シルビア号はダーハルーネを出航して、東に航路を進める。
「……やはり、自分のヨロイはしっくりくるな」
双頭の鷲が描かれた、漆黒のデルカダールメイル。一度は手放した自身の鎧を、グレイグは皆の前で着てみせた。
「まさに、デルカダールの猛将という姿じゃな」
「あの旅人服よりはずっと似合っていると思うぞ」
「あの私服は……いいえ、悪くはないわよ?」
どこか含みを持って言うホメロスとシルビアに、グレイグはちょっとムッとする。
「……しかし、ユリ。買い戻したというなら、それなりの金額だったのではないか?旅の資金は大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ!こう……うまくやりくりしたから!ねっ、カミュ」
「へ!?ああ、そうですね!」
……言えない。
100000ゴールドから5000ゴールドまで値下げして買ったなんて……!
これは、ユリとカミュ。二人だけの秘密だ。
少し様子がおかしい二人にグレイグは首を傾げたものの、すぐに背筋を正し、拳を胸に当てる。
「ありがとう、ユリ。この恩はお前の旅を支えることで返そう」
ちょっと大袈裟な気がするも、グレイグが恩義に厚く、責任感が強いということは、これまで旅をして知っている。ユリは微笑を浮かべて頷いた。
「ホメロスのヨロイも見つかるといいね」
「じつは……何故自分があんなセンスの悪い魔導師の服を着ていたのか、未だに思いだせないのです」
心底解せぬ、という顔をしてホメロスは言った。その頃には魔王の悪しき術によって、思考も魔に染まりかけていたのだろう。
バンデルフォン地方を目指す船だったが、途中にあるデルカダール地方・南の島に停泊する。
以前も来たことがある小島だ。
以前はカンダタ海賊団が根城にしていた島だったが、彼らの姿はなく……代わりにユリは海の民と出会った。
「ウオオっ、ユリさま!よくぞご無事で!人魚から人間に戻ったのですね。足が生えていて、私、すこしギョッとしちゃいましたよ」
人魚……?その言葉にユリ以外の全員が引っかかった。
「……私たちは付近の海でジャコラに襲われ、首のウロコ1枚でつながって、なんとかこの島に逃げてきたんです」
「あなたたちもジャコラに……。二人が逃げきれてよかった」
「ジャコラはバンデルフォン地方、南の海……ここよりさらに東の海へと生きる獲物を探して泳いでいきました。ヤツはまだ、あの辺りにいるかもしれません。どうか、嵐と赤い光には気をつけて……」
嵐と赤い光……。身を案じてくれる海の民の言葉に、ユリはありがとうと返した。
「北東の方に、陸地に囲まれた島があってな……。人間の船じゃ行けない島で安全だからとオレたちの緊急避難所になってたのさ」
ちょうどバンデルフォン地方とユグノア地方の国境辺りらしい。
「だが、その島へ逃げようとしたオレたちを、狙いすましたように襲ってきやがったんだ。ジャコラのヤツ、とんでもないヤロウだ!」
「卑怯なヤツじゃのう。許せんわ」
もう一人の海の民の話を聞いて、ロウが腕を組みながら言った。
「そのせいで海底王国の民は散り散りばらばらになっちまった。みんなぁ大丈夫だといいんだが……」
「ダーハルーネでも海の民を見かけたの。他の場所にも避難していることを信じましょう」
ユリは励ますように二人に言った。そして、ジャコラを見かけたら自分たちで必ず倒すと――。
「おお、なんとユリさま、凛々しい……!さすがは勇者のチカラを引き継ぐお方。どうかヤツを、海のもずくとしてください!」
ユリはその言葉に深く頷いた。
海の藻屑では……?と一部の者は思ったが、その疑問はそっと心の中で閉まうことにした。
この島にも仲間たちが漂流していないことを確認してから、一行はシルビア号へと戻った。
船はバンデルフォン地方を目指し、海底から伸びる光の柱を通りすぎる。
あの光の柱は、海底王国ムウレアに続く道だ。
それを目にし、ユリの胸はズキリと痛んだ。
目を閉じる――。
ジャコラがムウレアを襲う光景。
海に生きる者たちが逃げ惑う姿。
『勇者とは!最後までけっして……あきらめない者のことです!』
最後に見たセレンの顔とその声が、今でも鮮明に瞼の裏に浮かぶ。
夢にだって見た。
多くの人魚や海の民たちが、緊急避難所だという島に逃げ込んでいて欲しいと……今は、それを願うことしかユリにはできない。
「――大丈夫ですか?」
「……え?」
「ひどく、傷ついたカオをしてましたよ」
隣に並んだカミュの言葉に、誤魔化すように微笑んでから、ユリは口を開く。
「どうしたら、あの時、救えたんだろうって考えていたの」
考えても無駄なことだとわかっている。でも、思考はあの日に戻ってしまう。
「ユリさんは……。エルシスさんという方が行方不明で、勇者のチカラを引き継いだから、代わりに勇者として戦っているんですよね……」
「うん……そうだね」
カミュの視線は、船縁に置かれたユリの右手の甲にあった。アザのような勇者の紋章。最初は隠すように包帯を巻いていたが、今はもう巻いていない。
「逃げたいと思ったことはないんですか?」
その問いに、ユリはきょとんとした。少しの沈黙に、波の音が大きく聞こえる。その選択肢は、今問われるまでユリの中になかったものだ。
「だって、そうでしょう?ユリさんひとりで背負うものじゃない」
「……ひとりじゃないよ。仲間のみんなや、カミュもいる」
「でも、勇者という責任を背負っているのはユリさんだけだ」
記憶を失ってから控えめに話すカミュが、強い口調で言った。
カミュの深い海のような青色の瞳が揺らいでいる。
ユリにはわかっていた。カミュは……自分を心配してくれているのだ。いつだって、彼は優しい。
「私は、これが自分の使命だと思っているから……責任とか背負っているとか、そんな風に考えたことないよ」
ユリからの答えを聞いて、何故かカミュは、一瞬ショックを受けたような顔をした。
「じゃあ……質問を変えます」
質問……?ユリは不思議そうな顔をして、次のカミュからの言葉を待つ。
「オレと、どこか遠くへ逃げませんか?」
ユリの右手に、その紋章を隠すようにカミュの手が重なる。
……――質問の意味が、わからなかった。
それでも、ユリはどこか悲しそうに笑ってカミュの問いに答える。
「……カミュ。逃げる場所なんて、どこにもないよ」
魔王が支配した、このロトゼタシアで。
「……そ」
誰かが止めなきゃ、やがてこの美しい世界は終わりを告げる。
「そうですよね!変なこと言ってすみません!」
「カミュ……?」
「今の話は、どうか忘れてください――」
ユリが引き留める前に、カミュは走り去ると、そのまま船内へと入ってしまう。
一人、ユリは甲板に取り残された。右手に、カミュの手のあたたかさだけを残して……
――オレとどこか遠くへ逃げませんか?
(なんであんなことを言ってしまったんだろう)
カミュは後悔の念に苛まれていた。彼女が決して、逃げないことはわかっていたのに。
(でも、あの顔を見たら……)
酷く傷ついたあの横顔を、あんな顔を彼女にはもうしてほしくなかった。
二人でどこか遠くへ逃げて……
なにもかも忘れて、最後の日まで、一緒に笑い合って生きていけたらなんて……そんな世迷い言、許されるはずはないのに。
「おはようございます、ユリさん。今日もいい天気……って言っても変わりはありませんね」
カミュと中途半端に会話を終えたことを気にしていたユリだったが、翌日、普段通りのカミュにほっとした。
何事もなく、船は東の海域をいく――。
「ユリ、わかるか?多くの魔物と戦い、経験を積むことで、俺たちは確実に強くなっているぞ」
襲ってきた海の魔物を返り討ちにしたあと、グレイグは大剣を背中に戻しながらユリに言った。
「この調子で経験を積むのだ。そうすれば、あのジャコラという魔物も、魔王とさえ倒すチカラを手に入れることができるだろう」
グレイグの力強い言葉に、ユリは笑顔で答えようとしたが「油断は禁物だぞ」そこにホメロスの厳しい声が割り込んだ。
「ジャコラは六軍王のひとりで、オーブのチカラを宿している。そこらの手下の魔物とワケが違う」
「俺たちが倒した、あのゾルデのようにか……。たしかに、あのチカラは厄介だったな」
「オーブのチカラを借りた特殊な技を使ってたよね……」
それに、ジャコラはあのセレンが張った結界を物理的に破壊したパワーも持つ。
しばし重たい沈黙か流れたが「まあ、今考えても仕方がない」と、グレイグは気を取り直して言う。
「武器や防具を見直しておこう。あの海の民は、ジャコラはバンデルフォン地方の南の海に向かったと言っていた。ちょうどその海域近くだ。いつ出会してもおかしくないだろう」
「異変があったらすぐに知らせるわー!今のところ、順風満帆よ〜!」
三人の会話を聞こえていたのか、船を操縦しながらシルビアが言った。
……――その数刻ほどである。
「むう、急に荒れてきおった……」
先ほどまでの天気が嘘のように海は激しくうなり、雨だけでなく稲光が空に走った。
「おい、ゴリアテ!先ほどの順風満帆はどうした!?貴様の船、これしきで沈んだりしないだろうな!」
「クッ……いま、荒波ちゃんと戦ってるんだから話しかけないでっ!」
重い舵を操作しているシルビアから、必死な声が返ってくる。
「この突然の嵐……まさか……」
「おかしいでがす……。嵐の予兆なんてなかったげすのに、いきなりこんなに荒れるなんて、自然のものとは思えないでげす!」
不安げなカミュの後に、航海士である威信をかけてアリスは言い切った。
「海の民の者が言っておったな。嵐と赤い光に気をつけろ……と」
ホメロスが辺りを警戒するように言う。
赤い光……それがなにを指すのかわからないが、ユリも探るようなに辺りを見回した。
「!?」
その時、船がガタッ!と大きく傾いた。
明らかに大波を乗り上げた揺れではない。全員に緊張感が走る。
"におう……におうぞ。命のにおいだ……"
「いまの声はなんだ……?」
グレイグがいち早く言った。風や雨の音に混ざって、どこからか響いた低くおぞましい声だった。
――ッ!?
「のわっ……!」
「ロウさま!」
下から突き上げられるような振動に、ロウが船縁に背中をぶつけた。近くにいたホメロスがロウを支え、助ける。
「……下だ」
「下?」
グレイグが聞き返した。じっと下を見るユリ。なにか、いる――。
「フハハハッ!!」
そんな笑い声が響き、はっと彼らは船尾の方へ顔を向けた。
大きく波を立て、見えた背は一瞬山かと見間違えるが、水飛沫を舞い上げ、海の中から現れたその顔は間違いない。
「……ジャコラ……」
ユリは鋭い視線を向け、その魔物の名を静かに呟いた。
「……っ」
ユリ以外の者たちは初めて目にする姿に驚愕し、息を呑んだ。あのサマディー地方で戦ったサバクくじらよりも何倍もの巨体だ。
何隻もの船が沈められたのも頷ける。
大型船のシルビア号と同等の大きさの魔物は、赤い目を光らせていた。
赤いのは目だけではなくて、背中に生えるヒレの先端に取り込まれているのは、レッドオーブである。
「我が名は覇海軍王ジャコラ!魔王さまよりこの海を統べるよう賜った。わが海をけがす、ザコどもめ……その命、魔王さまのためもらいうける!」
一方的にジャコラは話し、最後はそのびっしり牙の生えた大口を開け、咆哮した。
並の者なら、一瞬で気絶してしまうだろう。
「……おのれ、化け物!わしらをなめくさりおって!見ておれい!」
ロウは怯るむどころか素早く闘気を両手に集中させる。そして祈りを込めて大きな光弾にし、
「ぬおおおお……おんどりゃあっ!!」
魔物に負けぬ気迫で、聖なる光を放った!
それは十字に魔物を刻む――はずが。ジャコラから余裕の笑い声が響く。
「な、なぬうっ!?わしのグランドクロスが効かぬじゃと……!?どうなっておるんじゃ!?」
ジャコラは全身に赤いオーラをまとっている。
「グハハッ!!魔王さまより授かったレッドオーブのチカラを使えば、そんなもの我には効かぬわっ!!」
驚愕するロウに、ジャコラ自ら笑いながら答えた。
ジャコラは身体を捻りながら飛び上がると、頭から海へと飛び込んだ。
その反動で船は左右に揺れ、激しい水飛沫が船にかかる。
「海の底に沈めっっ!!」
海の中から響いたその声に、先ほどより船は大きく突き上げられた。その衝撃は、ユリの身体を易々と吹き飛ばすほどに――
「きゃあ……!」
「ユリっ!!」
「ユリさまっ!」
船縁に掴まるロウを大きく飛び越え、ユリの身体は為す術もなく海へと投げ出される。
「ユリさま……!!」
「ホメロス!お前も共に落ちてどうするっ!」
あとを追って海に飛び込もうとするホメロスを、グレイグがその肩を掴んで止めた。
「――どけ!!」
その二人を横に押し退けるように、カミュは船縁に足をかけ、飛び上がる。
「カミュちゃんっ!?」
「カミュ!」
荒れ狂う海に、まっすぐ飛び込んだ。
――飛び込んだ勢いで、身体は一気に海の中に沈む。
……いた!
海に沈もうとするユリの身体を見つけ、カミュはそちらに向かって泳いだ。
気を失っている彼女の身体を片手で抱き寄せると、すぐさま海面を目指して浮上する。
(絶対……絶対に、あなたを死なせたりしない!)
その思いがカミュを突き動かし、やがて水面へと顔を出した。
「ユリさん……!息……っ、息して、っください!」
ユリの顎を少し上げて気道を確保し、必死に呼びかける。その間も荒れる波は何度も覆い被さってきて、カミュも自身の呼吸を整えるので精一杯だ。
「……ミュ……カミュ!」
船から仲間たちの呼ぶ声が微かに聞こえる。ホメロスが救命具を投げる姿が、おぼろ気に目に映る。
直後、一際大きな波が二人を海の中に押し込むように襲った。
(だめだ……オレが助けなきゃ……)
――呼吸が苦しくなり、意識が朦朧とするなか、カミュはユリを抱えて、水面に向けて再び泳いだ。
そこに、光が射し込む。
思わずその光に向かって手を伸ばすと……誰かが掴んでくれた気がした。
透明というほどに透き通る空の色。
ああ、その微笑はよく知っている気がする――。
――……
「…………ここ、は?」
ユリは気がつくと、見知らぬ場所で目覚めた。上半身を起こし、辺りを見渡してみる。
とても美しく、それでいて平穏な場所だった。
穏やかな青空の下、野原はそよ風に花が揺れている。
周りを流れる小川は青く澄んで、大樹が落ちる前のロトゼタシアの光景だ。
しかし、ユリはこの場所に見覚えがない。遠くには山脈が見えて、ここはどこかの高原だろうか。
それより、どうして自分はここにいるんだろう。
仲間たちの姿もない。確か……船がジャコラに襲われて、自分は海に落ちて……
「……?」
そこから先が思い出せない。気がつくとこの場に寝ていたようだった。
「まるで、天国みたい……」
立ち上がったユリはそう呟く。天使といえ、天国が実際はどういう場所か知らない。ただ、人間たちの想像する天国はこんな景色と……本で読んで知っていた。
――っは!
「まさか、本当にここは天国なんじゃ……」
だとすれば、自分は死んでしまったということになる。きっと、海に溺れてというなんとも情けない死に方だ。どうしよう、エルシスに顔向けできない……!
「……小屋?」
青ざめるユリの目に、ぽつんと小川に面して建てられた小屋が映る。
水車が回り、煙突からは白い煙が昇っていた。
そして、その屋根の上には釣りをしている海の民の姿が。
「…………」
ユリはここがどこかわかるかもしれないと、その小屋に向かった。
近くで見ると、絵本に出てきそうな可愛いらしい小屋だ。
立てつけられていたはしごを登り、屋根へと上がる。
そして、驚いた。海の民が釣りをしていると思ったら、そこにいたのは不思議な雰囲気をまとう青い髪の女性だった。
遠くから見たから、見間違い……?
「あの」
「…………」
ユリの声かけに女性は無反応だ。
「……なーんじゃ。誰かと思えばおぬしか」
かと思えば、一拍遅れて彼女は川を見つめたまま答えた。
「私のことを知っているんですか?それに、ここは……」
「おどろかんでもええ。ここは天国でも地獄でもない場所。安心するがよいぞ」
天国でも地獄でもない、その言葉にユリは一先ずほっとする。死んでいなければ、なんとでもなる。
「……ほれ。ボケーっとしておらんでおぬしも釣り糸を垂らすがええ。そこに釣り竿が置いてあるじゃろ」
ちらりと目線で促されたそこには、釣り竿が立てかけられていた。
言われたとおり、ユリは女性の隣に座って、釣りをすることにした。
下の川に釣り糸を垂らし、ふと視線を女性の方へ向ける。隣には先ほどの女性の姿はなく、あらくれ者がいた。ユリはわけがわからず、ぽかーんとするしかない。
「……なんじゃ。じろじろ見おって。わしのカオに何かついとるか?」
声も野太い男のもので聞かれて、ユリは「あ、いえ、カオというか……」と、言い淀んで答える。そもそも別人だ。
「ふむ、わかったぞ。わしのこの姿が気に入らないようじゃな。では、これならどうじゃ」
そう言って彼?は、頭の後ろをポンッとすると、一瞬で姿が変わった。
デルカダールの兵士だ。ユリは目を丸くする。
「む、この姿もダメか。ならば、これでどうじゃ!」
若い青年の声で言い、再び頭の後ろをポンッと叩くと……今度は老人の姿、その次はなんと犬、そして女の子。
「???」次々と変わる姿にユリは呆気に取られるしかない。
姿を変える呪文に「モシャス」というものがあるのを知っているが、何故次々と姿を変えるのか、その意図がわからずユリは困惑した。
そして、彼女?は元の不思議な雰囲気の女性に戻った。
「……これが、あなたの本来の姿ですか?」
「どうじゃろうな。わしのことをジイさんなんて呼んだ者もおった。ふむ。わしの姿が定まらんとこを見ると、おぬし、わしのことを知らんようじゃな」
彼女は答えになっていない返答をした。
「……おぬしの世界では、わしは預言者と呼ばれておる」
預言者……その言葉はここ最近で何度か耳にしている。
「わしに抱く姿かたちのイメージが人によってちがうのでな。その者に応じてわしの姿は変わるのじゃ」
今の女性の姿が、自分の中の預言者のイメージなのだろうか。ユリは不思議に彼女を眺めた。
「……ところで、どうじゃ何か釣れたか?」
ぴくりとも動かない竿に、ユリは首を横に振る。
「じゃろうなー」
ずっとユリを見て話していた預言者は、前を向いてそう頷いた。
「……いまはまだ、その時でないということじゃろうて。釣れる時には釣れる。来たるべき時が訪れるまで耐えしのぶこと。それが肝要じゃ」
「来たるべき時が訪れるまで……」
釣りの話のようでいて、大切なことを言われた気がする。そこまで話すと、すっと彼女は立ち上がった。
「……そういえば、おぬしの仲間にも会ったことがある気がするの。名前はたしか、カミュと言ったか……」
「カミュ?じゃあカミュが言っていた預言って、あなたが……」
「まあ、よい。わしは部屋に戻るとしよう。ホッホッホッ」
彼女はその場を離れる。ユリは言われた言葉を考えてから、その後を追った。
部屋とは、この小屋の中だろうか。
一応ノックをしてドアを開けると、預言者はユリを待っていた。
「ほれ、苦しゅうない。そこに座れ」
彼女の視線の先にある椅子に、ユリは言われた通り座る。
「……さて、ここに来たということは、何か道に迷っておるな。ちょいと失礼するぞ」
預言者はユリに近づき腰を曲げると、その額に手を当てた。
不思議な力を感じて間もなく……預言者は腰を戻し、ユリを見下ろしながら口を開く。
「ふむ……おぬし、勇者のチカラは消失したと思っておるな?」
「……はい」
ユリは素直に頷いた。自分が継承した勇者の力はすべてじゃない。ほんの一部だ。例えるなら、残り火のようなもの。
いつ、消えてもおかしくない――。
「……残念だが、わしにできることは何もない」
ユリの心情も読めるのか、預言者は首を横に振ってはっきりと告げた。
「ただ、ひとつ言えることはある」
その言葉に、ユリは伏せた視線を上げる。
「勇者のチカラを魔王に握りつぶされたと思っとるようじゃが……チカラなんてもんは見えやしないし、触れもできん。簡単に握りつぶせるようなやわなもんじゃあない。……特に、勇者のチカラなんてもんはな」
「じゃ、じゃあ……」
その話が本当ならば、勇者の力はまだ生きているとするならば……
「どうすれば……勇者のチカラを取り戻せますか?」
それは自分にできるのだろうか。本来の勇者であるエルシスでないとだめだとしたら……
「勇者……エルシスはどこにいるのでしょう」
おそるおそる尋ねるユリに対して、
「なんじゃ、まだわからんのか。ま、いまはそれでよい」
微笑を浮かべたまま、呆気なく預言者は答えた。
「……お願いします。知っていることがあるなら教えてください」
ユリは食い下がったが、返ってきた答えは先ほど聞いた言葉だった。
「釣れるべき時に釣れるように、時が来ればおのずとつかめるものじゃ」
「……わかりました」
きっと、それ以上の答えは望めないだろう。
ユリは消沈し、ぽつりと返事をした。まだ、その時ではないというなら、その時は一体いつ来るのだろうか。
「……そういえば、おぬし、いまおぼれかけとるんじゃっけ」
「え?」
……おぼれてる?
「ま、案ずるでない。大樹が言っておる。おぬしはまだ倒れる運命にない、とな。助けに入った無鉄砲な男も同様じゃ」
続けて小さな声で「記憶を失っても、底にある思いは消えぬものなのじゃな」と、なにやら預言者は呟いた。
「さーて、いつまでも寝てはおれんぞ。おぬしは勇者を継ぐもの。やるべきことは決まっておろう?」
その言葉にはユリは「はい」と確かな声で頷く。
「……世界を……勇者を救え。おぬしだからこそ、できることがある」
ユリと目線を合わせ、その目をまっすぐ見つめたまま彼女は……預言者はそう言った。
ユリがなにか答える前に、額を指で弾かれ――
「……ユリさんっ!?」
「あぁ、ユリさま……!」
目を開けると、そこには心配そうな仲間たちの顔があった。