世界が崩壊して、最初は一人だった。
そこからグレイグとホメロスと共に旅立ち、ロウ、シルビア、カミュ、……そして、マルティナ。
残りの仲間はエルシス、ベロニカ、セーニャの三人になった。
「マルティナ。私もこれを――返しておくね」
ユリは大切なものを入れているポーチから『思い出のリボン』を取り出し、マルティナに手渡した。
「私ったら……大切なものだったのに、どこかに落としたのね。ありがとう、ユリ」
マルティナは微笑んで、再び思い出のリボンを髪に結んだ。このことからマルティナは魔物になっていたときの記憶はあまりないようだ。
「あなたたちが来てくれなかったら、私はずっと魔物のままだったわ。あんなヤツに操られるなんて、最大の屈辱……。もう二度とこんな失敗はしない。まあでも、ケガの功名で新たな特技も覚えられたし、これからの戦いで挽回してみせるわ」
張り切るマルティナに、ユリは笑顔で頷く。記憶がないのならそれでよかったと思った。自分たちと戦ったと知れば、マルティナはますます気にするだろう。
「やれやれ……どうなることかと思ったが、マルティナがもとに戻ってくれて本当によかったわい」
「マルティナちゃんが魔物のままだったらこまっちゃうからもとに戻れてよかったけど……。アタシ、魔物のマルティナちゃんも嫌いじゃなかったわよ。バニー姿もサマになってたしね〜ん」
ロウもシルビアもユリと同様な気持ちで、笑顔を浮かべて言う。
「姫さまが無事に生きておられて本当によかった……」
対して、深い安堵のため息を吐いたのはグレイグだ。
「もし、姫さまにもしものことがあれば……ドゥルダに出家して、どんな厳しい苦行でも受け入れる所存で……!いや…こういうところがマジメでつまらないと言われる理由か……?しかし、心にウソはつけんからな……」
「……つまらくもマジメなところがお前の長所だろう。マルティナ姫も本当はわかってらっしゃっている。あれはお前をからかっただけだ」
「ほ、本当か……?」
――一件落着という空気だったが、一つだけ残った問題がある。
「魔物に変身するだなんて、マルティナさんておっかない人ですね……。そんなおっかない人とオレが一緒に旅してたなんて、ホントなんですか?信じられないなあ……。え、オレも魔物になってたんですか?」
皆の視線がきょとんとするカミュに集まる。決して忘れてはいないし、忘れもしない出来事。
ユリは勇気を振り絞って……
「あ、あの……カミュ……」
「あ、はい」
「カミュは、魔物になっていた時のことを……覚えてる?」
ドキドキしながらカミュに尋ねた。事情を知らないマルティナ以外の者たちも、真剣にカミュの返答を待つ。
「まったく記憶がないですね」
「…………」
きっぱり言ったカミュに、ユリの中でなにかがサァと冷めていく。
「……そうですか。いえ、いいんです。別に覚えてなくても」
「……なんでユリさんいきなり敬語なんですか?え、怒ってます……よね?」
「お気になさらずに」
珍しくむすっとして、ユリはスタスタとその場を離れた。おろおろと戸惑うカミュは「魔物のオレ、なにかしましたか?」と皆に尋ねるが、彼らはゆるゆると首を横に振るだけだ。
ホメロスだけが「罪深い男め!」と、プリプリしている。
「まさか、あのカミュが記憶喪失になってるなんてね……。それにしても、あの二人の間になにがあったのかしら?」
「じつはね……」
シルビアはマルティナにヒソヒソと事情を話した。なんてこと……!全容を聞いたマルティナは、両手で口元を覆い驚いた。続いてその形のいい眉をつり上げる。
「ギルティだわ……!」
「そうよねえ。こればっかりはいくら魔物化してたとはいえ、カミュちゃんが悪いわよね」
「ちょっと一発、カミュの頭を殴ってみようかしら?もしかしたら記憶が戻るかもしれないし」
「待って、マルティナちゃん。それは止めておきましょう」
拳をもう片方の手で包んでポキポキ音を鳴らすマルティナ。なかなか目が本気だ。シルビアは彼女を穏やかに止めた。
たぶん、以前の記憶を取り戻したとしても、魔物時の記憶は戻らないだろう。
……――だからこそ複雑で、ユリはもやもやした気持ちを抱えていた。
ユリたちの活躍により、グロッタの町は魔物の支配から解放された。魔物になった人々も元の姿に戻り、人々は久しぶりに訪れた平和な時間を共に喜び、わかちあっている。
でも、ユリの心はちっとも晴れない。
仲間たちとは別に、ユリは教会のベッドでひとり横たわっていた。
(カミュ……覚えてないってどういうこと!?どういうことなの……!?)
……どうして……
ずっと、そんなことをぐるぐる考えてしまう。
(……違う)
本当はユリもわかっている。カミュは悪くない。あれは魔物になっていた時のことだから、あんな行動を取ってしまったのも、記憶にないのもすべて仕方のないことだ。
……そう、頭では理解しているのに、胸に漂っているもやもやとした感情はずっと居座っている。
(……初めてだったのに……)
唇を尖らすユリだったが、ふとあの時の感触を思い出してしまい、恥ずかしさに顔を枕に埋めた。
あれは――セーニャにおすすめされた恋愛小説だった。
星空の下、思い合う二人の心が一つになるような、重なった唇の描写に胸がときめき、とてもロマンティックだと思った。
ユリにだって、そんな人並みの憧れは持っている。
でも、そんなことよりもずっと、カミュが覚えていないことの方がショックで……腹が立った。
『返事は……この旅が終わったら、くれ』
もう、カミュを「大切な仲間」とだけは形容しきれない。このもやもやも、切ない気持ちも、むかっとしたのも、それでも……愛おしくて、思い出して胸が高鳴っているのは。
全部、恋をしているからだ。
『ですが、ユリさま。恋は落ちるものですわ――』
(セーニャの言っていたとおりだったな……)
ユリは仲間たちのことが好きだ。でも、好きには特別な"好き"もあった。
(私……カミュのことが好きなんだ……)
ずっと、気づこうとしなかっただけで、恋はいつの間にか落ちているものだった。
――……
「おはよう、カミュ」
「お…おはようございます、ユリさん」
そして、翌日。
昨日はいつの間にかユリは眠ってしまったらしい。
朝起きて、顔を合わせたカミュに、ユリはちゃんと笑顔で挨拶をすることができた。
ずっと、カミュへのふわふわしていた気持ちの名前がわかって、すっきりしたのかもしれない。
「あの、ユリさん。オレ、魔物になった時になにかしたみたいなのに覚えてなくて、皆さんも誰も教えてくれないし……。ちゃんと謝りたいので、なにをやってしまったのか教えてください!」
「……謝るようなことはしてないから、大丈夫だよ」
だが、カミュへの気持ちに気づいたところで、ユリがこのまま恋に委ねることはないだろう。
「むしろ、私が謝らなきゃ。カミュの顔面、殴っちゃってごめんね。顔に傷が残らなくてよかった」
大事な使命とやるべきことがあるからだ。恋は魔法とも言うが、ならばユリはその魔法にかかっていられない。
自分には、この世界を守ろうとするだけで精一杯だ――。
「ユリちゃん、おはよう!昨日はゆっくり休めたかしら?」
「うん、ゆっくり休んで元気だよ」
「ユリさま、おはようございます」
「おはよう、ホメロス」
シルビアやホメロス、仲間たちと普段通り朝の挨拶を交わすユリを――カミュは動揺して見つめていた。
あの優しくて、穏やかで、天使のような人が(実際に元天使だったが)他人の、一応仲間である自分の顔面を殴るなんてよっぽどのことだ。
自分は絶対に、とんでもないことをやらかしたに違いない……!
(いったい、なにをやったんだ魔物のオレは……)
カミュは必死に思い出そうと、朝から頭を抱えた。
「やだっ、作りすぎちゃった!こんなにたくさんどうしよう……。今まで避難してた人の分まで作ってたから、ついついごはん作りすぎてしまいました。よかったら皆さん、食べてください!」
――と。食事担当の住人の少女から朝食をお裾分けしてもらって、彼らはありがたくいただく。
「ねえ、ユリ。あとでグロッタの町を一緒に見て回りましょう。すっかり町は元に戻ったみたいのよ」
朝食を食べている最中、マルティナはそうユリを誘った。このまま出発するよりは、少しでも気晴らしになれば……と思ったからだ。
昨日は早々にユリは教会の宿舎に引き込もってしまい、マルティナが部屋を訪れた頃には、ベッドで明かりも消さずにユリは疲れ果てたように眠っていた。マルティナはとても心配していたのだ。
(今朝はカミュと普通に話せたみたいだけど、いくら仲のいい相手だからって、きっと傷ついているに違いないわ……。合意もなしに、強引に口づけをするなんて言語両断!)
無意識に、マルティナは反対の端に座るカミュをぎろりと睨んで、気づいた彼は萎縮する。すっかり今のカミュにとって、マルティナは魔物に変身するおっかない人だ。
(って、私も魔物にされて人のことは言えないけれど……)
それでも、不誠実な行為はマルティナの許せないことの一つなので、穏やかな心情ではいられない。
身分を隠すのに一時期踊り子として活動していたマルティナは、自分の色気に自覚はあるものの、対して恋には純情だった。
密かに、ユリとカミュっていい感じなのかしら?とマルティナは静かに見守っていたが、今のカミュにはとてもじゃないがユリはまかせられない。
仲間としても、乙女心をよく理解しているシルビアは除いて……。
ムフフなロウ、鈍感なグレイグ、ホメロスはユリに対してやたら忠誠心を持っているようだが……年頃の乙女でもあるユリをまかせるには、自分から見て不安な者たちばかりだ。
(これからは、私がユリをしっかり守らないと……)
もう一人の勇者という運命を背負うことになった彼女を――。
赤ん坊のエルシスを手放してしまったあの日から、マルティナは誰かを守ろうという思いが人一倍強いが、今、それは使命感のように燃えていた。
「あっ、ユリねえちゃん!まものたちがいなくなったからここにいたひともおうちにかえったよ。そういえば、ハンフリーさんはどこいっちゃったんだろう。はやく、かえってこないかなぁ」
朝食を取り終わり、一行が礼拝堂に足を運ぶと、孤児院の少年がユリに声をかけてきた。食事担当の彼女も言ってた通り、避難していた人たちはいなくなり、教会内はがらんとしている。
一部の者は残っているようで、ベロリンマンは仲良くなった少女と遊んでいたり、ミスター・ハンは魔物と戦った傷はよくなったものの、今度は胃の調子が悪いらしく、もう少し教会のお世話になるそうだ。
「ハンフリーさんはまだ帰ってきてないんだね」
「闘士たちも魔物から戻ったはずだけれど……町を見回りながら探してみましょう」
「わしもハンフリーが元気にやっとるか、ちと気になっておったところじゃ」
教会を出ると、ドラキーと少女がきゃっきゃっと追いかけっこして遊んでいる。
「あのドラキーは悪い魔物じゃないみたいだね」
「私がグロッタの町に来た際に、教会の前で子供たちと遊びたそうにしていた子だわ」
少女とドラキー、一人と一匹は種族を越えて友達になったようだ。
「このこもパパとママがいないんだって。だから、こじいんにすんでもいいんだよ。ずっといっしょだね、やったー」
「キュイー、やった、やった!みんなに親がいないことを言ったら、ここに住んでいいって言われたんだー!新しいおうちと一緒に友達もみつけるなんて、どラッキーだよ!うれしいなったらうれしいなー!」
二人は再び追いかけっこを始める。微笑ましい光景に、ユリとマルティナもにっこり笑い合った。
「すーーーっ、はーーーっ。ああ、外の空気はおいしいなー!外に魔物がうろついてたから、今までずっと家の中に隠れてたんだ。魔物がいなくなってようやく出られたよ」
深呼吸をしながら言ったのは、家から出てきた住人の男だ。ここも建物の中になるが、それでも家の中とじゃ違うらしい。
魔物たちがいなくなった町中を、人々は明るい顔で出歩いている。
武器屋や防具屋などのお店も元通りで、ユリたちはお店を覗いてみることにした。
「おぼろげなんですけど……。ボク、魔物の姿でカジノで大勝ちしてた記憶があるんですよねえ。カジノで稼いだコインもなくなってるし、やっぱり夢だったんでしょうね。それにしても楽しい夢だったなあ」
露店の商人の言葉に、中にはうっすら記憶がある者もいるようだ。
話を聞いて、ユリも持っていたカジノコインを確認すると……跡形もなく無くなっていることに気づいた。どうやら、モンスターカジノのコインはまぼろしのコインだったようだ……。
「ここは世界中のギャンブラーたちが、おのれの運を試すために訪れる新生グロッタの町よ」
中層に来たユリたちを出迎えた彼女は、以前訪れた際に仮面武闘会を案内してくれたバニーガールだった。
「……あれから、みんなで話し合ったの。せっかくカジノができたんだから、このカジノで町を盛り上げていこうって!グロッタの名物は変わっちゃったけど……。いつまでもなげいていられないもの。皆さんもぜひ遊んでってね!」
にっこり笑ったバニーガールに、ロウもにこにこと笑い返す。
「どれ、わしらもカジノを覗いてみるかのう」
ロウが言うと下心がありそうだが、一行は新生グロッタのカジノも覗いてみようと、上層に向かった。