魔物に占拠された町

 目覚めた世界は、闇に覆われていた。
 それでもマルティナが、希望を失わなかった理由は――。


「グロッタの町……。ようやくたどり着いたわ」

 ユグノア地方の山脈を越えて、マルティナは岩上からグロッタの町を見上げる。

(ロウさま……ひとりでも、ちゃんと着きましたわ)

 初めての一人旅。寂しがる少女の年齢ではないのに、何度も孤独に襲われながら、ようやくたどり着いた目的地。

 命の大樹が落ちて――マルティナが目覚めた時は、一人だった。

 16年前のあの日から、ずっとそばにいてくれたロウの姿はもちろん。
 エルシス、ユリ、カミュ、ベロニカ、セーニャ、シルビア――仲間たちの安否がわからないまま、ただマルティナは人助けをしながら旅を続けた。

 グロッタの町に来た理由は……思考していたマルティナは、何かの気配に素早くそちらに意識を飛ばす。

「……おい、あんた。見たところ、旅の者だろ?」

 声をかけたのは、商人の男だった。
 てっきり魔物だと思ったマルティナは、警戒をほどく。
 
「あの町は今ひどいありさまだと聞くよ。命が惜しけりゃよそへ行くんだな」
「ご忠告どうもありがとう。……けれど、そういう場所だからこそ、私はあの町に行かねばならないの」

 商人の問いに、マルティナは話す。
 
「この闇におおわれた世界で、苦しんでいる人たちを助ける……。それこそが、私の使命だから」

『マルティナ、お前はいずれ女王になる。王族として、一番大事なことを今日は教えよう』
『はい、お父さま!』

 "国民を、人々を守ること"

 王族と生まれた者の使命だと、父はよく言っていた。
 でも、今マルティナを動かしている使命は、王族としてではない。

 生き残って……戦える術がある者としての使命だ。

「やれやれ……こんな世界になっちまって、みんな自分のことで精一杯だってのに、人助けなんてご立派なこった」

 とんだお人好しだと思われたのかも知れない。商人の男は、それ以上の追求はせず、さっさとこの場を立ち去っていった。

「みんなだって、もし生きていれば、きっと同じようにしているはず。こうして旅を続けていれば、またどこかで会えるかもしれない。……そうよね、エルシス」

 あの時、エルシスは勇者の力を魔王に奪われてしまった。
 力がなくとも、勇者じゃなくなっても、たとえ勇者じゃなくても。

 きっと、彼らなら……。

 そう信じられる思いが、この崩壊した世界でマルティナを支えた。


 グロッタの町に入ると、ただならぬ気配にマルティナは素早く身を隠す。
 こっそり覗いて見た光景に、目を見開いた。

「町の中に魔物が……。これはいったい……!?」

 マルティナがこの町にやって来たのは、この町が魔物たちに襲撃されたという噂話を耳にしたからだ。
 たが、人の姿は見当たらず、代わりに魔物たちが町を蔓延っている。

(グロッタの町で一体なにが……)
「う、うわああーーっ!!」

 その時、聞こえた男性の悲鳴。響いたのは下層から。どこからと動く視線が、二体の魔物に襲われる人の姿を捉えた。

「オレたちに逆らうとは生意気なヤツだ!まだ自分の立場ってもんがわかってねえようだな!」
「二度とおろかな考えを持たぬよう、その根性をたたき直してやる!」
「待ちなさい!」

 マルティナは建物から飛び降り、勢いに乗った足の一撃は、魔物の脳天を貫く。

「ぐ、ぐふっ……!」
「くっ……!ブギーさまに報告だ!」

 一撃で倒れた仲間を見て、慌てて魔物は翼をはためかせ、上へと飛んで逃げていった。

 ブギーさま……?

「うう……。助けてくれてありがとう。俺はグロッタの町で闘士をしていた者さ」

 飛び去った方を見ていたマルティナは、彼の方に目を移す。

「怪我はしてないみたいね。よかったわ」
「あんた、仮面武闘会に出場して準優勝した……マルティナさんだよな?どうして、ここに……?」
「私は人々を苦しめる魔物を退治しながら、各地を旅しているの。その道中で、このグロッタの町が魔物に襲われたと聞いてやってきたのよ。……話を聞かせてもらえるかしら?」

 闘士は、このグロッタの町で何が起こったか、詳しく話をしてくれた――

「世界が闇におおわれた後……。妖魔軍王ブギーって魔物が町を占拠して、俺たち人間をはたらかせはじめたのさ」

 妖魔軍王ブギー……。先ほど魔物が口にした名前は、やはりボスの名だったらしい。

「元チャンピオンのハンフリーをはじめ、何人かの闘士がブギーを倒しに向かったけど、その後、誰ひとり戻ってきやしない……」

 続けて闘士は「俺もなんとか一矢報いようと魔物に逆らってみたけど……このザマさ」と、自分に落胆しながら言った。

 話を聞いて、マルティナは決意する。

「苦しんでいる人たちを放っておけないわ。そのブギーという魔物は、私が倒してみせる!」

 人々を助けるために、自分はここにやって来たのだから。

「でも……。いくらあんただって……」

 闘士はそこまで言って、口を閉じる。マルティナの目は本気で、その表情に覚悟を見たからだ。
 闘士の視線が、上へ繋がる階段へと向いた。

「……ブギーはこの町の3階。かつて闘技場があった場所にいるらしい。命が惜しくないなら……行ってみなよ」
「教えてくれてありがとう」

 一言、彼に礼を言うと、颯爽とそちらに向かうマルティナ。
 一つに結い上げた長い黒髪が揺れる後ろ姿を、闘士は複雑な目で見つめる。

「……ブギーを倒すなんて、いかに無謀か……。この町にきたばかりのあんたには、わかるはずもないだろうな……」


 階段を上がると、すぐさま徘徊する魔物と鉢合わせした。
 先ほど飛んでいったエビルビーストだ。マルティナは身構えるが、襲ってくる気配はない。

「……ん?なんだ、お前は?こんな所で堂々とサボってるなんてなかなかいい度胸してるじゃねえか」

 どうやら先ほどとは違う固体のようだ。

「お前たちはブギーさまのしもべとして、一生こき使われる運命なんだよ!わかったらさっさと持ち場に戻りやがれ!」
「この階段から2階へ上がった先に、人間どもがはたらく作業場がある。お前もさっさと行かんと痛い目をみるぞ。……しかし、人間どもをはたらかせてあんなものを作ろうだなんて……。さすがはブギーさまだ、クハハ!」

 近くにいたアンクルホーンにも好き勝手言われ、蹴飛ばしたいのをぐっと我慢するマルティナ。
 ここで暴れるのは得策ではない。無用な戦いを避けるためにも、マルティナは大人しく従うフリをした。

 魔物たちと遭遇する度に――

「この町はオレたちがいただいたっス!だから、ここにいる人間はみんなオレたちの命令にしたがうっス!お前もアブラを売ってないでとっとと上の階に行って、オレたちのためにはたらいてくるっスよ!」

「ここは闘士の町と聞いとったけえ。ちったあ面白い戦いができると楽しみにしとったんじゃが……。歯ごたえのないヤツらばかりで、簡単に町を占領できてしもうたわい。暴れたりんのう、ガッハッハ!」

「魔王さまが命の大樹を落としたことで、地上の人間どもは次々と息絶えてます。まだ命があるとは幸運でしたね。もっとも、運よく生き残ったあなた方も我々、魔族のために死ぬまではたらいてもらいますがね、フフフ」

 魔物は皆、人間であるマルティナを見下すように言葉をかけた。それでもマルティナは、今は我慢よ、と耐えたが……

「あれ、お前のカオ……。どこかで見たことあるような……。ああ、思いだしたぞ!魔王さまに敗れた忌々しい勇者の仲間のひとりに似てるんだ!」

 というびっくりサタンの言葉には、口封じのために倒そうと決意した。

「……でも、こんな所にたったひとりでノコノコと来るわけないし、人違いだな。おどろかせるなよ、まぎらわしい」

 寸前で文句を言いながら去っていたので、見逃すことにする。(これがベロニカだったら、ここは火の海ね……)

 辛抱強いマルティナだったが、ついに我慢とならず、足が出る――

「あのでかでかとそびえ立つ像……どこぞの英雄がモデルらしいが、全然ダメだな。センスのカケラもありゃしねえ。しょうがねえから、このオレさまがかっちょよく改善してやるぜ!人間どもにアートってもんを教えてやらあ!」

 とらおとこがグレイグ像に手を出そうとしたので、阻止しようと思考より先に足が出て倒してしまったのだ。
 ちょうど周囲に魔物の姿はなく、騒ぎにならずによかったと、マルティナは胸を撫で下ろす。

(……グレイグも、無事よね……)

 父であるデルカダール王が、魔王ウルノーガに身体を乗っ取られていたことも、ホメロスが裏切っていたことも、あの場にいたグレイグも真実を知ったのだ。

 ちゃんと話をして、グレイグと和解したいとマルティナは思っていた。

(……お父さまは……)

 そこで、マルティナは思考を振り払う。今はそれどころではない。目の前のやるべきことをしなければ。
 階段を上がると、物音が耳に届いた。気になって、マルティナは柱の影を覗くと……
 
「ひいっすみません……っ!ちゃんとはたらきますから、どうかこの子だけはお助けを……って、なんだ人間じゃない!魔物に見つかったかと思ったわ……」

 どうやら、母親とその子供が魔物から隠れていたらしい。
 ほっと安堵する母親は、すぐさま小声でマルティナに懇願する。

「お願い、私たちが隠れていることは、魔物たちには言わないで!連中に見つかったら何をされるか……!」
「もし、わるいまものがきてもママのことはボクがまもってあげる!だから、だいじょうぶだよ……」

 まだ小さいのに……母親を励まし、守ろうとする幼子の姿に、マルティナは胸を痛めた。

「でも、ここもいずれ見つかってしまいます。どこか安全な場所があれば……」
「教会は魔物が近づけないので、安全なはずよ。そこに行く途中だったのだけれど、魔物に見つかりそうになって、ここに隠れてたの……」

 母親は息子を抱き寄せる。教会は下層なので、戻ることになるが、そんなことはかまわない。

「私にまかせてください。必ず、あなた方を教会にお届けしますわ」

 一瞬迷いを見せた母親も、マルティナのその真剣な眼差しに、彼女の目を見てこくりと頷く。


 マルティナは慎重に親子を手引きし、なんとか魔物に見つからず、教会へとたどり着いた。
 教会前には一匹のドラキーがいて、見張りかと焦ったが……

「キュイー、大人の魔物たちがねーこの建物は聖なるチカラで守られてるから近づくなーって言うんだけどー……たまーに楽しそうな子供たちの声が中から聞こえてくるんだよねー。いいなあ、ボクも一緒に遊びたいなー」

 どうやら悪いドラキーではないようなので、放っておくことにした。

「本当にありがとうございます!」

 頭を下げてお礼を言う母親に「お力になれてよかったです」と、マルティナは謙虚に答える。

 親子と別れると、教会内を眺めた。ここは孤児院にもなっていて、小さな子供の姿も多くあった。
 神の力で守られているこの場所には、魔物も入ることはできないので安全だ。(でも、いつまでもここに立てこもることはできないわ……)

「マルティナさん!」

 その時。自分の名前を呼ばれ、マルティナはそちらに振り返る。

「あたいを覚えてる?仮面武闘会に出場していた闘士のサイデリアだよ!」
「ええ、もちろんよ。よかった、あなたは無事だったのね」

 仮面武闘会で戦いはしなかったものの、同じ女闘士として、二人は少なからず交流があった。
 サイデリアは憧れていたマルティナとの再会に笑顔を見せたが、すぐに顔を曇らせる。

「……ご覧の通り、このグロッタの町は今や魔物たちの巣窟さ。大樹が地に落ちたあの日からね……。この町と関係ないあんたは、早くこの町から逃げたほうがいいよ。やっかいなことに巻きこまれる前にさ……」
「そうはいかないわ」

 マルティナは自分が人助けの旅をしていること……このグロッタの町には助けに来たのだと、サイデリアに話した。

「……そっか。さすが、マルティナさんだね。あたいはだめだったよ……こわくなって、ここに避難したんだ……。ビビアンが戻ってこないのに、助けに行くことすりゃできない」

 そういえば……いつもサイデリアと一緒にいるビビアンの姿がないと、マルティナは気づく。
 最初に出会った闘士の彼が言っていた、ブギーに立ち向かった一人が、ビビアンだという。彼女だけでなく……
 
「マルティナさんって強いんやろ?もし、ハンフリーさんを見かけたらチカラを貸してあげてや!」

 そう独特な口調の女の子は、マルティナの存在に気づくや否やお願いした。
 他にもハンフリー、ガレムソン、マスク・ザ・ハンサムなど……仮面武闘会でも上位の成績を残した者たちが帰ってこないのだと、サイデリアは教えた。

「ハンフリーさんはウチと約束したんや。絶対に無事に戻ってくるって……。せやけど、やっぱり心配なんや……」
「……きっと大丈夫よ。私が探しに行って、必ず一緒に戻ってくるから」

 女の子と目線を合わせて、優しく話すマルティナ。
 魔物たちは人間たちを働かせると言っていた。ならば、無闇に殺しはしないだろう。

「ビビアンのことも私にまかせて」
「……ありがとう、マルティナさん……」

 泣きそうになるサイデリアの肩に手で触れて、励ます。
 臆病風に吹かれた彼女を、軽蔑するつもりも、非難するつもりもマルティナにはない。

 恐れる気持ちは、わかるから。

 ――教会には、他にも顔見知りの闘士のミスター・ハンや、ベロリンマンの姿があった。

「おお、マルティナさんじゃないか!仮面武闘会で対戦相手立った、このミスター・ハンを覚えておられるか!?」
「ええ、もちろんよ。その怪我は……」
「こんな姿のままで申し訳ない。町を占拠した魔物を退治しようとして、返り討ちにあったキズが痛むのでな」
「無理せず、お大事にね」
「……もっとも、仮面武闘会の時にあなたから食らった一撃に比べたらたいした痛みでもないがね、はは……」

 冗談だろうが、そんなに力を込めたかしら……と、マルティナはちょっと気にした。

「魔物が入ってきても戦えるように、トレーニングはかかせないベロ!だからすぐにハラが減るんだベロ〜ン!」

 食事を待つベロリンマンの姿には、彼は相変わらずね……と、マルティナは苦笑いを浮かべる。

 行方不明の闘士たちのことや、魔物の親玉であるブギーについて、何か手がかりはないかと、マルティナは情報収集をしていた。
 その際、部屋でひとりぽつんとしている男の子を見かけて、気になって声をかける。

「……ボウヤ、どうかしたの?」
「たいじゅがおっこったあとね。いつもあそんでたともだちがきゅうにいなくなっちゃったんだ」

 それで一人、落ち込んでいたらしい。

「みんな、とおいところにいったから、もうずっとあえないんだってさ」

 ……きっと、まだ本当の言葉の意味はわからないのだろう。
 その言葉を聞いて、マルティナの心臓がぎゅうと締めつけられる。

「……私もね……」
「……え?おねえちゃんもいなくなったともだちをさがしてるの?はやく、みつかるといいね」

 打って変わって、男の子は無邪気な言葉と笑顔をマルティナに向ける。

「……ありがとう」

 今はその小さな優しさに、そう答えるだけで精一杯だった。
 あの子のためにも、せめて安全と自由を取り戻す――。

 マルティナは胸に固く決意し、教会を後にした。


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