サマディー城にて

「すごい、レース場がよく見えるね!」

 ユリ、ベロニカ、セーニャの三人は着替えも終わり、バルコニーへとやって来ていた。

 ここは王と王妃の特別観覧席があり、オアシスに浮かぶレース場が一望できる場所だ。
 ちょうど最後のウマレースが開催される時刻だと、兵士が教えてくれた。
 会場は観客で賑わっている。

「上から見ますと、ここは広大なオアシスの中にあるお城ってよく分かりますわね」
「景色は良いし、風は気持ち良いし。ちょうどウマレースも始まる頃ね。せっかくだから見て行きましょう!」

 ベロニカの言葉に二人は頷く。
 馬と騎手が入場してくると、三人は同時に「あぁ!」と声を上げた。

「エルシスに、カミュ……!?」

 ユリがバルコニーの手すりから身を乗り出す。
 サラサラ髪の青年と、青髪の青年がそれぞれ馬に乗って、スタート地点に並ぶところだ。

 見間違うはずがない、エルシスとカミュだ。

「まぁ!エルシスさまだけでなく、カミュさまもウマレースに参加されるのですね」
「あいつら、町に行くって言ってたけど、本当に元気ね……」
「エルシスはオレンジに乗ってるね。カミュは黒い馬に乗ってて似合ってる!」

 楽しそうに身を乗り出して見るユリに、ベロニカは「落っこちないでよ」と注意をした。

「スタートしましたわ!…………お二人とも、ほぼ同じスピードで走ってますわね」
「エルシスの実力は分かっているけど、カミュはどうなのかしら?」
「カミュも上手だよ!」

 ユリはレースを眺めながら。
 二人にグレイグに追われて、馬に乗って逃げた時のことを話した。

「……ふぅん。確かに今のところ、二人とも良い勝負をしてるわね」

 ベロニカも眼下のレース場を眺めながら言う。エルシスとカミュは二人で競うように走っている。

「ねえ、エルシスとカミュ。どっちが勝つと思う?」
「エルシス」「エルシスさま」

 ユリとセーニャは同時に言った。

「みんな一緒じゃ、賭けにならないわね……」

 ベロニカもエルシスだったらしい。
 ファーリス杯でのあの走りっぷりを見せられたら仕方がない。
 エルシスの実力は確かだ。

「じゃあ、私はカミュが勝つに賭ける。ほら、今先頭だし」

 ユリの言葉に、ベロニカはふふんと面白そうに笑う。

「じゃあ、負けた方が罰ゲームね」
「えっ!?……や、やっぱり、私も……」
「だ・め・よ。ほら、ちゃんと応援してあげなさい」

 ベロニカの厳しい言葉に、うぅとユリはつまらせながらも「カミューー!!頑張れーー!!」と精一杯、彼を応援した。

 そして――。

 結果はエルシスが優勝で、カミュが二位というものだった。

 残念ながら賭けに負けてしまったが、二人の熱戦のレースを見られてユリは満足である。
 ちなみに罰ゲームの内容は、後でベロニカに考えとくと言われ、お手柔らかにお願いしますと彼女は言った。


「――エルシス、カミュ!お城のバルコニーから二人のウマレースを見てたよー!」

 二人が城に戻って来ると、ユリは笑顔で出迎えた。

「エルシスさまもカミュさまも、どちらも素晴らしい走りでしたわ!」
「ええ、なかなか良いレースだったわよ」

 その隣でセーニャとベロニカが続く。

「みんな、見てたんだ。また出場者に二人欠員が出たからって頼まれてさ……」
「オレは出るつもりはなかったんだがな」
「でも、二人ともすごかったね!オレンジも頑張ってたし」

 そろそろ会食の時間だと、話ながら彼らは食堂に向かう。

「あ、そうだ。ユリ」

 途中、エルシスはユリを呼び止めると、カミュに視線を流してから。

「これ、僕たちから」

 先程見つけて購入した馬の髪飾りをユリに手渡した。

「失くした馬の髪飾りにそっくり……!嬉しい…!ありがとう、二人とも」

 エルシスとカミュをそれぞれ見て、満面な笑みを浮かべ心から喜ぶユリ。
 エルシスもカミュも、その笑みにつられるように自然と頬を綻ばせた。


「やあ、待ってたよ!さ、席に座って。皆さんのためにたくさん料理を用意したんだ」

 食堂に着くと、すでにそこにはファーリスの姿があった。

 五人はそれぞれ席に座る。

 そこにサマディー王と王妃が揃えば、進められるまま彼らはご馳走を堪能した。

 ファーリスの小さい頃や、ウマレースの歴史など、話に花を咲かせ。

 エルシスたちの旅の目的を聞かれた時は、本当の目的は隠して話した。

「ユリさん、食事はどうだったかな?」
「とってもおいしかった!服もありがとう、ファーリス王子」
 喜んでいるユリに、ファーリスは嬉しそうに頷く。
「城には大浴場もあるんだ。ぜひ、好きに入ってくれ」

 大浴場……!と続いてユリは目を輝やかせる。砂漠の真ん中で、広いお風呂に入れるなんて。

「素敵ですわ!さっそく行きましょう。ユリさま、お姉さま」

 うきうきなセーニャの後ろに続き、三人は一旦着替えを用意しに部屋に戻ることにした。

「あっ……私、後から入るから二人は先に行ってて」

 突然のユリの言葉に、きょとんとするベロニカとセーニャ。

「もしかして……ユリさま。治らなかった傷があり、痛むのでは……?」

 心配そうな顔をするセーニャに、ベロニカもそうなの?と同じように顔をしかめる。

「違うの!あの時の傷は二人のおかげで完治したんだけど……」

 心配かけまいとユリが気遣ったつもりが、逆に二人に余計な懸念を生んでしまったらしい。

「えっと……」

 女同士、これから着替えで目にすることもあるかも知れない。
 ユリは自身の背中に大きな傷が残っていることを、二人に話した。

「見苦しいからあんまり人に見せるのもと思って……」

 ユリのその言葉に、ベロニカは「もう!」と怒った。

「あたしたちがそんな風に思うわけないじゃない!それにアンタは女の子だから、気にするのは当たり前なの!」
「師匠……」

 言い聞かせるように言うベロニカの言葉に、セーニャが真摯な口調で口を開く。

「あの、ユリさま。良ければその傷を見せて頂けませんか?もしかしたら、私に何かできるかも知れません」

 セーニャの真剣な言葉に、ユリは頷く。

 回復魔法や治療に詳しいセーニャだ。
 ユリは服を肌けさせるようにして、背中を露にした。

 左の肩甲骨から縦に真ん中辺りまで走る大きな傷。

 セーニャは痛々しく顔を歪めて、そっと触れて観察する。
「ラムダの祈りでも、さすがに治らなかったのね……」
 ベロニカが悲しそうに呟いた。

「これは……闇の力で負った傷ですわ」
「闇の、力……?」

 初めて知った真実に、ユリは驚く。

「はい。闇の力は術者の力が強いほど、受けると傷が深く根付くことがあるのです。――まるで、呪いのように。ユリさま、痛むことなどありませんか?」
「たまに、かな。痛みが出たらきよめの水をかけると良いってお医者さまが…」
「きよめの水は、傷を清めるのによく使う処方ですね。ユリさまの場合、傷痕の闇の力が少し浄化されるので、痛みを抑える効果もあるはず」

 ありがとうございますと言って、セーニャはユリに服を着せた。

「今度、きよめの水にいくつか薬草を調合したものをお渡ししますわ。傷痕を完全に癒すことはできませんが……」
「ううん、ありがとう。セーニャ」

 残念そうに言うセーニャに、ユリは十分だとお礼を言う。その横で、ベロニカはうーんと考え込んでいた。

「闇の力で受けた傷なんて、ちょっと気になる話よね……」

 その言葉にユリも頭を捻る。

「自分のことが分かれば分かるほど、分からなくなっちゃった……」

 はあとため息をついた。
 闇の力と言われても、分かることも何も思い出すこともない。

「私、ユリさまについて考えていて、一つ気づいたことがあります」
「なになに、セーニャ」

 ベロニカが聞くと、ビーストモードの時の話とセーニャは口を開く。

「あの時、エルシスさまとユリさまがカミュさまにお渡したという力。エルシスさまは勇者のお力ですが、ユリさまのお力は聖なる力です」
「聖なる力……」

 ユリはその言葉を繰り返す。

「画家の方は私とユリさまのどちらかの力とおっしゃってましたし、間違いありませんわ」

 セーニャは双賢の片割れで、ベロニカとは反対の、聖なる魔力を持つ癒しの魔法使いだ。

「なるほどね……」
 セーニャの見解に、ベロニカが続ける。
「だとすると、ユリは聖職者の可能性が高いかも知れないわ。僧侶とか、シスターとか……それもかなりの実力を持つ」
「え……?そうなの……?」
「ええ、最初に会った時にも言ったけど、アンタにはちょっと不思議な強い魔力を感じたのよね」

 もちろん、あたしよりは魔力の強さも量も劣るけどね――そう最後に付け加えるのは彼女らしかった。

「………だめだ。ますます分かんなくなってきた」

 頭を抱えるユリに「ユリさま、慌てずゆっくり記憶を探せば大丈夫です」と優しくセーニャが言う。

「そうよ。焦ったてどうにもならないでしょう?さぁ、気分を変えて、大浴場に行くわよ!」


 ――一方。


「ボクたちは友達になった……。ならば、裸の付き合いをしようではないか!!」

 突然、部屋に突撃したファーリスによって。
 二人はうんともすんとも返事をする前に、大浴場に連行されていた。

「背中、洗いっこしない?」
「しねえよ」
「ファーリス、楽しいそうだな」

 ひとり楽しげなファーリス。
 三人で湯に浸かると、はぁ〜とエルシスは息を吐いた。

「こんな大きなお風呂に毎日入れるなんてすごいな」

 広い浴室を眺める。ここにも馬の装飾があり、何故か浴槽のお湯は馬の口からどぼどぼと出ており、エルシスは興味津々に見ていた。

「浴室は城の兵士たちも利用するから広い作りなんだ。おっと、今はボクらが貸切りだからゆっくり浸かってくれよ」

 兵士も利用できるなら、さぞ毎日の疲れも癒されるだろう。現に、早朝のサソリ捕獲からウマレースまでのエルシスとカミュの疲れを、湯は癒していく。

「……しかし、カミュさんは小柄なのに、意外に筋肉がついているんだね」

 ふむふむとカミュの体を観察するファーリス。以前にもエルシスに言われたことがある言葉。

「お前はエルシスと背格好は同じなのに、身体つきが全然違うな」

 むっとしたカミュは仕返しとばかりに、ファーリスとエルシスの身体つきを見比べながら、鼻で笑って言い返した。

 こうして見ると、エルシスも初めて会った時よりずいぶん鍛えられたものだ。

「ボクはこれから鍛えるのさ!」

 何故かファーリスは自信満々に言った。

 エルシスが二人のやりとりに笑っていると、壁の向こうから人の気配が――……

「広くて、素敵な浴室…!」
「お姉さま、見てください!馬の口からお湯が流れていますわ!」
「あたしたちの貸し切りね!」

 ユリとセーニャとベロニカの声が隣から聞こえて来て、何となく三人はぴたりと身を潜めてしまう。

「ユリさんが、裸で……壁一枚向こうに……」

 ファーリスがごくりと喉を鳴らしながら小声で言うのを「想像するんじゃねえよ」とカミュが同じく小声で言いながら肘で突いた。

「ご馳走もおいしかったし、大きいお風呂にも入れて幸せ……」

 浴槽の縁にもたれて湯船につかるユリ。隣でセーニャも目を閉じ、うっとりと浸かっている。

「あら、ユリなら王子と結婚すれば、毎日堪能できるわよ?」

 からかうように言うベロニカに、ユリが「王子と結婚?」と首を傾げた。
 ファーリスはドキドキしながらその続きを待った。
 彼女がその気なら、明日にでも式は上げられる……!

「結婚なんてあるわけないよ」
 ファーリスは撃沈した。
「ファーリス王子はきっと素敵な人と結婚するんだろうね」

 続けざまに言われた言葉に、褒められているのだろうが、意中の人に言われるにはキツい。
 ぶくぶくと彼はお湯に沈んで行く。

「ファーリス!?」

 エルシスが慌てて救出した。

「今、エルシスさまの声が……」
「あら、エルシスたちも入ってたのね」

 壁の向こうから聞こえたセーニャとベロニカの言葉にバレてしまったようだ。
 …隠れていたわけではないが。

「あはは、そうなんだ」
 誤魔化すように笑いながらエルシスは壁の向こうに答えた。
「ファーリス王子もいるみたいだし、カミュもいるの?」

 ユリの尋ねる声に「おう」とカミュが答えれば「三人、仲良しだねえ」とのほほんとした声が返って来た。

「……上がるか」
「そうだな……ファーリスもショックを受けているし」

 なんとなく壁一枚で気まずさもあり、二人は傷心のファーリスを連れて浴室を出て行く。


「――初めて友達とお風呂に入って楽しかったよ。キミたちは明日に立ってしまうのは寂しいが……おやすみ。また明日」

 そう最後にファーリスは二人に夜の挨拶をし、私室へと戻った。
 扉の横でユルい側近が立ちながら居眠りをしているのを横目に、二人も宛がわれた部屋に戻る。

 廊下の吹き抜けから見上げれば、そこには輝く満天の星たち。

 この美しい砂漠の星空も、今夜で見納めだ――。


「エルシスたちも隣でお風呂に入ってたなんて……ファーリス王子はちょっと気の毒だったわね」

 ベッドに潜り込みながらベロニカは言った。ユリは「どうして?」とシーツにくるまりながら聞く。

「……もしかして。アンタ、気づいてないの?」
「えっと……何を?」
「ファーリス王子は、ユリさまに淡い想いを寄せていらっしゃるとお見受けしますわ」

 代わりに答えたセーニャの言葉にユリは「え!?」と驚いて目を見開く。
 うとうとしていた眠気が吹っ飛んだ。

「鈍そうだとは思ってたけど……。あんな分かりやすかったのに、本当に気づいてなかったとはね…」
「……なんか、ガンガン来るなぁとは思ってたけど」

 ユリはファーリスの行動を思い出しながら言った。言葉通りに彼女は思っていたが、まさかその中に恋愛的な好意が含まれていたとは思いもよらなかった。

「まあ、あんたが王子に眼中がないのは分かってたけど、想いを寄せていたことにも気づかれないなんて、ちょっとだけ王子に同情するわね……」
「ええ、ちょっぴりだけですけど」

 セーニャもベロニカに続いてベッドの中からクスクスと笑う。ユリは「二人とも面白がっているでしょう……」と不満げに二人を見た。

「ごめんなさい、ユリさま。なんだか恋バナみたいで楽しくて」
「恋バナねぇ……セーニャはそういう話が昔から好きよね」

 セーニャは小さい頃から変わらない。

 おとぎ話の世界に憧れ、好みのタイプは恋愛小説のヒーローのような人と、彼女は夢見る乙女である。

「ユリさまはどうですか?」
 セーニャに聞かれ、ユリは軽く笑ってから。
「物語で読むのは楽しいけど……自分自身には無縁かな」

 過去の記憶がない、自分が誰かも分からない状態で、人を好きになるのはユリには気が引けた。
 まずは記憶を取り戻すのが先決である。
 今の自分だって、本来の自分とはかけ離れている可能性だってある。(記憶が戻ったら、何か変わっちゃうのかな……)

「私はこうしてみんなと旅をしているだけで、十分楽しいから」

 こんな自分を受け入れてくれて、一緒に旅ができるだけで、ユリにとっては十分なのだ。
 何か言いたげにベロニカはゴニョゴニョ言ったが、彼女は「明日も早いし、もう寝よう?」と話を切り上げる。

 ですが、ユリさま。恋は落ちるものですわ――。

 最後にそう伝えたセーニャの言葉が、頭に強く残りながら……ユリは目を閉じた。


- 48 -
*前次#