洞穴の中では、吹雪を遮られるだけで身体が楽になった。
狭い空間に向かい合わせに座っているユリとカミュ。
枝は雪に濡れて焚き火にならないので、代わりにユリは、手のひらから炎を生み出す。
「すっかり馴れたもんだな」
「うん、練習してメラも覚えたし」
ユリの魔力から生まれた炎が二人を淡く照らし、冷えた身体をゆっくりと暖める。
「クレイモランでメラを唱えたときは何の暴挙かと思ったけど」
「もうっ、カミュまでそんなこと言う」
口ではそう不満げに思いながら、小さく笑うカミュに、ユリは少し安心した。
クレイモランに来たときから――いや、次の行き先がクレイモランと決まったときから。カミュの様子がいつもと違っていたのは気づいていた。
「みんなもどこかで避難してたり、無事だよね……」
「エルシスとベロニカならルーラも覚えているし、ここまで幾度の困難を乗り越えて来たんだ。あいつらなら大丈夫だろ」
それ以前にも、時々カミュはさびしそうな"目"をする。
笑顔の下に、悲しそうとも苦しそうとも言える感情を隠している。
それはどういう時か。ユリはずっと考えていた。
「……星空」
「ん……?」
「カミュが前に言っていた「手を伸ばしたら掴めるほどの星」って、この場所で見れるかな」
ユリが初めてカミュのその目に気づいたのは、サマディー王国に向かう途中のオアシスでだ。
砂漠の夜の星は綺麗に見えると言った自分に、寒い地域の星空も綺麗だと教えてくれた。
ユリはその星空はこの、クレイモラン地域ではないかと思い当たった。
だとすれば……
「……そうだな。見れるかもしれないな」
――ほら、またそうやって悲しそうに笑う。
ずっと、今まで触れられなかった。
そこに自分が触れていいかわからなかったから。
「……カミュ」
それに、怖かった。もしも拒絶されたらと。
でも、今は――
「カミュの故郷って、クレイモランなの……?」
その悲しみに触れたいから、ユリは一歩踏み込む。
(カミュのことを知りたい……)
自分の記憶を取り戻して、自分を知った今なら心から言える。
「……3つだけ」
「え?」
「3つだけ、どんな質問にも答えてやる」
思わぬ突然の提案に、きょとんとするユリ。カミュは続けて話す。
よくおとぎ話であるだろ?願い事を3つだけ叶えてやるって話。
「オレは願い事は叶えられねえけど、代わりに質問には答えてやるよ」
「……どんな質問でも?」
「ああ……嘘はつかないし、ごまかしたりもしない」
――さあ、何を質問する?お姫さま。
カミュはおどけて笑ってみせた。
考える素振りをするユリに、先ほど聞いてきた出身地について聞いてくるだろうとカミュは思ったが……違った。
「カミュの心が知りたい」
予想しなかった言葉に、カミュは固まる。
オレの心……?
「私はカミュの力になりたいよ。でも、どうすればいいのかわからない。教えてもらわないと、私にはわからないから……」
私に何ができるか教えて、カミュ――。
ユリはまっすぐとカミュを見つめて聞く。
あまりにも直球過ぎると避けられないとカミュは知っている。そもそも嘘をついたり、ごまかしたりもしないと宣言したばかりだ。
「カミュの本当の声を聞かせて」
再びユリは真剣に言った。その言葉はまるで見透かしているようだった。
何故なら、カミュにはずっと心の奥にしまって、蓋をして、凍らせてきた自分の声があるから。
「なあ、ユリ。オレは、ずっと……」
そんなことを思うこと自体が間違っていると、今まで何度も圧し殺してきた。
口に出してもいいだろうか。
自分の弱さを晒け出してもいいだろうか。
目の前にいる彼女なら受け止めてくれる気がして……震えるように息を吐き出してから、カミュは自身の心を打ち明ける。
「ずっと、赦されたかったんだ」
赦されたかった――自分の犯した罪に。たったそれだけの願いを抱えながら、これまで生きてきた。
「……っ、……赦されたいんだ……」
一度言葉にして吐き出してしまえば。
塞き止めていたものが流れるように、感情が溢れ出てしまう。
それは一筋の涙となって。
左目から頬に伝ったそれを、カミュは指先で触れて驚いた。
(ああ……泣いているのか、オレは……)
気づいて、自虐めいた笑みを溢す。
「ハハ……情けないだろ。オレは、ずっと逃げてたんだ。この旅だって……そうさ」
「……カミュは逃げてなんかないよ」
「…………」
「逃げていたら、そんなに苦しまない」
それは向きおうとしている苦しみだと――ユリははっきりと否定するように言った。
「カミュ……。私、一つだけわかったことがある。一番、カミュのことを赦せないのはカミュ自身なんだって」
過去に何があったかはわからずとも、ずっと彼は自分のことを責め続けているのだと――ユリにはわかった。
「自分のことを赦してあげて。……赦せないというなら、私が言うよ」
それがどんな罪なんて関係ない。
「カミュは赦されていいんだよ」
私が味方になる。だって、カミュは大切な――……
「……赦されていい、か」
ぽつりと呟くカミュは、自分の手を見つめる。あのとき――伸ばされた手を掴むのに、この手は躊躇したのだ。
この贖罪の旅は終わってない。
今はまだ自分自身を赦すことはできないが、彼女の優しさに触れて、自分の中の氷は溶かされていく。
(そんなお前だから、俺は……)
雪解けの下、芽吹いた若葉のように。カミュのもう一つのしまいこんでいた感情が、心の奥から顔を出す。
「……ありがとな、ユリ。吐き出して、だいぶ楽になった」
カミュは穏やかな笑顔をユリに向けた。
神の存在など信じていないが、神に懺悔した気分はこんな感じかも知れないなとカミュは思った。
同時に目の前の彼女は、元天使だと思い出す。
(もしかしたら、呪いを解くことも……)
「ユリ……。この旅が終わったら、オレの過去もちゃんと聞いてほしい。……そして、力を貸してほしいことがあるんだ」
間髪入れずにユリはもちろんと元気よく答えた。当然というような返答に、カミュは再び「ありがとう」と微笑む。
「……次の質問は?」
「質問?あ、そっか」
じゃあ……とユリは二つ目の質問を考える。
「カミュが言っていた星空。いつか、一緒に見れる?」
質問のようで質問じゃない問いかけ。カミュはふっと頬を和らげて答える。
「ああ……見せてやる」
贖罪の旅が終わった未来の話。彼女がいれば、きっと自分自身を赦せる日が来ると――カミュはそんな予感がした。
「じゃあ、最後の質問ね。うーん、好きな食べ物とかは前に聞いたし……。いま一番欲しいものとか!」
「なんだその質問」
カミュは小さく吹き出すように笑う。せっかくなんでも答えてやるって言ったのに、ありきたりな質問だ。
「他にあんだろ」
「他に?たとえば?」
カミュはユリをじっと見つめて、答える。
「……好きなヤツはいるのか、とか」
その瞬間、今まで安定していたユリの手のひらに灯る炎が大きく揺れた。
小さな沈黙の後に、ユリは口を開く。
「……カミュ、好きな人がいるの?」
好きな人というのは"恋"ということだろうか。ユリは記憶を思い出しても、恋というものはしたことがないのでよくわからない。
本の中で語られる恋しか知らない。
「でも……前に恋人はいないって言ってたよね」
「恋人はな」
「……片想い?」
カミュは笑って、ユリに言う。
「聞いてみればいい。最後の質問――好きなヤツは誰かって」
好きな人――。知りたいような、でも知りたくないような、そんな複雑な感情がユリの中で渦巻いた。
「むしろ、お前に聞いてほしい」
真剣なカミュの言葉に、ユリは意を決して口を開く。
「カミュの好きな人って、誰……?」
ドキドキと鼓動に混じって聞こえた自分の声は、緊張を含んだ声だ。
ずっと、炎は不安定に揺らめいている。
「オレの、目の前にいる。オレはお前が――ユリが好きだ」
一瞬、二人の間の時間が止まったように感じられた。
ユリの手のひらの炎はピキピキと音を立て、氷になる。
沈黙のまま暗闇が訪れた。
「……今のは、どういう反応なんだ」
意味によっては、カミュは立ち直れないぐらいショックを受けるだろう。
「ご……ごめんっ。あの、その、びっくりして……」
「……そう、だよな。唐突だったし……」
逆に暗くてよかったかも知れないとカミュは思い始めた。
少し経って、自分の顔が熱くなってきたのを感じたからだ。
「返事は……この旅が終わったら、くれ」
ユリが何か言う前に、カミュは先回りして言った。
ユリからの返答が怖いという理由だ。
そもそもこんな形でしか想いを告げられないぐらい、自分は臆病な人間なのだ。
彼女の本来の種族から考えても、受け入れてもらえるか未知数過ぎる。
想いが抑えきれなくて伝えたものの、袖にされたら……。この旅はカミュにとって耐えがたいものになるだろう。
きっと使い物にもならない。棺桶に入れて引きずってくれ。
「わ……わかった」
「お、おう」
再び、沈黙。
「「………………」」
気まずさが訪れて、視線をずらしたカミュの目に外の景色が映る。
「……吹雪が弱まったな」
「あ、本当だ……。みんなと合流しなくちゃだね」
意識を切り替えて、二人は洞穴を出た。
「カミュ、この足跡……」
「エルシスのだな。追うぞ」
「うん!」
足跡を追って、雪道を進むユリとカミュ。
そこにいるのは、元の信頼し合う仲間の二人だ。