眠っているデスコピオンを荷台を先頭に、元来た道を彼らは歩いていく。
「シルビアさま……どこかへと行かれてしまったのですね。短い間でしたが、頼りがいのある方でしたわ」
「お礼とか、挨拶とかしたかったのにな」
残念そうにセーニャとユリが言った。
「そもそも、王さまはなんでわざわざ砂漠の殺し屋を捕獲させたんだろう?」
「王子の手柄をみんなに見せつけるつもりとかじゃねえか?あの親バカの王さまが考えそうなことだ」
エルシスの疑問に、鼻で笑って答えるのはカミュだ。まったく面倒くせえ話だ、あの場で仕留めちまえば……とぶつぶつ文句を垂れる彼に、エルシスは苦笑いを浮かべた。
「あたしはさっきカミュから聞いた、シルビアさんと王子のやり取りが心に引っかかってるのよね。王子は今の自分に満足していない……とか」
うーんと考えながら言うのはベロニカ。
「それは、なんとなく僕も分かる気がするよ。ファーリス王子は自分を変えたいと思っているんじゃないかな。でも、現状できなくて自分でも苦しいんでいるんだと思う……」
エルシスは王族控え室での出来事を思い出す。
あの時のファーリスの叫びは、怒りだけでなく、別の感情も込められているように見えたからだ。(そういえば、シルビアさんはずっと王子を気にかけているよな……)
「お前も大概、王子サマに前向きな解釈をするよな」
カミュは呆れを通り越して感心しているようだ。
「うーん、なんかほっとけなくてさ。同い年だし」
それに――。
エルシスは自分の今までの生き方に満足しているが。
もし、自分が王子として生きていたら……と、ファーリスを通して違う生き方をしている自分をこっそり想像していた。(もうちょっと自分はしっかりしていると思いたいけど)
「ファーリス王子はきっと変われると思うんだけどな……」
「どうだか」
「あたしもそれは難しいとは思うわね」
ユリの言葉にカミュとベロニカが続く。でも……と、再びユリは口を開いた。
「昨日、メタルスライムに立ち向かった勇気はあるよ」
「メタルといえ、たかがスライムだろ?」
「スライムでも逃げ出しそうな王子が、剣を握って立ち向かったんだよ?」
ユリは純粋かつ真面目に言ったのだが、辛辣なのか優しいのか微妙なところだった。
どちらにせよ、裏表がないからこそさらりと言った言葉に「確かに…」と、カミュは納得した。
キャンプ地に着くと、一行は休まず馬に跨がり、サマディー王国へと戻る。
西の関所に着くと、兵士たちが驚きと喜びで出迎えてくれた。
伝令が早馬でサマディー国に向かうので、町に着いたら早々に歓迎されるだろうとユルい兵士は言う。
まあ、自分たちには関係ない話だと、カミュが小さく呟いた。
「見よ!我が国の王子ファーリスが、あの砂漠の殺し屋を捕らえてきたぞ!」
誇らしげなサマディー王の言葉に、その場に沸き起こる拍手喝采。
予想通りに城門前にはたくさんの人が集まっており、皆、ファーリスの帰りを今か今かと待っていたようだ。
ファーリスは王の前に跪き、にこやかに手を振る――。
その様子を、後ろの方で五人は眺めていた。
「勇敢な王子がいる限り、サマディー王国の未来は安泰だ!さあ、ファーリスよ!民に言葉を!」
王の言葉に立ち上がり、デスコピオンの前で手を広げ演説を始めるファーリス。
「皆さんの声援をチカラに変えることで、この通り。砂漠の殺し屋を倒し、捕らえることができました。今後もこの国の王子として、より精進をかさね……」
「ちょっとあれ!!」
ベロニカが指を差して、叫ぶのと同時だった。
鎖がパキンと音を立て、次々と破片が飛んでいく。
未だ力が残っていたのか、鎖を引きちぎって、暴れ出すデスコピオン。
「っチ!しぶとい野郎だぜ!だからあの時、仕留めときゃ良かったんだ」
カミュが短剣を掴み、すぐさま臨戦体勢に入る。
「こんな町中で……!」
エルシスも背中から、今度は大剣を引き抜いた。
「大丈夫?危ないから離れていてね」
ユリは転んだ女の子に手を貸し、
「皆さん離れてくださいませ!」
「こっちに逃げて!」
セーニャとベロニカの二人も逃げ惑う人々を誘導する。
デスコピオンは六本の腕を振り回して、危険な状態だ。カミュはエルシスに視線を投げかける。
「エルシス!被害が出る前に一気に……」
「みんな、慌てるな!オレたちには王子さまがついてる!王子さまがきっと魔物を倒してくれるはず!」
「お……おお!たしかに!ファーリス王子がいれば安心だ!」
次に発した彼の言葉は、次々と飛び出す声援によってかき消された。
「す、すごい……王子コールが」
戸惑いながらエルシスは周囲を見渡す。
王子!!王子!!王子!!――そう一斉に皆、王子の名を叫んでいるのだ。
「おいおい、これじゃあ」
「手が出しにくいな……」
あまりの周囲の熱意と盛り上がりに。
武器を構え、デスコピオンを警戒しつつも、カミュとエルシスは攻撃に移せないでいた。
――自分の名前を呼ぶ声が町中に響く。
ファーリスもまた、違った意味で動けずにいた。
身体が震え、足も産まれたての子鹿のようにガクガクしている。(……違う。ボクじゃ、ボクには)
「どうした、ファーリスよ。お前ほどの実力があれば、問題なかろう。民の期待に応えるのだ」
後退りするファーリスに、サマディー王は不思議そうな顔をする。
ファーリスは剣を抜き、足を進めるも。
威嚇するデスコピオンを前に、首を振って意を決して、口を開いた。
「父上……。ボクにはムリです……」
自分に落胆しながら、吐き出した言葉。
は?と唖然とする王に、ファーリスは目を伏せる。止まない大歓声のなか、
「騎士たる者!」
彼に、一つの芯の通った声が届いた。
「……信念を決して曲げず、国に忠節を尽くす」
身に付いている騎士の格言は、ファーリスの口から自然と出た。
「……えっ?」
遅れて気づき、声の在りかを彼は探す。
確か、上の方から――目を凝らすと、サーカステントの一番上。
そこには、シルビアが立っていた。
「騎士たる者!」
シルビアは再びファーリスに向かって問いかける。
「どんな逆境にあっても正々堂々と立ち向かう!」
ファーリスはシルビアに向かって、今度ははっきりした声で答えた。
「そう!アナタは騎士の国の王子!卑怯者で終わりたくなければ戦いなさい!」
シルビアのその言葉を噛みしめながら、ファーリスはデスコピオンを見据える。
「ボクは……」
(卑怯者で、終わりたくない。ボクは変わりたい。変われると言ってくれた人がいる。こんなボクを信じてくれる人たちがいる。その人たちのためにも、ボクは変わらなきゃならないんだ――!)
だって、ボクは。
「騎士の国の王子……!」
ファーリスはデスコピオンに剣を向けると。
足を踏み出し、その剣を振り下ろした――!
デスコピオンの腕の一振りで、剣を弾き返されて後ろによろけるが、彼は負けずとすかさずデスコピオンに立ち向かう。
震えはない。怯えもない。
ファーリスは民衆の声援のなか、剣を振り、凶悪な魔物と戦う。
「ファーリス王子……」
その光景に、エルシスは驚き目を見開き、すぐに口許に笑みを浮かべる。
「負けるな、王子ーー!!」
そして口許に片手を添え、彼もファーリスに声援を送った。
「王子、すごい……!!」
ユリも嬉しそうに、ファーリスの勇姿を見る。
「ああっ!」
その直後、セーニャが小さく悲鳴を上げた。
鋭い音と共に、折れた剣が宙を舞う。
ファーリスの剣は、デスコピオンの鋭い攻撃に耐えられなかったようだ。
折れた剣を見て驚くファーリスだったが、それでも彼は諦めなかった。
逃げるのは、もうやめだ。
「――ファーリス!僕の剣を使え!!」
エルシスは自身の片手剣を彼に投げ、ファーリスはそれを慌てて受け取る。
「ありがとう!エルシスさん!」
鞘から剣を引き抜き、ファーリスは再びデスコピオンに立ち向かった。
横からのカマの攻撃も、頭上からのハサミの攻撃も。
ファーリスは夢中で振っていそうに見えて、しっかりと剣で受け止める。
それは端から見れば、防戦一方かも知れない。
だが、デスコピオンと戦ったエルシスは、それすら難しいと知っている。
レベル5の王子は強いや――エルシスはふふっとおかしそうに笑った。
「お前なぁ、笑ってる場合じゃないだろ?あのままじゃ王子もいずれやばいぞ」
「あ、そっか」
カミュの言葉にあっけらかんと答えるエルシス。言ってるそばからファーリスの剣が大きく弾かれた。
「危ない!」ユリが叫ぶ。
体勢を崩したところに、デスコピオンのカマが降りかかろうとする。
それよりも速く――。
デスコピオンの背中に、弧を描くような流れる剣筋が走った。
それは一閃。
華麗にシルビアが、その場に着地。
今度こそ、デスコピオンは地面に伏せた。
歓声が驚きに止んだ。唖然とするファーリスのおでこを、シルビアは指でちょんと小突く。
「やればできるじゃな〜い。かっこよかったわよ」
「あ…あなたは……」
反対に歩き始めるシルビア。振り返ると、ファーリス言い聞かせるように口を開く。
「いい?騎士の国の王子さまなんだから、いかなる時も騎士道を忘れちゃダメよ」
その後ろ姿に、今度はサマディー王が引き留める。
「ま……待ってくれ!騎士道に深い理解があるようだが、そなたはいったい何者なのだ!?」
シルビアは再び振り返り、
「ただのしがない旅芸人よん」
一言そう言い、軽い二指の敬礼をしてそのまま行ってしまった。
再び沸き起こったファーリスとシルビアの名前が交じる大歓声。
その興奮に紛れるように、シルビアの姿は忽然と消えたという――。
「……父上、母上。というわけで、レースを走ったのも、魔物を捕らえたのもエルシスさんたちだったのです」
場所は玉座の間に移し。
ファーリスは王に頭を下げ、告白した。その様子を見守るように、五人は後ろで控えている。
「顔を上げよ、ファーリス。わしたちはこれまで等身大のお前を見ずに、見合わぬ重圧を与えていたようだな」
サマディー王は自身の過ちを認め、真摯に口を開く。
「謝らなければいけないのは、わしらの方やもしれん。これからは妻とともに、考え改めるとしよう」
隣の王妃もゆっくりと頷いてみせた。
「だが、先ほどの戦いで見せた勇気はなかなかのものだったぞ。防戦一方とはいえ、騎士の国の王子として、ふさわしい戦いだった。あの勇気があれば、いつかはお前の目標であるデルカダールの猛将、グレイグ殿の隊にも入れるであろうな」
わっはっはっは!と陽気に笑う王に。
グレイグと聞いて、エルシス、ユリ、カミュの三人は、顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
グレイグが目標とは、色んな意味で感想が言いにくい。
「ところで父上。ひとつ、お願いがあります。ここにいるエルシスさんたちは、虹色の枝を求めて旅をしているのです」
ファーリスがその話を切り出すと、いよいよと、五人は期待に胸を膨らませる。
「お世話になったエルシスさんたちに、国宝である虹色の枝を差し上げてもよろしいでしょうか?」
虹色の枝と聞いて、何故か顔を曇らせるサマディー王。
「虹色の枝か……。うーむ。そいつはムリだな。行商人に売りはらってしまったからのう」
えええーーー!!
口に出さずに心の中で五人は叫んだ。
「虹色の枝を売りはらったですって!!あれは国宝ですよ!?どうして、売ってしまったんですか!?」
ファーリスもが彼らの代弁をするように王に聞くと、
「バカもん!!なぜ今年のファーリス杯があそこまで、豪華にできたと思っている!!すべてお前のためにやったんだぞ!!」
逆に怒られてしまった。
「そ…そんなぁ……」
床に手をつき、ファーリスは項垂れる。
「すまないことをしたな、旅の者よ。虹色の枝を売った行商人だが、ここより西のダーハルーネに向かうと言っておったぞ」
王の言葉に「ダーハルーネ」と、町の名前を記憶するようにエルシスは口の中で転がした。
「虹色の枝はもうちょっとおあずけだね……」
「たかが枝だと思っていたが、ずいぶん手がかかる枝だな……」
「こんなに手にするのが困難だということは、虹色の枝はやはり大樹の枝なのですわ、お姉さま」
「そうね……そう信じないとやっていけないわ」
それぞれ口にするなか「すまない!!」と再びファーリスは彼らに土下座をする。
「虹色の枝のことは、本当に知らなかったんだ!!この通りだ!!許してくれ!!」
エルシスはくすりと困ったように笑って、ファーリスに手を差し伸べた。
「顔を上げてくれ、ファーリス王子。僕たち、友達じゃないか」
友達……?
ファーリスは驚いて、エルシスを見上げる。
笑顔で深く頷くエルシスに、彼はその手を強く掴み、立ち上がる。
「……ありがとう、エルシスさん。本当にキミには――、キミたちには、感謝してもしきれない」
ファーリスの目には、涙がうっすらと。
「キミたちは、ボクの誇らしい友人だ」
生まれた熱い友情に、王妃や周りの兵士たちからすすり泣くような声が響いた。
エルシスはファーリスの初めての友達になった。
「……ユリさん」
次にファーリスは、意を決したように彼女の方を見て、声をかける。ユリは不思議そうに、次のファーリスの言葉を待った。
「お友達から始めさせてください!!」
そう勢いよく、頭を下げ、手を伸ばす姿は一世一代の告白である。
カミュは横を向いて、見なかったことにしてくれているらしい。ユリはその手を両手で取った。
「もう友達から始まってるよ」
その言葉に感激するファーリスに「友達以上はねえからな」とカミュが水を差した。
知らぬ顔はできなかったらしい。
それでもファーリスは、それだけで今は十分だった。
「分かってるよ。カミュさん」
彼女を自らの命をかけて守ったのは彼なのだから。
今の自分には到底出来ないことだ。
でもいつか、彼のような騎士になりたいと思う。
大事な人を守れる騎士に――。
ファーリスの目標に、新しくもうひとりの男が加わった。