バクラバ砂丘・後編

「あら、おはよう。エルシスちゃん。昨夜はよく眠れたかしら?今日はいよいよ、サソリちゃんとの決戦ね!」

 エルシスの今朝はシルビアの挨拶から始まった。
 身体を起こすと、料理支度をしているカミュと、その手伝いをしているであろうユリと双子の姿が見える。

「みんな、おはよう」とエルシスはそれぞれと挨拶を交わした。

「今朝はカミュちゃんが朝食を作ってくれてるのね」
「カミュはうちの料理長なんだ。カミュの作る料理はすごくおいしんだよ」
「ふふ、それは楽しみだわ」

 エルシスがそうシルビアと和やかに話していると、美味しそうなにおいが近づく。

「誰が料理長だ。朝食できたぞ」

 呆れ顔のカミュは、ほらと湯気が立つその皿をエルシスに差し出す。

「ありがとう、カミュ」

 エルシスがそれを受け取ると、カミュはもう片方の皿を「こっちはおっさんの分だ」とシルビアに渡した。

「おっさんって呼ばれ方が気になるケド。朝食がおいしそうだから許してあげるわ」

 具だくさんのミネストローネと、ユリと双子が作ったサンドイッチが今朝の朝食だ。

「そりゃどーも。…あんたらの分も作ったから、昨日のお礼に食ってくれよ」

 カミュが兵士たちの方を向いてそう言えば、彼らも嬉しそうな顔と共に喜んだ。

「ユリさんの手料理……!」
「手料理ってほどじゃないけど……」

 ファーリスの言葉にユリは苦笑いを浮かべる。具をパンに挟んだだけである。

「あ、でも、カミュの料理はすっごくおいしいよ!」

 ユリから差し出されたスープを、ファーリスは「あ、ありがとう…」と受け取った。

「お〜スープもサンドイッチもめちゃくちゃおいしいですよー」

 ユルい側近の言葉を筆頭に、次々兵士たちからも「うまい!」と声が上がる。

「うんっ、ユリさん、本当においしいよ!それに……、スープもとても」
 最後は、少し照れ臭そうに言うファーリスに。
「良かったね、カミュ」

 ユリが隣のカミュに言うと、彼も少し照れ臭そうだ。
 その光景を微笑ましく見守る兵士やエルシスたち。

 やはり温かくておいしい料理を食べると、幸せな気分になる――ユリはそう思いながら、和やかな雰囲気の中、食事を楽しんだ。

 これから砂漠の殺し屋といわれるデスコピオンの捕獲を考えると、不安が横切るが…今だけは忘れていたい。


 朝食を終え、彼らの出発の準備が整う。
 ここから先は一本道らしく、移動の馬はこの場に置いて、歩いて行くことになった。
 そして、ここから先はいつデスコピオンが現れてもおかしくない。

 ファーリスたちを後ろに、六人は慎重に前を歩く。
 岩のトンネルを抜け、ワイバーンドッグが何頭か寝てる場所を静かに通り抜けて、奥に進む。

 ウィングスネークに出会した時は、エルシス、ユリ、カミュの三人は驚いた。
 これが本来の大きさだと言う。

 どうしたの?と不思議がるシルビアに、砂漠で超巨大ウィングスネークに会ったことを話したら「あーそれはここの主のウィングスネークがデスコピオンから逃げて来たんですよー」と、話を聞いていたユルい側近が説明してくれた。

 デスコピオンは魔物たちにも影響を及ぼすらしい。
 そのせいか、さらに奥に進むにつれ、魔物たちの気配がなくなる。

「あの先が、サソリちゃんの巣ね」

 奥を見据えて言うシルビア。
 一行の緊張感が一気に高まった。

「この辺りにいるはずなんですが……いないんですかねえ?」

 ユルい側近が首を傾げながら言う。
 ここが砂丘の最奥部であり、奥は崖で、その先に広がっているのは真っ青な海だ。

 兵士たちもきょろきょろと探すが、デスコピオンの姿はおろか、自然物以外何も見当たらない。

「隠れているのかな……」
「でも、隠れる場所なんて……」

 ユリに続いてエルシスが言った。

「なんだ、どこにもいないじゃないか。仕方ない。砂漠の殺し屋はボクを怖れて逃げたと、父上に報告するとしよう」

 ほっと胸を撫で下ろした後に、そう言ってファーリスは引き返そうとした時だった。

「うわあぁぁ!?」

 悲鳴がその場に響く。

 ファーリスの行く手を阻むかのように目の前の砂が迫り上がる。
 彼は驚きに尻餅をついた。
 
「ひえぇぇ!出たぁぁぁ!王子、砂漠の殺し屋……デスコピオンです!!」

 ユルい側近が剣を抜きながら叫んだ。

「あれが、デスコピオンか!」
「砂の中に隠れていたんだな…!」

 カミュも背中の片手剣を抜き、エルシスも続く。
 他の四人もそれぞれ武器を手にした。

 デスコピオンは六人に背を向けるように現れた。その巨大な背中には、顔のような黒い紋様がある。

「さあ!サソリちゃんのおでましよ!騎士の国の王子さまらしいところを見せてあげて!」

 シルビアがファーリスにかけた言葉に、カミュは「無理だろ…」と小さく呟く。
 シルビアが何をファーリスに期待しているかは知らないが、彼はすっかり腰を抜かして怯えている。

「もう、しょうがないわね!兵士ちゃんたち!お坊ちゃんを頼むわ!さあ!エルシスちゃんたち行くわよ!」
「ああ!」

 エルシスはシルビアのかけ声に答えてから、叫ぶ。

「デスコピオン!!僕たちが相手だっ!」

 魔物はゆっくりと振り返り、彼らを見据えた。
「こ…怖いカオしてるのね……」
 ひきつりながら呟くユリ。

 デスコピオンはいかにもな凶悪な顔をしていた。

 黒い眼球に金色の瞳孔。
 口は小さいが、そこから生えるのは鋭い牙。
 左右に二本ずつある巨大なハサミは威嚇するように高く構えており、その下にはさらに一本ずつ大きなカマが。
 計、六本の凶器をデスコピオンは持っているということになる。

 硬そうな身体に、足は四本。
 そこからゆらゆらと揺れる長い尻尾。
 どこを取っても油断ならない。

「気を付けて!サソリちゃんのいったーい一撃には注意しましょ!」

 シルビアの言葉に痛いで済めば良いけど…と、エルシスは思う。
 明らかに一撃を食らったら致命傷になりそうだ。(まずは……)

「ユリ!全員におうえんしてくれ!」
「え、でも…」

 あれは30%と低い確率でしかならない――そう伝えようとする前にエルシスが続けて言う。

「確率が低くても5人いる。一人でも多くゾーン状態にして守備を固めたい!」
「…分かった。――いくよ!」

 一呼吸置いて。ユリは自分を奮い立たせるように笑顔になってから、おうえんする。

「5人中3人!上出来!」
「ありがとうございます、ユリさま!ゾーン状態で私の回復魔力が上がりますが、皆さま、くれぐれもお気をつけください」
「素敵な特技ね!ありがと、ユリちゃん!」

 ゾーンになったのは、エルシス、セーニャ、シルビアの三人だ。

「なんでシルビアがなって仲間のオレがならないんだ?」
「そーよそーよ!ずるいわ!」

 カミュとベロニカが文句を言う。
 ちょうどうるさい二人が残ってしまったらしい。
 ユリは聞こえなかったフリをした。

「ふふ、ゾーン状態のアタシにそんな攻撃は効かないわよ」

 シルビアは不敵に笑い、デスコピオンの腕の攻撃をさらりと躱すと。
 そのまま懐に滑り込み、流れる剣さばきでデスコピオンの腹を切り込んだ。

「ふぅん?全身、硬いのかしら?困ったわね」

 柔そうな部分を狙ったが。
 そう彼は不満をこぼしながら、長い尾が飛んでくるのをひょいっと跳んで避ける。
 一回転して着地すれば、まるで曲芸を見ているようだ。

(すごい……カミュとはまた違った身軽さだ)
 エルシスはシルビアの動きに感心しながら、反対側からがら空きのデスコピオンの脇に攻撃した。やはり硬い。

「ベロニカさまにまかせなさい!ほーらほら、ルカニ!」

 気づいたベロニカが呪文を唱えると、デスコピオンの守備力が下がる。
 そこにカミュの剣での一撃が入り、手応えを感じたようだ。

「スカラ!」
「セーニャ、ありがとう!」

 ユリがデスコピオンに向かって走るなか、セーニャのスカラで守りが上がるのを感じた。

 魔物の注意を引くように、シルビアの剣が遊戯のように舞う。

 反対からエルシスとカミュが攻撃を仕掛け、二人に加わるようにユリは「ヒャド切り――!」と剣を振り下ろした。

(っ、あまり効いてない…!)
 砂漠の魔物は氷属性がよく効くが、デスコピオンには耐性があるらしい。

「だったら、かえん切りで……」
「っ!エルシス危ねえ!!」

 エルシスが技を繰り出す前に、カミュが叫んだ。

 勢いよく振り下ろされようとしたそれを、エルシスは剣でなんとか受け止める。(っ腕が、びりびりする……!なんて力だ!)

 力強い一撃だった。まともに食らったらひとたまりもない。
 デスコピオンの四本あるうちの一本のハサミと、エルシスの剣が押し合う。

 エルシスは何とか足に力を入れて踏み込むが、ずるずると押されて、砂に彼の足の線ができていく。

(っしまった!!)

 横からさらに襲いかかるは左右のカマ。
 避けられない――彼が攻撃を受けることを覚悟した時、二本の剣がエルシスを守った。

「カミュ、シルビア……!」

 二人は左右のカマを、それぞれ剣で防ぐ。

「ユリ!行くわよ!」
「はい!」

 ベロニカとユリのれんけい技《師弟魔法》で、イオが目眩ましのようにデスコピオンの顔面に二回炸裂した。
 甲殻の身体には魔法が効きにくいようだが、デスコピオンを怯ませ、腕の力を緩めることに成功する。

「いくぞ、エルシス!」「いくわよ、エルシスちゃん!」

 二人が同時に彼の名を呼び、エルシスは腕に力を込める。「はあああ!!」

 三人の攻撃が同時に魔物に打ち込まれた。

「グ……ガ…!」

 さらにエルシスの攻撃は会心の一撃となり、大ダメージにデスコピオンは後退る。

「やりましたわ!」

 順番に皆にスカラをかけていたセーニャが喜んだ。

 だが、喜んでもいられない――。
 大体ここから魔物は反撃してくると、エルシスもこれまでの経験から学んでいる。
 ただ、分かっていても避けられるかは別であった。
 後退ったのは一瞬で。デスコピオンは尾を激しく振り、エルシス、カミュ、シルビアの三人は吹っ飛ばされた。

「うわっ!」「てっ!」「きゃ!」

 巨大で硬い尾の攻撃に、セーニャのスカラがなければ致命傷を負ってたかもしれない。

 三人はそれぞれ受け身をとって、砂の上に着地した。

「セーニャちゃん、ありがとね!おかげで大したダメージにならなかったわ」
「良かったですわ。でも皆さま、安全第一です。順に回復いたします」

 セーニャはシルビアの言葉にそう応えて、今度はホイミを唱えようとする。

「っ!セーニャ逃げて!!」

 その時、気づいたユリが叫ぶ。
 デスコピオンがセーニャを目掛けて突進して来た。
 巨大な身体にしては素早い動きに、エルシスとカミュが慌てて走るが、間に合わない。
「セーニャ!」「まずい!」

「……あ……」
 ハサミを振り上げ、迫り来るデスコピオンに、セーニャは恐怖で動けないでいた。

「セーニャ――!!」ベロニカが悲痛な叫びを上げる。

「可愛い女の子を狙うなんて、悪いサソリちゃんね!!」

 セーニャに襲いかかる前に、シルビアの鞭がデスコピオンの足に巻き付いた。
 胴体に比べて細い足は簡単に引っ張られ、バランスを崩したデスコピオンは横に転倒する。

「シルビアさん!」
「やるな!あのおっさん!」

 さすが、一流の旅芸人――。エルシスの目に、鞭を自在に操るシルビアの姿が映った。

「……セーニャ!アンタ本当どんくさいんだから!心配かけんじゃないわよ…っ」

 その隙に、セーニャの手を掴み、走るベロニカ。少しで魔物との距離を取る。
 そんな彼女の声は涙声だった。

「ごめんなさい、お姉さま……」

 同じような声で答えながら、セーニャは小さい姉の手をぎゅっと握り返す。

「カミュ、あいつが起き上がる前に攻撃しよう!」
「ああ!もがいている今がチャンスだ」

 倒れているデスコピオンの無防備な背中に向かって、それぞれ剣を振り上げるエルシスとカミュ。

 直後、背中の紋様が妖しく光った。
 二人の動きがピタリと止まる。

「「………???」」

 その光によって、エルシスとカミュの頭は混乱した。

「っまずいわ!」

 今まで余裕の態度だったシルビアに、初めて見えた焦り。
 急いで二人の元に駆け寄る。
 シルビアの特技があれば、混乱状態から回復できるからだ。

 だが、その前に起き上がったデスコピオンがジャンプし、シルビアの前に両腕を振り落とした。大きく砂が舞う。

「………っ」

 とっさに彼は後ろに飛び引いて事なき得たが、デスコピオンはすぐ側の混乱した二人は無視し、シルビアに襲いかかってきたのだ。

 砂漠の殺し屋という名前は伊達ではない――。何十人もの人を死に追いやり、サマディー王国の歴戦の兵士たちをも亡き者にし、ついた名だ。

 その経験が、デスコピオンを狡猾に成長させていた。

「……アタシの前に、立ち塞がろうって言うの?」

 シルビアの口から出たのは彼らしからぬ低い声だった。
 剣先をすっとデスコピオンに向け、同じような鋭い目で睨む。

 答えるように、デスコピオンは今度はカマを高く上げた――。


 デスコピオンの背中の紋様によって、混乱したカミュは、今まさにエルシスに剣を振り下ろしていた。

 エルシスはその剣を受け止め、押し返すが。彼も混乱しているため、今度は自分から攻撃を仕掛ける。

 二人はお互いを敵と認識し、戦っていた。
 カキンッと何度も刃が交える音が響く。
 
「あいつら何やってんのよ!」

 ベロニカが苦々しく言った。
 向こうではシルビアがひとりでデスコピオンを相手にしているため、ベロニカは攻撃魔法で援護をしなければならない。

「エルシスさまとカミュさまが混乱状態になってしまうなんて……。ユリさま!今はお二人を回復をしましょう。痛み分けになっています!」
「うんっ…!」

 セーニャはエルシス、ユリはカミュに、それぞれホイミを唱える。
 混乱状態は時間の経過か、攻撃を受けるとまれに解ける場合があるが……

「ちょっとユリ!?」
「お二人は混乱してます!今はユリさまでも危険ですわ!」

 いてもたってもいられない。

 ユリはベロニカとセーニャの制止の声も聞こえず、二人の元へ走る。

(エルシス!カミュ…!)

 大切な二人が、お互いに傷つけ合う姿は何より耐え難いものだった。

 自分に何が出来るか分からないが、とにかく二人を止めなければ――。
 
 激しさを増す攻防が続くなか、カミュの剣をエルシスがわずかな力の差で弾きかえし、彼に切りかかった。

「ぐっ!」カミュの腕から血が飛び出る。
 今度はカミュがエルシスの鳩尾に強烈な回し蹴りを入れた。
「がはっ!」後ろによろけながら、エルシスが呻く。

「――エルシス!カミュ!」

 ユリは走りながら二人の名を叫ぶ。
 二人はユリの声にも見向きもせず、傷だらけになっても、お互いに攻撃を止めない。

 未だ解けぬ混乱。それほどまでにデスコピオンの混乱の威力が高かったのかもしれない。(私の声は届かないっ……!なら、二人にみち打ちして……!)

「ユリさーん!!ありましたよ〜!」

 その時、彼女を呼ぶ緩い声が響いた。
 ユルい側近が何かを手に持って走ってくる。

「天使の鈴!これを使ってくださーい!」
 それは城から持ってきた道具の中から見つけたもの。
「いっきまっすよー!」

 そのかけ声と共に、彼は天使の鈴をユリに投げる。

「ありがとう!!ユルい側近さん!本当にありがとうっ!」

 それをユリはしっかりとキャッチし、何度も彼に感謝した。

 ――これで二人の混乱が解ける!

「ユルい側近?」

 彼はユリの言葉に首を傾げたが、すぐに理解してフッと笑う。
 そして、彼は隠れているファーリスの元へと戻って行った。


- 44 -
*前次#