出陣

「……こんにちは」
「……?こんにちは」

 膝を抱えて座っていた少女は、ユリを見ると不思議そうな顔をした。
 もしかしたら、なにかを感じ取ったのかもしれない。

 少女の名前は、セーシェルというらしい。

「あたし、帰るお家がないの……。大樹さまが落っこちた日に、家族も友達もいなくなっちゃった。お姉ちゃん……あたし、これからどうしたらいいのかなあ」
「………………」

 セーシェルの言葉に、どう答えたらいいのだろうとユリは悩んだ。

 どんな言葉も、今の彼女には響かない気がした。

 その悲しみや苦しさ、目にしたあの絶望がどれだけのものか。ユリは知っているからこそ――そう思えてしまう。

「……私と、一緒だね」
「……お姉ちゃんも?」

 ただ川の流れを見つめていたセーシェルの暗い目が、ユリを映した。
 セーシェルの目を見て頷くユリは、隣に同じように座る。

「私ね、なんで独りだけ生き残ったんだろうって、ずっと考えてたの」

 ――あのとき、イザヤールと役目が反対だったらと考えたこともあった。
 彼が生き残った方が、よかったんじゃないかと……自分よりずっと優秀な天使が生き残っていたら、もっとすべてが上手くいったのではないのかと。

「……でも、今はこの命があってよかったと思えてるよ」

 自分には、まだ使命がある――。

 きっとその為にこの命は生かされたのだから、精一杯生き抜こうという覚悟ができた。

「あなたが生きていてくれて、本当によかった……」
「…………」
「ここにはあなたのことを気にかけて、心配してくれている人がいるよ。決して独りじゃないから、それだけは忘れないで」

 俯くその姿にどう思ったのかわからない。ユリがセーシェルにかけられる言葉は、同じような境遇に立った者として、偽りのない言葉しかなかった。

 ――忙しない足音が向かってくるのに気づいて、ユリは振り返る。近づいてきた兵士は、その場に立ち止まり、敬礼した。

「デルカダール王が先ほど目を覚まされました。勇者の仲間である、あなたがお戻りになったと知ると、すぐにお会いしたいと申しております。ご足労していただければ幸いです」

 伝令の兵士の言葉を聞き、ユリはセーシェルに「また来るね」とその言葉を残し、兵士の後ろをついていく。

「お待ちしておりました。勇者さまのお仲間の方。さあ、中へどうぞ」

 テントの中に入ると、ベッドに腰かける王の姿があった。病に伏せていたという言葉通り、出会った日の姿より頬は痩け、やつれているのが一目でわかる。

「……無事で、あったか」

 デルカダール王は閉じた目を開く。
 その目は澄んでいて、色素の薄い色はマルティナと同じ色をしていると気づいた。

「そなたはひとりなのか?勇者は……」
「エルシスは……――」

 ユリは大樹が落ちたあの日から、彼は行方不明なのだと王に答える。

「そうか……」

 その小さな呟きのあとは、沈んだ空気と共に沈黙がテントの中を流れた。

「わしは長いこと、恐ろしい夢を見ておったようだ。勇者エルシスが生まれたあの日から……」

 先に沈黙を破ったのは王だった。ユリの目をしかと見つめ、自身について話す。
 
「わしの所業は聞いた。何も思い出せぬが……民にも……そなたたちにも、本当に申し訳ないことをした。許してくれとは言わん。この業は、民たちを守ることで返していくつもりだ」

 一国の王が頭を下げた。ユリは口を開き、静かな声で彼に言う。

「……私は大丈夫です。その言葉は、エルシスが戻ってきたら……彼に伝えてください」
「……わかった。必ずや伝えよう。……そなたの名を聞いても?」
「私は、ユリスフィールと申します」
「名は体を表すという、よい名じゃ」

 優しく目尻を下げる王。再び表情を引き締める。

「では、ユリスフィールよ。そなたは大樹での出来事を覚えておるか?」
「私は……意識を失っていましたので、すべては……」

 あのとき――突然現れたホメロスの攻撃から、咄嗟にエルシスを庇い、意識を手放したユリ。
 サンディの力によって意識が戻ったときには、ウルノーガがエルシスから勇者の力を奪おうとしているところであった。

「そうか……わしは、何も思い出せぬのだ。ただ、わしに取り憑いていた何者かが抜けていったような……」
「やはり……王はウルノーガに憑依されていたのですね」
「そうだったのじゃろうな……。そして気を失い、目が覚めた時にはこの砦に運ばれた後であった……」

 勇者エルシスが誕生した瞬間から、ウルノーガの悪意は始まっていたのだろう。
 その頃からデルカダール王は人が変わったと、ロウやマルティナの話と合致する。ユリはぎゅっと拳を握りしめる。

 すべては、ウルノーガの思惑どおりに――。

「のう……ユリスフィール。ひとつだけ、聞かせてくれ。我が娘……マルティナは生きておるか?」

 返答に戸惑い、俯くユリの様子を見て、

「……そうか」

 その一言と共に、王は悟った。

(……せっかく、デルカダール王は正気に戻ったのに……)

「報告いたしますっ!」
「!」

 沈黙を破るように、兵士がテントへ駆け込んできた。

「……英雄の帰還です!今回もっ……逃げおくれていた民を……救いだしたようですっ!!」

 グレイグが……

「さて、我らが英雄殿がお帰りか。……望まぬことやもしれぬが、そなたもあやつを出迎えてやってくれ」

 ユリはこくりと頷き、テントを出た。
 真実を知った今のグレイグと話をしたいと思っていた。――彼となら、この危機を乗り越える協力ができるかもしれない。

「もうすぐ英雄殿が帰還するぞ!早いとこ砦の入り口に行かなけりゃ、英雄の雄姿を見逃しちまうぜ〜!!」

 英雄の帰還に立ち会おうと、多くの人たちが砦の入り口へと急ぎ向かっている。

「英雄殿がお戻りになるのよ……。でも、こんな汚いカッコウじゃ恥ずかしいからお出むかえに行くのはあきらめる……グス」

 陰ながらグレイグの帰還を喜んでいるのは、あのグレイグの身を案じていた女剣士だった。
 ユリも人々に混じって、彼らの帰還を待つ。
 
「英雄殿の部隊には私の妹もいるのです。あいつはあの方にぞっこんで、私の反対を押しきって戦士になりました」

 隣に立つ兵士が、そわそわした口調で話した。英雄はもちろんだが、彼は妹の帰りもずっと待ちわびていたのだろう。

「……おっと、いけないいけない。今の話、妹には言わないでくださいね。ふたりだけの秘密だって約束したんです」

 やがて、こちらに歩いてくる兵士たちの姿が目に映る。
 その先頭を歩くグレイグは、威風堂々という言葉がぴったりだった。

「グレイグさまー!」
「お帰りなさいませ!」
「よくぞ、今回もお戻りに……!」

 人々の歓声に出迎えながら、堂々と彼らは歩みを進める。そのとき、グレイグが足を止めた。

「……お前は……」

 ユリはグレイグの姿を、緊張した面持ちで見つめていた。直近まで敵同士だった故、やはり直接対面すると複雑な感情もあった。

「……命あって、なにより」

 そう一言。――彼女がひとりという状況で、グレイグは悟る。

「よくぞ戻ったな、グレイグ。……して、成果は?」
「デルカダール城になにやら不穏な動きが……闇に乗じて何かが起きましょう。王よ、民たちを安全な場所へ……」

 グレイグは忠誠を意味する左胸に拳を置き、デルカダール王に報告した。
 そして、辺りを見回しながら声を張り上げる。

「皆聞け!じき、魔物どもが来るっ!戦いにそなえよ!かがり火をたけ!」

 そう伝えると、グレイグはそのまま立ち去ってしまった。

「……悪く思わないでくれ。グレイグほどの男でも、いまだこれまでのことを整理できておらん」

 グレイグの背中を見送るユリに、そっと話しかけるデルカダール王。

「近頃のあやつは、まるでおのれを痛めつけるように戦っておる。……わしには見ておれん」

 痛ましいというように、その目を閉じる。

「これ以上、あやつをひとりで戦わせたくはないのだ。頼む。勇者の仲間として、数々の困難を乗り越えたそなたのチカラを貸してやってくれ」

 一拍置いて、ユリはこくりと頷いた。

「……私は、この砦を守るつもりです。ここは勇者の故郷……彼の大切な人たちも、ここにたくさんいます」

 エルシスのために……これ以上、多くの命を失わせないために――。

「全力を尽くします」
「十分じゃ。恩に着る……ユリスフィール」

 デルカダール王は目元を和らげ、感謝の言葉を口にした。

「今夜の戦いをしのげば、勝機は我らにある!準備をととのえ、砦の外に向かうのじゃ。ユリスフィール、頼んだぞ」


 ……――最後の砦内は、人々の緊張と不安が一気に脹れ上がり、殺伐とした空気が流れていた。


「ボーっとするな!魔物が来るぞ!」

 戦いに赴く兵士や男たちは、急ぎ戦いの準備をする。武器を集め、防具を装備した。

「ヤリや剣は俺には必要ねえぜ!魔物どもめ、どこからでもかかってこい!おいしいムニエルにしてやるぜ!」

 なかにはフライパンを構える者もいた。料理人だろう。その姿に勇ましいとユリは感服した。
 当然、皆が皆、鍛えられた兵士ではない。
 そういった者たちは、大砲や玉弩の扱いをまかされていた。
 
「いつでもこの特大クロスボウを発射する準備はできていますよ!魔物め!どこからでもかかってこい!」

 彼らは持ち場で待機する。だが、これを撃つということは、前線の迎撃部隊が破られ、魔物たちに砦内まで侵入された時だ――。

 出番がこないことを、彼らを祈る。

「見張りからの報告によれば、今回の魔物軍団の襲撃は過去最大の規模らしいぞ……」
「コソコソ隠れていたってもうダメよ。砦の中に魔物が入ってきたら、私たちなんてひとたまりもないわ……」
 
 不安げな声や、恐怖ですすり泣く声も周囲から聞こえてくる。

「グレイグさまがお帰りになられたのだから、最後の砦はもう安全よ!みんな、一生懸命戦うのっ!」
「大丈夫大丈夫。英雄殿がついているのだから、魔物なんてひとひねりじゃよ!」

 だが、皆を鼓舞する声もまた上がる。

「女子供は砦の奥に隠したが、もしも魔物たちが砦に攻め入れば、わしらにはどうすることもできん……」
「きっと、大丈夫ですよ!村長もみんなと一緒に奥に隠れていてください」

 移住区に戻る際、入口に立っていたダンにユリは元気づけた。
 エマに使っていいと言われたテントに入ると、ユリは自身の戦いの準備をする――

 ひっそりと置いてある小さな鏡を覗き、お気に入りだったスライムイヤリングを外した。

 新たに装備するのは、デクの店で購入した『きんのロザリオ』自身の攻撃魔力と回復魔力を少し高めてくれる効果がある。それを首にかけ……指には『ちからのゆびわ』をはめた。いつの間にか失くなっていた、きんのブレスレットの代わりだ。

 弓や矢の状態も問題ない――。必要ないだろう外套は脱ぎ、普段の装いの上から矢筒と弓を背中に装備した。

 腰には愛用の細身の片手剣。

 天使界で、これを持つ者は一人前の証とされる『天騎士の剣』だ。

「ユリ……いる?」

 そのとき、エマがテントの中を覗き、声をかけた。その目に――やくそうなども手持ちに移し、ちょうど準備が整ったユリの姿が映る。

 目にするや否や、彼女は眉を潜めた。

「なにしてるの、ユリ……。まさか、戦いに行く気……?」

 信じられない、という声でエマは言った。
 反対に、ユリは落ち着いた声で答える。

「……うん。私も前線で戦ってくる」
「っだめよ!だって……危険だわ!一緒に砦の奥に隠れていましょう」
「心配してくれてありがとう、エマ。でも、私は大丈夫だよ――」

 そう微笑むユリは、綺麗だった。どことなくその笑みは、エルシスに似ているとエマは思う。

「で、でも……」
「ねえ、エマ。私の本当の名前はね、ユリスフィールっていうの」
「……ユリスフィール……?」

 ここでいきなり教えられて、ぽかんとするエマ。
 確かに、あとで記憶を取り戻したユリのことを教えてって言ったけど。

 そんなエマに、ユリはさらに話す。

「私は元天使。……大丈夫。そう簡単には魔物にやられないから」
「え……?元…天使……?」

 ますますエマは混乱するが、にこっと笑うと、ユリはテントから出ていってしまう。

「ユリ……本当に、あなたは……」

 その背中は小さいのに、不思議と強くて、頼もしかった――。


 ユリは出陣の前に、セーシェルへ会いに行く。村の一番奥に子供たちは集まり、その中にはエルシスを慕うマノロの姿もあった。

「マノロ、いいかい?よく聞くのじゃぞ。お前は砦の子供たちの中でいちばんのお兄さんじゃ。だから、お前は泣いちゃいけないよ。この子らが不安にならないように、しっかりそばにいて守っておやり」
「おばあちゃん、約束するよ!魔物はおっかないけど、オイラは何があっても泣かないよ!だってオイラは、オトナになったらエルシスみたいにかっちょいいユウシャになるんだもんね!」

 おばあちゃんの言葉に力強くマノロは答えた。その言葉を聞いたら、エルシスはとても喜ぶだろう。
 子供たちが集まるなかも、セーシェルは先ほどと同じようにひとり桟橋にいた。

「あたし、前にもこんな目にあったことある。マモノたちがとつぜんおそってきてあたりがまっくらになって……」

 そこで、セーシェルは頭を押さえる。

「それからのことは、何も思いだせないの。思いだそうとするとね。アタマがキーンとしてイタくなるの」

 相当なショックで、記憶が飛んでいるのだろう。

「セーシェル……あの時は、その手を取ってあげられなくてごめんなさい。でも、今度こそ、あなたを……この場所を守るから……」
「……お姉ちゃん……?」

 覚悟の言葉を残して、ユリはその場を離れた。

「エマちゃんから聞いたよ、ユリ。あんたは戦いに行くんだってね……。必ず生きて戻ってくるんだよ。命あってこそなんだからね!」

 心配そうな表情を浮かべながらも、ペルラの力強い言葉に、ユリはしかと頷いた。
 
「砦に危機が迫っているとかで、戦わない者は砦の奥に隠れているようにと、デルカダール王のご命令があったんだ」

 ペルラは辺りを見回しながら言う。そこには戦えない女性たちの姿ばかりで、近くのテントには怪我をしている者たちもいるという。
 もし、魔物たちが砦に侵入したならば、ここまで到達するのは時間の問題だろう。
 ユリは何としてでも前線で魔物たちの進撃を食い止めると……決意する。

「……なあに、私たちなら心配いらないよ!魔物が来たら、必殺のゲンコツをガツンとおみまいしてやるからね!あんたはしっかりとグレイグさまをお助けしておいで!」

 明るいペルラの言葉に、ユリも微笑みを浮かべた。
 ペルラに「行ってきます!」と告げて、村の皆に安全を祈られながら、ユリはその場を後にする。

 居住区の入り口では、エマとルキの姿があった。

「ルキが落ち着かないみたいで、さっきから吠えるのをやめないの。こんなことははじめてで、私……こわいわ」

 ルキは北の方を見ながら、低いうなり声を上げている。魔物襲撃の気配を感じ取っているのかもしれない。

「ユリ……えぇとユリスフィールって呼んだほうがいいかしら?」
「ユリでいいよ。みんなからそう呼ばれているの」
「そうね、そっちの方がしっくりくる気がするわ。……ユリは砦のみんなのために戦う決意をしたのに、こんなこと言ってはダメだってわかってる。でも……でもね」

 エマは祈るように両手を握りしめて。

「ユリ。私、ここで多くの人が命を失うのを見てきたわ……。あなたにはそうなってほしくない。だって、私たち友達でしょう?どうか無事に……戻ってきてね」

 エマの言葉を胸に刻み、ユリは町の外へと向かう。

「最後の砦は、岩壁に囲まれた天然の要塞です。話はお聞きしました。ここは我らデルカダール兵と民衆にまかせて、英雄殿のいる砦の外へお急ぎください」

 入り口を守衛をしている女剣士がユリに声をかけた。彼女は、先ほど話していた兵士の妹だ。


「どうかご武運を……。砦の外は……死地にございます!」


 ユリは自ら、死地へと赴く――。


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