太陽が戻って明るいとはいえ、そこには灰色の空が広がっている。
ソルティアナ海岸の平原を進むと、立ちはだかるように魔物が現れた。
どくやずきん・強と、きめんどうしだ。
三人の敵ではないが、腕に刺さった毒矢からグレイグは毒に冒されたらしい。「すまんな」ユリはグレイグにキアリーを唱えた。
再び三人は進むと、その先は大きく二つの道に分かれている。
「ドゥーランダ山はこちらの道……。ユリさま、見えますでしょうか。あちらがドゥーランダ山門です」
ホメロスが指差す方向に、関所のように塀が連なっているのが見えた。
「あそこからドゥーランダ山に入るのね」
「見たところ、山門の被害はなさそうだな。行こう」
まずはドゥーランダ山の入り口である山門を目指す三人だったが、そのすぐあとに異変が起こった――……
「……兄ちゃん。あの女の子ってもしかしたらもしかして……」
「ああ、あの二人の男は騎士みてえだし、間違いねえ」
草影から、二人の男が三人の様子を眺めていた。二人は顔を見合わすと、なにかを決意するようにこくりと頷く。
「そこのお嬢さん!ハンカチを落とされませんでした!?」
「ハンカチ?」
「?」
背後からそう声をかけられ、ユリは振り向く。
「――へ?」
そんな間の抜けた声をユリが出したときには、何故か二人の男に身体を担がれていた。
「!?な、なんだ貴様らは!?」
「ユリさまをどうするつもりだ!」
「はっはっは!ちょいと姫さまを借りてくぜ〜!」
姫さま……?
二人が唖然とする間に、二人の男はさっさとユリを連れて、それぞれ馬へと飛び乗る。
「用が済んだらちゃんと返すから安心しろ!」
「え、待って、姫さまって……」
ユリが最後まで言う前に馬は走り出し、舌を噛みそうになって口を閉じた。
――用が済んだらちゃんと返す、だと?
「ユリーー!!」
「ユリさまーー!!」
慌ててグレイグとホメロスは全速力で馬を追いかける。
「ユリさまを誘拐するなど許さんっ!おのれ、ムチ打ちの刑にしてやる!!」
「ムチ打ちの刑など甘い!我らの勇者が拐われたんだ……」
打ち首じゃ――!!!
「あ、あの……」
男に肩に担がれたまま、ユリは走る馬の上で口を開く。
「姫さま、オレらアンタを傷つけたいわけじゃないんだ。ひどいことはしないからそこは安心してくれ」
答えたのは、隣で馬を走らせるもう一人の男だ。
「ちょっと姫さまであるアンタに、会って欲しい人がいるんだ」
会って欲しい人……?そもそもの前提。
「私、姫じゃないです」
「……ええ!?」
「お、おおい、姫じゃないならアンタ一体なにモンだ!?」
「一応、勇者です」
「……!?」
――二人組の男に連れられたのは、ソルティアナ海岸を見下ろせる崖にある、ぽつんと建てられた家だった。
「頼む!俺たちの妹のために姫のフリをしてくれ!!」
馬から降りると、二人にユリは懇願された。詳しく話を聞くと、二人は兄弟でさらに幼い妹がいるという。
早くに両親を亡くし、二人で協力して働きながらここで三人で慎ましく暮らしていたが……
「妹が流行り病にかかってしまってな……。この世界の異変に薬も手に入らねえ。だんだんと弱っていく妹にどうにか元気づけたいと考えたんだ」
「妹は絵本が好きで、いつか姫さまに会ってみたいって言ってたのを思い出して……」
たまたまユリたちを見かけて、護衛の騎士らしい男の姿に、お忍びの姫だと勘違いしたらしい。確かに、グレイグとホメロスは本物の騎士だから、説得力はある。
「だから、頼む!アンタなら見た目も姫っぽいし……」
「姫さまに会ったら妹も元気が出て、生きる希望に繋がると思うんだ……!」
今はこんな世界になって、すっかり生きる希望を失くしているという。
ユリはしばし思案する。
その中で、ロミアとの出来事を思い出した。
結果的にキナイ・ユキからの手紙を渡すことができ、ロミアは生きる希望を見いだしたが、真実を告げるか、嘘をつくか……二つの選択肢は仲間たちの中でも意見が割れた。
(あの時、エルシスに聞かれて、私が出した答えは……)
ユリはまっすぐと二人の兄弟に向き合い、答える。
「……わかりました。私でよければ姫のフリをします」
「あ、ありがとう!」
嘘は、きっと優しい嘘もある。妹を思うこの兄弟の思いを無下にはできなかった。
絶望が広がるこの世界では、なにより生きる希望は大事だ。
(姫のフリ……マルティナみたいに振る舞えばいいのかな?)
そうユリが考えていると、なにやら後ろからごごご……と、怒りの気配を感じる。
「……っ、追いついたぞ、誘拐犯めぇ……!」
「成敗してやる……!」
ゼェゼェと息を荒らげるグレイグとホメロスだった。
走る馬のあとを追いかけてきた二人は、さすがデルガダールが誇る騎士だ。
二人の鬼の形相を見て、ひいいぃと兄弟二人は悲鳴を上げる。
「待って、グレイグ、ホメロス!これには事情があって……」
ユリは慌てて二人に詳しく話した。
「病に伏せた妹を元気づけるために……か。事情はわかったが、誘拐するのは感心せん」
「ユリさまになにかあったら、問答無用で首を斬っていたところだぞ」
ホメロスの脅しのような言葉に、兄弟二人は再び短く悲鳴を上げた。ユリは苦笑いしながらホメロスに「その辺で……」と宥めた。
とりあえず、妹さんと会わせてもらうことにする。
兄弟は、ベッドに横たわる妹に「お忍びの姫さまだ。お前に会いにきたんだぞ」と、ユリスフィールを紹介した。
その虚ろな瞳に、わずかに光が宿る。
「すごい、本物のお姫さま……?騎士のお兄さんとおじちゃんも絵本のとおりかっこいいんだね」
「お、おじ……」
ホメロスはお兄さんと呼ばれて、自分はおじさん。ちょっぴりショックを受けているグレイグの隣で、ホメロスはフッと少しだけ口角を上げた。
「初めまして。あなたとお会いできてとても光栄だわ」
おぉ……!姫になりきるユリに、グレイグとホメロスは声に出さずに感心した。ユリとしてはマルティナをイメージして演じている。
「初めまして、お姫さま!あのね……わたし、お姫さまのこといろいろ知りたいな」
「ええ、なんでも聞いて」
「じゃあ、お姫さまっていつもなにしてるの?」
「えぇと、武術の鍛練を……」
「……?じゃあ、お姫さまのとくぎって?」
「ムーンサルトかしら?」
………………。
彼女がマルティナ姫を参考にしていると、二人はすぐに気づいた。確かに立派な姫だが、マルティナ姫は特例な姫だ。きっと。
「ユリさま……」
ホメロスがユリに助言をしようとしたとき、ベッドの上の少女はゴホッゴホッとひどく咳き込む。
「おい、大丈夫か……!?」
「薬さえあれば……!」
心配そうに兄弟は少女に寄り添う。ユリはその背中を擦った。病気は癒やしの呪文ではどうにもできない。
「お姫さまたちも早くわたしから離れた方がいいよ……病気がうつっちゃう……」
「……デルガダールでも流行った伝染病か」
「…………」
その言葉のあと、思わずグレイグはホメロスを見た。ホメロスは無言のまた表情をぴりっと険しくさせている。
グレイグはあの日のことを忘れたことはない。
初めて友達ができて、その友達の母親が亡くなったと知った日だ。
ホメロスの母は、少女と同じ伝染病で亡くなった。
あの頃は治療法も特効薬もなく、メイドも医者も伝染病を怖れて、彼女は独り寂しく亡くなったと聞いた。愛する息子であるホメロスの名を呼びながら……。
今では治せる病なのに――。
「……そうか。この状況で薬が手に入らんのか」
グレイグはくやしげに呟いた。薬さえ飲めば完治する病だ。それに、いつこの兄弟に移るかもわからない。
「いや……薬なら、素材さえあれば調合できる……」
「本当か、ホメロス!ならばすぐに探しにいくぞ!」
「……待って」
素材なら、エルシスの趣味が素材集めだったから、もしかしたら袋にあるかもしれない。
「ホメロス、必要な素材を教えて。もしかしたら持ってるかもしれない」
「いやし草、きつけ草、かがやき草、それにきよめの水があれば作れます」
ごそごそと袋を探す。「……あった!」さすがエルシス!やくそう系もばっちり採取されていて、ユリはエルシスの趣味に感謝した。
「じゃ、じゃあ、薬を作れるのか!?」
「ああ、調合の知識はある。待ってろ」
ホメロスは調合を始めた!
「……できたぞ。しばらくこの薬を飲めば病は治るだろう」
「……もうくるしくならない?」
「ああ、もう大丈夫だ」
おそるおそる聞いた少女の言葉に、ホメロスはその目を見てしっかり頷いた。
「あ……ありがとうございます!」
「本当にありがとうございます!あなたは妹の命の恩人です!」
兄弟は何度もホメロスに頭を下げ、感謝した。礼は一度でいい、とホメロスはちょっぴり困惑しているようだ。
「礼ならユリさまに言え。この方がお前たちの手助けをしたいと言ったから、私は助力しただけだ」
その言葉を聞いたグレイグは、ユリに「あやつは昔から素直でなくてな」と、こっそり言った。
きっとホメロスはツンデレなのだろう。ベロニカとちょっと似ている。
「お姫さま、ありがとう。絵本と同じようにやさしいんだね」
「……ごめんね、私は本物のお姫さまじゃないんだ」
「……え?」
「でも、本物のお姫さまと友達なの。今は離れ離れになっちゃったけど……再会したら、紹介するね」
「……うん!でも、お姉さんも本物のお姫さまみたいだったよ!」
明るい笑顔を見せた少女に、ユリもにっこり微笑んだ。
兄弟はお礼をしたいと、薬代だけでもと渡そうとしたが、ユリは断った。お礼の言葉は十分にもらったし、あの少女の笑顔がなによりだ。
「せめて、こちらを受け取ってください!」
そう渡されたのは小さなメダルだ。これもエルシスが収集しているので、こちらはありがたく受け取った。
「ホメロスは調合もできるんだね」
「魔法研究の一環で多少ですが……。私の母は、あの少女と同じ伝染病で亡くなりました」
突然のホメロスの話に、ユリは目を見開く。
「だからでしょうか。特効薬が見つかったとき、その調合法は覚えておりました。薬はどこでも購入できるものなのに。それが、まさかこんなところで役に立つとは……」
「……そのおかげであの少女は助かったんだ。きっと、母君も喜ばれていると思うぞ」
「……そうだろうか」
――母が、自身の死を内緒にしてほしいとデルガダール王に頼んだのは、自分のためだった。
息子の騎士になる道を妨げにならないように……と。
騎士にはなったが、悪の声に唆され、その息子は道を踏み外した。
さぞかし母の心中は無念でたまらないだろう。
(どうしてだろう……。今まで母上のことを忘れていたのは)
大切な……たった一人の自分の家族だったのに。
(……ああ、そうか)
だからこそだ。母が亡くなった悲しみや、苦しみから逃れたくて、ずっと思い出さないようにしていた。
自分は昔から弱い人間だった。
母に置いていかれて……グレイグに置いていかれるのが怖くて……。弱い自分は、いつかデルカダール王に捨てられるんじゃないかと怯えていた。
そして、そんな自分を無理やり変えようと、まんまとウルノーガの甘い言葉に心酔し、言いなりになった。
「私も……、ホメロスのお母さんは喜んでいると思うよ」
「……ユリさま」
「2対1だ。俺たちの意見を信じろ、ホメロス」
「多数決での話なのか……?」
母はもうこの世にいない。その母がどう思うかなど、誰にもわからない。せめて、これからの自分にできることは、母が誇りに思えるような生き方をするしかない――。
「……わかった。お前だけが言うならまだしも、ユリさまがそう言うのだ。信じよう」
「……本当に素直じゃない奴め。だが、それは照れ隠しだと俺は知っているからな」
「……うるさい」
二人の子供のようなやりとりを見て、ユリはくすくすと笑った。そして、だんだんと自然体になってきたホメロスに嬉しく思う。
きっと、一番信頼できるグレイグがいるからだろう。
――三人の新たな旅は、まだ始まったばかりだ。