ぶはぁ――!!
勢いよく水面から顔を出したマルティナ。
続いて、急ぎエルシスの気道を確保し、口許に耳を寄せる。
……よかった、呼吸がある……!
マルティナはエルシスを抱えたまま、川の流れに身をまかせる。
雨で水流が増したのが幸いだった。
二人を押し流し、これなら追っ手を撒けただろう。(でも、どうにかしなくちゃ……このままじゃ体温が下がって危険だわ)
そうだ――この近くには、ロウがユグノアに訪れる際に根城にしていた山小屋があったはず。(あそこで休めれば……)
マルティナは長い手足を動かし、その場所を目指して泳いだ。
山小屋が目に入ると、近くの岸辺に体を寄せる。力を振り絞り、まずはエルシスの体を岸辺に押し上げた。
続いて、自身も川から上がると、濡れた服や長い髪に含んだ水を絞る。
休んでる暇はない。彼女は疲弊した体に鞭を打ち、エルシスの体を起こし、背負った。
「……くっ」
意識がない上に、水を含んだ服。身長も体格もマルティナより上だ。
いくらマルティナが常人より鍛えていても、彼を背負って歩くことは容易いことではなかった。
足を一歩踏み出すだけで、ふらつく体。
マルティナはどうにかとどまり、また一歩足を踏み出す。
そうして、すぐ近くの山小屋になんとかたどり着いた。
ロウが手入れをしていたため、この廃墟の地にも関わらず、室内は清潔で綺麗であった。
マルティナは置かれたベッドにエルシスを寝かせると。側にある暖炉に、火起こし石で火を灯した。
暖かい炎が部屋を照らす。
小さな部屋だ、すぐに空気も暖まるだろう。(…薪が足りない)
今度は、薪になるような枝を集めに行こうと、足を踏み出すマルティナ。
あ――力が入らず彼女の膝が床につく。
……どうやら自分の体は限界を迎えているようだ。
(これじゃあ、再び追っ手が来たときに、戦えないわね……)
彼女は素直に自身も少し休むことにした。
曲げた膝を両腕で抱え、顔を伏せるマルティナ。
「……エレノアさま……」
小さく呟いたか細い声は、少女のように幼く。
雨音にかき消された――……
――一方。無事、下山したユリたち。
「ここなら安全じゃろう」
というロウの案内で、城下町にある隠れ家に適した建物に隠れていた。
「ふう、ひとまず一安心ってところかしら……」
疲れたように壁に背中を預けて座るベロニカ。
他の三人もそれぞれ腰を降ろす。
「カミュさまとシルビアさまは、エルシスさまたちと合流できましたでしょうか」
「ここに来るまで、動き回る兵士の松明が見えたから、みんなは捕まってないと思うけど……」
「今は全員の無事を信じて好機を窺うのじゃ。なーに彼らは強い。そのことはおぬしたちの方がよく知ってるのではないかの」
励ますようなロウの言葉に、それぞれ微笑を浮かべ頷く。
ロウソクに火を灯し、四人は引っ張り出した毛布にくるまった。
埃っぽいが、雨に濡れた体を暖めるのに文句は言えない。
雨音だけが響く静かな空間に、再びロウが口を開く。
「よかったら、おぬしたちの旅の話をわしに聞かせてくれんかのう」
「ええ、いいわ!どこから話せばいいかしら?」
「やはり最初からではないでしょうか、お姉さま」
「それならユリね。エルシスとの付き合いは一番長いみたいだし、二人で旅立ったのがきっかけなのよね?」
「ほう、ユリ嬢がエルシスと一番長い付き合いとな」
「エルシスは……私の命の恩人なんです」
ユリは思い出して微笑み言い、ロウにこれまでの旅の話をした。
エルシスと出会ったきっかけ。大怪我をした自分を、近くに村に住む彼が見つけ、助けてくれたこと。
その村で育ったエルシスのことをロウが聞きたそうにしていたので、知ってる範囲でユリは話した。
「……エルシスは良き家族に恵まれたのじゃな」
穏やかな笑顔でロウは言った。
彼を見てれば育ちの良さが分かる。
エルシスを見つけ、大事に育ててくれた二人には、ロウは感謝しかない。
「いつか、挨拶にいきたいものじゃ」
ロウのその言葉を聞いて、ユリは話していいものか迷いながらも、やがて話すことに決めた。
デルカダール王国に、悪魔の子が育った村として、イシの村は焼き払われたことを――。
「なんと言うことじゃ……」
ロウは首を横に振りながら愕然とし、ベロニカとセーニャもその話に悲痛な顔を見せる。
彼女たちは直接は聞いていなかったが、ダーハルーネの出来事などでなんとなくは察していた。
だが、いざ話を聞くと、悲惨な出来事に言葉が出ない。
「えっと……エルシスは記憶喪失の私の記憶も一緒に探そうと言ってくれて……」
重い空気を変えるように、ユリは旅立ちのときのことを話した。
そしてデルカダール王に会いにいき、捕らえられ、そのときにカミュに出会って助けてもらったこと。
三人で逃亡する旅のなか――
「あたしたちと出会ったのよね!」
「はい、ホムラの里でですわ」
ベロニカとセーニャ。流浪の旅芸人であるシルビアは、サマディー王国で出会って仲間になった。
その際、遥か昔からユグノアと親交があったサマディー王国の話を、元国王としてのロウは彼女たちに話をしてくれた。
「あやつが国王になった当時は、務まるのかハラハラしておったものじゃ」
現サマディー国王の話に彼女たちはくすくすと笑う。
若干、今も心配になるのは変わりない。
「エルシスは良き家族だけでなく、仲間にも恵まれた。おぬしたちがいてくれて良かったと心から思う。わしから礼を言わせてくれ――ありがとう」
ロウの言葉に、彼女たち三人は照れ臭そうな笑みを浮かべた。
場の空気がなごやかなものに変わった時――何やらガタガタと部屋の隅で物音がする。
「何の音でしょう?」
「魔物……じゃないわよね?」
「ネズミ……?」
ユリは恐る恐る音のする方へ近づく。
「ちょっとユリ、気をつけてよ!」
どうやら古ぼけた引き出しからするようだ。
「?」不思議そうに首を傾げるユリ。
直後、引き出しが勝手に開き、青っぽい何かが勢いよく飛び出した。「!?」
「ピキー!また会ったね、お姉さんたち!」
「スライムくん……?」
ちょうどユリの頭の上に着地したスライム。
あの時、ドラゴンから助けたスライムである。
ユリが両手を差し出すと、彼はそちらにぴょんっと移った。
「ユリ嬢は魔物と心を通わせることができるのかの……?」
不思議そうに見るロウに事情を説明するセーニャ。その隣で「でも、ユリなら魔物と心を通わせることができても驚かないわね」ベロニカが笑いながら言った。
「どうして、こんな所に……?」
「にんげんたちがぞろぞろやって来て、びっくりして慌ててここに隠れたんだ」
ユリが尋ねると、スライムはプルプルと体を震わせそう答える。
――デルカダール兵士のことだ。
「でも、あの人。大剣でドラゴンをあっという間にやっつけちゃってすごかったなー」
大剣……?その言葉にユリは引っ掛かる。
――ユリだけでなく、ロウも。
「……スライムくん。その大剣の人って、黒い鎧を身に付けてなかった?」
「うんっ黒い鎧の人だったよ」
――グレイグだ。ユリとロウは同時に確信した。
「追っ手はやはりヤツじゃったか」
「彼がまた……」
「どうしたのユリ?何かその人に心当たりでもあるの?」
グレイグと面識がないベロニカとセーニャは、神妙な顔をしている二人を不思議そうに見た。
「兵士たちを引き連れてきたのはデルカダールの将、グレイグみたいなの」
ユリの言葉に、二人もことの重大さに気づいたようだ。
彼はホメロスと並ぶデルカダールを代表する騎士だからだ。
「厄介な相手ってわけね……」
「皆さま、大丈夫でしょうか……」
ユリは旅立ちのほころでのグレイグの執念を思い出す。(どうか、みんな無事で……)
今はただ、彼らの安否を祈ることしかできない――……
(――…ん………)
エルシスの意識が浮上していく。
ゆっくり眼を開けると、木組でできた天井が目に映った。
……どこだろう、ここ……
まだぼんやり思考するエルシスは、やがてハッと意識がはっきりし、急いで起き上がる。
「…………」
自分は一体どうなったのか。
たしか、崖から落ちて……そこからの記憶が曖昧で、エルシスは片手で頭を押さえる。
――一緒にいたはずのマルティナの姿がない。
それに気づいたエルシスは、探しに行こうとベッドから降りる。
綺麗な小屋だが、ここはユグノアなのだろうか。
とりあえず外に出ようと、ドアに向かう――
エルシスが開ける前にドアが開いた。
そこには、集めた枝を抱えたマルティナの姿。
「よかった。気がついたのね、エルシス」
微笑むマルティナは、くしゅんと小さくくしゃみをする。
「外はまだ雨よ。服もぬれているし、暖をとりましょう」
少し恥ずかしそうな声で言った彼女に、エルシスは柔らかく微笑み、頷いた。
「あの……マルティナさん、あなたが助けてくれたんですよね。ありがとう」
毛布につつまりながら、暖炉の前に並んで座る二人。
エルシスは何があったかわからずとも、それだけは分かっていた。
「キミを助けられて、よかった。もう二度と、あの日のような思いはしたくなかったから……」
「あの日……?」
「キミとデルカダールの姫を救うため、エレノアさまはおとりになった……。ロウさまはキミにそうおっしゃったはず」
エルシスは「はい…」と小さく答える。
「そう……。私こそがエレノアさまに命を救われた、デルカダール王の娘なの……」
やはり――マルティナの告白に、薄々気づいていたことが紛れもないものになった。
マルティナはエルシスの方を向いて、あの日の出来事を語る。
「16年前……キミを抱いたエレノアさまに連れられ、私はユグノア城を脱出したわ。でも、魔物の集団に追いつめられ……。エレノアさまは、私にキミを預けるとおとりとなって、私を逃がしてくれた。それなのに……!」
最後の方は感情を露にした声で……。
マルティナはそこで言葉を切ると、顔を落とした。
「魔物に見つかり、幼く非力だった私は、逃げる途中で川に落ち……キミを…手放してしまった……!」
今度は懺悔をするような声だった。
エルシスはぎゅっと唇を噛み締め、マルティナを見る。
「あの後、ロウさまに助けられたのが私ではなく、せめてキミであったなら……と、何度も思ったわ」
彼女もまた、重き荷を背負ってずっと生きてきたのだと――。
「キミとはぐれた後、私はロウさまと共に、故郷のデルカダール王国に向かったわ。お父さまに助けを求めようと思ってね」
マルティナは顔を上げ、今度は冷静な声を努め、話を続ける。
「でも、お父さまは私が死んだと決めつけ……勇者に殺されたのだと、広めていた。まるで、真実から人々の目を遠ざけるように」
「……………」
そんな……声に出さずにエルシスは口の中で呟いた。
かつて勇者伝説の信奉者だったというデルカダール王が、何故そうも変わってしまったのか。
「……ロウさまは、お父さまをそそのかしている者が背後にいるはずだとおっしゃっていたわ」
「……デルカダール王は操られている……?」
真剣に呟くエルシスに、マルティナもまた同様に頷く。
「お父さまを利用しているのは誰なのか、真実を明らかにするため、私とロウさまは旅に出たのよ」
「それで、二人が……」
「でも、まさかグレイグが来るとは……。もしも、もう一度襲われたら、次は逃げきれるかどうか……」
マルティナは眉を潜め、視線を落とした。
エルシスもまた、自分の実力では彼に敵わず悔しい思いを覚える。
だが、きっとマルティナはそれだけじゃないだろうと思った。
デルカダール王に仕える将と、王の娘。
二人がどれほど親しかったかはわからないが、複雑な心境ではないかとエルシスは察した。
重い沈黙が続くなか、暖炉の焚き火が弾ける。
灰が空気に乗って宙に浮かび、やがて燃え尽きて消えた。
その光景を目で追っていた二人は、はたとお互い目が合って、思わず綻ぶ。
「……マルティナさん。今度は僕の話も聞いてもらえませんか」
まっすぐ彼女の目を見て、口を開くエルシスに。マルティナは「ええ、もちろんよ」と口許に優しい笑みを浮かべて頷いた。
エルシスは、自分の生い立ちからマルティナに話す。
川に流れ着いた自分はテオに拾われたこと。
イシという村で育ち、テオの娘のペルラと共に、本当の家族のように育ったこと。
「だから、本当の家族の存在に戸惑ってしまって……」
正直に胸の内を話すエルシス。
マルティナがそれを否定することはなかった。
「キミを見ていればどんな風に育ったかわかるわ。きっと、とても素敵な人たちに愛されて育ったのね」
マルティナの言葉に、エルシスは照れ臭そうに頷く。
マルティナもまた、面影を知らぬうちに母を亡くし、エルシスの母であるエレノアをもう一人の母のように慕っていたのだ。
彼の気持ちはよくわかった。
次に、エルシスは自分たちのこれまでの旅の話をする。
自分は勇者の使命を、記憶喪失であるユリは自身の記憶を探すため、二人で旅立ったこと。
デルカダールで囚われたときにカミュと出会い、三人の逃亡劇が始まったこと。
ホムラの里では、勇者を導く使者というベロニカとセーニャの双子。
サマディー王国では、流浪な旅芸人のシルビア――三人の仲間が加わった。
マルティナは時に驚いたり、時にくすりと笑ったり……とめどないエルシスの話に耳を傾けた。
「これまでのことを思い出して……マルティナさんの話を聞いて、僕、わかったことがあるんだ」
「…………」
マルティナは静かに、エルシスの次の言葉を待つ。
「僕は色んな人に守られ、助けられ、生かされてきた――」
命をかけて守ろうとしてくれた実の母。
自分を本当の家族のように育ててくれたテオとペルラ。
悪魔の子と呼ばれても否定し、変わらず側にいてくれたユリ。
何度も助けてくれて、相棒と言ってくれたカミュ。
勇者の使命を探す旅を支えくれるベロニカとセーニャ。
いつだって明るく励ましてくれるシルビア。
彼だけでない、イシの村のみんな……エマ。旅の最中で出会った人々――。
(色んな人たちと出会い、関わって、今の僕がいる)
「勇者の生まれ変わり――ユグノア王子。それを受け入れたら、そんな今までの自分じゃなくなるような気がして……怖かった」
でも、違った。どんな運命を背負っても、僕は僕だ――。
「本当の両親のためにも、僕に与えられた使命なら、逃げずに背負って生きていたい」
勇者の生まれ変わり、ユグノアの王子、悪魔の子と呼ばれる理由も……。
全部、ひっくるめて。
――エルシスの言葉に、マルティナの目には涙が滲んでいた。(ああ、エレノアさま。アーウィンさま。安心してください。お二人の子は大丈夫です。優しく立派に成長しています……あなた方、二人のように――)
「……まだちょっと戸惑うかもしれないけど……」
最後にこそっとつけ加えるように言ったエルシスに、マルティナはくすりと微笑んだ。
「大丈夫よ。キミなら……」
エルシスなら。それに、彼には頼もしい仲間がついている。
そして、これからは――。
吹き抜けの窓から、いつの間にか柔らかな陽射しが射し込んでいるのに二人は気づいた。
「雨があがったようね。とりあえず、ユグノア城に戻りましょう」
二人は山小屋を出発し、ユグノア城へと向かう。
慎重に辺りを伺いながら歩くが、デルカダール兵士たちは辺りにはいないようだ。(みんなも無事だといいけど……)
エルシスがばらばらになった仲間の安否を案じていると――こちらに駆けてくる馬の蹄の音。
疾走する馬は回り込み、二人の進路を塞ぐように止まる。
二人が逃げる隙を与えなかった。
「……っ!」
「やはりな……。あのようなことで死ぬとは思わなかったぞ。悪魔の子よ……」
馬上から見下ろすグレイグの目は、エルシスのみに向けられている。
「グレイグ……!」
小さく呟かれた名前に、グレイグは隣のマルティナに視線を向けた。
そして、一呼吸置いて。拳を胸に、恭しく頭を下げて、敬意を表す。
「……あの、忌まわしき日より、16年。姫さま、ご健在なりしはこのグレイグ、望外のよろこび……」
頭を上げると、今度は信じられないというような目で彼はマルティナを見つめた。
「しかし、なにゆえ悪魔の子をかばい立てなさるのです?姫さまであっても主命をジャマなさるなら、斬らねばなりませぬ」
主命――?だとしたら、デルカダール王は自分の娘が斬られても仕方ないと思うのだろうか。
それほどまでに……彼は操られているのだろうか。
エルシスが戸惑っている隣で、マルティナがすっと背筋を正した。
「グレイグ将軍。あなたの立場はわかります。ですが、私たちにもやるべきことがある」
胸に手を当て、そう凛々しい口調で彼に言うマルティナの姿は。
紛れもなく王女としての王族の片鱗が見えた。
「どうか、私たちを見逃してはくれませんか?」
マルティナの言葉にグレイグはしばし沈黙し、ゆっくり口を開く。
「……姫さま。我が主君はデルカダール王のみ。主君の命令が何よりも優先されるのです」
彼の答えに二人は失意した。
デルカダール王女であるマルティナの言葉でもだめだったのだ。分かり合うことはできないのかと、エルシスはもどかしさと悔しさに、手をぎゅうっと握り締める。
対して、悲しげに目を失せるマルティナ。
「そう……。相変わらずね、グレイグ。あなたの忠誠心の強さは誰よりも知ってるわ。きっと、話してもわかってくれないわね……」
落胆とも諦めとも言える声。
「それなら……」
直後。マルティナはキッとグレイグを見据えると同時に地面を蹴った。
「はああ……!はッ」
飛び上がり、宙で体を捻って迷わず蹴りをグレイグに叩き込む。
彼は剣で容易くマルティナの蹴りを受け止め、弾かれた彼女は地面を転がり、受け身を取った。
「エルシス!ここは私にまかせてキミは逃げなさい!」
エルシスが反論する声を待たずに、マルティナは跳ねるようにグレイグの背後に回り込む。
そして大きく宙に飛び上がり、逆さまに二人の視線が一瞬重なった。
――お互い、敵と認識している目。
グレイグは頭上に剣を掲げ、マルティナの攻撃を的確に防御した。
マルティナは剣の上に足をつき、後ろに跳んで地面に着地する。
エルシスは失くした大剣の代わりに、片手剣を構えたものの。二人の戦いに割って入ることができず、ただ見てることしかできなかった。
それでも、マルティナを置いて逃げることなんてできない。
「僕も戦う!」
「……キミって子は」
マルティナはエルシスを後ろに庇いながら。口では呆れつつも、口許には微かに笑みを浮かべる。
「おどろきました。なかなかのお手前ですぞ。16年前はただのおてんば姫であられたが相当な修羅場をくぐり抜けたようですな」
グレイグのその言葉は、マルティナの神経を逆撫でした。
「ふざけないで!!戦いの最中に相手をほめるなんて、余裕のつもり!?」
反論と共に彼女は再びグレイグに攻撃をしかける。
仮面武闘会でも見せた、目にも止まらぬ速さの連続の蹴り。
だが、グレイグは全て剣で受け止めた。
一旦引いたマルティナは、今度は馬の下を滑り抜け、飛び上がり。
「やーー!!」
渾身の回し蹴り――
「っ!?マルティナさん!!」
今までのように受け止めるのではなく、グレイグは剣を一振りした。
まるで衝撃波を受けたように、吹っ飛ばされたマルティナの体。
「姫さまこそ、私を甘く見ておられますぞ!悪魔の子をかばいながら戦うなど笑止千万!それで、私の剣をさばけると思いか!」
地面に体を打ち付け、痛みに呻く彼女に、エルシスは急いで駆け寄った。
今度は自分が彼女を庇うように剣を構える。
そんな彼をグレイグは憎悪を込めた目で見下ろした。
「悪魔の子……最初から貴様が身を捧げれば、姫さまを痛みつけることはなかったのだ」
「……僕は悪魔の子じゃない……」
「……何を、」
「僕は、勇者の生まれ変わりで……イシの村で育った……。ユグノアの王子だ――!!」
今まで鬱憤としてたものを吐き出すように、エルシスは心の底からグレイグに向かって叫んだ。
「……っ」
「……エルシス……」
グレイグにまっすぐと剣先を向けるエルシスだったが。
それよりも、彼の揺るぎない信念が宿る瞳がグレイグに突き刺さる。
思わず彼が、怯むほどに。
「……っ戯れ言を!我が主君にあだなす者は容赦はせぬ!!」
グレイグは手綱を操り合図を出した。
剣を掲げる彼を乗せた馬が、二人につっこんで来る。
「グレイグ……!」
マルティナが悲痛な声で彼の名を呼んだ。
その瞬間、グレイグの脳裏に、記憶の中で泣きじゃくる幼いマルティナの姿が浮かぶ。
「くっ!姫さま……!」
手綱を引いて、彼は馬を急停止させた。
「今なら!」
マルティナは起き上がると同時に足を横に回転させる。
その足は馬の鼻先を掠め、馬は驚きに前足を上げ、暴れた。
「ぐっ……」
馬から振り落とされたグレイグ。
予想外のことに受け身が取れず、地面に背中を打ち付ける。
痛みに顔を歪めながら体を起こすと、マルティナが自身の馬に乗り上げたところだった。
「エルシス!乗って!」
馬上からエルシスに手を伸ばすマルティナ。彼女の手を借りて、エルシスは馬に跨がる。
「振り落とされないように気をつけて!」
そう言って、馬に走らせようと合図を出したマルティナの口から、小さな悲鳴が上がった。
突然、馬が暴れ出したからだ。
「馬を奪って逃げる算段が残念であったな。我が愛馬、リタリフォンは主の俺しか乗せぬ!!」
立ち上がりながら、勝ち誇ったように言うグレイグ。
そんな…っと声を漏らすマルティナの手から、エルシスが手綱を掠めとる。
「はっ――!」
適切な力加減で手綱を握り、軽く脚で合図を送ると、リタリフォンは打って変わって素直に走り出した。
「な……!!」
リタリフォンが走り去る後ろ姿をショックと共に唖然と見送るグレイグ。
駆け抜ける馬はすぐに見えなくなる。
だが、それでも彼はその場から動けず、立ち尽くしていた。
何故、悪魔の子と共に――不可解な疑問が彼の心の中で渦巻く。
「マルティナ姫……。あなたはいったい……」
「――すごいわ、エルシス!キミ、グレイグの馬を乗りこなせるなんて!」
「僕、馬が好きで……だからかな」
後ろから手綱を操りながら答えるエルシス。
グレイグの愛馬――リタリフォンは、二人を乗せて、ユグノア城まで駿馬のごとく駆けていった。
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この辺りで勇者の称号が命の大樹に選ばれし者→ユグノア王子になるので、自身の運命を受け入れたのかなと解釈しました。