ビーストモード

 画家の青年のクエストを受けた一行。

 すでに刻は夕刻だったため、待たずとも陽はすぐに落ちた。

 馬たちを兵士たちに預け、彼らはまずはワイバーンドッグを探しにキャンプ地から離れる。

「……おい。なんでまだついて来るんだよ。明日のためにとっとと寝てろよ、お坊っちゃま」
「ユリさんがキミの危険なれんけいに付き合わされないか見張るためにボクは来たんだ!…安心してくださいね、ユリさん」
「あ、うん…ありがとう」

 睨み合うカミュとファーリスの二人に、ユリは苦笑いを浮かべる。

 れんけい技をするに当たって「ユリさまとの方が、お二人と息が合うと思いますわ」とセーニャの言葉に、ユリが加わることになったのは良いとして。
 それを知ったファーリスがまたもやついて来て、再びカミュの頭を悩ませている。

 はっきり言おう。足手まとい以外何者でもない。

「でも、明日いきなり本番を迎えるよりは、僕たちの戦いを見て、経験値を少しでも積むのは良いかも知れないよ」

 エルシスの前向きな言葉に「レベル1が3ぐらいにはなると良いわね……」と、ベロニカが生暖かい目で言った。

「…アンタも別に付き合わなくても良かったんだぜ?」

 カミュが隣を歩くシルビアに目を向け言った。
 何故かこの男もついて来た一人だ。

「アタシだって、カミュちゃんの眠れる力が気になるもの〜」 
「……そのちゃん付けやめてくれねえか」
「イ・ヤ」

 乙女チックな反応にカミュはげえと顔を歪ませた。これに女子はキャーキャーと黄色い悲鳴をあげるのだろうか。理解不能である。

「んもう、そんな顔したらかっこいいお顔が台無しよ。カミュちゃん」
「………………」

 カミュは反論する気が失せ、代わりにため息を吐いた。(どうも掴めない男だ。やりづれえ……)

「カミュ、ワイバーンドッグだ!」

 エルシスの言葉に、カミュはすぐさま頭を切り替える。

 本当に自分の中で眠れる力があるのか信じがたいが。
 エルシスやユリとは違い、口に出さないだけでカミュだって強さを求めている。
 その可能性があれば、試してみる価値はあると思った。

「頼むぜ、エルシス、ユリ」

 カミュはそう二人に言って、ワイバーンドッグを見据える。
 エルシスが見た時は、ワイバーンドッグは丸まって寝ている姿だった。 
 だが、陽が沈み、砂丘を闊歩する姿は獰猛な獣そのものである。

 竜のような翼を持つ、巨大な魔獣。

 シルビアが凶暴と言った通り、こちらの姿を見るや否や、羽を広げ襲いかかってきた。

「ワイバーンドッグは攻撃力が高いから気をつけて!」

 シルビアが全員に注意を促す。

「皆さまに順にスカラをかけますわ」

 セーニャが補助呪文を唱えた。
 エルシスはファーリスに後ろに下がるように声をかけようとしたが、彼の姿が見当たらない。

「ボクはここから応援してるよ!」

 離れた岩の後ろからファーリスは顔を出して言った。早っ!
 いつの間にとは思ったが、これで安心して戦える。

「じゃあ、カミュ。いくよ!」
「おう!」
「私たちの力を貸せば良いのね」

 画家の青年は抽象的な説明をしたが、いざれんけいをすれば、何をすれば良いのか不思議と分かるのだ。

 エルシスとユリの中にある力は、光となってカミュの中に吸い込まれていく。

 そして、彼の奥深くに眠る力を呼び覚ます──

 カミュは光に包まれた。
 その様子を全員が見守る。

 その時、その後ろに大きな月が見えた。
 紋章が浮かび、獣のような咆哮を上げるカミュ。

 その海のような青い瞳が赤く染まる。

「カミュ……?」

 ユリは彼の身におきた変化に、心配そうに声をかける。
 彼からの返事はない。
 その赤い瞳は鋭く、ワイバーンドッグを睨み付けた。

 腰を落とすカミュが、足を一歩踏み出すと──一気にワイバーンドッグの頭上に移動していた。

 ユリには彼の姿が捉えられなかった。

 遅れて剣筋が見えて、その短剣で魔物を切り裂いたのだと気づく。
 確かに彼は素早いが、今まで以上に目にも止まらぬ素早い身のこなしに驚く。

 上空で身体を捻ってもう一撃、魔物に喰らわす。しなやかに力強く。身体能力も上がっているようだ。

「カミュ……!」

 ワイバーンドッグが反撃に、その太い爪を身体に降り落とされてもカミュはものともしない。
「ホイミ……!」
 念のため、セーニャは回復魔法を彼にかけた。

「ねえ……ちょっとあれなんなのよ?ていうか大丈夫なの?バーサーカーみたいになってるけど……」

 その様子に驚き呆然と見ているなか。
 ベロニカが一番最初に口を開いた。

「止めた方がよろしいでしょうか……今のカミュさまは傷を負うのも厭わないという戦い方をしています」
「いや…もう少し様子を見よう。今はカミュの能力も上がってるみたいだし……危なくなったら僕たちも参戦するけど」

 エルシスがカミュを見守りながら言う。

「あれが、カミュの眠れる力……?」

 ユリが独り言のように呟いた。
 あんなカミュは初めて見る。

「眠れる野性の力が目覚めた――ってところかしら?ふふ、ロマンチックじゃない!」

 楽しげに笑うシルビア。

 ワイバーンドッグは高い攻撃力と共に素早さも体力も兼ね備えているが、カミュは一人で互角に戦っている。むしろ押していた。

 月明かりの下――ひらりとカミュの大盗賊のマントが砂漠の地で踊る。

 魔物の攻撃を受けても避けても、素早く二回攻撃を叩き込み、倍にして返す。
 ワイバーンドッグが上空に飛ぼうとすれば、逃がさないというように臆することなくカミュは飛び込む。
 今までの冷静に計算した彼の動きとは明らかに違う。
 本能のまま動き、激しい感情で戦っているように見えた。

 圧倒的闘争心を見せつける、獣の王者。

 そう、まるで――

「キ……、キミたちの仲間は狼男だったのかい!?」

 狼。狼男。彼らが感じていたことを、岩影から見ていたファーリスが叫んだ。

 ビーストモードの言葉の意味は、そのままの意味だとユリは気づいた。

 夜の闇の月明かりの下、狩りを楽しむ美しき青い獣――。
 カミュはとどめだと短剣を縦に横に、素早く魔物に薙ぎつけた。

「……ひとりで倒されてしまいましたわ」

 倒れるワイバーンドッグを見て、セーニャは口許に手を当て、驚く。

「エルシス、あいつ大丈夫よね?次はこっちに襲いかかってくるオチとか……」

 ゆらりとこちらを振り返ったカミュに、ベロニカが危機感を感じるのも、あの戦いを見た後なら仕方がない。

 だが、ベロニカが言い終わる前に、エルシスとユリの二人はすぐさまカミュに駆け寄っていた。

「「カミュ!!」」

 赤い瞳が虚ろに二人を捉える。

「カミュ、大丈夫……?」

 ユリは心配そうにその顔を覗きこんだ。
 赤い色が引いていく瞳に、自分が映る。
「…う……」 よろめくカミュの身体を二人が支えた。

「大丈夫かっ?カミュ」

 エルシスの呼び掛けに「ああ」と返事をするカミュ。

「平気だ……。ありがとうな、二人とも」

 いつものカミュの声と柔らかい笑みに、エルシスとユリはほっと顔を見合わした。

 カミュの眠っていた野性の力を呼び覚ますれんけい技《ビーストモード》は成功した。

 ただ慣れないせいか、身体に負担があるようで。キャンプ地に戻るなか、エルシスはその時のことをカミュに聞くと。

「記憶は、ある。だが、身体の奥底から力と激情が湧いてきて、敵を倒せっつー感情に支配されるような感じか……?考えなくても身体が勝手に動いて戦っていた……」

 カミュは顎に手を当て、俯きながら言葉を紡ぐ。彼もその時の心情を説明するのは難しいらしい。

「なんか、途中からすげー楽しくなってきて……」
「ちょっとそれ、危ないやつじゃない!」
「……ユリさん。あまり彼には近づかない方が……」

 こっそりユリに話すファーリスにカミュが「あ?」と彼を睨む。

「食べないで!」
「食わねーよ」

 ファーリスとカミュのやりとりに「いつものカミュさまですね」と、セーニャが笑って言った。

「……いくらなんでもオレは、お前たちを襲うことはしねえ…と思う……」

 そう、気にしてるカミュの口ぶりにエルシスはくすりと笑う。

「そんなの分かってるよ!新しい力が手に入ったんだ。ビーストモードになりたい時はいつでも言ってくれ」

 頼りにしてるよ、相棒――エルシスはカミュの肩に手をおく。
 いつもは自分が彼にする行動を、エルシスにされてカミュはきょとんとした。珍しい表情だ。

「うん!カミュ、かっこよかったよ。孤高の狼みたいで……。耳と尻尾は生えないのかな?似合うと思うんだけど……」
「……お前なぁ」

 ユリの言葉にカミュは苦笑いを浮かべる。
 最初の言葉だけで良かったのに、それで終わらず、よく分からない余計なことをつけてくるのが彼女らしい。

「あら〜分かるわぁそれ!今度付け耳と尻尾を買って来ましょうか!」
「余計なことすんじゃねえよ、おっさん」
「お…おっさんなんて。カミュちゃん、ひどいわ……」

 よよよと泣くフリをするシルビアに、カミュは冷たい海のような視線を送る。

 その瞳はすっかり元の青い瞳に戻っていた。


 焚き火が見える――キャンプ地が見えるところまで一行は戻ってきたようだ。

「あっ見て、エルシス。銀色のスライムがいるよ」
「本当だ、ユリの髪色にちょっと似てる」

 砂の上にちょこんといるスライムを見つけて、二人はうふふと和やかに話す。

「スライムか。あれならボクも倒せるかも知れない……」

 そう呟き、人知れず剣を抜くファーリス。

 一方――その『銀色のスライム』という言葉に、他の四人の目の色が変わっていた。

「おっメタルか?逃がさねえぜ!」
「セーニャ!行くわよ!」
「はい!お姉さま!」
「メタルちゃん、覚悟して!」

 全員、武器を持ち。エルシスとユリの横を勢いよくすり抜け、メタルスライムに襲いかかった――!

 エルシスとユリとファーリスは、四人の勢いにポカーンとしている。

「エルシス、ユリ!お前らもとにかくこいつに攻撃だ!」

 そう言いながらカミュが素早く短剣で切りつけると、メタルスライムから鈍い音がする。

「カミュちゃん、やるじゃない!」

 続いてシルビアが剣を流れるように払い、再びメタルスライムから鈍い音が響く。
 メタルスライムは反撃し、シルビアに素早い体当たりをした。

「いやんっ」

 可愛い悲鳴が聞こえた。

「えい!」ベロニカが杖を振るが、メタルスライムはすらりとすり抜け、「はいっ」セーニャもスティックを振るって当てたが、ダメージを与えられない。

「なんだかよく分からないけど…!」

 ユリも剣で攻撃を仕掛けるが「っあれ!?」スカッと音が聞こえそうなほどに剣はメタルスライムをすり抜けた。

「はっ――!」

 次のエルシスの攻撃はメタルスライムに当たったが、彼は鈍い手応えを感じる。

「っ!全然ダメージが……!」
「それで良いんだ!」

 カミュの素早い攻撃もメタルスライムは今度は避けた。「チッ」

「メタルちゃん!?お坊っちゃんの方へ逃げたわ!」

 シルビアの言葉に、全員の視線がファーリスに向く。

「えっえ!?」

 ちょうどファーリスは剣を握っている。

 この際レベル1の王子でもいい。
 ここまで攻撃を与えたメタルスライムを逃がしてなるものか――四人の心がひとつになった。

「お坊っちゃん、攻撃よ!」
「王子!そいつを逃がすな!」
「とにかくスライムの動きを止めて!」
「王子さま、頑張ってください!」

 四人は熱い声援をファーリスに送る。

「なんだか分からないけど、僕たちも…」「うんっ」

 エルシスとユリは空気を読んで、二人もファーリスを応援する。

「ファーリス王子!相手はスライムだ!君ならできる!」
「頑張って!ファーリス王子!」

 皆の……ユリの声援まで受けて、ファーリスは生まれて初めて、魔物に向けて剣を構えた。

「よ、よし!ボクだって、スライムぐらい……!来い!!」

 と言っても、ヤツはただのスライムではないが。
 ファーリスは勇敢に立ち向かった。

「はあああ……!」

 ファーリスは気合い十分に、メタルスライムに剣を振り下ろす。
 メタルスライムはそれをすらりと躱すと。
 ファーリスの剣に乗っかるという余裕っぷりを見せつけてから、彼に体当たりをぶちかました。

「ぐはぁ!!」

 ファーリスのおでこに痛恨の一撃。
 瀕死の彼は後ろに倒れた。

「お坊っちゃん!」「ファーリス王子!」
「くそっやっぱだめか!」
「何あのメタルスライム、性格悪っ!」
「ああ、逃げてしまいますわ……!」

 五人がそれぞれ言葉を口にするなか、密かに弓を構えていたユリの、狙いすました矢がメタルスライムに当たる。

 蓄積されたダメージ1に、メタルスライムはついに倒れた。

「きゃー!ユリちゃん素敵よ〜!!」
「おい、おっさん!どさくさに紛れて抱きつくんじゃねえ!…でかしたぜ、ユリ!」
「さっすが、アタシの一番弟子ね!」
「お見事ですわ、ユリさま!これでまた一つ、私たちは強くなりましたね!」

 四人に褒められ、照れくさそうな笑みを浮かべるユリ。

「王子、大丈夫か!?ありゃ目回してる…。おでこのたんこぶ、ホイミで治ると良いけど」

 五人に忘れ去れたファーリスを、エルシスだけが彼を気遣い、額にホイミをかけてあげていた。

 その後、エルシスとユリはメタルスライムとはどんな魔物か四人から説明を受け、二人は目を輝かせる。

 滅多に出会えないか、出会えてもすぐ逃げてしまうレアな魔物、メタルスライム。
 素早さ、防御、身のかわしが最強クラスだが、体力がほとんどなく、倒せば経験値がたくさん貰える魔物として有名だという。

 知っている四人が目の色を変えた理由がエルシスにもすぐに分かった。

「すごい!一体倒しただけなのに、強くなった気がする!」

 驚きつつもエルシスは喜ぶ。明日は強敵と戦うので、少しでも力をつけたい。

「ファーリス王子も少し強くなったんじゃないか?」

 続いて、気を利かせたようにファーリスに言うと……

「だめだ……ボクは明日、死ぬかもしれない……」

 砂の上で膝を抱え座り込む彼は、すっかり落ち込んでしまっていた。
 あー…と皆は困ったように彼を見た。

「お坊ちゃん、アナタを守るためにもアタシたちは今ここにいるのよ。ヘコたれないで頑張りましょ」
「そうだよ、ファーリス王子。僕たちと一緒に頑張ろう」
「ちょっとくらい痛い目見たからって落ち込まないの!」
「元気を出してください、王子さま」
「オレたちはお前を見捨てることだけはしねえから、安心しろ」

 五人の言葉に「皆さん……」とファーリスは顔をあげる。

「さっきはファーリス王子が身体を張ってメタルスライムを止めてくれたから、私は矢を当てることができたんだよ。ありがとう」

 ユリがそう言い、ファーリスに手を差し伸べた。

「ユリさん……」

 ファーリスはその手を掴み、立ち上がる。
 そして、驚いた。
 白く小さな手は女性らしいのに、その掌にはマメができている。

 彼女の手は、兵士と同じように剣を握り、戦う人の手だ――。

「ボクは……少しは役に立てたということだろうか」
「うん、勇気ある行動だったよ。ファーリス王子は変わっていけるよ」

 変わっていける。

 その言葉に、今すぐには応えられないかも知れない。

 それでも、いつかは――。

(このままのボクではダメだと、ボクだって分かっているんだ)

 ファーリスの心に小さな石が投じられ、その波紋はゆっくりと広がっていく。


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