グロッタ地下遺構・後編

 グロッタ地下遺構――最深部。

 辺り一面に蜘蛛糸が張り巡らせ、天井からは繭のようなものが吊るされている。
 繭からは青く光る液体が抽出されており、糸を伝って一ヶ所に集まっていた。

 その場に一人の男が訪れる。

 彼は左右の肩に担いでいる二人を地面に置いた。
 ――ユリとマルティナだ。
 
「アラクラトロさま!新しい獲物を連れてきました!」

 男がそう叫ぶと、どこからか「シュルルルル……」と不気味な声が洞窟内に反響した。

「今日の獲物はそやつか……。ほほう……。これは、極上の女闘士だな」

 天井から一本の糸に吊るされ、現れたのは、この洞窟に密かに巣くっていた怪物。

 赤と緑の禍々しい縞模様に、足は八本。
 左右の口許には、赤い血のような大きな牙が生えていた。
 左目は深い傷によって塞がっているため、右目のみで獲物を見定める。

 大蜘蛛の魔物――アラクラトロ。
 
「もう一人の娘は闘気は並のように感じるが……」
「犯行現場を見られたため、一緒に連れてきました」

 アラクラトロはユリの体に糸を吐き出し、持ち上げる。
「うむ……。だが、不思議な魔力を感じる。これはこれで使えそうだ」
 品定めのように自身の顔の前で眺めてにやりと笑った。
 適当に糸を巻き付け拘束すると、他の繭と同じように天井から吊るす。

「では、そやつのエキスをしぼりだしてやろう。"ハンフリー"よ。我に差しだすのだ」
「はっ!」


 ――意識が、浮上する。

(あ、れ……わたし…は……)

 頭をぐったりと落ちた状態で、ゆっくり目を開けるユリは、眼下の光景にハッと意識を覚醒させた。
 そうだ、マルティナさんが襲われて、その相手がハンフリーさんで――

「マルティナさんっ!」
「!」

 ハンフリーがマルティナに手を掛けようとする前にユリが叫ぶ。

「ふっ!」

 ハンフリーが意識を反らしたその一瞬を見逃さず、マルティナは起き上がると同時に素早く脚を振り上げた。

「!」
「意識が戻ったのね。……巻き込んでしまってごめんなさい」

 ハンフリーから距離を取るマルティナは、彼女を見上げてそう小さく謝罪する。(巻き込んで……?)
 マルティナは次にアラクラトロへ視線を移した。

「ついに姿を現したわね。わざと捕まったかいがあったわ」

 わざと――その言葉に、彼女たちは真相が見えていたのだとユリは知った。
 エルシスに言った「ハンフリーに気をつけろ」という言葉の意味も、ここで繋がる。

 それよりも――。今の自分の状態に気づくユリ。

 糸が体に巻き付き宙ぶらりんな状態だ。
 どうにかこの拘束から逃れたいが、武器は宿屋に置いてきて、持ち合わせていない。(――あ)

「彼女を放してもらうわ」

 臨戦体勢を取りながら毅然と言うマルティナ。アラクラトロの隣でハンフリーも身構えた。

「16年前に町を襲った魔物の群れは、グレイグによって倒されたと聞いていたけれど、生き残りがこんな所にいたなんて……」

 16年前の魔物の生き残り。
 マルティナの言葉にユリは気づく。
 16年前といえば、ユグノア王国を魔物が襲った悲劇。
 同じ地方であるここにも被害が及んで……――

 次の瞬間、ユリの体に巻き付いた糸がプツリと切れた。
 その手には、譲り受け、お守りのように持っていたカミュの短剣が。
 彼の手によってしっかり手入れされた刃は、柔軟性のある蜘蛛糸をも断ち切った。

 糸から解放され、膝を曲げて地面に着地するユリ。
 自力で脱出した彼女に意外に思ったのか、少しだけ驚いたように目を見開いたマルティナだったが、やがてその口許に笑みを浮かべた。

 そして、ユリがそうしているように、再びハンフリーとアラクラトロを強く見据える。

「ハンフリーさん。どうして、あなたはそんな魔物と手を組んだんですか……?エルシスはあなたのことを信じてたのに……!」

 責めているのではなく、悲しげな声でユリはハンフリーに問う。
 エルシスだけじゃない。孤児院の子供たちも。応援している人たちも――みんな彼を慕って、信頼していた。

「オレ、は……」
「アラクラトロに拐かされたのね」

 口ごもるハンフリーに、代わりにマルティナが静かに言う。
 そこに、数人の足音が駆け込んで来た。

「ふむ、姫よ。ごくろうであったな」
「――ユリ!無事か!?」

 ロウとカミュを筆頭に、駆け寄る仲間たちにユリは自然と笑顔になる。

「お怪我はないですか!?ユリさま」
「大丈夫だよ、セーニャ!怪我もしてない」
「良かったわ〜!ユリちゃんもマルティナちゃんも無事で!」
「もうっ心配かけんじゃないわよ!」
「とりあえず、お前の身に何もなくて良かったぜ」
「うん、ユリが無事で良かった……!」

 ユリの無事に安堵する彼らに続いて、エルシスも同じようなほっとした言葉を口にしてから。

「ハンフリーさん……っ」

 魔物側に立つハンフリーに、エルシスは悲しげな視線を向けた。

 乗り込む直前に聞こえてきた会話の内容を思い出す。(あのハンフリーさんが、魔物と手を組んでた……?)

 エルシスの視線から逃げるように、顔をそらすハンフリー。

「ハンフリーよ。すまんがおぬしの部屋を調べさせてもらった」

 一瞬静かになったその場で、最初に口を開いたのはロウだった。

「決勝戦の直前で、おぬしが飲んでいたもの……。あれこそが闘士たちからしぼりだされたエキスだったのじゃな」
「そうか……。オレの部屋に侵入したのはあんたらだったのか……」

 ユリがロウと出会したあの夜の出来事は、やはり侵入した後だったらしい。

「シュルルルル……。その通りだ、人間よ。16年前、我は憎きグレイグによってキズを受けた……。そのキズを癒すためのエキスを集めるために、この男を利用したのだ」
「……なるほどね。あなたは16年前、グロッタの町を襲った生き残りの魔物ちゃんってわけ」

 納得というように言ったのはシルビアだ。

「強い人間のエキスを飲めば、我がキズは治る。そのエキスを人間が飲めば無敵の身体になれる。その誘いにこの男は乗ったのだ……」

 皆の視線がハンフリーに集まった。
 彼はゆっくりと口を開く。

「勝ち進んで、金を手に入れるためには強者のエキスが必要だったんだ。孤児院を守るためならなんだってするぜ」

 ――孤児院を守るため。

 ハンフリーが孤児院を、子供たちを大切にしているのはよく知っている。
(でも、だからって……)
 そのためならなんでも――魔物と手を組んで、何の罪もない人たちをさらって、利用して。

 それは本当に子供たちのためなのだろうか?
 正しいことなのか?正義なのか?

 ハンフリーの告白にショックを受け、動揺するエルシス。
 対してハンフリーはしっかりと目を見開き、彼らをその目に捉えて言う。

「すまない!この秘密を知られたからにはお前たちを生かしておくワケにはいかん!」

 覚悟と殺気と共に拳を構えるハンフリー。
 エルシス以外の皆が応えるように、武器を構える。

「エルシス!しっかりしろ!事情があろうと、あいつのやったことは許させることじゃねえってお前も分かってんだろ!?」

 カミュに叱咤され、エルシスは何とか力の入らない手で剣を握る。

「エルシス。……ハンフリーさんを止めよう」

 止める――。ユリの言葉に、エルシスは戸惑いながらも彼女の顔を見て頷き、手に力を込めた。(……そうだ。これ以上ハンフリーさんが罪を重ねないように、僕が止めるんだ……!)

「……っ!?ハンフリーさん!!」

 突如、胸を押さえ苦しむハンフリーに、エルシスは思わず駆け寄りそうになった。

「くそっ……。こんな時に……」
「やれやれ……。おろか者め……。自分の身体のこともわからぬとはな」

 ロウが哀れむような目を向け、ハンフリーに言う。

「おぬしの身体はあのエキスのせいですでにボロボロじゃ。そうして立っていられるだけでも奇跡といえよう」
「ふふ……。情けないな。これも魔物のチカラに頼った報いか……」

 弱々しい自虐の笑みを浮かべ。その言葉を最後に、ハンフリーは倒れる。

「シュルルルル……。これ以上、使い物にならんか。しょせんは軟弱な人間よ……」
「……お前が……いなければ……」
「ならば、このアラクラトロさまが直々に貴様らを始末してくれるわ――!!」

 強大な殺気と威圧感を放つアラクラトロ。
 それは、彼らの肌にビリビリと突き刺さった。

「……っ、さすが、グレイグから逃げ果せた魔物ちゃんだけあるわね」

 笑みを浮かべるも、シルビアの口調は真剣そのもの。

「私はみんなを救出する!魔物のほうはあなたたちにまかせたわ!」

 マルティナの言葉に、エルシスはこくりと頷く。
 天井から吊るされている繭はさらわれた者たちだ。彼らも放ってはおけない。

「ユリさま、私たちは回復に専念しましょう。……あの魔物は、とても嫌な感じがします」

 セーニャは手の震えを隠すように両手でスティックを握りしめた。
 どちらにせよ、ユリは今、自身の武器を持っていない。
 彼女が頷く前に「ユリ」とエルシスが静かに彼女の名を呼んだ。

「君はハンフリーさんを頼む」
「!エルシス……」
「子供たちと約束したんだ。必ずハンフリーさんを連れて帰るって――」

 ハンフリーが悪に手を染めようとも。それでも、子供たちにとって……きっと彼はヒーローなのだ。

「……わかった」

 ユリはエルシスの言葉にしかと頷いた。
「わしも回復を手伝おう。強敵じゃが、あせらんようにな」
 代わりに杖を握るロウがセーニャの隣に並ぶ。

 二刀流のカミュ。
 剣を構えビシッとポーズを決めるシルビア。
 杖を両手でぎゅっと握り、集中するベロニカ。

 エルシスは彼らと顔を見合わせ、互いに大きく頷く。

「もうお前の好きにはさせない……!行くぞ!アラクラトロ!!」

 エルシスは地面を蹴った。


 エルシスの横からの剣をアラクラトロは前足で受け止める。「っ!」

「後ろががら空きだぞ……人間」
「そりゃどうかな!」

 滑り込み、素早く二回攻撃を叩き込むカミュ。

「まとめて我がトゲの餌食となれ……!」

 死グモのトゲ――!

 アラクラトロの背中からトゲが飛び出し、それは次々と辺り一面に降り注いだ。

「きゃあ!」
「なんと……!」

 激しい全体攻撃に、悲鳴が飛び交う。

「させないわ……!」

 シルビアはベロニカ、セーニャ、ロウを守るように三人の前に立った。
 彼だからこそ出来る剣さばきでトゲを跳ね返す。

 それでもすべてをさばき切ることはできず……シルビアに出来た傷は、すかさずセーニャが呪文を唱え癒した。

「ありがとう、セーニャちゃん」
「それはこちらの台詞ですわ、シルビアさま」
「あっぶないじゃなーい!!もう怒ったわ!」

 ベロニカは怒りのままゾーンに入り、呪文を唱える。
「食らいなさい!メラミ!!」
 ベロニカの得意な炎の魔法。メラの上位魔法だ。

「ぐふっ!」
「っ!ベロニカ効いてるよ!炎が弱いみたいだっ!」

 エルシスは声を上げたと同時にかえん切りを放つ。彼の言葉通り、再びアラクラトロは悲鳴を上げた。

 ――彼らが戦ってる最中。

 ユリはハンフリーの身体を力いっぱい引きずって、できるだけ戦場から遠ざけると「ホイミ」と癒しの呪文を唱えた。

(……だめだ。外傷じゃないからホイミが効かない)

 ロウはエキスをよって彼の体はボロボロだと言っていたが……。
 強い人間のエキス――闘気――生命力。

(逆に生命力を奪われて……――!)

 直後、周囲にアラクラトロの死グモのトゲが次々と打ち込まれる。
 咄嗟にハンフリーに覆い被さるユリ。

「――ユリ!!」

 その光景を目にしてカミュは慌てて助けに向かおうとするが、その必要はなかった。

「坊や。彼女が大事なのは分かるけど、あなたはアラクラトロに集中して」

 マルティナの脚が全て砕き、弾き返したからだ。

「……チッ!」カミュは離れたマルティナにまで聞こえそうなほどに舌打ちをすると、くるりと背を向ける。

「あの……助けてくれてありがとうございます、マルティナさん」
「あなたも……あの子も、とても優しいのね」

 ……あの子?

「私には、彼を助ける義理はないけれど……あなたたちになら……」

 マルティナがユリに差し出したのは細長い小瓶だった。
 ハンフリーが飲んでいた物とは違い、清らかな輝きを放っている。 
 瓶の中の液体に浸してある葉は、どこか懐かしく、ユリの記憶にあるもの。

 世界樹の葉だ。

「せかいじゅのしずく……?」
「本来なら周囲に振りかけて使うものだけど、口にすれば効果は倍増するの」

 どう使うかはまかせるわ、といたずらっぽく笑うマルティナに、察してユリは頷く。
 迷わずハンフリーの口に数滴垂らして飲ませると、その顔はみるみるうちに生気を取り戻していった。

 これでもう、彼は大丈夫だろう――。


「足元に気を付けな!」

 シバリア!カミュは地面に片手をつけると、唯一覚えている攻撃呪文を唱えた。
 アラクラトロの下に魔方陣が浮かび、大地が爆発する。

 マルティナが彼女を守ってくれるなら、カミュはそれで構わなかった。ただ、言い方が腹立つだけで。

「エルシス、れんけい技いくぞ!」
「うん!厄介な技を使ってくるし、速攻で倒そう!!」

 息を合わせる二人。怯んだと見せかけたアラクラトロはにやりと笑う。

「メダパニーマ!」

 唱えたのは混乱呪文。エルシス、カミュ、セーニャ、ロウが混乱する。

「ま、まずいわ……!!」

 運よくかからなかったベロニカが焦燥の声を上げた。

「ロウさまを混乱から解いて!キアラルの呪文を覚えてるわ!」

 捕らわれた者を助けながらマルティナが叫ぶ。

「なら、アタシにまかせて〜!」

 明るい声で答えたのはシルビアだ。

「ロウちゃん!正気に戻って!」

 ビシッ!シルビアが独特のポーズでつっこむと、ハッとロウの混乱が解ける。

「わしとしたことが……!」
「おじいちゃん!いいからみんなの混乱を早く解いて!!」
「ご、誤解です!お姉さまは無実なのです……!!」

 混乱してスティックを振り回しながらそう叫ぶセーニャに「どんな混乱の仕方よー!?」とベロニカがつっこみたい。

「むむ……キアラル!」

 白く輝く光が彼らに届き、全員の混乱が解ける。

「邪魔をしおって……!」

 アラクラトロの怒りがマルティナに向かう。
「ヒャド!!」
 すかさずユリが呪文を唱えて、氷の礫が襲った。
 ――が、アラクラトロは尻から糸を吹き出し、引っ張られるように上に避ける。

「厄介な野郎だ……!」

 宙に逃げられては、カミュのシバリアも意味をなさない。

「デイン!!」

 エルシスが聖なる雷の魔法を唱えたが、糸を使い縦横無尽に宙を飛び交うアラクラトロには当たらない。

「シュルルルル……!」

 アラクラトロは呪縛糸を吐き出した。

「しまった……!」
「いやんっなによこれー!」
「く……っ」

 頭上から吐き出された糸は、カミュとシルビアとセーニャに命中して、体に絡みつく。

 三人は動けない!

(っ、あいつを撃ち落とさない限り攻撃が……)

 ――撃ち落とす。(そうか!)

「ユリ!!」

 エルシスは、ユリの武器を袋から取り出すと、彼女に向かって投げる。(ユリの弓の腕前なら……!!)

「ありがとう、エルシス!」

 ユリは弓と矢筒をキャッチすると、素早く装備した。

「ドルマ!」
「もういっちょメラミ!」
「ええいっ目障りだ!死グモのトゲ!!」
「うわっ!」
「っつ!」

 再び、今度は頭上から降り注ぐその攻撃のダメージを受けながらも、腰を落とし、片膝を地面につくユリ。

 頭上に矢を向け、弓を構えた。

 ゾーンに入る。腕から血が流れるのも気がつかないほどの集中力。
 きりきりと月が満ちていくように弓を引き絞り、動き回るアラクラトロに狙いを定め……

 破魔の矢を――!!

 ユリは矢を放った。彼女の魔力を纏ったそれは、聖なる光の矢になり。

 一直線にアラクラトロを貫いた。

 糸も千切れ、苦しげな悲鳴を上げながらアラクラトロは落ちて来る。

「エルシス!今度こそれんけいだ!」
「カミュ!いつ糸の拘束から……君ちょっと焦げてない!?」
「ベロニカに燃やしてもらったんだ!」

 会話をしながらも二人はしっかりとシャドウアタックを決める。
 背中から地面に叩きつけられたアラクラトロ。

「やったわ!!」

 仰向けに動かないアラクラトロを見て喜ぶベロニカ。

「ユリのおかげだ!」
「腕前上げたな!」

 エルシスとカミュの言葉に、ユリは二人に笑顔を向けた。

「誰かこれどうにかして〜」
「動けませんわ……!」

 未だに糸が絡んだままのシルビアとセーニャ。
 エルシスが助けに行こうと……

「……待て。様子がおかしい」

 警戒するようにロウが言った。その言葉に、エルシスは足を止め、振り返る。

「なんだ……!?」

 アラクラトロの体がドクドクと脈打っている。

「!糸か……!糸からエキスを吸い上げているのじゃ……!」

 気づいたロウがドルマを唱え、すかさずベロニカもメラミを唱える――が。

「――力が、みなぎったわ!」

 体力が回復し、立ち上がるアラクラトロ。

「しぶといやつ……!」

 眉を寄せて睨みつけるベロニカ同様に、エルシスもアラクラトロを鋭く捉える。(捕まった人たちの力を……!)

「でも、完全回復じゃない……。もう一度、今度は完膚なきまでにやつを倒す……!」
「熱くなり過ぎるなよ、エルシス」

 ま、オレも同感だけど――そうつけ加えて二刀の構えをするカミュ。

「敵の攻撃は把握しましたわ。まずは……」

 やっと糸から解放されたセーニャは、スティックを回し、ロウに「えいっ」とおまじないをかける。

 キラキラポーン(セーニャいわく、略してキラポン)だ。

「ロウさま。悪い効果から守るおまじないをかけましたわ。私たちが混乱状態になった時はお願いします」
「ありがとう、お嬢さん。わしにおまかせあれじゃ」
「マルティナさん!捕まった人たちの繭は私が撃ち落とします!」
「!ありがとう。お願いするわ!」

 もうこれ以上、彼らの生命力は奪わせない――。
 弓を引いて、繭を吊り下げている糸を断ち切るユリ。
 落ちる繭をマルティナが受け止めた。

「はあああ……!!」

 ユリとのれんけいがなくともゾーンに入ったエルシスは、アラクラトロに猛攻を仕掛ける。

「パイシオン!」
「スカラ!」

 前衛で戦う彼に、シルビアとセーニャが補助の魔法をかける。
 カミュはエルシスに合わせて攻撃を繰り出していた。

「慌てふためけ!」

 ――きた!アラクラトロはメダパニーマを唱える。

「なんなの〜?」
「……??」

 今度はシルビアとベロニカが混乱。

「キアラル……!」

 すかさずロウが二人の混乱を解く。

「ぐっ」
「うおっ!」

 混乱はすぐに解けても、できた一瞬の隙に、エルシスとカミュは強烈な反撃を受けた。

 吹っ飛ばされた二人。

 すぐには動けない二人は放置し、アラクラトロは次の標的を後衛の三人に見定める。
 そこへ捕縛糸を吐き出すが、それは一瞬のうちに燃え上がる炎によって消し炭になった。

「――色々とお返しするわね」

 シルビアの火吹き芸だ。

 その炎の上で、彼は曲芸のように華麗に一回転し、アラクラトロに向かって流れるように剣を薙ぎ払う。

 まるで、半月を描いたような剣筋。

「ギャアアアアアア!!!」

 アラクラトロの左目から青い血が噴き出し、断末魔のような悲鳴を上げた。

「……っお…お…おのれえ……」

 右目がすたっと軽やかに着地したシルビアを睨む。

「ウフフ、その左目。傷をつけた彼は、どんな風に戦ったのかしら?」
「……!貴様、もしやあの忌々しい男の仲間か……!!」


 ――シルビアがアラクラトロに一撃を負わした最中。

「……っ毒か……っ」

 猛毒に犯されズキズキと痛む肩を手で押さえているカミュ。

「キアリー!」

 気づいたユリが解毒の呪文を彼に唱える。すると綺麗サッパリ、カミュの身体から毒が消えた。

「……ありがとな!」

 カミュはユリにお礼を言うと、すぐにエルシスの姿を探す。
 自分より前に出て戦ってた彼は、小さな傷を受けてた上、それ以上にダメージを受けたはずだ。

「エルシス!!」

 横たわり、鋭い爪が腹に刺さったのか。そこを押さえ、動けないでいるエルシスの姿が目に飛び込んだ。

「しっかりするんじゃ!!」

 渾身の魔力を振り絞り、べホイミを彼に唱えたロウ。

 間に合え――トゲが降る合間を駆け抜けるカミュ。

 死グモのトゲを放ったアラクラトロが。
 その混乱に生じて、瀕死のエルシスに標的を変えたのに気づいたからだ。

「まずはお前から仕留めてやろう……!猛毒に犯され死ねえ……!!」

 アラクラトロの毒牙がエルシスに落とされる――


 その瞬間。
 誰もが彼の名を叫んだ。


 直後、何かが弾ける音と彼の周りに目映い光が散る。

(あれは………)

 破毒のネックレスか!!

 ユグノア地方に入ってすぐの、湖の宝箱から手にいれた。カミュはデザインが自分の趣味じゃないと思ったが、エルシスはかっこいいと言って身に付けたものだった。

「……はは……」

 思わずカミュの口から笑い声が溢れる。
 まさか、そのネックレスがアラクラトロの渾身の猛毒攻撃からエルシスを守り、砕け散るとは。


「ぐふぅ……!!」

 アラクラトロは苦しげに青い血を吐き出し、それは下にいるエルシスの頬や髪にかかる。

「お前は……生かせておけない」

 慈悲のない目を向けてエルシスは言った。
 彼の剣は、的確にアラクラトロの心臓を下から貫いていた。

「人、間…ごとき…が……っ」

 最後にそう怨みがましくエルシスに言って、アラクラトロは塵のように跡形もなく消え去る。

「――エルシス!大丈夫か!?」

 カミュがすぐさまエルシスに駆け寄り「うん……なんとか……」弱々しく微笑む彼の手を掴み、引っ張り上げた。

 他の面々も心配そうに駆け寄ってくる。

 ユリはマルティナと共に捕まった者たちの救助をしており、いなくなった闘士たちが横たわっていた。
 何か小瓶を飲ませており、捕まった者たちは彼女たちにまかせて大丈夫だろう。

「これで一件落着だな……」

 同じように見渡していたカミュが言った。
 一件落着――確かに行方不明事件も、教会に入った賊も判明し、解決した。

 でも、これですべて終わりというわけではない。


「仕方なかったんだ……。オレのような三流闘士のかせぎでは、子供たちを養うことができなかった……」

 程なくして目覚めたハンフリーはそう話を切り出した。懺悔をするような言葉を、エルシスはただ黙って聞く。

「ここは孤児院の真下に当たる場所でな。ある日、金が底をつき、アタマを悩ませていると、アラクラトロの声が聞こえてきたんだ。チカラが欲しくないか……?欲しかったら我のもとに来いと……」

 ――その声に、ハンフリーさんは。悲しげに瞳を伏せるエルシス。

「仮面武闘会で賞金をかせぐために、オレはチカラを手に入れることにした。ヤツの道具になる道を選んだ……。ろくでもない契約なのはわかっていた。だけど、オレの育った場所……孤児院と子供たちを守るためにはこうするしか……」

 こうするしか……本当にそれしか方法はなかったのだろうか。
 綺麗事かも知れない。――けど。

「……ハンフリーさん。それでも、僕はあなたにそんな選択肢を選んで欲しくなかった」

 エルシスが静かに口を開いた。

「出会って数日ですが、一緒に戦って、エキスを飲んでなくてもあなたは強かった。頼もしかった。子供たちと話しても、みんなあなたのことを慕ってました。ハンフリーさん……あなたは、魔物なんかの道具になっていい存在じゃないッ……!」
「……エルシス……」

 彼が……ハンフリーが、根っからの悪人だったら、こんな感情にはならなかっただろう。
 彼が間違ったことをしたのは、頭では分かっている。

 でも、感情で割り切れない苦しさ。

 短い間にその人柄に触れて、尊敬できる人だったからこそ、エルシスは悲しさや悔しさを感じていた。

「エルシス……オレは強くない」

 自虐気味た声でハンフリーは答える。
 次に口を開いたのは、ロウだった。

「その決意をまっとうな努力に向けず、魔物の甘言に乗ったのはおぬしの弱さ……」

 エルシスは自分の隣に立った彼を見る。

「しかし、まだやり直せるはずじゃ」

 哀れむ目ではなく、暖かく見守るような眼差しで、ハンフリーを見つめていた。
 そして、己の行いに後悔し、項垂れるハンフリーの側に寄る。

「わしはここの町長にツテがあってのう。孤児院については悪いようにはせん。なんとか手を打つようはたらきかけてやる」

 老人らしい穏和な笑みを浮かべて。

「だから、安心して人生やり直すがよい」

 その言葉に、頭を上げたハンフリーの両目から一筋の涙が流れた。

「すまない……。本当にすまなかった……」

 犯した罪は消えないが、償い、やり直せることはできるのだと……エルシスは知る。

 願うのは、止めどない涙を流すその姿に、これからの彼の生きる道が幸あるようにと。

 ――こうして、グロッタの行方不明事件は解決し、エルシスたちは宿屋でひと晩を明かした。


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