小さな魔法使い

 ――くしゅん。

 そんな可愛らしい音が脱衣所に響いた。(湯冷めしたかな……)そんなことを思いながらユリは服を着る。

 露天風呂は素晴らしかった。

 蒸し風呂も良かったが、やはり湯に浸かるに限る――と、身も心もほかほかになりながらユリは外に出た。

「……カミュ?」

 すると、腕を組んで壁に寄りかかっている
彼がそこにいた。気難しい顔をしていたみたいだが、ユリに気づくとすぐに表情を緩ませる。

「よお、露天風呂はどうだった?」
「すごく良かった!カミュはどうしたの?買い出しはもう終わったの?」
「……それが、面倒なことになってな」
「面倒なこと?」

 カミュは苦虫を噛んだような顔をしてから、ため息をついた。
 ……大人気ないと思いつつ、ついあの少女をエルシスに押しつけてしまった。(いや、最初からエルシスにしか眼中なかったし)

 生意気な子供の対応には慣れているはずだったが、どうもアレは自分の手には負えない気がする。……なんとなく。
 そんなことを考えていると、ユリがこちらを不思議そうに眺めているのに気づいた。
 温泉から上がったばかりで蒸気した頬はほんのり赤く染まっている。

(……可愛いな)

 たぶん何度となく思ったのだろうが、そう自分の感情を認めたのは初めてだった。

「ちょっと元気出た」
「……落ち込んでたの?」
「元気出たっつーより癒された、かな」
「?」

 ますますわからないというユリの顔にくすりとカミュは笑う。歩きながら話す、とカミュはユリを連れて酒場に向かった。


「すんません、まだ営業時間外で……あっお前は!懲りもせずまた来やがったな!子供がひとりで酒場なんぞ……!」

 ベロニカの姿を見て怒る店員に、彼女は素早くエルシスの後ろに隠れた。

「彼女は僕の連れなんですが……だめですか?」

 エルシスは穏便に言う。

「あっお客さんは……いや、でも営業時間外ですし……」
「そう堅いこと言うなって。酒を飲みに来たんじゃねえ、ちょっとマスターに確認したいことがあるんだ」
「お願いします」

 いつの間にか、エルシスの後ろから現れたカミュとユリが店員に詰め寄った。
 特にユリが真っ直ぐ見つめてお願いするものだから、効果抜群だった。

「こいつぁ失礼しやした。お話だけなら大丈夫でさあ」

 ささ、どうぞどうぞとユリにでれでれする店員。気にくわねえ。横を通る際にカミュが睨む。ついでにベロニカはべーと舌を見せる。
 店員はびくっと怯えたり、怒ったりと忙しかった。

「助かったよ、二人とも」

 小声でこっそり言うエルシスに、二人は笑顔で答える。

 カミュはちょっと待ってなとベロニカに言うと、カウンター席に腰掛けた。

「準備中に悪いな、マスター」
「おや、昨日の……」

 マスターはカミュに気づき、仕事をしていた手を止める。

「マスターと話したいという嬢ちゃんを連れて来たんだ。悪いが、少し話を聞いてやってくれねえか」
「それはそれは……構いませんよ」

 ベロニカはカミュに複雑そうな顔をしてから、マスターには笑顔を向けた。

「こんにちはマスター。こちらの席……かけてもよろしくって?」

 ベロニカはよいしょとカウンターのイスに座る。

「ほっほっ……元気そうなおじょうちゃんだ。ご注文はますたぁの気まぐれコブ茶でいいですかな?」
「お気持ちはありがたいけど、今はゆっくりしているヒマはないの。あたしたち、人を探しに来たのよ」

 ベロニカの返答にユリは「大人っぽい……」と呟く。大人っぽいというより、マセてるというのでは……エルシスとカミュは思った。

「単刀直入に聞くわ。あたしと似た格好をしたセーニャって子が、誰かを探しにこなかった?」

 セーニャ――ユリはその名前に心当たりがあった。

「私、セーニャという女性に昨日会ったよ」

 ユリの言葉に、ベロニカだけじゃなくエルシスとカミュの二人も驚いた。

 今、ユリは『女性』と……?

「……あなた……。ううん、セーニャは何か言ってた?どこへ行くとか……」

 ユリはベロニカにその時のことを話した。

 蒸し風呂で魔物に襲われたことを詳しく知りたいって言われ、彼女に話したこと。
 お姉さまと呟き、何かに納得したような感じだったこと。
 そして、急がなくてはとすぐにどこかへ行ってしまったと――。

 ユリの話を聞いて、ベロニカは「あの子、まさか……」と顔をしかめる。
 次にマスターも、私も思い出したとベロニカに話す。

「あのおじょうちゃんならウチに来て、西の魔物の迷宮のことを詳しく聞いてきてね。お姉さんがいる気がするとかなんとか言って、なんとも不思議な子だったなあ……」
「やっぱり!ああもう、入れ違いだわ!セーニャはあたしを助け出そうとして……!」

 テーブルを両手でばんと叩いて、いきなりベロニカは立ち上がった。と思いきや、次の瞬間には、がっくしと項垂れた。
「大丈夫……?」
 ユリはそんな彼女に声をかける。

「あなた、蒸し風呂で魔物に襲われたと言ったわね?」

 ユリを見上げながらベロニカは話す。

「実は……あたしもなの。あたしの場合、蒸し風呂に入っていたところをそのまま魔物にさらわれちゃって、今までそいつらのアジトに閉じ込められていたのよ」

 ベロニカの話を聞いて、三人は驚く。もしかしたらユリのこともさらおうとして襲ったのかも知れない。

「危なかったな……」
「本当、あのままユリがさらわれなくて良かった」

 カミュとエルシスはユリが裸でさらわれなくて良かったと、心から安堵した。

「せっかくそこから抜けだして来たのに、今度は妹のセーニャが魔物のアジトに行っちゃうなんて……」

 ベロニカは落胆する。彼女の事情は分かったが、ユリには分からないことがあった。
 昨日会ったセーニャは大人で、目の前にいるベロニカは子供だ。しかし、ベロニカが姉でセーニャが妹だという。
 どういうことなのか、ユリにはさっぱり分からない。

「ねえ……エルシス」

 ベロニカは座ったままくるりと回り、今度はエルシスを見上げる。

「アンタたちただの旅人じゃないでしょ?聞かなくてもあたしには分かるわ。今はまだくわしい話ができないけれど、お願い……どうか何も聞かないで一緒に妹を探してちょうだい」

 どうやらワケありなのはお互いさまのようだ。だが、それとは関係なしに、この事態を見過ごすことはできない。

「うん。妹さんを探すのを手伝うよ。二人も、もちろん良いよね」

 エルシスは最後にユリとカミュに聞いたが、その言葉は確信しているという響きだった。

「もちろん!私も他人事じゃなかったし」
「オレも異論はねえぜ」

 エルシスの予想通り、二人は頷く。

「ありがとう……エルシス。それにアンタたちも。アンタたちならそう言ってくれると思っていたわ」

 ベロニカはそれぞれの顔を見ながらお礼を言った。

「おねえちゃんたち……いっちゃうの?ルコもいっしょにいく!」
「子供はあぶないからダーメ。あなたのパパについては心当たりがあるの。必ず連れて帰ってくるからいい子で待ってて」

 大人びたベロニカの言葉に、うんと素直にルコは頷く。

「お前だって子供じゃねえか……ちゃんとオレたちについてこられるのか?」

 その様子を見ていたカミュが、頬杖をつきながら呆れ顔で聞く。ベロニカはイスから飛び降り、たんっと背中に背負ってた両手杖を床についた。

「あたしを誰だと思ってるの?聖地ラムダからやってきた最強の魔法使いベロニカさまよ。むしろアンタの方があたしの足を引っぱらないように気を付けてほしいくらいだわ」

(最強の魔法使い……?)
(聖地ラムダ……?)
(本当かよ……)

 得意気に言うベロニカに。エルシス、ユリ、カミュはそう三者三樣に思った。


「さあ、行きましょエルシス。魔物のアジトがあるのはここから西の地下に広がる大きな迷宮の中よ。きっとセーニャも迷宮の中にいると思うの。西の海岸辺りに迷宮の入り口があるはずだから、ひとまずそこを目指しましょ」

 先に行ってるわね、準備ができたら里の入り口へ来て――と、ベロニカは三人を横切って歩いて行く。

「あたし、知ってるのよ。アンタが何者なのか……。あたしの期待を裏切らないでね」
 
 最後に、ベロニカは再び意味深なことを告げて、酒場の外に出て行った。

「どういう意味だろう……?」

 困惑してエルシスは呟いた。何者か――そう聞かれて心当たりがあるのは、『勇者』か『悪魔の子』の二つだ。
 悪魔の子だとしたら自分に助けを求めるだろうか?だとしたら……

「エルシス。今は考えても仕方ない。ベロニカのヤツはともかく……妹のセーニャって子は何も悪くないしな。早いとこ助けに行ってやろうぜ」
「……うん、そうだね。ありがとう」

 出発する前に、小さなルコをひとりで待たせるのは心配と、三人は酒場に彼女を預かってもらうことにした。

「すみません、しばらくルコちゃんを預かってくれませんか?いえ、この子のお父さんを連れて帰るまでの間で良いんです。すぐにお父さんを見つけられるよう頑張ります!」
「ま…まかせくだせえ!お、お気を付けて〜!」

 ユリがそう力強くお願いすれば、最初は困惑してた店員もすぐにでれでれし、了解した。
 その様子をエルシスは苦笑いを浮かべ、カミュは呆れて見ていた。ちょろすぎである。
 心残りもなくなり、三人はベロニカの元へと向かう。

「ねえ、カミュは聖地ラムダって知ってる?」

 歩く途中にユリはカミュに聞いた。

「さっきベロニカが言ってたことか。地名はどこかで聞いたことあるが、それ以上は……どうかしたのか?」

 逆に聞かれ、ううん、ちょっと気になっただけとユリは首を横に振った。

 胸に引っ掛かった気がする。

 そして、ベロニカに対して少し懐かしい気持ちも。それは、昨日セーニャに対して感じたものと同じだった。(……ううん、今は考えるのはあと)

 セーニャを助けるのが先決であると、ユリは気合いを入れ直した。


 ベロニカと合流した三人は、荒野の地下迷宮と呼ばれる場所へ急ぐ。

「……あなた、名前はなんて言うのかしら?」

 里を出てすぐにユリはベロニカに名前を聞かれ、彼女は名乗った。
 カミュだけが聞かれてないが、二人が名前を呼ぶので知っているだろうし、彼は気にしていなかった。というか興味すらなさそうだ。

「ふぅん。あなたもなかなかの魔力の持ち主なのね。だから魔物に狙われたんだと思うわ。あいつら魔力を集めているみたいなのよ」

 ベロニカはユリにそう言った。見た目は子供なのに、しっかりした口調と内容で話すので、ユリは違和感を感じてしまう。(魔法使いってみんなこうなのかな……)

 いつもならなんだかんだ寄り道をしたり、楽しげに談笑する三人だったが、ほぼ無言で足を進めていた。
 早くセーニャを救出しないとという思いもある。
 ベロニカも小さな身体で妹が心配なのか、意外にもしっかりと三人について来ていた。

「ベロニカのヤツ。大きなクチを叩いていたが、本当に戦えるのか……?」

 魔物が増える中を歩きながら、カミュがエルシスに言った。

「どちらにせよ、心配だから僕たちで守ってあげよう」

 エルシスはさらりと言って笑みを浮かべた。ベロニカには色々と翻弄されてるはずなのに、この大人な対応。カミュはエルシスを見直した。

 そして、その後。

 二人の予想を、彼女はある意味裏切ってみせた――。


「えーい!」

 ベロニカは戦っていた。
 カミュはそもそも彼女を戦力として入れてなかったので、後ろで控えてもらって良かったのだが。

「そりゃ!」

 ベロニカはスライムベスを杖で叩いて攻撃する。
 彼女の与えるダメージでは魔物は倒れないので、それを訓練中のユリの剣がとどめを刺す。

 物理攻撃――。

 エルシスとカミュは二人して思った。自称、最強の魔法使いはどこに。(言わんこっちゃねえ)

「ベロニカは意外にアグレッシブなんだね。魔法は使わないの?」

 二人が気になってたことをユリが聞いた。ナイス!
 嫌みの見えない純粋な彼女の問いに、ベロニカは答える。ちなみにユリが子供相手なのに呼び捨てなのは、その前に「ちゃん付けはやめて!」と、彼女に怒られたからである。
 それもあってか、すでにユリの彼女への接し方は自分と同年代としてのものだ。

「魔物にさらわれた時に、魔力を根こそぎ取られて……今は使えないの」
「えっそれは大変!その魔物を退治したら戻るかな?」
「たぶんね。魔法を使えたならぎったんぎたんにしてやるのに!」

 そのやりとりを聞いて事情は分かった。
 だが、先に言うべきだと思うし、足を引っ張るなと言ったのはどこのどいつだ――そう思ったが、カミュは思うだけに留めた。
 言ったところでギャーギャー反論されて時間と体力の無駄である。
「先が思いやられる……」
 その言葉だけをため息と共に吐き出した。

「前衛と後衛を変えたいと思うんだ――」

 再び戦闘を終え、三人にそう言ったのはエルシスだ。
 前衛が、カミュとユリ。後衛にエルシス(ベロニカ)と、二人は反論もなく了解と頷いた。

 ユリは分からないが、カミュは自分が考えてることを理解しているだろう。(というか、僕が思いつくことならカミュならとっくに思いついてるはず)

 今まで三人で戦ってきたところに、ベロニカが一時の同行とはいえ加わった。
 それが悪いとかではなく、状況や魔物に対してなど。その都度、三人の戦列や連携、作戦など安全に見直すべきだと思ったからだ。

(やはり小さなベロニカが心配だから、僕が側につくとして。ユリは慣れない剣で前衛だけど、カミュが隣だから大丈夫だろう。いざとなったらのデインもあるし。まあ僕とカミュは反対でも良いんだけど、カミュの精神的疲労がもたないだろうから)
 
「ユリは今剣を装備してるから、前衛をまかせちゃうけど……」
「大丈夫だよ、まかせて!いざとなったら魔法も使うし、ベロニカがまほうの小びんなら大量に持ってて使ってあげるから遠慮せずに唱えなさいって。あ、やくそうも大量に持ってるから、どんどん怪我しても大丈夫だって」

 最後のそれはちょっと……。エルシスはベロニカを見る。

「まあ、サポートはしてあげるわ。…………ちょっとなにかしらその顔!アタシがサポートするんだから、しっかりアンタたち働くのよっ」

 三人の暖かい視線を受けて、照れているようだ。彼女の少女らしい一面を初めて見た気がする。

「これが巷で噂のツンデレね」
「どこの巷で噂になってるのよ!……あなたちょっとセーニャに似てるわ。いきなり突拍子のないことを言うところとか」
「セーニャっていったら、ベロニカより小さいんだろ?そんなチビちゃんと似てるって言われるユリはどうなんだよ」

 苦笑いを浮かべながらもその様子を微笑ましそうに見るカミュ。さらにそのカミュごと見てうんうんと微笑むエルシス。

 エルシスは心の中で歓喜の涙を流していた――。ユリ……君がいてくれて、本当に良かった!!
 なんとなくぎすぎすしていた空気が、ユリの活躍で和やかになったのだ。
 エルシスはユリにナイスと親指を立てると、彼女はレベルが上がったのかと思ったらしく「おめでとう!」と、喜んでくれた。可愛い。

 これならこの先もきっと大丈夫だ――エルシスはそう思いながら、再び背中の剣に手を伸ばす。
 前では二人が飛び込んできた魔物を応戦しているからだ。

 エルシスも剣を握り、構える。


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