仮初めの勇者

 ――はあぁ!

 ユリの眼に、魔物の大群をものともせず戦うグレイグの姿が飛び込んだ。
 大剣で一刀両断にし、時おりリタリフォンが魔物を蹴飛ばす。
 グレイグとリタリフォンは、まさに人馬一体。息がぴったりだった。

 不意にグレイグの目がユリを映す。

「ふせろ!!」

 その声にユリが振り返ると――頭上からがいこつけんしが襲いかかるところだった。
 あっと思う前に、リタリフォンから飛び上がったグレイグが、魔物に大剣を振り下ろす。

「ぐわあああぁっ」

 真っ二つに剣筋が入り、魔物は仰向けに倒れた。

「気を抜くな!」

 グレイグはユリを叱咤すると、鋭く左右に目をやる。
 ……いつの間にか、二人は魔物に囲まれていた。
 あれほど倒してもなお、魔物はどこからともなく現れてくる。

 ユリも剣を構え、グレイグと背中合わせに警戒する。じりじりと魔物たちは、二人を追い込んでいった。

「次は……お前にかまう余裕はない。……来るぞ!!」
「私はあなたと共闘するために来ました。……上等です!」

 背後でグレイグがフッと笑った気がしたが――次の瞬間には、魔物たちが一斉に襲いかかってきて、ユリは意識を集中する。
 大剣を振り回し、まとめて魔物を倒していくグレイグ。対してユリは、はやぶさ斬りに、素早い手数で魔物を倒していった。

「ふんっ!」
「ヒャダルコ!」

 グレイグは大剣をぶんまわし、ユリは呪文を唱える。魔物の一斉攻撃にも一歩も引かず、奮闘する二人。

 ……――そんな二人を見ていたものがいた。

 たった一歩の蹄の衝撃によって、ふっ飛ばされたスライムたち。そこに鉄球が落ち、ドシンと地面を揺らすと、魔物たちの意識がそちらへ向いた。
 ユリとグレイグもその異変に気づき、二人は並んで前方を警戒する。

 さっと道を開ける魔物たち。

 鉄球を引きずる音が響く。現れたのは鋼鉄の鎧を身に付けた魔の馬。そして、その馬に跨がる騎手は……

「その大剣、その強さ、キサマがグレイグか。……魔軍司令殿の言う通りだな。バカ正直でマヌケなツラよ。グハハハハ!」

 首のない鎧、デュラハンだった。

 どこから声が聞こえるのかと思えば、しゃべっているのは、大盾に浮かぶ不気味な顔だ。
 なにがおかしいのか、周囲の魔物たちも一緒になってゲラゲラと耳障りな笑い声を上げる。

「キサマをしとめれば、ほうびはたんまりだ。魔軍司令殿は気前がいいぞ!グハハハハハハ!」

 その魔軍司令という者が、どうやらこの魔物軍を指揮しているらしい。

(大元を倒すことができたら……)

 魔物たちの笑い声が響くなか、ユリは考える。だがまずは、目の前にいるこの"ゾンビ師団長"と名乗る魔物を倒さねばならない。

「この軍勢を率いる、あの魔物を倒せば他も引くであろう。……やれるか?」
「はい……!」
「…………お前たち、何をボケっとしている」

 グレイグとユリが小声で会話をしていると、ゾンビ師団長は辺りの魔物たちに睨みを利かせ、

「グレイグを殺せ!!」

 奇声のような声で、魔物たちをけしかける――!

「来るぞ、気をつけろ!」
「我らもグレイグ隊長たちの援護をするのだ!」
「おおおお……!!」

 応戦する二人に、兵士たちも助太刀にやってきた。

「僕たちは周りの魔物たちをやっつけますので、グレイグ隊長と天使さまはあの強そうな魔物をお願いします!」

 新米兵士は二人に言う。……天使さま?
 グレイグは不思議にユリを見るが、そこを気にかける暇はない。

「そーりゃ、そりゃそりゃそりゃー!」
「「!?」」

 ゾンビ師団長が馬で駆けながら、持っている鉄球をはげしくふりまわしてきたからだ。

 ユリとグレイグは左右に飛んで避ける。

 ――ドスン。足元が大きく揺れた。二人が今しがたいた場所に、鉄球が深く地面にめり込んでいる。

「今だっ!」

 グレイグの合図に、ユリは地面を蹴った。

「ヌウゥ!」

 鉄球を手元に引き寄せている隙に、二人は攻撃を入れる。
(硬い……!)
 馬と共に鋼鉄の鎧に身を包んだその身体に、ユリの攻撃力ではダメージを与えにくい。

 だったら……

「デイン!」

 後ろに跳んで距離を取ったあと、呪文を唱えた。
 本来、勇者にしか使えぬ聖なる雷の呪文。
 勇者の力の一部でも引き継いだことによって、ユリも唱えられるようになったらしい。

 盾の口から苦しむ声がもれる。効いている!

「おお……!」

 追撃するようにグレイグも飛び上がり、重い一撃を頭上から叩き込んだ。
 よろけるように馬は後ずさる。
 それとは別に、首のない騎士は盾を前に出した。

「ぐうぅ……!」
「うぅ……っ」

 ゾンビ師団長は身をこおりつくような、けたたましいいななきをあげた!

「どうした?そんなものかー!」
「ぐおっ!」

 続いて、ぶん投げた鉄球がグレイグに直撃する。すかさずベホイムを唱えるユリ。

「目障りな小娘め!お前たち、この娘を殺せ!」
「!」

 その声に反応し、ユリの方へ魔物たちが押し寄せてくる。
 口では「かまう余裕はない」と言ったものの、気にかけるグレイグ。

 ユリは宙に向けて、弓を構える仕草をした。

 弓も矢も必要ない。これは天使の弓技において秘伝の技。天使の力が戻った今、ユリは放つことができる。

 シャイニングボウ――!

 敵全体に光属性のダメージを与える技だ。
 光の矢が次々と降り注ぎ、敵を倒していく。

「ユリっ!避けろ!」

 咄嗟にグレイグは仲間たちが呼んでいた名前を叫んだ。
 自分が相手をするはずが、あんこくのきりに怯んだすきに、その鉄球の標的は彼女に向けられた。

 避けられない。そう悟ったユリは、ソードガードで跳ね返そうとして――

 ガキン……ッ!

 その瞬間。目の前で、愛用の剣が真っ二つに折れた。

 ……え。

 驚く間もなく、短い悲鳴と共にユリはそのまま吹っ飛ばされた。

 地面に何度か打ちつけられて、身体が転がる。防御もできずもろに喰らったので、かなりのダメージを負った。
「ぐっ…………」
 それでも手に力を入れ、なんとか身体を起こそうとする。額から血が流れた。

「っ天使さま!」

 急いで駆け寄る新米兵士。「死ねえ!」それより速く、イビルビースト・強が滑空し、ユリを襲う。

 ――金属同士がぶつかり合うような音が響いた。

 目と鼻の先に、鋭い鉤爪が迫る。寸前でカミュの短剣を手にし、なんとか受け止め、押し返そうとするも……「くぅ…っ」だめだ、押しきられる――!

 限界を感じた瞬間、ふっと軽くなった。

「大丈夫ですか!?天使さま!」

 新米兵士が魔物の背に剣を突き刺し、倒してくれたらしい。あのときとは逆に、彼はユリの手を掴み、引き上げてくれる。そして、上やくそうも使ってくれた。

「ありがとう……」

 ユリは笑顔で言ったつもりが、弱々しいものになった。
 愛用の天使族の剣が折れてしまった――。
 精神的ショックがとても大きい。

「て、天使さま……!まっ、まずいです……!」

 だが、悲しみに浸っている暇はない。気がつけば、二人は魔物たちに囲まれている。
 剣も矢もない。ここは呪文だけで乗り切るしか――

「姉さーーん!!」

 ……ね、姉さん?

 私のこと……だよね?きょろきょろと呼ばれた方角を探すと、小高い岩の上に隠れて、大きく手を振る男の姿を見つけた。
 彼は、サマディー王国に向かう途中のオアシスで出会った、元盗人だ。隣には相棒の彼女もいる。

「カミュの兄さんやサラサラ髪の兄さんにはお世話になった!オレたちずっと、アンタらにお礼をしたいと思ってたんだ!」
「これを使うといいわ!うちの一級品の商品よ!」
「いっくぜーー!」

 気合いを入れたかけ声と共に、男はユリに向かって一本の片手剣を投げた。

 投げられたその剣を、バシッとユリは受けとる。

 自身が装備できる細身の剣。とても軽く、柄の所には鳥の形のデザインがついている。

「綺麗……」

 鞘から少し引き抜いて刀身を見ると、繊細な輝きを放っていた。

「うわぁ……!天使さまっ、魔物たちが来ます!」

 その声に、ユリは鞘から刀身をすべて引き抜いた。
 大きく一歩を踏み出し、魔物の大群に飛び込む。
 剣を振れば、あまりの速い斬撃に魔物は遅れて気づく。

 ――はやぶさの剣は、強くて軽い特殊な金属で造られており、扱う者はまさに隼のように攻撃ができる片手剣だ。

 それにユリの素早さと剣術が加われば、目にも止まらぬ速さで魔物たちは攻撃を受けた。
 さらに、ピオリムとバイキルトを自身に唱える。
 自分を強化してから戦うのが、ユリ本来の戦い方だ。

「……あっという間にあの数を倒されてしまった……」

 舞うように戦う姿は、天使というより戦乙女だと……新米兵士は思う。


「バカな……!」

 ――ユリが魔物の大群をあらかた片付けると、ゾンビ師団長は戦き、後ずさっているところだった。

「俺を殺せずに残念だったな……!」

 渾身の力でグレイグはとどめを刺す。
 
「グゥワアアアアッ!!」

 断末魔の悲鳴と共に、ゾンビ師団長は倒れ、そのまま消え去った。

「ひっ…ひけっ!ひけーっ!退却だ、者ども!ひけーっ!」

 それを見て、残った魔物たちは慌てて逃げていく。

「やっ……やったぞおぉ!!」

 魔物軍勢が引くと、その場に兵士たちの勝利の歓声が響いた。

「すごい……」

 対してユリは唖然とし、ぽつりと呟いた。ほとんどひとりで、グレイグはゾンビ師団長を倒してしまった。

「……さすがです」

 その背中にそっと声をかけると、グレイグは振り返る。ボロボロの彼女の姿をじっと見つめて……

「ベホイミ!」
「!」

 癒やしの呪文を自分に唱えてくれたグレイグに、ユリは驚いて目をパチパチさせた。

「……俺が呪文を使えることはそんなに意外か」
「あ、いえ……」

 それもあるけど、まさか自分の傷を手当てをしてくれるとは……ユリが言い淀んでいると、伝令の兵士がこちらに走ってくる。

「グレイグさま!王がお呼びです。ユリスフィール殿も共に!!」

 グレイグはちらりとユリを見るが「わかった。すぐに行く」と、背を向けさっさと行ってしまう。
 ユリはその背中をしばらくぼーと眺めたあと、兵士たちが集まる方に視線を移した。
 並べられた布の塊は、この戦いで命を落とした死者たちだ。

 ユリはそちらに足を進める。

「激しい襲撃を受けたにもかかわらず、この死者の数は奇跡なのだよ……。そなたが共に、戦ってくれたおかげだな」

 彼女はなにも答えず、彼らの前に膝をつき……


 ――最後の砦に入る前に、グレイグはふと振り返った。その目に、死者に祈りを捧げるユリの姿が映る。


 きっと、彼らの無念の魂も浮かばれることだろう――……。


「おかえりなさい、ユリさま。今回の勝利はなんといっても、あなたとグレイグさまのおチカラです」

 ユリが最後の砦に戻ると、見送ってくれた女剣士が出迎えてくれた。

「あとは我らデルカダールの兵にまかせて、ひとまず身体を休めてくださいね」

 ありがとうと答え、ふらふら足を進める。魔物の襲撃を凌いだ安堵に、張り詰めた緊張がほどけ、力が抜けたようだ。

「よう、新入りの美人なねーちゃん!俺の見たては正しかったようだな!はじめてアンタを見た時は、勝利の女神みてえだと思ったら、まさか天使の方だったとはな!」
「はあ……」

 道中、あのノリが軽い兵士に話しかけられたが、ユリは気の抜けた声で返した。
 正直、今の疲れきった心身で彼のノリで会話をするのは、だるい。

「安心するはまだ早いぞ。今回、倒した魔物はごく一部。やつらはまたすぐ襲ってくるだろう」
「ひとまず、魔物は退却したのよね……。よかった……よかったわ……。私、とってもこわかったのよ……」

 最後の砦の中では、ほとんどの者たちが一時の勝利とはいえ、安堵と喜びをわかち合っていた。

「兵士たちみんなかっちょいいな〜!この砦をおそった魔物をバッタバッタとやっつけちゃったんだって!ユリも一緒に戦ったんでしょ?すごいなー!かっちょいいなー!」

 はしゃぐマノロの言葉に、ユリは笑顔を浮かべる。子供たちの元気な姿を見ると、こちらも元気がもらえる気がした。

 そして、その向こうには――ペルラとエマの姿が。

「ユリ!あんたひどい怪我じゃないか……!」

 ユリの姿を目にした途端、二人は血相を変えて駆け寄ってくる。

「見た目はボロボロだけど、傷はグレイグさんに治してもらったから大丈……」
「バカぁ!!」
「!?」

 唐突に暴言を言われたことより、ユリはエマの顔を見てぎょっとした。ポロポロと涙をこぼし、泣いているからだ。

「どこが大丈夫なの!?服もボロボロだし、頭から血も流しているし……!いくら戦えるからって、その前にあなたは女の子なのよ!」

 泣きながらエマに怒られ、ユリはオロオロした。ペルラに困ったように視線を寄越すと、彼女はやれやれと笑い、助け船を出してくれるようだ。

「デルカダールの王さまに呼ばれてるんだろう?戦いで疲れてるだろうが、早く行ったほうがいいね」

 その言葉に、しぶしぶエマの説教も引っ込む。ユリはペルラに頷き、その足で王のテントに向かった。

「ひとまず砦は危機を脱した……。グレイグさまとおぬしがおらなかったらどうなっていたことか……ありがとう」
「このたびのいくさ。あなたがいなければ、我々の勝利はありえなかったでしょう。まるで、命の大樹が私たち人間にまだあきらめるなと伝えるため、あなたを遣わしてくださったようですね……」

 ダンや兵士からお礼の言葉をかけられながら、ユリは王のテントにやってきた。
 その近くで待機している、大きな黒馬を見上げる。グレイグの愛馬、リタリフォンだ。

「リタリフォンはデルカダール最高のウマです。しかし、気位が高く、気むずかしいので、グレイグさましか乗ることはできません」

 ……そういえば、エルシスがそんなことを言っていたと思い出す。彼はそんなリタリフォンを乗りこなしてしまったからすごい。

「いくたの戦場で、グレイグさまと共に駆ける姿は漆黒の弾丸とも言いましょうか。まことに美しい姿なのですよ」

 たしかに、毛並みも艶やかだし、大きくてかっこいい。(……オレンジ、ファルシオン、マーガレットは元気かな……)ユリは仲間の馬たちを思い出しながら、リタリフォンの首筋を撫でた。
 リタリフォンはブルルルと鼻を鳴らす。

「おや、リタリフォンがなついてますよ。きっと、ユリスフィールさまが天使さまだと気づいているのかもしれませんね」

 天使さま。力が一時期的に戻って翼が生えたことにより、周りからそう呼ばれていることに、ユリは気づいた。間違ってはいないが、"元"だと細かく訂正するべきか悩む。
 もし、自分が天使ということで希望に繋がるなら……それでいいかなともユリは思った。
 天使という存在が、人々の信仰対象になりえることは知っているからだ。

 テントに入ると、ベッドに腰かけるデルカダール王の姿だけでなく、そこには先に戻ったグレイグの姿もあった。

「このたびのはたらき、見事であった。グレイグ、そして、ユリスフィールよ……」

 デルカダール王はグレイグに視線を向けたあと、次にユリに向けた。そして、彼女の目をしっかり見つめたまま再び口を開く。

「兵士たちが、そなたの背に白い翼を見たと言っておった。ユリスフィール。そなたはまことに天から遣わされた天使なのか?」

 隣からグレイグの視線も感じながら、ユリは威儀を正して答える。

「私は仰せの通り天使という種族の者ですが、今は元がつきます」
「元、とな……?」

 ユリは今までの経緯を、すべて王に話した。

 天使とはなにか……。天界が魔王に滅ぼされたこと。自分は大怪我を負って、その際にエルシスに出会ったこと。
 記憶喪失になった自分は、最初は記憶を探す目的でエルシスと旅立ち、これまでの旅のこと。

 そして……

「私の手の甲には、勇者の紋章があります」
「……!」

 ユリは包帯を外し、右手の甲を見せた。勇者の力の一部が、自身に継承されたことを話す。

「エルシスがどこかで生きていると私は信じています。彼にこのチカラを返すまで……私が勇者になって、世界を守ると決めました」

 凛とした、芯の強い声でユリは言った。
 もう迷わない。あの戦場で誓った覚悟だ。
 勇者の紋章を、生きとし生けるものたちを、世界を――すべてを守りたい。

「……そなたの決意。このデルカダールの王が、しかとこの目に焼きつけた」

 デルカダール王は、彼女の折れぬ決意に深く頷く。そして、感服した。幾度となく辛く悲しい目にあったのに、それを乗り越えた強さに――

「お前たちのその強さを見て、わしは確信した。この地にひかりを取り戻す戦いを、いまこそ仕掛ける時だとな」

 二人は真剣な表情で、次の王の言葉を待つ。

「魔物の巣窟と化したデルカダール城に潜入し、常闇を生む魔物を討ちたおす……。お前たちにこの作戦をまかせたい」
「お言葉ですが、王よ……!」
「まぁ、聞け。わしとて無策ではない。どうにか敵に一矢報いる手はないかと、ひそかに城を探らせておったのだ」

 すぐにグレイグの異議が飛び出たが、落ち着いて答える王は、意味ありげにユリへと視線を送った。

「報告によれば、デルカダールの丘の崖上に、デルカダール城内に潜入できる地下水路への道を見つけたらしい……」

 あ――と、ユリはすぐにわかった。脱獄からの逃亡中、兵士に追い詰められてエルシスとカミュの三人で飛び降りたあの崖のことだ。王は気づいたユリの様子を見て頷く。

「城の中へ入るには、あの道しかない……。このカギで地下水路から城内へ忍びこむのだ。ユリスフィール、そなたに預けよう」

 王は立ち上がると、それを差し出す。
 ユリは『デルカダールのカギ』を手に入れた!

「……王よ!私は反対です!その間、砦の指揮は誰がとるのですっ!我らの留守に攻め入られれば、ここは……魔物のエサ場と同じですぞ!」

 グレイグの反論も確かであったが、王はすかさず言葉を返す。

「そこを利用するのだ。魔物がここを攻めている間であれば、城内の警備は手薄になろう。いまこそ、デルカダール城にひそむ常闇を生む魔物を、討ちはらうのだ。さすれば、ふたたび我らに朝を取り戻せるだろう!」

 その考えは、ユリも考えていたことだ。ゾンビ師団長の口から出た「魔軍司令」という存在。
 その者が魔物軍を指揮しているとわかった。
 頭を潰さない限り、魔物たちは統制されたのち、幾度となく襲ってくるだろう。

「しかし、私はっ……!!……私は、これ以上、民を失うわけには、いかないっ……!」
「…………」

 自分たちが留守にしている間、砦を襲われない保証はない。グレイグの民への思いは、ユリにも痛いほど伝わってくる。

「だからこそ、お前にこの作戦を頼むのだ。……お前しかいない。このまま夜だけが続けば、人の心も失われよう……」

 その言葉に、グレイグは考えるように黙る。

「なぁに、案ずるな。わしはこの数か月の間、思いしらされた。我が民は強く、優しさに満ちて、なによりも勇敢だ。そなたもそう思わぬか、ユリスフィール」

 表情を和らげた王は、ユリに話を振った。

「……はい。デルカダールの兵士たちに、私は何度も救われました。兵士たちだけでなく、ここにいる皆にも……」

 ユリの返答に王は満足げに、それでいて嬉しそうに微笑んだ。
 ……王の心からの笑みを、ユリは初めて見た気がする。きっと本来のデルカダール王は、王としての威厳と貫禄だけでなく、深い心を持ち合わせた人物なのだろう。

「ひと晩だ……。ひと晩、持ちこたえれば、我らの勝利ぞ。……砦は、わしが守る」

 王族の剣を取り出して構える姿は、ずっと床に伏せていた思えぬ気迫だった。
 衰弱に窪んだ目に、強い意思を感じさせる。

「――はっ!」

 グレイグは跪き、しかと答えた。デルカダール王の覚悟が伝わったのだろう。
 剣を前に掲げて言う王に、ユリも胸の前に拳を作り、しかと頷いた。

「まかせたぞ、そなたらは我らの希望じゃ」

 最後に――デルカダール王は思い出したように、ユリへとある物を渡す。

「やはり、これはそなたへと渡すべきだろう。兵士がわしを助ける際に、偶然にも拾ったものだ」

 それは、エルシスが持っていた袋だった。
 間違いない……エルシスが熱心に集めていた素材に、ふしぎな鍛冶台も入っている。

 ユリはエルシスの袋を受け取った。

「魔物どもにカンづかれぬよう、見送りは禁じるが、皆の心はひとつ。そなたらは我らの希望じゃ……頼んだぞ」

 再度、王は二人に託した。

 出発は皆が寝静まった頃、静かに砦を出る予定だ。王のはからいで、ユリはしばしの休息を取る。


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