「わ、タマゴがたくさん!」
露店に飾られているのは、カゴに入った白いタマゴ。
蒸し風呂屋に行く途中、ほかほかに茹でられたタマゴたちに、ユリは目を奪われていた。
「おっさん、蒸し風呂屋への道教えてくれ。ちょっと寄り道してから行くからさ」
「えー!ちゃんと来てくださいよぉ、他の温泉屋に浮気しないでくださいよ!」
「しねぇよ。ちゃんと行くって」
亭主はカミュに念を押してから、蒸し風呂屋への道順を教えた。
「ホムラの里はあつ〜いお湯がたくさんわいてきてね。タマゴをあたためるのにちょうどいいの」
店番の少女が、ホムラの里の温泉地ならではの名物だと、ユリに話していると――
「二つくれ」
すっと横に現れたカミュが、少女にゴールドを手渡した。
「カミュっ?」
ユリはびっくりして、顔を見上げる。
「食いかったんだろ?」
「えっ、う……うん」
物珍しさで見ていただけだが、違うと言えば嘘になる。食い意地がはっていると思われただろうか。ちょっと恥ずかしい。
「別に、お前が食べるのが好きなのは前から知ってる」
ユリの心を読んだように。
そう言って笑うカミュに、う…と否定できずに彼女は顔を赤らめた。
「ちょっと待っててね」
少女はそう言って、筆を取りだすと、何やらタマゴに模様を描き始めた。
「へぇ……」
幼いながら器用な手つきに、カミュも唸る。
彼女は二つのタマゴに同じ模様を描いてから、「ホカホカだから気をつけて食べてね」と二人に手渡した。
「ホカホカのタマゴにホムラの里の印を書くと『縁結びのホの地タマゴ』っていう、旅人さんへのおみやげにもなるのよ」
「縁結び?」
ユリはその言葉を繰り返した。
「うん、この里の願掛けみたいなものよ。人との出会いを『縁』って言って、繋がりとか絆とかそういった意味なんだって。旅人さんには良いご縁がありますようにって、良い出会いを願うように印を書いてから渡してるの」
「そうなのか……ありがとうな」
少女のしっかりとした説明に感心して、カミュはお礼を言った。
「あっでも二人は違うよ」
少女は笑顔で否定してから。
「縁結びの本来の意味は、今ある縁を固く結ぶことなの。お兄さんたち、恋人同士でしょ?だからもっと仲良くなるように、思いを込めて描いたわ」
「………………そうか」
その言葉に、一瞬固まってからカミュの口から出たのはその一言だけだった。
にこにこと無邪気に笑う少女に、さすがに否定はできず。
「た……食べるのがもったいね!」
それはユリも同じだ。
話題を変えるように言うが、顔をさらに赤くさせ、動揺している。
「おまじないみたいなものだから、食べても効果はあるから大丈夫よ」
おいしく食べてね――追い打ちをかけるように少女は眩しい笑顔で言った。
「……とりあえず、冷めないうちに食おうぜ」
「う、うんっ」
気まずい空気。無言。ユリはタマゴの殻を破ることに集中した。
だが、やはりせっかく描いてくれたのに少しもったいない。
ユリは途中まで殻を破ったところで、少女が描いてくれた印を眺めた。
(勘違いされてしまった……私とカミュ、恋人同士に見えるのかな……。それとも、男女が二人で歩いていれば、恋人同士に見えるのかも……)
少女の笑顔に否定ができなかった。
たぶんカミュも同じだろう。
せっかく思いを込めてもらったのにと、少し罪悪感を感じる。
「…ん!これ、うまいぞ!」
先に食べたカミュの言葉を聞き、ユリもタマゴをぱくりと一口食べた。
「…おいしい!黄身が半熟とろとろで絶妙!」
今までの思考もぶっ飛び、満面の笑みでおいしそうに食べるユリ。
その変わり身の早さに、カミュは吹き出しくつくつと笑う。
「お前、さっきまで顔真っ赤にさせて動揺してたのに……」
「……っカミュだってそうじゃない……」
今度はふてくされた表情を浮かべる。
本当に分かりやすいなとカミュは思った。
だが、同時に分からないことも多くて不思議な女だとつくづく思う。
――たとえば、
「カミュは、恋人はいるの?」
唐突にこちらの予想外の質問をしてくるとこ、など。最後の一口を食べようとしたカミュの手が止まる。
「……オレにいると思うか?一年も牢獄に入って、今はお前たちと旅してるんだぞ?」
呆れたように言うと、ユリは「あぁそっか」と納得した。
「じゃあ、過去に恋人はいた?」
そう来たか。答えづらい質問に、カミュは返事を口の中で舌と共に転がす。(こいつは何を聞きたいんだ……いや、他意はないのか)
カミュが本気で答えるとしたら、まずは恋人の定義をはっきりさせなければならない。
……まあ、それは冗談として。
普段なら適当にはぐらかすが、予想外に彼女がこの手の質問をしてきたのだ。
「……いた」
返答に迷いながらも答えた。
「…そっか」
ユリは先ほどと同じような返事をした。特に表情に変わりはない。
「って、オレが答えたら……お前はどう思う?」
そう後からわざとらしく付け加えてみた。少し、試してみたくなったのだ。
「……どうって?」
彼女はきょとんとする。
「オレに過去に恋人がいたとしての感想」
「感想……。うーん、カミュはモテそうだから……やっぱりとか」
毒にも薬にもならないような答えが返ってきた。
「あっそ…」
カミュは自分から聞いておいて興味を無くしたように答えた。
急に自分にバカバカしくなったのだ。(オレはいったい何をこいつに期待してたのか)
「結局どっちなの?」
「教えてやんねえ」
カミュはなげやりに答えて最後の一口を口に入れた。すっかり冷めている。
結局返答をはぐらかす結果になってしまった。
成果は彼女に駆け引きは通用しないと痛感したことだろうか。
「あそこから上がって行きたい――」
ユリが赤い門が連なる所を指差した。
蒸し風呂屋には遠回りだが、観光がてら二人はそちらから行くことにする。
近くの老人は、これは鳥居だと教えてくれた。
なんでも神域への入口らしく、この上には社があり、この里の長であり巫女でもあるヤヤクが住まう場所だと言う。
「なんか神秘的だね。この中だけ別の空間みたい」
ユリは赤い鳥居を見上げながら言った。独特で神秘的。ホムラの里は熱気があるが、ここだけひんやりとしている。
周りにたくさん生えてる竹という長い不思議な木のせいかも知れない。
風が吹くと葉がさらさらと音を立て、どこか涼しけだ。
「…なあ。さっき、いきなりなんであんな質問したんだ?」
後ろを歩くカミュに聞かれ、ユリは石段の途中で立ち止まった。
「……私に、そういった存在がいたのかなって、ふと気になったの。どういう存在なのかなって思って…」
「………」
「でも、覚えてないから……もしいても、悲しませちゃうからいない方が良いな」
そうユリは明るく笑って、再び石畳の階段を上がる。
自分にも大切な人がいたのだろうかとふと考える時がある。
恋人というだけではなく、家族や友人――それさえも分からないほど、自分はすべて忘れてしまったのが悲しい。
「…なんで、思い出せないんだろう…」
広い場所で立ち止まり、空を見上げる。
純粋な疑問を、葉が掠れる音に隠れるようにユリは呟いた。
「お前が忘れたって、思い出せなくたって。お前の大切だった人たちは、ユリという存在が生きててくれただけで嬉しいと思うぜ」
その返答に、先程の言葉が聞こえていたのだろうか。
ユリは驚いて振り返る。
カミュも石段を上がり、隣に並んだ。
「記憶が無くなったって、生きてきた証が無くなったわけじゃないんだ。この世界を旅してたら、いつかそれは絶対に見つかる。それに出会えば、お前もきっと分かる」
さらにカミュが続ける。
青い海のような瞳が、ユリを捕らえて離さない。
「オレが絶対に見つけてやる。世界中のお宝を見つけて、手に入れて来たんだ。お前の記憶だって手に入れてやるよ」
約束だ――そう微笑み言うカミュは、ずるい人だとユリは思う。
「………うん」
何故ずるいと思うか自分にも分からないが、とにかくずるくて――、とても優しい人だ。
「……カミュは、もし私に恋人がいたとしたらどう思う?」
だから、ちょっと意地悪したくてユリは聞いてみる。
「………この流れで聞くか、普通」
「さっき私は答えたから、カミュも答えて」
カミュに「いた」と言われた時に、ちょっともやっとした気分になったからそのお返しだ。
カミュは考えるように視線をそらした。
どきどきして返答を待ったが、いつものようにはぐらかされて終わりのような気もする。
「……お前は美人だからな。いたとしても不思議には思わない。周りの男の方が放っておかないだろ」
「…………」
「お望み通り、ちゃんと答えたぜ」
「……カミュがちゃんと答えてくれたからびっくりした」
それに美人だと褒められてしまった。
どうしたのだろう。(やっぱり……)
こういうところが、彼のずるいところだと確信する。
「……今の私が、好きになってもいいのかな……」
そこまで言って、ユリははっと気づく。
無意識に言葉を紡いでいた。
隣のカミュを見ると、びっくりした顔ををしてこちらを見ている。
ユリの方も自分にびっくりしていた。
「………今のは、」
「なんて!」
カミュが何かを聞く前に、ユリは逃げるように石段を駆け上がってしまう。
「あ、これが社だね。鳥居と似たような建物」
ユリは大きな社を見上げて「カミュ、早くー」といつもの調子で何事もなかったように呼んでいる。
残されたカミュは「……やられた……」と顔を片手で覆い、一言、空に吐き出した。
高鳴った心臓を落ち着かせ、ゆっくりと彼女の後を追う。
心を乱されたのは、どっちだっただろうか。