お忍びのサーカス

 夜になり。

 一行が待ち合わせ場所のサーカステントに行くと、そこにはローブに身を包んだ浮いた人物――ファーリス王子がすでに待っていた。

 フードを目深に被り、そわそわしている。

 人が通ると、さっと後ろを向いてやり過ごすなど。どうやら、自分が王子だとバレないように気にしているらしい。

 むしろ不審者としてサーカスの人に通報されないか、エルシスは心配になった。

「うわぁん!ボクもサーカス見たいー!」

 その時、そう甲高い子供の泣き声が彼らの耳に届く。
 母親がオロオロしながら「チケットが取れなかったから、私たちは入れないのよ……」と男の子を説得しているようだ。

 あっとユリは思い出し、親子に近づくと、チケットをポーチから二枚出して、男の子に渡す。

「はい。お母さんと楽しんで見て来てね」
「わぁ!やったーチケットだぁ!ありがとう、おねえちゃんっ」
 嬉しそうにチケットを受け取る男の子。
「まぁっ、本当に良いんですか?」

 驚く母親に「もう必要ないので」とユリは伝えると、四人の元へと戻る。

「アンタ、チケットなんてどこで手に入れたの?」

 目を丸くして驚くベロニカに、ユリは「ちょっと…」と曖昧に笑って答えた。

「あぁ、あなたは美しい容姿だけじゃなく……心まで美しいなんて」

 ユリの存在に気づいたファーリスは近づこうとするが、カミュが彼女を守るように行く手を阻止する。
 鋭い眼光に、ファーリスはむむと怯むと、んんと咳払いして気を取り直した。

「やあ、来たな。約束通りサーカスを観ながら例の話の続きをしようじゃないか」

 変わり身の早い王子に連れられ、彼らはテントの中へと入っていた。

 自由席らしく、ファーリスは奥の目立たない位置の丸テーブルを選ぶ。
 イスが一つ足りなかったので、カミュが隣の席から拝借し、彼は背もたれを反対にして座った。

 余興のようなショーが続くなか、次にステージに登場したのは、サーカスの支配人だ。

「さて!お次は、世界を飛びまわっては訪れた町を魅了して、去っていく謎の旅芸人の登場だ!」

 その言葉にわあぁ!と客席から歓声が湧き、五人もステージに注目する。

「流浪の旅芸人……シルビア!!摩訶不思議なショーをとくとご覧あれ!!」

 手を上げた支配人が幕の中に引くと。
 代わりに奥から宙返りをしながら、華麗にシルビアが登場した。

 両手を広げ、一礼をすれば、観客から歓迎の拍手が響く。

 今朝会った時とは雰囲気を変え、大道芸人の衣装に身を包んでいるシルビアに、ユリも一緒になって拍手を送った。

 シルビアはまず、観客席に見えるように手のひらを広げると、そこには黄色いボールが。
 何度か手で遊んでいると、ただのボールに観客の目は釘付けになる。

 そして、彼はおもむろに宙に投げた。

 その間に一回転すると、両手には色とりどりのボールが現れ、シルビアは器用にジャグリングを始める。

 高く上がるボールは、落とすことなく、彼の手の中で宙を舞う。

「すごい……!」
「ああ、器用なもんだな」

 ユリの言葉にカミュも続いた。
 その場にいる全員が、シルビアのショーを見入っている。

 次に彼はボールを高く放り投げた。
 その場で華麗に回転し、色っぽいウィンクと共にパチンと指を鳴らせば、ボールは全てナイフに。

「今のどうやったの!?」
「不思議ですわ、お姉さま!」

 目をパチパチさせ、驚くベロニカとセーニャ。

 シルビアは、今度はナイフでジャグリングを始める。

 上手くナイフの柄を掴んで、上に投げているが、一歩間違えれば大ケガをしてしまうだろう。

「すごいな……!」

 エルシスは惚れ惚れという声を出した。

 宙に投げていたナイフを観客席に向かって投げるシルビア。

 降ってくるナイフに観客たちが息を呑む。

 小さな悲鳴も聞こえるなか、彼がそこに火の息を吹きかければ――。
 次の瞬間には、ナイフは跡形もなく消えていた。

 シルビアは右手を胸に置き、軽くお辞儀をする。

「大切なお客さまにケガなどさせません。楽しんでいただけましたでしょうか」

 色とりどりの紙吹雪が舞い、客席からは盛大な拍手と歓声が。
 シルビアはその身に称賛をありったけ受け、ありがとうと観客席に挨拶を繰り返した。

「すごかったね!シルビアさんのショー!」
「うん!最後まですごかった!」
「途中ハラハラしちゃったわ!」
「本当に素敵なショーでした……」

 そう口々に感想を言い、四人は興奮気味に拍手をする。隣でカミュもささやかに拍手を送っていた。

 さて……。

 シルビアのメインショーも終わり、五人の視線は。
 テーブルから身を乗りだし、夢中で観ていた男に一斉に移った。

「……みんな、サーカスに夢中のようだな。では、そろそろ本題に入ろうか。これから言うことは口外しないでくれよ」

 皆の視線に気づいたファーリスはこほんと小さく咳払いし、席につくと神妙に口を開く。

「明日、騎士たちが乗馬のウデを競うファーリス杯っていうレースがおこなわれるのは知っているね?」

 五人は頷いた。

「それに、ボクも出場するんだけど、ひとつだけ、大きな問題があってね。じつは…………」

 しばしの沈黙の後、

「ボク、生まれてこのかた、馬に乗って走ったことがないんだ……」

 ひどく情けない声で続きの言葉を言ったファーリス。予想だにしない王子のカミングアウトに、五人はポカンとしている。

「これまでは、部下の協力もあって、父上や国民たちをあざむくことができたが、レースに出たら、いよいよボロが出てしまう」

 切羽詰まったようにファーリスは続け、テーブルに俯いた。

「だけど、今回はボクの16歳の誕生日を祝う大切なレース。出場しないわけにもいかず、これまでずっとアタマを悩ませてきた。そんな時、キミが現れたのだ――」

 彼はそう言って顔を上げると、向かいの席に座るエルシスを見た。

「ボクと同じ背格好をしているキミがね。しかも、実力も申し分ないと来た。キミこそ、ボクの影武者にふさわしい」
「影武者……」

 そう小さく呟くエルシス。

「影武者っていったって、レースに出たらひと目でバレるだろ?どうやってごまかすんだ?」

 カミュはイスの背もたれに腕組みをしながら、他の皆も思っていた疑問を聞く。

「ふふ、心配ない。王族は身の安全を優先させるため、鎧と兜を身につける。絶対にバレっこないさ」

 自信満々にファーリスは答えた。
 彼は勢いよく立ち上がると、手を合わせ、頭を下げ、必死にエルシスに懇願する。

「頼む!一生のお願いだ!ボクの代わりにボクのフリをしてレースに出場してくれ!頼む!」
「なにそれ!そんなのズルっこじゃん。エルシス、こんな頼みを聞く必要ないわ」

 すかさず立ち上がり、指を差してファーリスを非難するベロニカ。

「あれ?そんなこと言っていいの?虹色の枝が欲しいんじゃなかったっけ?」

 先ほどの態度とは一転。腕を組み、脅すように言うファーリス。

「うわあ……。サイテー……」

 その言葉を聞いて、ベロニカは呆れて座ると、テーブルに頬杖をついた。

「ふふ。なんとでも言うがいい。手段を選んでる場合じゃないんだ。さあ、ボクの代わりに出場してくれるよな?」

 開き直って、エルシスに問うファーリスに。
 エルシスが返事をする前に、怒気を含んだ声が先に聞こえた。

「本当に……最低だと思う」

 ユリの声だった。

 怒っているユリに、ファーリス含めて全員がぎょっとする。
 ユリがこんなにも誰かに怒りを露にした姿を、エルシスもカミュも見たことがない。

「し、しかし……ボクは民の期待を裏切るわけにはいかないんだ」
 ファーリスはそんな彼女にたじたじになりながら反論。
「期待を裏切りたくないのに、騙すのは良いの?」

 すぐさま、追撃するように問いかけたユリの言葉に。うぐ……とファーリスは痛いところを突かれたように口を閉じた。

「ユリ、どうかしたのか?」

 断じてファーリスを庇うわけではなく、カミュは彼女の心境を案じて声をかけた。

「私は……エルシスが影武者になるのは嫌だ」
 ぽつりと言った言葉。
「ユリさま……」

 セーニャが寄り添うように彼女の名を呼ぶ。

 滅多に怒らない彼女が、怒りを露にして自分のことを気遣ってくれている――エルシスは嬉しく思っていた。

「……ありがとう、ユリ。僕のことを心配してくれて。でも、大丈夫だよ。これを決めるのは、僕の意思だから」
「エルシス……」

 エルシスはユリに優しく言った後、ファーリスに向き合う。

「ファーリス王子、影武者の件。僕が引き受けよう」

 エルシスの口調はしっかりと、意思を感じられるものだった。

「よ…良かった!キミならそう言ってくれると思ったよ!レースが無事に終わったら虹色の枝の件は父上に掛けあうと約束する!」
「ああ、オレたちの仲間を影武者として利用するんだ。約束を破ったらただじゃ済まねえぜ、王子サマ」

 脅すように念を押すカミュにひえっとファーリスは怯えてから「も、もちろんだとも!まかせてくれ!」と調子よく言った。

「今日はキミたちのために高級宿をとったから、そこで泊まってくといい。明日の朝にレースハウスに来てくれ。それじゃ、ボクはこのへんで失礼するよ」

 逃げるように、そそくさと席を立つファーリス。

 あんなに熱心にユリを口説いていたくせに、彼女に目もくれず逃げるとはどうしようもねえなとカミュは呆れる。


(……あら……)
 ステージでは人知れず。王子がテントを去る姿をちらりと確認した――シルビアの姿があった。


「――まったく。なんなのよ、あの猫被りな王子は!虹色の枝がほしいならレースに出ろって!」

 どんっと、ベロニカがサンドフルーツのジュースが注がれたコップをテーブルに置く。

 テントを後にした五人は、食事とイカしたマスターの新しいサボテンステーキの試食もかねて、サボテン酒場に来ていた。

「お姉さま、お怒りも分かりますが、そんな大きな声で言っては……」

 隣でセーニャが困りながらベロニカを宥める。
 イカしたマスターの計らいで、五人は二階の隅の丸テーブルに通されていた。
 周りの雑音も相まって、ここなら気にせず話せるが、声は抑えるべきだろう。

「……で。ユリ、アンタはなんであんなに怒ってたのよ?そりゃああたしも卑怯なやり方に腹が立ったけど、アンタの場合それだけじゃないでしょ?」

 ベロニカは向かいの席に座っているユリに聞いた。
 彼女は念願のサボテンステーキを目の前なのに、沈んだ顔をしている。
 ユリはゆっくり口を開く。

「……エルシスなら……明日のファーリス杯も優勝できると思う。でも、せっかくエルシスがレースで走って優勝しても、それをエルシスだとみんなに知られないのは悲しいし、くやしい…」
「……つまりは、王子の手柄になるのが嫌なんだな?」

 ユリのまどろっこしい言い方をカミュが簡潔にまとめた。が、どうも違うらしく、ユリは不満げな顔をした。

「私は、エルシスが馬が好きで、乗馬もすごく上手なのを知ってるから……影武者とかじゃなくて、エルシスとして出場して楽しんでほしかったの」
「だから、あのヘタレ王子の手柄になるのが嫌なんだろ?」
「全然違うっニュアンスが違う!」
「?ニュアンスってなんだよ……意味わかんねえ」
「私はユリさまが言いたいことは分かりますわ」

 上手く伝わらないと悩むユリに、セーニャが同意を示す。

「私もできることなら、エルシスさまとして、レースで走るお姿を応援したかったです……」

 そう残念がるセーニャ。そんな彼女たちの話を聞いて、エルシスはくすりと笑う。

「僕以上に僕のこと、考えてくれてありがとう。優勝できるかはともかく。優勝できるほど頑張っても、僕だって思われないのは確かにちょっとくやしいかも知れない」

 心配そうに自分を見るユリの視線を感じながらエルシスは続ける。

「でも、ユリもセーニャも……みんなが中身は僕だって知っててくれるだろ?それだけで、僕は十分だよ」

 最後にエルシスはにっこりと彼らしい綺麗な笑みを見せた。「エルシスさま……」感激したような声を出すセーニャ。

「それに……明日のレースで挑戦したい人がいるんだ。その機会を与えてくれた王子にはちょっと感謝してる。すでにウマレースには成り行きで参加しちゃったけど、一応追われる身だから、もう参加できないと思ってたし」
「確かに…。鎧兜を身に付け王子のフリをするなら、存分に目立っても平気だな」

(………。エルシスはウマレースに出れて嬉しそうなのに、私が勝手に怒っただけね……)

「私、ファーリス王子にひどいことを言っちゃった……」

 しゅんと落ち込むユリに、一斉に擁護が飛び交う。

「良いんだよ、あれくらい。ずるしてんのは変わんねえんだから」
「そうよ、ユリが気に悩むことないわ。むしろ、もっと言ってやって良かったぐらいね」
「私もユリさまが落ち込むことはないと思いますわ」
「うん。ユリが怒ってくれて僕は嬉しかったよ」

 ユリは軽く笑みを浮かべて「ありがとう」と皆に言い、次にファーリスに会ったら謝ろうと心に決めた。

「ほら、冷めちまうから早くサボテンステーキ食っちまえ。念願だったんだろ?」
「そうだよ、ユリ。めちゃくちゃおいしいよ、サボテンステーキ」

 カミュとエルシスに勧められて、ユリはサボテンステーキを一口食べる。
「……うん、おいしい!」
 ようやく見せたユリ本来の笑顔に、一同ほっとした。
 やはり、彼女はこうでないと。


 五人は食事を楽しみ、ファーリスが予約してくれた高級宿屋に向かった。
 普段の格安宿屋とは違い、外装も内装も綺麗な立派な造りに、一同ほぉと見惚れる。

「まあ、タダでサーカスを鑑賞できて、こんな宿屋に泊まれるのはラッキーだったかもな」
「王子で褒められるのはそれぐらいね」

 さっきからカミュとベロニカの意見は合うらしい。

 部屋も広くて綺麗で、ベッドはふかふかで文句のつけようがない。
 明日はいきなり本番のレースなため、早々にエルシスは柔らかいベッドのスプリングに身体を沈めた。

 ウマレースに出ておいて良かったと思う。

 一度走り、レースがどういうものか把握ができた。(オグイさんと対決するのが楽しみだ。そして……やっぱり、優勝したい)

 出場するからには――そもそも王子の影武者として、無様な走りは許されないだろう。

 エルシスは、そこで目を閉じた。


 ――カミュの朝は早い。
 もともと睡眠が浅くても、睡眠時間が短くても大丈夫な体質だ。
 いつものように、彼はほぼ同じ時刻に目を覚ますと、ぎょっとした。

「……………」

 エルシスがすでに起きて、ベッドの上に胡座をかいている。

 目は開いているが、精神統一をしているように見えた。朝陽を浴びるその姿は、まるで、透明な空のように清々しい。

 透明――カミュはエルシスにそういう印象を抱いていた。

 決して儚いとか色がないとかではなく、その澄みきった空色の瞳を見て、その言葉が一番近い言葉なのではないかと思ったからだ。

「……ちゃんと寝たのかお前……」

 寝起きの掠れた声でカミュはエルシスに言った。うつ伏せになり、頬杖をついてカミュは彼を見上げている。

「あ、おはよう、カミュ。ちゃんと寝たけど、なんだか気持ちが高ぶっちゃって、早く起きたんだ」

 そうエルシスはいつもの笑みを浮かべれば、先ほどの神々しい雰囲気は消えた。

「こういう気持ちを抱くのは初めてなんだ。戦闘の高揚感とは違うし」

 エルシスが少年のようにわくわくしているのが、カミュにも十分に伝わっている。

「…頑張れよ」

 そう一言応援し、カミュもベッドから起き上がった。


「おはようございます。昨夜はサーカスを見られたようですね。さぞ、お楽しみいただけたことでしょう。さて、いよいよファーリス杯が開催されます。城下町もますますにぎわってますよ」

 全員揃い朝食を取り終わり、宿屋を出ると。
 宿屋の主人の言葉通り、朝から城下町は人が増して溢れていた。

「なんだかこの国の誰もが楽しそう。いよいよ始まるファーリス杯を前にして、サマディー全体が期待に満ちているようです」

 セーニャの言葉にエルシスも同意した。
 ファーリスに言われた通り、レースハウスに向かう途中、耳に届くのは王子の活躍に期待する声ばかりだ。(こりゃあ、本当に負けられない戦いだな……)

 エルシスはこっそり苦笑いを浮かべる。
 そして、この期待と重圧に、確かに馬が乗れないファーリスが自分にすがるように頼んできたのは納得する。

 自分は元は王族の生まれであるそうだが、平凡な田舎ですくすく育った身だ。

 王子の暮らしや立場など、想像できない。
 幼い頃からファーリスは、こうして周囲の期待を一身に受けて育ったのだろう。

 馬に乗れないのは自己責任ではあるが、そう考えるとエルシスは、彼に少なからず同情してしまった。





-------------------------
今更ながら夢主の性格がふわっふわしてるのは記憶喪失だからです(言い訳)


- 37 -
*前次#