ソルティコの町に戻って来たカミュは、手に入れた『ももいろサンゴ』をダンダィな夫に渡した。
「おお…このサンゴはまさしくシーゴーレムのももいろサンゴ!手に入れていただきありがとうございます!」
受け取り、喜ぶダンディな夫。
「これで妻のキゲンも晴れますし、ようやく家に帰ることができます。さて、たまっていた仕事を……」
彼はそこで言葉を切って考え込む。
「……けれど、いつも仕事ばかりで家に帰れなかった私にも原因がありましたね。もうすこし、妻といる時間を増やしてみます」
「まあ、あんたたちの好きにやってくれ」
カミュにとっては、この夫婦がどうなろうと興味がない。エルシスだったら「仲良く過ごしてくださいね」などと言うのだろうが。
「いろいろと手間をかけてしまいました。これは、私からのお礼となります」
カミュはレシピブック『獣のムチのレシピ』を受け取る。
「仕事はもちろん大切ですが……それよりも大切なのは、やはり家族ですよね。当たり前のことに気づかれました。やはり、こうしてリゾートに来るのは貴重な発見ができていいものです」
家族……か。カミュは一瞬だけ目を伏せ、口を開く。
「ああ……家族は大事だ」
微かに微笑みを浮かべて。
自分にも――たった一人の、家族がいた。
その場から立ち去ろうとカミュに声をかけたのは、ダンダィな夫の妻だった。
「あなたがシーゴーレムからももいろサンゴを手に入れてくれたと聞きましたわ。いろいろとありがとうございました」
お礼の言葉に、いや…と彼は答える。
「……でも、本当はサンゴなんていいんです。私がわがまま言えば、もうちょっとだけ、ここで夫と一緒に過ごせるでしょ?だから、いろいろ無茶を言ったんですが、大切な時間を過ごせたからもう満足ですわ。迷惑をかけてしまって、ごめんなさいね」
妻の言葉を聞いて「結局はノロケかよ」とカミュは心の中でぼやいた。
……まあ、関係が悪化するよりは後味が悪くなくて良いかと思うことにする。
エルシスたちと合流しようと探すと、彼らは海辺にいた。
先程のクエストのお礼のレシピブックを渡せば「ありがとう、カミュ」と喜ぶエルシス。
ついでにあの夫婦の仲は心配いらないぜと伝えると「良かった」とお人好しの笑みを彼は浮かべた。
「僕らの方は大変だったんだ」
エルシスは先程のバニーガールのことについてカミュに話した。
案の定、カミュも呆れている。
「でも、マルティナさまのバニーガール姿、とても似合っていて素敵でしたわ」
「さすが、マルティナさんよね!」
「うんっ、マルティナさんだから着こなせたんだと思う」
「あら、ユリのバニーガール姿もとっても可愛いかったわよ」
…………………。
ん、マルティナは今なんて?
ユリは「恥ずかしいな」と照れ笑いを浮かべている。
「なあ……その言い方だと、まるでユリがバニーガールの姿になったように聞こえるんだが……。なったのか、バニーガールに」
真剣に聞くカミュに。
「僕、知らない」
「わしも知らん」
「ロウさま……」
「私は試しに着させてもらっただけだから……」
純粋に言ったエルシスはともかく。
ロウまで食いついてきて、苦笑いを浮かべて答えるユリ。
案外似合うんじゃないかしら?ユリさまのバニーガール姿も見てみたいですわ。ちょっと着てみたら?――という三人の言葉を受け、マルティナが着替える際に少し着させてもらったのだ。
「……待て。オチはウサギの着ぐるみとかじゃねえよな?」
「オチ?」
「アンタ、食いつき過ぎ……」
カミュの様子に呆れ声でベロニカがつっこんだ。
別にオレは下心があるわけじゃねえぞ――そう誰にじゃなく、心の中で言い訳をするカミュ。
例えば、その辺の男に「彼女のバニーガール姿を見たいか?」と、アンケートを取ってみたとする。
10人中10人が「見たい」と答えるだろう。
30人に聞いたら1人2人ぐらいは「別に」と答える変わり者はいるかも知れないが。
それぐらい当然であり、常識なのだ。
決して、ロウのじいさんみたいなスケベ心ではない――。
「カミュ。教えてあげるわ。ユリが着たのは、正真正銘のバニーガールの衣装よ」
「……………」
正真正銘のバニーガールだと……?
「もう少し早く戻って来てたら、見せてあげたのに」
「…………そりゃ残念だったよ」
――マジか!もう少し早く戻ってきたら……!!
軽く笑みを浮かべて、さらりと答えるカミュだったが。
その心情はくやしがっているのが見てわかって、マルティナはくすくすと笑った。
――目的のセイドン探しは難航していた一行だったが、見つけた時は驚くほどあっさりだった。
「え?セイドンという紳士を探してる?それならあんたはもう会ってるよ。何を隠そう、オレがセイドンだからな」
そうセイドン自身が、読んでいた本のページを捲りながらさらりと答えたからだ。
セイドンは浜辺の洒落たオープンバーの隅で、読書をしていた男であった。
シルバーグレーの白髪と、顎髭、眼鏡をかけて本を熟読している姿は、確かに初老の紳士だ。
「あの、セイドンさん。僕たち、あなた宛の手紙を渡しに来たんです」
「オレにわざわざ手紙を書くなんて、ダーハルーネに住むディアナくらいだろ」
セイドンは本を閉じて、初めてエルシスたちに顔を向けた。
「ひさしぶりだな、どれどれ……」
セイドンはエルシスから手紙を受け取って、右から左へ視線を動かして文字を読む。
『……先生、おひさしぶりです。
以前、先生をおたずねしてから、連絡が遅れてしまってごめんなさい。
ようやくまとまったお金が貯まったので、ぜひ、先生にあの人の……
父さんの足のケガを、治療してほしいんです。
先生……どうか、お願いします。
治療のために、ダーハルーネに来てください。
いい返事を、お待ちしています……』
――エルシスたちには内容はわからないが、読み終えたセイドンは独り言のように呟いた。
「そうか……。ディアナはまだ、父親のゼイウスさんの足のケガの治療をあきらめてなかったのか……」
父親……。確か、足をケガしてから荒れて、子供にまで八つ当たりをするような最低な父親だったと――アポロが言ってたのをエルシスは思い出す。
「じつは、オレは医者をしているんだ。ディアナはどこからかオレの評判を聞いて、父の足を治してと頼みに来てな」
医者と言われれば、確かに彼はそんな風に見えた。
よく見れば、本も医学書だ。
セイドンは続ける。
「でも、その時は治療できなかった。親父さんの足を治すには莫大な金が必要だったからさ」
「もしかして……ディアナさんがパティシエを辞めた理由って……」
そう呟いたのはユリだ。彼女の言葉に、セイドンはふぅと短いため息を吐いた。
「風のウワサでディアナはパティシエをやめ、わりのいい仕事をしてると聞いたが……そうか。親父さんの治療代をかせぐためだったんだな」
自分の夢よりも――父親のために。
それも、アポロが言うにはろくでなしの父親のためにだ。
「……だが、断る。親父さんの治療はムリだ」
「え、でも……」
「この手紙をディアナに持っていってくれ。大事な……大事な手紙だ」
驚くエルシスの言葉を遮り、セイドンは手紙を渡す。
エルシスは戸惑いながらも差し出された白い封筒を受け取った。
「おい、先生。せめて治療がムリな理由を教えてくれないか」
「すまん……どうしてムリなのかはオレのクチからは話せないんだ。これは、あいつら家族の問題だからな」
カミュの問いに、セイドンは本当にすまなさそうに言った。
どうやら話せない理由がちゃんとあるらしい。
必ず、僕らがこの手紙をディアナさんが渡します――そうエルシスは彼に告げて、その場を離れた。
「……手紙の差し出し人は書かれてないみたいですが、大事な話だとセイドンさまはおっしゃっていましたね。一体誰からの手紙なのでしょう?」
「どうやら、深いワケがあるようね」
「家族の問題とセイドン殿は言っておったが……。他人には入れぬ、複雑な事情があるのじゃろうな」
セーニャ、マルティナ、ロウ。
「とりあえず……。僕はルーラでダーハルーネに行って、この手紙をディアナさんに渡してくるよ」
「あの町の様子なら、お前一人で大丈夫そうだし、逆にぞろぞろ行っても目立っちまうからな。オレたちはここで待ってるよ」
カミュの言葉にエルシスは頷き「ルーラ!」と呪文を唱えた。
彼の体は風になるように、その場から消える――。
一瞬でダーハルーネに着いたエルシス。ディアナに会いに行くと、そこにはアポロの姿もあった。
「やあ、君か。久しぶりだが元気だったか?ディアナが世話になってるみたいだな」
「アポロさんもお元気そうで。今日はお仕事は……」
「ディアナに大事な話があると言われ、こうしてやってきたんだが……」
エルシスが尋ねると、答えるアポロは、苦々しく顔を歪める。
「話はすべて、ディアナから聞いた。親父の足の治療の話も……そのためにパティシエの夢をあきらめたこともな!」
アポロが怒るのも無理はないかも知れない。
「どうして、今まで私たちを無視して手紙1通もよこさなかった親父のためにディアナが犠牲になるんだ……!」
「兄さん、私は自分が犠牲になったとは思ってないわ!だって、家族のために決めたことだもの……!」
「あんなヤツ、家族でも何でもないだろ!?」
「あんな人でも、私たちの父さんよ!」
「二人とも落ち着いてください……!二人が喧嘩になってどうするんですか!?」
口論が激しくなる二人の間に、エルシスは割って入った。
家族を思う気持ちは、アポロもディアナも変わらないのだ。
そんな二人の絆までバラバラになるのは、絶対に間違っている。
「……そ、そうだな。すまない……つい熱くなってしまって……」
「私も……兄さんに相談せずに勝手に決めてしまってごめんなさい」
しゅんと互いに謝る二人を見て。エルシスはほっとした。
「ありがとう、郵便屋さん。それに、おかえりなさい。セイドンさんに手紙を渡してくれたようね。先生の返事はいかがでしたか?」
「それが……――」
エルシスはセイドンとのことを話した。
「……ええっ!!父さんの治療はできない!?いったいどうして!?」
「詳しいことは自分の口からは話せないと……。代わりにこの手紙を……」
エルシスから手紙を受け取って、中を開くディアナ。
「……これは、私宛ての手紙じゃないわ。セイドンさん宛ての手紙ね。送り主は…………」
彼女の瞳が驚きに見開いた。
「ゼイウス!?父さんだわ!」
「親父……?」
「そんな……どうして私たちの父さんがセイドン先生に手紙を?とりあえず読んでみますね……」
『先生……。
娘のディアナがあっしの足を治すため、先生にお会いしたと風のウワサで耳にしやした。
ねえ、先生。
もしもディアナが、あっしのために金を使うようなことがあったら、その金は突っ返してやってくだせえ。
そして、この手紙に入ってる小切手を渡して、パティシエにはなる夢のために使ってくれと、あっしが言っていたと伝えてくだせえ。
この小切手の金は、ディアナがパティシエになる夢を追いかけてると知って、必死で、ウマの世話をして貯めた金でやす。
あっしはひでえ父親だった。
今さら、何をしたってゆるされねえのはわかっていやす。
頼みましたぜ、先生』
――読み終えたディアナは、愕然と手紙を見つめる。
「そういうことだったの……。父さん、全部知ってたんだ。私のことなんて、もう忘れてると思ってた」
ディアナは嬉しそうに目を細めると、ぎゅっと目を瞑った。
「父さんのバカ……。父さんのせいであきらめていたパティシエの夢、また追いかけたくなっちゃったじゃない……」
まるで、涙が零れないように。
でも、その震える声は彼女の感情を何より伝えていた。
「私たち、バラバラになったと思ってたけど、思いあってつながっていたのね……。なんで、こんな遠回りしちゃったんだろ……」
「ディアナさん……」
「郵便屋さん……。あなたの届けた手紙が、私たちの心をひとつにしてくれたわ。ありがとう」
笑顔で言われて、エルシスはなんて答えたらいいのか分からなかった。
本当に、自分はただ手紙を届けただけなのだから。
それでも、それがきっかけになったのなら、こんな喜ばしいことはないだろう。
「これは、お礼よ。浮け取ってね」
エルシスはちいさなメダルを受け取った。
「私がパティシエの夢をあきらめて、父さんの足の治療代を貯めてたように……
父さんもケガした足にムチ打って必死ではたらいてくれていたのね。私の夢を応援するために……」
「三人とも同じだったんですね。それぞれ家族のことを思っていたことは」
エルシスの言葉に、ディアナはゆっくりと頷く。
「ずいぶん遠回りしちゃったけど、これからは私たち家族3人、仲良く暮らしていけると思います。まずは、父さんに私の貯めたお金で足のケガを治して元気になってもらわないとね!」
明るく言ったディアナに、エルシスも笑顔を向けた。
「まさか、あの親父がディアナのために金を貯めていたなんてな……」
――戸惑いながら口を開いたのは、アポロだ。
「しかし、私は親父を許すつもりはない。私の家族はディアナひとりだけだ。今までもそしてこれからもな」
「もうっ、兄さん……」
「だがまあ、ディアナがどうしてもというのなら……来年のファーリス杯の観戦がてら、親父のシケたウマ面を拝みにサマディーまで行ってやるとするかな」
最後にそう言ったアポロの言葉に、エルシスとディアナは顔を見合わせて笑った。
「本当に君には世話になったな。まさか、サマディー王国の関所での出会いがこんな風に繋がるなんて……不思議だな」
「仲間の皆さんにもよろしくお伝えください。近くによったら、顔を出してくださいね。皆さんにはぜひ、私の作ったスイーツを食べてもらいたいですから」
「うわぁ!本当ですか!?みんなもすごく喜ぶと思います!」
心から嬉しそうなエルシスに、今度はディアナとアポロが顔を見合わせて笑う。
エルシスは二人に別れを告げて、再びルーラを唱えて、ソルティコの町に戻ってきた。
ディアナとアポロのことをさっそく皆とセイドンにも話した。
三人で仲良く暮らせる日も遠くないと伝えると、皆は同じように笑顔を浮かべる。
セイドンも顔には出さずとも「そうか…」と一言溢した言葉には、嬉しさが滲みでていた。
「しかし……本当に人間てのは、不器用な生き物だよなあ。手紙なんてもんに頼らなきゃ、わかりあえないなんて」
次に、静かにセイドンは呟く。
「でもまあ……近くにいるからこそ、いちばん大事なことが見えなくなっちまう。それが家族ってヤツなのかもしれないな」
近くにいるからこそ、いちばん大事なことが見えなくなってしまう――。
「……………」
一番の目的を果たし、ジエーゴの屋敷に向かうなか。
セーニャは歩きながら、その言葉を考えていた。
双子の姉のベロニカは、自分の片割れといってもいい存在だ。
同じ日に産まれ、共に育って、今までずっと一緒に生きてきた。
そして、きっとこれからも。
自分は大事なことを忘れてないかしらとセーニャは考える。
「ねえ、お姉さま……」
「なあに、セーニャ」
小さくなった姉が大きな妹を見上げる。無邪気なその姿に、セーニャは「ふふ」と笑みを溢す。
「ちょっとセーニャ。人の顔を見て笑うなんてどういうこと?」
「ごめんなさい、お姉さまの顔を見て笑ったわけではないんです」
「じゃあ何で笑ったの?ていうか、何か言いかけなかった?」
「いえ、やっぱりなんでもないですわ」
「?変なセーニャ」
大事なことはちゃんとわかっていたとセーニャは気づいた。
それは、姉のベロニカの存在そのものだ。
彼女にとって、何より大事で、大切な存在。
そして、きっとベロニカも同じように――。
「これより先は町の名士、ジエーゴさまの屋敷。屋敷に入るのは一向にかまわぬが、妙なマネはしないでくれたまえ」
見張りの門番に、エルシスたちは頭を下げながら敷地内に入った。
入ってすぐの中庭には、色とりどりの花が植えてあり、女性陣は感嘆の声を漏らす。
「この庭は、ジエーゴさまの奥さまのために作られた庭なんだよ」
「まあっ、奥さまのためにこんな素晴らしい花のお庭を作られるなんて、素敵ですわね」
庭師の男の話に、うっとりとするセーニャ。
「ジエーゴさまの奥さまは、それはお美しい奥さまだった。だが……若くしてお亡くなりになってしまってな」
「お亡くなりに……。それはさぞかしお辛かったでしょうね」
「そんな奥さまの忘れ形見だったご子息さまもすっかり行方知れずだというし、ジエーゴさまもずいぶん苦労されてるよ」
――なるほどな。庭師の男の話を聞いて、カミュは一人納得する。細かい経緯までは分からないが、"彼"が帰って来れない理由は分かった気がした。
中庭を過ぎると、奥には鍛練所が広がっている。
カキンカキンとたくさんの剣を交える音が聞こえてきた。
「僕は立派な騎士になりたくて、英雄グレイグさまが修行を積んだという、このソルティコの町にやってきたんだ。家族には騎士になると誓って家を出たからね。騎士には二言はない…という言葉もあるし、もう後に引き返すことはできないのさ」
そう一人の門下生が、まっすぐな目をして言った。
さすがグレイグが修業をしていた場所だけあって、まさにここは騎士の登竜門らしい。
エルシスは彼らが剣の稽古に励む光景を眺めた。
中には幼い男の子の姿もあって、驚く。
「この建物は兵舎で、屋敷はこっちじゃ、エルシス」
ロウに呼ばれて、慌ててエルシスは後を追った。
立派な扉の向こうで――出迎えてくれたのは、金髪をオールバックにし、眼鏡をかけている男性だった。
「彼はセザール殿という、この屋敷の執事じゃ」
先にロウがエルシスに彼のことを紹介した。
物腰の柔らかい仕草と声で、セザールは話す。
「これはこれは、ロウさま。おひさしゅうございますな。今日はお連れの方もお見えで……」
「セザール殿もお元気そうでなによりじゃ。ところで、ジエーゴ殿に用があるんじゃが、おるかのう?」
ロウの問いに、セザールは残念そうに顔をしかめた。
「あいにくですが、ご主人さまはデルカダール城に剣術の講義に出向いておりまして、しばらくご不在です」
「ふむ。それは、残念じゃのう。各地の歴史や文化について、ひさしぶりにまた語り合いたかったんじゃがな」
「ロウさまの見識の広さにご主人さまは感銘を受けておられました。ロウさまと会える日を楽しみにしておられましたよ」
――ここまでの話を聞いて。
ロウとエルシスの後ろに控えていた五人の中で、カミュがこっそり口を開く。
「ロウのじいさん、本当に知り合いだったんだな……」
「ロウさまは人望あふれるお方。世界中にいろんなお知り合いがいるの。私もはじめはおどろいたわ」
同じように小声でマルティナが話す。
「街のお嬢さんや子供、おじいちゃんまで、みんなロウさまの茶飲み友達なのよ。一国の王さまだったのに不思議な方よね」
マルティナの話を聞いて、改めてすごい人なんだと、感心する三人と同じようにユリもロウを見た。
「では、話はまた次の機会にするとして、ジエーゴ殿がいないのであれば、代わりにセザール殿に頼むとしよう」
そして、本題を切り出すロウ。
「じつは、さらなる見聞を広めるために、外海に出ようと思っておってな。水門を開けてほしいんじゃが、頼めるかのう?」
「もちろんでございます。他ならぬロウさまの頼みを断っては、私がご主人さまに怒られてしまいますよ」
セザールの答えに、思わず安堵の笑みを浮かべるエルシス。
ジエーゴが不在と聞いて、どうなるかと心配だったのだ。
「それでは、私が水門を開けておきますので、皆さまは船に乗って水門の前で待っていてくださいまし」
「かたじけないのう、セザール殿。ジエーゴ殿にもよろしく伝えてくだされ」
最後にセザールに礼と頭を下げ、彼らは屋敷を後にした。
「シルビアを呼んで、さっそく船に乗り込まないとな」
――ソルティコの町を出て、シルビアを呼びに行くと「待ちくたびれたわ〜!」と、彼はどこからともなく現れた。
「花占いをして待ってようかと思ってたところよ」
「何を占うんだ?」
「それは、ヒ・ミ・ツ♡」
いつもの乙女なシルビアに、エルシスは「秘密かぁ」と笑った。いつもと様子が違った彼を心配していたが、体調が悪いとかじゃないようなら安心だ。
「……ねえ、エルシスちゃん。その…ジエーゴ殿はどんな様子だったかしら?」
……殿?
「ちょうどデルカダール城に剣術の講義
に行ってるらしく、会えなかったんだ。代わりに執事のセザールさんが開けてくれるって」
「…そう、残念ね。セザールが……」
セザール?
首を傾げるエルシス。シルビアなら、いつもは相手の名前に"ちゃん"を付けるのに……。
「シルビアって、もしかして……」
「…っほらほら!エルシスちゃん、早く船に乗り込みましょ!さぁー外海に出発よ!」
シルビアに桟橋で背中を押されて、エルシスは「わ、分かったから押さないでくれ…」と、落ちないように気をつけながら小舟に乗った。
全員がシルビア号に乗り込み、船は出港する。
「――では、皆さん。門に向かうでげすよ!外海へは内海より、強い魔物や未知のものが多いと聞くでがす。心の準備は大丈夫でげすか!?」
舵を切るアリスの言葉に「バッチリだ!」「もっちろんよー!」とエルシスとベロニカが元気よく返事をし、他の皆も大きく頷いた。
シルビア号はゆっくり水門へと向かう。
「なんだかドキドキするね」
「はい…!ドキドキしますわ」
ユリとセーニャはお互い紅潮する顔で見合わて言った。
船がその手前で行くと、頑丈な門が音を立てながら下へと降りていく。
「おお、見ろ!セザール殿じゃ!みんなで礼を言うとしよう!」
水門を開けたセザールに気づいたロウ。
皆で手を振ると、セザールは見送るように手を振り返す。
シルビアだけが何やらはっと慌てて、その大きな体を縮こませて、カミュの後ろに隠れた。
「おい、シルビア……」
「今は何も言わないでカミュちゃんっ」
「……逆に目立つと思うぞ」
カミュは自分の後ろに隠れるシルビアに、前を向いたまま呆れて言った。
カミュが言った通り、上から眺めるセザールにはバレバレである。
「おや。あの方は……」
気づき、静かに呟くセザール。
やがて、その口許にふっと優しげな笑みを浮かべるが、その表情に気づいた者は誰もいないだろう。
その時にはもう――船は水門を通り過ぎ、外海を目指してソルッチャ運河を進んでいったからだ。
(――……ぼっちゃん。どうか、お気をつけて行ってらっしゃいませ)