ミルレアンの森

 積もった雪に、八人の足跡が残っていく。

「これなら道に迷ってもすぐに来た道がわかるね」後ろを振り返りながら言うユリに「雪が降ったら足跡なんてすぐに消えるぞ」と、カミュが横から言った。

「今は止んでるが、降るときは大雪になることが多いからな」
「カミュってこの辺りのこと、詳しいよね」
「……旅の知識だよ」

 そう短く答えたカミュを、ユリは何か物言いたげに見たが、口に出すことはなかった。

「うう〜なんて寒さなの!でもクレイモラン王国の人たちはいつもこの寒さの中で生活してるのよね。アタシはすこしいるだけでも凍えちゃうのに、普段からこの寒さの中で生活するなんて、クレイモランの人をちょっと尊敬しちゃうわ」
「冷たい風が肌にしみるわね……。ウワサで寒いとは聞いていたけど、まさかここまでとは思わなかったわ」

 シルビアとマルティナが冷たい風にぶるりと体を震わせる。しっかりと防寒をしていても、自然の中での寒さは身に染みて、彼らはそろって体を縮こませた。

「っくしゅん……!寒くてくしゃみが出ちゃったわ。凍える前にちゃちゃっと魔女を見つけて倒すわよ!」
「フバーハ!……これでちょっとは寒さがマシにならないかな」
「おお、暖かな衣に包まれるようじゃ」
「うんっ、ちょっと寒さが和らいだ気がする。ありがとう、ユリ!」

 シスケビア雪原の奥に進むと、魔物も蔓延っている。雪の足場では戦うのは一苦労で、魔法攻撃が中心となった。

 ごうけつぐまを見て「毛皮があったかそうね……」と、ベロニカ。
 スノーベビーを見て「可愛い。だっこしたらあったかそう……」と、ユリ。

 その度にカミュは「毛皮剥ぐなよ」「噛まれるぞ」そう二人の言動にちゃんと触れて、カミュって律儀だよなぁとエルシスは感心した。

「剥がないわよ!」
「まもの使いになりたいな……」
「――あ、看板があるよ!」

 エルシスは立て掛けてある看板を見つけて、雪の上を跳ねるように走る。

『この先、ミルレアンの森。危険につき立入禁止』

「わかりにくいけど、向こうに道が繋がっているみたいだ」
「道標の看板があって助かったわね」
「ええ、雪だらけで道がわかりにくいですものね」
「では、行くとするかの。明るいうちに済ませよう。陽が落ちたらますます気温も低くなる」

 看板を越えた先にはトンネルのようになっている洞窟があった。
 氷柱がいくつも連なる光景は、雪国でしか見られない。
 そこを抜けて再び雪原に出ると、再び雪がはらはらと降ってきた。


 ミルレアンの森。


 雪化粧の森。枝から雪がドサッと落ちる音がまたどこからか聞こえてくる。
 この雪の量では枝が重さに耐えられないのだろう。

「ここがミルレアンの森ね!この森にいる悪い魔女を倒せばクレイモランの氷漬けも溶けるはずよ。エルシス、ぐずぐずしてる時間はないわ。さっさと魔女をやっつけちゃいましょ!」

 静粛な世界に、息巻くベロニカの声はよく響く。

「女王さまが言っていた外国からの救援部隊は、先にこの森に到着しているのでしょうか。もし、着いているなら協力して魔女を倒せるといいですね」
「女王さまは全然音沙汰がないって言ってたから、救援部隊の方たち無事だといいな……」

 セーニャの言葉にエルシスは森の奥を心配そうに見たが、細かく降る雪に奥まで見渡せない。

 彼らは森の中の、道なき道を進んでいく。

「どこまでも人間の手が入っていない森林が続いておる……。似た景色が続くから迷わんようにな」
「うん……本当に迷いそうだ」

 まだ厚い雲からでも微かに光が届くから良いが、これで陽が落ちたら遭難一直線だろう。

「川の方角を見て、自分の位置を把握するとよいかもしれんぞ」
「川……?あ、確かに水音が聞こえる」

 エルシスは耳を澄ました。近くに流れる川は凍ってはいないようだ。

「この森に、クレイモランを氷漬けにしたおそろしい魔女がひそんでいるのね。たしかに不気味な感じがするわ」
「雪の森ってだけで、神秘的な雰囲気だね」

 雪に覆われてるせいか、木々からは自然の生命力を感じない。まるで、森全体が冬眠してるみたい。ユリにはそんな風に感じられた。

「この森には魔女だけじゃなく魔女の手下の魔獣もいるらしいから、そちらにも気をつけましょう」

 魔女の手下の魔獣って、どんな姿をしているんだろう。おとぎ話には出てこない存在だ。

 森の奥地に進むに連れて、風が吹き荒み、雪の降り方が激しくなってくる。

「エルシス。この森の吹雪には気をつけろ。吹雪だと視界が悪くて魔物が見えにくいし、道に迷いやすくなるからな」

 カミュはフードを被りながら言った。他の者たちも続き、風に耐えるように足を進める。

「寒ーい!ねえ、ユリ。ちゃんとフバーハの呪文は唱えたのよね?」
「ちゃんと唱えたよ、師匠」
「それ以上の寒さなのですわ、お姉さま」

 森への侵入を拒むような吹雪。ミルレアンの森が立入禁止となっている理由だ。

「あ……そうだ。みんな待って!」

 エルシスは皆に制止を呼び掛けて、道具袋をごそごそと漁る。

「ホカホカストーン!これ持っていたらちょっとはあったかいんじゃないかな?」
「ナイスアイデア!エルシスちゃん♪」

 エルシスは人数分取り出して、皆に配った。
 素材は鍛冶に使うので、採取できる時にとことん採取しているから量はたくさんある。

 ちなみに今日とて例外ではない。

 素材を拾うのに夢中で、木から落ちた雪を頭から被ったほどだ。
 気を付けろとエルシスを怒るカミュに、カミュって保護者よねとマルティナは思った。

 さすがにこの吹雪の中では、エルシスは素材集めを自重する。
 それ以前に視界も不安定になってきた。

 ――そんな中、前方にうっすらと人影が現れた。

「むっ、お前のような一般人がこんな所で何をしている?危ないから早く森を出たほうがいいぞ」

 兵士だった。しかもただの兵士ではなく、厚手のマントの下に身に纏った鎧はデルカダールのものだ。
 一行にぴりっと緊張感が走るが、どうやら向こうは気づいていないようだ。
 この吹雪の中、エルシスたちはフードを被っていたのが幸いした。

「……私か?私は連絡が取れなくなったクレイモランの状況を探るために、デルカダールから派遣さけたんだ」

 救援部隊はデルカダールの兵士たちだったのか――。
 皆が心の中で思うなか、シルビアだけが「アタシのカンって当たるのよね」と、人知れず口許に笑みを浮かべる。

「この森にはクレイモランを氷漬けにした魔女と手下の魔獣がいるらしい。危ないから早く森を出るのだ。この森の吹雪を甘く見ないほうがいいぞ。私も部隊の者とはぐれてしまった」

 兵士に頭を下げ、森を出るフリをして彼らは奥に進んだ。
 進むごとにはぐれ兵士と出会し、まるで道標だ。

「うう、寒い……。吹雪の中を歩いていたら仲間のみんなとはぐれてしまったんだ。魔女とはち合わせする前に合流しないと……」

「クレイモランの氷漬けをとくため、遠路はるばるデルカダールから森にいる魔女を倒しにきたんだ。だが、この吹雪で隊長を見失ってしまった。隊長は屈強な人物なのだが、寒さが苦手でな。無事でいるといいのだが……」

「はあ……なんで貴族のオレがこんな辺境の地に来なくちゃいけないんだよ。やっぱり軍に入ったのが間違いだったぜ。ムリせず親父のスネをかじってれば、今頃ソルティコのビーチに行って女の子たちと遊び放題だったのに……」

 ――この吹雪でデルカダールの救援部隊は、隊長さえも行方不明になってしまったらしい。
 
「むむっ!?お前のそのカオ。どこかで見たことがあるようなないような……」

 一人、鋭い兵士がいて、エルシスは引き留められた。顔には出さないが内心ドキッとする。

「ないような……」
「…………」
「あるような……」
「…………」
「……うーん、思いだせないな。まぁ、いいか。今はそんなことより一刻も早く隊長を見つけださねば……」

 エルシスだけじゃなく、皆もほっと胸を撫で下ろす。ここで悪魔の子だとバレたら厄介だ。

「兵士の方たち、森で散り散りになってしまって大丈夫でしょうか?」
「まあ、オレたちも他人を心配している暇はねえな。デルカダールたちの兵士たちみたいにならねえよう、気をつけねえと」
「うん、視界も悪くなってきたし……。みんな、はぐれないように注意しよう」

 この様子だと、魔女はやはり森の奥地に潜んでいそうだ。

「行き止まり……?」
「いや、こっちの川は凍ってる。ここを通って反対岸に行こうぜ、エルシス」

 つるつる滑る氷の上を、彼らは慎重に歩く。途中「キャッ」と可愛らしい悲鳴が聞こえ、エルシスは後ろを振り返る。

「あ〜もうイタイわ〜」

 シルビアが滑って転んだらしい。

「シルビア、大丈夫?」
「ありがとう、エルシスちゃん」

 エルシスはシルビアに手を差し出し、引き上げようとしたところ――
 
 つるっ

「あらやだ、エルシスちゃん!?」
「エルシス、大丈夫かのっ?」
「いたた……。うん、大丈夫」
「ちょっとエルシス。なにやってんのよ」

 尻餅をつくように転けたエルシスに、ベロニカが腰に手を当て、呆れた。
 助けようとしたエルシスまで転けて、これではミイラ取りがミイラだ。
 
「二人とも、気をつけて歩いてね」

 順番に二人の手を掴んで軽々と引き上げるマルティナ。……さすがである。

「でも、二人に怪我がなくてよかった」
「ええ、頭を打たなくて何よりでしたね」
「ユリちゃんもセーニャちゃんも氷の上を歩くときは注意してね。ツルツルすべって思い通りに動けないわよ」
「うん、ツルツルだ。二人も気をつけて」
「……お前らより二人はしっかり歩いてるからな」


 その後は誰も転けず、無事に川を渡りきった彼らを次に待ち構えていたのは……


「猛吹雪にも耐えるようにって、あのおじさんは言ってたけど、全然寒いじゃないのよぉ〜!」

 ベロニカの叫び声も猛吹雪によってかき消される。
 今までの雪景色とはまったく違う、荒ぶる自然が彼らを襲った。

「……っ!前に進むのもやっとだ」
「皆、固まって離れんようにな!お互いを確認し合うんじゃ!」

 ロウが焦りの声で叫んだが、全員にその声が届いたかは定かではない。
 暴風がひゅうひゅうと悲鳴のような音を立てている。

 エルシスは一歩、一歩とゆっくり足を進めた。吹雪の中を歩くのは、普通の雪道とはまったく違う。
 激しい風に雪が乱れ飛び、視界は一寸先も見えない。
 道はこっちで合ってるのだろうか。
 今自分がどこにいるのか。前に進んでいるのかさえ、この猛吹雪の中ではわからない。

「カミュ……うわっ」

 エルシスは隣のカミュに確認しようとしたが、横殴りの吹雪に慌てて目を閉じた。
 フードが脱げ、雪が目に入ったのだ。手袋で顔を拭う。

「カミュ、道はこっちで合ってる?」

 …………カミュ?

 エルシスが次に目を開けて、隣を見たときには――。そこには、今まで隣を歩いていたはずのカミュの姿がなかった。

「……!」

 慌ててきょろきょろと周囲を確認するが、すぐ後ろにいたロウとシルビアも、ベロニカとセーニャ、ユリとマルティナの姿もない。

 僕、ひとりだ――。

「みんなーー!!」

 焦るエルシスはその場で大声を上げるが、自分の声さえも暴風にかき消された気がした。
 当然、風以外の声も聞こえない。

(どうしよう……みんなとはぐれたんだ……)

 エルシスの髪が風に乱され、その頬にべっとりと雪がつく。
 フードを被り直すこともできず、しばし彼はその場に立ち尽くした――。


「……おい、エルシス!」

 叫びながら、カミュは雪の上に片膝をついた。
 返事はなく、チッとカミュは舌打ちして、前方を睨み上げる。

 いきなり襲いかかってきたのは青い毛皮を身に纏ったオークキングだ。
 エルシスや仲間たちとはぐれたのは、この猛吹雪によってか、魔物が襲いかかってきたからか……。

「……っ!」

 ――キン!一本突きをしてきた槍を、カミュは背中の片手剣を引き抜き、弾く。
 一寸先も見えぬこの吹雪の中では、突然槍が目の前に現れたように見えた。
 弾き返せたのは、カミュの反射神経があってこそだろう。
 だが、槍のリーチが長い分、カミュが不利だ。

(……くそっ。めんどくせえ時に襲いかかって来やがって)

 悪態をつきながら、どこから来るかわからない攻撃にカミュは剣を構える。

 ――!?そこか……!

 僅かな殺気にカミュが反応して、剣を振り下ろす前に、ピキピキと足元からオークキングは凍りつく。

 氷の魔法――ということは。

「カミュ……!」
「ユリか!」

 オークキングの背後から現れたのはユリだった。カミュはすぐさま口を開く。

「他のやつらは?」
「わからない。魔物と戦ってる間にみんなとはぐれて……もしかしてって、魔物の気配を追ってみたらカミュがいたの」

 焦りの口調でユリは答えた。

「どうしよう?こんな吹雪じゃみんなを探せないよね」
「このままここにいたらオレたちも危ねえ。先に進むぞ」

 カミュはこっちだと、ユリの手を掴んで踵を返す。コンパスが機能していれば、道を把握するのは容易い――。


「……お姉さま、皆さまとはぐれてしまいましたわ」
「セーニャ、落ち着いて」

 猛吹雪の中、双子の姉妹は寄り添い合っていた。
 不安げな妹に「大丈夫よ」と再度ベロニカは励ます。

「…………」

 ベロニカは冷静にどうするべきか考える。
 おっとりしている妹のセーニャと比べて、ベロニカはしっかり者という位置付けだが、それは本来の彼女の性格だけではない。

 いつだって妹を引っ張っていくため、守るために――。自分がしっかりしなくちゃと、ベロニカは自分に言い聞かせてきた。

「……セーニャ、合体魔法よ」
「合体魔法、ですか……?」
「あたしがベギラマを唱えて、アンタがバギマを唱えるの。みんなが近くにいれば気づいて合流できるわ。もし、誰も来なかったらあたしのルーラでクレイモランまで避難しましょう」
「わかりました、お姉さま。いきますよ――!」

 二人の魔法が、吹雪の中で混ざり合って燃え上がる。

(みんな、気づいて……!)

 ベロニカは両手にぎゅっと力を込めて、杖を握り締めた。

「ベロニカちゃーん!セーニャちゃん!」
「おぬしらは無事じゃったか」
「シルビアさまにロウさま!」
「ありがとう。二人の魔法のおかげで合流できたわ」
「マルティナも!」

 現れたのはシルビアとロウ。そのすぐ後にマルティナも姿を現した。

「エルシスちゃんとユリちゃんとカミュちゃんがまだ来ないのね」
「ご無事でしょうか……」

 セーニャは案ずるように両手を組む。

「心配じゃが、エルシスもユリもルーラの呪文を覚えておる。カミュは雪国に詳しいようじゃし、わしらもいつまでもここに立ち止まっておったら危険じゃ」
「……そうね。もしかしたら、すでにこの辺りにはいないのかもしれない」

 ロウの言葉に、マルティナも考えるように言った。ベロニカがこくりと頷く。

「先に進みましょう。その方が合流する可能性が高いと思うわ。なんだかんだあの三人は一緒に行動してる気がするしね」
「そうですわね。それに、お姉さまのカンはよく当たりますわ」


 セーニャもそう微笑んで同意したが、珍しくベロニカのそのカンは外れていた。
 何故なら三人は、一緒ではなかったからだ――……


(とりあえず……前に進むんだ)

 エルシスはフードが被り直し、前に歩いていた。
 顔を腕に覆い、ただひたすら足を進める。
 もはや方向感覚は皆無で、どこに向かっているのかわからない。
 だが、何かに導かれるようにそちらに歩く。


「ムフォフォ!ムフォフォ!」


 ――吹雪の音に混じって、そんな不思議な声がエルシスの耳に届いた。


 一方のカミュとユリの二人。


「――あっ」
「大丈夫か?」
「ごめん、大丈夫」

 雪に足を捕られて、膝をつくように倒れたユリを、カミュが横から抱き上げた。

(……まずいな。このままじゃ吹雪で体力が消耗しちまう)

「……大丈夫。私、歩けるよ」
「お前の大丈夫はアテになんねえな」

 カミュはふっと笑った。ユリの顔が青白く見えるのは気のせいではないだろう。 
 一度、ルーラで戻った方が……

「うお!?」
「わあっ」

 考えながら歩いたからだろうか。カミュは足を踏み外し、雪の上を支えていたユリともどもずるずると落ちていく。

「……わりぃ。斜面に気づかなかった」
「雪がクッションになったし、怪我はしてないから平気だよ」

 ユリは起き上がると、意外と高い所から落ちたのだと気づいた。それと、もう一つ。

「カミュ。洞穴があるみたい――」

 ぽっかりと空いているそこに、二人は少し身体を休ませることにした。


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