三人が岩崖の森を抜けると、見晴らしのよい高地に出た。
その先に、ぽつんと白く四角い小さな建物が見える。
「あれが………旅立ちのほこらか?」
エルシスが遠くを見ながら呟いた。
「あともう少しだな」
「こんなデスカコルタ地方の東の果てにあるなんて、いかにもってほこらだね」
海に面した崖に建つそのほこらは、きっと人知れず遥か昔からそこにあったのだろう。
エルシスはテオがすごいトレジャーハンターだと知っていたが、自分が思う以上にすごい冒険者だったのかも知れないと思った。
大好きだった祖父を感じ、エルシスは胸が熱くなる。
「――見つけたぞ。悪魔の子め……」
武装された馬に跨がる、黒金の騎士の姿がそこに。
崖上から見下す目が捉えているのは、ただひとり。
「…………?」
背後から小石が転げ落ちる僅かな音を、カミュの耳は拾う。
後ろを振り返り、ふと見上げて「!――っ逃げろ!!」瞬時に叫ぶ。
「「!?」」
カミュの声に、すぐさま事態を把握した二人は地面を蹴り上げ、走った。
「くそっ!ここまで追ってくるとはな!」
山岸からデルカダールの兵士たちを乗せた馬が駆け降りて来る。
その先頭で指揮を取るのはデルカダールの将軍。
双頭の鷲の一人――グレイグだ。
「逃がすものかぁぁーーー!!」
まだ距離があるというのに、咆哮のような叫び声が聞こえ、ユリは身がすくむ。
「このままじゃ追い付かれちゃう!」
「――カミュ!馬だ!あそこにいる馬に乗って逃げよう!!」
「ユリ!馬に乗れるか!?」
「うっ馬に跨げれば……!」
馬の乗り方はエルシスに教えてもらった。だが、台もなくひとりでその高い背に跨ぐ自信はまだない。
「来い!」カミュに強く手を引かれる。
「手綱と馬のたてがみをしっかり掴め!」言われた通りにすると、片足をカミュの組んだ手のひらに乗せられ「いちにのさんで上げるから馬に跨がれ!いちにのっさん――!」
早口で言われた言葉と共に、下から力強く押し上げられ、ユリはあっという間に馬上にいた。
「行け!」
馬は尻を叩かれ、ユリを乗せて走り出す。
「旅立ちのほこらだ!」
カミュも素早く馬に跨がり、待っていたエルシスと共に走り出した。ユリを先頭に、そのすぐ後をエルシスとカミュが平行して走る。
そのさらに後ろを、馬四頭分ぐらい開けて迫ってくるグレイグと兵士たち。グレイグが指示を出すと、兵士たちは三人にボウガンを向ける。
「――っ矢!?」
ユリのすぐ横を数本の矢が横切った。
「うわっ……!!」
次々と放たれる矢は、エルシスの乗っていた馬の尻に刺さってしまい、彼は暴れる馬に振り落とされる。
「今だ!悪魔の子を捕らえろ!」
「「エルシス!!」」
ユリとカミュが同時に叫んだ。
ユリは馬の手綱を引く。
「大丈夫だ、オレが助けに行く!お前は先に行ってろ!」
手綱を操り、流れるように馬を曲がらせたカミュが、ユリの目を見て言った。
(二人を置いて先になんていけるわけがない!)
ユリは馬を止まらせると、弓矢を手に取る。
エルシスが昨日の夜に作ってくれた新しい武器――かぜきりの弓矢だ。
「エルシス!!掴まれ!!」
「カミュ!!」
戻ってきたカミュはエルシスに手を伸ばし、エルシスはその手を掴む。
馬は失速することなく、エルシスを後ろに乗せて走った。
「カミュ避けて!!」
走る先にいるユリが、カミュにそう叫びながら今まさに弓を引こうとしている。
避けろって簡単に言うぜ――そう思いながらもカミュは手綱を寄せ「っは!」馬の腹を踵で蹴った。
馬は瞬時に反応し、横にずれ、あいた空間にすかさずユリの放った三本の矢が飛び抜ける。
それぞれ当たらずともボウガンを構える兵士たちを妨害した。
このまま逃げ切ってやる――カミュがそう思った直後、淡い青い光がエルシスから溢れる。
「これは……!?」
「エルシス!!石だ!!じいさんからもらった石を出せ!!」
「うん!!」
エルシスは腰のポーチから『まほうの石』を取り出した。ただ青い石だったそれが、今は光を放ち輝いている。
あまりの眩しさにエルシスは驚いた。
そして、彼は石を空に掲げる――。
今、そうするべきだと思ったからだ。
すると、旅立ちの扉に埋め込まれた似たような青い石が反応を示し、ごごご……と重い音を立てながら開いていく。
「逃がすものかぁっ!!災いを呼ぶ悪魔の子め!!」
その様子にグレイグ自らがボウガンを取り出した。
だが、グレイグがエルシスたちに矢を放つ前に、ユリから放たれた矢が先にグレイグを襲う。
縦に三本並ぶように放った矢は、先ほどの威嚇とは違い、確実にグレイグを狙いに来ていた。(この距離からこの技術……あの娘……何者だ)
「だが、甘い!!」
グレイグとて王国最強とうたわれる騎士。
右手でボウガンを構えたまま、左手が背中に背負った大剣を掴み、当たる寸前、矢を振り払う。
「……っ!」
グレイグはボウガンを放った。
その一本の矢は二人を乗せた馬に刺さり、馬は横にのけ反る。放り出された二人は、草原の上を転がりながら受け身を取った。
「エルシス!カミュ!」
扉の前で二人の名を呼ぶユリ。
「走るぞ!!エルシス!!」
「ああ!」
そこからは二人は全力疾走で旅立ちのほこらを目指した。
ほこらに続く橋を渡り、小さな階段を駆け上がる。その際にエルシスのフードが脱げ、地面に落ちたが、気にする余裕はない。
二人はほこらに駆け込んだ。
振り返ると、馬で駆けてくるグレイグと兵士たちがすぐ側まで迫っている。
彼らが乗り込む寸前、扉は閉ざされた。
――グレイグはゆっくりと馬上から降りると、エルシスが落としたフードを拾いあげる。
「エルシス……。逃がしはせぬ。地の果てまで追いかけてやるからな……」
ほこらに入った三人は、青い光の渦に包まれた。
室内の変化は感じられないが、どうやら別のほこらへと飛んだようだ。
「ふぅ。なんとか、助かったみたいだな」
「二人とも、危機一髪だったね…!」
「まさかグレイグが現れるなんて……馬が可哀想だったな……」
馬が好きなエルシスは最後にそう小さく呟き、矢が刺さった馬たちを案じた。
追っ手の兵士たちといえ、あの馬たちを手当てしてくれれば良いが。
「わあっ……」
「ユリ、岩しかないけど」
三人がほこらを出る時、壮大な景色を期待してユリは感嘆の声を上げてみたが、エルシスが言うように、そこは岩肌しかなかった。
「絶景を期待して……」
「まぁ、分からなくはねえな」
「こっちは海で、なかなかの絶壁具合だよ」
エルシスは崖を見下ろしている。
落ちるなよとカミュが言った。
「しかし……ここはどこだ?見渡す限りなんにもねえぞ……」
「どこに飛ばされたんだろうね?」
「おじいちゃん、どこに飛ぶかまで書いてくれたら良かったのに」
三人が口々に言いながら道なりに進むと、旅の神父と出会した。
「永遠に動かないと言われていたほこらから人が出てくるとは驚きました」
そう言いながら神父はここはホムスビ山地で、もう少し歩くと"ホムラ"という里があると教えてくれる。
そこでこのほこらの噂(荒野のほこらという観光名所らしい)を聞き、見に来たという。
(イシの村の旅の神父さまはもう村を出ただろうか……)
旅の神父と聞いて、エルシスはあの時のことを思い出した。神父のあの言葉は、今もエルシスの胸に残っている。
(グレイグみたいに僕を恨む人がいれば、他人なのに暖かな心を向けてくれる人もいる。そして、僕を知ってそれでも一緒にいてくれる二人がいる)
人を恨んではいけないよ――今はまだ全部を理解出来ないが、いつか分かる日が来るだろうか。
「……エルシス?どうした、ぼーとしてるぞ」
「どこかつらい?」
気づけば、二人が心配そうにエルシスの顔を覗き込んでいた。
「ああ、ごめん。ちょっと考えごとしてた。そのホムラの村に僕たちも行ってみようよ」
そう言うと二人はもちろん異議はなく、笑顔で頷いた。
三人は旅の神父にお礼を言い、教えてもらったホムラの里を目的地とする。
カミュは地図を広げた。
「ここがデルコスタ地方の旅立ちのほこら。で、ここら辺がホムスビ山地。オレたちがいるのは――、たぶんこの辺りだな」
そう言って、カミュの長くしなやかな指が地図の上を右にすーと滑る。
「あちこち旅してきたオレでもこの辺りは来たことがないな」
「私たち、海を越えて来たんだね」
「ここまで逃げきれば、しばらくはデルカダール兵のヤツらも追いかけては来られないだろう」
「たとえ僕たちがこの場所にいると分かったとしても、船じゃないと行けないもんな。あ、でも……最後に見たグレイグの顔は地獄まで追うぞって顔してた」
「どっちが悪魔の子だって言ってやれ」
「うーん、あの年齢と顔で「子」ってなんか違和感……」
最後にユリがそう言うと、三人は『悪魔の子、グレイグ』を想像して笑い声が起きる。
そんな冗談が良い合えるぐらい、遠く離れたこの地に来て、三人は安堵に包まれていた。
ひとしきり笑った後、三人はホムラの里を目指して歩く。ごつごつとした岩肌を歩く中、スライムの亜種であるスライムベスに出会した。
エルシスはオレンジ色のスライムを珍しそうに見つめ「僕の村の周辺には青いのしか見たことない」と呟くと「スライムの亜種は色々いるぞ」とカミュが答える。
スライム同様、弱い魔物に入るが、6匹ほど集まって行く手を阻んで来ると倒すのが面倒だ。
「あ、僕。リレミトの他にも魔法を覚えたみたいなんだ」そうエルシスは言い「ちょっと試させて」呪文を唱える。
「デイン!」
聖なる稲妻がスライムベス達を襲い、一瞬にして魔物はすべて倒れた。
だが、明らかにスライムに使う魔法の威力ではない。
「「……!」」
エルシスの軽い口調とは裏腹に、強力な魔法に二人は驚いている。
「お…思ったよりすごい威力だった……。でも、その分すごく魔力も使うみたいだ……」
呪文を唱えたエルシス本人も驚いていた。
「エルシス、もしかしたらその魔法、勇者だけが使える魔法なんじゃない?」
そんな気がすると言うユリ。
「オレも魔法のことは詳しくは知らないが、そんな気がするぜ」
二人に言われて、エルシスは手の甲のアザを眺める。
「確かに僕……、雷を呼んだかも知れないことがあるんだ」
その言葉に、きっと神の岩での出来事だとユリは思い出した。
「お前は、これから勇者として目覚めてどんどん強くなるんだろうな」
カミュの言葉にエルシスは照れたように口を開く。
「どうだろう……うん、でも、そうなれるように僕は頑張るよ」
エルシスは歯を見せてにっと笑った。
あまり彼からは見ない笑みだ。
「オレも、お前には負けてらんねえな」
カミュも同じように歯を見せ笑う。
「カミュはもう十分強いだろ?」
「私も…私も強くなりたい!エルシス、カミュ、剣教えて!」
「僕のレベルで良いなら教えてあげるよ」
「ありがとう、エルシス」
「カミュは僕にかえん切り教えて」
「教えるの面倒だから、自分で取得しろ」
カミュがそう言うと、エルシスは「えー」とか「せっかく昨日、鍛冶で新しい片手剣が出来て準備もばっちりなのに」とぼやき。ユリは「教えてあげれば良いじゃない」という無言の視線をカミュに送り続けている。
はぁとカミュはため息を吐き「そのうちな」と折れた。
彼はなんだかんだ"二人には"甘い。
「……剣といえば。ユリ、お前の剣見せてもらって良いか?」
岩崖の細長い道を進みながら、カミュは#name1に聞いた。「はい」とユリから渡された剣を、鞘から半分出しながら眺める。
白い鞘に細身の刀身。レイピアに近い。
「昨日使った時に気になったんだ。軽くて切れ味は良いし、かなり良い物だと思うぜ。宝石とか過度の装飾はされてないが、プラチナっぽい質の良い金を使ってるな」
そうカミュはユリの片手剣を鑑定するように観察する。「目利きには結構自信があるんだぜ」というカミュの言葉に、ユリは「うん、信用してる」と答えた。
「その剣がユリの記憶の手がかりにならないかな?」
エルシスの問いに、カミュは考えながら答える。
「どこで打ったとか、誰が打ったとか分かれば……例えば有名な鍛冶屋が打ったとしたら、その筋の人が見れば分かるかも知れねえ」
ユリは手元に返ってきた剣を見た。
確かに昨日振った時にしっくり来たような気がする。だからこそ弓だけでなく、これからも剣も使っていこうと思った。
ただ、先ほどの逃走劇の時に思い出した弓の特技――"三本打ち"をは、次の戦闘でまた試したいなと、ユリはこっそり笑みを浮かべる。
「ユリ!カミュ!見て!あれ、火山だ!」
「本当だ!本物の火山!」
「はは、ニセモノの火山なんてあるのか?けど、確かにすごいな!オレも火山を見たのは初めてだ」
道を抜けると、目に飛び込んできた火山に三人ははしゃぐ。
黒い煙がもくもくと上がり、赤い溶岩がどろどろと流れている。
「どおりで暑かったんだね」
「ここに着いて早々にユリは外套脱いでたもんな。僕も暑い」
ユリは袖もまくっており、エルシスもそれにならって自身の袖をまくった。
「オレもあちぃ」
「カミュが一番涼しそうな格好してるのに」
エルシスが笑いながらつっこんだ。
重ね着している自分たちに比べたら。薄い生地で胸元はざっくり開いているのに、どんだけ暑がりなのか。
「見て、溶岩が海に流れている……」
「すごい煙だ。溶岩が流れた海の部分はどうなってるんだろう……」
「珍しい光景なんだろうな。ついつい眺めちまうぜ……」
…………………………………。
「――は!おい、オレたちどんだけ溶岩を見てたんだ!?」
カミュは慌てて二人を急かして、ホムラの里へ急ぐ。
グレイグの追っ手から逃れた安堵と、新しい地域と、珍しい火山の景色にのんびりし過ぎた。
そして、溶岩の魅力。恐るべし。
道中、太鼓を叩く魔物を通りすぎ――
「あれ!ウガーンに似た変な魔物!結局どっちが本体なの?」「ちょっと戦ってみよう」
……という好奇心旺盛な二人をカミュは掴まえ、引きずり。
とにかく、今は目的地のホムラの里に着くのが先決だ。
追っ手を振り切ったとはいえ、自分達が追われる身なのは変わらない。
こいつらのペースで進んだらだめだ――
そうカミュは頭と心に刻み込み、見つけた道案内の立て札を頼りにホムラの里の入口までやって来た。
そこには大きな看板があり、三人は読む。
『こんなさびれた場所まで来たのに、何もないと、落ちこんでるあなた!さぞかしお疲れになったでしょう?そんな時はぜひホムラの温泉へ!あなたの疲れ、いやします。こちらホムラの里』
「「温泉……!」」
きらきらと輝く瞳で言う二人に、さっそくカミュは頭を抱えた。
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負傷した馬たちはグレイグが手当てしてくれているのでご安心を。(2022/3/24のlogの小ネタにて)