仮面武闘会〜表彰式

「エルシス、起きて……」

 ……………………。

「ねえ、起きて……」

 ……………………?

「起きてったら!」


 ……この声は……?


「エルシスちゅわ〜〜ん!」
「!?」

 エルシスが目を開けると、視界いっぱいにシルビアの顔が映った。

 驚きにばっちり目が覚める。

「よお、エルシス。お目覚めのところすまないが、闘技場に急いだほうがよさそうだ」

 ベッドから体を起こすと、シルビアとは別に、そこには身支度が済んだカミュが立っていた。

「おあずけになった表彰式を今日やるんだとよ。さあ、はやくいこうぜ」
「表彰式、がんばってね、エルシスちゃん!観客席から勇姿を見守ってるわ!」

 部屋を出る二人。エルシスは急いで寝巻きから着替えて、身支度を済ませた。

「おはよう、エルシス」
「相変わらずお寝坊さんね、エルシスは」
「おはようございます、エルシスさま。今日はいよいよ中断になっていた表彰式の続きですわね」

 ロビーに行くと、笑顔で出迎えてくれた女性陣。
 全員揃い、宿屋を後にする。

「行方不明事件も孤児院に入った賊のことも今回のことで一気に解決したし!これで堂々とお祝いできるわ!優勝おめでとう、エルシスちゃん。本当によくがんばってくれたわね」
「ありがとう、シルビア」
「このアタシ……じゃなくて、レディ・マッシブを倒しての優勝だもん。誇りに思っていいと思うわよん!」
「エルシスとシルビアさんの対決。二人ともかっこよかったね!」
「もお〜ユリちゃんったら、シルビアじゃなくてレディ・マッシブよ!」

 どこまでもシルビアはレディ・マッシブで突き通すらしい。

「あ、そうね」と笑うユリの耳元で、落としたスライムイヤリングが揺れる。
 偶然にもマルティナが見つけて、持っていてくれていたという。
 届ける前に持ち主に渡せて良かったと微笑み、ユリに手渡したマルティナ。

 彼女やこの町の町長にツテがあるロウが何者か、エルシスは詳しく話をしたかったが、昨日はあれっきりになってしまった。(僕からもハンフリーさんの件でロウさんにお礼を言いたいし。今日、話せるかな)

「おっルーキーいよいよだな!ちゃーんと表彰式観てるから、ビシッとキメてこいよな!」

 表彰式ということで、町中もまた賑わいを見せていた。
 エルシスは微笑を浮かべてかけられた声に手を振る。

「お前もずいぶん慣れたもんじゃねえか」
「そうね!エルシスちゃんの人気っぷりにちょっぴり妬けちゃうわ〜」
「カミュもシルビアもからかわないでよ……」
「お店にはエルシスグッズが売られてて、すごく人気なんだって」
「ええ……」

 ユリの言葉に、エルシスは複雑そうな顔をした。

「どこも商売魂が凄まじいわね…」

 商売魂以前の問題である。

「私、つい買ってしまいそうになりましたわ」
「セーニャ、買わないでくれ……」

 グレイグの像が見えて来ると、昨日知った彼がこの町で英雄と慕われる理由を、エルシスは思い出す。
 
 16年前――ユグノア王国と共に近くにあるこのグロッタの町も魔物に襲われた。
 その戦いで功績を上げたのがグレイグだという。
 騎士として優秀なのだろう。
 残念ながら、そんな彼とは敵対しているが。

「ビビアンちゃんとサイデリアちゃんが無事に帰ってきたみたいで、おれっちもホッとしたよ。あのかわいいカオにキズでもついたら、世界中にいるあのふたりのファンが犯人を地の果てまで追いかけるだろうな」

 あのピンクの鎧を着た剣士が話題にするように、いなくなった闘士たちが戻ってきた話はすでに町中に広まっているらしい。

「エルシスさんってさぁ」

 再び自分の名前が耳に届く。

「おとなしそうなカオして、強いってのがギャップがあっていいよなあ。男のオレだってあこがれちまうよ」

 あこがれ……こそばゆいが嬉しい言葉に、エルシスは思わずそちらに顔を向けると。

「……って、エルシスさん、本人じゃないか!ファ、ファファファ、ファンなんだ!あ、あく…あくあくっ握手してくれよなっ!」

 興奮する男に握手を求められ、エルシスはにこやかに対応した。

「……ねえ、本当にエルシスったらアイドルみたいになってない?」
「もともとエルシスはポテンシャルがあるし……」

 ベロニカの言葉に答えるユリ。
 なんのポテンシャルだ。久しぶりに彼女の不思議思考回路が垣間見える発言を聞いたなぁとカミュは思う。

 ――熱狂的ファンが出来たのは、何もエルシスだけではなかった。

「シルビアさんっ!」

 シルビアを呼び止めたのは、彼とペアを組んだ……

「あの魔物に捕まった時……。まどろみの中で心地よい声を聞いたんだ。そう、あれはシルビアさんの声だった……」

 マスク・ザ・ハンサムだ。

「ボクの名を呼ぶシルビアさんの声は、まるで美しい愛のメロディーのようだった……」
「ウフフ……それはきっと幻聴ね!」

 何故ならシルビアは彼の名を呼んでいない。

「シルビアさん、あなたはボクの愛の騎士だっ!」
「アリガト!アタシはみんなの愛の騎士よん!!」

 おいおい、あのキザ男に一体何があったんだ――カミュはマスク・ザ・ハンサムの変わりように驚愕する。
 そして、何気にかつ華麗に彼の言葉を受け流しているシルビアに感心した。

「ハンサムさまってなんだか私の思っていた人とちがっていたみたい。これを機会にファンを卒業するわ」

 そう言って彼を冷静に見る旧ファンの女性。彼女は戻ってきたエルシスを目にした途端。

「あらぁ、エルシスさまぁん!私、今日からあなたのファンになりましたの!これからはエルシスさまの時代ですわよ!」
「きゃ〜エルシスさまだ〜」
「!?」

 鞍替えかい――と、カミュとベロニカは心の中でつっこむ。
 同時にその場に黄色い悲鳴が飛び交い、たじろぎ、戸惑うエルシス。

「私はカミュさまが……ポッ」
「カミュさまー!」

 ………………オレもか!

 エルシスの名前だけでなくカミュ、シルビアの名前も上がる。
 きゃーきゃーと盛り上がるその場に、

「……………………」

 ぽつんと取り残された女子三人。

 ユリとセーニャはその勢いに困りつつも三人の人気っぷりに微笑ましく見ているが、もちろんベロニカは呆れ返っている。

「もうっみんなそろって「さま、さま、さま」って、エルシスたちは神さまなのかしら!?」

 ほっといて先に行きましょ!とスタスタと歩いてベロニカは行ってしまう。お互い苦笑いで顔を見合わせてから、ユリとセーニャは小さな背中を追った。

「でも、これでやっと虹色の枝が手に入るのね」

 ベロニカは受け付けに飾られている虹色の枝を見上げて、しみじみと言う。

「優勝賞品の虹色の枝……正直なところたてつけの悪い扉のつっかえ棒ぐらいしか使い道が思いつかんよなあ……」
「ちょっとあんた罰当たりよ!?」
「まあまあ、お姉さま……」
「(つっかえ棒……)」

 聞こえてきた男の言葉を流せず叱るベロニカ。
 確かにつっかえ棒は……もう少し良い使い道があるのではとユリは考える。
 
「あっ、ルーキーのお仲間じゃないか!いやいやキレイだよな、虹色の枝!うらやましいなーオレもほしいなーっと」

 ルーキーの仲間と気づいた途端、調子よく言う男も男であった。


「ああ、エルシスさま、お待ちしてました!ハンフリーさまの体調も回復したので、これより表彰式を行いたいと思います!」

 やっとのこと、エルシスは受け付けにたどり着いた。

「だったのですが……準備に時間がかかってまして……すみませんがもう少しお待ちいただけますか?」
「あ、じゃあ、朝食を食べてきてもいいですか?僕、食べずに来ちゃって……」
「ええ、それはもちろん!食事が終わる頃には準備が出来てると思いますので、係りの者にお声かけください。会場の闘技場までご案内しますので、お手数ですがご足労お願いします!」

 観客席には入れるみたいなので、五人はそちらに向かい、エルシスは一人、二階の酒場で朝食を取りに行く――


「エルシスグッズは売れてるのにどうしてオレのグッズはまだこんなに売れ残ってるんだよ!」

 酒場に向かう途中の露店通りで、怒声が飛び込んできた。

 ……ガレムソンだ。

 エルシスはいらぬトラブルに巻き込まれぬよう、そ知らぬ顔でそーっと通り抜けようとする。

「……あっ、お前はエルシス!」

 ギクッ。……気づかれた。

「お前ちょっとオレを助けたからって、いい気になってやがるだろ、おう!?」

 彼らを助けたのは、正確に言えばユリとマルティナである。

「オ…オレはお礼なんかしないからな!それどころか強者のエキスを手に入れてお礼参りしてやるから覚悟しとけよ!」

 ……おや、これはもしや。

「分かりづらいツンデレ?」
「あぁん!?」

 真面目に強者のエキスは止めた方がいいが。

「あんな魔物に捕まるなんて、あたいもまだまだ修行が足りないな。今度来たらぶちのめしてやる!」
「ボクちゃんが助けてくれなかったらビビアンちゃん、今頃エキスをしぼりとられてシワシワのおばあちゃんになってたかも……」

 酒場にはいつものカウンター席でサイデリアとビビアンの姿もあった。

「ありがとね、ボクちゃん。お礼にぱふぱふしてあげちゃおっかな?……あら、赤くなっちゃってカワイイわん!」

 サマディー以来に聞いたぱふぱふという単語。
 エルシスにとっては災いの言葉である。

 ――他にもベロリンマンの姿や。

「べローン、ベロローン。魔物にエキスを取られたからか、食べても食べてもハラが減るべローン」
「ベッベロリンマンさん!自分ファンっす!あなたの超ファンなんす!お願いです、記念に自分にもそのキングスライム級のケツで押しつぶしてくださいっす!!」

(……マジか)

「……悪いがジャマしないでくれ。もう二度とさらわれたりせぬように精神を統一しているんだ。って、エルシスさんか。その件は世話になったな」

 ミスター・ハンの姿もあった。

 さらわれた闘士たちは皆相変わらずだ。でも、元気で良かったとエルシスは安心する。
 安心したらますますお腹が空いてきた。
 彼は丸テーブルに座ると、ウェイターに食べたいものを注文した。


「彗星デビューのルーキー闘士♪じいさんの不正でラッキーも味方し、トントン拍子、マジうらやましー♪」
「………………」
「意外にアツい格闘スタイル♪時折見せる微糖スマイル♪今日もエルシス突っ走る!イエー♪」
「………………」

 まさか、自分の歌を聞きながら朝食を食べるとは……
(は……恥ずかしいぃ……!!)
 気まずさにエルシスはそれこそ顔を赤くさせながら、急いで朝食を平らげた。


 いよいよ、皆が待ちに待った表彰式が始まる――。

 観客席は満員で、彼らは再びステージに立つチャンピオンの二人の姿を楽しみにしていた。

 そこには一般観客だけではなく、ガレムソンやビビアン、サイデリア。
 ミスター・ハン、マスク・ザ・ハンサムなど。
 武闘会に参加していた闘士の面々の姿もあった。
 
 そして、エルシスと別れた五人の姿も。

「ようやくおあずけになってた表彰式が行われるみたいでよかったな。一時はどうなるかと思ったぜ」
「マルティナさまもさらわれた闘士の方も無事に戻られて本当によかったですね。ハンフリーさまも反省なされたようですし」
「うん、何はともあれ行方不明事件が解決できて良かった」

 セーニャに続いて話すユリに、カミュは隣の彼女を見ながら再び口を開く。

「でも、お前がいなくなった時は肝が冷えたぞ……。本当に、あいつらに利用されたんじゃないんだな?」

 それはカミュの疑念だった。何故ならユリがさらわれたとなれば、確実に自分たちは動くから。
 そこまで計算しての行動だとしても、あの二人なら何らおかしくないとカミュは考えていた。

「本当に!落としたイヤリングを探していたら、たまたまマルティナさんの姿を見かけて……」

 彼女をさらうハンフリーの姿を見てしまい、それに気づいた彼に――と、その辺りはユリはごにょごにょと誤魔化した。

 心から自分の過ちに反省と後悔したハンフリー。
 彼は自分に対しても昨日、謝罪(と助けてくれたとお礼も)してくれた。
 ユリはもう気にしていないし、これ以上、彼の心証を悪くしたくないと思ったからだ。

「……それは分かったけどよ。……関係ねえユリを連れ去ったハンフリーのやつはやっぱ許せねー……」

 現にカミュは未だにぶつぶつと不満を呟いている。

「ユリの件もだけど……。いくら孤児院の子供たちのためだからって、魔物の誘惑に乗っちゃうなんて、そんなの絶対に許されないわ。これを機会にハンフリーも子供たちと一緒にまっとうに生きられるようになるといいわね」
「それは大丈夫じゃないかしら?昨日の彼のあの涙を見れば……」

 ベロニカの言葉にそう意見するシルビア。「そうですわね」とセーニャが同意する。

「それにしても……ロウさまがグロッタの町の町長とのツテを使って孤児院を守るとおっしゃってましたが……いったいロウさまは何者なのでしょう?ますます謎は深まるばかりですわ……」

 その言葉には、全員う〜んと考える。彼らが何者かは分からないが、悪い人たちでないことは確かだとユリは思った。
 ステージに司会者が立てば、皆の注目が一斉にそちらに集まる。

「大いに盛上がった仮面武闘会も、いよいよ終わりの時を迎えました!」

 司会者の演説に、観客は歓声で答えた。

「それでは、改めて表彰式を行います!
ハンフリー・エルシスチーム!どうぞ舞台へ!」

 仮面を着けたハンフリーとエルシスが同時にステージに上がる。

「それでは、優勝賞品の……」
「ちょっと待ってくれ!!」

 右手を上げ、司会者の言葉を遮るハンフリー。エルシスは彼を見た。
 観客席も一瞬しんとなり、ハンフリーの中断に皆不思議そうな顔をする。

「本来、表彰式ってのは場があったまってる時にやるものだ。お客さんもこれじゃ盛り上がらない」

 話を続けるハンフリーは――

「そこで提案だが……」

 エルシスをまっすぐ指差す。

「エルシス!優勝賞品をかけてエキジビションマッチをやろうぜ!どちらか上か白黒つけようじゃないか!」

 エルシスもまた、仮面の下でハンフリーをまっすぐ見返した。
 ハンフリーの予期せぬ提案にきょとんとした観客席だったが、すぐに盛り上がりを見せる。

「エルシス対ハンフリーさん……!」
「真のチャンピオンを決めるってわけか」
「あら〜面白そうじゃない!」
「場を盛り上げるとは別に、なんだかハンフリーさまの決意を感じますわ……」
「ええ…。きっと、彼なりにけじめをつけようとしているのね」

 五人はそれぞれ口に出した言葉は違えど、二人を見守るような気持ちは同じだ。
 
「まさかのエキジビションマッチの提案に会場も大いに盛上がっています!さすがチャンピオン!心得ています!」
「これでもう後には引けなくなったな」

 ハンフリーの言葉に、エルシスは仮面の下で目を閉じ、微笑を浮かべる。そして、ゆっくりと頷き……

「ハンフリーさん。その提案――受けて立ちます」

 エルシスが自らの言葉で力強く答えると、再び会場から歓声が上がった。

「なんてことでしょう!ルーキーも心得ております!!」

 今度はハンフリーがフッと笑みを溢す。
 そして、おもむろに何かを取り出す仕草をして――

「なーんてな……。もうオレは、エキスなんかには頼らない。正々堂々勝負するとしよう」

 手のひらを見せ、ひらひらさせた。
 もちろんエルシスは、彼の手には何もないことを分かっていた。

「行くぞ、エルシス!勝っても負けても恨みっこなしだぜ!」

 ハンフリーのその言葉によって、二人の勝負が始まる。
 片手剣を握り、構えるエルシス。

「エルシス……遠慮せず全力で戦ってくれ!」
「いきます…!」

 突っ込んでくるハンフリーをエルシスは迎え撃つ。――カキンッ!剣とツメがぶつかり合って火花が散った。

「くっ……!」

 エルシスが力を込めると、簡単にツメを弾き返し、ハンフリーは後ろによろける。
 間髪入れずにエルシスはそこに回し蹴りを押し込んだ。
 呻き声を上げ、尻餅をつくハンフリー。
 チャンピオンである彼のその姿に会場がざわめく。

「まだまだっ……!」

 ハンフリーは立ち上がると、左右のツメを交互に振り回す。
 それを上半身を反らし、いとも簡単にエルシスは避けた。そして、彼も打ち込み。再びカキンカキンと金属がぶつかり合う音がその場に響く。

 エルシスが優勢に二人の攻防が続き――……やがて。

「勝負あり!!勝者!!エルシス!!」

 エルシスの前で床に膝をつくハンフリー。

「……呆気なく決着がついたな」

 カミュが真剣な面持ちで静かに呟く。
 彼の元々の実力は分からないが、エキスのせいで弱体化しているのだとユリは気づいた。
 だが、彼はそんなことを言い訳にはしないだろう。
 
「ハンフリー……。なんだか弱くないか?」
「いったい、どうしちまったんだろう」

 ――そんな会場の言葉は聞こえずとも、ハンフリーはその空気を肌で感じ取っていた。

「お見事……。エキスを飲まなかったらオレの実力なんてこんなもんだ。お前も……観客のみんなもわかっただろう」

 ハンフリーは片腕を庇いながら立ち上がり、エルシスに言う。

「チャンピオンという名誉を受け取れるほど、オレは実力もなければ立派な人間でもない」
「……ハンフリーさん……」
「エルシス。お前がオレを強いって言ってくれて…嬉しかった。でも、オレなんかよりお前の方がずっと強いさ。腕っぷしだけじゃなくて、その心も――」

 子供たちに向けるような優しい眼差し。
 エルシスの胸がぎゅっと締め付けられた。
 嬉しいのに、目頭が熱くなって泣きそうになるのは何故だろう。

「賞品はお前が受け取るほうがふさわしい。お前たちのおかげで、格闘家としての良心を取り戻せたような気がする。気づかせてくれてありがとな……」

 背を向ける立ち去ろうとするハンフリー。
 言葉に出さずともこれをきっかけに、彼が闘士を引退する決意をしたのが分かったから。

「……ハンフリー、かっこよかったぞ」

 静かな会場に、観客席から一つの声が響く。
 その声をきっかけに――

「ハンフリー!!今までいい試合を見せてくれてありがとな!!」
「あんたは立派なチャンピオンだったぜ!!」

 次々とその背中に熱い声が届く。
 そして、会場は一つになった。

「ハンフリー!ハンフリー!ハンフリー!」

 自分の名を呼ぶ声援を、ハンフリーは全身で噛み締めた。やがて、ゆっくり歩き、闘技場を後にする。
 最後にハンフリーは何を思っていたのか。
 その胸のうちは、彼しか知らない――。


 そして、この場に生まれた新チャンピオンのエルシスは、仮面の下、涙を流したら拭えないと――大きく深呼吸をして感情を落ち着かせようとしていた。

「それでは、チャンピオンであるエルシスさんに、優勝賞品である虹色の枝の贈呈に……」
「た……大変です!!」

 いよいよ……というところで、一人の武骨な男が、血相を変えてステージに飛び込んで来る。
 
「虹色の枝が盗まれてしまいました!」

 ………………!?

 エルシスの涙が一瞬にして引っ込んだ。(ぬ、盗まれた……?)

「虹色の枝があった場所にはこの仮面が……」

 顔をすっぽり覆うようなその仮面は、ロウが身に付けていたものである。……どういうことだろう。

「この手紙はあなた宛てのようです」

 エルシスは男から羊皮紙を受け取り、急いで目を通す。短く綴られた文章の内容は――……

『エルシス。
 ユグノア城跡にておぬしを待つ。
 見せたいものがあるのでな。
 それまで虹色の枝はおあずけじゃ』

(ユグノア城跡……?)

 ――なんで……また。
 
「な……なんと最後に思わぬ大波乱!!優勝賞品の虹色の枝が、ロウ選手によって盗まれてしまいました!」

 横から覗き込んで見た司会者は、芝居かかった口調で観客席に向かって話す。

「果たして、エルシスさんはユグノア城跡で虹色の枝を取り返すことができるのでしょうか!!」

 どよめく会場。手紙を持ったまま唖然と立ち尽くすエルシス。
 ――困惑しているのはエルシスだけではなかった。

「ユグノア……。それって、エルシスちゃんの故郷なんじゃ……」
「ああ……あいつの"もう一つ"の故郷だ」

 シルビアの呟きに、眉を寄せて答えるカミュ。

(ユグノア城……何か意味が……?)

 エルシスと同じように、ユリもまた。
 盗まれた衝撃よりも、気にかかるのは指定された場所。


 ――波乱の会場から、白い鳥たちが飛び立った。

 自由に空を飛べる彼らが目指す場所はどこなのか。

 山を越え、森を越え、羽ばたくその先に――……

 崩壊したユグノア城が忽然とあった。


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