勇者の旅に同行することになったホメロスは、改めてデルカダールの王に向き合い、頭を下げる。
「デルカダール王。本来なら処断される身を……寛大な処遇をしていただき、ありがとうございました」
「もうよい。頭を上げよ、ホメロス。それよりじゃ。グレイグに贈り物をし、ホメロスにはなにも無いというわけにはいかぬが……」
「いえ、私は……」
「生憎、今はこれしか渡すことができん」
「!そ、それは……!」
王がホメロスに差し出したのは『誓いのペンダント』だった。
「グレイグが拾ったと、わしに預けてくれておったのじゃ。……受け取ってくれるか?」
「王よ……ありがとうございます」
ホメロスは受け取り、手のひらにのる誓いのペンダントを見つめる。
毎日丁寧に磨き、これを支えに生きてきた。
それが、いつしか力の差の浮き彫りをさせる象徴に見えて、ついには最悪な形で手放してしまった。
今度はこれを戒めとしよう――。もう二度と、道を踏み外さぬように。
「……グレイグ。そのデルカダールの盾、とてもよく似合っている。お前こそ、その盾を持つのに相応しい」
ホメロスは、嫌みでも嘘でもなく、本心からの言葉をグレイグに贈った。
「……ありがとう。俺はこの盾が相応しい男でいられるよう、努力し続けよう」
「フ……お前らしい言葉だ」
そんな二人のやりとりを見て、ユリは微笑む。すれ違ってしまったが、二人の友情は確かだったのだ。
「ホメロス。お前とてわしにとっては我が子のようなものだ。それを忘れるではないぞ」
「……はい!そのお言葉、一生忘れはしません」
「では、勇者一行よ。次の目的地へ心して向かうがよい!」
三人はデルカダール王に頭を下げ、テントをあとにする。
「ホメロスさま!」
「お前たち……」
入り口を出たところで、ホメロスは自身の部下たちに出迎えられた。
「うぅ……。帰ってきた途端、行ってしまわれるのはさびしいですが……」
「こちら、我々からの旅の餞別でございます!」
「ホメロスさまにお似合いになりそうな旅人服を、我らで見繕いさせていただきました。それに、武器も無くされたようでしたので、愛用のプラチナソードを……」
その他にも旅に必要な物も用意したと、ホメロスは彼らから受け取る。
「お前たちには、感謝してもしきれぬな……。ありがたく使わせてもらう」
「そんな!もったいないお言葉です!」
「色々と迷惑をかけた。あとのことはまかせたぞ」
「はっ!!」
その言葉に兵士たちは、びしっと敬礼する。彼らが心からホメロスを慕っているのがわかった。
「ユリスフィールさま。準備して参りますので、しばしお待ちいただけますでしょうか」
「もちろん。その間、私もみんなとお別れしてこようと思う」
「では、またあとで合流しよう」
あ、グレイグは待って、とユリは彼だけ引き止めた。
「グレイグに会わせたい人がいるの。ちょっとだけつき合って」
ユリはグレイグを連れて、移住区へとやってきた。
「ユリ、俺に会わせたい人とは……」
「……あそこにひとりでいる子が、セーシェルなの」
セーシェルは太陽が戻っても、宴でも、その顔に笑顔は戻らなかった。
無理してまで笑ってはほしくないが、彼女を助けたグレイグになら、心を開いてくれるのではないかと思ったのだ。
「……君は、セーシェルというのだな。俺を覚えているか?」
「おじちゃんは……あたしを助けてくれたひと」
グレイグは彼女の前に膝をつくと、セーシェルに優しく話しかける。
「……俺にチカラが足りず、君の家族を救えなくてすまなかった。だが、俺はあの日、君を救えてよかったと思っているよ。辛い日々が続くと思う。今はまだ迷子のようだとも思う……」
グレイグの言葉を、セーシェルは真剣に聞いていた。
「泣いてもいい。笑ってもいい。ただ、次に会えた時は君が元気だと俺は嬉しいぞ」
「…………」
セーシェルはなにも言わなかったが、わずかに変化した表情に、きっとグレイグの言葉が届いたのだとユリは信じる。
「……おじちゃんも、お姉ちゃんも行っちゃうの?」
セーシェルの方から話しかけてきて、二人の足は止まった。
「……ぜったい帰ってきてね」
セーシェルのその言葉に、二人は顔を見合わせ、笑顔になる。
「ああ!必ず俺たちは戻ってくる」
「セーシェルも元気でね」
わずかなセーシェルの変化に、二人の歩く足取りも軽くなった。
移住区を出ると、イシの村のシンボルのような大木の元に、ユリはエマとルキの姿を見つけた。
「挨拶してくるがいい」
グレイグに優しく背中を押され、ユリは頷くと、エマたちの元へ駆け寄る。
「……ユリ。やっぱり、旅に出るんだね。しかも、エルシスの代わりに世界を救うだなんて、今までよりずっと険しい道だと思うわ」
エマはさびしそうな顔をして、ユリを見つめた。
「……でも、私はあなたのことも、エルシスのことも信じてる。ユリ、これはあなたに作ったお守りよ!」
「ありがとう、エマ!大切にするね」
ユリはエマからお守りを受け取った。
「無茶はしないこと。勇者とかの前に、ユリは女の子だってことを忘れちゃだめよ。それから……また記憶喪失になったりして、私たちのことを忘れたら許さないからね!」
「うん、気をつける。記憶喪失の危機があることには慎重だから。本当にありがとう、エマ……それにルキも」
ユリはしゃがんで、ルキの頭を撫でる。
「行ってきます!」
最後に、元気よくエマとルキに手を振って、別れた。エマも手を振り返し、ルキは「わん!」と、その背中に吠える。
「……ねえ、ルキ。記憶喪失の危機があることには慎重って、どういうことかしら?そういうところはあの子、変わってないわね」
エマはルキに話しかけてクスクス笑うが、次の瞬間には、ふっと気持ちが暗くなってしまった。
いけない、いけない。私も頑張らなくっちゃ。
これからイシの村の復興に向けて、仕事は山ほどある。
エマが移住区に戻ろうとすると……
「あ……」
ホメロスと出会してしまった。
誠意ある謝罪は受けたし、ウワサでデルカダール王と同じく、魔物に取り憑かれたせいで冷酷だったと聞いたが、どうしても身体がこわばってしまう。
ホメロスは何やら黒と赤の、エマには悪趣味に見える服をたき火で燃やしているところだった。
エマは勇気を振りしぼって、その背中に声をかける。
「あの……!」
「君は……イシの村の……」
――ホメロスは軽く頭を下げると、エマからの次の言葉を待った。
イシの村の者たちは心が広く、デルカダールの者たちをこの場に受け入れてくれただけでなく、自分の謝罪をも受け入れてくれた。
だが、それは赦されたとは別の話だ。
ホメロスも彼らに赦されたとは思っていないし、赦されなくても当然だと思っている。
だから、先ほど自分を複雑な表情で見ていた彼女の口からは……恨み言の一つや二つ飛び出してくるのだろうとホメロスは思っていた。
それを、自分はすべて受け止めるつもりだ。
「ユリを、守ってあげてください……!」
彼女の口から出た言葉は、まったく違ったもので、ホメロスは驚いた。
「あの子は、無茶しそうだし……。普段はけっこうのんびりしてて……。エルシスのことで一人で責任を感じて、彼の代わりをしようとしているみたいに見えて……心配なんです。だから、ユリのことをよろしくお願いします!」
純粋な、友を思う言葉だった。ホメロスは己を恥じた。自分に恨み言を言うのだろうと、彼女のことを見くびっていたことを。
「……約束しよう。私の命に代えても、あの方をお守りする。そして、そなたの幼馴染みでもある勇者を探すのにも、私はチカラになりたいと思っている」
「……ありがとうございます」
エマは小さくお礼を口にすると、ぺこりと頭を下げ、小走りに去っていった。ホメロスはその後ろ姿を、よき友だと見送る。……自分もああなりたいと思う。
いや、変わるのだ。
なぜか自分が着ていたという、センスのない黒い魔術師の服は燃やし、気分一新でホメロスはユリたちとの待ち合わせ場所に向かう。
(形から物事に入るという言葉があるが……その点、この服は申し分ないな)
部下たちが用意してくれた服は、自身の好きな色である白を基調としたもの。洗練されたデザインでセンスがよく、丈の短いマントも動きやすくて気に入っていた。
「お姉さん、冒険の旅の途中でカミュのアニキに会うことがあったら、ワタシは元気にしてるって伝えてねー!」
「グレイグ隊長。長いことお世話になりやした。隊長が砦に戻ってくるまで、俺たちデルカダールの騎士が民を守りますぜ!」
――ユリもグレイグもたくさんの人たちに見送られ、ホメロスと合流した。
三人揃い、いよいよ出発だ。
「グレイグさまとホメロスさまの二人が揃えば無敵です!怖いものなしですな!」
「あなた方ならば、人々を苦しめる魔王の手先をかならずや討ちたおせましょう。お気をつけて……ご武運を祈ってます」
「ユリさま、お気をつけて!次会うときは、僕はグレイグ隊長やホメロス将軍みたいな、もっとベテラン兵士になってみせます!」
「おっ!大きく出たな、ちょびっとベテランめ。グレイグ隊長、ホメロス将軍、行ってらっしゃいませ!」
最後に、兵士たちから敬礼と共に三人は見送られる。
ユリはペルラの姿が見つからず、別れの挨拶ができずに残念に思っていると……坂の上で、オレンジとリタリフォンと一緒にいるペルラに気づいた。彼女はユリの姿を目にすると、優しく微笑む。
「ユリ。これだけは覚えておいて。ここはあんたの第二の故郷でもあるんだから、いつでも帰ってきていいからね!」
「……っうん。ペルラさん……本当にありがとう。私、エルシスに助けてもらって、ペルラさんやエマやイシの村のみんなに出会えて、本当によかったと思ってる」
記憶が戻らないユリに、一緒に暮らそうとあたたかな言葉をくれたのも、彼女だった。
「だったらちゃっちゃと世界を救って、イシの村に帰っておいで。エルシスに会ったら『あんたの大好きなシチューを大ナベいっぱいに作って、母さんはいつまでも待っているからね』って伝えといておくれ」
「必ずエルシスに伝えます。じゃあ、ペルラさん……行ってきます!」
ペルラとユリ。赤の他人であってもあたたかな二人の関係を、グレイグとホメロスは微笑ましく見守っていた。
「オレンジ、しばらくはここで待っていてね」
「リタリフォン、またすぐ会える」
オレンジとリタリフォンは、さびしそうな目をして、それぞれの主を見ている。出番が来るまで、二頭ともしばしのお別れだ。
三人は最後の砦を後にする。
「今から俺たちは、お前の盾と剣だ。世界に平和を取り戻すその時まで、お前の進む道は俺とホメロスが守る」
改めて、グレイグは自分とホメロスを指しながらユリに言った。真面目なグレイグの性格がよく出ている。
「ユリ、我らが希望の勇者よ。長く困難な旅になるだろうが、共に進もう……よろしく頼む」
「ユリさま……。私もそうお呼びしてもよろしいでしょうか。改めて、よろしくお願い致します」
「こちらこそ。……新米勇者だけど、よろしくお願いします!」
いつかのエルシスとカミュのときのように――三人は心を一つにし、出発した。
「それでは、我が王がおっしゃっていた勇者ゆかりの者たちが住むという、ドゥーランダ山へ向かうとしようか」
「まずは、ナプガーナ密林を抜けないとだね」
「ユリさまもご存じかも知れませんが……ドゥーランダ山の山頂には、ドゥルダ郷という僧侶の方々が修行をつむ里があります。山肌を利用した町並みが美しい里という話です」
そこまでホメロスは話して、その顔が陰る。
「しかし、不運なことにドゥルダ郷があるのは大樹に近い山の上。あの里は、きっと無事ではありますまい……」
ホメロスは懸念を口にし、その言葉にはっとするユリとグレイグ。確かに、デルカダール地方でさえこのありさまだ。
「ホメロス、なぜそれを先に言わん!」
「あの場で言える空気ではなかっただろう」
「……でも、他に行くアテもないし、とりあえず行ってみよう」
現状もこの目で把握しておきたい――と、道順は変わらず、三人はナプガーナ密林へ向かう。
「……ユリさま。先ほどは出過ぎた発言をしてしまい、申し訳ございません」
「ううん、ホメロスの言う通りその可能性もあるわけだし、気にしてないよ」
しゅん……と落ち込むホメロスをユリは励ました。以前の冷酷無慈悲な姿とは、まるで別人のようだ。
「他にも気づいたことがあったらどんどん言って」
「はっ!」
「……お前はずいぶん丸くなったな」
グレイグも、素直なホメロスを見て思う。本当に憑き物が落ちたのかも知れない。
かつての彼は、誇り高くも真面目な人物であった。
「ユリさま、魔物の相手は我々におまかせください」
「大丈夫。私も一緒に戦うよ」
いや、ユリに忠誠を誓っているのもあるのかも知れないな、とグレイグは二人の様子を見て思った。
「この先はナプガーナ密林。悪しき魔物がひしめきあう死の森だ。ソルティアナ海岸へ続く大橋はオレたちが直しておいたから、安心して進むといいぞ!」
危険な場所のため、通行規制をしていたデルカダールの騎士だったが、三人を見て通す。
ナプガーナ密林に彼らが足を踏み込むと、ちょうど雨が降ってきた。
「生憎の天気だな」
「でも、これで火が広がらならよかったかも……」
「ユリさま、足元にお気をつけください」
ナプガーナ密林も、デルカダール地方の平原と同じようは被害を受けていた。
熱をもった噴石が墜落し、焼け焦げた草木が目につく。いまだに燃え続けている木もあり、このまま広がってしまえば、密林は無くなってしまうだろう。
(虎の部族の人たちは無事かしら……)
三人は足早に、燻る草木を避けながら進んだ。たしか、この先に木こりの小屋と、キャンプ地が……ユリは一度通った道の記憶を思い出す。
「橋が……」
「これでは、渡れそうにありませんね」
一度、この橋は魔物に壊されてしまい、木こりのマンプクが直してくれたのだが、二度も壊れてしまっていた。
「ん、待て。看板になにか書いてあるぞ……」
『橋 崩落につき 通行禁止 ふりかえってツタを探すべし』
グレイグは看板に書かれた文字を読み上げた。マンプクが書いたのだろうか。彼も無事だといいが。
「振り返って……」
三人は同時に振り返って、そのツタを探すことにした。
雨で濡れた生い茂った草木をかき分ける。
手分けして看板のツタを探すなか、ユリはグレイグの背中に止まる虫に気づいた。きっと、グレイグの広い背中を大木と間違えたのだろう。
「グレイグ、背中に虫が……」
「うおおっ!」
「……」
飛び上がり、悲鳴を上げたグレイグに、ユリはぽかんとする。ホメロスは吹き出し、笑いを堪えようとするが、
「虫はどこいった!?もういないか?」
さらに挙動不審なグレイグの様子に堪えきれず、声を出して笑う。
「ハハッ」
だが、二人の視線に気づいたホメロスは、はっと口を閉じてしまった。
「す、すまない……」
申し訳なさそうな顔をするホメロスに、ユリとグレイグは顔を綻ばせる。
「ホメロス。笑いたい時は笑い、泣きたい時は泣いていいんだ」
「……泣きはしない」
「でも、よかった。ホメロスが心から笑ってくれて」
ユリはにっこりホメロスに笑い、次にグレイグを見る。
「でも、ちょっと意外だったな」
グレイグが虫が苦手なのは。あの虫は毒がないから平気なのに。
「……誰にも言ってくれるなよ。今だから言うが、俺はあまり、虫が得意ではないのだ」
得意ではない……という反応ではなかっただろう今のは、とホメロスは思う。グレイグが虫が苦手なのは昔からだ。
「ここは虫が多くてかなわんよ。早くこの密林を西に抜けて、ソルティアナ海岸に行こう」
グレイグの言葉に、ユリは頷く。看板が指していたツルを見つけ、順番に滑るように降りた。
――ここに初めて訪れた時は、橋の上から、ここに住まう魔物たちに恐れをなしていた。
「一気にカタをつけるぞ!」
サイクロプスを三人で囲んで、攻撃する。
「マヒャド斬り!」
「ドルクマ!」
「渾身斬り!」
三人の特技が炸裂して、サイクロプスは膝をつくように倒れ、消え去った。
今のユリは記憶を取り戻し、心身ともに強くなり、ここの魔物たちに恐れることはない。
「……やはり……」
「どうした、ホメロス。まだ調子が悪いのか?」
自分の手をじっと見つめるホメロスに、グレイグが気にかけるように声をかけた。
「いや、魔の自分と離れたため、私自身の魔力も落ちたらしい。……これでは、大した戦力にならんな」
「そんなまがいもののチカラに頼らなくとも、お前には今まで身につけたチカラがあるだろう」
自虐じみた笑顔を浮かべるホメロスに、グレイグは「自分を信じろ」と活を入れる。
「ホメロスは剣術もすごいし、呪文だってたくさん覚えてる。私も、ホメロス自身のチカラを貸してほしいな」
「……ありがとう……」
グレイグとユリに、ホメロスは微笑と共に礼を口にした。
その言葉に迷いは消えたのか、ホメロスの剣筋が鮮やかに走る。
マンイーターの触手は綺麗に真っ二つだ。
魔物を倒しながら、上へと続く道を探す三人は、崖が崩れて登れそうになっている場所を発見した。
「グレイグ。そこに四つん這いになれ」
………………は?
指を差し、いきなり傍若無人に言い放ったホメロスを、グレイグは訝しげに見る。
吹っ切れて、元の誇り高き性格に戻ったのだろうか。それにしては、些か前触れがなさすぎるではないか。そもそも……
「なぜ、俺が四つん這いにならなければならんのだ!」
意味がわからんとグレイグは声を荒らげるが、ホメロスは淡々と答える。
「高い段差をユリさまが乗り上げるのに、お前が足場になるのだ」
「え?」
「……なるほど。そういうことか」
「えっ?」
ホメロスの言葉に納得したグレイグは、そこに四つん這いになった。
「では、ユリさま。どうぞ」
「ああ、遠慮はいらん」
(うわぁー……)
さすがのユリも引いた。そう提案したホメロスもだが、なぜグレイグも納得し、四つん這いになったのか。
双頭の鷲の二人は、ユリが足場にするのを待っている。
「いや……私、このぐらいの高さなら普通に乗り上げられるから……」
「ささ、遠慮せずとも、グレイグを足場にお上がりください」
今まで見たことがない笑顔でホメロスは言った。
「フ……お前が俺の背中を足場にしたぐらいで、俺はなんともないから安心しろ。汚れも気にせん」
それでいいの!?グレイグ!
ここで、カミュかベロニカがいてくれたら、容赦なくつっこんでくれただろうが、二人はここにいない。
一人でなんとかするしかない!
「………………」
だが、どちらかと言うとボケタイプのユリには、つっこみレベルが足りなかった。
「……よっと」
「!」
「ユリさま、お待ちください!」
ユリは二人を無視してさっさっと崖を乗り上げ、先を進む。
足を踏み入れた際に降っていた雨は、いつの間にか止んだようだ。
ちょうど回り込んで、木こりの小屋のキャンプ地に着いたので、今日はここで休むことにした。
小屋にはマンプクの姿はなく、どこかへ避難したのだと信じよう。
案の定、グレイグとホメロスは自分たちが準備をすると言ったが、ユリは二人に「仲間なので、対等に接してほしい」と言った。
ユリは近くに天気予報の牛がいたのを思い出し、ミルクをもらいに行く。そこに「念のため、私も同行させてください」と、ホメロスもついてきた。
「たしか……こっちの方に……」
前を歩く彼女の肩上で揺れる髪を、ホメロスはじっと見つめる。じつはずっと気にしていたことだ。(私のせいで、ユリさまの髪は短くなってしまった……)
「あ、いたいた。……ホメロス?」
もの静かだと思っていたら、ホメロスは覚悟を決めたように真剣な顔だ。
「ユリさま。私のせいであなたの美しい髪を切らせてしまいました……。罪滅ぼしに、私も自分の髪を切ろうと思います」
「え!?だ、だめだよ!ホメロスの方が綺麗な髪をしているのに!」
唐突にそう言って、剣を抜こうとしたホメロスをユリは慌てて止めた。髪は伸びるものだし、この髪型は気に入っていると、ユリは彼を説得する。
「きちんと手入れをしているように見えるし……ホメロスは髪を大事にしてるんじゃない?」
「……たしかに、髪は自分のお気に入りのパーツです」
長く伸ばした金の髪は、手入れを欠かさずにしていた。綺麗な髪をしているとユリに褒められ、ホメロスは満更でもない。
ちなみにグレイグの自分のお気に入りのパーツは、デルカダール王をマネて伸ばしているアゴひげである。
「……素材が手に入れば、髪の美容液が作れますので、ユリさまにもお分けしますね」
「嬉しい!楽しみにしてるね」
無邪気に喜ぶユリに、ほわわんという気持ちにホメロスはなる。
そんな彼女は天気予報の牛に話しかけ、今後の天気を聞いてから「おかしい……カミュの時はもっと勢いよく出たのに……」ちょっと苦戦しながらミルクを搾っている。
(不思議だ……。あの方と話すと、心があたたかくなる)
ホメロスは、自分の胸に手を当てた。
負の感情に苛まれ、苦しさから逃れたくて捨てようとしていた心は、今、嘘みたいに穏やかにそこにあった。