ネルセンの宿

「おう、旅人さん。長い船旅でお疲れだろう。この先を道沿いに進めば、宿屋があるんだ。そこでハネを休めていくといいぜ」

 ユグノア地方に向かうことに決めた一行は、一人の漁師の声かけに、まずはその宿屋に向かうことにした。

「その宿屋に商人さんがいると良いですわね」

 希望を込めて言うセーニャに、他の五人も明るく頷く。
 港から坂を上がるように進めば、そこは花が咲く、美しくものどかな道だ。

「あっ天気予報の牛ね!」

 ユリが話しかけると、今日はずっと晴れだと教えてくれる。
 ベロニカ、セーニャ、シルビアは初めてその様子を目の当たりにして驚いているようだ。

「まさか牛がしゃべって、天気を教えてくれるなんてね……」
「便利な牛さんですわ」
「ずっとお天気が良いみたいで良かったわ」


「わぁ、綺麗な麦畑!」
 ユリが目の上に手をかざし、日差しを遮って眺める先。

 一面の麦畑が黄金に輝きを放っている。

「すごい……!」

 少し沈んでいたエルシスも思わず感嘆の声を上げた。
 近くで見ると立派な麦だ――
 その時、彼の目の前を一陣の風が吹き抜け、麦が波打つように揺れた。「え」

 それはキラーパンサーが走り抜けていったのだと、エルシスは遅れて気づく。

 よく見ると、麦畑の中を魔物たちが闊歩していた。

「えぇ……」
 大丈夫なのだろうか、色々と。

 エルシスは忘れもしない、かつてデルカダール神殿で対峙したイビルビーストの姿もあった。
 今でこそ仲間も増え、余裕で勝てる自信があるが、当時は苦戦した魔物だ。
 ここの農夫たちは命がけの畑作業にならないだろうか。

「きっと、さぞかしお強い農夫さまが力強い麦を育ててらっしゃるのですね」

 どんな農夫と麦だ。
 セーニャの言葉にエルシスは心の中でつっこみを入れたが、なるほど。
 さっきキラーパンサーに踏まれた麦はぴんぴんしている。

「見て、エルシス。風車があるよ」

 エルシスは謎は解けたような深まったような麦畑から顔を上げ、ユリの指差す方向を見上げた。

 白く大きな風車は、風を受けてゆっくりと回っている。

「立派な風車だな」
 隣でカミュも同じように見上げて言った。
「かつて花の都と呼ばれてたって言ってたっけ……。豊かな国だった名残が見えるわね」

 ベロニカの言葉に答えるように、風に吹かれた麦が音を奏でる。
 まるで、感傷的な声のように彼らには聞こえた。


 何度か魔物と交戦しながら、道沿いに進むと、すぐにその宿屋は見つかった。
 小さな宿屋だが、どこか暖かみのある造りだ。
 干したシーツが風にはためいており。
 風車があちこちにそびえ立つように、ここは風が吹く地域なのかも知れない。

「やあ、ようこそ、旅の方よ。ここは俺たちのような旅人が集まるネルセンの宿屋だよ。バンデルフォン地方はとても広い。この宿で疲れを癒してから旅立つのが良いだろう」

 馬の世話をしていた旅人の剣士が彼らに気づいてにこやかに声をかけてきた。
 『ネルセンの宿屋』という言葉に、双子があっと声を上げる。

「ネルセンって、かつて勇者の仲間だった戦士の名だわ」

 ベロニカが驚いたように言うと、洗濯物を取り込んでいた宿屋の者が「そうさ」と頷いた。

「お嬢ちゃんの言った通り、伝説の勇者さまの仲間だったネルセンという名の戦士さまから名前をいただいたんだよ。北の方にあるバンデルフォン王国も今はあんな廃墟だけど、ネルセンさまが造った由緒ある国だったのさ」
「まあ、バンデルフォン王国はネルセンさまが造られた国でしたなんて……、私たちも初めて知りましたわ」

 セーニャはベロニカを見ながら言った。
 今のエルシスに仲間がいるように、かつての勇者にも仲間がいて、彼らと共に旅をしていたという。

 次に、彼らに声をかけたのは、濃い紫色の法衣を纏った神父だった。

「旅の方……あなたたちなら、きっと……。あなた方に、お願いがあります。どうか、アンデッドマンとなった者に安らかな眠りを与えてはくれませんか?」

 アンデッドマン……?
 ユリは首を傾げる。悲痛な面持ちの神父に、エルシスは「詳しく教えてもらえませんか?」と聞くと、神父は詳しく話をしてくれた。

「かつて、この地にはバンデルフォンという王国がありました。四大国と肩を並べるほどの大国だったのです。ですが、魔物の襲撃を受け、国は一夜にして滅び、現代では廃墟となっております。過去の栄光は見る影もありません……」

 どうやら神父はバンデルフォン王国の出身らしい。その目には、過去のバンデルフォンが映っている気がした。

「そして、この地で亡くなった方の魂は、深い悲しみから命の大樹へ還ることなく、いまだこの地にとどまっております」
「……そんな……」

 神父の言葉に、辛そうに俯くセーニャ。
 彼女だけでなく、全員の顔に悲しみの影が差した。

 命の大樹はこの世界で生きるすべての源。

 大樹に戻れないということはすなわち、再び芽吹くこと……つまりは生まれ変わりができないということだ。

 この世の理から外れた魂は、死してなお苦しむのだ――。ユリの顔が悲しみに陰る。(……?私は、この話をどこで知ったんだろう)

 自分の記憶に不思議に思いながらも、ユリは神父の話に耳を傾けた。

「祖国を失った悲しみ。守れなかった悲しみ……。深い悲しみの念によって、行き場を失った魂はアンデッドマンという魔物になりました……。アンデッドマンは夜になると現れ、叶わない祖国の復興を願い……この地をさまよい続けているのです」

 神父は口を閉じる。訪れる沈黙。
 事情を聞き終わり、エルシスの気持ちは決まっていた。

「エルシス…」

 ユリも同様な気持ちだろう。真剣な眼差しの彼女に、エルシスは力強く頷く。

「あたしたちでなんとかするわよ!」
「ええ、みんなが悲しみのままなんて見過ごせないわ!」
「命ある者の魂は……最後は命の大樹の元に還らねばなりません」
 ベロニカ、シルビア、セーニャが続けて言い。
「決まりだな」

 最後にカミュが口許に笑みを浮かべ、エルシスに言った。一致団結だ。
 エルシスは神父に向き合う。

「僕たちで彼らを救えるのなら、喜んで力を貸します」
 神父の悲痛な表情が、その言葉を聞いて僅かに和らいだ。
「引き受けて頂けるとは……ありがとうございます」
 彼らの顔を順に見て、神父は穏やかな笑みを浮かべて礼を言う。
「しかし、安らかな眠りをと言ったが、実際にどうすれば良いんだ?」

 アンデッドマンをただ倒せば良い、というわけではなさそうだ。カミュは神父に聞いた。

「その者に安らかな眠りを与えるためには『聖なる祈り』が必要となります。お見掛けしたところ、あなた方がれんけんすればできることでしょう」

 そう言って、神父はエルシスとユリとセーニャを見た。
 エルシスは勇者の力を、ユリとセーニャは聖なる力をその身に宿す。
 確かに三人なら適任だとカミュは思った。

「どうか夜、バンデルフォンの廃墟に向かい、聖なる祈りを使ってアンデッドマンに安らかな眠りを与えてください」

 再び頭を下げる神父に、彼らはしかと頷いた。

「アンデッドマンちゃんが出る夜まで休むことにしましょう」

 宿屋で部屋を取ると、シルビアを先頭に彼らは二階の部屋へと向かった。
 お決まりに男女で部屋を別れ、一息つく。

「シルビアさんの船は快適だけど、やっぱり陸の上は安心するわね」
 そう言ってベロニカはベッドに座った。
「海上だといつ魔物が襲ってくるか分かりませんものね」
「嵐も怖かったし」

 セーニャとユリも同様にベッドの端に腰かける。

 自由に過ごしながら、ユリは二階にあるバルコニーに来ていた。
「……………………」
 麦畑が一望できると思いきや、イビルビーストが飛び交う姿も一緒に見えて微妙である。

 デルカダールで苦戦した魔物だが、宿に着くまでに戦ったイビルビーストを簡単に倒せたのは驚いた。
 あの時より自分たちも強くなったが、あの時のイビルビーストはやはり強敵だったのかも知れない。(そういえば、あの時もカミュが助けてくれた……)

 イビルビーストの鋭い爪に、とっさに剣を握り抵抗したものの、あっさり剣を弾かれた時のことを思い出す。
 攻撃を受けることを覚悟したユリの目に映ったのは、炎を纏う剣を振りかざすカミュの姿だった。
 その時の彼の姿は、今もユリの目に焼き付いている。(……かっこよかったな……)

 思い出すと、頬が熱を持ち、胸が高鳴りそうになる。
 時々、ユリは自身でもコントロールできない感情を抱く。
 自分でもよく分からないが、決まってそれはカミュが関係する時だ。
 
「あ、ユリもバルコニーに来てたんだ」
「エルシスも」

 声をかけられ、ユリはにっこり振り返った。
 逆にエルシスの側にいると落ち着く気がする。彼が持つ、ぽわんとした柔らかい雰囲気のせいだろうか。

「間近で見るとすごい迫力だ」

 エルシスは隣にそびえ立つ風車を見に来たらしい。
 白い雲と青空の下、風車はゴウゴウと音を立てながら廻り続けている。

 二人で風車を見ていると、旅行客らしい年配の女性に唐突に話しかけられた。
 いわゆるおばさんである。

「まったく聞いてくれるかい?」

 おばさんはそう切り出すと、二人に取り止めない話をした。
 いわゆる愚痴である。

「ダンナと旅行に来たのに会話もないし、気づけばダンナはひとりで出かけてるし、これが世に言う仮面夫婦ってヤツかしら?」

 二人は嫌な顔一つせずに話を聞いていたが、止まらない彼女の口に、だんだんと笑顔が苦笑いに変わって来た。

「……そうそう。仮面って言えばここから北にあるグロッタの町は仮面武闘会っていうので有名らしいわ。いったいどんな武闘会なのかしらね?私も仮面をつけたダンナを思いっきりビンタしてやろうかしら」

 その話を最後に、カミュがエルシスを呼びに来て、やっと二人は解放されることとなる。
 気づけばすっかり日が傾いて。

「お前ら、お人好しなのもほどほどにしとけよ…」
 カミュが呆れ顔で言った。
「でも、北にグロッタっていう町があるって知れたよ」
「そうそう仮面舞踏会が有名って……」

 ユリとエルシスがおばさんの会話から仕入れた情報を言うと、カミュは長時間の愚痴を聞かされて成果はそれだけか――と、心の中で思うだけに留めておいた。

「あらー素敵!仮面舞踏会ですって!楽しみじゃない♪」
 浮き立つシルビアに、カミュはため息を吐く。
 すでに参加する気満々である。
「仮面舞踏会が有名とは、グロッタは貴族の町なんでしょうか?」
「とりあえず、次に向かう目的地は決まったわね」

 セーニャとベロニカが言った。
 話ながらそんな彼らが来たのは食堂だ。
 バンデルフォン跡地に向かう前に、早めの夕飯を済ませるためである。

「あれっ勇者さまたちだ!ナイスタイミング!」

 食堂に入ると、下から声をかけられた。
 その声に気づいたのは、もちろんエルシスとユリの二人だけ。

 声の主は、緑の色をしたヨッチだったからだ。

「ボク、探し物が苦手で苦労したんだけど、ついさっき合言葉を見つけたんだよ。諦めずにがんばり続ければなんとかなるものだね!それじゃあ今から合言葉を言うからね!」

 前向きヨッチに、エルシスは合言葉を教えてもらった!

「もしかしてヨッチか?」

 二人に尋ねるカミュ。二人が何もない場所を見ている時は、彼らがいると学んだカミュだったが。

「今度は緑の前向きヨッチで……あ、ダーハラ湿原には黄色い歌い手ヨッチがいたの」
「……。色は分かるが、なんだその何とかヨッチって」

 ユリの言葉に、新たな謎が彼の中に生まれた。


「う〜ん、さすが魔物たちに踏まれてもめげない麦なだけあるわ!」
「このパンは今までで食べた中で、一番おいしいかも知れません……!」
「ふっくら、もちもち…!」

 ――幸せそうにパンを頬張るベロニカ、セーニャ、ユリの三人。

「エルシス。バンデルフォン王国跡地はここから歩いて行ける距離みたいだぜ」
 カミュの言葉に、同じように幸せそうにパンを食べていたエルシスが答える。
「なら良かった。馬を呼び寄せて走らせるか悩んでたんだ」

 基本臆病な性格の馬を夜に走らせるのは避けた方が無難だ。何かの物音や、魔物に遭遇して、馬がパニックになる危険がある。

「なんだ?あんたら、バンデルフォン王国跡地に行くのか?」

 隣の席のガラの悪い男がそう言いながら振り返った。
 六人の顔をぐるりと見渡し、ふとその視線がぴたりと止まり、んーと何やら目を細めた後、ぱっと目を見開く。

「お前、カミュじゃねえか!こんな所で会うなんて奇遇だな!」
 親しげな口調でカミュの名を呼んで驚くガラの悪い男。
「なに、アンタ知り合いなの?」

 怪訝そうに言ったベロニカに、返事は返って来ない。
 カミュの顔には「誰だこいつ」と書かれており、記憶の糸を辿っているようだ。

「おいおい、忘れんなよ。カラコタ橋で手を組んだじゃねえか」

 カラコタ橋――その町ともいえない吹き溜まりを集めたような場所に居たのは、デクと会うよりももっと前。
 カミュが盗賊業を始めた頃だ。
 その名を聞いて、カミュは目の前の男を思い出した。
 カミュは嫌な所で会っちまったと内心舌打ちをする。(よりによって、こいつらと一緒にいる時に会うとはな……)

「ああ、思い出した。…が、手は組んでねえよ。あれは取り引きだろ?」
「そうだったか?」
 そう言ってガラの悪い男はにやりと笑うと。
「じゃあまた取り引きしようぜ。面白い話があるなら教えてくれよ」
「取り引きもしねえし、面白い話なんて持ってねえよ。…それに、俺は盗賊業はやめたんだ」
「盗賊をやめた?腕が確かな生粋の盗賊のお前がかぁ?」

 ガラの悪い男はぐびっと酒を仰ぎ、改めて六人の顔を見回した。

「そちらが今の仲間ってわけか。やめろやめろ、一匹狼のお前には仲間なんて性に合わねえぜ。……ああ、分かったぜ」

 ユリを見て、ニヤけた笑みを浮かべるガラの悪い男。
「綺麗な姉ちゃんが目当て…」
 やめろ――カミュが言う前に。

「何か?」

 ダンッ!コップをテーブルに乱暴に置いて、据わった目で言うユリがそこにいた。
「い、いや……」
 見た目とは裏腹な剣幕に、ガラの悪い男は気圧されたようだ。

 珍しく怒っている――と彼らは驚き、カミュに至ってはこいつ酔っているのか?と思ったが、彼女のコップの中身はただの水だ。

「あー……あんたら、バンデルフォン王国跡地に行くなら行っても無駄だぜ。あそこはガレキだらけで何もねえからな」

 そう言って、ガラの悪い男はそそくさと前を向に直った。

「――さ!早く食べて、アタシたちはアンデッドマンちゃんを救いに行きましょう!」

 シルビアの明るい言葉に、六人は何事もなかったような食事を再開する。


 月明かりの下、彼らはバンデルフォン王国跡地に向かう。
 小麦畑に挟まれた道を歩く途中。

「……さっきなんで怒ってたんだ?」
 カミュは隣のユリに話しかけると、彼女はきょとんとした。
「…さっき怒ってただろ。あの野郎に」
 その言葉にああというユリは口を開く。
「だって、カミュに失礼というか。すごくイラっとして」
 思い出したのか、不機嫌そうな顔になるユリ。
「ユリが怒ってなかったら僕が怒ってたところだったよ」

 そうカミュと並んで言ったのはエルシスだ。

「カミュは僕らの仲間なのに!勝手なことばかり言ってさ!」
 こちらも普段は穏やかなのに、憤怒している。
「そうですわ。カミュさまは私たちの大切な仲間です」
 続いてセーニャ。
「あんな奴の言ったことなんて気にするんじゃないわよ、カミュ。このあたしが認めてるんだから自信を持ちなさい」
 ベロニカ。
「カミュちゃんはみんなのなくてはならない存在なのはすぐに分かったわ!」
 シルビアまでもが。

「お前ら……」カミュは驚いたように目を見開く。
 が、すぐに眉間に皺を寄せて。

「ったく。好き勝手言いやがって……。口ばっか動かしてねえぜ、早く行くぞ」

 そう言いながら歩く足を速める。
 その後ろ姿を見て、くすくすという笑い声。

「カミュ、照れてるみたい」
「うん。あれは照れてるね」

 ユリとエルシスだ。

「聞こえてんからな、そこのぼんやりコンビ!」
「ぼんやりってひどいっ」
「僕らはマイペースなだけだ!」

 抗議しながらカミュの後ろを追いかける二人。

「エルシスはついに自分でマイペースって開き直ったわね…」
「フフ、カミュちゃんもあの二人には敵わないわね」
「お姉さま、シルビアさま。私たちも急ぎましょう!置いてかれてしまいますわ」

 いつの間にか競争するように走っている前の三人を、彼女たちも追いかける。

 そんな彼らの目に、だんだんと荒れた大地が見えてきた。





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カラコタ橋はDQ9に出てくるスラム街


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