爺と孫

 バンデルフォンの港を出港して、数日後の話である――……

 嵐もなく、順調な航海のなか。
 カミュはその日、視線を感じていた。

 じぃーー……

「ああもうなんなんだよ、ジイさん!用があるならハッキリ声をかけてくれ」

 痺れを切らしたカミュは振り返り、腕を組んで声を上げる。すると、その視線の先の曲がり角から、ひょっこりロウが顔を出した。

「わしの気配に気づくとは、さすが"元盗賊"じゃのう」

 何事もなくこちらにゆっくり歩いてくるロウに「あんなあからさまな視線、誰でも気づくだろ…」と、呆れ口調で呟くカミュ。

「で、オレに何の用だ?」
「うむ……おぬしに相談したいことがあってな」
「相談?」

 二人は談話室へとやって来た。
 最初は元国王のこのジイさんがオレに何の相談だ?と、カミュは訝しげに思ったが、

「相談とは、エルシスのことなんじゃが……」

 ロウが話を切り出すと、すぐにカミュはああと納得した。

 感動から一転。あのムフフ本の一件で、エルシスとロウの仲に入った亀裂。
 というか、エルシスが一方的に嫌悪感を示したのだが。
 彼も頭を冷やし、他愛ない会話をするぐらいには二人の仲は回復していた。

「もう会えぬと思っておった孫に出会えたのじゃ。もっと気軽に接したいし、両親の話もしてやりたい……」

 ロウの願いは当然のものだろう。
 エルシスだけでなく、ロウにとっても彼は唯一の生き残った血縁者だ。

「いつか孫が産まれたら、わしの武勇伝を話して「おじいちゃんかっこいい!」と、孫に尊敬されるのがずっと夢でもあったのじゃ」

 ……最後の願望はともかく。

「じゃから、カミュ。一つおぬしがわしとエルシスの仲を取り持ってくれんかの?エルシスの相棒であり、わしの趣味を理解してくれてるおぬしなら適任じゃ」
「いや、最初の理由はともかく、最後の誤解を招きそうな言い方はやめてくれ」

 別に否定もしないが、全面的に理解もしていない。そこを勘違いされると、カミュはすごく不本意であった。

「まずは、エルシスに好かれるような祖父になりゃあいいんじゃねえか」
「うむ…好かれるようなとは……」
「これをきっかけにその趣味を卒業するとかさ。マルティナが「悩みの種」だってユリたちに苦言を漏らしてたぞ」
「絶望のなか、泥水を啜りながら生きてきたわしに、癒しと活力を与えてくれた生き甲斐を捨てよとは……おぬしは血も涙もないのか……!?」
「………………」

 ロウは大袈裟に言ってるが、なんてことはない。

 問題の根本的な原因にもなった、彼の趣味であるムフフ本収集のことである。
 彼の趣味歴は長い。エレノアに何度も摘発されては、隠し場所を変えて…と、いたちごっこをしていたという良き思い出もあるのだ。(彼にとっては)

 たかがムフフ本。されどムフフ本。

 ――が、カミュが彼を見る青い瞳は、冷たい海のようなものである。
 ロウは取り繕うようにゴホンと咳払いをした。

「エルシスに好かれるようにといえば、あの子が尊敬するテオ氏がどんな御仁だったか、同じ爺として気になるわい」

 川に流された赤ん坊のエルシスを見つけ、娘のペルラと共に彼を立派に育て上げてくれたテオには、ロウも感謝の念を抱いていた。
 さぞかし、立派な人格者なのだろう。

「ん……待てよ。ユリなら会ったことがあるんじゃねえか」
「はて?ユリ嬢がエルシスと出会ったのはテオ氏が亡くなってずいぶん経ってからだと聞いておるが……」
「エルシスと二人で過去のイシの村に行ったことがあったんだよ――」

 カミュはロウにその時の不思議な出来事を話した。
 不思議な根っこは過去の光景を見せてくれるが、その時は本当に過去のイシの村に行ったような体験をしたという。

 現に、エルシスに宛てられたテオの手紙が証明している。

「ユリならどんな人物か知ってるかもな」
「それじゃ!さっそくユリ嬢に話を聞いてみるとしよう。行くぞ、カミュ!」

 ロウに連れられる形で、カミュはユリの部屋の前に立った。

「――オレだ。カミュだが……ユリ、ちょっといいか?」

 ノックをしてそう声をかけると、すぐに返事と共にドアは開く。
 意外な組み合わせの二人がそこに。
 少しだけユリは不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔で二人を部屋に招き入れた。

「テオさんのこと……?」
「ああ。ジイさんとエルシスの仲を取り持つのに、参考にあいつが尊敬するテオのジイさんがどんな人物か知りたくてな」

 カミュの言葉にユリは思い出す。
 自分も一度僅かな時間に会っただけなので、こんな人物とは断言できないが、感じた印象を二人に話した。

「穏やかで、朗らかな笑顔を浮かべていて、雰囲気はお茶目な感じかな?小さいエルシスにも慕われてたし、理想のおじいちゃんって感じの……あっあと、白いお髭がチャーミングだった」

 ユリの話を聞いて、ロウは自分を指差し、一言。

「それ、わしじゃね?」

 ………………………。

 た、確かにとユリは考える。
 今自分が上げた特徴は、確かに目の前のロウにも当てはまる気がする。

 だが、何かが違うのだ。白い髭も白い眉も同じなのに、二人は似てるかと言われると、似てはいない。

 何が違うのかと必死に考えるユリに「…おい、ジイさん。ユリを悩ますなよ」と、カミュが見かねて声をかけた。

「あっキャラ……?」
「いや、オレに聞かれても知らんぞ」
「わしじゃないの?」
「う、う〜ん……なんていうか……テオさんは少年っぽい心を忘れてないような人で……」
「わしも少年の心ならあるぞい!老いても元気じゃ!」
「別の意味でな」

 ――結局、ユリからの話では、二人は似ているようで似ていないのだと成果があるようでない情報を得た。

「エルシスも本当はロウさんと仲良くしたいと思っているんじゃないかな」

 何かきっかけがあれば――という彼女の言葉に、三人は頭を突き合わせて考える。

「やっぱり、ロウのジイさんが趣味を卒業するしかないんじゃないか」
「そんな殺生な……!」
「呪いの本収集は危険だし、エルシスもやめてほしくてあんな態度を取ってるのかも……」
「「……………」」

 真剣に心配そうに呟くユリに「ユリ嬢は純粋じゃのう……」と、優しい目をしてロウが言った。
 彼女の元の性格なのか、記憶喪失故なのかは分からないが「ああ」とカミュは頷く。

 じつは、ムフフ本は呪いの本ではなく、エッチな本なんだとカミュはユリに教えようとした事があった。

 正しい常識とか彼女のためを思ってのことなどではなく。
 知った時の彼女が反応が見たいという、単なる悪い狼カミュの好奇心からである。

「ユリ。あの本はな、本当は呪いの本じゃなくて、ムフフ本っつう……」
「……ウフフ本?」

 なんだその可愛らしい聞き間違いは!
 返って来た無邪気な言葉にカミュは撃沈し、己の下心を恥じた。
 それから、彼女は純なこのままで良いと結論付ける。

「あ、ロウさんが料理を作って、エルシスに振る舞うっていうのはどうかな?」

 カミュがその時のことを思い出していると、ユリがぱちんと両手を合わし、明るい声で言った。

「料理か……。まあ、あいつも食べるのが好きだから良い案だと思うけど――ジイさん、料理できんのか?」
「昔は何もできんかったが、さすがに16年以上旅をしてきて、料理も洗濯もこなれてきたわい。それに、とっておきの得意料理があるのじゃ!」

 得意気に笑い、ロウは「では、ユリ嬢。手伝ってくれんかのう?カミュはエルシスを頃合いを見て食堂に連れてきてほしい」と頼み、彼女を連れていく。

「カミュ。エルシスのことよろしくね」
「…まあ、話をしてみるか」


 カミュはエルシスの部屋に向かった。
 ユリの時と同じように、ノックの後に「エルシス、ちょっといいか?」と声をかけると「はい」と声が返ってくる。

 カミュがドアを開けると、エルシスは開いた手帳に羽根ペンを置いてるところだった。
 最近は旅のちょっとした日記をつけてるらしく、受けたクエストなども忘れないように書き込んでいるらしい。

「何かあったのか、カミュ」

 椅子に座っていたエルシスにこやかに聞きながら体をカミュの方に向けた。
 カミュは特に何かあったわけじゃねえがと答えながら、ベッドに足を組んで座る。

「お前、いい加減に許してやってもいいんじゃないか」
「………別に許してないわけじゃ…」

 主語はなかったが、エルシスにはすぐに伝わったらしい。

「年頃の娘じゃねえんだから」
「とっ……!」
「お前だってムフフは嫌いじゃないだろ?」
「…っもう、そういうことじゃないんだよカミュ!」

 エルシスは一連のカミュの言葉にむっと恨めしげに彼を見る。

「だって、がっかりじゃないか。僕のおじいちゃんが、よりによって……趣味がムフフ本収集だったなんて」
「良い方に考えてみろよ。あの歳で元気な趣味じゃねえか。仮面武闘会であのハンフリーとあそこまでやり合えたのも、きっと培った精力があったからだぜ」
「確かに……ハンフリーさんと互角に闘っていたのはすごかったな……」

 カミュの真面目?な説得に、エルシスはうーんと考え直しているようだ。
 とりあえず言えることは言ったぞと、カミュは「なあ、小腹が空かねえか」とエルシスを食堂に誘う。


「――おお。ちょうどよいところに来たのう、エルシス」
「……?」

 エルシスがカミュと共に食堂に行くと、皿を持つロウに出会した。

「ユリ嬢にも手伝ってもらって、ユグノアサンドイッチを作ったんじゃ。――おぬしに食べてほしくてのぅ」
「僕に……?」
「ロウさまのサンドイッチはとってもおいしいのよ」

 そこにはマルティナの姿もあって、席につくよう促され、エルシスは素直に椅子に腰掛ける。

「ユグノアの国民食のサンドイッチじゃ」
「ユグノアの……」

 差し出された皿に乗っているサンドイッチは、山盛りレタスにトマトやハム。
 具沢山でとてもおいしそうだ。

「わし特製の、隠し味は秘密じゃ。さあ、エルシス。一つ食べてみなさい」
「…じゃあ、いただきます」

 エルシスは一口、かぶりつく。

 味を噛み締めるようによく噛んで。
 その様子を静かに見守るロウ、ユリ、マルティナ、カミュの四人。

「…おいしい…」

 やがてエルシスの口から出た一言に、彼らは笑顔になる。

「サンドイッチ、すごくおいしいよロウおじいちゃん!」
「…!そうかそうか…そんなに喜んでもらえて嬉しいのう」
「うんっ、野菜もシャキシャキだし、ソースも絶品だ!」

 笑顔でもぐもぐと食べるエルシス。

「この隠し味って何が入ってるの?」
「秘密じゃから隠し味なのじゃよ」
「隠されるとますます気になるよ」

 以前のロウに対してのよそよそしさはなく、すっかり打ち解けているエルシス。
 変わり身の早さというか、単純というか……その様子にカミュは拍子抜けして、肩を竦めながら笑う。

「まったく、手がかかる勇者さまだぜ」
「ええ、本当に」
「でも、良かった。作戦成功だね」

 その様子を三人は微笑ましく眺めていると、

「あら、皆さまお揃いですわ。お姉さま」

 ――セーニャとベロニカが現れた。

「わぁ、おいしそうなサンドイッチじゃない!」
「ええ、とても!もしかしてロウさまが……?」
「うむ。サンドイッチはたくさん作ってある。みんなで食べようではないか!」
「盛り付けてきますね、ロウさま」
「んじゃあ、シルビアのおっさんも呼んでくるか……」
「じゃあ、私はアリスさんを……」
「あら、アタシのこと呼んだ?」
「呼んだげすか?」
「って、二人ともいたのかよ!」
「ロウおじいちゃん!おかわり!」


 いつの間にか現れた、シルビアとアリスも共に……
 ロウは笑顔で、特製のユグノアサンドイッチを皆に振る舞った。


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