死地

 最後の砦の入り口前には、ずらりと兵士たちが並んで陣を成す。

 後方から、弓兵、民兵、歩兵……。

 そして、最前列のグレイグ率いる騎兵部隊。
 ユリがその様子を眺めていると、ぽんと肩を手で叩かれた。
 
「よお、新入りの美人なねーちゃん!噂は聞いたぜ!大陸の端っこから、たった一人で砦に辿り着いたって?しかもその道中、がいこつけんし10体、じごくのよろい12体、スライム・強を30体は倒したっていうウワサじゃねえか!」

 ……なんだその尾ひれはひれがついたウワサ話は!
 ユリは驚愕に眉を潜め、固まった。
 ノリの軽い兵士に否定の視線を送るが、彼に気づく素振りはない。

「可愛い顔して腕っぷしは確か。運もありそうだ……。うん!アンタは見どころがありそうだ。ちょっと俺についてきてくれよ!」

 見どころ……?ユリは不思議に思いながらも、ノリの軽い兵士の後をついていく。

「ちょっくらごめんよー」

 整列をかき分け、やってきたのは前衛。

「よし!ついたぜ。勝利の女神さまみてえなアンタの持ち場は、ここだ。今日こそ魔物どもをケチらしてやろうぜ。最後の最後まで戦い抜こうな!」
「はあ……」
 
 ノリの軽い兵士はパチンとウィンクをすると、満足げに去っていった。
 なんだったのかしら……と、ユリは首を傾げながら反対側を向くと、そこには大きな黒馬が。
 視線を上にずらす。こちらをじっと見下ろすグレイグと目があった。

「……こんにちは」
「………………」

(違った……今は夜だからこんばんはだった!)

 昼間も暗いので、時間の感覚が狂うのだ。だからかもしれない。グレイグから返事がなかったのは。
 ユリは気まずそうに視線を外し、前を見る。

 二人の間に沈黙が訪れた。
 ………………。

 その間、グレイグは手綱を握ったり緩めたりしていた。やがて意を決したようにぎゅっと握りしめると、ユリに向けて口を開こうと――

「敵襲!!敵襲ぅっ!!」

 見張り台からカンカンカン!と鐘を鳴らす音と共に、見張りの焦燥の声が響く。
 グレイグはぐっと唇を引き締め、背中から大剣を引き抜いた。

 最後の砦の門が、固く閉ざされる。

 剣を胸の前にかざすデルカダールの兵士たち。
 民兵は震える手で剣や槍を構え、武闘家は意識を集中させる。
 ユリも腰の剣を引き抜き、現れた魔物たちの軍勢を強く捉えた。……数では到底敵わないだろう。

 グレイグを先頭に、軍は足並みそろえて前に進む。

「来るぞ、そなえよ」

 グレイグのその言葉は、自分に投げ掛けられたような気がした。
 ユリは意識を集中させる。せめて、前衛部隊だけでも……

「スクルト――!」

 守りの呪文が辺りを包み、ユリの周囲で「おお…!」という歓声が漏れる。続いて、ピオリム、自分にバイキルト。

 これで戦闘準備は万端だ。

 地上からはスカルナイト、がいこつけんし、グール、どくろの大臣・強……
 空からはイビルビースト・強とヘルズクロウの群れ……凶悪な魔物で結成された魔王軍だ。
 人間たちを亡き者にしようと、我先に押し寄せてくる。

 英雄軍はまだ動かない。十分に引き寄せてから、

「弓兵隊!矢を放てーー!!」

 魔物たちが矢の届く射程圏に入ると、弓兵隊隊長が合図した。

 弓兵隊は一斉にボウガンを放つ。

 弧を描き、矢の雨が魔物たちに降り注いだ。

「行けー!!」

 魔物たちが怯み、間髪入れずそこにグレイグの号令が響く。
「行くぞ、リタリフォン!」
 踵で合図し、グレイグは馬を走らせた。
 彼に続くように皆も武器を振り上げ、走り出す。

「おおおおおおおおおぉぉっ!」

 平原の中央で、魔王軍と英雄軍がぶつかりあう。
 そこからは、倒すか倒されるかの、生死をかけた戦いだ。

「はあっ……!」

 グレイグは愛馬のリタリフォンに乗って襲いかかる魔物を次々と切っていき、一撃で仕留めていく。
 まさに鬼神のような勢いで、グレイグは魔物たちの中心を突っ切る。
 戦場はすでに魔物と人間が入り乱れて戦う混戦状態になった。

 ――その渦中にユリも身を投じる。

 スカルナイトの剣を弾き、避け、素早くその身体に自身の剣を突き刺す!

「凍りつけ!ヒャダルコ……!」

 後ろから襲いかかってくる気配に、氷の呪文をお見舞いし、とどめというようにユリは剣を横になぎ払った。
 数体魔物を倒すも、すぐさま別の魔物が襲いかかってくる。

「おりてこい!ひきょうもの!」

 武器がぶつかり合う音や人々の声が響く中、その声がユリの耳に届き、横目に見る。
 切り立った岩の上、ひとりの兵士が槍を向けながら、ヘルズクロウ3体と苦戦していた。
 上空にいるヘルズクロウは、兵士を嘲笑うかのように槍の切っ先を避け、攻撃を仕掛ける。

 彼の腕から流れる血を目にした瞬間。

 ユリは身体を捻ると同時に、剣でスカルゴンの攻撃を弾き、魔物の間を縫ってその場から離脱した。
 走りながら剣を収め、取り出した矢を口にくわえる。狙える位置まで来ると、くわえた矢を向け、弓を引いた。

「ギャア!」

 1体、2体、3体……バードシュートで確実に打ち倒していく。
 そして岩を駆け上がり、兵士の元へと向かった。

「大丈夫ですかっ!?」

 ベホイミ、と唱え、ユリは彼の傷を癒やす。

「あ、ありがとう。キミ、すごい弓の腕前なんだな……」
「ひとりでは危険です。固まって戦った方がいい」
「そうだな……。俺は他の者たちの元へ加勢にいくよ!」

 兵士は坂を滑り降りると同時に、他の兵士と戦っている魔物の背に槍を突き刺した。
 その場に残ったユリは、仁王立ちのように立つと、矢筒から数本矢を取り出す。

「人間のムスメがいるぞ!」
「男どもよりうまそうだ!」

 ギャアギャアと飛び交うイビルビースト・強の軍勢を睨み上げる。しゃがみ、片膝をついて。弓を引き、魔物たちに構えた。

「かかれーー!」

 一斉に突っ込んでくるイビルビースト・強たちを迎え撃つ!

「さみだれ撃ち!」

 4本の矢が撃ち乱れ、次々と魔物に突き刺さっていった。怯んだ魔物たちにも手を緩めず、再度さみだれ撃ちを放つ。

 それを何度も繰り返す。

 矢の勢いに、イビルビースト・強たちはユリに近づくことさえできずに倒れていく。
 やがて矢が無くなったと同時に、最後の1体が残った。
 羽根に矢が突き刺さり、地面に足をついたイビルビースト・強。ユリは剣を引き抜くと、そのまま岩から飛び降り、頭上からひと突きした。
 魔物が消え去るなか、落ちた矢を回収し、再び戦場へ向かう――。


「さぁ、こいっ!やっつけてやるぜ〜!」

 魔物と交戦するなか、そんな勇ましい声が戦場に響いていた。戦況は五分五分といったところだ。

「あわわわ、死ぬーっ!」 
「くうっ!足もとを狙うとはひきょうなり、魔物!」
「――……っ!」

 ユリは魔物たちを切りつけながら走り抜ける。
 体勢を崩した武闘家と、兵士の二人組が魔物たちに囲まれた光景を目にしたからだ。

「ヒャド斬り!」

 背後からスカルナイトたちへの奇襲。はっとした兵士は、共にいるイビルビースト・強に剣を突き刺した。

「ありがとうな!私は足もとが弱いのだ。助かったぞ!」
「安心して、腰がぬけたよ……」

 ユリは無事な二人に笑顔を見せたが、すぐにその顔は強ばる。
 砦入り口付近をグールの軍勢が攻め、押されている――。

「この馬、借ります!」
「あ、ああ」

 兵士の許可を得る前にはすでにユリは馬に飛び乗り、走り出していた。
「ぐっ……」
 グレイグと同じように一撃とはいかないが、飛びかかってこようとする魔物を剣で叩き落とす。

(間に合え……!)

「ここは通さないぞ!」
「ううっ!ヘンなニオイだ!こいつらくさってやがる!」
「うわぁ……!毒が……っ」
「毒におかされた者は下がれ、下がれ!」

 門を抜けられたら、一巻のおしまいだ。そのまま攻め込まれ、砦は一気に落ちるだろう。

(ここから先は、絶対にいかせない……!)

 もし、ここにエルシスとセーニャがいたら、れんけい技の『聖なるいのり』でゾンビ系の魔物を一掃できただろう。

 でも、ここに二人はいない。

 ユリひとりだ。ひとりでなんとかしなくてはならない。
 ユリは馬上で弓を構え、魔のものが弱い聖なる魔力の矢を放つ。一矢であの世へと送り、馬を旋回させながらゾンビ軍団の数を次々と減らしていく。

「俺たちも続くぞ……!」
「ああ!男たるもの娘さんに負けてられねえぜ!」

 ――おおおおぉ!!

 砦の前を守備する彼らは奮起し、ゾンビ軍団をなんとか殲滅した。

「ありがとう、助かりました!」
「あなた、とても強いのね!」
「あとはまかせろ!なんとしてもここは死守してみせる!」
「オレはけっぺきしょうなんだ。助かったぜ、ありがとうな!お礼にこいつを受け取ってくれ!」
「ありがとう!」

 兵士から投げられた"まほうのせいすい"をキャッチするユリ。今のでかなり魔力を消耗したため、さっそく使って魔力を回復させる。

「ヒャダルコ!」

 戦場を馬で駆け抜けながら、今度は呪文を唱え、魔物の数を減らしていった。

「我ら、デルカダールの3本刀!俺の通り名はつじぎりのウィニー!かかってこいっ!魔物め!」
「我ら、デルカダールの3本刀!オラの通り名は、ごうりきのナックル!逃がさないぞっ!魔物め!」
「我ら、デルカダールの3本刀!私の通り名はてんちゅうのイトル!逃がさないっ!魔物め!」

 ――三位一体で戦うデルカダール兵士たちの姿が勇ましい。この一帯は彼らにまかせて大丈夫そうだ。

(誰も、死なせたくない)

 そんな思いでユリは戦場を駆け回る。傷ついた者がいれば、癒しの呪文を唱え、苦戦していれば援護する。
 そんな戦いを続けていれば、当然、ユリの負担は大きかった。
 だが、彼女は止まらず弓を引き、矢を放つ。

 ――もう何発放ったのかもわからない。

(敵の数が多すぎる……!)

 倒しても倒しても、次々と湧いて現れる新たな魔物たち。最初は混戦だったが、今は魔物たちの軍勢に呑み込まれているのが、目に見えてわかる。

「ぐあぁ!」
「おのれ……っ」
「来るな……!」

 戦場から響いていた勇猛な声たちは、やがて悲鳴に変わっていた。
 あちらこちらから聞こえるその声は反響し、ユリはぐるぐる辺りを見渡す。自分がどこに助けに行けばいいかわからなくなる。

「なんなのだ、こいつらは!?倒しても倒してもどこからともなく湧きでてくるぞ!?」
「わーわー!来るなっ!来るなー!」

 聞こえた声に、反射的に矢を放とうとするが……矢筒に矢がない。ユリは馬から飛び降り、合図をして馬は安全な場所に走っていた。

 そして自身も剣を掴み、走る。

「――あぶないところであった。ありがとう、礼を言うぞ!」
「……えっ!?もう倒しちゃったのか?目をつぶってたからわからなかったぜ!こりゃびっくりだ!」

 ……なんとか倒したものの、ユリは疲労が隠せなくなってきた。ピオリムもバイキルトもとうに切れてしまい、苦戦した。
 だが、もう一度唱えるには魔力を節約したい。

「しかし、グレイグさまがおひとりで魔物に突撃なされてしまった……。グレイグさまは無事であろうか……」

 兵士の言葉にはっと気づく。

(……そうだ。グレイグとなら……)

 彼と力を合わせられたら、この劣勢も覆せるかもしれない。ユリは最前線にいるであろうグレイグの後を追うことにした。

「うらぁ!」
「力を合わせて戦え!!」

 最前線に近づけば近づくほど、魔物の数は増え、そこは激戦の地だ。
 魔物の攻撃を避けては反撃するも、身体には無数の傷が刻まれていく。

「あぁっ……!」

 あくま大臣・強を倒したところで、スカルゴンの攻撃をもろに受け、ユリは叩きつけられた。

「ッ!」

 再びくる攻撃を、地面を転がってなんとか避ける。

「大丈夫か……っ!」

 そこを横から魔物を切りつけ、助けてくれた兵士。

「大丈夫です……っ」

 ユリは痛みに堪えながら答え、自分にベホイミを唱える。

「ここは危険だ、後衛に下がった方がいい!」

 ユリを庇いながら、魔物に向けて牽制するように剣を構える兵士。ユリはよろめなきがらも、立ち上がり、答える。

「私……グレイグに会わなくちゃならないんです……」
「隊長を呼び捨て……?君はいったい……」

 再び剣を構えるユリの、その真剣な目に兵士は気づいた。

「……わかった。なにか深い事情があるようだな。俺が援護しよう。隊長はこの先で魔物を蹴散らしている」
「……ありがとう!」

 彼はグレイグの直属の部下だと言った。グレイグ部隊は精鋭揃いというウワサ通り、彼は確かな腕前だ。
 ユリと兵士は、互いに協力しながら、襲いかかる魔物を倒していく。

「その腕前……君は何者だい?」
「ユリです!」
「名前を聞いたわけじゃ、ないんだけどな……!」

 同時に剣を突き刺し、スカルナイトを倒した。
「……はあはあ。あと、少しだ……」
 兵士は肩で息をするが、ユリも同じようなものだ。連戦に続く連戦で、息を切らしてしまう。

「おーい!こっちだ!」

 そこに呼びかける声があった。一塊で戦っている兵士たちの姿だ。

「あの者たちと、合流しよう!固まって戦った方が……有利だ!」
「はい……!」

 再び剣を握りなおし、仲間たちの元へ向かって走る二人。
 凍えるような冷気が襲う。
 スカルゴンのこおりつくいきだ。

「っつ、ベギラマ……!」

 ユリはベロニカ直伝の炎の呪文で対抗する。

 ……――え

 一瞬の光景だった。だが、ゆっくりと時が流れるようにも見えた。
 兵士の身体に、スカルナイトの剣が貫いている。

「ぐはぁ……っ!」

 その口から、赤い飛沫が吹き出した。
 ユリの口から、声にならない悲鳴が出る。

「ぐぅ……もはやこれまで……」
「!仲間に手を出すな……!私が相手だ!かかってこい!」

 事態に気づいた兵士たちの助けが来る。
 脇腹に手を差し込み、ユリはずるずると彼を引きずって、なるべく戦場から遠ざける。

「ベホマ……!」

 上位の回復呪文を唱えるが、彼の傷は癒えない。魔物の剣は鎧を貫き、その身体を貫通していた。

 致命的な、傷だった。

「ありがとう……。だが、俺は、もう…ここまでだ……。砦を、皆を頼んだぞ……」
「諦めたらだめです……っ!」

 ベホマ――!もう一度唱えようとするが、魔力が足りない。そんな……。ユリの顔がさらに青ざめていく。

「い、いいんだ……。グレイグ…隊長の、ことも……」
「だめです……!だめっ……!死んではだめです!!」

 今、ここで命を落としたら――。命の大樹にその魂は還れず、生まれ変わりを果たせない。
 自分の力じゃ、その魂を冥府に送ることすらできない。

 だから、死んではいけない。

「死んだらだめなんですっ……!」

 ユリは薬を使おと、ポーチから取りだそうとするも――冷たい手が掴んで阻止した。

「君は…優しい、な……。俺のために…泣いて、くれて……ありがとう……君は……」


 生きてくれ。


 ほとんど動かない唇で、囁くような声を最後に、兵士はこと切れた。
 この喧騒の中でも、強く耳に届いたその言葉。

「……っ……」

 目の前で喪失した命の灯火。悲しくて、苦しくて、くやしくてたまらない。

 耐えがたい胸の痛みが叫んで、張り裂けそうだ。

 魂を守ることがずっと使命だったのに、目の前の命さえ、守ることができなかった。

(この場に、本当の勇者がいたなら……)

 ――どうして、命の大樹は私を選んだの?

(……わたしには……)


 目の前が真っ暗になる――……


「絶望しないでくださいッ――!!」


 そのとき……喉を振り絞った声が、暗闇のなかユリに届く。
 涙を流したまま、顔を上げると――自分たちに向けられた魔物の攻撃を、剣で受け止める兵士の姿があった。

「僕のことを覚えてますか!?」
「……?」

 兵士は魔物を弾き返すと、ユリに顔を向ける。まだ若い青年。ユリには心当たりがない。

「あっ!あの時は兜を着けていたのでわかりませんよね!ユグノア城跡地で、崖から落ちそうになったところをあなたに助けられた者です!」

 その言葉に、あっとユリは思い出した。

「お久しぶりです!」

 ――彼は、あのときの新米兵士だ。

 新米兵士……と言ってももうそれなりに経験を積んだのだが、彼は魔物に剣を振りながらユリに話す。

「あなたに助けられてっ、疑問を持った僕は、"悪魔の子"について調べたんです……!」

 けれど、探せもそんな文献はどこにも見当たらなかった。
 先輩兵士についても詳しいことはわからず、王の考えだろうと皆は口を揃えて言う実態。周囲に疑問を伝えても、聞いてもらえなかった。

 でも……

「悪魔の子もその仲間の方も、悪い人たちじゃないって、僕は、ずっと信じていました!自分の直感とあなたの優しさを!」
「…………」

 新米兵士もデルカダールの王のことを疑うわけではなかったが、彼らが災いを呼ぶ者たちだと、どうしても信じられなかった。

 だって、各地で彼らに助けられた人たちは、たくさんいるのだから――。

「たぶん!あなたがここで折れたら、きっと僕たちは終わります!お願いします……!」

 新米兵士は魔物と必死に戦いながら、ユリに叫ぶ。

「あなたは絶望したらだめだ!折れないでくださいっ!僕も、最後まで諦めず戦いますので……!」


 皆の希望の光になってください!!


「よくぞ言ったっ、新米兵士!!」
「先輩!?いや、あの僕もう新米でも……」
「先輩兵士として負けておれん!!我に続けーー!ウリャアーー!!」
「!?先輩っ、生き急がないでくださーい!」

 ……突然の緊迫感のない先輩兵士と新米兵士のやりとりに、ぽかーんと見つめるユリ。
 やがて、その顔はぐっと引き締まり、涙を乱暴に拭う。

 ――私は、なにをしていたんだろうか。

 自分への腹立ちに、ぎゅうと唇を噛み締める。
 今もなお、諦めずに戦う者がいるのに……。
 生き抜こうと皆、必死に戦っているのに……!

(絶望してる暇なんてない……)

 ユリは力のない彼の腕を胸の前に置くと、一礼して立ち上がった。
 剣を鞘から引き抜き、自らの意思で戦場へと戻る――。


(……ごめん。エルシス)

 前方から襲いかかってくる魔物たちを、左右に剣を振り、すべて切り捨てる。

(私、もう……絶対に折れない)

 その爪を避けると同時に、見えない剣筋が魔物に切り刻まれる。

(立ち止まらない、絶望なんてしない。あなたが帰ってくるまで――)

 剣先を向け、回転し、魔物たちを一気に払った。

(この勇者の紋章はっ、私が守るから……!)

 みんなを、世界を――。


『勇者とは、最後までけっしてあきらめない者のこと』


 そのセレンの言葉の意味が、今ならよくわかる。

「私はもう、あきらめない――!」

 その瞬間、ユリの右手に巻いた包帯の下から光が溢れ出した。

 勇者の紋章は、彼女に力を貸しす。

 力が湧いてくる。使い果たした魔力が回復する。
 白く輝く羽が、戦場に舞った――。


「……あれは、天使さま……?」

 新米兵士の目に、ユリの背中に生まれた白い翼が映る。
 勇者の力によって、天使としての全盛期の力が、一時期的にユリに戻ったのだ。
 その翼は跡形もなく消え去るが、その舞い散る羽が幻ではない証拠。

 ユリは右手を空にかかげる。

「聖なる裁きを……」

 その手をおろすと、羽は光となって魔物たちに降り注ぐ。
 周囲の魔物たちを一瞬にして、一掃した。

「な、なんと……」

 先輩兵士は新米兵士と共に、驚きにその光景を眺めていた。
 たったひとりの少女が魔物をあっという間に蹴散らしてしまったからだ。
 でも、彼女が天使だとしたら、納得いくような気がする。

 彼女はくるりとこちらを振り返った。

「あとはお願いします!」

 思わず二人は「はっ!」と敬礼した。
 彼女はひとり、戦うグレイグの元へと駆ける。

 まるで、戦況を変える一筋の風。

 その小さな背中を、兵士たちは見送った。


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