悲しみの行く末

 その光景は、一瞬にして二人の心を引き裂いた。

 緑豊かな木々は燃やされ、荒れ果てた大地にはまだ残っている火種が燻っている。
 建物は無惨に破壊され、原型が分からない。


 そして、そこには誰一人いなかった。


 ここが、のどかで美しいイシという村だと――誰が信じるだろう。
 
「そ……んな……」

 ユリは絶句して、口を両手で覆った。
 微かに漏れた言葉は掠れて乾いた風にかき消される。

 だって、たった今まで。エルシスと――

「まったく、ひでえことをしやがる!勇者を育てた村というだけでこの仕打ちかっ!?」

 カミュが怒りを露にして吐き捨てるように言ったが、彼の耳には届かなかった。

「はは……嘘だよ」

 乾いた笑いが、彼の口から出たのは、この光景が信じられないから。

「だって、さっきまでイシの村にいたんだ……。みんな、いつも通りで……!」
「……エルシス。ショックなのは分かるが……」
「カミュはいなかったから知らないんだ!!」

 カミュの静かな声を、エルシスの叫び声がかき消した。

「ユリは一緒に見てたからわかるよね!?さっきまで……、みんないつも通り暮らしていた。母さんは僕の好物のシチューを作って、エマはスカーフを木に引っ掛かって泣いてた……けど……」
「………っ」 

 ユリはただ静かに、涙を流す。

「僕と……楽しそうに遊んでた…っ!ねえ、ユリ……これは何かの間違いだ。僕らは悪い夢でも見てるんだっ……!」

 エルシスも、泣いていた。

 すがるようにユリの華奢な肩を掴む。
 カミュは再びエルシスを宥めるか迷って……口を閉じた。

「お願いだ……そう言ってくれっ……覚めてくれ……。……そうじゃないと……こんなのっ、あんまりじゃないか……ッ!!」

 今まで圧し殺してきた感情が弾け跳んだような声。
 エルシスは崩れ落ちるようにその場に膝をつく。

「……エルシス……っ」

 今度はユリがエルシスの肩を抱き締めた。エルシスは嗚咽を漏らしながら、はあはあと肩で息をする。

「…………エルシス。行こう。つらいのはわかるが、ここに留まるのは危険だ」

 エルシスの息が整ったのを見計らってカミュは声をかけた。
 何の感情も見えない単調な声だ。

「……………」
「デルカダール兵も、お前が戻ってくることぐらい考えている。いつ、奴らがここに現れるかわからない」
「……………」
「お前は生きなくちゃいけない。生きて、前に進むんだ。ここいても何も始まらない」
「………それは、僕が勇者だから?」

 顔は俯いたまま、エルシスは掠れた声でカミュに聞き返す。

「違う。勇者の前にお前は人だろう?人なら歯食いしばって、つらくても惨めでも、生きるんだ。生きてる限り、生き抜くんだ……」

 先ほどと声色は変わらないのに、カミュのその言葉には優しい響きがあった。
 ユリはその言葉を聞き、自身の涙を拭う。決意するような仕草だった。

「エルシス、行こう」

 ユリはエルシスを立ち上がらせる。

「あのね、カミュ……。私たち、たぶん大樹の力で過去のイシの村に行ってたの。エルシスのおじいさんに会って、事情を話したらイシの大滝に行くように言われた」
「そうか……。不思議なもんだ」

 その話を聞いて、カミュはエルシスに言った。 

「お前にはきっと、この根を通じて過去を見るチカラがそなわっているんだな……。村にある根が光って、お前に過去を見せたんだ。それほどじいさんが残した伝言は、お前にとって大切なことだと思うぜ」
「……そう…だね……。イシの大滝に、行こう。案内するよ――」

 弱々しくだが、二人に作った笑顔を見せてエルシスは言う。

 無理やり作ったそれに、ユリは胸を痛ませながら、カミュと共にエルシスについて行った。

 
「私は旅の神父。デルカダールで不穏なウワサを耳にし、駆けつけたのですが、ひと足遅かったようです……」

 そんな三人に話しかけたのは、一人の神父だった。この惨劇を目にし、悲痛な面持ちを浮かべている。

「……悪魔の子を育てた、罪深き村を裁きの炎によって浄化したと、デルカダール王さまはおっしゃいました。しかし、この光景を前にしてまことに罪深きはどちらか私にはもはやわかりません……」

 やがて、エルシスが静かに口を開く。

「旅の神父さん。僕はこの村の出身でした。村の住人はどうなったのかわかりませんが……これでは……。……もし、良ければ祈っていただけませんか。彼らと、この荒れ果てた大地に……」

 エルシスの言葉に、重々しく神父は頷く。

「ええ、私で良ければ…喜んでお受けいたしましょう」

 慈悲深い声だった。

「この大地と民――あなた方の旅路に神のご加護があるように……。焦ってはなりません。疲れた心と身体を癒しながら、旅を続けなさい」

 神父からの思いがけない言葉に三人は驚いた。
 もしかしたら、彼らを見て何かを察したのかもしれない。
 予期せぬ暖かな言葉は、少しだけ三人の心を癒してくれる気がした。

「……ありがとうございます」

 エルシスは神父に深く頭を下げた。
 それに続きユリとカミュも軽く頭を下げ、前へ進むエルシスに続く。

 夕陽に照らされながら、三人は黙々と足を前に進めた。


 イシの大滝に着く頃には辺りは暗く――……

 そこはその名の通り、五つの滝が並ぶ雄大で美しい場所だった。
 清らかな空気が漂っているせいか、魔物の気配はない。

 ユリはここに来るのは初めてだった。
 滝の音に混じり、虫達の声が夜を奏でる中――エルシスはテオに言われた通り、三角岩の前をスコップで掘り起こしていた。
 その彼の手元を、カミュが簡易ランタンで照らす。

「………あった」

 長方形の箱が顔を出した。
 持ち上げ、エルシスは蓋を開ける。

「――手紙か。ひとつはかなりボロボロだな」
 上からカミュが覗き込んで言った。
「二人とも、一緒に読んで欲しい」

 エルシスの言葉に二人は頷き、左右から覗き込む。
 エルシスは手紙の封を開けた。

 淡いランタンの光に照らされた文字は、繊細で美しく、女性の文字だろうか。
 綴られている文字を読む。
 エルシス――そう自分の名前から始まる手紙は、

「……………。どうやら、お前の母親の手紙のようだな」
「……うん。僕を産んでくれた、母からの手紙だ」
 
『あなたがこの手紙を読めるようになった頃、私はもうこの世にはいないでしょう。
 あなたが生まれてすぐ、故郷のユグノアの地が魔物に襲われました。
 私はあなたを逃がすので精一杯でした。
 いいですか、エルシス。心ある人に拾われ、立派に成長したら、ユグノアの親交国であるデルカダールの王を頼るのです。

 あなたは誇り高きユグノアの王子。

 そして、忘れてはならないのが、大きな使命を背負った勇者でもあります。
 勇者とは大いなる闇を打ちはらう者のこと。いずれ、この言葉が何を意味するのかわかる時が来るでしょう。
 エルシス……。一緒にいてあげられなくてごめんなさい。
 無力な……母を 許し……て……』
 
 最後はやっとそう読み取れるような歪むような字だった。……魔物に襲われるなか、急いでこの手紙を書き起こしたのかもしれない。

 読み終わると、エルシスは愕然とした。
 母の最後。自身の出世や勇者について。
 頭も心も追い付かない。

「………そっちの手紙はどうだ?」

 ぼろぼろの手紙をいつまでも見つめるエルシスに、カミュが声をかけた。
 カミュに言われ、初めてその存在に気づいたようにエルシスはもう一つの手紙を手に取る。
 まだ真新しい紙の、その封を切った。

「……これは、おじいちゃんからの手紙だ……」

『親愛なる孫 エルシスへ。
 未来から来たお前に出会った後、わしは約束通り、お前の道しるべとなる物をここに埋めておいた。
 母親の手紙はもう読んだかのう?
 あの手紙はお前が流されてきた時、一緒に入っていた物じゃ。
 わしはあの手紙にしたがい、お前をデルカダール王国に向かわせたが、つらい思いをさせたようじゃの。
 なぜユグノアの地が魔物に襲われ、勇者が悪魔の子と呼ばれているのか……。
 わしには見当もつかんかった。
 なれば、真実は自分の目で確かめるしかない。
 東にある旅立ちのほこらの扉を開けるまほうの石をお前にさずけよう。
 それを使って世界を巡り、真実を求めるのじゃ。
 お前が悪魔の子と呼ばれ、追われる勇者となったすべての真実を……。

 エルシスや。
 人を恨んじゃいけないよ。
 わしはお前のじいじで幸せじゃった』
 
 人を恨んじゃいけないよ――最後に綴られた言葉は、過去でテオがエルシスに向け、最後に贈った言葉でもあった。

(人を恨んではいけない――。なら、僕は………)

 エルシスは一番下に入っていた青い石を、手に取る。

「………雨が」

 ぽつりと頬に当たったそれに、手のひらを差し出しながらユリは空を見上げた。

「まずいな。本降りになる前に移動するぞ」
「でも、どこに?」
「この先のデルカコスタ地方のキャンプ地だ」
「カミュは場所がわかるの?」
「だいたい検討はつく」

 二人のやりとりがエルシスにはどこか遠くに感じる。

「行こう、エルシス」

 ユリに促され、二つの手紙と――まほうの石を失くさぬよう、腰のポーチにしまってから二人の背を追った。


 三人は足早にこの地を後にする。


「ユリ、せいすいを撒いとけ。魔物の相手をしている暇はねえ」
「わかった…!」

 ユリはカミュに言われた通りに自分たちの周りにせいすいを振り撒く。
 先頭を歩くカミュは簡易ランタンの淡い光を頼りに、夜の平原を進んだ。

 キャンプ地は旅人のために作られた安息の地だ。
 必ず側に水を確保できる井戸があり、立地がいい考えられた場所に作られているため、大まかな場所を特定するのはさほど難しくはない。(南側は海だ。なら離れた陸地、東の方……岸壁沿いに歩いてみるか)

 今はまだ雨足は弱いが、強くなる前に着きたいもの。

「……エルシス?…大丈夫?」
 ユリは隣を歩くエルシスを気にする。
 ふらふらとした足取りだ。起こった出来事に当然だと思うが、少し様子がおかしい。

「あつい……?エルシス、熱がっ」
 ユリはエルシスのおでこに手を当て、彼の体調不調に気づいた。
「……大丈夫だ。少し疲れて……」

 急に意識が朦朧とする――……。
 ふらつくエルシスの身体を、ユリが抱き止めた。

「ごめ、ん……、…」

 その言葉を最後に、エルシスは意識を手放した。

「ユリ、こいつを持て」
 カミュはユリにランタンを押し付けると、エルシスを背負おうとする。

「カ、カミュ……」

 体格差に大丈夫かと心配になるが、だからと言って自分が代わりになることもできないので、ユリは見守るしかない。

 ………やはり重そうだ。カミュの顔がそう言ってる。

「……ったく。こいつ、顔のわりに体格良いからな……何食ったらこんなに育つんだよ……」
「シチューじゃないかな。牛乳って背が伸びるって……」
「…………………」

 ユリはカミュの疑問に答えただけであるが、バカ真面目に言う分達が悪い。言い返そうとして、今は無駄な体力を使うべきではないとカミュは口をつぐんだ。

「――カミュ。あの辺り、魔物が少ないみたい。もしかして……」
「ああ、女神像の加護かも知れねえ。急ぐぞ」

 だいぶ雨も強まって来た――カミュはエルシスを背負い直し、足を早めた。


 無事キャンプ地に着くと、そこには先客がいた。


「お、こんな所で旅人さんとは珍しい。遠慮しないで入ってくれ。おれたち雨宿りしてるだけだから、上がったらすぐ出てくし」

 旅の商人たちだった。
 まだ若い彼らは、軽いノリで三人を迎え入れる。
 雨の対策に、焚き火の上に天幕が張られており、カミュとユリはその中に入った。

「邪魔するぜ」

 こういった出会いも旅の途中ではよくあるもの。二人はまずは、エルシスを横に寝かせられるよう準備する。

「お仲間さん、大丈夫かい…?なんと熱がっ!薬は持ってる?それなら安心だね。なら、このとっておきの栄養ドリンクを起きたら飲ませるといい。飲むと身体がポカポカして元気になるよ。ただ、ほらぁ、こちらも商売だからさ。10ゴールドでどうだい?格安サービスだよ」

 若い商人の調子のいいセールストークに「ちゃっかりしてるぜ」と言って、カミュはゴールドを投げた。

 商人は器用にそれをキャッチする。

「毎度ありぃ!そちらのお嬢さんは美人だからサービスでタダであげちゃう」
「あ…ありがとうございます」

 ユリはドリンクを二つ受け取った。

「おいおい、さっき20ゴールド渡したんだ。一本タダなら10ゴールド返せよ」
「もう10ゴールドはあんちゃんの分だよ。見たところあんちゃんは元気そうだけど、だからって無理しちゃだめだぜ。これ飲んで休んどきな」

 そう言って今度は商人がドリンクをカミュに投げる。カミュはばしっとそれを受け取り、やれやれと口を開く。
「とんだお節介な商人だな」
 その言葉に、他の二人の商人もにっと笑った。

 ユリは眠るエルシスのおでこに、水に浸したタオルを置いた。
 横になり、彼も落ち着いたのか、今はすやすやと眠っている。
 それを見届けると、ユリはカミュの隣に腰かけた。

「……やけに甘いな、これ」
 先ほどもらったドリンクを一口飲んで顔をしかめるカミュ。
「ハチミツで味付けしてあるからな。あんちゃんは甘いものニガテなのか」
 ユリもドリンクに口をつけた。
「……甘くておいしい!」
「お嬢さんに喜んでいただけたならばなによりです」

 若い商人の芝居かかった口調に、他の二人がおかしげに笑う。
 なんとも賑やかな者たちである。

「他に欲しい物があれば売ってやるから言いな」
「デルカダール神殿への帰りだから良い品物は仕入れてあるんだ」
「デルカダール神殿……?」

 その言葉にカミュが反応した。

「ああ、一年ほど前だったか?デルカダール国の秘宝とも云われるレッドオーブを盗み出したとんでもねぇ大バカ野郎がいてさ」
「(大バカ野郎……!)」

 その単語に思わず飲んでいたドリンクを吹き出しそうになったユリ。
 そのとんでも大バカ野郎は彼女の隣に座っている。
「…………」
 若干カミュは気まずそうに目を伏せた。

「そいつは結局捕まり……あ、最近脱走したらしいけど。まあその後レッドオーブはこの近くのデルカダール神殿に移されたんだ。盗まれた経緯もあって兵士の数を増やしてさ。食料なんかは城から輸送されるけど、嗜好品なんてもんはないから、売りに行くとこれが良い稼ぎになるんだ」
「ふぅん」

 厳重に警備されているというデクの情報通りか。(どうやって侵入するかな……)

「兵士たちも大変だな。その大バカ野郎のせいで仕事が増えて」

 少しでも商人達から情報を聞き出したく、カミュは会話を続けた。

「つっても、兵士の数を増やしただけで警備は手抜きだったぜ」
「そうそう、居眠りしてたやつもいたよなー」
「こんな辺鄙な場所だから上司からの目は届かないし、なんにもなくて不便だけど、案外気楽に働けるのかもなっ」

 彼らは無邪気に笑う。

(侵入は案外簡単そうか……?兵士たちの目を掻い潜る方法を考えねえと)

「――で。あんちゃん達はどういう関係なんだい?男二人に女一人の旅人って珍しいよな。そういえば、デルカダールを脱走した囚人たちも……」
「ああ、オレたち、デルカダールの孤児院育ちの幼馴染みなんだ」

 いつか来るであろう質問に、最後まで言わすまいとカミュは口を開く。
 横で明らかにユリがぎくっとしたのにはもちろん気づいて。

「それで、こいつこんな見た目だろ?貴族のヘンタイに見初められちまって、それがまぁまた金に物言わす粘着質な野郎でさ。それで、三人で逃亡中ってわけさ」

 すらすらとカミュの口から出るでたらめ話にユリは驚く。
 本当にこの作り話で騙せるのだろうか。

「うぁー!なにその波乱の逃亡劇!!小説の主人公たちみたいじゃんっ!」

 ……どうやら信じたようだ。

「そんなことあるんだな。そりゃあ災難だったな」
「ああ、だからここでオレたちに会ったことを誰かに聞かれたら他言無用にしといてくれ」
「商人は口が堅いぜ。商売は信頼が大事だ。まかせときな」
「確かに姉ちゃん、美人だし可愛いよな…。近くで見れば見るほど……」
「おい、やめろ。こいつに近づくな」
「はは。あんちゃん、このお嬢さんの騎士さまみたいだな。実は恋人同士?」
「えっ?」
「あ、それとも後ろの彼かい?甲斐甲斐しく世話してたもんな」
「おら、雨が上がったぞ。早く行っちまえ」
「ひでえ!」

 口ではそう言いつつ商人たちは楽しそうだ。
 彼らは手際よく出発の準備を始める。

「良かったら鍋の残りは食ってくれ。特製魚介スープだよ」

 彼らは近くの桟橋に船が停めてあるらしく、雨が降って商品を濡らさぬよう急遽ここで雨宿りしてたそうだ。

「じゃあな、騎士のあんちゃんに美人なお嬢さん!あ、もう一人のあんちゃんはお大事にな。またどこかで会ったらぜひご贔屓に!」

 最後まで軽いノリで商人の若い男たちは、キャンプ地を去っていく。

「……ったく。とんだ騒がしい連中と鉢合わせになっちまたな」
「ふふ。でも、楽しかったよ。気が紛れたというか……」
「…………」

 急に落ち込むその顔に、カミュは毛布を投げつけた。

「わっ」
「ほら、お前も早く寝ろ」
「カミュは……?」
「オレは見張りをするから」
「私が見張りをするからカミュが先に寝て」

 今はまだ眠れそうにないから、起きていたい――カミュが何か言う前に、ユリがそう続けて言うと、彼はぐっと言葉を呑み込んだ。
 何を言っても無駄そうな雰囲気に、ため息だけを吐く。

「…わかった。途中で交替な。何かあったらすぐ声かけろよ」

 カミュはテントの中に入っていく。
 その後ろ姿にユリは「ありがとう」と小さく声をかけた。

 夜の静寂の中、虫の声と焚き火から弾ける音だけが響く。
 ただユリは、そこにいた。


- 11 -
*前次#