救出作戦・後編

 エルシスはその白金の後ろ姿に、剣を振り落とす。

 カキン――!

 彼の剣は瞬時に二本の細い剣に受け止められた。
 さすがはデルカダールの双頭の鷲の一人。
 エルシスの奇襲攻撃をホメロスは寸前で防いだ。

「貴様らいつの間に……!」

 その表情は驚愕に目を見開く。
 だが、すぐにキッと憎き悪魔の子を睨み付けた。

「ホメロスさま!……うわぁ!」

 ホメロスに加勢しようとした兵士の足に鞭が絡み付き、壮大に彼らは転げる。

「アナタたちの相手はアタシたちよ!」

 シルビアは鞭をまとめながら、警備に残った数人の兵士たちに告げた。そして腰から剣を引き抜く。

「最初に丸焦げになりたいのはどこのどいつからかしら?」

 ベロニカは片手に持った杖を地面にトンッと突き、もう片方の手からは炎を生み出した。

「切り裂かれたい人も言ってください!」

 セーニャはスティックを向け、珍しく好戦的に兵士たちに言う。
 
「チョロチョロと目障りなネズミ共め!お前たちはその雑魚をやっつけろ!」

 戸惑っていた兵士たちだったが、ホメロスの命令に素早く臨戦態勢を取る。

「ザコですって……?その言葉。この最強の魔法使い、ベロニカさまに言ったことを後悔させてあげるわ!」

 ベロニカは怒りを露にすると、ゾーンに入った。

「エルシス!!お前は私の手で直々に仕留めてやろう!」
「ホメロスっ!僕はお前を許さない……!!」

 大剣と双剣が再びカキンッと音を立て、二人は押し合う。

「……あいつら、派手に戦いやがって」

 その様子を困ったような笑みを浮かべて、カミュは眺めていた。
 エルシスはホメロスと一騎討ちし、今は互角に渡り合っている。
 シルビアたちは残った兵士たちと戦っているが、ベロニカの魔法が暴走し、すぐに決着が着くだろう。

 そして――

「カミュ……!」
 裏手からこっそりとユリが現れ、カミュに駆け寄る。
「ユリ……」

 最後に見た時と変わらず、泣き出しそうな顔。
 ユリはカミュの腫れた頬に手を当て、ホイミと呪文を唱える。
 頬を中心に、カミュの身体は癒えていく。

「他には?怪我はない……?」

 心配そうに見つめるユリに「いや、今ので回復したから大丈夫だ」とカミュは答える。

「今、縄をほどくね」

 そう言ってユリは腰から剣を引き抜く。
 そのまま剣をしなやかに一振りすれば、カミュを拘束していた縄がはらりと切れた。
 解放されたカミュは肩に手をやり、首を回してから、ユリに向き合う。

「ありがとな。……助けに来てくれて」

 その言葉に彼女は首を横ゆっくりと横に振る。
「最初に助けてくれたのはカミュだよ」
 ユリは柔らかく微笑んで答えた。

「カミュちゃーん!」

 シルビアがカミュに手を振る。
 その横に笑顔で立つベロニカとセーニャ。
 三人はその場にいた兵士たちを倒したようだ。
 ユリとカミュは顔を見合わせ頷き、三人の元へ向かう。


「悪魔の子もろとも私ひとりでカタをつけてくれるわ!」
 兵士たちにを倒されたところで動揺するホメロスではなかった。
「くっ!」

 むしろ意気込み、素早い双剣の二回攻撃に、エルシスは大きく後ろに押し流される。

「エルシスちゃん!」シルビアがエルシスの身体を受け止め。
「ホイミ!」すかさずセーニャがエルシスに回復呪文を唱えた。

「虫けらが何匹集まろうと無駄だ!」

 今度は呪文を唱えようとするホメロスに、

「っ!ユリ!れんけいよ!」

 素早く察知したベロニカが、ユリに声をかける。彼女は力強く頷いた。
 二人のれんけい技《師弟魔法》だ。

「マジックバリア!!」ベロニカが呪文を唱え、ユリが同じように「マジックバリア!」と唱える。

「朽ちよ――ドルマ!」

 ホメロスが呪文を唱え終わる前に。
 二重の魔法の壁が、闇の魔法からエルシスを守る。

「ありがとう、二人とも!」

 強いダメージにはならず、エルシスは足を踏み込み、今度はこちらから攻撃を仕掛ける。

「渾身切り……!」

 頭上から重い一撃を打ち込むが、カキンと高い音と共に弾き返される。(ソードガード……!)

「なんだその軟弱な攻撃は!?……あいつの剣に比べたら……」

 あいつの剣……?

 苦々しく言うホメロスに、エルシスははっともう一人の双頭の鷲を思い出す。
 グレイグ――確かあの男も大剣を使用していた。

「無力としれ!!」

 素早い二双の攻撃を、エルシスは的確に受け止めた。「…なっ!?」

「僕の相棒に比べたら、そんな攻撃、遅いな……!!」

 そう今度は不敵に笑い、エルシスはぶんまわしの攻撃をする。その勢いにホメロスは受け身を取ったが、後ろに押し流された。

「相棒、だと……?」体勢を低くし、不愉快そうな表情を浮かべるホメロス。

 相棒――何故かその言葉が引っ掛かった。ホメロスの胸を締め付け、むかむかとした気持ちにさせる。(なんだと言うのだ……?)

 ホメロスは苛立ちに片手を顔半分を覆う。(私、は――…)

「エルシス、れんけいを頼む!」

 そうカミュの声が耳に届き、ホメロスの意識と視線が彼に移る。
 いつの間にか解放されており忌々しい。
 捕まっている時も減らず口を叩いていた男だ。

「貴様が、相棒ということか……」

 そうホメロスは暗い瞳でカミュを睨んだ。


「れんけいって《シャドウアタック》?でも、カミュ。武器が……」
「だからだよ。ホメロスの野郎に取られちまったんだ。盗り返さないとだろ?」

 少年のように笑うカミュ。エルシスはああ、そういうことかと気づき、彼も似た笑顔を向ける。

「了解。そうだな……ユリ、君の剣を貸してくれないか?」

 手元にない片手剣に、手っ取り早く彼女に借りることにした。

「もちろん」

 ユリはエルシスに自身の剣を渡す。
 今の会話から二人が何をするかユリはピンと来た。
 ありがとうとエルシスは大剣を背中に戻し、ユリの剣を握る。確かに普通の剣より細身で軽い。

「――カミュ。君が無事で本当に良かった。……僕たちを助けてくれてありがとう」

 前を見据えたまま、唐突にエルシスは言った。
 カミュも同様に前を見たまま答える。

「……はっ、オレがそう簡単にくたばるかよ」

 行くぜ――カミュの合図に、二人は同時にホメロスに向かって駆け出した。

「このドブネズミ共が……!」

 れんけい技だろうと返り討ちにしてやろう――二刀流で二人の攻撃を身構えるホメロス。
 ソードガードを発動する。

「!?消えた……!?」

 向かってくる二人のうち、カミュの姿がふっとホメロスの視界から消える。

 それに気を取られていると。

 エルシスが剣を一振りし、ぶわぁとその剣は炎をまとった。(片手剣に切り替えて、かえん切りか!)

「あの盗賊の男は囮……!」

 気がついた時にはエルシスは滑るようにホメロスの目前に迫り、剣を横に払う。
 炎の剣がホメロスに届いた。

「ぐぁっ……!」
(――違う。この技の囮は、僕だ!)

 炎が燃え上がる瞬間、現れたカミュが宙返りをしながら地面に着地する。

「こいつは返してもらうぜ」

 にっと歯を見せ笑い、その手にはホメロスに奪われたカミュの武器があった。

 二人のれんけい技《お宝ハンター》である。

「それが狙いか……!だが、武器を取り返したところで……」

 ホメロスの剣先がカミュに向く。

「お前の相手は僕だッ!」

 その一瞬の隙を狙って、エルシスがホメロスの懐に滑り込み、素早く剣を突き刺した。

「うぐっ…!」

 デルカダールの鎧が阻むが、鋭い衝撃にホメロスは呻く。(早い……!?大剣ではなく、片手剣だからか?)

「大剣も、片手剣も、技術はお前たちに比べたら僕はまだまだだ……っ」

 エルシスはそう言いながらも、素早く、だが的確に剣を振るう。
 大剣を扱った時とは違う、早い攻撃と勢いにホメロスは防戦一方になる。

「バイシオン!」
「ピオラ!」

 シルビアとセーニャが、エルシスに呪文を唱えた。

 エルシスの力が少し上がり、素早さが高まり、彼の剣さばきの切れが増す。(だけど、みんながこうして助けてくれるから――)

「お前みたいな男に、僕は絶対に屈しない!!」
「っぐあ!」

 エルシスはホメロスの腹に強烈な回し蹴りを入れ、体勢を崩した。

「あら、カミュちゃんみたいね」

 剣だけでなく、こうした体術を駆使するのはカミュがよく使う戦法だと――四人と共に、彼の戦いを見守りながらシルビアは横目でカミュを見た。

 カミュは「あんにゃろう」と笑っている。

 普通の騎士なら使わないような野性的で我流の戦い方。
 王都で正式な剣技を習ったような軍人には、意表を突く攻撃として効果的だろう。
 現にホメロスは不意ちを突かれて、よろめいている。

(エルシスちゃんもカミュちゃんも。剣術はまだまだだと思っていたけど、センスは抜群なのよね)

 そこに、騎士の剣を覚えれば面白いことになるかも知れない――誰に言うことはない考えを、シルビアは思い浮かべていた。

 それは言ったところで、それを教えるには自分は適さないからだ。

 だが、自分の知る限り、あの男なら――きっと。(次に会うときはアタシたちは……敵、かしらね)

「はあぁぁ……!!」

 ホメロスの隙をエルシスは見逃さない。

 剣を頭上に掲げ、両手で振り落とす――渾身の会心の一撃を、エルシスはホメロスに叩き込んだ。
 苦しげな呻きと共に、ホメロスの白金の鎧に深いひびが入る。

「っ、バカな……!」

 苦痛に表情を歪めながら、ホメロスは片膝を地面についた。

「グッ……この私に膝をつかせるとは……」

 ホメロスはエルシスを睨み上げる。
 エルシスは変わらない澄んだ瞳で、ホメロスを見下ろしていた。

 あんなに彼に対して怒りが湧いたのに、今は止めを刺す気にならない。

 自分が甘いのかも知れない――だが、その選択が正しいとはエルシスには思えなかった。(例え、ここで彼の命を奪っても、イシの村のみんなは戻って来ない……)

 きっとそんな自分を、後ろで見守る仲間たちも望んでいないだろう。

 ペルラやエマ、テオも――。

「ユリ、剣を貸してくれてありがとう」

 ホメロスに背を向け、エルシスはユリに剣を返す。
 そんなエルシスの姿に、彼は屈辱的というように唇を噛み締めた。

「悪魔の子、エルシスとその一味め!よくもホメロスさまを!」

 探索をしていた兵士たちが戻って来て、エルシスは慌てて振り向く。

「……私を倒しても何も変わらぬ。貴様らはここで捕らわれる運命なのだ!」

 両側に兵士がずらりと並ぶなか。
 ホメロスはゆらりと立ち上がり、彼らに向かって強く宣言した。

 その目には執念のような炎が宿る。

 そして、次々と集まる兵士たちに圧倒され、六人は思わず後退した。

「もう!どんだけ兵士たちを連れて来てるのよ!」

 苛立ちに言うベロニカ。

「お姉さま、このままでは…後ろは海ですわ……!」

 セーニャの言葉通り、背後は海が広がっている――振り返ったシルビアは、不意に何かに気づいた。

「みんな、安心して!もう大丈夫よ!」

 そう声を上げた思ったら、アデューと言葉を残し、シルビアは後ろの柵を華麗に飛び越えてしまった。

「海に飛び込んじゃったの……?」

 驚くのはユリだけではない。唐突な行動に、他の四人も唖然としている。

「はっはっは!ここで仲間に逃げられるとはな。エルシスよ、貴様の仲間など所詮はその程度の繋がりだったということ」

 愉快そうに笑うホメロス。

「ずいぶん手間を取らされたが、今宵のショーもここでおしまいだ。ここでおとなしく私に捕まるか、海に落ちてサメのエサになるか……。今、ここで選ぶがいい!」

 勝ち誇った表情を浮かべて彼がそう言った瞬間、

「ホ……ホメロスさま!あれをご覧くださいっ!!」

 一人の兵士が指を指し、動揺した様子で叫んだ。

 雲が流れ、夜の闇に月が顔を出す。

 その淡い光に照らされ、一隻の大きな帆船が悠々と姿を現した。

「みんな、おっまたせ〜!!シルビア号のお迎えよん」

 その先端の舳先にシルビアが立ち、彼らに大きく手を振る。

「シルビア!」
「おいおい、予想以上にデカイ船じゃねえか!」

 その光景を目にし、歓喜の声を上げるエルシスとカミュ。

「アリスちゃん!あれがアタシの仲間たちよ!あの波止場スレスレに走ってちょうだいっ!」

 シルビアが後ろに向かってそう指示を出すと「がってん!」と、ピンクの覆面のアリスと呼ばれた男は舵輪を右に切った。

「さあ、みんな、飛び乗って!」

 帆船が彼らの目の前に来る。
 五人は互いに顔を見合わせ、頷き、勢いをつけて地面を踏み込む。

「っ逃がすな!」

 ホメロスは慌てて兵士に指示を出すが、遅い。
 彼らはすでに船に飛び乗り、勢い余って海に落ちてしまう兵士の姿もあった。

「あぁ……!」
「セーニャっ」

 船の船縁に飛び乗ったものの。
 セーニャが揺れに落ちそうになるのを、ユリが慌てて彼女の腕を引っ張り、身体を抱き留める。

「ありがとうございます、ユリさま」

 照れ臭そうなセーニャに、ユリはにっこりと笑い返した。

 その隣ではエルシスとカミュが、距離が足らず落ちるベロニカの腕を寸前で掴んだところだった。

 うにゃあ!――二人に勢いよく引っ張り上げられて、ベロニカからまるで猫のような声が飛び出す。

「じゃーね、ホメロスちゃん♪今宵のショーはなかなか楽しかったわ。アデュ〜」

 投げキッスと共に、色っぽい眼差しを向けてホメロスたちに言うシルビア。

 離れる帆船を前に、ホメロスは拳を悔しげに握り締めた。

「どうしましょう、ホメロスさま……このままではヤツらに逃げられてしまいます……」

 兵士の言葉に、すぐにホメロスは拳を緩ませて口を開く。

「フッ…薄汚いドブネズミ共が。このホメロスから逃げられると思うなよ…」

 その顔には打って変わって、余裕の表情が浮かんでいた――。


「……もう大丈夫みたいだな。一時はどうなることかと思ったが、おっさんのおかげで助かったぜ」

 離れるダーハルーネの波止場を眺めながら、カミュが言う。

「ウフッ。お礼はアリスちゃんに言ってあげて♪あの子はウチの船の整備士でね。船の操縦もお手のモノなのよん」

 アリスを紹介するようにシルビアが言うと、彼はへへへと照れ臭そうに笑い声を上げた。

「お礼なんてとんでもねえがす。あっしはただ……」

 そう言って、ふいにアリスの言葉が途切れた。

「……ひっ!なんでえ、ありゃあ!」

 続けて叫ぶアリスに、彼らも素早く前方に視線を移すと。

「プギシャーーーーーッ!!」

 激しく水飛沫を上げ、姿を現したのは巨大なイカの魔物。

 大きく波打ち、ぐらりと船が揺れる。

 わっ、きゃ――そんな短い悲鳴を上げながら、ユリとセーニャはお互い支え合う。

 エルシスはベロニカの身体を支え、カミュとシルビアは船の上でもバランスよく立ち、巨大なイカを見上げた。

 その大きな目と視線が合った気がして、鳥肌が立つシルビア。

「イヤーッ!何よ、この化け物イカ!いったいどこからわいて出たの!?」

 シルビアは腕を身体に寄せながらカミュの後ろに隠れる。すでに彼は武器のブーメランを手にしており、頼もしい。

 彼らの船の前に魔物が現れたのを見て、ホメロスは前髪をかき上げながら声を上げて笑う。

「クックック……私に逆らったことを海の底で後悔するんだな!さあ、クラーゴンよ!思う存分その船をいたぶり、ネズミ共を海のもくずにするがいい!」

 このクラーゴンこそ、ホメロスが直接取引をして操っていた魔物だった。

「ひいいぃっ!こっちに来るでげす!あっしはまだ死にたくねえでがすよ〜っ!」

 近づいてくるクラーゴンに、アリスが泣き叫ぶ。
 船の舳先にその足を巻き付こうとするのを、カミュがクラーゴンの顔面に向かってブーメランを投げ、阻止する。

「エルシス!」
 カミュに名前を呼ばれたエルシスは瞬時に呪文を唱えた。
「デイン!」

 聖なる雷がクラーゴンに落ちる。

「ちょ…っ、あんたたちまさかあんなのとやり合うつもり!?」
「あいつを倒さないとこのまま船を沈められるぞ!!」

 驚愕するベロニカにカミュが素早く返す。確かにそうだけど……!

「お姉さま、頑張りましょう!」

 セーニャがベロニカを励ます。
 その手にはスティックがしっかり握られていた。

「えぇい…!分かったわよっ」

 ベロニカは腹を決めると、杖を手に取り、呪文を唱える。「メラ!」

 火の玉がクラーゴンに当たり「バギ!」セーニャが唱えた小さな竜巻もクラーゴンを切り裂く。

「……!びくともしないわ……!」

 クラーゴンはけろりとして、その長い足を舳先に絡み付き、船がぐらりと横に傾く。

 船が傾き滑るなか、ユリは片膝をついてバランスを取りながら、弓を放った。

 研ぎ澄まされた集中力によって。

 会心の一撃となって、大きな的であるクラーゴンの目に直撃。

「グギャア…!」

 急所を攻撃され、クラーゴンは腕を離す。

「やったッ!」
「よくやったわユリ!!」

 エルシスとベロニカが、喜びの声を上げる。
 怯んだクラーゴン。攻撃を受けた片目を閉じながら、もう片方の目でぎょろりと船を睨んだ。

 そして、両足を上げると勢いよく波に打ち付けた――!

「きゃあーーっ!」
「うわぁ……っ!」

 その衝撃に船が激しく左右に揺れ、それぞれの悲鳴が船から沸き起こる。

 手から矢を落とすユリ。

 そのまま船から投げ落とされそうになるのを、カミュがその腕を掴んだ。
 自身はマストを支えるロープに掴まりながら、もう片方の手で彼女を引き寄せる。

「…っう!」
「エルシスちゃん!」

 船縁に背中を打ち付けたエルシスに、シルビアが心配そうに名前を叫ぶ。
 壁に身を寄せ、彼の両手はベロニカとセーニャを支えるので手一杯だ。

「大丈夫だ……!」

 エルシスは船縁に掴まりながら起き上がり、そう返事した。

「どうしよう…!私が怒らせちゃったから……」

 カミュに肩を抱き寄せられながらユリは不安げに呟く。

「いや、お前のせいじゃない。どのみちこうなっていただろう。なんせ、相手は海の魔物、だ……ッ」
「……っカミュ?」

 痛みに呻くようにもれた声に、ユリは彼を見る。「大丈夫だ……」とカミュは言うが、その表情は辛そうだ。(……まさか、闇の魔法の傷が……!)

 彼はホメロスの強い闇の魔力を真っ正面から受け止めたのだ。
 傷が深くても不思議では――ユリがそこまで考えると、ドオォンという音が鼓膜に響いた。

「なんだ、この音は……?」

 カミュが不思議そうに呟く。数隻の船の姿が、こちらに向かって集まって来るのが見えた。

「あれはダーハルーネの商船……?まさか、あの船は……!」

 ダーハルーネからその様子を眺めていたホメロスに動揺が走る。
 船は一斉に空砲を打って、海原にその音を響かせた。

「見て……あの、でっかいイカが大砲の音に怯えて逃げていくわ」

 驚きながら指差すベロニカ。

「大砲の音が苦手なのか……?」

 海に潜っていくクラーゴンに、エルシスは不思議そうに呟いた。

 おーいという声が聞こえ、彼らがそちらに振り向くと。
 一隻の立派な船が近づき、そこにはラハディオとヤヒム、ラッドの姿もある。

「良かった……ご無事なようですね。あの魔物はこの辺りの海をよく荒らすことで有名なクラーゴンなんです」

 そう説明するラハディオには、最後に見た冷たくとげとげしい雰囲気は皆無であった。

「お兄ちゃん!お姉ちゃん!僕、みんなの薬のおかげで、声が出るようになったんだよ!」

 エルシスとカミュ、ユリを見ながら元気よく言ったのはヤヒムだ。
 三人は声が出るようになったヤヒムとここで初めて会う。

「ヤヒムくんっ!」
「良かった、声が戻って!」
「そうか、薬を渡せたんだな」

 ヤヒムを見ながら、エルシスとユリ、カミュはそれぞれ嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「息子からすべて聞きました。この子の声を取り戻してくださったのは、あなたたちだったのですね」

 ラハディオは自分が追い返した三人を見て。次に、残りの三人を見渡しながら、続けて話す。

「息子が声を出さなくなってしまったのは、災いを呼ぶという勇者の呪いによるものだとすっかりカン違いしていましたが……」

 申し訳なさそうに言うラハディオ。

「息子から話を聞いて、すべて誤解だったとようやく分かりました。失礼なことをして、申し訳ありません」

 そして、彼は頭を下げる。誤解が解けて良かったというように、彼らは微笑み合った。

「僕。この間、町の外であのホメロスっていうおじさんが、魔物と一緒に話しているのを見かけてね。びっくりして、声を上げたらホメロスのおじさんに捕まって魔法でノドをつぶされちゃったんだ……」

 ヤヒムはエルシスたち三人にも、その時のことを説明する。

 呪いをかけたのはホメロスだった――。

 それだけではなく、彼は魔物とつながっているという新しい事実に、三人は驚く。

「……なあ、もしかしてデルカダール城の地下にいたドラゴンってのも……」

 カミュが思い付いた考えを口にする。

「うん……、確かにあのドラゴンは不自然だった」

 エルシスは眉を寄せ、それに頷いた。

「デルカダールは、ずっと前から魔物とつながっていたってこと……?」

 ユリは怪訝に二人の考えを口に出す。エルシスは片手を肘に添え、もう片方の手は顎に添えて思案する。

(デルカダール王国が魔物とつながっていた……。なら、国王もそれを当然知って……?)

 まだすべてが明らかになったわけではなく、それがどういうことかも分からないが……エルシスは徐々に真実が明らかになって行くように感じた。

「悪魔の子と呼ばれている勇者が、人を助け、正義で動いているはずのデルカダール王国が魔物とつながっていた……」

 ラハディオは苦々しく再び口を開く。

「それが何を意味するのかは分かりませんが、あなたたちは私の息子の恩人です。どうか無事に逃げおおせてください」

 心から彼らに感謝の気持ちを言った。

「ラハディオさん、助けてくださってありがとうございます」

 そんなラハディオに、エルシスも笑顔で礼を言う。

「――……エルシスっ!」

 海の向こうからホメロスが、自分の名前を叫んだ。
 エルシスが振り返ると同時に、彼の髪もさらりと海風になびく。

「……エルシスよ、聞こえているか!貴様だけは、いずれこの手で捕らえてみせる!せいぜいその時まで怯えて過ごすがいい!」

 ホメロスは真っ直ぐと、エルシスに指を向けている。

 負け惜しみだ、気にするな――エルシスの肩に手を置き、カミュは励ますように言った。
「そうだな……」
 エルシスはそう頷きながらも、彼も真っ直ぐとホメロスを見返していた。

「……あんたもデルカダールに逆らったせいでこれから商売がやりづらかなるだろうけど、うまく立ち回ってくれよな」

 最後にカミュがそう言うと、ラハディオは大丈夫だというように頷き。
 ヤヒムとラッドもそれに続いて力強く頷く。
 頼もしい二人に、ふっと彼らに笑みがこぼれた。

「また来てねーー!」
「じゃーなーー!」
「また、会おう!」

 ヤヒムとラッド、ラハディオがこちらに向かって手を振る。
 彼らもそれに応えるように手を振り返した。
 ラハディオたちに見送られながら、彼らを乗せた船は海原を進む。


「見てみんな、キレイな朝日よ。まるでアタシたちの船出を祝福してくれてるみたいね」

 いつの間にか夜は明け、地平線から太陽が顔を出した。
 太陽は周囲の海を朱色に染め、空と雲は紫色に染まる。
 空と海、濃淡が混じる神々しく美しい光景。

 一瞬で、彼らの目は奪われる。

「……お前の瞳の色みたいだな」

 隣のユリの横顔を何気なく見て、カミュは思わずそうこぼした。
 うっとりと眺めていたユリは「え?」と首を傾げながら、カミュの方を見る。

 その不思議な色をした瞳が自分を映し出す距離。
 光によってうっすらと光彩が変わることは、彼女の瞳を近くで見た者にしか分からない。

 ユリの瞳は、まるでこの美しいロトゼタシアの景色を切り取ったようだとカミュは思った。

 暗闇を照らし、希望を与えるような優しい朝日が、まるで彼女のようだと感じたからかも知れない。

 夜明けの清々しい空気と共に。

 朝焼けの空の下。六人を乗せたシルビア号は、緩やかに次の目的地を目指す。





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ダーハルーネを後にし、一行はバンデルフォン地方へ。
本来ムービーにラッドくんはいませんが、流れ的にいてもいいのでは?と思います。


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