ロウはバニーガールをまっすぐ見つめた。
彼女は平然とした顔で口を開く。
「あら、どうしたの、王さま。パーティーはまだ続いているわよ?」
ロウはなにも答えない。
「まさか……ここを出て行く気?」
「そうじゃ」
一言でも、その声色には重さがあった。
覚悟を決めた、揺るぎない声だ。
「ここには夢のような幸せが、まだまだ数えきれないほど待っているわ」
そうだろうと思う。だが、ロウに迷いはない。ただ、ひとつの心残りは……小さなエルシスと約束した、一緒にサーカスを見にいけないことだ。
「それなのに、本当に出ていっていいの?」
「バニーちゃん。わしはもう決めたのじゃ。ひとときの幸せな夢を見させてくれて、ありがとう……」
まさかロウから礼を言われるとは思っていなかったのか、バニーガールは微かに目を見開いた。
「……わかったわ、王さま。そこまでの決意なら、もう止めはしない。でも、どうして?理由を聞かせて」
「思い出したんじゃよ……」
バニーガールの質問に、ロウは目を閉じて答える。
「今、わしに必要なのは、甘い夢の世界ではなく、魔王を倒すための強さだということを」
そして、目を開くと、その瞳には力強い光が宿っていた。
「だから、わしは一刻も早くここを抜けだし、我が師匠、ニマ大師のもとで修行を受けなければならないのじゃ!」
ロウが理由を言い切ると、しばしの沈黙が訪れる。
「……せっかく、アンタの好みに合わせて、こんな姿までとったっていうのに。どうやら、余計な気遣いだったようだね」
急に口調が変わったバニーガール。その身体は白い光を放ち――次の瞬間には、愛らしい姿はミステリアスな魅力の美女へと変わっていた。
ロウは驚きを隠せない。何故なら……
「な…なんと、その姿は……!バニーちゃんが、我が師匠ニマ大師に!?」
「……はあっ!!」
再会の言葉もなく、彼女は両手をかざすと、辺りは強い光に包まれた。
あまりの眩しさに、ロウは目を閉じるしかない――……
「…………ここは!?」
再び目を開けると、そこはユグノア城ではなく、暗い闇が蠢く謎の空間だった。
見ると、自分の格好もいつもの旅装束に戻っている。
ロウは目の前に建っている、宮殿のような建物を見上げた。かつて、自身の修行の地だった――ドゥルダ郷にある建物とそっくりだ。
「あそこに、ニマ大師がおるのじゃろうか……」
後ろに道はなく、どちらにせよ、進むしかない。
ロウはゆっくりと階段を上がっていく。
建物の中は無機質な部屋で、あるのはポツンと真ん中に置かれた、石碑だけ。
刻んである文字を読み上げる――……
聖なる波動と 不屈の刃が 交差するとき
まばゆき 光の星雲が生まれ
闇に閉ざされた世界を 希望の光で満たさん
「……ううむ。なんのことやらさっぱりわからんな」
その奥には扉があり、開けると……
「……!」
なにもない広い空間に、ただひとりニマ大師が佇んでいた。
「ここはよるべなくさまよう、哀れな魂が流れつく場所……」
ニマは静かに口を開くと、その目にロウの姿を映した。
「冥府へ、ようこそ。……ひさしいな、ロウ。こんな所まで修行を受けにくるなんて、我が弟子ながら見上げた根性だね」
「大師さま!」
歩み寄るロウに、彼女は続けて話す。
「幸せとは、時におのれの歩みを引きとめる、何より手強いカセとなるもの。よくぞ、それを断ち切った」
「では、あの光景はやはり……」
静かにニマは頷く。
「そう。全部、あたいが用意したものさ。しっかり乗り越えてくれて、まずはひと安心……といったところかね」
「おおっ!それでは……!わしに修行をつけてくださるのですね!?」
「なあに早とちりしてるんだい。あれだけで終わりってんじゃ、アンタももの足りないだろう?」
喜ぶロウに、ニマは厳しく言い放った。ロウの口から「ふえっ?」と腑抜けた声が出る。
「今のアンタに修行を受ける資格があるか……毎日の稽古をサボってなかったかは、なつかしのコレで確認させてもらうよ!」
ニマが取り出したのは、いわゆるかゆいところに手が届くマゴの手に似ているが、そうではない。
「それは、大師さまの伝家の宝刀、お尻たたき棒!しかも、二刀流ですとっ!ぬう、本気ですね、大師さま……!」
そう、歴代の大師たちが振るう、由緒正しい伝説の武器だ。過去の修行中に、これで1万回もお尻を叩かれた記憶がロウの脳裏によみがえる。
だが、ここまで来て怖じ気づくロウでもない。
「……ならば、わしも死力を尽くすまでっ!!」
すぐさま武闘のかまえをするロウに、ニマはフッ……と笑った。
「それじゃあ、始めようかね」
彼女も剣士のごとくかまえる。
「かかってきな!」
「いきますぞ!」
ツメを装備したロウは攻撃を仕掛けるが、二本のお尻たたき棒であっさりと防がれてしまう。
「全力で来なきゃ、怪我するよ!」
「ぐぬぅ……!」
ビシバシと痛い攻撃を受け、ロウは石で水面を切るように、後ろに着地した。
(剣士のごとくかまえている大師さまに、近接戦は危険じゃな)
ならば……と、ロウは杖を取り出す。ニマに向けて、呪文を唱えた。
「マヌーサ!」
「これは、なんだい?」
彼女が幻影に包まれて困惑している間に、もういっちょ呪文を唱える。
「ドルクマ!」
「うぅっ!」
上位の闇属性の攻撃呪文だが、効いているようだ。
「なるほど……。昔より呪文の詠唱が早くなったじゃないか!」
ニマはかまえを解いて、今度は魔道師のごとくかまえた。
「ほーら受けてみな!イオラ」
「のおっ!?」
広範囲の呪文なら幻惑も関係ない。恐るべき魔力で、ニマは一帯を光の爆撃で包んだ。
「さすが、大師さまじゃ……」
ロウはベホイムを唱えると、続いて祈りを捧げる。
「降りそそげ……癒しの雨よ……!」
徐々に傷を癒やす雨を降らせ、再びツメでの攻撃を仕掛けた。どうやら二つのかまえは、武闘なら武闘、呪文なら呪文に強くなるらしく、反対の攻撃を行うロウの判断は正しかったようだ。
「っさっきより動きがよくなってるね。……じゃあ、こういうのはどうだい?」
ニマはロウに顔を近づけ、怪しく微笑みかけた。
「遊んでやろうかい?」
「は、は〜い」
「お前は昔から魅了耐性が弱いんだよ!」
「ぐはっ!」
魅了状態になって、うっとりしているロウに、容赦なくドルクマを放った。
しかも、魔力が暴走して、ロウは痛いダメージを受ける。
「……あんたの力はそんなもんかい」
「……っまだまだ、これからですぞ!」
うつ伏せで倒れていたロウは、勇猛に立ち上がった。そして、ゾーンに入る。
「お前の根性に免じて、さらなる試練を与えてやる」
ニマはニィと色っぽい笑みを口元に浮かべた。かまえを解いて、精神をとぎすませる。
「さあ、おいで……!」
召喚したのは冥府のしのべ。いななきながられんごく天馬が現れた。
ニマの攻撃を防ぐだけでなく、れんごく天馬の攻撃に対処しなければならない。れんごく天馬は火を吹いたり、メラミを唱えたり、ロウは苦戦を強いられた。
「まだまだいくよ!」
「なんのこれしき……!」
だが、ゾーンに入ったおかげで、攻撃魔力と回復魔力が上がり、自分を回復させながら、なんとか呪文で応戦する。
「あんまり呪文に頼ってると、すぐに魔力がすっからかんになるよ!」
「!ニマ大師、助言をありがとうございます!」
ロウは杖をれんごく天馬に向けて「マホトラ……!」を唱えた。
魔力を奪い、れんごく天馬はメラミを唱えるのに失敗する。
「ヒャダルコ!」
「くっ!」
ニマとれんごく天馬に氷の刃が襲い、先にれんごく天馬が倒れて消える。
「あたいの本気みせてやるよ」
ニマはひっさつ奥義にそなえ、闘気を集中させ、さらに研ぎ澄ませる。
それを見て、ロウも同じく闘気を集中した。
「あたいと闘気を張り合うつもりかい!?」
――流星乱舞!
ニマは嵐のような連撃で、ロウをせっかんした。
「っ!防御――?攻撃にではなく全闘気を防御に使ったのか!?」
「防御は最大の攻撃ですぞ……!」
ロウはニマの攻撃に耐え、隙ができた身体に拳を撃ち込む――!
「ぐっ……!」
「わしの、勝ちですな……!」
片膝をついたニマは「一本取られたね……」そう小さく笑った。
「ぜえ、ぜえ……」
服の汚れを払っている余裕の姿のニマとは違い、息を切らしているロウ。
「どうやら、稽古はサボってなかったようだね。けど、あたいに言わせれば、まだまださ」
「そ…そんなあ……」
その言葉を聞いて、ロウはがっくし肩を落とした。
その姿を見て、少しの沈黙のあと、ニマは口を開く。
「……しかし、覚悟は見せてもらったよ。あの魔王に挑もうって気概が、アンタの拳からひしひしと伝わってきた。……今のアンタなら、奥義を習得できるかもしれないねえ」
「大師さま!では、今度こそ……!」
期待した目で、ロウはニマを見る。
「ああ、お望み通り修行をつけてやるよ。ただし、アンタがこの冥府にいる間、アンタの肉体はどんどん消耗していく……」
この冥府は、死後の世界――。生ある者が訪れる場所ではないからだ。
「だから、本来何年もかかるような修行を、ごく短い時間でたたきこむことになるよ。……地獄を見る準備は、できてるかい?」
「……もちろんです!このロウ、大師さまとご一緒できるなら、地獄の果てまでおともいたしますぞ!」
ロウはびしっとポーズを決めて、ニマの問いに答えた。
「よし……いい返事だ」
ニマに修行をつけてもらう約束を果たすことができたロウ。ふと、あることを思い出す。
「しかし……大師さまのバニー姿には、すっかり騙されましたなあ。あの完成度……。まるで、本物の『ピチピチ☆バニー』を見ているようでしたぞ!」
「まあ、あたいも若い頃は、いろいろとね……」
てっきり怒られるかと思ったら、なにやら遠くを見て、意味深に呟くニマ。
予想外の反応にロウは動揺する。
「んん!?それはどういう……?」
「そんなことより、ちゃっちゃと修行を始めるよ!まずはウデ立て1万回からだっ!」
「い…いちまんかい、ですとっ!?」
ビシィッ――!
彼女のお尻たたき棒が、良い音を立て……
「ぎょええーーーーっ!!」
ロウの悲惨な悲鳴が、冥府に響き渡った。