ホムラの里・前編

 木で出来た素朴な門を潜り、少し坂を上がった所にホムラの里はあった。

 里の後ろには三人を魅了した火山が見え、所々湯気が漂っており、外より熱気を感じる。

「不思議な雰囲気の里だ。独特なにおいもするし、なんだろう?」
 エルシスがにおいを嗅ぐように鼻をすんとさせた。異国のにおいだ。
「でも、なんだか懐かしい感じがする雰囲気だね」
 ユリもきょろきょろと里を眺める。

「やれやれ……やっとホムラの里に着いたぜ」

 旅立ちのほこらからそんなに距離は離れていないのだが。旅の仲間である二人はすでに観光気分だ。
 カミュは二人とは違う視点で里を観察する。

「追っ手の姿は見えないようだが……」

 さて、これからどうしたもんかな…とひとり呟く。

 今までは明確な目的があったが、これからは『勇者の真実を探す』と『ユリの記憶を探す』という雲を掴むような宛のない旅をしなくてはならない。

 心当たりもないので、地道にそれらの情報収集をして、近くの街や村、国を目指すのが妥当なところか。

(あるとすれば、エルシスの故郷のユグノアか……。けど、あそこも廃墟と化してるし、あまりエルシスを連れて行きたくないな。ユリに至ってはなんの手がかりも思い付かないし……)

 ――ん?
 カミュが考えごとに更けてると、二人はどうやら客引きに捕まっているようだ。

 まったく、自分が少し目を放した隙に。

「おやおや、お二人は見たところ旅の方のようですね!いやあ、良い時にいらっしゃいました!わたくし、つい先日、里の奥のほうで蒸し風呂屋を開店したばかりでして……」
「蒸し風呂?」
「温泉とはまた違うのかな」

 ユリとエルシスが不思議そうに言うと、男はさらににこにこと説明をし始めた。

「この辺りで取れるホットストーンに熱した水をかけるんです。すると蒸気がぶわぁと出て、とっても気持ちいいんですよ〜。美肌効果もあるので、お連れさんの美人度もますます磨きがかかりますよ!」
「「へえ〜〜!」」

 二人の瞳が輝く。

「美肌効果だって、エルシス!」
「一応言っておくけど、最後の誉め言葉は君宛だからね?」

 掴みは上々だと蒸し風呂屋の亭主の男は、もうひと押しというように高らかに二人に言う。

「今でしたら先着100名まで無料でご入浴いただけます!この機会にご利用されないと損ですよ〜!」

 胡散臭い――カミュの見解はこうだった。
 もし旅人が気に入ってくれれば、それこそ各地で無料の宣伝をしてくれると踏んだか、それとも………。

「おい、悪いけどオレたちは風呂なんか入ってるヒマはないんだ。客引きだったら他をあたりな」

 黙って見ていた彼がここで割って入る。
 すぐに二人から抗議が上がった。

「カミュ、入って行こうよ!ゆっくりたまには汗を流したい」
「僕も入りたい。気持ち良さそうだよ、蒸し風呂。それに美肌にも良いんだって。カミュの男前度も磨きがかかるって」
「はっ、むしろお前の方がますます女顔に磨きがかかるんじゃねえの」
「ひとが気にしていることを!!」

 言い合う二人に若干引きながらも、亭主の方もカミュに説得を試みる。

「そうですよぉ〜お客さん。どんな時でもお風呂はちゃんと入らないと不審者に思われちゃいますよ」

 その言葉にカミュはぴくりと反応した。
 おもむろに自分の袖など鼻に近づけ、においを嗅ぐ。

「たしかに暑くて汗をかいたから、ちょっと……におうかもな。風呂なんてこの先もあるかわからねえし、入れるうちに入っておくか……?」
「そうだよ!病気を防ぐ意味でも清潔にしておくのは大事だって言ったのはカミュだよ?」

 ユリが拗ねるように言い、うんうんとエルシスも頷いた。……確かに、旅のいろはを教える時にさらっとそんなことを言ったかも知れない。(ちゃんと覚えてたのか。えらいな)
 
「……本当にタダなんだな?」
「ええ!お連れさまを含めて三人さま、ちゃんと無料にしていただきます!……その代わり気に入って頂けたら他の場所でぜひ宣伝を!」
「……ああ」

 盗賊をやっているせいか、元々の気質か、どうも自分は警戒心が強過ぎるようだ。
 タダという言葉には甘い誘惑があるのかと警戒したが、どうやら亭主にそれ以外の目的はなさそうか。

(もし、ヤツらがオレたちがここにいることを把握したとして。船の用意と船出の準備、近隣の港からここまでの航海の期間――慎重に見積もって、少なくとも10日弱はかかる)

 カミュは二人を見つめる。

(……ここまで来るまで、こいつら頑張って来たもんな。ご褒美でもやるか――)

 カミュはふっと顔を緩ませた。

「なあ、エルシス、ユリ。せっかくのチャンスだから今のうちに汗を流していこうぜ」
「やったー」
「なんだ、カミュだって本当は入りたかったんじゃないか」
「気が変わっちまったんだよ。オレは先に行ってるが、二人はどうする?」
「私も一緒に行く。早く入りたい」
「あ、じゃあ僕、宿屋で部屋取ってくるよ。…良いよね?」

 エルシスは一応、今日この里に滞在するかを彼に確認する。
 おうとカミュは答えた。

「たまにはゆっくりしようぜ」

 ……いつも先を急ぐカミュが自らそう言うなんて!
 二人は目をぱちくりさせて。

「明日は雨が降るかもな…」
「スライムが降ってくるかも…」
「おら、今すぐ里を出るぞ」

 踵を返すカミュを慌ててエルシスとユリに、亭主までもが引き留めた。
 貴重な旅人客を逃がすまい。

「はい!2名さまご案内〜!さあさあ、こちらでございます。あっ、足元気を付けてくださいねっ!」

 逃げないうちにと亭主はカミュとユリを連行する。

 ちょっと必死だな――と、その亭主の様子に苦笑いを浮かべながら、エルシスは宿屋へと向かった。


 少し観光したいとカミュとユリは途中で亭主と別れて、しばらくしてから蒸し風呂屋にやって来ていた。

 里の奥まった所にひっそりと存在しており、建物自体は新しくて綺麗なのだが。
 他の温泉屋も手前にあるので、宣伝に力を入れるのも頷ける。

「ああ!お客さま、お待ちしておりました!なかなか来ないので心配しておりましたよ!」

 やはり少々必死すぎる。別れた二人が無事に来店して、亭主は安堵の笑顔を浮かべた。

「そりゃあ悪いことしたな」

 口だけの謝罪を入れるカミュ。
 確かに来る途中の温泉屋で、露天風呂という誘惑に危うく流れそうになった。
 亭主に話すとややこしくなるので黙っていることにしよう。

「では、あちらからお入りください!脱衣所にタオルが置いてあるので好きなだけ使ってください!」

 最後に「ごゆっくりどうぞ!」と元気に見送られる。

「男湯はこっちの青いのれんで、女湯はそっちの赤いのれんだよ。入って通路を渡ると脱衣所さ。休憩所はこっちの扉から出れるよ。外からは流れる温泉の源泉が一望できるからおすすめだよ。ゆっくりしておいき」

 女将の案内を受け、二人は休憩所で待ち合わせを決めて、一旦別れる。

「ふふ、蒸し風呂なんて楽しみ!」

 〜♪ユリはのれんをくぐり、鼻歌混じりに外に出たと思ったら、すぐにカミュと再会した。
 壁のない外通路のせいで、浮かれている自分をばっちり見られた。
 笑われた。恥ずかしい。

 男女別々の入り口から外の橋のような通路を通って、それぞれ脱衣所に繋がっているという構造らしいが、先に教えていただきたかった。

 気を取り直して脱衣所に着くと、さっそく服を脱ぎ、大きなカゴに入れていく。

「あ…でも、そんなに見ないよね…」

 ユリは独り言を言った。
 自分の背中を気にするように振り返る。

 その白い背中には、痛々しく大きな傷跡。

 大怪我の際に出来た傷で、他の怪我は手当ての際に治ったり薄くなったりしたが、この傷跡だけは残ってしまった。

 左の肩甲骨から縦に真ん中辺りまで走る大きな傷だ。

 鏡で最初に見た時は少しショックを受けたが、命の方が大事であるし、服を着てしまえば見えないのでユリは気にしていなかった。

 だが、蒸し風呂に入るには裸にならなければいけないので、少し他人の目が気になる。
 ユリは髪を濡れぬようくくると、小さなタオルを背中にかけることにした。

 ……が、その心配は必要なかったようだ。

「わ…もしかして貸し切り?」

 たまたまなのか開店したばかりだからか、そこには誰もいなかった。

 浴室は白い蒸気が広がり、じんわりと暖かくて気持ち良い。安心してユリはタオルを取り去り、まずは身体を洗う。

(エルシスはもう着いたかしら…)
 白い石鹸の泡に包まれながら、ユリは隣の男湯があるであろう壁を見た。


「おお里の入り口でお会いした方ですね!お連れさま方なら、つい先ほど蒸し風呂へご案内したところです」

 蒸し風呂に着いたエルシスは、二人と同じように説明を受け、さっそく男湯へと向かう。

「よう、遅かったなエルシス。ここの蒸し風呂はなかなかいいぞ」

 浴室に入ると、白い蒸気の中、見慣れた青髪をすぐに見つけた。

「蒸し風呂ってこんな感じなんだ」
「客はオレたちしかいないらしい。せっかく貸し切り状態なんだから、ここでひと息ついていこうぜ」

 まずはそこで身体を洗えよとカミュに言われ、汗を洗い流し、さっぱりする。
 エルシスはカミュの隣に腰かけた。

「ふぅ………気持ち良い」

 暖かい蒸気に癒される。
 確かに蒸し風呂、なかなか良き。

「しかし、オレたちこれからどうするか……。いずれ追っ手がここに来るのも時間の問題だしな」

 そう顎に手をかけ悩むカミュを、エルシスはまじまじと眺めた。
 上半身裸で下半身にタオルを巻いており、エルシスも同じ格好なのだが。

「………………カミュって、意外に上半身のガタイが良いんだね」
「……。………はあ?」

 着替えや清拭の時に、男同士ゆえ裸が目に入ったことはあるが、こうやってまじまじと間近で見たことはない。

 エルシスはカミュの身体を観察する。
 真剣に。

 ――僕より背が低いし、小柄だと思っていたけど、着痩せをしていただけとは……騙された。
 肩から腕にかけてがっしりしていて、しっかり無駄のない筋肉がついているし、綺麗に腹筋も割れている。
 僕が勝てていたのは身長だけだったのか。
 ……筋トレ頑張ろう。

「……おい、全部ソレ声に出てるからな。このヤロウ」
「いたいいたい!褒めてただろ!」

 エルシスはカミュにまさにその腕で首を締め上げられ、危うく意識を落とされそうになった。風呂場でシャレにならん。

「――で。お前少しはこの里を見てまわったんだろ?何か気がついたことでもあったか?」

 エルシスを解放し、落ち着いた頃、カミュは聞いた。

 エルシスは里であったことを重要そうな所だけをかいつまんで話す。

 ホムラの鍛冶職人たちと知り合って、明日、ユリの武器を見せに行こうと思うこと。
 この里は以前、火竜の脅威に脅かされていたという話を聞き、里の長であり巫女でもあるヤヤクに挨拶をしたいこと。
 南西にサマディー王国という国があること。

「実はその時、ちょっと手に入れた物があって……あとで君とユリに渡すよ」

 そういたずらっ子のように笑うエルシスに、カミュも笑みを浮かべた。

「は、新米勇者さまにしては、ひとりで上出来じゃねえか。褒めてやる」
「ちょっと、やめてよ…」

 カミュは今度はエルシスの頭をわしゃわしゃと撫でてやる。

「んじゃ、そろそろ出るか。ユリと休憩所で待ち合わせしてるんだ。まあ、あいつはもうちょっとゆっくりしてるかもな」

 カミュの言葉に二人は浴室を後にする。
 用意されているタオルで身体を拭き、服を着た。
 二人は待ち合わせの休憩所へ向かうため、脱衣所を出て、再び外通路を歩いていると――

「きゃぁーーー!!」

 その時、聞こえた悲鳴。

「っユリの声か!?」
「脱衣所だ!行くぞ!!」

 聞きなれた声の悲鳴に、素早く引き返す二人。
 通路の縁を手をつき飛び越え、女湯の脱衣所に急ぐ。

 躊躇せずカミュはドアを開けた。

「――魔物!?」

 黒い影のような魔物にユリは襲われていた。飛び散る氷のつぶてに、ヒャドで応戦してたようだ。

「カミュ下がって!――デイン!」

 エルシスの唱えた聖なる雷の呪文で、一撃で黒い影は倒れて、その場から消える。

「ユリ!怪我はない、か………」

 そうユリの身を案じてから、カミュは固まる。
 後ろのエルシスも同様に固まった。

「いきなりドアの隙間から、魔物が入ってき、て………………………」

 ユリは今の自分の姿に気づいた。
 真っ裸――。

 身体を拭いてる途中に襲われ、運良くタオルで大事な部分は隠れているものの、胸の谷間や脇腹、尻から足の爪先まで、ユリの艶かしい肌が露になっている。

 身体をワナワナと震わせ、顔を真っ赤にしてパニックになるユリ。

「オ…オレら見てないから…なあっ?」
「うっうん!ぜんっぜん見てないっ!」

 今さら視線をそらしても遅い。

「ああぁあぁ………!!」

 再びユリの悲鳴が上がった。(……恥ずかしくて死ねる……今ここで記憶喪失になりたい……)


 その後。騒ぎを聞きつけ駆けつけた女将によって、エルシスとカミュが覗き魔として危うく連行されそうになった。

 ユリも交えて事情を説明すると、すぐに誤解は解けた。

 お詫びと、魔物に襲われたと広まれば風評被害になるので、その口止め料を兼ねて。
「酒場にて食事をご馳走させて頂きますので……何とぞ……!!」
 亭主の必死の懇願に、彼らはそれで手を打つ。


「はあ…………」

 ユリは休憩所の外で、ひとり風に当たって頭や火照った顔を冷ましていた。
 夕暮れ時の気温が下がった風が、心地いい。

「あの……すみません」

 そう謙虚に声をかけられ、ユリは振り返った。
 そこには、金色の髪をヘアバンドでまとめた清楚な女性が立っていた。

 ユリは目を見開く。

 彼女とはどこかで会ったことがあるような気がしたからだ。 

「先ほど、貴女さまがここで魔物に襲われたとお聞きしまして、詳しくその時のお話をお聞きしたいのです」

 ……たぶん気のせいのようだ。彼女は初対面のようにユリに話をしている。
「えっと………」

 ユリは店との約束で少し迷ったが、真剣な面持ちの彼女に、詳しくその時の話をした。

「まあ!お怪我はありませんでしたか?…そうですか、それは良かったですわ。でも…ああ…やはりお姉さまは……」
「……お姉さま……?」

 彼女は悲しげに目線を下げてそう言ったが、再び目線を上げてユリに微笑む。

「お話をして頂きありがとうございます。……あの、よろしかったらお名前をお聞きしても…?」

 ユリが名前を名乗ると、彼女は自分はセーニャだと名乗った。

「ふふ、ユリさまは何だか不思議で懐かしい感じがします。本当はもう少しお話をしたいのですが、急がなくてはなりません」

 そうセーニャは最後に凛々しい表情を見せて、失礼しますと去って行く。

 彼女はユリのことを不思議だと言ったが、セーニャこそ不思議で清らかな女性だと――ユリは思った。


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