セーニャに連れられ、逃げるなか。
ユリは必死に涙が溢れそうなのを堪えていた。
泣いたってどうにもならない。分かっている。
胸が張り裂けそうに痛く、後悔の念ばかりが頭をぐるぐると支配しようとも。
今は彼を背を向け、走り続けて逃げ切らなければならない。
それが、彼が望んだことだから。
「セーニャ!」
「お姉さまっ!」
曲がり角で、計画通り、セーニャはベロニカとシルビアと合流する。
「……………」
辛そうな二人の姿に、何か声をかけようとしてベロニカはやめた。
シルビアが「こっちよ」と、兵士がいない方に四人を誘導する。
「ここまで来ればもう大丈夫よ。みんな、ケガがないみたいで良かったわ」
五人は兵士たちをまくように逃げ、南西にあるドック近くに身を隠した。
夜になり――辺りはすっかり暗闇に覆われたことも、五人の逃亡を助けた要因だった。
「でも……カミュさまが捕まってしまいました。今頃いったいどんな目に……。エルシスさま、ユリさま……あの時、無理やりお連れして申し話ありません」
あの時はカミュの意思を汲んで決意したが、辛そうな二人の顔を見て、本当にその決断が最善だったのかセーニャには分からない。
「そんな…セーニャは悪くないよ……」
それは絶対に違うと――ゆるゆるとユリは首を横に振った。
「そうだ、セーニャは悪くない。…あの時、僕が立ち止まらなかったら…っ」
エルシスは悔しそうに歯を食い縛り、片手で顔を覆う。
あの時はそうするしかなかった?
ホメロスは悪魔の子である、自分が目的だった。
それを、カミュが身代わりになった。
勇者である、自分を守るため……仕方がなかったのだ。
そんな言葉でどうして納得できよう。
「もうっエルシスちゃんまで自分を責めないの!大丈夫よ、ユリちゃんもセーニャちゃんも。あのカミュちゃんがそうカンタンにどうにかなるわけないじゃない」
「そうよ!あいつ一年も牢屋に入っていたのにケロリとしてるじゃない。しぶといに決まってるわ」
シルビアの言葉にベロニカも続く。
「やだ、カミュちゃんったら一年も牢屋に入ってたの?生粋の盗賊だったのね」
いつもと変わらぬ二人の会話に、自分たちを励まそうとしてくれてると、エルシスにもユリにもよく分かった。
「……それにしてもワケわかんないわね。悪魔の子のエルシスちゃんが、邪神の神ちゃんを倒すってどういうこと?」
シルビアの疑問にベロニカが「あとで話すって言ってまだ話してなかったわね…」と呟く。
「……エルシスさまは、デルカダール王国から災いを呼ぶ悪魔の子という汚名を着せられて、追われながら旅をしているのです」
ユリさまはその共犯者として。
カミュさまは脱獄を手引きした者として。
共に追われ、三人で旅されていたところを私とお姉さまは出逢いました――自身の口からは説明しづらそうなエルシスに代わり、セーニャが説明した。
ありがとうと言うようにエルシスは彼女に目配せしてから、今度は自身の口からシルビアに話す。
「ごめん、シルビア……。ちゃんと話す前に君を巻き込んでしまって……」
申し訳なさそうに謝るエルシスに、シルビアはからりと笑う。
「や〜ねぇ、そんなこと気にしてないわ。はじめっからエルシスちゃんは悪い子じゃないって分かっていたもの」
もちろんユリちゃんもカミュちゃんもね――シルビアはウインクをする。
「シルビアさん……」
ユリは弱々しくも笑みを浮かべ「ありがとう、シルビア」エルシスも同様に微笑んだ。
「そんなことより、今度はこっちから動くわよ」
その頼もしさを感じるシルビアの言葉に、エルシスとユリは顔を見合わせる。
「ユリ、カミュを助けよう」
「うん…!今度は私たちが」
力強く二人は頷いた。
酷い拷問は受けてないだろうか。
どうか、無事でいて――ぎゅっと手を握り締めて、ユリはカミュの無事を祈る。
「町の中は兵士ちゃんたちでいっぱいね……」
影から様子を伺うシルビア。
「どうにかムダな戦闘を避けて、カミュちゃんの様子を探りたいわね」
エルシスとユリもシルビアと同じように覗いた。
暗闇に松明の灯りがあちらこちらに見え、兵士が注意深く徘徊しているのが分かる。
ここに手が回るのも時間の問題だろう。
「――美人なお嬢さんたち、お困りかい?」
そんな、場違いとも言える声が頭上から落ちてきた。
彼らは同時に顔を上げ、「あっ」とユリは声を上げる。
「こんな所で会うなんて奇遇ですな。美人なお嬢さん、元気だった?」
「あなたは……!」
橋の上から手をひらひらさせる若い男にユリは驚く。
「なに、ユリの知り合いなの?」
不思議そうにユリの顔を見るベロニカに「えっと……」と彼女は説明する。
彼はデスカコルタ地方のキャンプ地で会った若い商人である。
こんな状況でなければ、再会を喜んだが。
「っよ――と」
若い商人は橋から飛び降りて、彼らの前に着地した。
彼の目はエルシスを見つめる。
「あんちゃんがあの時、倒れてたひとかー。起きてる時は初めて会うな。おれ、あの時の商人。よろしく!」
そうノリ良く彼はエルシスに握手を求めた。「あ…よろしく」とエルシスが握ると、ぶんぶんと握り返される。
「えぇと、あの時はお世話になったみたいで……。あっ魚介鍋、おいしかったよ」
エルシスがお礼を言うと、彼は「いやいや、おれたちはなんもしてないよ?」と、若い商人はからからと笑った。
「それにしても……騎士のあんちゃんはやっぱり騎士みたいだったな」
騎士のあんちゃん……?
誰のことかとエルシスが首を傾げるが、続けて話す若い商人の言葉にそれがカミュのことだと分かった。
「身を盾にして守ってただろ?ちなみに騎士のあんちゃんなら、ステージの柱に貼り付けにされてたよ」
「本当に!?」
エルシスは驚いて声を上げる。
「あれは人質としてあんちゃんたちを誘き寄せるつもりだな」
「でも、カミュの身の安全が保証されたわけじゃないし、早く助けに行かないと…」
若い商人の見解に、ユリがエルシスに訴えるように言う。
エルシスも「そうだな」と深く頷いた。
「まあまあ、落ち着いて。今は兵士たちじゃなくて、町の住人もぴりぴりしてる。彼らの視線も掻い潜って、ステージまで行かなきゃならないぜ」
住人に見つかったら速攻兵士を呼ばれるだろうな――その言葉に二人は黙る。
まるで、町全体に監視されているようだ。
ふと、カラカラと車輪が回る音が近づいてくるのに彼らは気づき、身構える。
若い商人は「安心して。おれの仲間」と彼らに言った。
その言葉通り姿を見せたのは、荷台を引き連れた二人の商人。
「ってことで。その間、おれたちが匿ってあげるよ!」
そう言って、若い商人は荷台にかけた布を取り去る。
「さあ、お姉さんたちはこれに乗った乗った!」
「俺たちは商人だからな。荷台に隠れれば周囲の目を欺ける」
三人の商人の言葉に五人は驚いた。
「……どうして、私たちを……」
助けてくれるの?という全員が思った疑問をユリは口にする。
デルカダール王国に、罪人として追われていることを彼らも知っているはずだ。
若い商人たちはふっと笑った。
「そりゃあ美人なお嬢さんが困っていたら、手を差しのばすだろ?」
冗談ぽく笑って言いながら、彼は続ける。
「デスカコルタのキャンプ地で三人の関係を聞いた時、騎士のあんちゃんはデルカダールの孤児院で育った仲だって言ってたけど。あれ、ウソだっておれたち気づいてたんだよ」
その告白にユリは驚く。
そんな素振り、彼らは一切見せなかった。
「タネはなんてことないよ。実はおれたちがそのデルカダール孤児院の出身だからね」
そう言って、若い商人は「孤児院から成り上がったデルカダールの若手商会って知らないかい?あれ、おれたちなんだ」と言う。
「聞いたことあるわ!」
シルビアがすかさず口を開いた。
「まだ若いのに急成長したやり手の商会だってね。やだ、アナタたちのことだったの?すごいじゃな〜い」
褒めるシルビアに、それぞれ照れ臭そうに笑う三人。
「まあ成功の秘訣として、おれたち人を見る目はあるからさ。あの時、すでにサラサラ髪のあんちゃんが悪魔の子って呼ばれてて、美人なお嬢さんが共犯者、騎士のあんちゃんが手引きした盗賊だって事も気づいてたのさ」
「え……じゃあなおさら……」
エルシスが驚いて彼らに聞き返すと。
「だから、おれたち人の目を見るのは確かだって言ったろ?なんでそんなことになったかは知らないけどさ、あんちゃんたちが悪い人じゃないってことはすぐに分かったよ。美人なお嬢さんはサラサラ髪のあんちゃんを甲斐甲斐しく世話して、騎士のあんちゃんはそれこそ二人を守る番犬みたいだったし。残虐非道の噂と違い過ぎて、あの時は笑いを堪えるのに必死だったよ」
若い商人たちはその時のことを思い出しているのか、顔を見合わせながら笑った。
「そうだったんだ……」
自分が倒れていた時のことを、第三者から聞くのは不思議な気分だ。
「おしゃべりはここまでだな。早く乗り込んだ方が良い。ここもいつ兵士たちが来るか分からねえからな」
もう一人の商人の言葉に「ありがとう。本当に恩にきる」とエルシスは三人に礼を言い、五人は荷台に乗り込む。
「お礼ならぜひうちの店をご贔屓してくれ!」
若い商人はにっと笑った。五人を隠すように上から再び布を被せると、荷台は動く。
デルカダール出身の商人の彼らは、兵士たちにも認知されているため、怪しまれることなく町を行く。
「ステージ近くで降ろしてあげるよ。裏手から奇襲を仕掛けると良いと思うぜ」
そう若い商人が彼らに告げた、その時――
「姿を現したまえ。悪魔の子、エルシスよ!町のどこかに潜んでいることなど私には分かっている!早く出てこなければ、この者の命。私がもらい受けるぞ!」
ホメロスの挑発するような叫び声が辺りに響く。
ユリが息を呑んだのをエルシスには分かった。自分も同じ気持ちだ。
「あの軍人ちゃんってば、気が短いわねえ」
わざと明るい口調で話すシルビア。
「あんな挑発をするってことは、今はまだカミュちゃんの身は大丈夫ってことよ」
続いて励ますように、主にエルシスとユリに言った。
あくまでもホメロスの狙いは自分だ――エルシスは静かに口を開く。
「僕がホメロスを引き付けるから……シルビア、ベロニカ、セーニャは周りにいる兵士たちを頼む」
続いて「ユリはその隙にカミュを助け出してくれ」と、エルシスはユリにカミュを託した。
彼女は機転が利くので安心して任せられるというのもあるが。
ホメロスは闇の魔法を使うので、身の安全を考えたためでもある。
「うんっ。……でも、エルシス」
一人であのホメロスと戦うのは危険ではないか――心配そうにユリは彼の名を呼ぶ。
「大丈夫だ」
そう短く、だが有無を言わせないように力強く答えたエルシスに、誰も追求はできなかった。
「あんちゃんたち。もうすぐ着くよ――」
若い商人は初めて聞いたような、堅い声で彼らに告げた。
「──……ふん。ちょうど貴様が牢屋に入ったのは一年前か。そのまま大人しく入ったままでいれば良かったものの」
吐き捨てる口調と共に、ホメロスはゴミを見るような目でカミュを見下ろす。
「………………」
やつの態度に腹は立つが、カミュは俯いたまま反論はしなかった。
こんなギザでゲス野郎を気にするより、もっと気掛かりなことが彼にはある。
(……あんな顔をさせたかったわけじゃねえのにな……)
こちらを振り返ったユリの、泣き出す寸前のような表情が目に焼き付いた。
だからと言って、あの時はああするしか選択肢はなかったとカミュは思う。
ユリだけじゃなく、エルシスを守るためにも――。
「ずいぶんと余裕じゃないか」
ホメロスに前髪を掴まれ、カミュは無理やり顔を上げさせられる。
彼の海のように青い瞳が、不機嫌に細められた。
「一年前にレッドオーブを盗み、拷問にかけられた際は口を割らなかったそうだな。どれだけ堅いものか、試してみたいものだ」
くくと笑うホメロスに、カミュは薄い笑みを浮かべる。
「……お手柔らかに頼むぜ、軍師さま。しかし、オレをこうして生かしてくれるとはずいぶんお優しいこった」
カミュの憎まれ口に、ホメロスの鋭い目がさらに細められ、髪を掴む手に力が込められた。「っ…」カミュの顔が歪む。
「貴様を生かしているわけではない。貴様は言わばドブネズミたちを誘い出す汚いエサだ。やつらがかかったら仲良くこの手で始末してやるから安心して待っていろ」
そう言ってホメロスは乱暴にカミュの髪を放した。
「……なにがおかしい?」
背後からくつくつと笑う声が聞こえ、ホメロスは眉を寄せて振り返る。
「いや?デルカダールを代表する軍師さまが、悪魔の子と呼ばれるような男がオレのことを助けに来るって、本気で信じてんだなって思ってな」
「……ッ!」
カミュの発言に、痛いところを突かれたように言葉を詰まらせるホメロス。
「案外、オレを裏切ってすでに逃げちまったかも知れねえぜ?」
にっと口角を上げるカミュ。それに、今度は余裕の笑みを浮かべるホメロス。
「ふんっまさにドブネズミらしい戯れ言だな。やつらが貴様のことを気にしていたのを私が気づいていないとでも思ったか?町の全ての出入口には警備兵がいる。伝令がないということは、まだやつらはこの町の中だ」
来なければ来ないで貴様を殺すまで――人を殺めることなど何とも思ってないような瞳をして、ホメロスは言った。
カミュが思っていた通り、ホメロスはプライドが高く、自分に自信がある軍人気質だ。
武器を奪われ。この縛られ方じゃ、隠し刃も使えず縄から抜け出せない。
だが、カミュも転んでもタダじゃ起きない質だ。
というか、ただ助けを待つだけの囚われのお姫さまなんぞごめんだった。(ユリが人質に捕まるよりはずっとマシだが)
今、自分にできることは。
少しでもホメロスを揺さぶりをかけ、隙を作ることだ。(あいつらが助けに来る?嫌ってほどこっちはそれが分かってんだよ)
「そうかい。ならいつまで助けに来るのを待つんだ?その時がオレの最後だろ?教えてくれよ。すっかり夜になっちまったんだが」
最後はバカにするように言えば、ホメロスから拳が飛んでくる。
右の頬を殴られた。
カミュの唇の端が切れ、血が垂れる。
「貴様は自分の立場を改めた方が良い。どんな処刑方が良いか考えておこう」
そう言ってホメロスは彼に背を向け離れて行くと。
「まだ見つからないのか、役立たずどもめ!こんなザコの見張りなど少数で構わん!貴様らはエルシスを探してこい!」
そう兵士に指示を出すホメロスは、平然とした素振りだったが、カミュの揺さぶりが効いたようだ。
焦りからステージの警備を捜索に回す――その手薄になったステージを、彼らは見逃さなかった。
「エルシスちゃん、チャンスよ!今のうちにあの軍人ちゃんを倒して、カミュちゃんを助けましょ」
ステージの裏手から様子を伺っていたシルビアが言う。
「まったく!カミュったら、ホメロスを挑発するなんてこっちがハラハラしたじゃない」
呆れたようにベロニカは腰に手を当てた。
そして、彼女はセーニャに送るような優しげな微笑みでユリを見る。
「ね、言った通りでしょ。あいつはしぶといって」
それにユリは嬉しそうに大きく頷く。(殴られてたのは心配だけど……。カミュは生きている……!)
「カミュさま救出に、私も頑張りますわ!」
スティックを握り、気合いを入れるセーニャ。
エルシスも同様に大剣の柄をぎゅっと握り絞める。
カミュを助けるためにも、絶対に負けられない。
「行くぞ、みんな――!!」
エルシスはホメロスの背に向かって走り出した。