新たな旅立ち

 エルシスは気がついたら、テントの中で眠っていた。

 倦怠感と頭痛と身体が熱い…こんな時に風邪でもひいたのだろうか。
(ここは、どこだ……)
 上体を起こそうとしたら、おでこから熱冷ましのタオルが落ちた。

「……エルシス、起きたか。起きたら水と薬飲んで、これも飲んでおけよ」

 わずかな気配でカミュは起き、それらをエルシスに押し付ける。

「……ここは?」
「デルカコスタのキャンプ地だ。飲んだらもう一眠りしておけ。今は夜中だからな」

 エルシスは素直に水を飲んだ。
 カラカラの喉が潤う。言われた通りに薬も飲み、小さな瓶にも口をつけると、それは甘くておいしかった。

 まだ起きてるのがつらく、エルシスは再び床につく。

「……ごめん、起こした?」
 あくびをするカミュを見上げながら聞く。
「いんや。そろそろあいつと見張りを交替をしねえとだから、ちょうどいい」

 あいつ?――そういえば……ユリの姿がないのに気づいた。

「カミュ。僕………」
「言いたいことがあるなら、次、起きた時に聞いてやる」

 カミュはエルシスの手からタオルを奪う。
 枕元に置いてある桶に水に浸し、再びエルシスのおでこに乗せてやった。

「だから今は、大人しく寝てろ」

 いいな――有無を言わせないそれに、エルシスは素直に目を閉じた。

 すぐに睡魔はおとずれる……――。


「ユリ、交替だ」

 カミュはテントから出るとユリに声をかけた。
 何をするでもく、焚き火をただ見つめていたユリの目がこちらを向く。
 カミュは彼女の隣に腰かけた。

「エルシスが起きたから水やら薬やら飲ませたぜ。まだつらそうだったし、すぐに寝たよ。お前も早く寝てこい」
「…まだ、眠くない」

 そう言ってカミュを見つめたユリの目に、確かに眠気のねの字もない。

「お前なぁ……眠くなくても寝てこい」
「少し……カミュと話がしたい…」

 そういじらしく言われてしまえば、カミュはどうにも断れない。

「……少しだけだぞ」

 続けてなんだ?と聞くと、ユリは口を開いた。

「考えてたんだけど……」
「ん」
「エルシスには、カミュが必要だと思う」

 …………また、唐突なことを。

 そう思うが、彼女の横顔は真剣だ。
 思いつめてるようにさえ感じる。
 一体、自分が寝ていた数時間で何をどう考えていたのか。
 黙ってカミュは、ユリの次の言葉を待つ。

「カミュは頼りになるし、エルシスを導いてあげられる。だから、これからも側にいてほしい……」

 哀願するようにユリは両手を組み、カミュに言った。

 これからどうなるんだろう――そんなことを考えていたら。
 ユリはカミュが先ほどの商人とデルカダール神殿の話をしてたのを思い出して、一人で行ってしまうんじゃないか、レッドオーブを手に入れたら別れてしまうんじゃないかと心配になった。

 自分一人じゃ、エルシスを支えることも守ることもできない。
 ここまで来れたのも、全てカミュのおかげなのだ。

「……まあ、これも乗りかかった船ってやつだからな。これからもお前たちの旅に付き合ってやるから、安心しろ」

 そうカミュがユリの頭をぽんぽんと撫でて言うと。
 ユリは張りつめた顔を緩ませ、良かったとふわりと笑って胸を撫で下ろす。

(いや、おかしいだろ)

 そうは言ったものの、カミュは釈然としなかった。
「側にいてほしい」と言う言葉は嬉しいが、彼女の言葉を整理すると「エルシスのために」ということになる。

 お前はどうなんだよ――とカミュが思うのも無理はない。

「お前は、」
「私?」
「お前はオレが必要じゃねえのか?」

 気づいたらカミュはそうユリに聞いていた。

「……えぇと……」
 聞かれた方のユリは、何故か頬が熱くなる。
 カミュがまっすぐな瞳で見つめてくるからだろうか。
「も、もちろん、私も……」

 そうだ、あの時も――ユリは過去のイシの村へ行った時のことを思い出す。

 まだここが過去だと分からず、傷付くエルシスに、ユリはどうしたらいいか分からなかった。
 カミュがいたらどうするだろうとか、どこへ行ってしまったんだろうとか、自然に考えていたのだ。

「いつの間にか、カミュが側にいるのが当たり前になっていたから、カミュがいなくなったら…………」

 そこまで言って、ユリは口を閉じる。

 困る、寂しい、嫌だ――その後の言葉が次々と浮かんできたが、どれも言うには恥ずかしくて戸惑う。

「そう、か……」

 ユリは肌が白いので、赤くなるとわかりやすい。その様子にカミュまでも移ったように頬が熱くなってきた。

「あー話はもうお仕舞いだ。ちゃんと寝ろよ?」

 無理やり切り上げ、カミュは焚き火に枝を突っ込む。

「でも、カミュ…。今度はなんだかドキドキして眠れない」

 聞こえた言葉に彼は数秒固まり、顔を片手で覆った。
 ユリの言葉にいつも他意はないのを知っている。無自覚に言ってくるから、本当に質が悪いと思う。

「カミュ?」

 カミュには優秀な理性があるため、ごそごそと道具袋をあさり、ユリに何やら手渡す。

「ゆめみの花だ。これ使えば寝れんじゃねえの?」

 投げやりに言ったのに「試してみる!ありがとう。自分にはラリホーをかけられないから……」とお礼を言われた。

 彼女は満足げにテントへと向かう。
 ……冗談半分のつもりだったが。

「カミュ……本当にありがとう。おやすみなさい」

 振り返ったユリは、はにかみながらもう一度カミュにお礼を言って、テントの中に消えていった。

 残されたカミュははぁ〜と大きくため息をついて。

(オレがいなくなったら………なんだよ、続き……)

 今度はカミュが朝まで悶々と悩むことになる。 

 
 エルシスが次に起きた時は、不思議なほど目覚めが良かった。

 熱もひいたようで、頭がすっきりしている。身体も軽い。薬を飲んで、よく寝たからだろうか。

 今はいつだ――テントの隙間から外を覗くと、カミュの姿が見える。朝食の準備だろうか?外はすっかり明るい。

 再び、テントの中を見ると、隣ですやすやと眠っているユリに気づいた。

 穏やかに寝息を立てている。

 珍しい――朝が苦手なエルシスが起きる頃にはユリが起きていて、さらにその前にカミュが起きているらしい。(見張りをしてくれたからか……)

 その寝顔をエルシスはまじまじと眺めた。
 彼女の睫毛は髪色と同じく綺麗な銀色。
 それがさらに彼女の顔立ちを美しく、謎めいて見せていた。
 儚いような、ミステリアスな雰囲気。

 口を開くとまた印象が違う。

 記憶喪失故か元々なのか。
 おかしな言動もあるが、明るく優しく、料理がちょっと苦手な普通の女の子だ。
 ──エマと同じように。

(エマ………)
 思い出して胸がずきりと痛む。
 ポケットからエマから貰ったお守りを取り出した。

 幼馴染みで、村で唯一の同い年の友達。

 エルシスにとってエマは、妹のような、たまに姉のような存在だった。
 エマはユリと友達になれて良かったと言って、ユリも同じだと言った。

 大切な存在を失くして悲しんでいるのは、僕だけじゃない――。

「……寝込みを襲おうとは関心しないぜ、勇者さま」
「〜〜っ!カミュっ!?いつからそこに……!?」

 びくっと驚き、エルシスは急いで振り返る。

 そこには腕を組み、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる盗賊の姿があった。
 何か反論する前に、カミュは人差し指を口許に立てしっとエルシスに言った。

「こいつ、見張りで夜中まで起きてたんだ。もう少し寝かせてやろうぜ」

 エルシスは慌てて口を手で押さえ、ちらりとユリを見た。
 ……良かった、まだ夢の中のようだ。

 カミュが静かにテントを出るのに、エルシスも続く。

「カミュ、一応言っておくけど……。僕がユリの寝込みを襲うわけないだろ?」
「わかってるよ。眠り姫の唇の一つでも奪うのかと思ったら、じっと眺めてただけだもんな?」

 にやりと笑ってからかう彼は本当に意地が悪い。

「っ!君いつから……って、奪うって盗賊じゃないんだから。カミュと一緒にしないでくれ」
「オレだってまだ奪ってねえよ」
「……まだ?」
「…………………言葉のあやだ。忘れろ」

 カミュが珍しく失言した。
 気まずそうに視線を動かしたカミュに、エルシスはぷっと吹き出す。
 いつも余裕があって、自分たちを引っ張ってくれる彼に勝った気がして、嬉しくて笑った。

「お前なぁ!元気になったと思ったら調子に乗りやがって」
「からかって来たのはそっちからだろ?……でも、本当に迷惑かけてごめん」

 いきなりしおらしく真面目に謝るエルシスに、カミュは面食らう。

「……たく、本当にこの勇者さまは……。昨日、何も食べてねぇから腹減ってんだろ。先にメシにしようぜ」

 カミュは昨日の残りの商人たちの魚介のスープを焚き火にかける。
 味を保証するよとつけ加えて言った男の言葉通り、かなり旨かった。
 ユリと食べて、さらに余ったそれに具材や米を足してアレンジ雑炊にする。

 魚介が入っていたことにより不思議に思うエルシスに、カミュは昨日の出来事を話した。

「そんなことがあったんだ。僕もその商人さんたちと話してみたかったな。うん、あの栄養ドリンクすごく効いたかも」

 オレはもう会いたくねえと愚痴りながら、カミュは仕上げに薬味を入れると。

「おいしそうないいにおい……」

 ちょうどユリがのろのろとテントから出てきた。まだ少し眠そうだ。

「おはよう、ユリ」
「おはよう。まだ寝てても良いんだぞ」
「おいしそうなにおいで起きちゃった。エルシス、元気になったんだね!良かった…。安心したらますますお腹が空いてきちゃった」

 鍋を覗き込めば「わぁ!胃にも心にも優しい雑炊っ」とよくわからないことを言ってるユリに、二人は何とも言えない表情で見る。

 さっきまでの眠り姫はどこいった。
 色気のいの字も見当たらない。

「これ昨日の残りだよねえ?すごくおいしそう。早く食べよう?……あれ、二人ともどうしたの?」
「……。こいつは花より団子だな」
「まあ、ユリらしくて良いと思う。さ、食べよう!僕もお腹がぺこぺこだ」


 カミュ特製残り物雑炊をとてもおいしくいただき。腹も膨れたところで話し合うのは、もちろん今後についてのだ。

「二人に話したいことがある」

 そう最初に切り出したのはエルシスからだった。

「本当に君たちに心配かけて……迷惑かけてごめん。それから、一緒にいてくれてありがとう」
「よせって。堅苦しいのは苦手だ」
「そうだよ。助け合いの精神だもの」

 二人は大したことがないと言うように返す。
 エルシスはそれにふっと笑みを浮かべた。
 予想通りの、優しい反応。

「ありがとう。おかげで少し落ち着いたんだ。色々と、冷静に受け止めて考えることができた」

 ねえ、ユリと――エルシスは彼女の名前を呼んだ。

「僕が本当に『悪魔の子』だとしたら、君はどうする?」
「…!」

 冗談のような、けれど真剣な問いかけだった。

「エルシスは悪魔の子じゃない」

 間髪いれずはっきりとユリは答える。
 それに「例えばの話」だとエルシスは笑う。
 カミュは黙って二人のやりとりを見守った。

「母さん…の手紙に、僕が産まれてすぐに故郷のユグノアの地を魔物に襲われたとあった。もしかしたら……本当に、僕は厄を呼ぶ悪魔の子なのかも知れないと考えた」
「っ違う!そんなこと絶対に違う!」

 ユリが悲痛な顔で叫んだ。
 そんな顔をさせてしまって申し訳ないと思いながら、エルシスは穏やかな口調で続ける。

「うん、ありがとう。だから例えばの話なんだ。だって、勇者ってなんなのか分からないんだよ。母さんの手紙には闇を払いのけるってあったけど、本当のことは何も分からない。これから真実を探す旅に出て、本当に僕が悪魔の子だとしたら……」

 君はどうする――?
 再びエルシスはユリに問う。

 ユリは目を閉じ、少し考えてるようだった。
 エルシスは冷静に聞いたが、内心怖かった。この沈黙が、ユリの返答が、本当はすごく怖い。

「エルシスは悪魔の子じゃない」

 最初の答えと同じ答えが返ってきた。

「……いや、僕の話聞いてた?例えばの話であって」
「例えばでも何でも違うものは違う。じゃあエルシスは、あなたは悪魔の子ですか?って聞かれたらどう答えるの?」

 逆に聞き返された。

「…………僕は、」

 違う。いや、本当は分からない。
 無意識で厄を呼んでいるのかもしれない。けど、違う。僕は悪魔の子じゃない。

「……僕は、悪魔の子じゃない」

 エルシスは素直にそう答えた。

 いざ本当に聞かれたら、そう信じたい、信じてほしいという気持ちを込めて「違う」と答えると思った。

「そうだよ。エルシスは悪魔の子なんかじゃないし、厄だって呼ばない。エルシスのお母さんの手紙にはいずれ言葉の意味が分かるとも書いてあったよ。私はあんな美しい村を焼き払った王の言葉より、最後までエルシスの身を案じていた彼女の言葉を信じる」
「……っ」

 最初は無茶苦茶で、強引な屁理屈だと思った。
 けど、違った。

「エルシスは、もっと自分のことを信じて良いんだよ」

 優しくユリは笑って。自分を信じて大丈夫だと――エルシスに言う。

(僕が思う以上に、僕を信じてくれている君が言うのならば)

「ありがとう、ユリ……。そうか、そうだったんだ……」

 僕はもう自分を疑わない――溢れそうな涙を乱暴に腕を拭い、力強くエルシスは言った。
 その瞳に陰っていた光が宿る。

「ユリ。これからも僕について来てほしい。僕は勇者の真実を探す旅。ユリは自分の記憶を探す旅。助け合いながら……どうかな?」

 ユリはもちろんと強く頷き、ありがとうとも嬉しそうに呟く。
 
(……すげぇな、こいつらは……)

 それを眩しそうにカミュは見つめていた。
 ……もし、二人が自分の過去を知ったらどう思うだろうか。今みたいに、自分を受け入れ、信じてくれるだろうか。(いや、ねえな。こいつらはオレと違う。オレは……本物の罪人だから)

 カミュは自嘲した笑みを浮かべた。

「カミュ」

 エルシスに名前を呼ばれて、すぐさま表情を変えて彼を見上げる。
 同じ青でも自分とは違う淡い空色のような瞳が、カミュを捉えている。

 迷いのない、澄みきったいい瞳だ。

「君にお願いがある。レッドオーブを取り返しに行くのなら僕たちも手伝う。君が言ってた預言の意味は分からないけれど、僕の……勇者の力が必要だと言うなら力を貸す。だから、」

 瞳だけではなかった。
 揺るぎない彼の意志がそこに見えた。
 真っ直ぐと凛々しいそれは、まるで一本の剣のようだとカミュは思う。

「これからも、僕たちに力を貸してくれ。僕はカミュも一緒に、これからも三人で旅がしたい」

 ――いつだったか、伝説として聞いたことがある。

 決して折れない、闇を切り裂く光輝くつるぎがこの世にはあるという。
 エルシスのそれはまだ真剣にはほど遠いかもしれない。だが、叩けばきっと。

「……勇者さまにそこまで言われちゃあ、貸さないわけにはいかないな」

 カミュは差し出された手を握り、立ち上がる。(化ける……それをオレは見てみたいと思う)

「まあ、元より乗り掛かった船で、二人の旅に付き合うつもりだったけどな」

 よろしく頼むぜ、相棒――そう言って手を強く握ると、エルシスも強く握り返してきた。

「ありがとう、カミュ。これからもよろしく!」

 熱い握手を交わす二人に、小さな手のひらが差し出される。

「エルシス、カミュ。二人とも、これからもよろしくね」

 二人は笑って、それぞれユリの手を握った。
 心が一つになった三人の、最初の目的地は――デルカダール神殿だ。


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