大樹の根っこは、過去の中庭の光景を見せる――……
「こいっ!ホメロス!」
「行くぞ!」
少年時代のグレイグとホメロスの姿がそこにあった。
二人は木剣を構え、これから手合わせをするようだ。先にホメロスが木剣をグレイグに振り落とし、グレイグはそれを受け止める。
「ハァッ!」
グレイグは力を込め、ホメロスの木剣を跳ね返した。さらに、横へ振るように打ち込めば、ホメロスはふっ飛ばされる。
「ちっ。相変わらずの馬鹿力だな……グレイグ」
こちらを見上げるホメロスの手を、グレイグは掴み、その馬鹿力で彼を軽々と引き上げた。
「ハハハハ。ふたりとも、元気がよいな!」
愉快な笑い声を上げ、現れたのはデルカダール王だ。
王の見た目は今とさほど変わりはないが、その表情は柔らかく、幸せにあふれている。
その姿を見て、グレイグとホメロスは駆け寄り、王は腕に抱いている赤子を二人に紹介した。
「あいさつがまだであっただろう?我が娘……マルティナだ」
腕の中で、赤子のマルティナはすやすやと眠っている。
わぁ……と、笑顔で覗きこむグレイグに、対照的にホメロスは複雑そうな表情だった。
「お前たち、ふたりがこの未来を守るのだ。……頼んだぞ。グレイグ、ホメロス」
二人は同じように頷く。それを見て、王は手のひらを差し出した。手のひらにあるのは、二つの『王のペンダント』だ。
……――まだ物語を読んでいる途中なのに、むりやりページをめくったように場面が変わる。
「なぁ、ホメロス。お前の知恵と俺のチカラ。ふたつが合わされば、王国一の騎士になれるぞ。そして、姫さまとこの国をお守りするんだ!」
ベッドに仰向けに寝ながら、デルカダール王にもらったペンダントを眺めるグレイグに、ホメロスは机で熱心に本を読んでいるようだ。
「おいっ!聞いているのか、ホメロス!」
返事が来ないその背中に、起き上がったグレイグは不満げな声をぶつける。
ホメロスは、無言でグレイグの目先に本の見開きを突きだした。
「な…なんだよっ!」
その本はデルカダール王国の歴史が書かれたものだ。そのページには、盾の絵が大きく描かれている。
「王国最強の騎士に与えられるという、デルカダールの盾が王の私室にあるらしい。見てみたくはないか?」
突然、ホメロスはグレイグに問う。続けて「……いずれ、僕たちが手にする盾なんだろ?」そっぽを向きながら。その言葉に、グレイグはにやけながらその背中をどついた。
「しかしな、どうやって見るんだ?王の私室なんて、魔法でも使えなきゃ入れやしないぞ?」
腕を組んで、グレイグは疑問を口にする。
「誰にも言うなよ。この前、俺はひとりのつまみ食い犯を見つけた。誰だったと思う?」
うーんとグレイグが首を傾げていると、答えを待ちきれずホメロスは口を開いた。
「我が王だよ。食器棚の裏から出てきて、ケーキをひとくちパクッとさ。あれは、王の私室に繋がっているはずだ」
「ハハハハ!そういうことか!近頃、お腹がだらしないって王妃さまに叱られていたもんな!」
声を上げて笑うグレイグに、ホメロスはまっすぐ拳を突きだす。
「今晩、台所に集合だ。いいな?」
「おうっ!」
その拳に、グレイグはこつんと拳を合わせた。
――そこで、再び光景は飛ぶように変わった。
青年時代と思われるホメロスの姿を最後に、大樹の記憶の再生は終わったようだ。
以前のように鮮明じゃなかったのは、大樹の力がわずかしか残っていなかったからだろうか。
(最後のホメロスの、あの表情はいったい……)
羨望とも、くやしがっているようにも見える表情だった。……考えるユリの耳に、茫然とした声が届く。
「……そうだ。長らく忘れていた。台所に、王の私室へ続く隠し階段がある。しかし、この現象はいったい……?」
ユリは命の大樹の力だと、グレイグに説明する。そして、それを引き出せるのは勇者の力だけ……と。
「……時を超え、世界の記憶を知る。そうか……それが、大樹へとつらなる勇者のチカラというものなのか……」
壮大な力を体感してグレイグは驚くも、その場を早々に立ち去ろうとする。
「台所は城の北側にある食堂の奥だ。そこにある食器棚を調べよう。行くぞ、ユリスフィール」
顔だけ振り向き、グレイグはユリに言った。……初めて、自分の名前をちゃんと呼ばれた気がする。
城の北側。二人は大食堂を通って、台所に向かう。
床に落ちている食器や、腐った野菜を避けながら歩き……奥に動かせそうな食器棚を見つけた。
グレイグが動かすと、その後ろから隠し階段が現れる。
「……あの時は俺が衛兵に見つかって、この階段を見つけることはできなかった。王に叱られて城中のヨロイを磨かされたよ」
その階段を目にし、グレイグはそのときのことを思い出した。……懐かしい感情が胸にこみ上げる。
「ホメロスは怒ってな。とっくみあいの大ゲンカだ……。あの頃は、悪さばかりして王をこまらせていたものだ……」
ユリは黙ってグレイグの話に耳を傾けた。その声は、きっと本人が思っている以上に感傷的な声だ。
「だが、そうだ。楽しかった。ふたりでデルカダールの未来をになうのだと、心から信じていた」
――そこまで言うと、グレイグの雰囲気が変わった。
すべてを受け入れたような、迷いのない表情になった。きっと、彼の心の整理がついたのだろう。
「……ユリスフィール。今までの非礼をわびる。すまなかった」
グレイグは、ユリに深く頭を下げた。
その言葉はエルシスに――そう言おうとして、ユリは口を閉じる。グレイグの誠心誠意の謝罪を受け取らないのは、それこそ非礼だと思ったからだ。
そして、彼なら……エルシスと再会した時も、同じ言葉を伝えるだろう。
「……頭を上げてください、グレイグさん。わだかまりが溶けた今、これからは共に戦いましょう」
その言葉にグレイグは頭を上げ、ユリを見つめる。
「……共に、というなら、それは対等だ。俺に敬語は必要ない」
「じゃあ……私も、ユリと呼んで」
ユリか……。彼女が仲間にそう呼ばれていたのは知っていた。
「では……ユリ。この先に誰が待ちうけていようとも、俺は戦う。もう二度と俺の剣が道に迷わぬよう、チカラを貸してくれ」
改めて言うグレイグに、ユリは彼の目をしっかり見て頷く。
「こちらこそ……あなたのチカラが必要だよ、グレイグ」
かつて敵同士だった二人は、共同戦線を張る。
思いはひとつとなり、ユリとグレイグは先へ進んだ。
「……ユリ。お前は不思議な娘だな。お前と一緒にいると、希望がわいてくる。暗闇に終わりを告げる、夜明けのようだ」
「……そんな風に言われたのは初めて。詩人みたいだね、グレイグ」
「詩人……!?」
隠し階段に、屈折のないユリの笑い声が反響する。思っていたとは違う反応が返ってきて、グレイグは自分の発言が恥ずかしくなった。
「ここは……」
「王の私室だ。……やはり、直接繋がっていたのだな」
隠し階段は有事の際の抜け道だったのかもしれないが、日常的につまみ食いに使われていたようだ。
デルカダール王は、大の甘いもの好きらしい。
何故なら、レシピを見つけた際に開いたぶ厚くて難しそうな本に、王のケーキの感想が書かれていたからだ。
王の私室前の部屋は、マルティナの私室らしい。一応、二人は訪れてみる。荒れてはいるものの、長年、主が不在の部屋としてはきちっと整えられていた。
「この部屋は、城の者たちの意向で定期的に手入れをされていた」
不思議そうなユリに気づいたのか、グレイグはそう口にした。ユリは彼を見る。
「……姫さまが亡くなったとされた日から、王は姫さまの名前を一度も口にすることはなかった。きっと、あまりのショックに受け入れられないのだろうと思っていたが、魔王に乗り移られていたからだったのだな……」
グレイグは納得だという風に、部屋を眺めながら話した。
そして、すみにあった宝箱の前に片膝をつくと、蓋を開ける。中に入っていたのは『指輪のレシピブック』だ。
「持っていけ。今後の旅の役に立つだろう。姫さまも……きっとお許しになさる」
ユリは無言で頷き、それを受け取った。パラパラと読んでレシピを覚える。マルティナと再会したら、このレシピは彼女の手に渡そう。
きっと、マルティナ王女を大切に思っていた者たちからの贈り物だ――。
玉座の間を守るように立っていた魔物、メイデンドールを二人は倒す。赤いドレスの、メルトアを小さくしたような人形の魔物だった。
玉座の間へと続く扉を、二人は見据えた。
その扉の向こうから、邪悪な気配をひしひしと感じる……。ユリだけでなく、グレイグにも同じように。
「玉座の間で待ちうけている者が、誰であろうと俺はもう迷わない。常闇を生む魔物を倒し、最後の砦に太陽を取り戻す。俺のやるべきことは、ただそれだけだ」
再度、グレイグはユリに覚悟の言葉を言った。二人は頷き合うと、ユリは意を決して扉を開ける――
玉座の間は静かであった。確かに気配はしたのに、魔物の姿はなく、二人は部屋を見回す。
だが、ここが部屋といっていいのかもわからない。
天井や壁は半壊し、玉座は闇夜にさらされていた。冷たい空気が吹きすさむ。
雲が流れ、満月が顔を出し、月明かりの下――グレイグは気づいた。
その明かりは、かの者の姿を露にする。
玉座に腰かける男の姿。足を組み、夜風より冷えきった目をしていた。心のこもっていない乾いた拍手が、この場に響く。
「お元気そうでなにより。我が友、そして、哀れな天使の子よ」
――ホメロス。
玉座にて二人を待ち構えていた彼は、以前とはまったく違う姿をしていた。
青白い肌、赤い目、騎士の鎧は身につけておらず、黒い魔術師のような格好をしている。
闇に傾倒した知将。
人間の姿に留めているものの、その心は邪悪に染まっていた。
「ホメロス……やはり、お前かっ!!」
「……グレイグ!」
ユリが止める間もなく、グレイグはホメロスに向かって駆け出す。大剣の切っ先をまっすぐホメロスに向けて。
「やああ!」
飛び上がり、グレイグは迷いなく頭上から大剣を振り降ろしたが、残像を残してホメロスは消えた。
「フフフ。その短気、直したほうがいいな。まわりが見えてないから、お前はいつもから回る」
次にホメロスが現れたのは、グレイグの背後だった。グレイグは振り返ると同時、剣を横にし、両断しようとした。だが、再びホメロスは闇に溶け込んだように消える。
グレイグは顔を動かし、辺りを探す。姿を見せないホメロスに向かって叫んだ。
「なぜ、魔王に魂を売った!?共にデルカダールを守る……そう、誓ったはずだ!ホメロスッ!!」
「……なぜ?なぜと問うのか?お前が?私に……?ははは、ははは。はは……はっ……ハハハハハハハハ」
離れた場所に現れたホメロスは、突然、壊れたように高笑いをする。
「何がおかしい!!」
「では、私もお前に問おう」
「っ!」
一瞬で、ホメロスはグレイグの前に移動した。
グレイグが構える前に消え、再度背後に現れると、今度は手に握る杖を振り落とす!
瞬時にグレイグは受け止めた。
杖と剣を交える姿が、なぜかユリの目に、過去の手合わせしている二人と重なる――。
「なぜ……お前は、私の前を歩こうとする?」
ホメロスは闇のように移動し、グレイグの背後を襲う。
激しく武器がぶつかり合うなか、ホメロスの脳裏によみがえるのは、過去の忌々しい記憶。
……――始まりは、同じだった。
共に王から双頭の鷲のペンダントを受け取り、それを支えに勉学を励んでいた日々。
「なぜ……お前ばかりがチカラを得る?」
鍛練も怠らなかった。各国に渡り、魔法も戦術も学んだ。彼に負けないようにと、常に努力はしてきた。
それなのに、どこで差がついたのか。
彼はいつ、自分の存在を忘れたのか。
「なぜだっ……グレイグ!!」
ホメロスは叫んだ。仮面のような顔から、初めて感情が見えた。
答えろ!共に最強の騎士になろうと言ったのは、嘘だったのかと。
……――あの日。
功績を上げ、人々に称賛されるグレイグの姿をホメロスは見つめていた。
一歩先に夢に近づいた友の姿を、誇らしいと思っていた。
表情が乏しい顔に、微笑を浮かべる。ホメロスはこちらに歩いてくるグレイグに、手を差し出す。
だが、グレイグはその手を取ることなく、そのまま通りすぎた。
愕然とするホメロスは、彼の目に自分の姿は映ってなかったことに気づいた。後ろを振り返ると、王に認められるグレイグの姿が目に映る。
まるで、道端の石ころになった気分だった。
誰も自分のことを見やしない、期待しない。気づけば――自分はグレイグの影になっていた。
『なぁ、ホメロス。お前の知恵と俺のチカラ。ふたつが合わされば、王国一の騎士になれるぞ。そして、姫さまとこの国をお守りするんだ!』
何が、ふたつが合わされば王国一の騎士になれるだ――。
(お前は私のことなど忘れて、先に行ってしまったではないか)
このとき、ホメロスは強い劣等感を覚える。
光が強くなればなるほど、影が濃くなるように……。グレイグが輝くほど、自分は惨めになっていく気がした。
――そんなホメロスに、囁く声があった。
"……そうだ。お前はあの男に利用され、裏切られたのだ"
「……っ誰だ!?」
どこから響く声は、続けてホメロスに話す。
デルカダール王は、正当な評価をしていない。あの男を認めるのは、国を滅ぼされたという同情心からだ、と……。
"真のチカラを持つのはお前の方だ、ホメロス"
だからグレイグは、お前がチカラをつけぬよう、お前の心を折ろうとしたのだ。自分への劣等感を抱かせて……。
"お前に眼中がなかったのが、なによりの証拠ではないか"
「っ……」
"我はウルノーガ。お前の実力を、誰よりも認めておる。どうだ、もっとチカラが欲しくないか"
「私を認めてくださる方……。ほしいです……!私は……っ、なによりチカラがほしい!!」
グレイグのようなチカラがあったら、私も――。
"では、お前の中に眠るチカラを、我が目覚めさせてやろう……"
「ぐっ……ぐあぁ……っ!」
ホメロスの中にある負の感情に、悪意が植えつけられた。それは根を這うように、ホメロスの心を闇に染めていく。
「私はもう、お前の後ろは歩かない」
(私はただ、お前と並んで歩きたかった)
――黙れっ!私はこの男より優れているのだ!だから……あの男の前を私がゆくのは当然なのだ!
消えない思いが、ホメロスのまだ人として残っていた心を蝕むが、彼は強引にその痛みをねじ伏せた。
「愛も、夢も、光も、そして友も……。この世界ではなんの意味も持たない」
満月を背にして、ホメロスは言い放つ。
それはある意味の絶望だった。絶望の中に、ホメロスが見つけた答えは……
「あるべきはチカラ。世界を統べる……闇のチカラだけ」
このチカラだけが、私の希望――。
ホメロスが念じると、その手のひらに闇の炎が生まれる。凄まじい闇のオーラに、ユリははっと武器を構えた。
「私のチカラを認めてくださるあの方こそが、真の王!王の歩みをジャマする者は、私が許さぬ!」
ホメロスの手から放たれた闇の炎は、ユリへと向かってくる。防御呪文は間に合わない。ユリは反射的に目を閉じた。
「……っぐうぅ」
「っ……グレイグ!」
身を盾にして、グレイグはユリをかばった。
闇の呪文は生命を蝕むような痛み。ふらつく身体を、グレイグは床に剣を突き刺し支える。
肩で息をする彼は……
「故郷を奪われ、民を失い……友は去った」
このとき、初めて自分の心を吐露した。
「英雄と呼ばれて戦い続けても、俺に守れるものなど何もないと思っていた」
大樹が落ちたあの日……真実を知ったあの日から、自分の心は打ちのめされていた。
「だが……まだだ」
その言葉と共に、グレイグは立ち上がる。
諦めた世界でひとり戦っていた。そこに、彼女はやってきて教えてくれたのだ。
グレイグはユリを見る。
「まだ、俺にも守るべきものがある。ユリが世界を救う勇者になるというなら……俺はその勇者を守る盾となろう」
そして、その視線を再び、ホメロスに向けた。同時に指を差す。
「ホメロス……いや、魔王の手の者よ。その命、私がもらいうける」
かつての友との、決別だった。