ言のようによく言っている。
 母いわく、男性は病気や痛みに弱く、対して女性は出産があるからその辺りは強いんだと聞いて、なまえはなるほどと思った記憶がある。
 滅多に寝込まないこともあり、廻も弱気になっているらしい。

 優から廻の好物の缶詰のパイナップルを皿に盛りつけてもらい、それを持ってなまえは廻の部屋へ訪れた。

「廻ー?入るよー」

 ノックと声かけをしてから、部屋に入る。

「なまえ……?」
「廻、看病にきたよ」

 赤い顔をした廻がこちらを向いた。それにとろんとした眼。見ただけで高熱があるとわかる。

「なまえ、俺死にそう……」

 開口一番。廻はなまえにそう言った。相当参っているらしい。

「死なないから大丈夫」
「もし、俺が死んだら泣いてくれる?」
「んー……泣くというか、後追うかも」
「それはダメ。なまえはちゃんと生きてくれなきゃ……」
「じゃあ、廻も死んじゃだめ。風邪治して、早く元気になって」
「……ん」

 そんなやりとりをすると、廻はちょっと気力が出たらしい。

「廻、缶詰のパイナップル持ってきたけど、食べる?」
「……食べる」

 食べやすいように廻は少しだけ上体を起こし、何も言われなくてもなまえは「あーん」と食べさせてあげた。

「おいしい?」
「おいしいけど……なんかちょっと、いつもと味が違う気がする……」
「風邪になると、味覚にも影響でたりするって言うしね」
「それ……こわくない?」

 不安そうな廻に「風邪が治れば、元に戻るから大丈夫」と、なまえは安心させるように笑顔で言う。
 水は飲む?冷えピタ変えよっか?
 以前廻がやってくれたように、なまえも甲斐甲斐しくお世話をする。

(風邪、ひいてよかったかも……)

 憧れだった看病をなまえからしてもらい。あんなに苦しんでたのに、あっさり廻はそう思った。

「他には?してほしいことある?」

 眠るまで手を握ろっか?というなまえに、廻はその手を握ると、自分の方へ引き寄せる。

「じゃあ、添い寝して?」
「添い寝……?」
「俺が寝るまででいいから……」

 うぅ……。弱った廻に、潤んだ眼をして言われて、断れる意志の強さはなまえにはない。

「じゃあ……寝るまでね」

 かけ布団をめくると、廻は壁側に身体を寄せて、なまえが寝れるスペースを作る。
 そこに忍び込むように布団の中に入った。

 もうすでに、ドキドキしている。

 廻と同じベッドで並んで寝るなんて、確か小学生の時の、台風の日のお泊まり以来だ。
 あの時のことも、今思い返せばなかなか恥ずかしい。

「……ねえ、なまえ。こっち向いて」

 近い距離で耳に届く、廻のちょっと掠れた声。
 仰向けに寝ていたなまえが、横を向けば……。思った以上に、廻と顔が近かった。
 眼を合わせられず下がる視界に、廻の唇が動いた。

「こっち、見て」

 その言葉に、おずおずとなまえは視線を上げる。
 廻の熱っぽい眼は、風邪のせいだけじゃないと、なまえにもわかっている。

「風邪、うつしてもいい……?」

 その意味を考えて……やがてなまえはゆっくりと口を開く。

「いいよ……」

 言い終わるや否や、熱い息と共に唇を押しつけられた。

 廻の唇、熱い――。

 廻が高熱だということが、おでこに手を触れた時よりも重ねた唇から伝わってくる。

 頬を片手で包み込まれ、噛みつかれるようなキスは、初めてだった。
 戸惑いながらも、なまえはされるがままに受け入れる。

「なまえ……俺のこと、好き?」

 眼を開けると、いつの間にか覆い被さるように、廻の真剣な顔がそこにあった。
 その表情を見上げながら、なまえは廻に言う。

「……好きだよ」
「俺も、……好き」

 だから――もっと触れ合いたいと思うのは、きっと自然なことで。
 縮まる距離に眼を閉じる。再び重なる唇は、それだけでは終わらなかった。

「……っ」

 廻に唇を舐められたと思えば、そのまま舌が唇を割って入り、口内へと伸ばされる。

 唇よりもずっと熱かった。

 熱を持った自分以外の感触に驚く間もなく、一気になまえの体温が急上昇する。

 まるで、廻の体温が移ったよう。

 口の中を熱い舌でまさぐられ、舐められ、蕩けそう。
 お互いの口から漏れる息も熱い。

「っ……なまえ……」

 とろんとしたなまえの眼に、照れてる廻の表情が映る。高鳴る胸がときめいた。

「……いい?」

 なんの「いい」かわからないけど、なまえはこくりと頷いた。

 甘酸っぱい香りが鼻を擽る。

 さっきも感じた、絡んだ舌からの甘い味。
 それは、廻がついさっき食べていた――……

「……っ!」

 そこまで思い出して、夢見心地だったなまえの意識がはっきりする。
 今なにをしていて、なにをしようとしているか……ありありとリアルに感じてしまい、一気に羞恥心が襲ってきた。

「……っま……待って、廻……」

 そして次に、理性が働く。廻は風邪をひいているし、今は安静にしてないと!

 なまえの制止をお構いなしに、廻の顔はその首筋に埋まる。「んっ……」触れた唇の感触に、変な声が出てしまった。なまえは自分に動揺する。

 ……急に、ずしりと重くなった。

「……廻?」

 覆い被さっていた廻が、こちらに身体を預けてきたからだ。
 待ってみても、呼び掛けに返事はない。

 ………………

(寝てるし……!!)

 衝撃的過ぎる。この状況で!?寝るんだ!?
 いくら廻でも…………いや、ありえた。
 現に廻はすーすーと眠っていて、寝息が首筋に当たり、くすぐったい。

「…………はあ」

 なまえは重いため息を吐きながら、天井を仰いだ。
 結果的にはこれでよかったんだろうけど。

(……もう、危うく流されそうになったんだからね)

 いや、なまえは完全に流されていた。

 とりあえず、上に乗っかている廻を退かそうとするも……
(お、重ーい!)
 現役高校生男子を、ましてや意識がない人間を退かすのに苦労する。

「……おやすみ、廻」

 やっとベッドから脱出したなまえ。健やかな寝顔に、熱に魘されてなくてよかったと思いながら、その頬に軽くキスをした。

「早く元気になってね」


 ◆◆◆


 その後、潜伏期間を得て――案の定というか、なまえは安定の風邪をひいた。

「でも、なまえの症状が軽くてよかった」
「うん。廻みたいに高熱は出なかったし」

 お見舞いに来ていた廻が、ベッドで上半身を起こしているなまえに言う。
 廻はというと、あの翌日からすっかり元気になっていた。

「人にうつすと治るって本当かも」
「そうかもね」

 あながち迷信ではないかも知れないと、なまえも笑った。
 すると、廻は何かに気づいたように口を開く。

「じゃあ今なまえとちゅーしたら、今度はまた俺が風邪ひくのかな?」
「……なにその風邪のいったりきったり」

 続けて無限ループになる?と、疑問を浮かべる廻に「廻、やめよう」となまえはぐったりした感じで言う。

「でもでも、俺、あのとき味覚変だったから、なまえの味よくわかんなかったし」
「!?(私の味ってなに……!?)」
「試してみない?なまえが看病してくれるなら、俺また風邪ひいてもいいよ♪」
「試しませんっ」
「風邪、早く治るかもよ?」


 ベッドの上での小さな攻防戦。治りかけの風邪だったのに、むしろなまえの熱はちょっと上がった。


(これがなまえの味ね……覚えちゃった♪)


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