ロミアが言っていた「内海の中心にそびえる光の柱」とは、どうやらバンデルフォン地方への航海の際に出会した光の柱だったらしい。
船は寄り道せずに目的地を目指し、途中、おばけパラソルの大群に襲われるなど災難に見舞われたが、数日かけてやっと目指す光が見えてきた。
「海にそびえる光の柱ねえ。航海の途中に海のそこかしらで何度か見たような気もするけど……まさかあの渦潮みたいなのが海底王国につながってるなんて考えたこともなかったわ」
舵を取るシルビアが前方を眺めながら言った。視界に捉えるのは海から空に向かって伸びる不思議は光の柱だ。
それはエルシスの目にも映り、次に手にあるマーメイドハープへと視線を向けた。
ハープならセーニャだろうと、試しに使ってみてもらったところ、普通のハープとは少し勝手が違うらしい。
代表してエルシスが使うことになったが、ちゃんと使うことが出来るか少しドキドキだ。
「あの光の中でこのハープを使えばいいって、ロミアさんは言ってたけど……」
「ハープが必要なのは分かったけど、どうやって行けるか見当もつかないね」
エルシスの言葉に返したユリは、続いて口許に人差し指を当てながら疑問を口にする。
「私、泳げるか分からないけど大丈夫かな?」
そもそも息はできるだろうかとか、今から向かう海底王国は未知だらけだ。
すると、ベロニカが残念そうに短いため息を吐く。
「海底王国に行くってわかってたら、服がぬれない魔法とか上手に泳げる魔法とか、そういうのを教わっておけばよかったわ」
「そんな便利な魔法があるの?」
「でもまぁ、きっとなんとかなるわよ。アタシも泳いだことないし!」
何故か胸を張って言うベロニカに「そこ威張るとこじゃねえだろ」と、二人の会話を聞いていたカミュが呆れて呟いた。
いよいよ、船は光の中へと入っていく――
「ロミアさまがおっしゃっていた海底王国の女王さまとはいったいどんなお方なのでしょうね」
セーニャの言葉にエルシスは想像すると、ホムラの里を治める巫女のヤヤクの姿が思い浮かんだ。
女王とはまた違うが、彼女のような堂々とした風格と、女性らしい凛々しさも兼ね備えた人魚ではないだろうか。
「キナイ・ユキさまが海底に来ることを許してくださるくらいですから、心の広いお方だとは思うのですが……私たちのような人間がいきなり海底王国に行っておどろかれたりはしないでしょうか」
「あ、確かに……」
少し心配そうなセーニャの言葉に、エルシスの表情も陰る。
皆がロミアのように友好的とも限らない。どうにか平和的に話が出来れば良いけれど。
「オーブのことも気になるけれど、海底王国に着いたら海底王国の女王さまに挨拶しましょう。ロミアから聞いた話によれば、きっと大丈夫よ」
「うむ。人も人魚もちゃんと話せば、ロミアとキナイ・ユキと同じように気持ちは通じるはずじゃ。さあ、エルシス。マーメイドハープを奏でてくれ」
マルティナとロウの言葉に、エルシスは深く頷くと、マーメイドハープに指をかけた。
エルシスの指が自然と奏でる美しい音色が、海原に響く。
次に何が起こるのだろうと彼らは期待に胸を膨らませていると、いち早く気づいたのはアリスだった。
「船が……!船が泡に包まれるでげす!!」
「「!?」」
彼がそう叫んだ時には、すでにシルビア号はすっぽりと巨大な泡に包まれていた。
「まさか……このまま海底に沈むのか!?」
「えっ船ごと……!?」
「シルビア号が海底まで行っちゃうの!?」
カミュの言葉通りに、泡に包まれたシルビア号は、静かに海の中に沈んでいく。
「お姉さま……!息を止めた方がいいのでしょうか!?」
「……いいえ。泡の中だからきっと大丈夫なんだわ!」
興奮気味な声が飛び交う中、船はどんどん沈んでいき、ついに彼らの視界は青い海の中に包まれた。
「すごい……」
初めて見る海の中の光景に、ユリは静かに驚きの声を漏らした。
太陽の光が届き、ゆらゆらと揺れている。泳ぐ小さいな魚たちは、まるで空を飛んでいるようにも見えた。
「ああ、まさか海の中の光景を目にしちまうとはな……」
同じように眺めるカミュの青い瞳が、海中を反射して深さを増す。
「信じられませんわ……。私、水の中で息をしています……!それにお魚さんがあんなに近くを泳いでいますわ!これは夢じゃないかしら!」
セーニャの言葉に、本当だとユリは呼吸を意識した。驚きのあまり、息ができることなんてすっかり忘れていた。
落ち着きがないセーニャとは別に、ベロニカは驚きつつも静かに口を開く。
「息ができるってわかってても、思いっきり深呼吸するのはさすがにちょっと緊張するわね」
「え、そう?」
「だって、鼻に水が入るとツーンとしてとっても痛いじゃない」
「はは、でもこの中なら大丈夫みたいだ。海底王国も同じようだと良いけど」
エルシスは笑いながら答えてから、深呼吸をした。空気は地上と何ら変わらない。
「……素敵。海の中はこんな景色なのね」
「どんどん降りていくけど、海底はどれだけ深いんだろう……」
うっとりするマルティナに、ユリは遠くなる海面を見上げて言った。
どこまで深いのか、それも未知なる海の世界だ――。
「ははは……ついにオレたち海の底に来ちまったってわけか……。信じられねえが、現実なんだよな」
やがて船は静かに止まり、どうやら海底に着いたらしい。
「もう世界中どこに行ったっておどろかねえ自信があるぜ」
「じゃあ次は空だっ」
カミュの言葉に無邪気に答えるエルシス。
空ねえ――次はシルビア号に羽でも生えるのだろうかとカミュは想像し、思わず吹き出してしまった。(ありえねえ話じゃねえな)
「その先に道が見えますが、海底王国に繋がってるんでげすかね?」
アリスが見る先を彼らも見る。
岩肌にトンネルのような穴が空いており、道が続いている。
「ねえ、待って。この泡の中から出ても大丈夫なのかしら?」
皆も感じてた疑問を、シルビアが口にした時だった。
「本当に人間のお客さんだ!」
どこからかそう声が響いたのは。
「ようこそ、ここは海底王国ムウレア。人間のお客さんなんて何百年ぶりだろう」
現れたのは青い髪の人魚だった。
宙を――いや、水中を泳ぎながら彼らに話しかける。
「あ、あの、僕たちロミアさんからこのマーメイドハープをもらってやって来た怪しい者じゃないです!」
慌てて変な言葉になってるエルシスに「お前、逆に怪しいぞ…」とカミュがつっこんだ。
人魚はクスクスと笑う。
「大丈夫だよ。君たちが来ることは事前に知っている」
事前に知っている……?ロミアが先に自分たちのことを伝えてくれたのだろうか――全員首を傾げる。
「それと、この船を包む泡から出ても息ができるから、安心していいよ」
人魚のその言葉に彼らは明るい顔で見合わした。
「――不思議!水中はふわふわしてるのね!」
船を飛び降りたユリの体は、ゆっくりと落下し、海底の地面に足がつく。
「うん!すごく不思議な感覚。ジャンプするとゆっくりなんだ」
そう言ってジャンプしたエルシスの体は、落下時と同じようにゆっくりと体が浮き上がった。
「これなら泳げなくても大丈夫そうで良かった」
「ほらね。アタシが言った通りなんとかなったでしょ」
安堵するユリににっこりと彼女に笑いかけるベロニカ。
「海の上が恋しくなったらアタシにいつでも話しかけてよ。すぐに海の上へ送ってあげるからね」
青い髪の人魚に「ありがとう」とエルシスはお礼を言う。トンネルの先に海底王国ムウレアがあるらしい。
周囲には水草が生えており、ゆらゆらと揺れている。時折、小さな気泡が生まれては消えていく――紛れもなくここは水中だ。
「この珊瑚、まるで木みたい」
「ユリさま、こちらにはとても大きな貝がありますわ」
「やだ、このヒトデちゃんっとっても可愛いわ♪」
「あ!これ、ふしぎな海藻だ!」
「お前は素材に関しては抜かりねえよなぁ」
海の中は不思議がいっぱいで、彼らの足はなかなか前に進まない。
「ねえ、見て。この灯り、中にいるイソギンチャクが光ってるのよ。イソギンチャクって本でしか見たことなかったけど、光るイソギンチャクがいるなんて初めて知ったわ」
道の横に立てられたランプの中の青く光るイソギンチャクを、ベロニカは興味深く観察した。
「海の中だってのに息ができるのも、人魚の不思議なチカラってヤツか。おかげで海底に沈んだっていうオーブの話が本当かどうか確かめられそうだな」
「他にもここでしか手に入らない素材があるかも知れない……」
「オーブより素材かよ」
「!待ってエルシス。腰のポーチが光ってる!」
気づいたユリの声に、エルシスは慌てて腰のポーチから虹色の枝を取り出す。
虹色の枝は強く輝いている。
「どうやらこの近くにオーブがあるようじゃな」
「お姉さま。小さい頃に聞いた、海底に沈んだオーブの話は本当だったのですね」
「ええ……眉唾物だと思ってたから、正直びっくりだわ」
セーニャとベロニカは驚きにお互いの顔を見合わせた。
「エルシス。オーブのこともあるけれど、まずは海底王国の女王さまに会いましょう」
「うん、まずは挨拶しなきゃね」
「もしかしたら、その女王さまが何か知ってるかもしれねえしな」
マルティナとカミュの言葉にエルシスは頷き、そのまま王国へと足を進める。
――海底王国ムウレア。
海底だというのに、光差す美しい人魚の国だ。
その場に感嘆なため息が漏れた。
想像を越える景色が目の前に広がっている。
「……どうしましょ。何からおどろいていいかわかんないわ」
最初に口を開いたシルビアが、戸惑いながら言葉を紡ぐ。
「アタシのシルビア号が海に潜って……。ここは海底王国で……人魚が……。誰かアタシのホッペをつねってちょうだい」
誰かと言いながら「ちょっとユリちゃん!アタシのホッペをつねってみて!」と、シルビアはユリに頬をつねるようにお願いした。
ユリは戸惑いながらもシルビアの手入れが完璧な頬をつねってみる。
「痛くないわ!夢かも知れない!」
「あんまり力入れてなかったかも…」
ボケボケな二人のやりとりに、ベロニカはカミュに「……ちょっとあんた、つっこみなさいよ」と言うが「オレはつっこみ係じゃねえ」と、彼はにべもなく答えた。(今まで散々つっこんできたじゃないのよ〜!)
「ほっほう。ここはまるで天国じゃのう。いやぁ〜長生きはしてみるもんじゃ」
頭上を悠然と泳ぐ人魚を見て、ロウがにんまりと笑う。
ハープを奏で歌を歌う者や、自由に暮らす人魚たちの姿がそこにはあった。
「うむ……。ロミアに負けずおとらず、人魚はみんな美しいのお。なあ、エルシスよ。ぜひとも礼を言わせてくれ。ここへ連れてきてくれてありがとうな」
エルシスは笑って頷いたが、ロウらしいり不純な動機にちょっぴり複雑だ。
確かに海を泳ぐ人魚の姿も美しいが、海の底にこんなに立派な王国があったのだ。
地上と同じように、けれど形は違う丸い建物が建っていたり。草木の代わりに水草が生え、花の代わりに色とりどりの珊瑚や魚たちが彩っている。
縦に噴き出す水流はまるで滝のようだ。
(すごいや……これが海底王国……!)
イシの村の成人の儀式で見た景色のときも、旅立って初めて目にしたロトゼタシアの広大な景色のときも――。
世界は広いと感じたが、旅を続ける中で、それは何度も覆される。
新しい世界に、エルシスは感動に心を震わせていた。
「ここがロミアの故郷……海底王国ね。地上では絶対に見ることができない景色。……とても美しい所だわ」
「タテに細長いお魚の皆さまはなんというお名前なのでしょうか。とても愛らしいお姿ですわ」
「海の中で魚はこんな風に泳いでるのね」
楽しげに辺りを眺めるマルティナ、セーニャ、ユリの三人。彼女たちとは反対に、ベロニカは「あーあ」と残念そうな声を出す。
「人魚に変身できる魔法とか泳ぎが上手になる魔法を教わっておけばよかったな。魚になって海底王国を泳ぎまわれたらとっても気持ちいいでしょうね」
「そんな便利な魔法もあるの?」
再び驚くユリ。自分も少し魔法を扱えるのだが、魔法って何でもあるんだなぁと他人事のように思った。
「お店とかもあるのかな?」
「珍しいもんが売ってるかもな」
「探索は用事を済ませてからにしましょう」
好奇心を膨らますエルシスとカミュの二人にくすりと笑いながら、マルティナは海底王国に足を踏み入れた。
「女王さまはどこにいるんだろう?」
「女王って言うほどだし、あの奥にある大きな巻き貝のような建物にいるんじゃないかしら?」
周りの景色に目を奪われながらも、目的は忘れずにエルシスが呟くと、ベロニカが遠くを指差す。
「あ、ねえ、あそこにヒトがいるよ」
「ヒト……?いや、あれはヒトなのか……?」
「あのヒトに話を聞いてみよう!旅の基本だ」
いや、だからあれはヒトなのか。ユリとエルシスの視線の先にいる人物を、カミュは怪訝に見る。
ここで暮らしているようだが、どう見ても服を着たマーマンに似た魚の魔物に見える。
下半身が魚の人魚とは逆に人間のような足と魚の顔に、さしずめ"魚人"と言うべきか。
エルシスが「あの…」と声をかけると、彼は分かりやすくギョッとした。
「に……人間さん!海底に何をしにきたんだい!?」
「えぇと僕たちは……」
「オレたち海の民は食べてもおいしくないし、人魚を食べても不老不死になんかなれないんだからね!」
彼らは"海の民"と言うらしい。
人魚と同じように言葉は通じるものの、大きく誤解し、こちらを警戒している。
エルシスが懸命に説明して交友を図るものの。
「……え?海底に沈んだオーブを探してる?オレ、そんなの知らないよ!むずかしいことは人魚の女王さまに聞いてよね!」
「いや、その女王さまの居場所を……」
彼はエルシスの話を最後まで聞かずに行ってしまった。やはり、友好関係を築くのはなかなか難しいようだ。
少し落ち込むエルシスに「まあ、仕方ねえさ」とカミュが励ます。
だが、人間にも様々な人がいるように、彼らも全員が全員、同じように人間を警戒しているのではないと知る。
「オラ、今年で240歳になるけども人間とおしゃべりすんのははじめてだ。アンタらがウワサの女王さまのお客さんだな?」
今度は海の民から気さくに話しかけられた。
「240歳……!」
「私たち、女王さまの客人になってる?」
「ウワサが広まるのが早いのは地上も海底も関係ないのねえ」
それぞれ引っ掛かった部分を口にする、エルシス、ユリ、シルビア。
「アンタらが海底で息ができるのは女王さまだけが使える魔法のチカラでな。海底流の大歓迎ってやつなんだぞ」
「海底流の大歓迎……やはり女王さまは心の広い方なんですわ」
「その魔法、教えて欲しいわね」
その話に、今度はセーニャとベロニカが口を開いた。
「女王さまはいちばん奥の宮殿のてっぺんにある玉座の間で、アンタらが来るのを待ってるぞ〜」
女王の居場所はベロニカが指差した場所で間違いないようだ。
彼らは教えてくれた海の民に礼を言い、奥へ進む。
「はて、女王はわしらが来ることをすでに知っておるようじゃのう」
「ええ、やはりロミアが先に伝えてくれたのかしら?」
歩きながら、ロウとマルティナが小さな疑問を口にした。
「――あら、人間?」
「私、初めて見たわ!」
道中、人魚は好奇心が旺盛なのか、人間の彼らをまじまじと見にきたり、声をかけてくる者も少なくなかった。
「ったく。落ち着かねえぜ」
好奇な目に晒され、ぼやくカミュに「仕方ないよ。僕らもこの場所は新鮮だしさ」と、今度はエルシスが宥める。
「エラなし!ヒレなし!水かきなし!まさしくそなたたちは人間だ!」
中でも一際興奮して声をかけてきたのは、眼鏡をかけた人魚だった。
人魚も眼鏡をかけるのねと、ユリは新しい知識を得た。
「幼き頃よりあこがれ続けた人間が、今っ、私の目の前に!!生きてて……よかったーっ!」
ひゃっほーいと喜ぶ彼女に、これには全員苦笑いを浮かべた。
「人魚にも色んな人魚がいるね」
「僕らと一緒だね」
ユリの言葉にエルシスは微笑と共に頷く。
人間と人魚。
きっと分かり合えることは多いだろうに、少しの違いだけでそれは困難なことになるのだ――。
一行が宮殿を前まで来ると、岩に腰かける一人の海の民の姿が目に入る。
「……何してるのかって、見りゃわかるだろ?釣りだよ。王宮で食べる食事は料理長のオレさまが調達してるのさ。…なんだよ。じろじろ見やがって。人間は魚を食べるのに釣りをしねぇのか?つくづくヘンな生き物だなあ」
その話を聞いて「お魚さんはお友達ではないのですね……」絵本とは違う現実にショックを受けるセーニャであった。
宮殿の入口には、門番らしき人魚が待ち構えていた。
彼らの姿を目にすると、不機嫌そうに顔をしかめる。
「女王さまの気まぐれもこまったものだ。人間なんかを王国に入れるとはいったい何を考えておられるのか……。キサマら、本当に女王さまのお客人か?すこしでも怪しい動きをしてみろ。二度と王国に入れぬようにしてやるからな」
口では厳しく言うものの、彼女は中に招き入れてくれた。
玉座の間はてっぺんにあるらしいが、ここは水の中。
階段などは存在しないらしい。
代わりに控えていた人魚が、魔法で彼らを上に連れていってくれるという。
水の渦に押し上げられるように、彼らは玉座の間にやってきた。
「――お待ちしておりました、エルシス。そして、仲間の方々……」
その一番奥で優雅に腰掛ける彼女こそが、人魚の女王だと一目で分かった。
美しい金色の髪に、それに負けない美貌。
何より、王国を統べる女王としての、威厳ある雰囲気を纏っている。
力強い瞳はヤヤクと似ているとエルシスは思ったが、自分たちを見るその眼差しは慈愛を感じさせた。
「ようこそ、海底王国ムウレアへ。わたくしは人魚の女王、セレン」
「女王さん。あんた、なぜ、オレたちのことを知っているんだ?」
不躾にいつもの口調で尋ねるカミュだったが、女王――セレンはそれを咎めず、むしろ微笑みを浮かべる。
「ふふ、わたくしはちょっとした魔法が使えるのです。地上のすべてを知っていますわ……」
地上のすべて――まるで神さまのようだとユリは思った。
「さっ、難しいお話は後にしましょう。さっそくですが、エルシス。あなたがお探しなのはこれでしょう?」
思わず皆はあっと声が出そうになる。
セレンが取り出したのは新緑のように輝く宝玉。
紛れもなく探し求めていたオーブだ。
「人間の世界のものは本当に美しい……。海底には届かない日の光を閉じ込めたよう」
オーブをどこか切なげに眺めながら言うセレンは、彼女も他の人魚たちと同様に、人間に憧れを持っていたのだろうか。
「ロミアのことではお世話になりました。生きる希望を失った彼女に、あなた方は希望を見つけてくれた。これはお礼です。……さぁ、あなた方にお返ししましょう」
エルシスはセレンから『グリーンオーブ』を受け取る。
「わたくしは見ていました。ロミアとキナイのことを……」
そう少し悲しげな表情をしながら、セレンは彼らに告げた。
「陸に上がった人魚は泡となり消える。このオキテを越え、愛し合おうとしたのは彼らがはじめてではないのです」
はじめてではない――声に出さずマルティナが口の中で呟いた。
「人間と人魚は共に生きる道を何度も探してきました。けれど、それはかなうことのない夢。わたくしたち人魚から見れば、チカラも身体も弱く、未熟な心を持ったあなた方人間は、とても危うい」
………………。
セレンの言葉に誰も何も言わず、反論もしなかった。
その通りだと思ったからだ。
「しかし、まばたきのような一生の中で何かを求め、チカラ強く生きる姿はひときわかがやいて見えるのもまた事実」
そんな彼らに、セレンは優しく語りかけるように話す。
「人間が海底にあこがれるのと同じように、わたくしたち人魚も、地上に暮らすあなた方にひかれてやまないのです」
――ひかれあうのに、共に生きるとなると難しい。なんて儚いのだろうとユリは目を閉じる。
「……キナイとロミア。巡り、回る命の大樹の意思のもと、いつかふたりがふたたび出会うことを祈りましょう」
そう言って、セレンもまた目を閉じた。
「……そして、もう一つお話しなければなりません」
再び目を開けたセレンの、見透かすような瞳が向けられたのは――。
「わたくしは地上のすべてを知っていると言いましたが……。それはユリ。あなたが"何者"なのかも知っています」
その言葉に全員がはっと息を呑んで驚く。
今まで手がかりがなかった彼女の失われた記憶について、唐突に目の前に現れたのだ。
「……っ」
ユリはぎゅっと胸元で手を握った。
ずっと追い求めて来たのに、いざ知るとなると何故だろう、……怖い。
今の自分とかけ離れた自分だったらという不安かも知れない。
「……セレンさま。私は……、誰なんでしょうか」
それでも、ちゃんと知りたい。知らなければならない――。
ユリは意を決して、セレンに恐る恐る尋ねた。
「……それは、わたくしの口から伝えることはできません」
「……!」
「おい、どういうことだよ!」
声を荒げるカミュに、セレンはユリを見つめたまま、冷静な口調で理由を話す。
「わたくしが今教えたところで、何も分からないのに受け入れることができるでしょうか。……きっと、混乱するだけでしょう」
「っだからって……」
納得いかないカミュに、ユリは「私は大丈夫」と微笑みながら彼に言った。
「……自分自身で、思い出さないとだめ……なんですね」
それは、自分でも薄々気づいていたことだ。
セレンは肯定するようにゆっくり頷く。
「これだけは言えます。わたくしとあなた方が出会ったのが大いなる世界のご意志のように。また、あなたと我らが勇者、エルシスと出会ったのも世界のご意志なのです」
"世界の意思"
「(エルシスと……)」
「(ユリと……)」
出会ったのが――二人はお互い不思議そうに顔を見合わせた。
「時の流れに身をゆだねなさい。大樹がそれを望むのならば、わたくしたちはきっとまた巡り合う」
そこでセレンは右手に持っていた杖をトンッと床に突く。
「すべては、大樹の導きのもとに――」