魔竜ネドラ

 仲間たちと合流したユリは、ゼーランダ山にも行けるようになり、明日にはここを出発したいと話した。

「いよいよ、俺たちのこれまでの最終目的地だな」
「もしかしたら、ベロニカとセーニャも故郷に戻っているかもしれないわね」
「エルシスも目指しておるかもしれんな」
「あとで、カミュちゃんにも伝えなきゃね。マヤちゃんが目を覚ますのを見届けられないのは残念だけど……」

 シルビアの言葉に、ユリの表情は固くなり、口を開く。


「カミュは――……」


 ――二人で話そうと約束していたユリとカミュは、少し歩いて、教会の側にある静かな場所へやって来た。

「ユリ、世話かけたな。キラゴルドを倒した時に手に入れたオーブは、お前に渡しておくぜ」
「ありがとう、カミュ」

 ユリはイエローオーブを受け取った!

「『伝説の宝珠を集め、地の底で出会う勇者にチカラを貸せ……さすればお前の贖罪も果たされるだろう……』」

 空に目線を向けたカミュが話したのは、自身に与えられた預言だ。

「預言は本当だったってことか。この勇者ってエルシスだけでなく、お前のことでもあったんだな。オレは、二人の勇者に助けられた」

 カミュはユリを見て言う。今、エルシスはここにはいないが、意識を失った際、確かにカミュは彼の存在を感じた。

「……さて。明日にでもここを出発するんだろう?マヤは教会に預けておけば、ひとまず安心だ。あいつのためにもオレは……」
「カミュ」

 ユリはカミュの話を遮るように、口を開き……

「私、カミュを連れていけない」

 決意した声と表情で、告げた。

「……は……」

 ユリの言った言葉が理解できず、遅れてカミュの口から出たのは、唖然とした声だった。

「……どういうことだよ」

 次に尋ねる声は固いもので、ユリは胸が苦しくなるが、もう……決めたことだ。


『おれ、いつか兄貴と一緒に、宝探しの旅をしたいんだ』


「カミュはマヤちゃんのそばにいてあげて。目覚めたときにカミュがいてくれたら、きっと安心するから」
「……気を遣わせたみてえだな。マヤのことは大丈夫だ。またしばらく寂しい思いをさせちまうが、魔王討伐はあいつのためにもなるだろう?」

 ユリはカミュを見つめたまま、首を横に振る。

「マヤちゃんのためになるのは、なによりカミュがそばにいることだよ。……魔王討伐は、私たちにまかせて」

 ――最後のその言葉を聞いて、カミュの表情に影が差した。

「なんだよ……それ。魔王討伐の旅に、オレは必要ないってことかよ」
「そ、そんなこと言ってない!私は……」
「そういうことだろ!?……ああ、そうか、グレイグやホメロスといった、戦力になる騎士さまが仲間になったもんな。立派な肩書きもなんもないオレは、お払い箱ってわけか」
「……っ!」

 カミュの反論に、ユリはショックを受けた。言葉を詰まらせてから……

「私は、そんなこと……これっぽちも思ってない……」

 声を震わせて、カミュに言う。

「もう、この旅に命の保証なんてない。二度と会えなくなるかもしれないんだよ……?」
「……それは、お前も他のヤツらも一緒じゃねえのかよ。覚悟の上で、これまで旅を続けてきたんだろ。オレにその覚悟がねえとでも?ハッ、舐められたもんだな」

 畳み掛けるように言って、カミュはユリに背を向けた。

「カミュ……!ちゃんと私の話を聞いて……っ」
「もう聞きたくねえよ。……さっさと行けばいいだろ」

 最後にそれだけ言って、カミュは去って行く。
 その背中が遠くなるのを見ながら、ユリはその場に立ち尽くしていた。
 最後に見せたカミュの横顔は、傷ついた顔だ。

 ――こんな風に、別れたいわけじゃなかった。

 カミュの言葉に傷ついた心と、傷つけてしまった罪悪感を抱えて、ユリは宿屋へとトボトボ歩いて帰る。
 どうしたらもっと、上手く思いを伝えられたのか。
 ただ、ユリは、カミュとマヤの兄妹が幸せになって欲しかった――。


「あら、ユリ。おかえりなさい……」
「……マルティナっ……」

 部屋に帰ってきたと思えば、マルティナの目に、ポロポロと涙を流すユリの姿が映り、驚く。

「……私……カミュに……っ」
「いったいカミュとなにがあったの……?」

 ひっぐ、と子供のように泣きじゃくるユリを、マルティナは初めて見た。いや、彼女の泣いている姿も今まで見たことがなかったが。

 マルティナはユリの肩を優しく掴み、ベッドへと腰かけさせる。

「ユリ、大丈夫よ。落ちついて……ゆっくり、なにがあったのか話してみて」

 自分はその隣に座って、マルティナは優しい声を心がけてユリに尋ねた。その手を握ると、指先まで氷のように冷たく、微かに震えている。

 ――数刻前に、ユリは「カミュのことは連れていけない」と、皆に告げた。

 ユリの思いを聞いて皆は納得したが、問題はあのカミュが納得するか……だったが、予想以上に話は拗れたようだ。
 嗚咽を交えながら、たどたどしくユリは話した。その話を聞いて、マルティナは悲しげに顔を歪ませる。

「カミュと一緒にいたいって……いつか、旅するのが夢だって……。そう、純粋に願っているの……」

 それはマヤの心に触れて、彼女の思いを深く知ってしまった故だ――。

「私には……!二人を引き離すことなんてできない……っ!」
「……ユリ……」

 マルティナはユリを抱き締めて、頭を撫でた。
 カミュにはその思いが上手く伝えられず、彼は彼で、自分は必要ないという風に受け取られてしまったらしい。

 ユリの気持ちが、マルティナにはよくわかった。

 5年という月日をかけ、やっとわかり合えた兄妹であり、黄金化していたマヤは身体も精神も幼い時のままだ。
 幼い少女にたった一人の家族が寄り添ってほしいと願うことは、なにもおかしなことはない。

 ましてや、自分たちの旅は危険なもの。

 死ぬつもりなんてさらさらない。だが、他の仲間たちと同じように、マルティナだって死の覚悟もしてこの旅に同行している。
 カミュにその覚悟がないとは思わない。(むしろ、その逆よね……)
 今までのカミュの行動を見ていれば、一目瞭然だ。
 それこそ、ユリを守るために命が必要だと言われれば、喜んでカミュは差し出すだろう。
 それに無自覚でも気づいているから、きっとユリはカミュを余計に連れていけないのだと、マルティナは考えた。

 カミュになにかあったら、マヤは本当に独りぼっちだ。

 だからと言って、カミュの心情もマルティナはわかる。

 カミュがユリに、特別な感情を抱いているのはほぼ確定だ。
 誰よりも守りたいと思っている彼女から、旅には連れていけないと言われたら……まあ、それがこの結果である。
 いくら自分と自分の妹のためだと言われても、簡単に気持ちの整理はつかないだろう。

 どちらの言い分も正しくて、どちらも悪くない。

 だからこそ平行線で、もどかしくて、マルティナは唇をぎゅっとつぐむ。

「……ユリ。もう一度、カミュと話し合ってみてはどうかしら?」
「話を聞きたくないって、言われた……。私が…ひっく、傷つけたからぁ……」
「……大丈夫よ。きっと、カミュも感情的になってしまっただけよ」

 マルティナは再びその頭を撫でた。今は、ユリが泣き止むまであやすことに決めた。
 今のユリは、元天使でも勇者でもなく、一人の女の子として泣いている。

 きっと、仲間以上に想っている相手に対して……。

 明日になったら、彼女はまた元天使と勇者の肩書きを背負うだろう。なに食わぬ顔をして。
 だからこそ、今は思う存分、心のまま涙を流してほしかった。


「……マルティナ。昨日はごめんなさい。迷惑かけてしまって……」
「迷惑だなんて、少しも思ってないから安心して」
「ありがとう。……見て、今日もいい天気。出発日和だね!」


 窓のカーテンを開けて、こちらを向いたユリの笑顔は、マルティナには痛々しいものに見えた。


 ……――酷い顔をしていた。鏡の中にいる、自分の顔は。

(今日はここを出発して……ゼーランダ山を登る。一度通ったことがあるから、道は大丈夫)

 ……大丈夫。大丈夫だよ、エルシス。私は、立ち止まらない。

「よしっ」

 鏡の中の自分に気合いを入れて、ユリは部屋を出た。

 仲間たちはユリの泣き腫らした目を見て、思うところはあったものの、触れずにいつも通りに接した。
 マルティナから一足先に事情を聞いていたというのもあるが、ユリの雰囲気が触れられるようなものではなかった。
 シルビアだけが、なにか言いたそうにしていたが……結局、彼も声をかけられずにいた。

「この先の道をふさいでいた黄金の氷山が消え、シケスビア雪原やゼーランダ山の方にも歩いていけるようになったそうだ。もし、お前たちがラムダを目指すなら、ここから南東の方へ歩いていくがよい」

 城下町の外に出ると、巡回していたクレイモラン兵士が一行に声をかけた。

 いよいよ、出発だ。

 ユリの足取りに迷いはなく、もうカミュには会わずに行くのだと皆はわかった。
 雪道を通って、まずはシケスビア雪原へと向かう。

 いつもは楽しげに会話をしたりもするのだが、皆の口は重い。故に、なんとなく空気も重い。

「ユリさま、思ったのですが……」

 そのなんとなく重い空気の中、沈黙を破ったのはホメロスだった。
 なにを思ったのだ、ホメロス……!
 と、グレイグだけじゃなく、次のホメロスの言葉を皆はごくりと息を呑んで待つ。

「今、ここでキラパンの鈴を鳴らしたら、もしやキラーパンサーではなく、ホワイトパンサーが来るのでは?」
「えっ、試してみる!」

 皆はずっこけそうになった。

 対してユリは、ホメロスの言葉にわくわくしながら、キラパンの鈴をチリンと鳴らす――。

「すごいよ、ホメロス!本当にホワイトパンサーがきて、かわいい!」
「私の見解が当たってよかったです」

 喜ぶユリに、場の空気は軽くなった。

「ホワイトパンサーって、白と黒の模様にたてがみは青色で、キラーパンサーとは違った魅力があるわよね」
「雪国だからか、毛がモフモフしてるわよ!ほら、ユリちゃん。触ってみて!」
「わ、本当だ!」

 ユリはホワイトパンサーを撫でる。動物(魔物だが)と触れ合い、彼女の心も少しは癒されて……

 ……は!

「もしや、ホメロス……これを狙って……?」
「ユリさまの精神を支えるのも、我らの役目だろう」

 さすが、デルカダールが誇る知将……!皆は感心してホメロスを見た。なにより、ユリのことをよくわかっている。

 そして、一行はホワイトパンサーに乗って雪道を進んだ。

 足場の悪い雪の上を歩かなくていいので快適だが、難点は肌に当たる風がすこぶる冷たいことだ。
 シケスビア雪原に入り、途中のキャンプ地についた頃には、皆の頬は冷気に晒され、赤くなっていた。

「今日はここのキャンプ地で休もう。雪も降っているせいか、まだ陽はあるものの視界は悪い」
「ゼーランダ山は、明日、入山すればよいじゃろう」
「そうね。身体も冷えちゃったし、ここで暖まりましょう」

 グレイグに同意してシルビアは言うと、得意の「火ふき芸」で、焚き火跡に火をつけた。

「今晩は体が暖まるものが食べたいのう。今日の食事当番は誰じゃったかな?」
「あ、私です!」
「じゃあ、私も手伝うわ」

 ユリとマルティナは食料袋を見て、一緒になにを作ろうか考える。

「体を暖めるものだとやっぱりスープよね。ミルクがあればシチューができるけれど、今は持ってないから残念だわ」
「あ、香辛料があるからこれで味つけしよう。辛い料理は体を暖めるってカミュが……」

 無意識にその名前を出して、ユリははっと口を閉じた。

「……カミュが言ってた。あとは、持っている食材入れればなんとかなるかな?」

 気にしない風を装い、ユリは野菜や肉などを取り出す。

「ねえ、ユリ。本当に、このままカミュと別れてしまっていいの?」

 マルティナはそんな彼女に思いきって聞いた。後悔だけはしてほしくない……そんな気持ちを込めて。

「……よくないよ。でも、正直、会うのがこわい」

 拒絶されたらと思うと――ユリは、手元を見たまま答えた。そして、顔をマルティナに向ける。

「悩むより、今は前に進みたいの。ラムダに着けば、勇者の旅の手がかりが見つかるかもしれないし……」
「……そうね。クレイモランに戻ることがあったら、話せればいいわね」

 マルティナの言葉にうん、とユリは小さく頷いた。


 翌日、空から雪がちらつく中、一行はキャンプ地から出発する。
 しばらく歩き、彼らの目の前に現れたのは氷獄の湖だ。
 何気なくそこに目を向けたユリは「え……」その目を大きく見開く――。

 慌てて、その足は凍りつく湖へと駆けた。

「ユリさま?」
「!おい、ホメロス、あれを見ろ!」

 グレイグが指差す先には、凍った湖に大きな穴がぽっかり空いていた。
 残りの皆もユリの後に続いて、その穴に近寄り眺める。

「魔竜ネドラの封印が解かれてる……」
「魔竜ネドラとは……?」

 疑問を口にしたグレイグに、ロウが勇者ローシュたちの手によって、ここに黒き竜が封印されていたのだと話した。

「なんと、そんな魔物がここに封印されていたのか……。しかし、その竜は今はいない。自然に封印が解けたのか、誰かが解いたのか……」
「もしや、魔王の仕業ではないか?」

 ホメロスの言葉に、全員あり得ると頷く。

「うーむ。封印が解かれてどこかへ行ってしもうたのかのう」
「この辺りで、竜の目撃情報は耳にしなかったわ」
「魔王の元にいるのかしら?近くのクレイモラン王国が襲われなくてよかったわね」

 ロウ、マルティナに続いて、最後にシルビアが安堵の声で言った。辺りに竜がいる気配はせず、懸念を残しながらも一行は先に進む。

(魔竜ネドラ……邪神に仕え、地上を荒らした伝説の竜……)

 もし、魔竜ネドラと対峙したら、今の自分たちが倒せるだろうかと、ユリは考える。
 勇者ローシュ一行でも倒すことができず、封印するのがやっとの存在を――。


 気づけば、雪は止んでいる。この辺りだけ魔物の姿がなく、ぴゅうと風が吹きすさぶ音だけが響いていた。

 その風は、妙な気配を運んでくる。
 
「……何やら、まがまがしい気配がする。ユリ、周囲に注意しろ」
「うん……!」

 ユリだけでなく、皆も一塊になって辺りを警戒する。直後、空から雷のような空気を揺らす轟音が響き渡った。

「ユリ!下がれっ!!」

 グレイグはユリの前に庇うように出て、ホメロスも隣に並ぶ。
 木の枝に積もっていた雪が、ぼたりと落ちた。

 さらに、その上。

 雪空の下、なにかが飛んでいる。空を自由に駆け、徐々にこちらに近づき、その雄姿を一行の前に現した。

 黒く輝く鱗を持つ巨大な竜だ。

 自分たちの遥か上を、威風堂々に飛翔する姿を、皆は見上げる。

 まるで、我こそが空を統べる王者だと、見せつけているようだ。

 優雅に飛翔していた竜は滑空し、皆のそばを荒々しく駆け抜ける。舞い上がった雪と暴風に、彼らは咄嗟に腕で防御した。

 竜は戻ってきて、宙にとどまる。

「氷獄の湖の氷が砕かれ……我は長き封印から解き放たれた」

 その口から低く放たれた声は、深い威厳と数百年生きてきたと感じさせる、年輪を帯びた声色だった。

「だが、長い間、封印されたせいで思うようにチカラが出ぬ……」

 この竜こそが――

「我が名はネドラ。貴様らの命を、我が糧としてやろう!」

 凄まじい咆哮は、全員の身体を否応なく竦ませた。
 動けないなか、ネドラは突進してきてその身体を振るって彼らを吹っ飛ばす。
 ネドラにとっては小さき人など、取るに足らぬ存在である。

「……ほう。起き上がるか」

 雪まみれになりながらも、全員、立ち上がった。そして、勇ましく武器を手にし、ネドラに向けて言い放つ!

「今度は封印ではなく、あの世へ送ってやろう」
「禍々しき竜め……!糧になるのは貴様の方だ!」
「みんな、気をつけて!勇者ローシュさまたちも封印がやっとの相手……」
「じゃあ、今度はアタシたちがきっちり倒さないとね!」
「今の咆哮でまだ身体が震えているわ……。フフ、武者震いね」
「それでチカラが出ぬとは……竜が古くから伝説の魔物と呼ばれるわけじゃな」

 自分を倒そうとする気概を見せる人間たちに、ネドラは喉を震わせて笑う。

「……愚かめ。だが、面白い。お前たちで少しばかり遊んでやろう――!」

 ネドラはその口から黒く輝く闇の炎を吐き出した。炎だが、闇属性のブレスは雪は溶かさず、彼らの身体のみを蝕む。

「大丈夫か!ユリ!」

 ユリが闇属性に弱いのをよく知っているグレイグが、すかさず彼女に「ベホイム」を唱えた。

「っありがとう、グレイグ!」
「むむ……フバーハ!」

 ロウが唱えた呪文によって、彼らに優しい光の衣が包み込む。これで少しは、ブレス攻撃から皆を守るだろう。

「さみだれ突き!」
「ドラゴン斬り!」
「アタシも続くわよ!」

 マルティナの槍攻撃、ホメロスの二刀流でのドラゴン斬りが炸裂した。
 シルビアも雪の上を華麗に飛び上がり、腰から剣を抜いてネドラに、ドラゴン斬りを叩き込む。

「八つ裂きにしてやる!」
「ぐっ」
「ああ!」
「きゃっ」

 ネドラは素早く身体を捻り、鋭い爪でホメロス、マルティナ、シルビアを攻撃した。

「スクルト……」

 ユリはネドラの攻撃力を見て、守備力を上げる呪文を唱えようとしたが、……異変に気づく。
 魔力が上手く練れず、呪文を唱えられない。
 ユリの様子に気づいたグレイグが、声をかけた。

「ユリ!どうした!?」
「呪文が、唱えられない……」
「……?」

 今は考えている暇はない。ユリは弓を手に取った。
 
「チカラを抜かんか」

 ロウは「ヘナトス」を唱え、ネドラの攻撃力が少し下がる。

「ドルモーア!」
「のうっ!」

 対してネドラは、闇の呪文をロウに唱えた。

「ユリさまはなるべく後衛へ、自分の身をいちばんにお考えください」
「うん……!」
「ユリのことは俺にまかせろ!」

 デルカダールの大盾を構えるグレイグの言葉に、無言でホメロスは頷き、再び剣を構えてネドラに向かう。

「んもうっ、空に逃げるなんて卑怯じゃない!」
「だったら、こっちも……!」

 マルティナは雪の下にある地面に、ザクッと槍を突き刺した。

「シルビア!」
「フフ、懐かしいわね!」

 シルビアは両手を組み、手のひらを上に前へ突きだす。駆けるマルティナは、その手を踏みしめ……

「いっくわよ〜!」

 高く上げたシルビアの力によって、彼女は空を舞う。それは、怪鳥の幽谷でのごくらくちょう戦でも見せた、二人の連携だ。

「ばくれつきゃく!」

 上から、マルティナの激しい蹴りがネドラに打ち込まれる。そのまま彼女はネドラの背に着地した。そして……気づいた。

「我の背に乗るとは……なんと無礼な小娘だ!振り落としてやる!」
「きゃあー!私、本当は高いところ苦手なのっ!」

 空からマルティナの悲鳴が響く。

 え、あんなに跳んだりムーンサルトが得意技だったのに……!?知られざるマルティナの真実を知って、皆は驚いた。

「マルティナちゃーん!」
「マルティナ!とりあえず、そのまましがみつづけるのじゃ!」
「ネドラを引きずり下ろさないと、姫を助けられんぞ!」
「姫さま!私が必ず受け止めます!飛び降りてください!」

 グレイグはそう両手を広げて叫ぶが「無理よー!」という声が、遠い空の上から届いた。
 ユリは深く意識を集中させる。それは、ゾーン必中だ。(大丈夫!いける……!)

 強制的に天使の力を解放する。

 翼を広げ、ユリは矢のように空へ飛び出した。マルティナを助ける間だけ、この羽が持てばいい。

「――マルティナ!」
「ユリ……!?」
「手をっ、伸ばして……!」

 ネドラの飛翔する速さについていくのがやっとだ。ユリは手を伸ばし、マルティナは恐怖を感じながらも伸ばし――二人の手はしっかりと握り合う。

 ユリはすぐさまマルティナを抱えて、滑降した。
 そのすぐ後ろをネドラは追ってきて「!」ユリの顔を覗き込む。

「貴様、天使か。丸飲みにしたら我が魔力の足しになりそうだ」
「っ!?」
「やれるものならやってみなさい!」

 マルティナはここが空だということも忘れて不敵な笑みを浮かべると、ネドラに人差し指を向け……

「セクシービーム!ばっきゅーん♡」
「ぬうっ」

 顔面にマルティナのセクシービームが直撃し、ネドラは怯んだ。その隙に、ユリは皆が待つ地上へと戻るが、途中で魔力が切れて翼も消え去る。

「きゃっ!」
「ユリ!姫さま!」

 最後は雪の中に飛び込むように二人は落下したが、逆に雪がクッションになって衝撃を受け止めてくれたようだ。

「ごめん……マルティナ」
「いいえ。助けにきてくれてありがとう、ユリ」
「……よかった、マルティナを助けられて」

 雪にまみれた顔で、二人は笑い合う。

「でかしたぞ、ユリ!マヒャド!」
「行きなさい、風ちゃん!バギマ!」
「火球よ、敵を喰らえ……!メラゾーマ!」

 ロウ、シルビア、ホメロスが呪文を唱えた。攻撃が届かぬなら、魔法で攻めるだけ。
 ユリは立ち上がるが、身体がフラフラする。
 魔力が枯渇したからだろうか。いや、なにかがおかしい……。(天使化した反動……?)

「ユリ、調子が悪そうだな。お前は後衛で防御してろ!」
「ええ、私たちにまかせて!」

 グレイグとマルティナはユリの様子に気遣うが、ネドラは容赦なく全体攻撃を仕掛けてくる。

「我にひれ伏せ!」
「ぐっ!」

 ネドラはおたけびを上げた。彼らの身体は竦み、全員、地面に膝をついてしまった。
 そして、巨大な身体で押し潰してきて、今度こそ彼らをひれ伏せさせる。

「あの世で悔やめ!」

 続けざまに「やみのほのお」を吐き出し、ロウのフバーハが守るが、それでも魂を蝕われるような痛みだ。
 今の自分たちが出せる強力な特技や呪文を叩き込んだのに、まるで効いていないようにネドラはけろりとしている。

 ……強い。さすが、勇者ローシュ一行が手こずった相手だ。

 六軍王や、強敵な魔物と対峙したときとは違う威圧感。自分たちはすべての生命の上に君臨する、圧倒的王者を前にしている。

 それでも、彼らは立ち上がり、決して挫けない――諦めない。

 勇者とは、決して諦めない者のことだ。

 マヤを救いだしたユリとカミュの二人を見て、皆はそう思っていた。ならば、勇者の仲間である自分たちだって――


 諦めることは、絶対にない。


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