シルビア号

「そういえば、アリスちゃん。虹色の枝を買った商人について何か足取りがつかめて?」

 ホメロスから逃げ果せたのは良いが、肝心の目的地がまだ決まっていないことに彼らは気づき、シルビアは舵を握るアリスに問いかける。

 シルビアのその問いに「シルビアのおっさん……。あんた一応、枝のこと気にかけていたんだな」と、カミュは少しだけ彼を見直した。

「へえ、あっしの聞いた話だと、その商人はバンデルフォン地方へ向かったそうでげすよ。デルカダールのやり手の若手商会の方たちの情報だから間違いなしでがす」

 アリスの口から出てきた人物に、カミュ以外があっと顔を見合わす。

「?どうしたんだ?」

 彼らの様子に首を傾げるカミュ。
 ユリはデスカコルタのキャンプ地で出会った若い商人たちと再会して、カミュ救出に一役買ったことを話すと「マジか……」と彼は驚いた。

 まさか、彼らがあの噂に聞く商会の者たちだったとは……。
 だが、きっかけは偶然だったにしろ、自分たちの正体があの時点で見破られていたとは少しくやしい。気づいても彼らは騙されたフリをし、自分はそれにまったく気づけなかったからだ。
 さすがは、若くして成り上がった商人というところか。

「カミュによろしくって言ってたよ。かっこよかったってさ」

 エルシスは若い商人の言付けを伝えると、カミュは頭をかきながらまいったなと呟く。
 大きな借りができてしまった。
 あのノリの良い彼らのことだから、そんな風に思ってないだろうが。

「それじゃみんな!世界の海をまたにかけて、虹色の枝を探すわよ!まずは北東のバンデルフォンへしゅっぱ〜つ!」

 シルビアが元気よくその方角に指を差した。
 虹色の枝を追うため、船はパンデルフォン地方の大陸を目指す。

 ぐうぅ〜〜……

 ちょうどタイミングよくそんな気の抜ける音が鳴って、皆の視線はユリに向く。

「わ、私じゃないよっ」

 慌てて否定するユリに、じゃあと今度はエルシスに皆の視線が集まる。

「僕でもないけど」
「……すみません……私です……」

 すると、セーニャがおずおずと手を上げ自己申告した。
 恥ずかしそうな彼女に、その場にくすりと笑みがこぼれる。

「ご飯も食べずに寝ずに動いて、みんな疲れたでしょ?まずはお腹を満たして、ゆっくり休みましょう」

 目的地に着くのはまだまだ先だ。

「まずは船内を案内するわね♪さあ、ついて来てちょうだい!」

 ご機嫌にシルビアは船内へと皆を連れて入って行く。
 食堂に談話室やシャワー室。
 それに、小さなバーまで設備されていた。
 驚いたのは……

「フォルシオンにオレンジ!!」

 馬屋があり、ちゃんと二頭の馬にシルビアの愛馬のマーガレット号も乗せられていた。

「アリスちゃんが事前に乗せてくれてたのよ」

 出来る整備士!エルシスは感動した。

 広い船内には部屋もたくさんあるらしく「みんな好きに使ってちゃうだい」と、シルビアは気前よく彼らに言った。

 ひとり一部屋が使えるらしく、部屋割りを決めていく。

 最初は個室とはしゃいでいた双子だったが、結局相部屋にするらしい。
 本当に仲が良いと微笑ましい彼女たちに、シルビアは少し大きめの部屋を勧めた。

「ここで生活できちゃいそう……」

 船内を案内され、目を丸くして驚くユリに「逆だ。長い船旅に生活できるよう造られているんだ」とカミュは笑って言う。

「まあ、バーまであったのはオレも驚いたが……ありゃあおっさんの趣味だな」

 最後に案内されたのは食料庫と調理場だ。
 食料はすでにアリスが買い込んでくれているらしい。できる整備士再び。
 エルシスとユリはシルビアの料理の手伝いをし、疲労が大きいだろうカミュには休んでもらい、後片付けは双子に担当してもうことになった。

「シルビア。こっちの野菜切り終わったよ」
「ありがとっ。エルシスちゃんも良い旦那さんになりそうね」

 シルビアがそう言うと、エルシスはぷっと吹き出す。

「それなら、シルビアは良い旦那さん……ん、良いお嫁さん?どっちでもなれるかな」
「エルシスちゃんったら嬉しいこと言ってくれるじゃない!」

 上機嫌のシルビアに「確かに」とユリも笑う。

「シルビアさんも女子力高いし……私も頑張らないと」

 料理ぐらいはできるようになりたい。
 ユリはそういった意味で言ったのだが、シルビアは興味津々に目を輝かせた。

「あら、ユリちゃんは結婚願望が高いのかしら?」
「け、結婚?うーん、どうだろう……」

 ユリは苦笑いをしながら返す。
 記憶喪失の自分だからか、結婚だなんてまったく想像もできない。(憧れてないわけではないけど……)

「でも、ユリは結婚したいと思った人はいるだろ?」

 そういたずらっぽく笑うエルシス。
 ユリがえっと驚くと同時に「それは誰なのかしら!?」とシルビアがものすごい勢いで食いついた。

「僕の幼馴染みの……」
「んまあっ幼馴染み……!?」

 エルシスの言葉をシルビアは驚きながら繰り返す。(エルシスちゃんの幼馴染みって、まさかのダークホース!カミュちゃんってば、このことを知っているのかしら……)

「びっくりした……エマのことね。確かにあの時、そんな風に言ったかも」

 ユリはふわりと笑った。エルシスの口から彼女の名前が出たことに驚いたが、こうして自然に話せることは嬉しく思う。

 このまま悲しみに蓋をし続けることは、きっと、もっと悲しいことだから。

「エマちゃん?名前からすると女の子かしら」

 きょとんとするシルビアに、ユリは説明する。

「エマはエルシスの幼馴染みで、とっても可愛いくて優しい女の子なの。私が男だったら結婚したいって言ったことがあって……」

 さすがに過去形で話すことはできずに、ユリはシルビアに話す。

「ちょうど、エルシスと一緒に旅に出た時――……」

 そんな他愛のない冗談を言いながら旅立った思い出。ずきりと心がまだ痛む。
 あの時は希望に満ちて、二人はデルカダール国を目指していた。

「エルシスちゃんとユリちゃんが一番長い付き合いなのね。良かったら詳しく話を聞かせてくれないかしら?」

 シルビアの言葉にもちろんとエルシスは頷く。
 自分たちの逃亡に巻き込んでしまい、ちゃんと事情を彼に話すつもりでいた。
 作っていたリゾットは、後は煮込むだけだ。

 三人は席に着くと、シルビアが淹れた紅茶に口をつける。

「僕はイシの村という……ここからだと、北の大陸にある渓谷地帯の村で育ったんだ」
「それって、エルシスちゃんがあの時、叫んでいた……」

 シルビアは双子たちと三人を助け出す算段を立てている時に、聞こえたエルシスの言葉を思い出した。
 エルシスはゆっくりと頷く。

「悪魔の子を育てた罪として、デルカダール国に滅ぼされてしまったけど……素朴で自然豊かな良い村だったんだよ」

 母のペルラ、祖父のテオ。幼馴染みのエマに、犬のラキ。彼らと共に、エルシスは伸び伸びと生まれ育った。

 かけがえのない、大切な故郷だった。

 エルシスは目を瞑り、思い出しながらシルビアに話す――。

 村で暮らす日々のなか、近くで倒れていたユリをエルシスが見つけたことが、ユリとの出会いだということ。
 一命をとりとめた彼女だったが、記憶喪失になってしまっていたこと。
 成人の儀式の日に、勇者の生まれ変わりと育ての母に聞かされ、ユリと共に旅に出たこと。

 エルシスは勇者の使命を。
 ユリは自分の記憶を求めて――。

「おじいちゃんの言葉通り、デルカダール国王に会いに行ったら……王に悪魔の子と共犯者なんて言われて、僕たちは捕らえられた」
「私が牢屋に入れられた時、助けてくれたのがカミュだったの」

 続きをユリが話した。

 デルカダールの秘宝を盗み出した罪で、偶然にも牢屋に捕らえられていたカミュ。
 彼のおかげでユリは牢屋から脱獄し、処刑されそうだったエルシスを救うことが出来た。

 三人がデルカダール国から逃亡するなか、エルシスが滅亡したユグノア王国の王子だったと知り……
 勇者とゆかりの深い命の大樹へ導く使者として、ラムダから来た双子の姉妹、ベロニカとセーニャに出会った。

 その二人が仲間に加わり、その手がかりの虹色の枝を求めて旅を続ける途中、

「――シルビアと出会った」

 エルシスはシルビアに微笑む。
 話終えると、紅茶を一口飲み、喉を潤す。
 思ったより冷静に口に出すことができたと、自分では思った。
 旅を続けて行き、色々なことを経験する度に――心も強くなったのかも知れない。

 エマの話題を出せたのもそうだ。

 ユリも一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに微笑み返してくれてエルシスは嬉しかった。
 イシの村のことは、辛く、ずっと心の中にしまいこんでいたが、忘れたかったわけではない。

「……ありがとう、エルシスちゃんにユリちゃん。アタシに話してくれて」

 話を聞き終わると、シルビアは静かに口を開く。嬉しそうにその目は細められ、優しい眼差しで二人を見る。
 自分は何も語らないのに、二人は包み隠さず事情を話してくれた。

「シルビアは僕たちの仲間だからね」
「私たちを信じてくれたシルビアさんだもの」

 似たような笑みを浮かべて当然のように言う二人に、シルビアがきゅんとしたのは言うまでもない。(なんて可愛いイイ子ちゃんたちなのかしら!カミュちゃんたちが世話を焼くのも頷けるわね)

「フフ、エルシスちゃんとユリちゃんとカミュちゃん。あなたたち三人に強い絆を感じた理由が分かったわ」

 二人にウインクをして言うシルビア。

「三人でこれまで乗り越えて来たのね。アタシもエルシスちゃんたちのために頑張っちゃうわ!改めて、これからもよろしくねんっ」

 そう意気込む彼に心強く感じる。差し出された手をエルシスは握ると、その手のひらは硬いと知った。
 長く剣を握った剣士の手。(騎士道にも精通していて、剣術もかなりの達人のシルビア。いつか彼のことももっと知ることができるだろうか)

 だが今は、流浪の旅芸人のシルビアで構わない。
 話したくないこともあるのかも知れないし、全部を話す必要はないのだ。
 エルシスもユリも他の者たちも、彼を信用も信頼もしている。
 それは、カミュに対してと同様な気持ちだ。

「ありがとう、シルビア。これからもよろしく!」

 これからも追われる旅なのは変わらないのに、それでも変わらず一緒に旅を続けてくれる仲間たちが、エルシスの支えだ。

「ユリちゃんもね。何か困ったことがあれば何でも相談に乗るから、アタシに言ってちょうだい」
「ありがとう、シルビアさん」

 ユリも差し出されたその手を握る。

「さてと、そろそろ料理も出来上がるわ。カミュちゃんたちを呼んできましょう」

 ――全員が食堂に揃ったところで。
 エルシスがグラスを持って、祝杯をする。

「じゃあ、デルカダール軍から逃げ果せたことと。新しい船旅の門出に――」
「「カンパーーイ!!」」

 カチンと、グラスとグラスがぶつかる軽快な音が部屋に響いた。

「最後までハラハラでしたわね」
「あんなにたくさん兵士を集めてエルシスを捕まえようとするんだもん。デルカダール王国も本気ってワケね」

 ベロニカの言葉に「軍師殿自ら出陣してくるとはな」とカミュが嫌味を含んで言う。

「以前、グレイグにも遭遇したんだ」
「うん、あの時も間一髪逃げきれたけど……」

 表情を暗くさせるエルシスとユリ。

「だったら、こっちも本気で守るだけよ。エルシスにユリも、このベロニカさまが守ってあげるから安心しなさい」

 この中で一番小さな姿のベロニカが、勇ましく二人に言った。「師匠……」驚き呟くユリ。

「……でも、あんたたち意外とボーっとしてるから心配だわ。そっちもちゃんと守られる努力をしてよね」

 ……守られる努力とは。

 その言葉にはエルシスとユリは顔を見合わせ、困ったように笑った。
 他愛ない会話と共に食事は進む。

「あ、そうだベロニカ」

 エルシスはずっと気になっていたことを彼女に尋ねた。

「そのネコの着ぐるみって一体どうしたの?」

 すっかり彼女に馴染んでいる姿だったが、エルシスの疑問に、ユリもカミュもそういえば……とベロニカを見る。

「ああ、これね」

 ベロニカは大したことないという風に答える。

「元を辿ればユリへの罰ゲームだったのよ」

 罰ゲーム……?エルシスとカミュが同時に疑問に思った。
 ユリはというと、ベロニカが忘れていたら良いのにと密かに願っていたが、物事はそう上手くは行かないようだ。

「ダーハルーネのお店で、このネコのきぐるみとウサギの着ぐるみが売られていたのをセーニャが見つけてね」
「はい!サイズも小さくて、お姉さまが着たら絶対に可愛いと思いまして……」
「あたしはちょうどユリの罰ゲームに良いと思ったのよ。ふしぎな鍛冶台でサイズも作り替えらるわけだし」
「ネコはお姉さまで、ウサギはユリさまにぴったりですわ」

 交互に話す双子に「ちょっと待て」とカミュが一旦話に割り込む。

「そもそも、なんでユリが罰ゲームを受けることになってんだ?」

 エルシスもうんうんと頷く。シルビアは事情を聞いているようで、楽しげに彼らの会話に耳を傾けていた。

「それは、ねえ?」

 おかしそうに笑ってユリを見るベロニカ。その視線を受け、ユリがしぶしぶという風に説明する。

「サマディーでエルシスとカミュがウマレースに参加したでしょ?あの時、どっちが勝つか三人で話してて、二人はエルシスが勝つに賭けて、私はカミュに賭けたから……」
「あ、なるほど……」
「そりゃあ悪かったなぁ」

 ユリの説明にエルシスは納得し、カミュは苦笑いを浮かべる。

「それにしてもセーニャちゃんったら、お買い物上手なのよ!」

 シルビアの言葉にセーニャは照れくさそうに微笑んだ。
 なんでも着ぐるみは兄弟でそれぞれ経営する店で売られていたという。どっちの店で買おうかセーニャが悩んで行き来している間に、彼らは張り合って、12000Gが2000Gまで値下がって買ったらしい。

 三人も感心してセーニャを見た。

「装備品としても優秀だからあたしも着てみたってわけ。じゃあ、エルシス。あとで渡すからユリのサイズに作り変えてね」

 ベロニカの言葉にエルシスは笑いながら「おまかせあれ」と頷いた。
 対してユリの笑顔はひきつっている。
 いくら装備品として優れていても町中で着ぐるみを着るのは……

「師匠は似合ってるからともかく。私が着てたら目立つと思うし、追われる身だし、ね?」

 ユリが必死にそう訴えると「……しょうがないわね。じゃあ船旅の間だけでいいわ」と、ベロニカから許しを貰い、彼女はほっと胸を撫で下ろした。

 食事を終われば、片付け担当の双子を残し、それぞれ自室に戻る。
 
 カミュはベッドに仰向けになり、ぼんやりと天井を見上げていた。
 伝わる波の揺れは、過去を思い出させる。(……船旅か)

 あの頃の船旅は楽しくなかった。

 もともと雑用係として船に乗せられただけで、船旅を楽しむ余裕なんてものは皆無であったし。
 苦い記憶を思い出していると、足音が聞こえ、自分の部屋の前で止まる。

「カミュ、まだ起きてる?」

 ノックと共に聞こえたのはユリの声。カミュはすぐさま起き上がると、ドアを開けた。

「どうした?」

 疲れて眠いだろうに、どうやらカミュの怪我を心配して、治療をしに来てくれたらしい。
 手には薬や包帯を持っている。

「セーニャに相談したら、闇の魔法から受けた傷だろうから、私に調合してくれた薬が効くはずだって」

 大袈裟にしたくなくて黙っていたが、ユリに痛みに堪えていたところを見られていたなとカミュは思い出す。
 だが、痛みもだいぶ引いたことだし、大したことは……「ほっといたらよくないと思う」「…………」カミュが何か言う前にユリは強い口調で言った。

「……入れよ」

 カミュは大人しく彼女を部屋に招き入れることにした。

「じゃあカミュ、薬を塗るから服を脱いで」
「ん」

 言われた通りに彼は上を脱ぎ、上半身裸になる。それにユリは視線を気まずそうに反らして、顔を赤くさせた。

「……お前、自分で脱げって言ったくせに恥ずかしがるなよ……」

 二人っきりの密室で、そんな反応をされると変な気分になっちまうだろうが――。

 カミュが呆れたように言うと「べ、別に大丈夫だからっ!」と、何が大丈夫なのか、慌てて彼女は言い返した。

「……!やっぱり、痕になってる」

 視線を戻したユリは深刻そうに眉を寄せて言う。
 鍛えられた胸から腹に渡る火傷のような痣。
 それにはカミュ自身も驚いた。こうも痕になって残っていたとは……それだけあのホメロスの魔力が、侮れなかったということだろう。

 ベッドに横になってと言われ、カミュは大人しく言われた通りにする。

「……無理だけはしないで」

 薬を手に取り、カミュの痣に塗り込みながらユリは静かに言った。
 鍛えられた肉体にその痕は痛々しい。

「無理してるつもりはねえけど」
「傷を黙っていたでしょ」

 軽口を言うカミュに、ユリはガーゼをぺしっと傷痕に張り付けた。

「いって!」

 カミュは痛みに声を上げる。ユリは特別強い力を入れたわけではない。

「お前なぁ……」恨めしげな目でカミュはユリを見るが「やっぱり無理してたんじゃない」と逆に怒られた。
 いや、叩かれれば痛いだろうが。

「じゃあ、包帯巻くから起き上がって」

 次に打って変わって微笑まれてそう言われてしまえば、素直に従ってしまう自分がいる。(こいつには敵わないな……)

「……あの時、私はエルシスを連れてすぐに逃げるべきだったんだと思う」

 包帯を巻きながら、ユリはぽつりと溢す。
 セーニャがしてくれたように――敵は勇者であるエルシスが狙いだったのだから。

 カミュの決意を無駄にもしないためにも。

 でも、できなかった。もちろんエルシスは大事だ。それと同じように、ユリはカミュのことも大事だ。

「そうだな……」

 静かにカミュは口を開く。

「けど、結果的にお前たちはオレを助けに来てくれ、こうして全員無事だ。それで良いじゃねえか」

 明るい口調で言った。

 見捨ててくれても構わなかった。
 だが、カミュは助け来るだろうと信じていた。
 そして、本当に彼らは助けに来た。

「……すべてを守ることはできないのかな……」

 ポツリと言ったユリの言葉に、ん?と聞き返すカミュ。

「ううん。――はい、終わったよ」

 笑顔で言うユリに自身の身体を見ると、そこには綺麗に包帯を巻かれている。

「……まあ、なんだ、助かったよ」

 一応、礼は言って。カミュは、その上から脱いだ服を着た。

「お前の方は怪我は大丈夫なのか?」

 ふとユリの怪我が気になり、カミュは聞く。

「うん。この薬のおかげでだいぶ良くなったよ」
「背中だと塗りにくいだろ?」
「そんなことないよ。セーニャに塗ってもらったり、自分でも塗れるし」

 その言葉を聞いて、にやりと笑う。

「さっきのお礼にオレが塗ってやろうか?」
「えぇ!?な、なっ……」

 一気に顔を赤くさせ。慌てるユリに、カミュはフッと笑みを溢す。

「冗談だ。お前も早く部屋で休めよ」

 笑いながら言うカミュに「もうっ」とユリは拗ねるように口を尖らせたが、すくざま顔を緩ませた。

「カミュもお大事にね。おやすみ」

 最後にそう言い、彼女は部屋を後にした。

 残されたカミュは重いため息と共に、再びベッドに仰向けに倒れる。
 腕を両目に乗せて、浮き立つ気持ちを落ち着かせようとした。(まいったな……)

 見てみぬフリをして来た不必要な感情に、そろそろそれも出来なくなって来た。
 それほどまで、カミュの中で大きくなったと言える。

 まるで雪のようだとカミュは思った。

 どこまでも降り積もっていくような想い。
 コントロールが出来ない感情になすすべがない。

(いっそのこと、このまま冷たく凍りついちまえば楽なのか……)

 波の揺れが思い出させる。

 白く、懐かしいあの雪景色が――鮮明にカミュの脳裏に浮かび上がっていた。


- 57 -
*前次#