五人は本格的に砂漠地帯に突入した。
砂の道なき道を、一歩ずつ歩いて行く。
頭上には太陽がギラギラと輝いて、その熱が彼らの体力をじわじわと奪って行った。
(ホムスビ山地の隣に面している地域なのに、太陽が近い気がする……)
上は太陽からの強烈な熱射。
下は砂の海に足を取られる。
カミュが言ってた通りだと、エルシスは痛感していた。
そんな彼はフードをすっぽりと被って、エルシスの隣を黙々と歩いている。静かに呼吸し、彼にとっての地獄に堪えているのだろう。
エルシスも彼にならって、頭に被った紫のストールを目深まで下ろした。ユリとセーニャもそれぞれ服に合わせたストールを被っており、ベロニカはいつもの赤い帽子だ。
このストールはカミュに言われて、ホムラの里で購入したもの。
導きの教会の時に、彼に渡されたフードは素性を隠すためのものだったが、陽射しを遮るのにもこんなに効果があるのかと初めて知った。
ほぼ無言で一同は砂漠を進む。
まだ歩いてそんなに時間は経過してないが、早くもうんざりしていた。
踏み込む足が砂に埋もれ、滑り、歩きにくい。
確かに子供の姿のベロニカには困難だっただろう。
彼女は馬の上にちょこんと跨がっている。
そのまま視線を移し、手綱を引くユリを目にして、エルシスは彼女の元へ。
「ユリ、変わろう」
エルシスはユリからもはや手綱を奪い取る。
足場が悪いところで引き馬は大変だ。
馬の方が歩幅が広いので、足を取られて引きずられたり、誤って踏まれてしまったら危ない。
「もっと早く気づけば良かった。ごめん」
この環境下のせいか、魔物も見当たらないので、エルシスが下がっても大丈夫だろう。
「ううん。ありがとう、エルシス」
ユリは笑顔でそう言った。すでに暑さで頬がほんのり赤い。
「セーニャも気づかなくてごめん。長いスカートじゃ歩きづらいよな……。ベロニカは軽いし、二人乗っても大丈夫だと思う」
ちょこんと上品に指先でスカートの裾を上げているセーニャに言う。
「エルシスさま、お気遣いありがとうございます!」
セーニャは嬉しそうに頷いたが、エルシスはもっと周りを見なくてはと自分を叱った。
この環境でつらいのは自分だけじゃない。
エルシスはいつかのカミュがユリにやったように、セーニャを馬に乗せる。彼女は横乗りし、足を揃えた。
「ベロニカは地上より高い分、日射しが強いけど大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
「セーニャも気分が悪くなったらすぐ言ってね。ユリもカミュも。いざとなったらルーラで脱出すればいいしさ」
にこやかに皆に言ったエルシスに「それはエルシス、お前もだぜ」と、カミュがフードの下から笑いかけた。
サマディー王国へは距離的にはさほど遠くはない。
馴れた者なら歩いて二、三日の距離といったところか。
だが、初心者が歩くには例え距離が短ろうと砂漠地帯は危険だ。
迷わぬよう、定期的にコンパスを確認する。
大丈夫。方角は間違っていない――カミュのフードの下で額から顎にかけて汗が流れる。滴が地図に落ちぬよう気をつけながら歩いた。
ふと頬にヒンヤリと触れた感触に、カミュはびっくりして横を向く。
そこには、いたずらが成功した子供のように、口許に笑みを浮かべていたユリがいた。
彼女の手のひらがカミュの頬を包んでいる。冷たくて気持ちいい。
「気持ちいい?」
「…いや…うん……気持ちいい……」
質問の意味はそのまんまなのだが、どぎまぎしながらカミュは答える。
素直に口にすれば、その手のひらは今度は額に移動した。
やけに冷たい彼女の手のひらが、熱がこもった皮膚に気持ちが良かった。カミュはふうと息を吐く。
「どうしたんだ、その手?」
もう大丈夫と言うように手を掴んで握る。
こちらに手を伸ばす、妙な体勢で歩かせたら、ユリは転けるとカミュは予想した。
「ベロニカが炎を指先から出してたから、それを氷で応用できないかなと思って」
あんな風にはできなかったけど、冷気を手のひらにまとわせることは出来たとユリは言った。
「サンキューな。少しスッキリした」
「カミュ、暑いの苦手って言ってたから……無理しないでね」
「お前こそ、顔火照らせて……」
そう言ってカミュは、握ったユリの手のひらを彼女の頬に持っていく。
「自分で自分を冷やしておけ。ちゃんと水も小まめに取るんだ」
そう言い終わった後も、カミュはユリの手を放すのが名残おしい……
「ちょっとーそこ!ただでさえあっついのにいちゃつかないでくれるー!」
ベロニカが馬上から二人に向かって叫んだ。エルシスとセーニャは似たような笑みを浮かべている。
「いちゃ…?」
「してねえよ!…こん、………」
こんな子供の戯れみたいな触れ合いがいちゃつきに入るか――と、思わず言いかけ、カミュは口を閉じた。
口に出していたら、さらにベロニカから火を見るだろう。それこそこの暑さのなかたまったもんではない。(……それにしたって、あっちーなぁ。おかげで暑さで頭がまわらねぇ……)
「……エルシス、どうした?」
それでもカミュは異変には敏感に反応する。
「カミュ、馬が何かに脅えている。もしかしたら魔物が近くにいるのかも……」
確かに馬が落ち着かないように足踏みをして、それ以上前に進みたがらない。
エルシスは手綱から手を放し、剣に片手を添え。カミュも短剣に手を伸ばす。
残りの三人にも、緊張が走った。
「っ……カミュ、砂が揺れてる……!」
ユリが言った通り、足元の細かい砂が小刻みに震えている。
「っ……下からか!?」
「来るぞッ!」
カミュとエルシスが叫んだ。
前方の砂がいきおいよく迫り上がり、砂が波のように三人に降りかかる。
ユリはとっさに目を閉じたが、代わりに砂が口に入ってしまった。
ユリだけでなく、エルシスもカミュも砂だらけになり。
前を見据えると、砂の中から現れたのは大きな大蛇だった。
「でか!!」
「なんだ、このバカでかい蛇は!?」
エルシスとカミュが驚愕に見上げる。
青い鱗を羽のようなエラを広げ、青紫の舌をちろちろさせる魔物。
「ウィングスネークよ――!!」
少し離れたところから叫ぶベロニカ。
どうやら双子を乗せた馬は危険を察知し、とっさに回避したらしい。優秀な馬である。前にいる三人も、砂を被ったぐらいで怪我はない。
「しかも超巨大!あたしたちが通った時はいなかったのに……気をつけて!そいつ毒の息を吐くから!」
ベロニカは続けてそう叫ぶが「気をつけろっつてもここじゃあ避けられようがないぜ」と、カミュは短剣からブーメランに武器を取り替えながら言った。
この砂場じゃ思うように動けないのは確かだ。カミュの素早さも封じられたようなもの。
こちらから打って出る前に、ウィングスネークは尻尾を振り上げ、前衛にいる三人を薙ぎ払った。
避けようもなく、鈍い痛みが襲った。
「うぐっ!」
呻くエルシス。身体が巨大な分、攻撃の威力も上がるようだ。
「だっ…大丈夫か?二人とも……」
身体を起こしながら二人を見る。ユリとカミュもそれぞれ吹っ飛ばされ、身体を起こそうとしているところだった。
「いたた……砂がクッションになって……助かった……」
「っまずいな……こんな攻撃、何発も受けきれねえよ」
珍しくカミュがよろけて膝をついてる。
この暑さで調子が悪いのもあるだろう。
「カミュ。ヤツが毒の息を吐こうとするのをブーメランを投げて阻止してくれないか?君はそれに専念してくれるだけでいいから」
あまりカミュの体力を消耗してほしくないという思いから。
エルシスはいつもカミュに助けられている。調子がすぐれない時ぐらい、その分自分が頑張ると、今ここで決意した。
「……大丈夫なのか?」
「他は僕にまかせて!それに……後ろに最強の魔法使いがいるしね」
エルシスは笑う。一旦離れていた馬が戻って来る気配を感じるからだ。
「またせたわね!」
「皆さま、ただいま回復しますわ!」
その背にベロニカとセーニャをしっかり乗せて。
馬上から二人は呪文を唱える。
ベロニカが唱えたヒャドが炸裂し、セーニャのホイミがカミュを包む。
「ベロニカのヒャド、すごい……!」
同じ魔法を使うからこそ、その力量が分かる。ユリはまずは自分にホイミをかけた。
「させねえぜ!」
大きく息を吸い込むウィングスネークに向かって。
カミュはブーメランを投げ、それは縦に弧を描き、ウィングスネークの顎に当たった。
のけ反り、毒の息は不発に終わる。
「デイン!」
エルシスはデインを唱え、安定したダメージを与える。
「セーニャ、カミュにスカラをかけてあげてくれ。カミュを頼む」
「はい!おまかせください!」
セーニャはスカラを唱える。
「ユリ!あたしとアンタの魔法のれんけい技よ!」
「うん!師匠!」
ベロニカは杖を向け、ユリは右手を上げる。
「イオ!」
ベロニカの魔力がウィングスネークへ爆発を起こす。
「イオ――!」
覚えてない魔法だが、自然と呪文がユリの頭に思い浮かぶ。
ベロニカを真似して、続けざまにユリが唱えた魔法が炸裂した。
ベロニカが唱えた呪文を、例えユリが覚えてなくても唱えられる二人のれんけい技――《師弟魔法》だ。
「グギャアア!」
続けざまの強力な魔法に、ウィングスネークが叫ぶ。
「お姉さま、ユリさま!さすがですわ」
セーニャが二人に歓声を上げた。
追い討ちをかけようとエルシスは再びデインを唱えるが、それより早くウィングスネークは砂の地面に潜ってしまい、当たらない。
「逃げたの……?」
「違う!砂に隠れて攻撃する気だ。どこから現れるかわかんねえぞ!」
ユリの言葉にカミュは素早く答える。
目の前の砂がウィングスネークの動きに合わせて盛り上がり、その下で這っているのは分かるが。
いつ、どこから飛び出してくるかは分からない。
「卑怯なヤツ!これじゃあ魔法を当てられないじゃないの!」
馬上からベロニカが怒った。その背後でセーニャはスカラをユリにかけ、次にエルシスに唱えていた。
「ユリは目の前に弓を構えて!万が一襲いかかって来たら真っ正面から撃ち込むんだ!」
「分かった!」
ユリは弓を構えて、いつでも矢を放てるよう弦を引く。
「カミュは防御な!」
笑いながらエルシスは言った。
「言うようになったな、エルシス!あの蛇ヤロウが現れたら返り討ちにしてやるから見とけ!」
カミュは短剣を握り、腰を落とし構える。舌舐めずりをし、待ち構える姿は獲物をじっと狙い待つ獣に似ている。
「ベロニカたちはしっかり馬に捕まって、いつでも逃げれるように!」
「分かりました、エルシスさま!お姉さま、私が手綱を持ちますわ」
セーニャは小さなベロニカの代わりに手綱を持つ。
(ヤツはどこを襲う?むしろ襲われて一番嫌なのは……)
双子を乗せた馬だ。そう思い。エルシスはちらりと彼女たちを視界に映すと、馬の耳がぴくりと反応したのを見逃さなかった。
来る――ウィングスネークが再び砂を
迫り上げ、勢いよく飛び出してきた。
逃げる馬の嘶きが響くなか、瞬時に反応したエルシスの剣は早かった。
「かえん斬りッ!」
喰らおうと迫ったウィングスネークの顔面を斬り裂く。
「エルシス、やった!追撃っ……!」
ユリの張りつめていた弦から放たれた矢は、威力が増してウィングスネークに突き刺さる。
返り討ちに合い、砂に待避しようとするウィングスネークに、飛んできたブーメランが頭部に当たり阻止した。
「カミュ!」
やったな!とエルシスはカミュを振り返る。
「よそ見すんな、エルシス!」
カミュがブーメランをキャッチした。
ウィングスネークは暴れるように尻尾を振り払い――「ッ!?」エルシスは剣を盾にするまもなく、吹っ飛ばされた。
「エルシス!」
「エルシスさま!」
ベロニカとセーニャが同時に叫ぶ。セーニャは馬から飛び降り、砂で足がもつれながらエルシスに駆け寄った。
「エルシスさま!」
「っ……ごめん、油断、して……」
セーニャは急ぎホイミを唱える。
「今、癒しますから……」
暖かい癒しの光に、ずきずきとした痛みがだんだんと治まってきた。
「よくもエルシスを傷つけてくれたわねー!!」
ベロニカは自身の得意な炎の呪文を唱える。
「メラ――!!」
強い魔力で生まれた炎の玉がウィングスネークに叩き込まれる。
暑いところにいるウイングスネークは、本来なら氷の魔法の方が効くが、暴走した魔力に大ダメージを与えた。
「……っち!」
カミュはブーメランを投げたが、当たる前にウィングスネークは砂の中に逃げ込む。
「すばしっこいヤロウだ……。エルシス大丈夫か!?」
カミュはウィングスネークから目を放さないまま、彼に問いかけた。
「セーニャが回復してくれたから、今復活した……」
身体を起こすと、エルシスは口許を流れた血を手の甲で拭う。
「エルシスさま、どうぞ」
「ありがとう、セーニャ」
セーニャから一緒に吹っ飛ばされた剣を受けとり。
「今度こそ仕留……め……っ」
立ち上がろとして、ずきりと身体の内側からの痛みに、エルシスは砂に膝をいた。
剣をついて支えにする。
ポタリと彼の額から流れ落ちた汗は、砂を濡らし、すぐに乾いていく。
「エルシスさま!?」
セーニャが慌てて寄り添う。
「……もしかしたら、傷が深くまで届いていて回復魔法でも癒せなかったのかも知れませんわ……」
私の力が足りないばかりに――そう申し訳なさそうに言う彼女に「君のせいじゃないよ」とエルシスは痛みに堪えながら笑った。
「エルシス!お前はそこで少し休んどけ!」
「あとは私たちが倒すから!」
カミュとユリが叫ぶ。
(私だって、怒ってるんだ――!)
ユリはきりきりと弓を引く。
地面に潜ったといっても砂だ。
矢なら通るかも知れない――そう思い、ユリは狙いを定めて矢を放った。(問題は私の矢がダメージを与えられるか!)
会心の一撃でも出て欲しいところだが、残念ながら通常攻撃として命中する。
「っ!……出てきたっ!」
だが、ウィングスネークを引っ張り上げることができた。攻撃を受けてか、砂の中から突如飛び出して来る。
「出てきたならこっちのもんよ!ヒャド!」
好機を伺っていたベロニカが呪文を唱える。
「ユリ、れんけいだ!ついてこいよ!」
「!っはい!」
カミュの突発の声かけに、ユリは慌てて矢を取る。
カミュがブーメランを投げ、ユリが矢を放つ。《フライトターン》による効果でウィングスネークは目を回した。
「っうし!」小さくガッツポーズするカミュ。
その間、ベロニカは精神統一する。いくらベロニカが凄腕の魔法使いでも、連続で魔法は唱えられない。
代わりに、エルシスの呪文が炸裂した。
「ったく、お前は休んどけって言っただろ?」
そうエルシスに言ったあと、カミュは砂上を跳ねるように走り、短剣でウィングスネークを斬り裂く。
「呪文を唱えるぐらいなら問題ないよ…!」
エルシスは少し痛みに慣れ、今はしっかりと砂の上に立っていた。
「裁きの風よ……バギ!」
セーニャが唱えた呪文が、ウィングスネークの身体に小さな風切りのような傷を付ける。
主に僧侶系が使う攻撃魔法だ。
「ヒャド!……あと少しだよね!?」
その風に乗るように氷のつぶてが舞う。
ユリの言葉にベロニカがにっと口角を上げた。
「ええ、とどめを刺すわよ――ヒャド!!」
先ほどより強力なヒャドがウィングスネークに炸裂し、ついに魔物は倒れた。