教会へ向かうエルシスは、ちょうどハンフリーの姿を見かけた。
男と短い言葉を交わし、方角から教会へ帰宅するようだ。
エルシスは彼の背中を追う。
その大きな背中に声をかけようと――する前に。
「!?」
素早く振り返るハンフリー。
同時に向けられる拳は、エルシスが驚く間もなくピタリと止まった。
「おおっ!?なんだ、あんただったのか。悪いヤツにつきまとわれてるかと思ったぜ」
エルシスだと気づくと、彼はすぐに拳を下ろす。
「最近、行方不明事件とかあってぶっそうだろ?ちょっとピリピリしてたんだ。おどろかせてすまなかったな」
「いえ…僕の方こそ」
「まあ、立ち話もなんだし、中に入ってくれ」
エルシスは顔には出さずとも、内心驚きながら、ハンフリーに促され一緒に教会へ入る。(すごい警戒心だ……やっぱりハンフリーさんが狙われて……?)
「おかえり、ハンフリー兄ちゃん!」
「その人、だーれ?」
中に入ると、子供たちが集まってきた。
「この人は大事なお客さんだからな。ジャマしないでいい子にしてるんだぞ」
ハンフリーがしゃがんでそう言うと、子供たちは「うん!」と素直に頷く。
「ハンフリーお兄ちゃんの大事なお客さん!ゆっくりしてってねっ」
「ありがとう。お邪魔するね」
エルシスは膝を折って子供たちと視線を合わせるようにして挨拶した。
「ここはオレが生まれ育った孤児院でな。武闘会でかせいだ賞金をやりくりしてなんとかやっているんだ」
教会の下は中庭になっているらしく、ハンフリーはその長椅子に腰かけた。
向かい合う形でエルシスも椅子に腰かけ、彼の話を聞いた。
「オレは武闘会で勝って、勝ち続けて……賞金をかせがないといけない。あいつらの笑顔がオレのすべてだからな」
そう話ながら、楽しそうに駆け回る子供たちを見つめるハンフリーの細目は、戦いの時の鋭さはなく、柔らかい。
「まあ、ウデの立つあんたがいることだし、今回も優勝は間違いないだろう。ははは!頼りにしてるぞ、相棒!」
笑うハンフリーに、つられるようにエルシスも口許に笑みを浮かべる。
(やっぱり……カミュ。僕はこの人が悪い人には見えない)
エルシスは、その後もハンフリーのとりとめのない話に耳をかたむけた。
その頃――ユリは上層の露店で情報収集をしていた。
その中で気がかりな情報は、ミスター・ハンの姿も見当たらなくなったらしいということ。
ベロリンマンに続いて……彼も行方不明事件に巻き込まれたのだろうか。(そういえば……)
シルビアはどこに行ったんだろうとユリは一抹の不安が過った。
彼の実力は確かだが、闘技会に参加する一人だ。
何事もないと良いけど――そう考えて酒場の方へ向かったら、ちょうど彼の姿を目にした。
「いい加減にしろよわからず屋!なに見てんのかわかんねえ細目のヤツよりルーキーのほうが強いって言ってんだろ!」
「まったく何回言わせるんだ!ルーキーみたいなヤサ男よりチャンピオンが強いに決まってるだろ!」
「戦う男たちって舞台の上じゃなくてもこんなにアツい魂の持ち主なのね!う〜ん、シ・ゲ・キ的だわん!」
酒場の丸テーブルで、激しい口論している二人の男を、自身もお酒を飲みながら楽しそうに眺めているシルビア。
ユリの心配は杞憂だったようた。
「……あっユリちゃん!ちょっと聞いたんだけどね……」
ユリがシルビアの元へ向かうと、すでにシルビアも単独で情報収集を行っていたらしい。ユリは感心して彼を見た。
「さらわれてるのは闘士だけ。それも武闘会に出るような強い闘士ばかり……いったいどういうことなのかしらね?」
ユリもずっと謎に感じていたことを、シルビアも不思議そうに呟く。
「おい姉ちゃん!!」
すると、不意に彼女は同席の男に声をかけられた。
「ちょうどいい、この姉ちゃんに聞いて決着を着けようじゃねえか!!」
「望むところだ!!」
「わ、私がですか!?」
口論は続いていたらしい。予期せぬ流れ玉がユリを襲う。
「「強いのはチャンピオン/ルーキーだよな!?」」
酔っぱらってるのもあり、すごい剣幕で聞いてきた二人にユリはたじろぐ。
思わずシルビアを助けるように見ると「ユリちゃんなら……どっちかしらん!?」楽しんでる……!
助けてくれる気配がなさそうなシルビアに、恨めしそうな視線を送った後。
仕方なくユリは口を開こうとして、止めた。
ルーキー――と言おうとした瞬間、チャンピオン推しの男の目がカッと見開いたからである。
――ほらな!!やっぱりルーキーだ!!
――うがあああ!!オレは認めねえ!!
――痛え!何すんだコノヤロー!!
同時に、大乱闘になる光景がユリの頭に鮮明に浮かんで。
だからと言って、チャンピオンと答えてもきっと同じようになりそう。どうすれば。
その時……目に入った二人に、ユリはこの場を丸く収める一番平和な答えを思い付いた。
「私は……同じ女性としてビビアンさんやサイデリアさんを応援してますので、お二人が一番強いと思います。カワイイは正義、です!」
最後は、謎の記者が言ってた言葉を花が咲くような笑みと共に言ったユリ。
二人の男はポッと見惚れて納得する。
「カワイイは正義……確かに」
「姉ちゃんが言うと説得力あるな……」
どうやら上手く切り抜けたようで、ユリはほっと胸を撫で下ろす――のも束の間だった。
「あらん。このビビアンちゃんのファンだなんてアナタなかなか見込みあるじゃなあい?可愛い子猫ちゃん」
「嬉しいこと言ってくれるね!へぇ、武器を持ってるってことは戦えるんだな。あっちのカウンターであたいらと一緒に飲もうよ!」
「えっ?あの、私、お酒はあまり強く〜……!」
ユリが断る前に左右から挟まれ、彼女は二人に強引に連れていかれた。
一難去ってまた一難とはこのことである。
シルビアは「あらあら、ユリちゃんはみんなからの人気者ね!」と、相変わらず楽しげな笑みを浮かべた。
彼はグラスに入ったお酒を上品に飲む。
(さて、イジワルするのはこれぐらいにして……。助けてあげないと可哀想なことになるわね)
あの二人は可愛い見た目に反して大酒飲みらしいと、どこかで耳にしたからだ。
「アタシの飲み代はここに置いておくわね」
グラスを飲み干すと、コインを数枚テーブルの上に置いて。
シルビアはユリを助けるため、席を立った。
この町で起きてる事件の情報も、新しいものはもう入って来ないだろう。
シルビアが一足先に行方不明事件の情報収集をしてたのは、別に気になったことがあって、そのついでであった。
グロッタの町の歴史。
16年前――この地方にあるユグノア王国が魔物たちに襲われた。
まだその頃は一兵卒だった"彼"が、"英雄"と呼ばれる由来になった戦いだ。
近場であるこのグロッタの町も例外ではなく、その際にの町も救ったらしい。
あの大きな像はその功績を讃えたもの。
彼らしいとシルビアは懐かしい顔を思い出す。
16年前といえば……ちょうど自分は――……
「盛り上がっているところ、ごめんなさいね。そちらの可愛い子猫ちゃん、アタシの連れなの」
シルビアはそこで思考を止めて、二人に話しかけた。
彼女たちの間で、ほら酔いから深酔いになりそうになっているユリを無事救出する。
――二人は一旦、宿屋へと戻ることにした。
意識はあるが酒に酔って足がおぼつかないユリを、シルビアの手がさっと隣から支える。
「シルビアさん、助けてくれてありがとう……でも、もうちょっと…早く助けてほしかったな」
「ウフフ、困ってるユリちゃんが可愛くてつい、ね」
そう悪気なく笑うシルビアに、ユリは肩を竦めるだけにした。
宿屋に着くとベロニカとセーニャの姿はあったが、エルシスとカミュはまだ戻って来てないらしい。
カミュはともかく。ユリはエルシスを迎えに行くことにした。(さっきカミュが言ってたことも気になるし……)きっとエルシスは教会にいるだろう。
「一人で大丈夫だよ。ちょっと歩いて酔いも醒ましたいから」
無骨な男たちは多いが、特別治安が悪い町ではない。三人は笑顔でユリを送り出す。
下層に降りて、教会へと向かう途中――……
老人が、空から降ってきた。
「!」
正確には建物の上からである。
「あいたたた……腰が……」
「っ大丈夫ですか!?」
着地は成功したが、腰に響いたらしい。
両膝、両手を地面につけて唸る老人に慌ててユリは駆け寄った。
効くか分からないがホイミを唱え、腰をさすってあげる。
「おお……ご親切なお嬢さん、ありがとう」
顔を上げた老人は、あのマルティナと行動を共にしているロウであった。
ロウはよっこらしょと立ち上がる。
「もう大丈夫じゃ。心配かけてしまったのう」
「いえ、大丈夫そうなら良かったです。明日は決勝ですから、お大事にしてください」
笑顔でそう言って、それでは…と立ち去ろうとするユリをロウは引き留めた。
「お嬢さんはあのサラサラ髪の青年のお仲間じゃと思ったが、ライバルのワシに真逆の感想は抱かないのか?」
ユリはしばし考えてから口を開く。
「ええと…それとこれとは別の話ですし……。それに、エルシスは強いですから」
彼ならと信じるユリから出た言葉は宣戦布告のようになってしまったが――。
「……エルシス……」
ロウはそちらより、彼女から出た名前に反応を示した。
「……?」
「……いや。同じ名前の者を知っておってな。……お嬢さんも、狙われているのは闘士とはいえ、夜の一人歩きは気をつけた方がよい」
今度こそ、二人は別方向に別れる。
ユリはエルシスの名前を呟いたロウの表情が、一瞬悲しみに変わったのが少し気になりつつ……。
ロウの忠告通り、彼女は足早に教会に向かう。
――その少し前。
ハンフリーの話を聞いていたエルシスは、武闘家の身でありながら、実は彼がこの教会の神父だったという話に一番驚いていた。
普段は教会の仕事は孤児院の子供たちに委任しているらしい。
「ハンフリーさんはいつもオレたちの面倒を見てくれてるんだ。それぐらい、当然さ」
そう言ったのは年長の少年だ。子供たちに慕われている姿を見て、ますますエルシスは彼が行方不明事件に関わっているとは思えない。
「ありゃあ……。もう、こんな時間か。すまん、すまん。すっかり話し込んじまったな」
気づけば、夜になっていたらしい。
「ところで、エルシス。お前、オレに用があって来たんじゃ……」
ハンフリーがそう言いかけて、口を閉じる。
「今、オレの部屋のほうで物音がしたような……」
「確かに、何か音が――」
再びガタッと今度は確かに聞こえた。
「間違いない!オレの部屋に誰かいやがる!」
「こ、この孤児院に泥棒が……!?」
泥棒――ハンフリーは慌てて駆け出し、エルシスもその後を急ぎ追いかける。
「だいじょうぶ。ハンフリーさんはぼくらのヒーローだから、ドロボーなんかにぜったいまけないもん」
「ぜんぜん、こわくないもん!へっちゃらだよ、なかないもん!ウ…ウソじゃないもん……!」
「ハンフリーさんがすごいいきおいでこのへやにはいっていったの。いったい、なにがあったの……?」
異変は子供たちにも伝わったらしい。
怯えながら集まってきた子たちに、エルシスは「大丈夫だよ、あっちの部屋で待っててね」と優しく声をかけて、避難を促した。
そして、ハンフリーの自室に向かう。
「くそっ!賊に入られたか!」
憤怒するハンフリーの後ろから覗くと、部屋はめちゃくちゃに荒らされていた。
「酷い……」
「賊めっ!オレの大事な孤児院に盗みが入るとはいい度胸してやがる!大会が終わったらとっちめいてやるからな!」
そう彼は怒りを露に言う。この賊は行方不明事件と関係あるのだろうか――?
考えるエルシスに、ハンフリーは元の穏和な声で言う。
「とにかく、今は明日の試合に集中しよう。……そうだ、エルシス。今日は遅いし、うちに泊まっていったらどうだ?」
その問いに、エルシスはしばし考えてから。
「ありがとうございます。でも、宿屋に部屋が取ってあるし帰ります」
何も言わず無断で泊まったら、きっと仲間の皆に心配をかけるだろう。
「まあ、そう言うなよ。どうせ、明日は一緒に戦うんだし、そのほうが都合いいだろ。遠慮しないで泊まっていけって」
(う〜ん、確かに……。みんなには明日の朝、謝れば大丈夫かな……?)
ハンフリーの言葉にエルシスが押しきられそうになった時、
「ハンフリーお兄ちゃん、お客さんが……」
「……ユリ!」
子供の案内に現れたのは、ユリだった。
「エルシス、まだ宿屋に戻ってなかったから迎えに来たんだけど……」
先ほどの話が聞こえていたユリは、ちらりとハンフリーを見て。
「エルシスはここに泊まって行くの?」
どことなく心配そうな彼女に気づき、エルシスは笑顔でゆるゆると首を横に振った。
「いや……、このままユリを一人で帰すわけには行かない」
エルシスはそう言ってハンフリーに向き合う。
「すみません。やっぱり僕、仲間も心配すると思うので今日は帰ります」
はっきりと意思を伝えると、ハンフリーは「わかった」と今度は頷き、微笑んだ。
「良い仲間たちだもんな。じゃあ、明日の朝になったら迎えに行こう。決勝トーナメントにそなえて、ゆっくり身体を休めておけよ」
「はい。おやすみなさい、ハンフリーさん」
そう言うエルシスに、ユリも頭を下げて部屋を後にする。
その際に、この部屋が荒れていることに気づいて、ユリは驚いた。教会を出るとエルシスに聞く。
「賊が……」
「うん。偶然か、行方不明事件と関わっているかは分からないけど――」
賊が侵入して部屋が荒らされたと聞いて、ユリはロウを思い出した。
彼は一人であんな場所から降りてきて、何をしていたのか。
だが、彼がやったという確信はないし、不用意に名前を出すのは……
「ユリ。僕はハンフリーさんは悪い人じゃないと思うんだ」
ユリが悩んでいると、エルシスがこちらを向いて真剣な声で言った。
エルシスはどうしてそう思ったのか、ユリにハンフリーのことを話す。
「……そっか」
「だから、明日の試合が終わったらちゃんと事件の謎を解きたいと思う」
ハンフリーと教会の子供たちのためにも――。(それは、ハンフリーさんを信じるためにも)
「まずは、明日絶対優勝しないと!」
行方不明事件の真相の全貌はまったく見えないが、気合いを入れるエルシスに、ユリは今はエールを送った。