旅路を巡る旅

 ユリとロウがドゥルダ郷に急ぎ運ばれ、一夜が明けた――。

(……ニマ師匠……)

 目が覚めても、どこか思考がふわふわしているようだ。徐々に覚醒し、ここがドゥルダ郷の一室だとユリは気づく。

「グレイグ……」
「よかった、目が覚めたな。身体も大丈夫そうでなによりだ」

 ベッドから上半身を起こすユリを見て、グレイグは安堵の声で言った。

「もしかして、ずっとグレイグが側にいてくれたの?」
「いや……」

 ホメロスがずっと付き添っていたが、休ませるために交代したのだとグレイグは答える。

「なんでも、眠りながら泣いていたらしくてな。……大丈夫か?」

 その言葉に頬を触ると、確かに濡れた感触があった。

「…………寝汗かな」
「……それは無理がないか」

 無理があるか……。少しの沈黙が訪れて、先にユリが口を開く。

「ロウさまは……?私が戻ったということはロウさまも無事?」
「心配ない。ロウさまは先に目覚められて、ひと足先に外に出ている」

 グレイグの言葉にユリはよかったと頬を緩ませた。

「俺たちも行こう。外で待っているから、支度ができたら声をかけてくれ」

 グレイグが部屋を出てから、ユリは寝巻きからいつもの装いに着替えた。鏡の前に座ると、いつもの自分の顔がそこに映っている。

『アンタらしい勇者になりゃいいんだ』

「――よし」

 ユリは自分に気合いを入れた。ブラシを手にする。髪が短くなってよかったことは、朝の身支度が楽になったことだ。


「あ、ホメロス、おはよう!」
「ユリさま、おはようございます。ああ、よかった。昨日よりずっと顔色がいい」
「心配かけてごめんなさい。ホメロス、ずっと付き添ってくれたみたいでありがとう」
「私がしたかっただけですから……。では、行きましょうか。まずは朝食を召し上がってください」

 二人と合流し、ホメロスに促され、ユリは朝食を食べてからロウの元へと向かうことになった。

「勇者さま、おはようございます!昨日、気を失った姿を見たときは心配しましたが、大丈夫そうですね。サンポ大僧正とロウさまが宮殿の外であなたをお待ちですよ。はやくカオを見せてあげてください」

 嬉しそうに声をかけたのは、滞在中にユリの世話をしてくれた女性だ。
 ユリは「お世話になりました」と、彼女に丁重にお礼を言う。きっと、今日中にはこのドゥルダ郷を旅立つだろう。

 ドゥルダでの食事も最後になるだろうと、ユリは味わって食べる。朝食はおかゆで、空腹だった胃に優しかった。

「あっ、勇者さま聞いて!わたし、はじめてロウさまのカオを見たの。あの人が有名な伝説の弟子なんだね」
「勇者さま、目が覚めたようじゃな。ロウさまもボロボロだったが命に別状はなかったようじゃ。なにはともあれ、皆が無事に戻ることができて本当によかったわ」
「山頂に向かった修行者が大師の一番弟子、ロウさまだったんだな。だが、冥府に行ってまでドゥルダの奥義を覚えてくるとは……。さすが、伝説の弟子だぜ」

 ――ドゥルダ内では、今はユリの無事と伝説の弟子として名高いロウの話題で持ちきりのようだ。
 大師の宮殿を出ると、ちょうどサンポと話をしているロウの姿があった。

「おお、ユリ嬢。うむ、体調の方は大丈夫そうじゃな。よかったよかった」

 ユリの顔を見て、朗らかにロウは微笑むが、ユリは別の意味でロウの顔を見つめた。

「なんじゃ?わしのカオになにかついておるか?」
「ロウさまがすっかり元の姿に戻られたのでおどろいているのですよ。一時は骨と皮だけでしたからね」

 ロウの姿は以前とまったく変わらない。魂が戻ったことによって、身体も元に戻ったのだろうか。

「ふぉっふぉっふぉ!あれくらい大師さまの修行に比べればなんでもないわい。メシを食べればすぐ元通りよ」

 笑って言うロウに、ユリは逆に苦笑いする。即身仏のようになっていたのに、それ以上の修行とはいったい……

「ユリさん、ロウさまから話は聞いています。冥府で大師と出会い、修練を受けられたそうですね」

 サンポに話しかけられ、ユリははい、と答える。

「さらにローシュさまの技を覚えただけでなく、ドゥルダの最終奥義まで習得したとのこと。本当によろこばしい限りです」

 ニマ大師から教えてもらったことは、奥義だけでなく、その言葉もユリの中に生きるだろう。

「そうじゃ、グレイグ。わしがあっちの世界にいる間、ユリ嬢のチカラになってくれたようじゃな。ユリはエルシスの友であり、わしにとっては孫のような大切な仲間じゃ。礼を言うぞ」

 ロウのその言葉に、グレイグは拳を胸に置く騎士の作法をし、答える。

「それには及びません、これまでの無礼を考えれば当たり前のことをしたまで。むしろ、こちらがお詫びする立場です……」
「いいんじゃグレイグ、カオを上げい。先ほどホメロスにも同じように謝罪を受け、同じことを言ったが……。そなたも運命に翻弄された哀れな男。わしはグレイグもホメロスも、デルカダール王とて責めるつもりはない」

 そう言い切ったその寛大な心に、まぎれもなく元国王の面影が見えた。グレイグだけでなく、ホメロスも改めて拱手礼をし、ロウに敬意を示す。
 
「……しかし、ロウさま。我々はこれからいったいどうすれば?ドゥルダに来れば、何かわかると思ったのですが」

 新たに戦う力は手に入れたが、これから目指す目的は不透明のままだ。

「そう……それについては心当たりがある。大師さまの話によると、先代勇者ローシュは、神の乗り物で空を飛び、邪神と戦ったらしい」
「神の乗り物……?」

 グレイグが不思議そうに呟き、ユリははっと思い出す。

「神の乗り物……聞いたことがあります。なんでも『神の音色を奏でろ。我は導かれるだろう』と……」

 ユリはそれしかわからない。天界が無事なら、詳しい書物が残っていたかもしれないが……。もうどうにもならないことだ。

「『神の音色を奏でろ』……か。音楽や楽器が関係するのだろうか」

 ホメロスは思案するように呟いたあと、ため息を吐いた。
 一時期、魔王軍にいたとはいえ、勇者の旅に役立てそうな情報はなく、ホメロスは自分に落胆する。(情報一つももっていない自分が不甲斐ないな……)
 
「わしもくわしくは知らんが、先代勇者たちが使用したその乗り物を手に入れれば、天空にいる魔王を討ち果たす方法も見つかるやもしれん」

 その意見に皆は同意した。どのみち、魔王の城に乗り込むとしたら、空を飛んでいく必要がある。

「……それに、バラバラになった仲間のことじゃ。皆、あきらめの悪い者ばかりじゃから、きっと世界のどこかで生きのびているはず」

 エルシスも含めて――。ロウはユリを励ますように言った。

「そうですね。ロウさま、もし手がかりがあるとすれば……」

 勇者所縁がある聖地はここ、ドゥーランダ山と、もう一つはゼーランダ山だ。命の大樹を囲むその二つの山は賢者の双峰とも呼ばれている。
 行くべき場所はベロニカとセーニャの故郷でもある――ラムダの里だろう。
 
 ユリの言葉にロウは真剣な顔で頷く。

「では、ユリ。勇者ローシュの足跡をたどるため……仲間を探しながら、もう一度神語りの里、聖地ラムダを訪ねてみようぞ」

 グレイグとホメロスも同意だと頷いた。ただ、問題はドゥーランダ山はニマのおかげで大樹の衝撃波を受けずに済んだが、ゼーランダ山はどうだろうか。

 そこまでの道のりの問題もある。

 ……ここで考えても仕方がない、と全員思考を止めた。
 
「さあ、ゆっくりしている時間はない。一刻も早くウルノーガの野望を砕かねば。皆の者、出発するぞ」


 ロウが ふたたび 仲間に加わった!


「伝説の魔法使い、ウラノスの奥義を覚えたロウさまが仲間になるとはな……。魔王と戦う上でこれほど心強いことはない」
「ロウさまがまた仲間になってくれて頼もしいです!」
「ほっほ、わしにまかせい!ニマ大師に鍛えあげられ、パワーアップしたわしはそこの若人ふたりにも負けんぞ」
「いえ、ロウさま。私どもはもう若人の年齢では……」

 ホメロスが控え目に否定した。年齢的には二人ともいい歳した中年のおっさんである(何故かホメロスは若く見られるが)ロウにとっては、まだまだ二人は若人の範疇らしい。

 この地を旅立つ前に、彼らは最後にサンポへ挨拶した。

「ユリさんが強大なチカラを持つ魔王ウルノーガと戦うために、我らドゥルダの民も協力いたします」

 心強い言葉にユリはサンポにお礼の言葉を言う。

「勇者さまのために特別な修行を用意しました。自らのチカラを高めたいと思ったら、ぜひドゥルダの大修練場に来てください」

 確かに魔物もどんどん強くなっていて、困難に感じたらここに修行に来るのもいいかもしれない。

「その際はよろしくお願いします」

 ユリはサンポと握手を交わし、この場を離れた。
 大師の宮殿を後にすると、出発前によろず屋に寄りたいと皆に言う。
 弁天のどうぎを買いたいのと、他にもいい商品が売っているかもしれない。

「この弁天のどうぎ、マルティナにすごく似合うと思うの!」
「おお、確かに姫さまに似合いそうだな」
「ユリさまにも似合うのでは?」
「うむ、ユリも修行で着ておったが似合っておったぞ。どれ、わしも久しぶりに武闘着を着てみようかのう……」

 そう言ってロウは『初代大師のぶとうぎ』に着替えてみた。

「どうじゃ?」
「「おぉー」」

 服装一つで、いつもの雰囲気がガラッと変わる。ユリは帽子の白いポンポンが可愛いい似合っている、とロウに伝えた。
 褒められて嬉しいロウは、しばらくはこの格好でいくらしい。

「ホメロス、この杖なんてどうかな?」

 店の商品を見て、ユリがホメロスに差し出したのは『せいれいの杖』だ。精霊の力で守られているステキな杖らしい。

「贅沢を言っていいのであれば……私はユリさまが造られた杖が希望です」
「贅沢ではないけど……がんばって作るね」

 今夜にでも鍛冶をしようと、ユリは決意した。

 ここではユリだけでなく、有名人のロウもよく声をかけられた。同じような年代の人たちはほぼ顔見知りらしい。

「ひさしぶりにロウちゃんのカオを見て、なんだか安心しちゃったねえ。ずっと行方不明だったから、心配してたんだ」
「わしはこの通りピンピンしておるから安心してくれ!ミツちゃんもいつまでも元気で過ごしてな」

 また、とある少年は……

「昔、大師さまのもとで修行していた伝説の弟子がボクのあこがれの人なんだ。でも、すごくカッコいい人を想像してたんだけど、実物は普通の太ったおじいちゃんだったよ。イメージと違ってちょっとショックだな……」
「それは会うのがちいとばかし遅かったのう。昔のわしはそりゃあもうカッコよかったぞ」

 その言葉に、グレイグはホメロスにひそひそと話しかける。

 ――そうなのか?
 ――知らん。

 二人のやりとりに、ユリは吹き出しそうになった。もしかしたら、ロウの若い頃はエルシスに似ているんじゃないかと想像してみる。(エルシスはお母さん似だったみたいだし)

 …………今のロウから想像できなかった。

「いやあ、おどろいた!やせ細って今にも死にそうなロウさまが、おかゆを食べるとみるみるうちに元の姿に戻ったんです」

 ……という男の話しには、ユリは興味津々に耳を傾ける。(おかゆを食べて元に戻った……?)

「……あれはとても人間技じゃありません。さすが、伝説の弟子と言われるだけあります。……えっ?ロウさまが元の姿に戻る瞬間を見逃したのですか。いや、それは残念!めったに見られるもんじゃありません。もったいないことしましたね」

 そんな風に言われると、ますます見たくなる。その瞬間を目にすることができなくて、ユリはちょっぴり残念に思った。

「大師さまのおかげで郷は無事でしたが、この世界には苦しんでいる人がまだまだたくさんおります。あなたの役目はそんな人たちに希望を届けることです。頼みましたぞ、勇者さま」

 見送られるようにかけられたその言葉に、ユリもそんな勇者になりたいと、老人の言葉に深く頷いた。


「……あれ……?」
「どうしましたか、ユリさま?」

 門前の階段を降りながら、ユリはうーんと唸る。

 ……なにかを忘れているよーな……。

 ユリははっと思い出し、声を上げる。

「クエスト!」
「クエスト?なんじゃなにか引き受けておったんか?」

 ああ――グレイグとホメロスも思い出した。

 師範代から引き受けた「れんけい技の背水の覚悟を使ってそのスノードラゴンを倒す」というもので、その連携技は自分たちでできそうだと……。クエストを達成してから旅立った方がいいだろう。

 ――そして、同じようにロウも思い出した。

「はっ!!」
「……ロウさま?」

 大慌てでごそごそと荷物の中を探す。やがて……

「……!わしの愛読書の『ピチピチ★バニー』がない!もしや、御堂に置いてきたのかもしれん……!!」
「ピチピチ……?」

 真剣な顔でロウは言った。不思議そうにその単語を繰り返したユリに、軽蔑するような目でロウを見ているのはホメロスだ。

「ロウさまの大切なものでしたら、取りに……」
「いえ、ユリさま。あんな俗悪な書物など捨て置いて大丈夫です。あなたさまの手を煩わせる必要はありません」
「これホメロス!バニーちゃんに失礼じゃぞ!あの本はムフフ本の中でも最高と名高く……!」
「……ロウさま、私がこっそり回収しておきました」
「なんと!でかしたぞ、グレイグ。もしや、おぬしもムフフ本好きかのう」
「ロウさまは素晴らしい本をお持ちで……」
「このスケベどもめが!ユリさまに悪影響だろう!今すぐその本を捨てろ!なんなら私が燃やしてやるっ!」

 …………。

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人を、ユリは遠い目をして見ていた。
 話についていけず、どこか疎外感も感じる。
 ……冷めた目をしているユリの視線に気づいた三人は、ゴホンとそれぞれ咳払いした。


 ――クエストの内容自体は簡単なものだった。


「いくぞ、ホメロス!」
「無論!」

 グレイグとホメロスの連携技、背水の覚悟!

 二人の攻撃力が高まり、一方で守備力が下がる。だが、下がった守備力はユリとロウの呪文でカバーした。
 ホメロスは二刀流でスノードラゴンの皮膚を切り裂き、グレイグのドラゴン斬りが炸裂する。

 二人は背水の覚悟を使って、スノードラゴンを倒した!

 すぐさま一行は、師範代に報告しにいく。

「いやはや、お見事……。あなた方から発せられた気でわかります。どうやら修行をやり遂げたようですね。ドゥルダの心得はこの先、強敵との戦いでも役に立つ場面が訪れるはずです。戦いとは覚悟……。覚えておいてください」

 自分が実践したわけではないが、代表して「はい」と、ユリは答える。

「これは、ドゥルダの修行をやり遂げたあなた方に私からの気持ちです。どうぞ、遠慮なく受け取ってください」

 ユリは『集中のカード』を受け取った!

「……ちなみに、これは余談ではありますが、かつてロウという方が強敵を前にすると逃げ、結局この修行を達成できませんでした」

 ……ロウという者なら自分たちの隣にいる。

「逃げた理由はなんでも大師さまからわざとお仕置きを受けるためだったとか……。まったく、あきれてものも言えません」
「「…………」」

 師範代はやれやれと首を横に振って言った。思わず三人はロウを見るが、ロウは気づかないフリをした。

 クエストも無事達成し、思い残すことなく一行はドゥルダ郷を出発する。

 ドゥーランダ山をひたすら下山だ。

 お昼は事前に、ロウがサンドイッチを作って用意していたらしい。

「久しぶりのロウさまのサンドイッチ、おいしい!」
「ほっほ、たくさん食べるとよい」
「サンドイッチはユグノアの国民食ですね」
「片手で手軽に食べられのがいいな。遠征食に向いている」

 パーティーも基本人数の四人になって、魔物との戦いも楽になった。
 ユリは後衛に回って、剣から弓に装備に切り変える。時々矢を放たないと、なんとなく腕が鈍る気がした。

「夜に山で動くのは危険じゃ。今夜はここで休むことにしよう」

 夕刻が近づき、ちょうど登ってきたときと同じキャンプ地で一行は休むことにした。
 夕食を済ませると、ユリはいよいよふしぎな鍛冶台と向き合う。

「今あるレシピで強い杖は、こおりの杖みたい」
「そちらでかまいません」

 ちょうど必要な素材も揃っている。ホメロスの了解も得て、ユリはトンカチを握った。
 鍛冶をするのは、一番最初にエルシスと二人で試してみたとき以来だ。
 不思議なことに鍛冶の能力も引き継いでいるらしく、ユリはスムーズに鍛冶を行うことができた。

「……できた!」

 だいせいこう!喜ぶユリを見る三人の目は、微笑ましいものだ。

「おお……!なんと素晴らしい出来の杖……。ユリさま、一生大切に使わせてもらいます」
「強い武器が手に入ったら新調してね」

 二人のやりとりを見て、ロウはずっと感じていたことを口にする。

「魔王の支配から解かれたとはいえ、ホメロスは人が変わったようじゃ」
「俺から見れば、昔のホメロスに戻ってきてるようにも感じますね」
「確かに、ウワサで聞いていた人物に近いかもしれんな」

 国一番の騎士になると夢見て、希望にあふれる二人は、きっと将来デルカダール国を担う者になるだろう――。
 魔王に憑依される前のデルカダール王が、グレイグとホメロスのことをそんな風に話していたことをロウは思い出す。

『……おぬし。ずっとここで待っておったのか』
『ご迷惑と思いましたが、ロウさまとお話をしたくお待ちしておりました』

 今朝の真摯な謝罪は、根は真面目という現れだ。礼儀をわきまえる態度も、ユグノアの元国王として何度か顔を合わせた印象とそう変わらない。
 ムフフ本の件で容赦なく怒られたのも、誇り高い性格の彼らしいと言えるだろう。

「ホメロスだけでなく、それはおぬしにも言えることじゃな、グレイグ」
「……それは、どういった意味かお聞きしたいのですが……」

 ロウはグレイグにほほっ、と含みを持たせて笑い「年寄りは早寝早起きじゃ」と、早々に寝袋へ入っていた。

「フ……食えぬお方だ」

 グレイグはひとり呟き、枝をたき火に突っ込む。


 翌日の午前中には、一行はドゥーランダ山を下山した。
 そこから目指す場所は、ソルティコの町だ。

 ジエーゴから、船を貸してもらえるか交渉するために――。

 聖地ラムダへ行くには北の大陸に上陸する他しかない。シルビアとシルビア号も行方知れずのなか、彼らが船を調達するには借りる手段しかなかった。

 ソルティコはデルカダールと親睦がある町で、グレイグはジエーゴの門下生だという。確かにソルティコの町でそんな話を聞いたことあると、ユリは思い出した。

 そして、ロウはジエーゴと旧友の仲だ。

 門下生のグレイグと旧友のロウの頼みごとなら、船を貸してくれるかもしれない。そんな希望を抱いて、彼らはソルティコの町を目指す。


「ここは通れねえぜ」

 ソルティコの町を目指す一行の前に立ち塞がるのは、荒らくれ者――ではなく、道を塞ぐ崖崩れだった。

「大樹が落ちた衝撃で、崖崩れが起こっちまってソルティコの町への道がふさがったんだが、地形が変わったのはそこだけじゃねえ。西のメダチャット地方側は崩れたことで逆に通れるようになっていやがった。世界はもうめちゃくちゃだよ」
「さすがにこれでは通れないな……」

 ホメロスは道を見て残念そうに呟いた。だとすると、今の地図もあまり役に立たないかもしれない。

「旅人さん。ソルティコの町へ行きたいのなら、東の浜辺沿いにあるほら穴を通り抜けて、丘を西へとのぼっていくといいぜ」

 有益な情報をもらい、一行はさっそく教えてもらった浜辺へと向かう。

「むう……わしの知るソルティアナ海岸とは何やら様子が違ってしまっておるな。ジエーゴ殿は無事じゃろうか」
「とっても綺麗な海辺だったのに……」

 以前訪れた以上に、魔物がうようよしており残念な景色だ。浜辺沿いにあるという、ほら穴は幻想的で美しかったが。
 そこを抜けると、ソルティアナ海岸の船着き場の近くだとユリは気づく。
 そして、この丘を登った先には黄色が鮮やかな花畑が広がっていたはずだ。

「よかった……この花畑は無事みたい」

 ひぐらしそう・強が闊歩しているが、変わらず花たちは美しく咲き乱れている。

「ユリさま、ソルティコの町には訪れたことがあるのですか?」
「うん。ソルティコの町から外海へと出たの」

 ホメロスの問いに、花畑を眺めながらユリは無邪気に答えた。今となっては自分たちの過ちだが、勇者一行はこんな場所まで逃げていたのか……と、グレイグとホメロスはしみじみ思う。

 花畑からソルティコの町は水門橋を渡ってすぐそこだが、入り口の門は以前とは違い、堅く閉ざされていた。

「おお、旅の方!危険な外の地から来てよくぞご無事で!さぞつらい思いをなさったでしょう」

 騎士が警備しており、すぐに門を開けて入れてくれるようだ。

「……ですが、ここには我々騎士がいます。必ずや民を守ってみせましょう。魔物は1匹たりとも町に入れませんとも!」

 ――ソルティコの町へと足を踏み入れると、以前のような明るさはない。
 リゾートとしても有名な町だったが、町中を歩いている人の姿も少なかった。

「むう、町の皆も元気がないのう。これもにっくきウルノーガのしわざか……」
「あの素晴らしいリゾート地の見る影もないな……」

 町中を見渡し、ロウとホメロスが言う。……グレイグも同じ思いのようだ。

「ジエーゴ師匠や仲間たちと修行に明け暮れ、眼下に広がる海から自然の厳しさを教わった。ここでの暮らしがなければ、今の俺はなかった。……だが、俺の知る町とは様子が違う。町の誰もが魔王の恐怖におびえているようだ。早く皆を安心させてやりたいな……」

 そっと隣を歩くユリに言った。ユリはどう答えていいかわからず、同調するように頷く。きっとグレイグにとっては、ここは故郷と同じぐらい大事な場所なのだろう。

「まずは、ジエーゴ殿の館へ行こう」

 ロウの後に三人はついていく。町中を警備をしているのは騎士だけでなく、中には武装をしていない者も武器を持って見回りしていた。

「デルカダール王国から旅行で来ていたんだが、このご時世だ。すこしでもチカラになるために町の警備を手伝っているのさ。……故郷のデルカダール王国は滅んだと聞くし、帰る場所がなくなっちまったからな。ここで警備をするくらいしかできないのさ」

 彼だけでなく、観光で町を訪れて帰れなくなった者も多いだろう。
 ホメロスはデルカダール国の復興の目処があると彼に教えると、彼の目に希望が生まれた。

 他のデルカダールの民にもそのことを伝えると、彼は嬉しそうに走っていた。

「これより先は町の名士、ジエーゴさまの屋敷。だが、ジエーゴさまは大ケガをされてな……。休養中のためお会いできないだろう。もう若くはないというのに、魔物に襲われた門下生の子供を守ったのだ。命に別状はないようだが、心配でならないよ」

 屋敷の門番の言葉に皆は驚く。

「まさか、ジエーゴ殿が大ケガしておったとは……。彼らしいケガじゃが……心配じゃのう」
「門下生の子供を守ったとは、なんとも師匠らしいが……」

 見舞いもしたいと、そのまま彼らはジエーゴの屋敷へ向かった。

「おお、そこにおられるは、グレイグさまにロウさま!……よくぞご無事でいらっしゃいました。ご主人さまも誠によろこばれましょうぞ」

 ちょうど執事であるセザールに出迎えられた。だが、セザールの再会を喜ぶ顔は、みるみるうちに暗くなる。

「ご主人さまにお会いいただきたいのですが……じつはジエーゴさまは大ケガを負われ、お部屋でお休みになっておられるのです。……たいへん申し訳ございませんが、またご主人さまが目覚めた頃にお越しくださいまし」

 申し訳なさそうに断るセザールに、とても頼みごとをする雰囲気ではなかった。
 気遣う言葉だけを贈り、彼らは屋敷を立ち去る。

「ぜひ、ジエーゴ殿やセザール殿とひさしぶりに語り合いたかったんじゃが……」
「今はジエーゴ師匠の回復を祈ることにしましょう」
「ユリさま、念のため他に船を貸してくれる者はいないか探してみましょう」
「……そうだね」

 ホメロスの提案に諦めずに探してみるが――海には恐ろしい化け物のような魔物が出るという噂に、誰も彼もが船を貸したがらなかった。
 現に船が沈められ、怪我した者たちがリゾートホテルで療病中だという。皆、自分たちの船を沈められたくないのだ。

 ユリはその魔物を知っている――海底王国を襲った魔物だ。

「とりあえず、今日はこの町で休まないか。私の別荘があるからそこを使おう」

 さらりと言ったホメロスの言葉に、グレイグがぴくりと反応した。

「お前……別荘なんて持っているのか」
「将軍の地位の者なら、別荘の一つや二つぐらい持っているだろう」
「わしも昔は別荘をいくつか持っておったのう」
「俺は一つも持ってないぞ!」

 どうやらグレイグは、ちょっと羨ましいらしい。

「……なあ、ユリ。別荘を持つならどこがいいと思う?」
「私なら……ホムラの里かな」

 温泉付きの別荘が欲しいというユリに「おお、いいではない!」と、話は盛り上がったが……

「お前、ヨロイも売ったほどに金欠だったんじゃないのか?」

 というホメロスの言葉に、グレイグの別荘は夢のまた夢になった。


 ……――翌朝、ホメロスの別荘のフカフカベッドで目覚めたユリは、疲労もばっちり取れて皆と出発した。

 次の行き先は、もう決まっている。

 大樹が落ちた衝撃で通れるようになったという、メダチャット地方だ。
 異変が起きた世界を知りたいというユリの意向に加え……

「メダチャット地方?近づかないほうがいいだろう。あの辺りでは、悪魔めいた格好をした謎の集団が練り歩いているってウワサだからな」

 という、気になるウワサを耳にしたからだ。

「……危険な集団だったら見過ごせない」

 真剣なユリの言葉に異論を述べる者はいない。
 世界という大きなくくりだけじゃなくて、困っている人や危険から人々を助けるのも、きっと勇者の役目だ。

 少なくとも、エルシスならそうする。

 メダチャット地方へ向けて、一行はソルティコの町を出発した。


- 157 -
*前次#