エルシスがルーラで飛んだ先はグロッタの町だった。
慎重に町並みを伺うが、どうやらデルカダール兵士の姿は見当たらず、町は変わりがないようだ。
「やあ、チャンピオンじゃないか!虹色の枝は取り返せたかい?」
気軽に話しかけてくれる人々に、どうやらここでは"悪魔の子"の噂は立ってないようだと、エルシスは考える。
「つい最近、グレイグさまが来たんだぜ!」
「でも、あんなに兵士を連れてどうしたのかしら?」
「チャンピオンの話をしたら、やけに食いついてたから、グレイグさまも気になるんだな」
「でも、チャンピオンのことを"悪魔の子"でどうとか、よく分からないこと言ってたな」
ほっとエルシスは胸を撫で下ろした。
訪れたグレイグの話題で盛り上がっていることもあり、悪魔の子という話はあまり気に止まらなかったらしい。
「久々に見かけたグレイグさまはやっぱり素敵だったわ〜」
「あの堂々とした佇まい!さすが英雄、グレイグさまだ!」
エルシスは、グロッタの町のシンボルのようなグレイグ像を見上げて複雑な心境になった。
つい数時間前、鬼の形相で追い詰められたばかりだ。
今回もなんとか逃げおおせたが、次もとは限らない。(早く……デルカダール王国の闇を払わないと……)
エルシスは真剣な面持ちになりながら、目的の彼を探す。
何も彼がルーラでこの町に飛んだのにはやけくそではなく(それも多少あったが)ちゃんとした理由があった。
美意識高い兵士から引き受けたクエスト、ヌルットアロエを届けに来たのだ。
「――あ、いたいた」
彼の姿を見つけてエルシスは駆け寄る。
「チャンピオン!もしかしてヌルットアロエを採ってきてくれたのか?」
期待に胸を膨らませる美意識高い兵士に、エルシスは採取したヌルットアロエを渡した。
「待ってる間にどんどんスキンケアしたくてたまらなくなってきちまってな……おっ!いい具合のヌルットアロエじゃないか!」
ヌルットアロエのヌルッと具合を確かめる美意識高い兵士。
「どうにもオレはカマの扱いがヘタなんで収集するのに苦労させられてたんだ。でも、ちゃんと刃物で上手く切らないとこの肌に効くヌルヌルが出てこないんだよ。その点、これはカンペキな仕事だぜ!」
「喜んでもらえて良かったです」
「これならしばらくはヌルットアロエを採りにいかなくても大丈夫そうだ。ありがとうよ、チャンピオン」
美意識高い兵士の満足げな笑顔に、エルシスも達成感と共に嬉しくなる。
「お礼に熱いハグでもしたいところだが、この荒れてる肌じゃ迷惑なだけだよな」
いや、肌以前にそれはちょっと…。
「かわりにこっちをもらってくれ」
エルシスは『ハンサムな装備』のレシピブックを受け取った。
そこに描かれた絵に、シルビアにぴったりだとエルシスは彼が着ているところを想像する。(さっき、なんだか元気がなかったし、作ったら喜んでくれるかな?)
目的も達成して、次にエルシスはハンフリーに会いに行った。
虹色の枝を無事に手に入れ、詳しくは話せなかったが、ロウとマルティナも共に、この大陸を離れて新たな旅に出ると告げる。
「ちょっと前にグレイグ将軍が来てな。エルシスのことを悪魔の子がどうとか言ってたらしい。…ああ、何も言わなくても大丈夫だ。何かの間違いか、理由があるんだろ?オレはあんたらを信じるぜ」
ハンフリーの暖かい言葉にエルシスは微笑を浮かべ「ありがとう、ハンフリーさん」とだけ答えた。
「また近くに来たら顔を出してくれよ。子供たちも喜ぶしな」
「エルシスにいちゃん!次はぼうけんのはなしをしてくれよな!」
「あっあたしも聞きたい!」
歯を見せて笑うハンフリーと、無邪気な子供たちに見送られ、エルシスは教会を後にする。
……旅の中で、また会いたい人ができた。
あまり一人で行動しても皆に心配かけるだろうと、エルシスはグロッタの町を出ると「ルーラ!」呪文を唱える。
行き先はネルセンの宿だ。
シルビア号に乗るなら、ネルセンの宿近くの港からなので、ここで待っていれば仲間と合流できると踏んだのだ。
「――お。帰ってきたぜ」
すぐにエルシスの目に、腕を組んだカミュの姿が飛び込む。
「あれ、みんな……」
エルシスの予想に反して、自分が待つのではなく、どうやら待たれていたらしい。
「合流するならここだと思ったからな」
「ちゃあんとヌルットアロエは届けてから来たんでしょうね?」
カミュに続いて笑いながら言うベロニカの言葉に、エルシスは目をぱちくりさせる。
「フフ、どうやらユリの予想通りだったようね」
「さすがユリさまですわ」
マルティナとセーニャが顔を見合わせて言う。
エルシスがどこかに行ってしまった後、行動が似てるユリに「お前ならどこに行く?」とカミュが聞いてみたところ。
「……クエストのヌルットアロエを渡しにグロッタの町に行く」
という彼女の言葉に、満場一致で皆は納得した。
そこから合流するなら、ネルセンの宿だろうとエルシスと同じく考え、彼らはユリのルーラで先回りして待っていたのだ。
「ははっ。ユリにはかなわないな」
「クエストもちゃんとこなすエルシスならきっとそうするかなと思って」
「合流できて良かったが、あんまり勝手な行動はとるなよ」
「そうね。みんなでエルシスちゃんのことを心配してたわ」
グロッタの町にデルカダールの兵士ちゃんたちがいないとも限らないし――シルビアの言葉にエルシスは素直に反省する。
「みんな、心配かけてごめん……。それに――」
エルシスはロウに視線を向けた。
「無事で何よりじゃ、エルシス。わしのことは気にするでない。エレノアも同じような態度を取ったものじゃ」
いや、母さんも嫌がっていたならその趣味止めれば良かったのに――エルシスはそう思ったが、話を蒸し返す気もないので、内心だけにとどめておく。
全員揃ったところで彼らは、シルビア号が停泊している港に向かった。
「――思いだすわ。16年前のあの日のことを……」
近づいてくる海を見ながら、ぽつりと口を開くマルティナ。
「この船着場からロウさまとふたりで船に乗ったのよ。あれは夜明け前のことだったわ」
幼いマルティナが一人、ロウに助け出された時のことだろう。
「暗がりの海の中、ロウさまは不安がってる私の肩をずっと抱いてくれた。あのぬくもりはずっと忘れないでしょうね」
――港に着くと。
まずはシルビア号の船番であるアリスを、シルビアがロウとマルティナに紹介した。
そして、アリスにこれからの旅について話す。
「アリスちゃん。外界へ出るため、まずは…ソルティコの町を目指すわ」
「外界へ出るのはあそこの水門を抜けるのが一番でげすね」
アリスも納得し、ソルティコに向けて船は出港する。
「まさか、こんなに大きな船だったなんて……。シルビアは流浪の旅芸人だと聞いたけれど、本当にそれだけなのかしら?」
「ウフフ…聞くのはヤボよ、マルティナちゃん」
マルティナの言葉に、さらりと躱すシルビア。ミステリアスな彼の態度に彼女は肩を竦めて笑う。
「見事な船じゃ。この船なら外海に出ても安全じゃろうな」
「?外海には何かあるんですか?」
ロウの言葉に尋ねるユリ。
「外海は内海より、魔物が狂暴なんだよ」
答えたのはカミュだ。
「さよう。それに気候も内海とは違い、荒波も多い。この船には航海士はおるのかの?」
「シルビアのおっさんも操縦はしてんが、船についてはアリスのおっさんがほぼすべて担っているな」
「なんと…!あの者が一人で……」
驚くロウに、自分も最初は驚いたものだとカミュは思い出す。
豊富な航海の知識に何者だとカミュは彼に聞いたことがあったが「あっしはシルビアねえさんに拾われたタダの荒くれ者でげす」と、シルビア同様に彼は多くは語らなかった。
「カミュが航海士みたいな感じじゃない?嵐の前触れとかいち早く気づくし」
「ほう」
「まあ…昔、船旅をしていたからな」
ユリの問いに答えたカミュも、同様に多くを語らない男であった。
「今日の食事当番はあたしたちね!セーニャ。腕を振るっておじいちゃんとマルティナさんにご馳走を作るわよ!」
「はいっお姉さま。私、誠心誠意頑張りますわ!」
張り切る双子に「台所、壊すなよ」と一言を投げ掛けるカミュ。
当然、ベロニカは反論するがカミュはどこ吹く風で行ってしまう。
「心配ならカミュもついてあげたらいいんじゃない?ついでに味付けもカミュがみてさ」
双子の料理の腕もこれまでの旅の中でメキメキ上がったが、カミュの域になるにはもう少し経験値が必要そうだ。
「当番制にした意味がねえだろうが。オレは疲れたから部屋で休ませてもらうぜ」
エルシスの言葉にあっさり言い退けて、カミュは自室に行ってしまった。
シルビアはロウとマルティナに船内の案内を。
一人になったエルシスは馬たちに会いに行くことにした。
そこには馬たちと戯れているユリの姿がすでにあり、エルシスも笑顔で混ざる。
二人はお互いにデルカダール兵士に追われた時のことを話した。
「最後はグレイグの愛馬――えっと、確かリタリフォンに乗って逃げたんだ。主のグレイグしか乗せないらしいけど、何故か乗りこなせて……」
「さすが、エルシス!」
――双子の手料理ができると、エルシスもユリも嬉しそうな声を上げる。
「やったーシチューだ!」
「ちょうどネルセンの宿で買ったパンに合うねっ」
「そういや久しぶりのシチューだな」
「じつは……作ろうと思っていた料理を失敗してしまいまして、シルビアさまに助けてもらい、急遽シチューに……」
「もうセーニャ!言わなくていいことを……」
「シチューなら大歓迎だよ!」
「エルシスちゃんに喜んでもらって良かったわ」
「エルシスはシチューが好きなのね」
くすりと笑いながら尋ねるマルティナ。
「うん。…僕にとって故郷の味でもあるんだ」
エルシスは思い出す――もう一人の母、ペルラの得意料理だ。
「エルシスにとって、大切な味なのじゃな……。どれ、わしらも頂こうかのう」
人数が増えて、賑やかになった食卓に、いただきますと彼らの声は揃う。
――ソルティコの町に向かい、シルビア号はずっと南下していき、今はデルカダール地方辺りの海域までやってきた。
途中の無人島のような小島に、桟橋があるのを見つけたエルシス。
彼の希望もあり、島に上陸し。
一騒動が起きた以外は、穏やかな航海が続いた。
今日の天気は生憎の雨だ。
飽きずに海を眺めるのが好きなユリだったが、さすがに今日は船内で過ごすことにする。
ユリは旅の中で読書が趣味になりつつなっていた。記憶喪失故か、知らない知識もたくさんあって、本を読めば自然と知ることができる。
最近ではシルビアにお気に入りの本を借りて読んでおり、ちょうど読み終わったので、新しい本を借りようと彼の部屋に向かった。
「――あら、ユリちゃん、いらっしゃい」
「シルビアさん。この間借りた本を返しに来たの。とっても面白かった。また新しい本を借りてもいいかな?」
「もちろんよ。本棚から好きなの借りていって」
「ありがとう」
ユリはシルビアの自室に入れてもらう。
彼の部屋はいかにも彼らしいという部屋だ。
つまりは派手。装飾やインテリアもそうだが、ショーで使うような色とりどりのグッズも置いてあって華やかだ。
大きな本棚から、ユリは次に読む本を物色する。
「――……いろんなこと考えてもしかたないわね。今は前の目的に集中しなくちゃ……」
「……シルビアさん?」
「なんでもないわ、こっちのこと」
思わず彼が溢した独り言。それを拾って不思議そうなユリに、すぐに繕うようにシルビアは笑顔を浮かべた。
「…………」
最近、シルビアの様子がおかしいのは、ユリも気づいていた。
「あの、シルビアさん。何か悩んでることがあったら、私じゃ頼りにならないかも知れないけど、みんなもいるし……」
「……ありがとう、ユリちゃん。ユリちゃんは十分頼りになるわ」
気遣うユリに、にっこりと笑うシルビア。
「大丈夫よ。ちょっと昔のことを思い出して考え過ぎてたの。…ねえ、またアタシのお気に入りの本をおすすめしていいかしら?」
ユリは頷いた。シルビアが彼女に渡した本は、一人の騎士の男が主人公の物語だ。
シルビアに礼を言い、新たな本を持って船内を移動していると。
談話室にエルシスとベロニカとセーニャの姿を見つける。
「あ、ユリ。今、みんなで大樹への道について話してたんだ」
「大樹への道?」
ソファに座るエルシスが横にずれたので、ユリも自然と隣に座った。
向かいの席にベロニカと座るセーニャが口を開く。
「はい。オーブを祭壇に捧げれば大樹への道が開かれるとのことですが……。空に浮かぶ大樹へどうやって行くんでしょう?」
確かに…と、ユリも一緒になって考えた。
「も…もしや空を飛んで……!?私、高い所があまり得意じゃないんです。大丈夫でしょうか……?」
「あれ、セーニャたちは山育ちじゃなかったっけ?」
「山育ちだけど、セーニャが言ってるのは崖とかそういう感じの高い所ね」
「落ちたら記憶喪失の危機があるものね……」
「……。まあ、ユリはそうかもね」
ベロニカは複雑な心境でユリを見た。
「今までは勇者を探して守れって言うなんかぼんやりした使命だったけど……エルシスを大樹へと導くことこそあたしとセーニャの真の使命なんだわ。改めて気を引き締めなくちゃ」
「ええ、共に頑張りましょう、お姉さま」
「僕も同じだよ。勇者って漠然とした存在だったけど、僕の使命――倒すべき敵がわかった。そのために、僕自身も強くならなくちゃ」
双子と同じように気合いを入れるエルシス。
大きな使命に逃げずに背負う三人を立派だとユリは思う。
自分には、使命と呼べるものはあったのだろうか――……
四人が引き続き喋っていると、そこにずぶ濡れのカミュがやって来た。
「どうしたの、カミュっ?」
「ちと船に不備が見つかってな。アリスのおっさんから話すから、エルシスたちは残りの三人を集めて来てくれねえか?」
「わかった!」
カミュの言葉にエルシスは頷く。
すぐに四人はそれぞれシルビア、ロウ、マルティナを呼びにいった。
「――確かに急を要する破損じゃないけど、これからの航海を考えて整備した方がいいわね」
アリスから話を聞いて、顎に手を当て考えながら言うシルビア。
「へい。ここから近いダーハルーネで停泊してぇですが、あそこはまだデルカダールの兵士たちがいる可能性がありやすから、皆さんに相談してからと…」
「そうね、その危険もあるけど……」
「僕は船のことについては分からないから、アリスさんがダーハルーネに寄った方が良いと思うなら僕はそれに賛成するよ」
エルシスの言葉に、他の者たちも頷く。
「み、皆さん……こんなあっしを信じてくれるなんて……あっし…あっしは〜〜……!!」
「アリスちゃんってば、マスクが濡れちゃうからこれで涙を拭いなさい」
シルビアから差し出されたハンカチを受け取ると、アリスは彼らに背を向け、マスクをずらして涙を拭う。
シルビア以外の視線が一同に彼の背中に集まった。
いつもピンクのマスクを被っているので、その下の素顔、正直気になる……!
「……お恥ずかしいところをお見せしたげです」
そう向き合った彼はしっかりとピンクのマスクを被っていた。
どことなく残念そうな彼らの顔に、シルビアはこっそり笑う。(アリスちゃんの素顔。きっとみんな見たら驚くわね)
「ダーハルーネへ向かってほしいでげす。あそこなら大きなドックなので、十分設備できるげすから。ついでに人数も増えたことですし、食料も買い出ししてもらえると助かるでげす」
「まかせてよ。じゃあ、目的地はダーハルーネへ――!」
一行を乗せた船は、急遽変更して、ソルティコの手前のダーハルーネに向かう。